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間の抜けた顔をするアネモネに、ミルラは大股で一歩距離を縮めた。次いでアネモネの腕を掴んだ。
その力は痛いと思う程、有無を言わせないものだった。
「ほら、早くお入りっ。身体を拭かなきゃ風邪をひいちまう」
「……あの、時間外勤務じゃ」
「んなもん、どーでも良いんだよっ」
二度目の「どーでも良い」は、一度目のそれより強い口調だった。
アネモネを居間に引き入れたミルラは一旦、バスルームに行くとしばらくゴソゴソして、バスタオル抱えて戻って来た。
そして思考回路が停止してしまったアネモネの背後に回り、ドレスのボタンを外していくと一気に引き下ろした。
そんなことをされた経験など記憶に残っていないアネモネは、驚き過ぎて声も出せずに硬直してしまう。
───バサッ。
少し遅れて寒さを覚えたアネモネの視界が真っ白に染まる。フカフカのタオルをミルラが被せてくれたのだ。
「あーこんなことなら、出掛ける時に引き留めれば良かったよ。まったくお天道様も気まぐれだね。あんなに晴れていたのに、こんな土砂降りになるなんてさ。これじゃあ、水門番も大忙しだねぇ」
早口でまくし立てるミルラは、ごしごしとアネモネの髪を拭いてくれる。
口調も荒いし、手つきも丁寧とは言い難い。でも、伝わってくるのは泣きたくなるほどの温もりで。
アネモネの瞳に、止まったはずの涙が再び滲む。
「……ミルラさん、ありがとうございます。でも後は、自分で」
「いや、もう風呂に入りな」
大方拭き終えたミルラは、濡れたバスタオルを持ったままバスルームを指差した。
「ついさっき薪を入れたばっかりだから、まだぬるいかもしれないけれど、この季節ならすぐにお湯になるさ」
「はい」
嫌という理由が見つからないアネモネは素直に頷き、バスルームに移動した。
バスタブには普段は使わないラベンダーの入浴剤が入れられていて、その香りを肺いっぱいに吸い込んだら鼻の奥がつんと痛んだ。
ぬるいと感じたお風呂のお湯は、あっという間に丁度良い湯加減になった。
アネモネはしばらくバスタブで蹲って、目を閉じる。
考えたくないのに、思い出したくないのに、過去の記憶が蘇る。
もう、誰も知らない思い出。自分が忘れてしまえば、それはこの世界から消えてなくなる、どうでも良いもの。
それがまだ自分の中にあるのは、捨てられないからなのか、捨てたくないからなのか。
ぐるぐると考えていても答えが出ない。
でも、このままではのぼせてしまいそうな予感がしてアネモネは、のろのろとバスルームを出た。
さすがにもう帰っただろうと思ったけれど、ミルラはまだキッチンに居た。
「温まったかい?」
「はい。ありがとうございました」
「いいんだよ、そんなこと。ほらこっちにおいで、これをお飲み」
キッチンのテーブルを軽くたたいて、ミルラはアネモネに着席を促す。そこには湯気の立ったココアが置かれていた。
アネモネはこくりと頷いて、着席するとココアを一口飲む。
「……甘くて、美味しいです」
「そうかい」
じんわりと伝わる素朴な甘さに、アネモネはほぅっと息を吐く。
ミルラは何も言わず、濡れたままのアネモネの髪をバスタオルで拭いてくれた。先ほどよりも優しい手つきで。




