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現在アネモネは他人の心を預かっている状態で、いわば一つの身体に心を2つ抱えている状態なのだ。
たった一つの己の心ですら持て余す人間が多い中、2つ抱えるというのは、とても体力を削ることである。
だからアネモネは食べて食べて、体力を補充する。師匠は睡眠を得ることで補っていた。
余談であるが、紡織師の仕事は得る金も多いが、経費が嵩む仕事でもある。おもに食費に対して。
そして、ソレールやミルラの前であまりがっつくわけにもいかないので、アネモネは日中は外で空腹を満たしていたりする。
そんなわけで、串3本ではまだまだ満たされない。
しょっぱいものを食べたら、甘いものが食べたくなるという自然の節理で、アネモネは今度は揚げ菓子を食べようと、別の屋台へと足を伸ばす。
けれど、何歩か足を動かしたあと、背後から荒ぶる男の声が響いた。
「おいっ、なんだよコレ!!」
振り返って見れば、どうやら肉の串焼きの屋台の主人が絡まれているようだった。
ガタイの良い男は、串に刺さっている肉が均等でないと騒いでいる。そして、こんなものは売り物じゃない、返金しろ。あとお詫びに串10本よこせと有りえない論理で強請っている。
アネモネは眉間にシワを寄せると、騒ぎを聞きつけて野次馬が集まり出したそこに足を向けた。
「おじさん、どうしたの?」
「あ゛、なんだっ。あんたには関係ないだろっ」
アネモネが無邪気さを装って問いかけたのは屋台の店主ではなく、ガタイの良い男の方。案の定、すぐさま威嚇されてしまった。
もちろん命知らずな行動に、野次馬たちは「お嬢ちゃん引っ込んでな」とアネモネを止める。店主もここを去るよう目で訴えてくる。
でもアネモネは聞こえないフリをして、ガタイの良い男の腕に触れた。
瞬間、男の腕からぽわんと赤黒い気泡が姿を表し、地面に落ちる。アネモネはそれをそっと踏み潰した。
「ねぇ、おじさん。肉って不揃いなところがロマンなんだよ」
訳のわからない持論を語りながら、にっこりと笑うアネモネに、男は鬱陶しげに舌打ちしたと思ったら、何故かわからないけれど、にへらっと笑った。
「そうか、そうなのか。お嬢ちゃん、ありがとう。良いこと教えてくれて。───……オヤジ、さっきは悪かったなっ。串10本くれやっ」
つい先程強請ったことなど忘れたかのように、人の良い笑みを浮かべて代金を突き出すガタイの良い男を目にして、屋台の店主はしばし困惑した。
けれど、考えるのを放棄してすぐに串を渡すことにした。
「……へい。まいど、どうも」
「ああっ、また来るな」
来なくて良い。
ここにいた野次馬たちの誰もがそう思ったけれど、誰一人それを口に出すことはせず、一人また一人と散っていった。
「……お嬢ちゃん、あんた何かしたのか?」
人気が無くなったことを確認した店主は、恐る恐るアネモネに問うた。
「まさか」
アネモネはくすっと笑って、嘘の回答をした。
紡織師は人の肌に直接触れることで、悪意や敵意を感じ取れる特殊な能力を持っている。
でも実は感じ取るだけに留まらず、邪な感情だけを取り出し消し去ることができたりもする。
だからアネモネは、すんなりソレールの家に居候することを決めた。万が一、ソレールが人の道に反した行動を取ったとしても、それを阻止することができるから。
そんな便利な能力のおかげで、アネモネは紡織師となって一度も危険な状況に陥ったことはない。
けれど、紡織師には一つだけ欠点と言うか短所と言うか……悲しい運命を持つ。
紡織師は仕事を終えるとそれに関わった人々の記憶から、存在が消えてしまうのだ。




