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紡織師アネモネは、恋する騎士の心に留まれない  作者: 当麻月菜
3.待てば甘味の恵み有り。とはいえ、悪縁契り深しかな
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 ソレールの家にお世話になり初めて、なんだかんだと、もう1ヶ月が経ってしまった。


 でもソレールは一度たりともアネモネを邪険にすることが無いので、申し訳ないほどここに居続けることに、後ろめたさはない。


 ちなみに一日置きに通ってくる家政婦のミルラは、初日こそ「あらあら」と目を丸くしたっきり、何の詮索もしてこない。未婚の年頃の男女が、同じ屋根の下にいるのに、だ。


 まぁきっとソレールが仕事の都合で云々と、上手に説明をしてくれているのだろう。


 ふくよかな身体に、真っ白なエプロンを身に着けたミルラは、いつもニコニコ笑っていて、アネモネが何をしていても口を挟むことはしない。


 ついでに言うと、家事の手伝いもさせてくれない。理由は一人でやったほうが効率が良いとのこと。


 そんなわけでアネモネは、居候の身であるのに、昼間は街にでかけ、夜はミルラが用意したり、ソレールがブルファ邸から持ち帰ってきた食事に舌鼓を打つ毎日を送っている。


 おまけに家賃を払うわけでもなく、食費を入れることもしていない。申し訳ないほど快適な生活を送らせてもらっている。


 けれど、こんな小さな家にしか住めない薄給騎士に対して罪悪感はある。


 なら少しくらい金を入れろと思われるかもしれないがが、もちろんアネモネは何度も、滞在費を渡そうとした。でも家主であるソレールが受け取ってくれなかったのだ。


 しかも3度目には、ソレールはあろうことかとても不機嫌な顔になって「君は、そんなことを気にしなくて良い」とピシャリと言う始末。これまでで一番怖い顔だった。


 ああ、この人、そんな顔もするんだと新鮮な気持ちになったけれど、好き好んでそういう類いの顔を見たくはない。


 だからアネモネは紙に包んだ金子を引っ込めざるを得なかった。そして二度と、滞在費について口を開くことはしなかった。


 そのおかげかどうかはわからないが、ソレールとは良好な関係が続いている。





***





 飴色の空の下、アネモネは花壇の水やりをしていた。ミルラから引き受けた数少ないお手伝いである。


 ミルラはふくよかな身体のわりに良く動く。


 家事全般、苦手とするものがなく、ものすごいスピードでそれらをこなしてくれる。しかも、超が付くほど丁寧に。


 けれど、如何せん年のせいで腰が悪い。


 中腰になる花壇の水まきは、ミルラが苦手とすることで、アネモネにとったら唯一失敗しないと自信を持って言えることなので、これだけはやらせてもらっている。


 花壇の水やりは夏場は早朝と夕方に。対して冬は昼間にやるのが良いらしい。初耳だった。


 アネモネの自宅には花壇はないけれど畑はある。野菜だろうがお花だろうが植物には変わりないので、水やりのタイミングは同じだそうだ。


 帰ったらさっそく実践してみよう。そんなことを考えながら、アネモネは柄杓を使って水をまく。


 一通り終えたと同時に生暖かい風が吹いた。

 湿った土の香りと甘い花の香りがアネモネの鼻孔をくすぐる。


 のんびりと水やりをしていたら、もう日暮れだ。つまり夕食の時間だ。


 本日のディナーは子羊のパイ包みと、トマトのスープ。ミルラの得意料理らしい。楽しみだ。でも、


「……ご飯くらい作れるのになぁ」


 アネモネは肩を落として呟いてしまった。


 自宅にいる時は一通りの家事をこなしてきたから、この優雅な生活にちょっとだけ不満を持っている。


 親代わりのタンジーは絵描きなので、筆が乗ってくると寝食を忘れてしまうから、彼の健康管理は自分の役目だった。


 料理だって得意ではないが、それでもある程度レパートリーを持っている。


 でも、ソレールは頑としてキッチンに立たせてくれない。


 とはいえ初日の就寝場所のように強く主張すれば、きっとソレールは折れてくれるだろう。でも、それでは何か違うような気がする。


 そんなことを考えながらアネモネはなびいた髪を手櫛で整えて、室内に戻ろうと花壇に背を向けた。と同時に少し離れた場所から声を掛けられた。


「お疲れ様、アネモネ」

「おかえりなさい」


 声のする方を向けば騎士服姿のソレールがいた。手には小さな箱がある。


 女性が喜びそうな可愛らしいリボンがついたそれは中身を確認しなくてもわかる。間違いなくデザートだ。


 箱の中身はなんだろう。


 ソレールはとてもセンスが良い。彼が持ち帰ってきたデザートは、初めて目にするものばかりだが、その全てが美味しい。


 アネモネはごく自然な動作で、小箱に近づき中身を確かめようとする。


 けれど、手を伸ばした瞬間、それはひょいっとアネモネの手が届かないと高い場所へ移動してしまった。


「これは、食事が終わってから食べようね」

「……はい」


 恨みがましい視線を感じたソレールは、小箱を持ち上げたまま「これは逃げたりしないから」と言って、苦笑した。

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