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後編

 藩邸内の奥まった場所に殿の居室がある。悪事への利用も考えているのか、家族とすごす奥とはちょっと離れた場所に殿の居室は作られている。

 そこは総畳敷きのはずだったが、なぜかすべてはがされて板の間に変貌していた。

 左内と右京は、細く明けた障子の隙間から殿の様子を窺う。

 そして想像もしていなかった眼前の光景に息を飲んだ。

「ええい、まだまだっ」

 上半身をはだけ、汗を撒いて竹刀を握る殿。

 普段見かけないお姿だが、結構上半身には筋肉がついている。これは鍛えればいけるかもしれないと左内は一人うなずいた。

 その殿に対峙して、髪一筋さえも乱れていないお江戸2号そっくりの美少女が竹刀を構えている。

 少女は上段から打ち掛かる殿の胴をいとも簡単に薙ぎ払い、殿はごろごろと無様に床を転がった。

「まだ、打ち込みが甘いっ」

 少女は殿を叱りつける。

 殿は無言で立ち上がると、再び少女に挑んでいく。軽くいなされているが、確実にひとつ前よりも太刀筋が鋭くなっているのに左内は気が付いていた。

 殿の上半身には見るも痛々しい青あざが花盛りである。

「しかし無茶な。防具を付けずに彼女と立ち会っているのか……」

 左内が目を丸くする。

「半端な痛みではなかろうに」

「だって完全に攻略した時に、防具なんて邪魔だろうが」

 傍らの右京が野暮な奴、とばかりに肩をすくめた。

「一体、何を攻略するのですか、右京?」

 わーっ。

 右京と左内がひっくり返る。

 二人の後ろからそっと忍び寄って声をかけてきたのは、他ならぬ奥方様であった。武芸十八般をこなす手練れの左内ですら気が付かないその身のこなしは、ただ者ではない。

「すごいでしょう、殿、見違えるように上手くなられましてよ」

たれ目のせいか、いつものんびりした笑顔に見えるそのふっくらとした顔は、国元を離れている藩士達に安らぎを与えている。言うならば美行藩の慈母。なぜあの殿にこのようなできた奥方様が、と皆首を傾げる天の絶妙な配材である。

 豪胆で器の大きい彼女は殿のお遊びを意にも介していない、ように見える。

 しかし。

 常日頃から奥方様に御恩を感じている左内は、殿にあのからくりを使いたくなかったのである。このような良い奥方を裏切るなんて、いつか絶対に殿には天罰が当たるに違いない。

「殿には私が御指南しようと思っていましたのに……」

 左内は唇を噛みしめる。

「まあ、いいじゃありませんか。誰が指南しても上手くなることに変わりはありません。試合が楽しみではありませんか」

 彼女の正体を知ってか知らずか、高らかな笑い声とともに奥方様は立ち去って行った。

 かぽーーんっ。

 鋭い音がして、二人は慌てて障子の隙間に顔を寄せる。

 お江戸1号が竹刀を落とし、しどけなく横座りになって胴に手を当てていた。

「やった。1本取ったぞ」

 二人は顔を見合す。

「ああん、殿、す、すごいっ」

 先程まで厳しく殿をののしっていた姿はどこへやら。艶めかしく身体をくねらせ、必要ない喘ぎまでくわえた反応はお江戸2号よりも扇情的だ。

「こ、これが色魔回路の威力か」

「まあ、本領発揮するのは最終段階でだがな」

 二人の目の前でお江戸1号はうるんだ目で殿を見つめる。

「解いて、早く(たすき)を解いてっ」

 細い腰を抱き、殿は鼻息荒く襷を取る。ついでに抱き付こうとする殿の鼻をお江戸1号はつん、と指でつついた。

「だぁめだよ、吉元。ここから先は、お・あ・ず・けっ」

 あまりの馬鹿さ加減に左内は目の前が暗くなる。

「左内、おい、死ぬなっ」

 障子の外の騒ぎに気が付かぬほど、殿は稽古に熱中していた。




「殿の進捗はどうなのだ」

 あれ以来あの馬鹿馬鹿しい稽古場には近寄りたくない左内は、右京から報告を受けることにしていた。

「ああ、2本までは取れてなんとか袴までは脱がしたみたいだが」

「そこまでいけば、殿の思うつぼではないのか」

「いや、完全攻略してこそ禁断の木の実を味わえるという設定にしてあるので、全ての衣装を脱がせてから初めて、詳細な体の造りが現れてくるのだ」

「試合は明日に迫っている。できれば他藩の手前、なんとか彼女から3本取れるくらいに上達していただきたいものだが」

「難しいかもしれないな、お江戸1号から3本目を取れるのはお前さんくらいのものだ。3本めは2本目までと違い格段に難しくしてあるからな」

 確かに、お江戸2号を使っている藩士達はかなりの上達を見せているが、2本を取れるのも、細葉(ほそば)竹之進(たけのしん)藻原(もはら)喜左衛門(きざえもん)だけでまだ3本を立て続けに取ったものはいない。

 明日はいよいよ曽根美濃藩との試合である。

 試合は団体戦で藩士達から選りすぐった4人と最後に藩主が立ち会う手はずになっている。もっとも選りすぐりといっても美行藩ではまだましなものを選ぶだけなのだが、

 先鋒:熊衛門、次鋒:喜左衛門、中堅:竹之進、副将:片杉、そして大将は殿。

 左内の頭の中ではこのように組み立てられている。

 竹之進と自分は勝てるような気がするが、問題は後の3人だ。慌て者の熊衛門、そこそこ上手いのだが見てくればかりにこだわる喜左衛門、そして殿……。

 もう、互角の試合ができれば良しとしよう。けが人さえ出なければそれでよい。

 必死で勝ちに行こうとする武芸者の自分を押さえて、左内は家老として大局を見る方向に舵を切った。




 その夜も殿の急ごしらえの道場では熱い稽古が繰り広げられている。

「明日は、試合でございますね」

 呼びかけられた殿は頬をごっそりと痩せさせ、まるで幽鬼のように目ばかりらんらんと輝かせている。

 無理も無い、この3日ほとんど何も食べずに道場にこもりきりで練習しているのである。

「試合? そんなものはどうでもよい。わしはお前を攻略したいのだ」

 口元ににやりと笑みを浮かび、殿は竹刀を掲げた。そして一分の隙も見せず、すり足でお江戸1号との間合いを一気に詰める。

 最初の頃と比べ格段の進歩である。

「最後の一枚は何としても死守いたしまするっ」

 もはや胴着を帯で結ぶだけとなったしどけない姿だが、お江戸1号は気丈に言い返す。

「その強気もいつまで持つやら」

 1本取るたび見せる、乱れた姿を思い出し殿は鼻息荒く舌なめずりをした。それは、獲物を追い詰める野獣の仕草。

 殺気に近いその欲望を感じたのか、お江戸1号の顔に恐怖の色が浮かんだ。

 一瞬彼女の足が止まる。殿の目が光った。

「いただきっ」

 叫びとともに鋭い軌道を描いて竹刀が空を斬る。

 そして、お江戸1号の胴を薙ぎ払った。

「きゃあああ」

 彼女の竹刀が板の間に落ちる前に、殿は猛獣のごとく飛び込んで片手で胴着の帯を解く。

「わしが初めてであろう」

 無言でうなずくお江戸1号。

「幸運な奴だな」

「優しくなさってくださいね」

 彼女は上気した頬を殿の胸に埋める、殿は彼女の目から視線を外すことなく、まるで鍛え上げられた武芸者のような無駄の無い動きで素早く胴着をはぎ取った。

 現れたのは完璧な肢体。頭の先から爪の先まで、殿の好みど真ん中である。

 それも当たり前。なにせ彼女は何から何まで殿の監修の元に右京が作ったからくりであるのだから。

 うおおおおおおっ。

 勢いよく1号を押し倒すと、なけなしの殿の理性は完全に吹っ飛んだ。

「この部屋は、右京によって防音がされている。今宵はお前と力尽きるまで全力疾走じゃっ」

「ああっ、殿っ。ダメっ、ダメっ」

 夜の武芸者、殿の技は一瞬にして彼女をとろかせてゆく。

 それに、この数日でますます鍛え上げられた殿の肉体。

 技の切れにも磨きがかかっている。

 眼にも止まらぬ速さで小刻みに揺れるお江戸1号。

 殿の技で彼女の色魔回路を走る信号は加速度的に上昇していた。

「うおおおおおっ、こ、これはっ」

 今まで感じたことの無い人間離れした刺激。あまりの快感に殿の黒目が上転した。

 色魔回路の働きで、お江戸1号の体内は最大限の快楽を感じられるように変形するのである。

「いくぞいくぞいくぞっ」

 お江戸1号も泣きながら狂乱している。

「おお、そなた、熱い、熱いぞっ」

「ああ殿っ、加速してはダメえええええっ、はああん」

「もっと狂えっ、狂うのじゃああ」

「あ、あたし、こ、こわれちゃう~~っ」

「許すっ、壊れてよしッ」

 深夜、猛獣のような咆哮が聞こえた気がして左内は目を覚ました。

 それは時折悲鳴のように高い叫びも交えて、かすかだが延々と続いている。

「なんだ、野犬か?」

 左内は雨戸をあけ、眠い目をこすりながら咆哮の聞こえる方向を眺める。

「殿の居室……?」

 その時。

 白い稲妻のような光が殿の居室のあたりから炸裂した。




「片杉殿、天晴(あまはら)公はまだなのかね」

 曽根美濃藩、藩主は不機嫌そうにそこいらを歩きながら、そのバッタのような長細い顔を左右に振った。

 左内の予想通り、竹之進と自分が勝って2対2。決着は大将戦に持ち越されたのである。

 両家の藩士達が固唾を飲んで見守っている中、いつまでたっても天晴(あまはら)公が姿を見せない。

「なぜ時間がかかっているのだ。開催場所を近くにしてほしいと貴藩から申し出があったのでわざわざこちらに出向いてやったのに。もしかして、怖気づいて逃げたのか?」

「い、いえ……」

 まさか、お江戸1号があそこから火を噴き、殿は火傷を負って手当中……、などと言えるはずがない。

 殿は試合は無理としても、参加だけはするとおっしゃっていたが、昨夜の無残なお姿。あれでは、歩くのもままなるまい。

 唇を噛みしめて、立ちすくむ左内。

「ま、待たせたな」

 背後から弱々しい声がして、殿が杖を突きながらふらふらとガニ股でやって来た。

 3日の苛烈な練習と昨夜の暴発で、まるで木乃伊(みいら)のように生気が抜けている。

「ど、どうされたのじゃ、天晴公。流行り病か何かか?」

 あまりの変貌に、後ずさりする曽根美濃藩主。

「ち、ちょっとばかり極楽を覗いてまいった」

 言葉とともにばったりと前に倒れ、局所の痛みで悲鳴を上げる殿。

 慌てて殿を助け起こしながら左内は隣家の藩主に詫びを入れる。

「すみませぬ、このとおり藩主は急な病に侵されまして、今日の勝利は曽根美濃藩ということで……」

「お待ちなさい」

 言葉とともに颯爽と現れたのは、誰あろう、奥方様であった。

 凛々しく白の胴着と袴をはいて、殿が使っていた竹刀を片手に持っている。

「亭主の恥は、妻がそそぎましょう」

 たれ目に宿るは雌豹の殺気。

「いくら武芸のたしなみがあると言っても、所詮は女子の手習い。およしな……」

 曽根美濃藩主の鼻先に竹刀が突き付けられた。

「女子に負けるのが怖いのですか? いざお相手を」

 奥方の挑発に、顔を赤く染める曽根美濃藩主。

「ええい、この無礼者っ」

 立ち合いの位置に付こうとする奥方の背後から、曽根美濃藩主が打ち掛かる。

「おのれ、後ろからとは卑怯なっ」

 美行藩士たちが叫ぶ。が、時すでに遅し。

 奥方様の後頭部に竹刀が襲いかかった。

 しかし目にも留まらぬ早業で奥方様は右手に持った竹刀を一閃した。

 曽根美濃藩主の渾身の一撃はがっちりと受け止められ、藩主の竹刀は宙に跳ねる。

 が、殿が欲情に駆られて使い込んだ竹刀は、無残にもぼきりと折れてしまった。

 すかさず藩主は体制を立て直し、顔を突く。

「左内っ」

 奥方の叫びに、左内の身体が反射的に動く。

 彼が投げた竹刀を左手で受け取ると、彼女は折れた竹刀で相手の打ち込みを払う。と、同時に左手に持った竹刀で、コンと相手の頭を軽く叩いた。

 一瞬の出来事である。

 何が起こったかわからず、皆唖然として静まり返っている。叩かれた当人ですら状況を理解できずに立ちすくんだままだ。

「い、いっぽん……」

 両家以外から出張してきている審判がようやくかすれた声を上げる。

 わ~~っ。いきなりの大逆転に美行藩の藩士達から大歓声を上がった。

 奥方様の華麗な一撃。それも手加減する余裕さえ見せている。彼女はそのまま一礼すると藩邸の中に姿を消した。

「二刀流だったのか、奥方様……」左内が目を丸くする。「カッコよすぎます」

「もう、藩主は奥方様でもいいな」

 右京もつぶやいた。




「先日はご苦労であった」

 右京と左内は、畳が敷き詰められた殿の居室に呼ばれていた。

 局部の怪我も幸い驚異的な再生力で回復し、数日前に床上げもすんでいる。しかし、まだしばらくは夜遊びに出かけられる状態ではない。これだけでも、左内の負担はかなり軽くなっている。

 望外に訪れた平穏な日々に、左内の心もやっと初春の訪れを感じていた。

「右京、お前には菓子を」

 殿から賜った羊羹を押しいただき、右京は平伏する。

「今後もまた奇想天外な発明を頼むぞ」

「ははっ、精進いたします」

「お江戸1号、2号の補修もよろし……」

 おほんっ、おほんっ。左内の咳払いに殿の語尾が小さくなった。

 次に殿は、左内の方を向く。

「お前にもいろいろ心配をかけたな左内」

「とんでもございません」

「今回も迷惑をかけたが、良き家臣と妻のおかげで何とか勝利を得ることができた。書初めとして心の内をしたためたのだが、貰ってくれるか左内」

「ありがたき幸せ、片杉家の家宝といたします」

「二人とも見るがいい。これが我が信条じゃ」

 殿は墨痕鮮やかに書かれた半紙を掲げる。

「性技は勝つ」

 今年も一年思いやられる……、左内と右京は顔を見合わせて大きく溜息をついた。

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