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クソ雑魚作家は時間差に悩まされる

作者: 夢野ベル子
掲載日:2018/12/17

 要するに創作というのをリアルタイムでおこなっていく場合に問題になるのは、読者の反応物量が即座に直撃するということだ。


 例えばの話。通常の書籍作品であれば、作品というのはある概念やらおもしろさやらをかたまりとして提供できるわけであるが、ソレに対してネットにおける、特に日間製作体制が強く要望されている、ここなろうにおいては、かたまりがかたまりたりえない。


 すると、細切れのフラグメント的なものを常に提供し続けるわけであるが、「おもしろさ」というのは連続性によって成り立つものもあるので、(例えば音楽を考えてみよ)フラグメントの次の一音が常にその作品には求められることになる。


 ここで問題となるのは、作者というのは現時点において、作品を書いて、書き続けているわけであるが、常に、わずかな先を見据えて書いているということだ。


 あなたがモノを書いている場合、もし、小説でないとしても、エッセイでも、論文でもなんでもいいが、ともかく先のことを考えて書かないなんてことはありえないだろう。こうしてタイピングしている間にも、わたしは次の文字を考えて、そしてそれを打鍵している。


 まあ、この「先」を見据える能力には高低があるのだろうが、ともかく先を見据えなければ作品なんか創れない。


 そこで問題になるのが、先に述べたなろう的な特質。

 つまり、作品に対する評価・要望・感想である。

 これらの属性については、常に作品の後追いにならざるをえないのは論を待たないだろう。作品が投下されてから初めて感想を書けるのだから。


 とすれば、日々更新される作品に対して、日々感想をつけていくという形になるわけだ。


 そこで、問題になるのが表題にあるように時間差である。おそらく創作物というのは、先を見据えて創作されるものであるが、その面白さというのは、連続性に支えられる面も大きい。したがって、面白かったかどうかというのは、その連続性を後から振り返ることによって、得られるともいえる。


 何がいいたいかというと、作品の価値は、そのときチビチビと後追いで読んでいくだけではなく、一気読みしたときの感動というのもあるということだ。


 そして、それはおそらく違う種類の感動になりえる。


 問題なのは、しばしば、その評価・要望・感想は容易に作者の『先』を乱すことがありえるということだ。精神力の弱いクソ雑魚作家なわたしとか、特にそうだが、作品が伸びたときとそうでないとき、感想の多寡なので、容易に「今の展開がダメ」かどうかを判断してしまう。


 それは、理論的には、先に述べたように『連続性のおもしろさ』とは異なるとわかるのだが、日々書いて日々感想や反応をもらうというなろう小説作家は、このあたりをないがしろにしすぎ、かもねと思った。


 いや、まあわたしがそうだってだけのことなんだけどね。

 今回は共感系やおいエッセイでした。



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 追記 抽出あるいは書き直しをしたらすげーおもしろい作品ができるのか?


 検証しないといけないと思うのだが、上記の時間差について、後から修正を加えることができるとすれば、それは読者の反応を逆に後追いするしかないということになる。


 その究極的な形が二次創作だろうし、二次創作を自分でやるというような感じだろうか。

 つまり、書き直しである。


 しかし、この書き直しについては疑問が残る面もある。

 というのも、ある時点である要素を書きなおすとして……。


 例えばの話、あるキャラクターをある時点で殺すか否かという選択が迫られているときとか、主人公が誰かから告白を受けてそれに承諾するかどうかとか、ともかくなんらかの展開で、読者の不評が入ったとする。その不評要素を排除すると言う場合、当然、全体の物語の整形に大きな影響が及ぶ。


 作品の書き方は作者ごとに様々であって、おそらく物語というか、プロットも作る人がいたりいなかったりするが、仮に最後の結末のようなものを考えて作る場合、中間地点は無理やり結節しているというのが本当のところだと思う。それをシームレスに、できるだけ違和感なく書けている人はそういう才能がある。


 そこで、仮に先に書いたような書き直しをする場合には、どうやっても、結節結合がうまくいかなくなる可能性がある。まあ、そのあたりは多少強引につないだとして、それでも面白くなるだろうか。


 なる可能性もあるかもしれない。例えば、アニメのように脚本家が違うという場合、その回だけ毛色が違うということもあるが、別段そういった場合でも、違和感なく見れる。キャラクターと、作品内の雰囲気が中和しているからだろう。


 したがって、全体整合が多少崩れても、個々のフラグメントの面白さが凌駕する可能性もあるかもしれない。


 うーん。このあたりって要するに絵を描いていたりすると、デッサンが狂ってきて修正を加えるのと同じかもしれない。


 作者は【この線が絶対正しいのだ】と読者の反応に惑わされることなく書くというやり方がひとつ。そうではなく、読者の反応どおりに不評な要素を削ったり、好評だったところを強化して書いていくというのもひとつのやり方かもしれない。


 いずれにしろ、日間に載ってるような場合、その勢いを殺すわけにもいかないから、前後が多少矛盾していようが、読者の反応を見定めて、微修正していくというほうが無難なのだろうか。



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さらに追記。


わたしはよくなろう小説を批評しようとか、してみようとかそういう作品エッセイを書いている。

自分自身の備忘録的な意味合いもあるし、他の人に読んでもらっていろんな考え方が響き合えればいいなというのが基本コンセプトである。


さて、上記のような【時間差】については、なろう小説を俯瞰的に分析しようとするときに、わりと重要な問題をはらんでいるような気もする。


エッセイで【なろう小説】を分析し批評するという場合、それは固定化されたある程度まとまった文章郡を捉えざるを得ないという点だ。


比喩的に言えば、なろう小説はにょろにょろと伸びていく蛇花火みたいなもので、伸びきったところを批評分析しても、それは静的な批評分析に過ぎない。


なろう小説の面白さというのは、そのにょろにょろと伸びていく動的な楽しさみたいなところもあって、それを読者が感想やポイントを使って【手触り】的に干渉することにもあるのではないだろうか。

要するに、俺がランキングに載せてやった。この作品はワシが育てたである。


こうすればなろう小説は良い作品になる、たくさんの読者に読まれるというエッセイは数多くあるけれど、この上記のような【にょろにょろ】部分を集中的に書いたエッセイは、あまりないなぁという感じ。なぜなら、批評エッセイって、基本的に後追いだからね。事後性があるの。


既存のなろう小説を切り取って批評しているわけだから、当然そうなる。例えば、現時点で未完の作品を批評し分析しているのだとしても、現時点における固定化された視点で批評しているので、その動的に動く部分は考えから除外しているのだ。


しかし【にょろにょろ】部分って、本当に切り捨ててもいいものだろうか。

なんて考えたりもする。

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― 新着の感想 ―
[一言] この曲はサビから盛り上がるんだよ! ってやつですかね。 アマチュアの作品はプロのように最低限のレベルが保証されてないから、掴みがつまらなければその時点でブラバ対象。 ある程度読んでから総合的…
[良い点] 確かにごもっともですね(;'∀') 短い1話にも見せ場をつくれれば良いのですけど、 ストーリー上、平坦が続く部分もありますからね。
[一言] 毎週人気を求められて、一時バトル漫画だらけになった某週刊誌的な所がありますよね。 対して、週刊で読むと何が楽しいのかさっぱり解らない作品が、一気に読むと、毎週の人気をとった作品と、比較になら…
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