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狐のママ

 父の為に毎日、お弁当を持ってきてくれる「女先生」がいる。という事は、噂となり、いつしか善行の耳にも入っていた。

 意味など解らないから、気にもかけなかった。

 それどころか善行は、その女先生と会った事があるのだ。

 宿直の日に、父が学校に連れて行ってくれた事があった。

 電車に乗って海岸線を走った事も、バッハやベートーベンの肖像画が並んでいる音楽室で、ピアノを弾いた事も、女先生の持ってきた「のり巻き」を、三人で一緒に、二之宮金次郎の銅像の下の芝生で食べた事も、善行にとっては楽しい思い出だ。

 女先生は優しくて綺麗なひとだった。



 母は、飲み慣れない酒を飲み過ぎたと言って、窓辺で海を見ながら、うたた寝をしてしまった。

 善行は部屋の隅の影に目を凝らし、ワラジ虫の襲来に備えていた。

 箒とちり取りが、どうしても見つからないので、新聞紙を丸めて構えていたのだが、やはり、いつしか眠ってしまった。

 夜半、母に起こされた。

 こんな事は始めてだった。

 夜なのに、

「散歩をする」

 と母が言う。

 千鳥館の裏は、ひまわり畑の中を通る細道が、岬の先まで続いている。

 わずかに20メートル程なのだが、子供の善行には、ずいぶんと距離感があった。

 善行の背丈程もあるひまわりは、手入れが悪く、欠けた櫛の歯のように不揃いで、枯れて首が曲がったものや、へたり込んだものや、斜めに傾いたり、倒れたりしていて、昼間でも、なんだか気味が悪い。

 ましてや月明かりの下では、怪談でお馴染みの、墓地の卒塔婆のようにも見える。

 この細道を、岬の先の崖っぷちまで歩いた。

 足のずっと下から、ごうごうと、潮の渦巻く音が聞こえる。

 誰かが身投げをした。と聞いた事があった。

 自殺という言葉も聞いていたのだが、善行は意味が解らなかった。



 夜の海風に吹かれて、崖っぷちに佇む母の顔は、月明りに照らし出された真っ赤な口紅も鮮やかに、見た事もないほど美しいものだったが、その、真っ白な化粧は、角度によっては、お稲荷さんの狐のようにも見えて、恐い感じがした。

 母は、足元に広がる暗い海を見つめていた。


「我が儘だとか、馬鹿だとか、きっと、色々言われるわ。だけど、こんな世の中に、善行一人を置いては行けない。あんなパパの事なんか忘れて、ママと一緒に行こうね」

 狐になったママは、こんな意味の言葉を喋っている。

 白くて長く冷たい指が、善行の小さくて温かい手を、ぎゅっと握り締めた。

「……あんのう」

 と後ろから声がする。

 振り向くと、夜目にもくっきりと、恐ろしい赤目ちゃんが、つっ立っていた。

「ひっ」

 と、狐のママは腰を抜かした。



 後日、坊主頭となって帰ってきた父が、山の上の家で母に詫びていた。

 癇癪持ちの母は、本や、灰皿や、果ては電気スタンドまで、父に向って投げつけたのだが、運動神経の良い父は、ひょいひょいと器用に避わしながらも、謝りつづけていた。




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