表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

身体の夜 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一遍。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 う〜ん、この頃、朝ご飯の時間になっても胃袋が動かないのよね〜。ついついゼリーとか、バーに頼っちゃうことが増えたわ。

 朝ご飯をしっかり食べなさいって、昔から言われるわよね。こうしてある程度、歳を食ってくると、素直にうなずけなくなってくるわ。特に飲み会とかがあった翌日とかね。

 油もの、アルコール……これらの入っているカロリーとか、脂質とか計算し始めると、頭を抱えたくなっちゃうわ。それで翌日の朝ご飯をしっかり摂れとか、本気で言っているのなら「あなたはどんだけぽっちゃり好きなんじゃ?」と突っ込みたい気分よ。


 ――すべては、自制の二文字で済む?


 ぐぬぬ、すまし顔で言われると、腹立ってくるんだけど。むずかしいっちゅーねん。

 摂食って、私たちが生きていく上で、常に関わらなきゃいけない重大事。それがうまく機能しなかったケースは、色々と存在する。

 私もちょっと前に、食事を巡る不思議な女の子の話を聞いたわ。あなたも耳に入れておかない?


 その子ね、小学校低学年の時に、引っ越しを体験することになったの。お父さんの仕事の都合だった。

 幼稚園からの友達も、大勢、同じ小学校に通っていて、さあこれからって時だったわ。

 転校することになった彼女は、みんなからの寄せ書きを受け取ったわ。幼稚園からの友達は具体的なことを混ぜてくれるけど、小学校で初めて一緒になった子は「もっと話したかった」とか「いろいろありがとう」とか、誰でも書けそうな無難なものばかり。


 彼女はそれを見て、涙があふれる。

 言葉の味気なさにむなしさを感じたとか、そんなもんじゃない。もっと単純なもの。

 これからはみんなと会えないんだ、という漠然とした寂しさだったのよ。

 

 

 新しい家、新しい学校、新しいクラスに招かれても、彼女はことあるごとに、前に自分がいた学校や友達のことを思い出していた。

 ランドセルの中に寄せ書きを入れて、開いている時間を見つけては、ちらっと見てしまうくらい、名残り惜しかったとか。

 転校生補正なのか、声をかけてくる子もいたけど、いずれもおざなりな対応に終始してしまう彼女。すでに何人かは見切りをつけたらしく、近づいてこなくなってしまっていたわ。

 

 その彼女の寂しさが、食事にも現れ始める。

 給食のおかず。これが好き嫌いを問わず、のどを通らなくなってきたの。

 牛乳で無理やり流し込むことができても、すぐにお腹の中がグルグルうなり始めてしまう。トイレに駆け込んで、下から出したり、上から出したり……もちろん、ほとんどが形を残したままだった。

 教室に戻る頃には、もうほとんど給食の時間は残っていない。トレイにはほとんど手をつけていないご飯。でも、とても手を出す気持ちになれない……。


「ね、ね、食べないんだったら、それもらっていい?」


 隣に座る女の子からだった。

 彼女の学校の給食時間は班体制を取り、周りの子と机をくっつけあって食べるようにしている。今回、声をかけてきた子は、普段は、彼女のすぐ前の席で授業を受けている子なの。

 体型はほっそりとしているけど、その日も給食のじゃんけん合戦に勝って、しょうが焼きとゼリーを二人分、多くせしめていたらしいわ。

 残して無駄にしちゃうくらいなら、と彼女はその子にトレイを預けたの。

 一緒の班の男たちの誰よりも、男らしい食べ方をしがちなその子。空腹に素直なんでしょうけど、ちょっと汚ささえ感じるがっつき具合で、他のみんなも苦笑いを浮かべてしまうほど。

 話しかけることもなくて、その子自身も気にせずに、がつがつ、ばくばくと口におかずを運んでいく。

 彼女自身は、その食いつきぶりをうらやましそうに眺めていた。

 

 ――決して、嫌いなおかずを相手にしているわけじゃない。なのに、どうして……。

 

 手持ち無沙汰になってしまった彼女は、また机の中に手をやり、寄せ書きのメッセージを見つめて、そっと目に涙を浮かべていた。

 

 その日の晩ご飯は、彼女が大好きなハンバーグ。

 台所から漂ってくる香ばしい匂い。ポテトサラダ、プチトマト、ブロッコリーに彩られたデミグラスソースたっぷりの、よそり方。そのいずれもが、お腹の虫を、くうくう鳴らせた。

 けれど、その楽しみも、実際に口へ入れるまで。

 母親のハンバーグは柔らかい。彼女の今までの好みに合わせた焼き加減だったけど、ひとかけら飲み下した途端、またお腹を押さえるほどの痛み。しかも今度は、すぐさまのどの奥まで駆け上がって来た。

 なりふり構わず、席をたった彼女は、トイレへ直行。便器の中へ身体を曲げると、口の裏の最後のバリケードを解き放つ。

 

 トイレから戻ってきた彼女に、「大丈夫?」と声をかける母親。

「なんでもない」と、笑うように努めた彼女だけど、どうにかもうひと口。おそるおそる口へ運んでみる。

 今度はよく噛んで、よく噛んで……無理。

 熱い肉汁が漏れ出てきて、それが頬の内側へ広がり出すや、口内炎にしみ込んだような痛みが。

 危うく吐き出しかけて、手で押さえる彼女。くしゃみに見せかけたけど、中に入っていた玉ねぎの破片が、テーブルの上にぽつぽつと……。


「ちょっと、どうしたの? 平気?」


 母親の声が、本当に心配げになってきた。

 大好きなハンバーグが食べられない。でも、そんなの認めたくないし、何より手で押さえているものを、なんとかしないと。


「大丈夫、ごちそうさま!」


 足早に彼女は、今一度、トイレに足を運んだあと、自分の部屋へ戻ってしまったの。


 その後、一回だけ母親がドア越しに声をかけてきたけど、やはり「大丈夫」と返してしまう彼女。

 昼から何も入れていなくて、お腹はペコペコ。かなうものなら、残してしまったのを今からだって口にしたい。


 ――けれど。


 両手でほっぺたをさする。口の中が空になった今、いくら歯にほっぺたの裏を押し付けても、痛みはこそりともしてこない。

 水道水なら、辛うじて飲むことができるけど、それだけではとてもお腹の減りはまかなえない。

 もう何もしたくなくなって、彼女は早めに寝入ったわ。いつもなら、もう自分の部屋へ戻ってくる母親が、その日はずっと下で物音を立てていたとか。


 翌日。少し早めに起きた彼女は、台所に来て、怪訝そうな顔をしたわ。

 みんなの席には、ご飯に焼き魚にみそ汁に、と定番の和食メニューが並んでいる。対して、彼女の席には、魚や果物の缶詰や、パックのドリンクゼリー。いずれも中身を開けていないものが並んでいたの。


「今朝はそれを食べなさい。また、昨日のようなことになりたくないでしょ?」


 どきりとした。自分の調子に関して、まだ母親には何も話していないはずなのに、まるで事情を把握しているかのようだった。

 実際、口へ運んでみると、いずれもあの口内炎のような痛さも、耐えがたい腹痛と嘔吐感も湧かず、するすると食べることができた。

 昨日の分を取り返さん、とばかりに、次々に中身を開けていく彼女。母親もばっちり用意をしていたようで、どんどんお代わりが出てくる。


「心が不安でいっぱいの時はね、身体の中が、夜よりもずっとずっと暗くなってしまうのよ」


 いまだ二人きりの食卓で、母親が話し出す。彼女は、顔だけ母親を見ながらも、食べる手を止めない。


「不安が大きければ、大きいほど、身体の夜の暗さも増していく。それこそ閉じ込められることに慣れたものじゃなかったら、即座に逃げ出したいと思うくらい、ね。

 そんな時は無理をしないで、じょじょに光が差すようにしないといけないの」


 昨日の吐き気や痛みを思い出す。あれが、自分の心から来ているとしたら。


 彼女は母親に、引っ越す時から続いている寂しさ、昨日の給食の一件も包み隠さず話したの。

 母親は逐一うなずき、静かに話を聞いていたわ。

 それがひと段落すると、学校に電話を掛ける。内容は、家の都合で一週間、休ませてほしいというもの。

 彼女は驚いたけど、受話器を置いた母親は振り返る。


「まだみんなのことが恋しいなら、学校に行くのは辛いわよね。

 一週間くらいサボって、その間だけでも、戻りましょ」


 その日のうちに、彼女は母親と一緒に、引っ越す前の県。彼女が転校する前に学校の近くに住まう、祖父母の家へ戻ったの。

 それからの一週間。彼女は、いったん別れたクラスのみんなに連絡をとって、連日、放課後に遊んだの。最後の日曜日は朝から夕方まで、いまだ記憶に新しい地元の遊び場を練り歩いたそうね。

 向こうでのことを話した。自分が去ってからの、みんなのことも聞いた。寄せ書きで、もっと話したかったと書いた子とも、ゆっくり話して遊んだ。

 あっという間に過ぎる、楽しく、満ち足りた時間。

 そして日曜の別れ際。みんなに送り出された時には、心からポカポカがあふれているのを、彼女は感じていたの。

 

「ありがとう、みんな。私、頑張ってみる」


 そう、自然に彼女の口から流れ出たの。


 家に帰る前、祖父母の家で出されたのは、大好物のハンバーグ。こちらに来て初めての、缶詰類以外の食事だった。

 最初のひと口こそ緊張したけど、もう口内もお腹も痛まない。吐き戻したくもならない。

 ぺろりと平らげる娘の姿に、母親も「身体の中が明るくなったようだね」とほほ笑んだそうよ。


「だけどね、気をつけなさい。身体の中が明るくなり過ぎると、今度は逆に、食べ物たちが身体の中にとどまり続けようとしてしまうの。居心地の良い場所、誰だって離れたくないものね。

 無茶な食べ方、偏った食べ方をした場合なんか、特にそうなっちゃうの」

 

 彼女が学校に復帰した時、前のあの子は休んでいたわ。

 周りの子に聞いてみると、自分が休んだ翌日辺りからずっとらしく、あの子と仲の良い女子いわく、お通じがよろしくない、とのこと。


 ――あの子、いつも明るく元気に、ばくばく食べてたもんなあ。


 母親の話を、彼女は思い出していたわ。

 やがて復帰した例の子は、ちょっとやせぎすになっていて、給食のお代わり合戦に加わらなくなる。

 そしてお腹を押さえることと、薬を飲むことが増えたとか。

 

 

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ!                                                                                                  近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[良い点] じ〜んとほっこりしました! 大変面白かったです。 おお! だから缶詰は受け入れることができたのですね。ここ、すごくなるほどなと思わされました。 この頃の転校というのも、場合によってはかなり…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ