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突然だがソレール・リトンは、王都から西に位置する辺境伯爵の三男坊である。
長男は既に結婚をして家督を継いでおり、子供も生まれている。次男も長男の補佐として、代々治める領地で妻に尻に敷かれつつも平和に暮らしている。
領民たちにも慕われ、絵にかいたような家庭である。
けれど、このリトン家には一つだけ傷がある。それは不名誉なものではなく、未だに心の血を流し続けている類のもの。
8年前までは、ソレールの家族は6人家族だった。でも、その中の一人はもういない。
末娘が病で死んでしまったのだ。
ソレールは出会った初日に、アネモネには妹がまるで生きているかのように伝えたけれど、それは嘘である。
ただ知られたくなかったから嘘を付いたわけではない。彼自身がまだ妹の死に折り合いをつけることができていないから。
そしてアネモネに、妹の面影を重ねていると思われたくなかったから。
「……明日まで止みそうもないな」
ソレールは窓辺に足を向け、空を見上げて呟いた。
しばらく晴天が続いていたので畑仕事をしている農夫たちにとったら恵みの雨だろう。けれど、馬車で移動する自分の主はきっと不機嫌な顔をしているに違いない。
そんなことを思いながら、ソレールは主こと、アニスの執務机に視線を移した。
現在、この部屋の主であるアニスは気分転換という名目で外出中だ。
侯爵家当主としての仕事もさることながら、他にもアニスは色々と厄介事を抱えている。だから定期的に護衛であるソレールを置いて、ふらっと外に出てしまう。
それに対して雇われた当初は、不愉快な気持ちになった。
けれど、彼に仕えて早3年。今では何の感情も持たずに「行ってらっしゃいませ」と「おかえりなさいませ」を口にすることができる。
アニスにとって気分転換は、ある意味仕事なのだ。
彼は寝ている時でさえ、仕事をしている。ソレールが知る限り、一分一秒も気が休まることが無い。
アネモネはアニスのことを性根が腐っていると言った。それは嘘ではない。だが別の角度から見ているソレールは、アニスのことを信頼しているし支えたいと思っている。
───ガチャッ。バンッ。
「あー……クソ。なんで雨が降るんだっ。誰だ今日は一日晴天だって言ったのはっ」
乱暴に扉が開くと共に、そんな誰に向けてなのかわからない悪態が部屋中に響き渡った。
「多分、王都の住民の8割が晴れだと言っていたでしょうね」
律義に答えてみたものの、返って来た返事は無視だった。
でも、こんなやりとりは普段のことなので、ソレールは別段気にすること無く、遅れて部屋に入って来たもう一人の人物に声を掛けた。
「ティートさん、お疲れさまです」
「ああ、今帰った。何か変わりは?」
「特に無いですね」
「ですってさ。アニス様」
「近くにいるから、聞こえている。報告はいらん」
タイを外しながらそっけなく答えるアニスに、もう一人の人物ことティートはソレールに向かって肩をすくめた。
ソレールとティートは揃いの制服を着ている。つまり、ティートもアニスの護衛騎士なのだ。
ちなみに年齢はソレールの方が4つ下。そしてアニスに仕えている勤続年数はティートの方が一年上の先輩騎士である。
「ソレール、ちょっと湿気が強いから窓を開けてくれる?」
「おい、やめろ」
ソレールは先輩と主から同時に命令され、しばし迷う。
でもティートは「少しだけですから」とアニスにごり押ししているのを見て、無言で窓を開けた。どうせ主が折れるだろうと判断して。
少し開いた窓から、生温い風と雨の日特有の湿った香りが部屋の中に入り込む。
口には出せないが、どう考えても窓を開けた方が湿気が強くなりそうだ。
でも、ティートは満足そうな顔で「休憩行ってきます」と言って、ひらりと部屋を出て行ってしまった。




