砂に埋もれたマンボウ
次の日は、日がな一日、母と浜で遊んだ。
打ち上げられた巨大なマンボウが、半ば砂に埋まってつっ立っていた。
大きく開いている口の回りを、ハエが5、6匹、飛び回っているのだが、まだ腐っちゃいない。
善行は前後左右から目を凝らして、マンボウの目を探した。
しかし、どうしても分厚い皮膚の表面に、なんらかの孔らしき物さえ、探し出す事ができないのだ。
この事は悔しい事だった。
──どうせもうすぐ、ビン詰め工場の男がやってきて、このマンボウだってビン詰めにするんだ。
──普段は小魚を一本ずつ、大きさの丁度ピッタリのビンに入れて、フタをして、お店屋さんで売ってるんだ。
──マンボウは大きいから、きっと刀で切って、ビンに詰めるんだ。
善行は、売ってるビン詰めの魚は、まだ見た事がない。
それから母と二人で、母の伯父のやっている支那そば屋の『戸隠』に入り、支那そばを食べた。
母は小ビンの日本酒を取り、善行にはソフトクリームを注文してくれた。
昨日から母はおめかしをしていて、化粧も綺麗で、普段よりずっと優しくなっていた。
昼下がりに二人で『戸隠』に入った事は、何度かあったのだが、母が日本酒を飲でいるのは、始めて見る姿だった。
「先生さんも魔がさしたんだべ。俺だって若い頃はな──」
伯父さんの声だ。
「でも、善行が不憫で……可哀相で──」
母の声が言った。
善行は慌ててトイレに駆け込んで鏡を見た。
大丈夫だ。
火傷はないし、赤目にもなってない。だけどフビンって何だ?
赤目ちゃんはビランだって誰かが言ってたけど……同じような病気じゃないのか?
だけどどうして僕が、可哀相なんだろ?
その夜は、いつものように父はいなかったのだが、何故だか、山の上の家には帰らずに、千鳥館で過ごした。
岬のすぐ手前には父の本家がある。
千鳥館からも近い。
そこには祖母と、チョコレートをくれるシベリアの収容所帰りの伯父さんと、オートバイに乗せてくれる商売人の叔父さんと、酒のんべの伯父さんや、優しくて明るいおばさん達や、ちょっと意地悪なアニヨメさんと、うっとりするほど綺麗な、保母さんのおばさんと、五人のいとこ達が居る。
だから、にぎやかで楽しい場所なのだ。
善行は前の年の、つまり四つの時分の大半を、この本家で過ごしていた。
母が肋膜炎で入院した為、預けられていたのだ。
思えばその頃から父は、本家へさえ、帰ってこないようになっていた。
その代わり何日かに一ぺん、お土産を持って帰って来るのだ。
本家に居る時の父は恐かった。
母と一緒にいる時は、母好みのママパパスタイルで暮らしていたのだが、本家では「父さんと呼ぶように」と言われた。
言葉も、土地言葉となって、荒っぽくなるのだ。
「食べていいの?」
「黙って食え!」
本家へ行く途中で、善行を乗せたままの自転車を抱え上げて、歩いて踏み切りを渡る父に向かって、「パパ強いんだね」と、いつものように、言ってしまった事がある。
まるで、毛虫を見るような目つきで、見られてしまった。
本家は、祖母を頂点に置いた、封建家族であった。
祖母自身、女性でありながら、自分は例外として、男尊女卑を貫いていた。
女達は、さながら祖母や男達の女中の如く、かしづいていた。
だから男達は、訳もなく偉く、いつでも宴会を繰り広げていた。
女達がいそいそと、その世話を焼く。
祖父亡き後の、父の兄弟達にも、はっきりと序列があり、三男であった父の場合は、まだ若い安給料取りの教員である為、甲斐性が無いと馬鹿にされるのが嫌で、殊更、男ぶりを主張していたのかもしれない。
そんな本家を、「あんな封建的な家」と母は露骨に嫌っていたのだが、母のテリトリーの中にいる時の父は、ただ笑っているだけだった。
だから母は、本家への道筋の踏み切りを越えた後の、父の変身ぶりは見た事がなかったのだろう。