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紡織師アネモネは、恋する騎士の心に留まれない  作者: 当麻月菜
3.待てば甘味の恵み有り。とはいえ、悪縁契り深しかな
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 最初の紡織師は、神様になれると奢り高ぶった一人の魔法使いだった。


 見境なく人々の願いを叶え続けた魔法使いは、とうとう人の命を奪うことにすら罪悪感を持たなくなってしまった。


 その結果、天罰が下りた。神の逆鱗に触れた魔法使いは、全ての魔力を失ってしまった。


 ただ神様は、魔法使いにたった一つだけ慈悲を与えた。


 それは人が持つ願いや祈り、そして大切な記憶をそっくりそのまま他人に移すことができる魔法。


 ただし、その魔法を使えば使うだけ、魔法使いの存在は人々の記憶から消えていく。


 沢山の人に崇め奉られることを望み、王すら統べる存在になりたかった魔法使いにとっては、それはそれは酷なものだった。


 でも魔法使いは、それを使うことを選んだ。贖罪の為に。


 そして魔法使いの名を捨てたその人は自らこう呼んだ───紡織師と。



 それから気の遠くなるような年月が過ぎ、アネモネは師匠からその名を受け継ぎ、紡織師となった。


 けれど師匠とアネモネには血縁関係は無い。


 紡織師は、血で受け継ぐのではなく、継がせたいものと継ぎたい者の合意の上で成り立っている。


 ならなぜアネモネは、誰の記憶にも留まることができない悲しい職業を自ら選んだのか……。 

 

 それはアネモネの生い立ちにあった。




***




 アネモネはアディチョーク国の王都ウォータークレスで生まれた。伯爵令嬢として。


 けれども幸せな時間は、あまり長く続かなかった。


 アネモネの母親が病気で亡くなり、その翌年、父親は再婚することを選んだ。


 再婚相手の女性は、既に子供が居る身で、その子供の半分はアネモネと同じ血が流れていた。


 つまりアネモネの父親は、妻帯者であるにもかかわらず、他の女性とそういう関係を持っていたのだ。


 そして継母と異母兄弟は、出会った瞬間からアネモネを邪魔な存在だと認識した。徹底的に排除することに決めた。


 突然劣悪な環境に放り込まれたアネモネは、この先一生幸せになれるとは思えなかった。


 可哀想にと同情の眼差しをよこす使用人はいたけれど、かと言って、義理の母に向かって物申してくれる者は誰もいなかった。


 痩せ衰えることを切に願っていた継母は、アネモネに手を差し伸べる連中は皆、敵だとみなした。即刻解雇した。


 使用人にも家族がいる。生活がある。我が身が可愛いのは皆、一緒。アネモネが屋敷の中で孤立するのに時間はかからなかった。


 そして気付けば、使用人以下の生活を送るようになっていた。


 薄桃色の壁紙と、大きな窓がお気に入りだった部屋は、物置に代わり、日替わりで袖を通すのが当たり前だったドレスは、使用人のお古の、これまたお古に変わった。


 悪い夢でも見ているのかと思った。

 もしこれが悪夢なのだとしたら、すぐに醒めるものだと思った。


 それは幼さゆえの楽観的な考えでしかなかった。


 具のない水のようなスープ。固く干からびたパン。

 それすら口にすることが叶わない日々を過ごし、生まれてからずっと当たり前に仕えてくれた年配のメイドが屋敷を去った時、アネモネはようやっと現実を受け入れた。


 けれど、受け入れたからと言って、何が変わるわけでもない。それどころか、更に過酷な日々が続き、アネモネは幸せだった記憶など持たなければよかったとすら思うようになっていた。


 そして、食事を与えられないから、残飯を求めるのは当然で。

 でも、徹底的に食料を管理され、ニンジンの切れ端さえ見つからなかった。


 あと数日食べ物を口にできなかったら、死んでしまう。アネモネは、本気で命の危機を感じて、屋敷から逃げ出した。


 とはいえ、10にも満たない子供が外に出たとて、簡単に食料を見つけることなどできるわけもない。何より、アネモネはあの頃から筋金入りの方向音痴だった。


 今居る場所がわからない。さりとて、屋敷に戻ることもできない。

 途方にくれながら、アネモネは広い広い王都をさ迷い歩いた。


 ─── そして、師匠と出会った。




『なんだいあんた。随分と汚ならしい格好だね』




 師匠が最初にアネモネにかけた言葉はこれだった。


 飢え死に間近の少女にそれはないだろうという台詞である。

 でも、口調とは裏腹に、師匠はかさついた手で、アネモネの乱れた髪を手櫛で整えてくれた。


 そうとう臭かったはずなのに、顔をしかめることもなく。


『あんた、迷子かい?』


 アネモネは即座にうなずいた。もう、お腹が空きすぎて、声を出すことができなかった。


『なら、一緒に来るかい?』


 この問いには、もっと早く頷いた。


『……わたし、おばちゃんといっしょにいきたい』


 アネモネは、師匠のスカートの裾にすがり付いた。


『こらっ!あたしゃ、まだ現役だよ。お姉さんとお呼びっ』


 不機嫌そうな声が降ってきたけれど、師匠はアネモネの手を握って、そのまま歩き出した。





 それから師匠のことをお姉さんと呼ぶ機会に恵まれることはなかったけれど、アネモネは新しい生活を手にいれることができた。


 飢えに苦しむあまり、アネモネは唯一の居場所を捨てざるを得なかった。

 だから教会の神父だろうと、王様だろうと、他人を信じることなんてできないと思っていた。


 そう……思っていたのだ。


 でも、違った。


 アネモネはあっという間に、師匠になついた。

 生まれたばかりのカルガモの雛のように、師匠の後ろをくっついて歩いた。


 四六時中、どこにいくにも後ろからちょこちょこ子供がへばりついてくるのだ。師匠は間違いなく鬱陶しいと思っていただろう。


 でも、拒むことも嫌な顔をすることもなく、アネモネの好きなようにさせてくれた。


 師匠と過ごした日々は、いつ思い出しても、ひだまりの中にいるように優しく光り輝いている。


 ただ神様はとても意地悪で、アネモネがようやっと手に入れた2度目の幸せもずっとは続かなかった。師匠の死によって。


 アネモネの師匠ニゲラは若い頃、やんちゃと言えば可愛いけれど、相当過酷な生活を送っていたらしい。


 そのせいか、まだ老婆と呼べる年齢ではないのに、老衰で土に還った。


 既に紡織師を受け継いでいたアネモネは、師を失うことはそこまで困ることではなかった。


 けれど、まるで肉親のように接してくれた温かく大きな存在が消えてしまったことを理解した途端、アネモネはタンジーの涙を奪ってしまうほど、沢山泣いた。


「……結局私は、師匠にちゃんと伝えることができなかったなぁ」


 アネモネは屋台の主人から、お礼にと貰った肉串を食べ終えてから呟いた。

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