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故郷である伯爵邸に別れを告げたアネモネは、商会窓口に行こうと、街を歩き出す。
ただ、今日中に辿り着けるだろうか。
今は午後を過ぎた頃。
ソレールの自宅を出たのは、朝食を食べてすぐだった。
つまりアネモネは、持ち前の方向音痴のせいで伯爵邸に辿り着くまでに何時間も掛かってしまったということになる。
過去の自分に別れを告げたとて、方向音痴は自分の身に刻まれており、別れて欲しくてもそう簡単には離れてくれないだろう。
つまり残念ながら、迷わず商会窓口に到着できる気は全くしないということで。
「……ははっ」
アネモネは、乾いた声で笑った。
でも歩く。いつかは辿り着けるだろうと信じて。
そして自分の種となった男が長生きすることをおざなりに祈りながら右足と左を交互に動かしていたら、背後から声を掛けられた。
「おやアネモネさん、お散歩ですか?」
驚いて振り返ったら、見知らぬ騎士がいた。
当然のごとくアネモネは目を丸くする。
「あー、ごめんごめん。僕、ティート」
「……」
記憶力は悪い方ではないが、その名前に聞き覚えは無い。
「えっと......おさぼりですか?」
動揺を隠すために、アネモネは質問に答えることなく、問いかける。
「ははっ、そんなふうに見える?」
足を止めたアネモネの前に回った騎士は、膝を折って顔を覗き込んできた。
否が応でも、騎士の姿が視界に移り込む。
見たところ20代後半の騎士もといティートは、ソレールと同じ制服を着て、これまた同じく胸に同じ紋章を刻んでいた。
ソレールはアニスにはもう一人護衛騎士がついていると言っていたから、彼がそうなのだろう。
でも、自分の名を知っているのはともかく、この容姿まで知っているのであろうか。
アネモネの眉間に皺が寄る。
この男には隙がない。
浮かべている笑みは人懐っこいものではあるが、作り物めいている。
「どうでしょうかね。あなたのお仕事内容を詳しくは知りませんから、私はなんとも答えることが......って─── ぅわぁ」
アネモネは小石につまずいて転ぶふりをした。いや、転倒したのは事実だが、躓いたのは故意である。
「アネモネさん大丈夫?!」
「あー……はい」
豪快に転んだアネモネに若干引きつつも、ティートは手を差し伸べる。
「あのう」
「な、なんですか?」
「その汚い手袋を掴めと?」
暗に手袋を外せとアネモネは訴えてみた。
「......え?」
間の抜けた声の後、しばらくティートは呆気にとられたかのように、口を半開きにした。
アネモネの喉がこくりと鳴る。
素肌に触れて彼の思惑を知りたいところだが、上手くいくだろうか。
ティートの皮の手袋は汚れてなんかいないし、傷一つ付いていない。下ろし立てのように、艶すらある。
そんな手袋に難癖つける手段は、自分で言うのもアレだが、かなり強引だし無理がある。
だが、ティートは期待に応えてくれた。
「......ははは……こりゃあ失礼しました」
あっさりと手袋を外したティートは再びアネモネに手を差し伸べた。
「どうも、ありが……っ」
ティートの手のひらに自分の手をのせた瞬間、アネモネは小さく息を呑んだ。




