騎士
短め
市民権の獲得及びに新しい戸籍の入手。
組織から追われている人物にとってこれほど魅力的なことはないだろう。さらには軍基地の最高司令官からの協力要請を受諾したということは、その庇護下に入ることも意味する。彼の企業セミナールを相手では充分とはいえないが、単独行動を続けるのと比べればどちらが賢明な判断かは言うまでもない。
全てはソピアの深読み勘違いから発生した提案ではあったが、それも仕方がない。当事者である〈レジス〉ですら現状を理解出来ていないのに、それをソピアやグレアムなどその他の人間に察しろという方が不可能なことであった。
大きな傷を持つ強面の男を脇に連れながら、ソピアと名乗った老人の射貫くような眼光に否応なしに緊張感を覚えさせられつつも、〈レジス〉は必死に頭を働かせた。
現状の説明は全く出来ない。
ここが『プラウファラウド』の中なのか、全く別の場所なのか、今の〈レジス〉にはそれを判断する取っ掛かりすら掴めていない。しかし、それを理由に足踏みをしていては駄目だと、〈レジス〉は直感していた。
何事も事態は流動的。
例え自分が止まっていようとも周囲の状況は変化し続けている。狼狽している時間などない。そんなものは後ですればいい。
思考を停止させるな、考えろ。
『プラウファラウド』というゲームの対戦は常に選択の連続である。自分の機体を操りながら相手動きを先読みし、自分の中に浮かぶ無数の選択肢の中から一つだけを刹那の判断で選び取る。
基本的にゲームと航空戦闘機関連の知識以外は一般的な高校生の範疇を出ない〈レジス〉ではあったが、数多のトッププレイヤー達を相手に切磋琢磨してきたことによって磨き上げられた意志の強さは本物だった。
思考を回転させる。
目の前にある選択肢を確認する。
突然、基地最高司令官などという大物が室内に現れた上に、現状を正しく把握する暇もなく出されてきた選択肢。
そもそもこの提案を断るという選択肢が自分にあるのか、という疑問が〈レジス〉にはある。
右も左も分からない現状の〈レジス〉は迷子の子供にも等しい。
現在地を見失った理由は今のところ察しようがないので一先ずは置いておくとして、市民権及び戸籍の獲得。つまりは寄って立つところがあるのは、心情的にも実利的にも非情に恩恵が大きいと考える。更にそうなれば情報を得る面でも不自由は減るだろう。
逆に断ったらどうなるのか。
自分の立場を〈レジス〉が詳しく知るよしもないが、恐らく今自分は身元不明の人間という扱いだろうか。それだけならば良いのだが、問題は万能人型戦闘機という兵器を所有していたことだろうと予測する。
日本の状況で照らし合わせるならば、防空域に突然所属不明の戦闘機が現れた感じだろうか。
そう考えると、現在の〈レジス〉の状況は非常に危ういということが理解出来てしまう。監禁尋問は当然として、最悪の場合処刑だろうか。
そう考えると自分の前には選択肢など無いように思える。
だが疑問はある。
協力という、交換条件。
我々といったからには、その対象はこの軍隊であろう。
彼らがわざわざ〈レジス〉に求めてくるものとはなんだろうか。
「……協力とは具体的に何をするんですか」
少しの沈黙の後に〈レジス〉が目の前に立つ最高司令官を見据えて訊ねる。
その様子に、ソピアとグレアムは僅かに目を細めた。最初に部屋に入ったときとでは明らかに身に纏っている雰囲気が違ったからだ。
一体何を考えているのか。
そんな思いをおくびにも出さずにソピアは大仰に一つ頷いてみせると、口を開く。
「君の万能人型戦闘機の搭乗者としての腕を見込んでのことだ。戸籍を手に入れた後は、独立都市アルタスの軍に入り作戦に従事して欲しい」
その提案に、〈レジス〉は考えることを止めない。
相手の言葉は至極まともだ。
自分の万能人型戦闘機の実力は客観的に考えてみても優れているという自覚がある。それがこの世界でどれだけ通用するのかは分からないが、提案自体に特別変なところは感じられない。
だが〈レジス〉が既に半壊した〈リュビームイ〉で三機の万能人型戦闘機を撃墜したということを考えれば――
……ああ、そういうことか。
その事に思い当たったとき、〈レジス〉は相手が何を求めているのかを把握した。
同時にそれは、自分にとっては大して価値のあるものではないということを理解した。
「……俺に職業軍人になれということですか?」
〈レジス〉の探るような視線を浴びつつ、ソピアは頷く。
「そういうことになるな。まあ扱いは少々特殊なものになるだろうが」
軍人になりたいと思ったことはないが、見知らぬ土地、見知らぬ環境。手に職を持てるというのは決して悪いことでは無い。
しばらくの沈黙の後。
〈レジス〉は静かに首肯した。
***
「任官後、あの少年は君の部隊に預けることになるだろう」
その言葉を耳にしたグレアムは、上官を目の前にあからさまに顔を顰めて見せた。
「まあ、予想はしてました。ですが、うちは託児所じゃないんですがね」
「似たようなものだ。あれだけの問題児共を抱えているのだからな」
はっはっはっと、白い歯を隠しもせずに笑い声を上げる上官を見て、グレアムは悩ましげに額を抑える。悲しいことに、白髪の生えた目の前のこの中将は本気で楽しんでいるようだった。
そんな様子を見せる部下に、ソピアは肩を竦める。
「何、今すぐにって話でもない。彼の戸籍を作るまでは入隊受理も出来ないからな」
「……それはどれくらい時間がかかりそうですか?」
グレアムが訊ねると、ソピアは自らの顎をさすりながら視線を彷徨わせた。
「そうだな……、早くとも十日以上は必要になるだろうな。何せ事が事だ。都市政府の奴らに感づかれるわけにはいかん」
それを聞いてグレアムはそんなものかと、頷く。
十日。
思っていたよりも早いような気も、遅いような気もする。
だが今回の件は完全に自分達の独断であり、周囲に情報を漏らすことは出来ない。戸籍の作成などの雑事一つとっても、慎重に事を進める必要があった。
それを考えれば、無難なところだろう。
そう考えてから、グレアムはもっと身近な問題に目を向けた。
「その間、あれはどこに置いておくつもりですか?」
そう言うと、ソピアは意外なことを聞かれたかのように怪訝そうな表情を浮かべた。
「基地内の寮舎じゃいけないのか?」
まるでそんなことが疑問になるとは思っていなかったような反応で、ソピアは訊ね返す。グレアムは首を振った。
「現時点ではあれは我が軍とは全く無関係です。それを基地内に置いておくのは問題でしょう。それに他の兵達の目もあります。あんな子供が寮舎内をうろついてたらあっという間に噂になります」
「……ふむ。そうか。それは考えてなかったな」
真剣な顔をして頼りない言葉を漏らす上官に内心で溜息を吐きながら、グレアムは当たり障りのない提案する。
「二名以上の見張りをつけて都市内で軟禁っていうのが、まあ無難でしょうな」
それは極普通の提案のつもりだった。
だが、その提案にソピアはすぐには頷かなかった。
その事をグレアムは怪訝に思う。確かに今回の件は万難を排すべき事案ではあるが、過度に警戒しすぎては逆に目立つ恐れもある。何かを隠したいときはあくまで自然体でいることがコツだ。
グレアムの提案に頭を悩ませる必要があるとは思えなかった。
そこまで考えてから、上官の眉間に必要以上に皺が寄っていることに気がつく。
――あ、これろくなこと考えてないな。
そんな確信を抱くグレアムを余所に、暫くして。
「――よし。いいだろう。ただし見張りは少佐の隊から二人出せ。そして片方はあの軍用規格性能調整個体を任命させろ」
「はあ……」
ソピアの出した指示にグレアムは気のない返事を漏らした。
「それは構いませんが……、理由を聞いても?」
訊ねると、ソピアは不満そうな表情を浮かべた。
「……分からんのか?」
「ええ、小官の頭では少々及びつかないもののようで。出来れば教えていただきたいものです」
どうせろくな事ではないだろうと予測はついていたし、本音を言えば聞きたくもなかったが、こういう時に理由を尋ねずに命じられたことだけを事務的に処理してしまうと、拗ねた子供のように不機嫌になるのである。
いい加減自分の年齢に自覚を持って欲しいものなのだが、残念ながらその兆しは一向に見えない。
ソピアは真剣な眼差しで言う。
「お前の所の軍用規格性能調整個体は今年で十四だったろう」
「セーラ少尉ですか。……確かにそのくらいです」
「あの少年は十六だと言っていた」
「ええ」
確かにそうだなと、グレアムは頷いた。
年の割には随分と童顔に思えたが、あの件の少年はそう自分の年齢を申告していた。
しかし、それが一体何の関係があるのだろうか。
上官の意図が掴めずにグレアムが怪訝な表情を浮かべる中、ソピアは自分の顔の前まで腕を持ち上げるとぐっと握り拳を作った。
「年頃の少年少女が一つ屋根の下だ。――これは間違いなく何か起きる! 恋心的なものが!」
「では自分は手配しますので、これで失礼します」
――いい加減にしろクソ老人……。
表情を崩さずに内心だけでそう言い捨てて、グレアムは部屋から退去した。
そうしてから溜息を一つ吐き出して、何を考えてるんだあの老人はと顔を押さえる。いや、何を考えているのかは明白だ。あの男は本気で楽しんでいるに違いなかった。そういう人種なのである。
あれが巷では英雄と称され、この基地の頂点に立つ人物かと思うと、何故か目頭が熱くなってくる。
「……はあ」
もう一度、溜息を吐き出して。
そして自分の部隊にいる能面の少女を思い浮かべた。
軍用規格性能調整個体――兵士としての必要な要素を発達させ、それ以外の余分なものを削除した、戦場に求められた兵士。
グレアムは冗談抜きで、あの少女が喜怒哀楽の感情を見せたところを知らない。持っていないと言われた方が納得出来るほどだ。
(あれが恋心……?)
果たしてそれは、明日空からアルコールの雨が降ってくる可能性とどちらが高いだろうかと、グレアムは頭を捻った。
***
やっぱりな、と。
窓から見える光景を眺めながら〈レジス〉は自分の認識が間違っていないことを確信した。
基地内の建物にある部屋の一室。
ソピアの提案を受けた〈レジス〉はそこで暫く待っているように言われた。出入り口が一つしかない部屋にいるという点と、入口に一人兵士が見張りに立っているという点は変わらないが、それでも最初とは明らかに待遇が違ったのはすぐに分かった。
まず第一に机の上にお茶菓子が置いてあった。
そして第二に、部屋にある窓から外を覗いていても何も言われないということだ。
――ちなみに、今見張りをしているのはさっきの部屋にいた少女ではない。襟を詰めた軍服に身を包んだ、逞しい体つきを持つ兵士らしい兵士だ。
ある程度自由幅が増えたのを幸いとばかりに、レジスは椅子を窓の所まで移動させて外を眺めていた。
それはどこまで自分の行動が許されているかを試す意図もあったのだが、扉の前に立った兵士は何も言わなかったので遠慮はしなかった。
現在、机の上に置かれていた茶菓子を咥えている〈レジス〉の眼下には、闇に包まれた、数時間前に自分も愛機と共に降り立った発着場の姿が広がっている。
発着場とは言っても所謂現実世界での戦闘機の姿は無く、そこに並んでいるのは人の姿を模した鉄の巨人、万能人型戦闘機の勇姿である。
戦時中とあってか、あるいはこの国の軍規模がでかいのか、その稼働率は高いように見える。
夜闇に浮かぶその光景に〈レジス〉の心が躍り立ったのは事実だが、注目すべきはそこではない。
見るべきは、発着場に並ぶ万能人型戦闘機はほぼ全てが同型の機体構成ということである。
兵装に多少の差異を持つものはあれども、それを運用することになる機体は全て同一の姿。〈レジス〉がその姿を見て趣味機と断じた、あの機体だ。何も理解していないあの時はただそうとしか映らなかった機体ではあるが。
しかし、今ならその理由が分かる。
つまりあの機体はこの軍で採用されている量産型万能人型戦闘機、ということだろう。
ゲーム『プラウファラウド』であれば量産型などという括りはありえない。あのゲームは自分で機体を組み上げそれを操るのだから、全てが個人用機体となる。希にゲーム内で流行した装備や金策のために安い兵装で固めた機体をプレイヤー間で量産型と呼んだことがあったが、それとはまるで意味合いが違う。
ここは『プラウファラウド』とは違う。
提携や共同開発もしていないのに生み出された兵装を、他の製品が扱えるわけがない。
『プラウファラウド』ではその部品の製造メーカーなど関係なくパラメーターだけ見て好きに組み替えられたわけだが、現実的な兵器としてみた場合それはありえないのだ。
現実の戦闘機に例えるならば、胴体は米制で羽根は欧州機で内部機器と電波吸収塗料は日本製にしよう、みたいなものである。
メーカー一つの部品で組まれているのも当然であった。
ゲームの『プラウファラウド』の様に部品単位ではなく、一つの完成された機体としてあれは開発されているのだ。
当然、それは『プラウファラウド』のメーカー関係なく組まれた複合機体に触れてきた〈レジス〉にとっては、一笑してしまうような機体だ。それこそ趣味機と侮ってしまうような。
ひたすらに『プラウファラウド』の世界にのめり込んできた〈レジス〉は、ゲーム内の兵装や装甲板の数値をほぼ丸暗記してしまっている。外装とその動きを見れば、相手の機体の性能は大体把握出来てしまった。
自分の持つ知識がどの程度通用するのか不明瞭ではあったが、数時間前に交戦した三機の万能人型戦闘機を思い出してみれば、そこまで差異は無いだろうと推測出来る。
発着場に立ち並ぶ万能人型戦闘機は〈レジス〉にとっては低性能の趣味機体にしか映らない。
だが、それがこの世界の現行機としては充分なものだとするならば。
果たして〈レジス〉の愛機〈リュビームイ〉は彼らにとってはどのように映ったのだろうか。
妥協も揺るぎもなく、勝つための性能を最重視した軽量級の万能人型戦闘機。
その装甲素材から塗布塗料、頭から爪先に至るまで遊びを入れた部分は無い。
愛機〈リュビームイ〉は製造メーカーなどのしがらみに一切拘わることなく組み立てられた、『プラウファラウド』の世界においては最速の機体だ。
その機体性能は製造メーカー等という制限の元に構成されている機体とは比べるべくもない。半壊している状態とはいえ、あれがもたらす技術的恩恵は計り知れないだろう。
軍が本当に欲しかったのは〈リュビームイ〉である。
取引を持ちかけられた時点で〈レジス〉はおおよそその見当はついていた。
そして今現在改めて発着場にいる機体を見てみて、その事実を認識した形である。
(つまりは〈リュビームイ〉のお陰で俺は今の立ち位置を手に入れられてるって事だな……)
取引を持ちかけてきたソピアは、〈レジス〉の搭乗者としての腕を見込んだような口振りだったが、実際は怪しいものだ。
決して嘘ではないだろうが、自分が搭乗していた機体が凡百のものであれば取引など持ちかけられることなど無かったであろう。
(死にかけてても尽くしてくれるやつだよ)
窓ガラスに映る今の自分を眺めながら、苦笑する。
幾千もの戦場を駆け抜けてきた愛機である。当然のように執心も愛着も存在する。しかしここはゲームの『プラウファラウド』とは違うのだ。
半壊した〈リュビームイ〉を直す手立ては〈レジス〉には存在し得ない。
感傷を無くした言い方をしてしまえば、〈リュビームイ〉は自分の手元にあっても何の意味も無いがらくたに過ぎなかった。
だが例えそうだとしても。
(――ありがとう)
恐らくはもう自分の手元に戻ってくることはないであろう愛機に、そう感謝を感じずにはいられなかった。