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アニスはカウチソファから立ち上がることはせず、本をすぐ隣にあるローテーブルに投げ捨てると頬杖を付いた。
アネモネは扉から歩いて3歩の場所から動かず、ティートもアネモネの傍から動かない。
部屋は沈黙に包まれている。けれど、漂う空気はピリピリと一触即発だった。
「……くそっ、だから首輪でも付けておけと言ったのに……」
沈黙を破ったアニスは、苦い顔をしてここには居ない誰かを睨む。
それが誰に向けてのものなのかピンときたアネモネは、足音荒くアニスに近づきながら口を開いた。
「言っときますが、あなたがなかなか受け取ってくれないから、私が貴重な睡眠時間を削る羽目になったんですよ」
「はぁーん……代わりにソレールがお前の代わりに寝ているわけか」
「代理睡眠ってわけじゃないですけどね。普段、あなたが薄給なのにこき使っているからよくお休みになられてます」
「減らず口を叩くな、娘」
猿より格上げしてもらえたが、やっぱり嬉しくない。
カウチソファの目の前に到着したアネモネは更にムッとする。手を伸ばせば触れる距離にいるアニスを、遠慮無しに不機嫌な表情で見下ろす。
そんなアネモネの視線を受けているアニスは、うんざりとした顔をしながら軽く眉を上げて話題を変えた。
「……で、娘。俺に渡したいものとは何だ?」
「おじい様からの伝言です。今、言っても?」
「ああ、聞こう」
やっとアニスが受け取ってくれる姿勢を見せてくれたけれど、アネモネは正当な手順で記憶を届けることはせず、わざと口頭で伝えることを選んだ。
なぜならティートが傍にいるから。
アネモネの心に留まっているアニス宛ての記憶は、紡織師だけが扱える特殊な楽器の旋律に乗せて届けなくてはいけない。
万が一その音色を聞いたティートが、彼の大切な記憶を覗き見してしまう危険がある。
だから記憶を届ける時は、対象となる者と二人っきりにならなければいけない。
これが鉄則であり、長い歴史を持つ紡織師に定められた掟でもあった。
……などということを伝えても、どちらも納得することは無いだろう。
だからアネモネは端的に、アニスの祖父であるチャービルから預かった伝言を口にした。
「あなたは正当な王家の血を引く者です」
「そうか。ま、知っていたけれどな」
あっさりと頷いたアニスは、突如目を引ん剝くと、切羽詰まったように立ち上がった。
「おい、娘っ、逃げろ!」
「はぁ?」
豹変したアニスに驚きつつ、アネモネは振り返って彼と同じ方向を見る。
すぐにアニスが逃げろと言った意味がわかった。
「お疲れ、アネモネ」
ティートは笑みを湛えたまま剣を抜いていた。
そして─── そのままアネモネに向けてそれを振り下ろした。




