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紡織師アネモネは、恋する騎士の心に留まれない  作者: 当麻月菜
3.待てば甘味の恵み有り。とはいえ、悪縁契り深しかな
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13

 間の抜けた顔をするアネモネに、ミルラは大股で一歩距離を縮めた。次いでアネモネの腕を掴んだ。


 その力は痛いと思う程、有無を言わせないものだった。


「ほら、早くお入りっ。身体を拭かなきゃ風邪をひいちまう」

「……あの、時間外勤務じゃ」

「んなもん、どーでも良いんだよっ」


 二度目の「どーでも良い」は、一度目のそれより強い口調だった。






 アネモネを居間に引き入れたミルラは一旦、バスルームに行くとしばらくゴソゴソして、バスタオル抱えて戻って来た。


 そして思考回路が停止してしまったアネモネの背後に回り、ドレスのボタンを外していくと一気に引き下ろした。


 そんなことをされた経験など記憶に残っていないアネモネは、驚き過ぎて声も出せずに硬直してしまう。


 ───バサッ。


 少し遅れて寒さを覚えたアネモネの視界が真っ白に染まる。フカフカのタオルをミルラが被せてくれたのだ。


「あーこんなことなら、出掛ける時に引き留めれば良かったよ。まったくお天道様も気まぐれだね。あんなに晴れていたのに、こんな土砂降りになるなんてさ。これじゃあ、水門番も大忙しだねぇ」


 早口でまくし立てるミルラは、ごしごしとアネモネの髪を拭いてくれる。


 口調も荒いし、手つきも丁寧とは言い難い。でも、伝わってくるのは泣きたくなるほどの温もりで。


 アネモネの瞳に、止まったはずの涙が再び滲む。


「……ミルラさん、ありがとうございます。でも後は、自分で」

「いや、もう風呂に入りな」


 大方拭き終えたミルラは、濡れたバスタオルを持ったままバスルームを指差した。


「ついさっき薪を入れたばっかりだから、まだぬるいかもしれないけれど、この季節ならすぐにお湯になるさ」

「はい」


 嫌という理由が見つからないアネモネは素直に頷き、バスルームに移動した。


 バスタブには普段は使わないラベンダーの入浴剤が入れられていて、その香りを肺いっぱいに吸い込んだら鼻の奥がつんと痛んだ。


 ぬるいと感じたお風呂のお湯は、あっという間に丁度良い湯加減になった。


 アネモネはしばらくバスタブで蹲って、目を閉じる。


 考えたくないのに、思い出したくないのに、過去の記憶が蘇る。


 もう、誰も知らない思い出。自分が忘れてしまえば、それはこの世界から消えてなくなる、どうでも良いもの。

 それがまだ自分の中にあるのは、捨てられないからなのか、捨てたくないからなのか。


 ぐるぐると考えていても答えが出ない。


 でも、このままではのぼせてしまいそうな予感がしてアネモネは、のろのろとバスルームを出た。


 さすがにもう帰っただろうと思ったけれど、ミルラはまだキッチンに居た。


「温まったかい?」

「はい。ありがとうございました」

「いいんだよ、そんなこと。ほらこっちにおいで、これをお飲み」


 キッチンのテーブルを軽くたたいて、ミルラはアネモネに着席を促す。そこには湯気の立ったココアが置かれていた。


 アネモネはこくりと頷いて、着席するとココアを一口飲む。

 

「……甘くて、美味しいです」

「そうかい」


 じんわりと伝わる素朴な甘さに、アネモネはほぅっと息を吐く。


 ミルラは何も言わず、濡れたままのアネモネの髪をバスタオルで拭いてくれた。先ほどよりも優しい手つきで。

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