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商会のおじさんから貰ったサンドウィッチと飴を食べたら、一先ず気持ちは落ち着いた。
空腹は心を侘しくさせ、満腹は心を豊かにしてくれる。
ただ、サンドウィッチ一切れと飴一個では満腹にはなっていない。だから、辛うじて心細さを誤魔化すことができている程度だ。
「あー……どうしようっかな、これ」
アネモネは長年風にさらされたベンチに腰かけて、溜息を付いた。
ここは王都のとある場所。多分ソレールの家からさほど離れていない街道から逸れた空き地。でも、どこかはわからない。
つまり帰り道がわからなくなってしまったのである。
来た道を戻れば良いだけなのにと言わないで欲しい。それができるなら、方向音痴という人種はこの世から消えてなくなるはずだから。
アネモネは筋金入りの方向音痴だ。
そして長年の経験から、道に迷った場合は、無駄に動かないほうが良いのは身をもって知っている。
けれど、独りぼっちの、しかも日が暮れようとしている中、こんな空地でぼんやりしているのは、賢明な判断とは言い難い。だが、名案は浮かんでくるはずもない。
既に野宿は9割がた決定している。
これが今日の自分の寝床になると思ったら、泣けてくる。自宅のおんぼろベッドより、質が悪い。寝心地も間違いなく悪いだろう。
「……こんなことなら、荷物一式持って来れば良かった」
アネモネは先ほどより深く溜息を付きながら、今度は膝を抱えた。
ポケットには銅板プレート一枚こっきり。もう一度自力で商会の元に行けるとは思えないから、これは無用の長物でしかない。
初夏は陽が長い。
これがひと月前ならもう真っ暗のはず。
でも、夜の帳が下りるのは時間の問題だ。西の空にいた太陽は、既にその姿を消している。風だけは温いというのに。
膝を抱えていたアネモネは、更に身を丸める。
「もう帰宅してるよね……あー……最悪だ」
きっと自宅に戻ったソレールは、間違いなく自分が居ないことに気付くだろう。
言うことを聞かなかった自分に対して怒るか呆れるかはわからないが、消えてしまった縁もゆかりもない人間を探すことはしないだろう。
もしかしたら成り行きで仕方なく引き取った小娘が勝手に消えてくれて、せいせいしているのかもしれない。もしくは開けっ放しにした窓に気付いて激怒しているかもしれない。
そんなふうにアネモネがネガティブの極みのようなことを考えていたら、ものすごい早さで足音が近付いてきた。
でも、所詮自分とは関係ない。
アネモネは無視することを選んで、ぎゅっと目を瞑った。けれども、
「アネモネ!」
名を呼ばれたのと、肩を掴まれたのはほぼ同時だった。
驚いて、俯いてた顔を上げればそこには、安堵と焦燥を綯い交ぜにしたソレールがいた。
「良かった。探したよ」
ソレールはアネモネの顔を覗き込みながら、ほっとした様子で大きく息を吐いた。
彼の髪は乱れていた。そして額には汗が浮かんでいる。良く見れば騎士服の襟元のボタンは外されていて、そこから汗が滲んているのが見えた。
聞かなくても、ソレールが必死に自分を探してくれていたのが痛いほど伝わってくる。
「あの……」
「なんだい?」
「怒ってないんですか?」
「まさか」
「……」
思いもよらないことを聞かれたといった表情を浮かべるソレールに、アネモネも同じ表情を浮かべた。こっちこそ、まさかのまさかだ。
そんなアネモネを見て、ソレールは軽く眉を上げる。
「ちょっと、惜しかったね」
「と、言いますと?」
「一本道がずれていた」
「そうですか」
まるで失敗続きの子供を励ますような口調で、頭を軽く叩くソレールに、アネモネは唇を噛んだ。
その姿をしっかりと見ていたソレールがどう思ったのかはわからない。ただ、アネモネに向かって手を差し伸べただけだった。
「さあ、帰ろう。すぐにご飯だよ。くるみパンと、チーズパンも沢山あるんだ」
アネモネより一足早く気持ちを切り替えたソレールは、わざと明るい声を出してくれる。
「あの……それ、私も食べて良いの?」
「当たり前じゃないか」
ちょっと呆れたソレールの顔がなんだかおかしくて、アネモネはこくりと頷いて、差し出された大きな手を取った。
そして、二人は長い影を伸ばしながら並んで歩き出した。




