エルバート・クライド・ハワーズの挫折
エルバートは悩んでいた。
初めは自分の戸惑い、悩みにやりがいすら感じていたのに。今ではことの重大性を感じている。
もしこのまま、フィオナが自分を拒み相手に好意を向け続けたのならば、彼女は何かしらのペナルティを受けることになるだろう。しかし、彼女は政略結婚を望んでおらず、好きになってしまった人がいるのだ。
何と不幸なことであろうか。どうすれば一番いいのか、エルバートはひたすら考えた。しかし、答えは出ないままなのである。
「フィオナも、結婚はお国のためってわかっているんだと思っていた」
幼い頃から婚約を交わし、十年近く過ごしてきたエルバートであるが、実は彼女のことを何も理解していなかったのだと気づかされた。
どうする?自分も誰か適当な令嬢を捕まえて彼女を開放するよう動くか?
いやダメだ。王族の自分が他の女性を捕まえても側室となるだけで、父も決してボイル家の令嬢を手放したりはしないだろう。
「私は、こんなにも無力だ」
エルバートは初めて自身の無力を実感した。彼自身も驕っていたのだ。
幼い頃から同じ年代の子供にはできないことが可能だった。何なら、大人にだって負けないほどだ。エルバートはもちろん努力もしていたが、それ以前に一度軽くこなせば何だってコツのようなものが感覚的につかめていた。
だから、自分が何かを成し得ないことなんて、想像もしなかった。それが今やこの状態である。女の子1人幸せにすることができない。
何をすれば正しいのか分からなかった。何せ正しい答えなどどこにも存在しない問題なのだ。
「サイラスは今、何をしているかな・・・」
こんな不安な時は、気の置けない友と時間を過ごしたかった。自分の情けない姿を晒して、励ましてもらいたかった。しかし、放課後の彼は教室にも寮にもいないようだった。
「サイラス様は最近、庶民の女の子とよくお会いになってるようでしたよ」
「そうなのか。ありがとう、失礼するよ」
サイラスのクラスメートの女子はそう教えてくれた。今までサイラスのことで知らないことはなかったが、そんな話は少しも聞いていなかった。
そう言えば、最近話もあまりしていない気がする。
「そうか。私は自分ばかりだったのか」
エルバートは世間知らずだった。そして、自分に対する負の感情をあまりに知らなさ過ぎた。
フィオナにはいくら婚約者がいても好きな人くらいできるし、サイラスには自分に仕える使命があってもそれ以外の世界もまた持つのだと。
エルバートの判断基準は全て自分だった。自分が完璧であったため、自分を中心に自分のことしか考えていなかったのだ。サイラスにもフィオナにも自分の常識を押し付けて接していたのだと、今ようやく気が付いた。
「私はどうしていったらいいんだろうか」
エルバートは再び考えた。それはもう、フィオナの気移りとかそんな些細な話ではない。彼が王としてあるために、どうやって生きていくのか。もっと考えなければならなかった。
***
「殿下!」
その日、1人の少年の悲鳴のような声が学園に響いた。
顔を真っ青にさせ校内を疾走するのはサイラスである。緑青色の髪を振り乱し、校門へと向かっていた。
「殿下、どういうことなのですか!?」
「やぁ、サイラス。見送りかい?」
エルバートは荷物を馬車に積み込ませているところだった。彼の従者たちは騒ぐサイラスのことは気にせず黙々と仕事をこなしている。
「視察に出るとは、どういうことなのですか!?」
「そのままの意味だよ。ちょっと現地の様子をこの目で見たくてね」
あっさりとそう告げるエルバートに、サイラスはついていけなかった。お慕いする主が突然学園を去るというのだから、緊急事態である。
「なぜ今なのですか?いえ、理由はお聞きしません。私もすぐ出立の準備を・・・」
「サイラスは連れていかないよ。残って学園のことを頼む」
「そんな!?」
まさか置いていく発言をされるとは思わず絶句した。もはや自分は殿下には必要なくなってしまったのかと絶望し目に涙が滲む。
「サイラス」
その心中を察したエルバートは笑い、サイラスの眼鏡を外した。その目の端に溜まる涙を拭い、直に彼の瞳を覗く。
「サイラスが不要になった訳じゃない。むしろ私に足りないことに気づいたんだ」
「でんかああぁ~・・・なぜなのですかぁ・・・?」
さてさて、こんな場面ではあるが『カメコン』名物特性をまたここで紹介しよう。サイラスは普段はツンツンのくせに眼鏡を外すとグズグスになってしまう、二面性の持ち主であった。
彼は幼い時はおどおどとして喋ることもままならない臆病で泣き虫な少年であった。その時から猫背が癖になっていて、今も治らないという設定もあったりする。
彼は自信とそれに見合った実力を兼ね揃えた殿下に憧れていた。そんな殿下から「サイラスに自信がつきますように」の言葉と一緒に眼鏡を送ってもらい、彼は変わる決意をする。その眼鏡を掛けることで今のようにはきはきと喋ることができるようになったのだが、いかんせんこの眼鏡というガラス越しでないと自信がつけられないようで眼鏡を外した途端幼少期の臆病で泣き虫な性格が顔を出してしまうのだった。
「わたしのことも、つれていってくださいいぃ・・・」
「何を弱気なことを言っているんだ」
エルバートは友人の情けない姿を笑ったりはしない。慈しむように彼を見ながら諭すように説明した。
「私には心強い味方や恵まれた環境があった。その代わり、私はそれを当然のように感じ、当たり前に享受していた。私は世の中の汚い部分や辛い事柄をあまりに知らなさすぎるのだ。自分の外の世界が分かっていなかった」
恥じらいも忘れボロボロと涙を溢しながら、それでもしっかりとサイラスはエルバートの言葉を聞く。それはまるで天啓を受ける熱心な信者のようであった。
「だからそれを見に行くのだ。それにはサイラス、お前がいると私は甘えてしまう。それではダメなのだ。私は国のことをきちんと考えられる王になりたい」
「だから分かってくれ」で締め、エルバートはサイラスの反応を待った。サイラスはそれでもグズグスしたまま、だだっ子のように反発する。
「でもでんかは・・・そんなにがんばっていらっしゃるのに・・・じぶんはなにも・・・」
「向こうから手紙を出す。すぐには場所を移ったりはしないから、サイラスはこちらの状況を私に手紙にでも書いて教えてくれ。それはとても大切なことだ」
「・・・」
あやすように、けして急かしたりせずエルバートはサイラスの答えを待つ。根負けしたとでも言うようにサイラスは眼鏡を返してもらい、かけ直した。
「かしこまりました。その任務、慎んで受けさせていただきます」
「ありがとう、サイラス」
こうしてエルバートは無事学園を出ることが決まった。ちなみに言えば学長と話をつけ課外レポートの提出により卒業の資格は得られるように算段もついている。
そして。
「(節操なしだああああぁ!兄上は男色家の節操なしだったんだああああぁ・・・!!)」
唯一身内からの見送りとして校門に駆けつけたジョシュアはもうおかしくなっていた。