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─── 翌朝。
チュンチュンという、小鳥が奏でる音楽でアネモネは目を覚ました。
ただ目を覚ましたのはいいけれど、仰向けになったまま静止してしまった。今いる場所がわからなかったのだ。
現状を把握するのに約5秒。ここが人畜無害のソレールの家であることを思い出したアネモネは、枕に頭を付けたままぐるりと身体の向きを変えた。
ソレールはベッドにいなかった。
ただ、すぐ傍にはいた。既に身支度を終えた彼は、立ったままベッドのすぐ横の文机で何か書き物をしていた。
けれどすぐ、アネモネの気配に気付く。
「すまない、起こしてしまったようだね」
「いえ。むしろ寝すぎたようです」
窓から差し込む陽の明かりで、大体の時間はわかる。普段ならもうとっくに起きている時間だ。
でも、アネモネはベッドの中でもぞもぞと転がっている。それはただ単にふかふかの掛布と、さらさらのシーツが気持ち良いからで。
とはいえ、そんなこと口に出さなければわかるはずもない。
「やっぱりまだ眠そうだね。私が出勤したらもう少し眠るといい」
「あ、いえ。大丈夫です」
「無理しなくて良いよ。今日は家政婦さんが来る日だけれど、この部屋には入らないようにしておくから」
恐縮してしまう程の気遣いに、アネモネはむくりと上半身を起こす。
「違うんです。ただゴロゴロしてるのが気持ち良かっただけです。でももう起きます。ソレールが居なかったら寝心地はあまり良くないと思うので」
瞬間、ソレールは変な顔をした。
でもそれは僅かな間で、小さく咳払いをした彼は表情を穏やかなものに戻して口を開く。
「わ、わかった。朝食は用意しておいたから、後でゆっくり食べなさい」
「はい」
「じゃあ、私は仕事に行くから。家政婦さんは午後に来ると思うけど、気にしないで好きにしていて構わないからね」
「……はい」
未婚の女性を連れ込んだというのに、堂々としたものだ。
寝起きのアネモネには、寝癖を梳かしながらそんなことをぼんやり考える。
でも、文机にある紙が気になり、そこに視線を向けた。
「これ、簡単な地図を書いておいたから、外に出るなら持って行くと良いよ。それと……」
途中で言葉を止めたソレールはポケットの中からある物を取り出すと、そのままアネモネの首に掛けた。
首に掛けられたのは、この家の鍵だった。
「あのう、ソレール。お節介かもしれないけど、もう少し人を疑ったほうが良いですよ」
「どうして?」
「いや、どうしてって言われても……」
その確信はどこから来るのか。
アネモネがつい怪訝な顔になれば、ソレールは片方の眉を器用に持ち上げた。
「もし君が悪人なら、昨晩、私が寝てる隙に金品を奪っていただろう?」
「あ」
「でも君は朝までぐっすり寝ていた。アネモネは悪い人なんかじゃないよ。だからこの家の鍵を託しても大丈夫」
さすがあの性根の腐ったアニスに仕えるだけある。
この善人騎士は、ある意味人を見る目があるようだ。
そしてやましいことなど何も考えていなかったアネモネは、鍵をぎゅっと握ったまま口を閉じざるを得なかった。
「おっと、ゆっくりし過ぎてしまったな。じゃ、行ってくるね」
口早にそう言うと、ソレールは大股で部屋を出て行った。
「あっ、ちょっとっ」
アネモネは一拍置いて、大事なことに気付くと裸足のまま慌てて追いかける。
「どうかしたかい?」
後ろから小走りに近付いてきたアネモネに気づいたソレールが、足を止めて振り返った。
「何か聞き忘れたことでもあったかな?」
「あ、いいえ。お見送りを......」
首にかけられた鍵を少し持ち上げながら、アネモネは質問に答える。
「ああ、それは助かるな。ありがとう」
率先して手伝いをする子供を誉めるように、ソレールはアネモネの頭に手を置いてポンポンと軽く叩いた。
会って2日目でこのスキンシップ。なかなかの距離感だ。
でも、一晩同じベッドで過ごした仲なら、不思議ではないし、アネモネはソレールにそうされるのは不快ではなかった。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ、道中お気をつけて」
新婚夫婦というより、年の離れた仲の良い兄弟のように手を振りあって、ソレールは職場へと向かった。




