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見事な身体能力で馬車に乗り込んだアネモネを迎えたのは、予想通りアニスだった。
ただ今しがた起こった出来事が理解できないようで、彼はポカンとした表情を浮かべている。
アネモネはそんなアニスを無視して、遠慮なく向かいの席に座る。
待つこと数秒、貴族然とした表情に戻したアニスが口を開いた。
「……ええっと。どうされましたか?大胆なお嬢さん」
あ、コイツ、誰だかわかっていない。
滑らかな口調と共に苦笑を浮かべるアニスに、アネモネは鼻で笑った。
「二度目まして、アニスさま。紡織師アネモネです」
苛つく男だとだとしても、コイツが客であることには変わりがない。
アネモネはボイコット寸前の表情筋に頭を下げて、営業用の笑みを浮かべた。
今度は待つこと3秒。アニスがぎょっと目を見開いた。
「……お前、こんな恰好すると別人のようになるな」
「私もそう思います」
遠回しに褒めてもらったようだ。嬉しくはないけれど。
そしてアニスも、アネモネの服装に興味が無いようで、目つきを険しいものに変えて、早々に話を終わらそうとする。
「で、何だ?いきなり人の馬車に乗り込んでくるなんていい度胸だ。お望みなら、このまま自警団に引き渡してやるぞ?」
見知らぬ女には、キザな台詞を吐くことができても、いつぞやの紡織師とわかった途端にこの態度。あいも変わらずだ。
だが、この程度で怯むと思うなよ。
「どうぞ、ご勝手に」
とっさの売り言葉に買い言葉ではない。
依頼品を届けたら、どうせこれまでの記憶は消えるのだ。自警団に連れていかれたとて、アニスはきっと説明などできやしない。
ただそのことを知っているのはアネモネだけだ。
だから、少々強引な手を使ってでもアニスを説得してこちらの要求を呑んでもらえれば良い。それで万事解決だ。
「いい加減、お爺さんからの伝言、受け取って下さい。腐りますよ」
「断る。あと、腐るか馬鹿」
「受け取った後、要らないなら捨てて良いですから。それと例え話にいちいち突っ込むのやめてください」
「なら、お前が捨てろ。おれは受け取らない」
「ったく。子供みたいに意地を張るのは止めてください」
「なっ」
あまりの発言に絶句したアニスは、アネモネの発言を止める術もなく押し黙る。そんな彼にアネモネは言葉を続ける。
「あなたのお爺さん、病気って知っていますよね?」
「……」
「もう、長くはないですよ?」
「……」
「冬を超えることができるかどうか難しいって、お爺さん言ってました」
「……」
「あなたは知りたくはないんですか?知った後、捨てれば良いだけの話ですよね?」
「……」
「意固地になって、大事なものを失っても良いんですか?後で後悔したって、死人は蘇りませんよ」
「……」
不貞腐れた表情を浮かべてそっぽを向くアニスは、全身でほっといてくれと訴えている。
そのブスくれた態度が無性に不快で堪らなくなり、アネモネは声を荒げた。
「ねぇ、どうしても許してあげられないの!?ねぇ、どうして、たった一つの伝言を聞いてくれないの!?答えてよ!!」
それでも何も言ってくれないアニスに、アネモネはとうとう彼が客だというのも忘れて胸倉をつかんでしまった。




