再び
「セ、セーラ?」
その名前を呟いたとき、クルスの胸中で湧き上がっていた怒りはどこかへ消え去っていくようだった。一体何故という困惑と共に目の前の少女の姿を見つめる。
セーラ=シーフィールド。
クルスと共にシンゴラレ部隊に所属している万能人型戦闘機の搭乗者である。
人形の様に端正な顔立ちと、性別や小柄な体格に似合わぬ高い身体能力が軍用基準性能調整個体という特殊な生い立ちによって得たものだと知ったのはつい先程のこと。
先の任務で片腕を失う重傷を負ったはずの彼女だったが、それが何故突然現れて目の前の男を力尽くで押さえつけているのか。
「があ……ッ!?」
背中に腕を回され身動きを封じられたブラントが、苦痛に呻き声を上げた。
彼も一体何が起こったのかが分かっていないのだろう。苦悶の表情を浮かべながら視線を巡らせて、ようやく自分の背中に一人の金髪の少女が乗っていることに気がついた。
「こ、こいつ……!」
自分があっさりと組み伏せられていることによる羞恥心と、人形としか思っていなかった存在が命令も無しに襲いかかってきた理不尽。
自分には認めがたい複数の要因が重なって男の顔が憤怒の色に染まり、次の瞬間には怒声という形で周囲に撒き散らされた。
「ふっざけんなあああ、このクソ人形が! おらっ、どけ! どきやがれ! 誰の命令で人間様に手を出してやがる!?」
セーラはその罵声に眉一つ、指一本すら動かすことはなかった。
床に組み伏せられてなお状況を理解せず汚い言葉を吐き散らすその姿に一切の興味を持つことはなく、クルスは男のその醜態に思わず顔を顰める。
それは人によっては気付かないようなほんの僅かな変化ではあったが……しかし、ブラントを押さえ込んでいる金髪の少女は見逃さなかったらしい。
セーラはクルスを視線だけで見やると、微風が吹いた程度に首を傾げた。
「このまま折りますか?」
「は……」
端的に出てきたその言葉にクルスは驚く。
確かに、彼女の膂力を持ってすれば取り押さえた男の腕をそのまま折ることは容易いだろう。だがいったいどのような思考を辿ってその提案が出てきたのか、それが分からない。
しかし、それ以上に焦ったのは組み敷かれているブラントだった。ぎちぎちと自分の腕を掴む細長い指に力がこもるのを察して、その顔がたちまちに青ざめていく。
「待て待て待てっ、ふざけるなよ、クソ人形! てめえ、なんで人間様に手を上げてやがるんだ!? 軍用基準性能調整個体は一般市民に手を出せない決まりだろうが!?」
軍用基準性能調整個体は正当な理由無く人間に手を出すことはない。
それはブラントの中に存在する絶対的なルールであった。道具が持ち主に逆らうなど、あって良いことではない。
車と同じだ。
車は車道を走行し、歩道には突っ込んでこない。
そういう前提があるからこそ、人は高速の物体が走る道路の脇を無警戒に歩くことが出来るのだ。
それと同じように、軍用基準性能調整個体は人の命令に忠実であり、従い、決して逆らわない。そういうものでなければならない。
それがブラントにとっての絶対のルールだった。
だがブラントがどれだけ罵声を吐き出そうとも、セーラはその一切に反応を見せない。
完全に動きを封じておきながら、まるで男がこの場にいないかのような振る舞い。セーラはただ次に与えられる言葉を待つように、その赤い双眸でじっとクルスを見つめてくる。
その様子にクルスは僅かに気圧された。
忠犬、というよりは起爆寸前の爆弾のような危うさを、数多の戦場で磨かれたクルスの勘が感じ取った。
「えーと、セーラ……」
「はい」
「とりあえず、折るのは止めてくれ」
「……はい」
僅かにあった間は何のだろう。
まさか折りたかったのだろうか。暫く顔を合わさない間にバイオレンスな性格になったのかとクルスは密かに恐怖する。そんな危険人物は隊内でも一人、タマルだけいれば充分である。
ともあれ、聞こえてきた返答はよく聞き慣れた平坦な声。
抑揚の薄い、感情を窺わせない少女のものだ。
状況も忘れて、久しぶりに言葉を交わすセーラの声にクルスは安堵を覚える。
セーラと最後に会った記憶は前回の任務にまで遡る。帰投後にクルスが目を覚ましたときには既に彼女の姿は無く、会うことも出来なかったのでこれでも結構心配していたのだ。
だが、この状況でなんと声をかければ良いのだろうか。
大の男一人を取り押さえた今の状態でお互いの再会を喜ぶわけにもいくまい。
軍用基準性能調整個体という単語が、否応なしに脳裏を過ぎってしまった。
先程の問い。もしクルスが是とすれば、この金髪の少女は間違いなくブラントの腕を折ってしまったのだろう。
誰かの命令に従うことを存在に刷り込まれたセーラにとっては、倫理などという枷はどこにも存在していないのだ。
この状況を納めてくれることを期待してクルスはそっとテクスの顔色を窺ったが、期待は無駄だとすぐに悟った。
あろう事か白衣を着た老人は「ほほう」と興味深そうにこの事態を静観していたからである。その瞳は人を見るものではなく、観察対象を記録する研究者のものになっていた。
その時、憤然とした声を上げたのはセーラに組み敷かれていた男である。
ブラントは自分の力では敵わないと悟り、さらにテクスが手を出す様子を見せないと分かると、離れた位置にいる少女へと命令した。
「くそっ! ――おい、ソフィア! 命令だ、このクソ人形をぶち壊せ!」
「おい!?」
自分を取り押さえている相手に何を言っても無駄だと悟ったのだろう。ブラントが頼ったのは、未だ蹴られたままの状態で起き上がっていない長い金髪の少女だった。
相手を命として扱わない先程の非道をしておきながら、今度は恥も外聞も無く叫び声を上げるブラントに、クルスは怒りで目を見開く。
「あんた、さっき自分がその子に何をしたのか分かって言ってるのか!?」
「知るかよ! 命令に従ってこその道具だろうが! ――おい、早くしろ! 早く俺を助けやがれ!」
つい先程足蹴にした相手に対して、恥も醜聞も顧みずに助けを求める。いや求めているのではないのだろう。この男からすれば軍用基準性能調整個体は人の形をしただけの道具で、自分の者を自分のために扱うという感覚しかないに違いない。
こんなにも汚い人間がいるのかとクルスは愕然とする。
しかしそれはすぐに焦りに取って代わった。
どの程度の実力を持っているかは知らないが、ソフィアと呼ばれたあの少女も軍用基準性能調整個体――つまりは、戦うための兵士として生み出された存在に違いないのだ。
ブラントを押さえ込んで無防備な状態で襲いかかられれば、如何にセーラといえども無事で済む保証はない。
だが警戒を孕んだクルスの予想に反して聞こえてきたのは、平坦な、合成音声の方がまだ暖かみがあるのではないかと思わされる凍てついた声だった。
「その命令は受託出来ません」
「ああ!?」
何を言われたのか分からないというふうに、ブラントが硬直する。
硬質な光を持った金髪を長く腰まで伸ばした少女は硝子玉のような無機質な赤眼で、床に組み伏せられたブラントを真っ直ぐに見つめた。そこには何の感情も移ってはいない。
「軍用基準性能調整個体が許可無く他者へ実力を行使することは第九項にて禁じられています。特殊項目参考を適用すれば可能ではありますが、あなたにその承認権限はありません」
「……! ふ、ふざけんなよ、クソ人形! お前は俺の言うとおりに動くのが仕事のはずだろうが!」
激高するブラントであったが、ソフィアはすべきことは終えたとばかりに口を閉じ、それ以上開くことはしない。そこには人の持つ意思のようなものは一切無く、ただ機械がそうするように予めプログラムされた対応をしているだけのようだった。
ブラントは忌々しげに少女を睨みつけ、抵抗するように大きく肩を揺すった。
「だ、だいたいっ、ならこいつはどうなるんだよ! 思いっきり俺に暴力を振るってるじゃねえか!」
「それは、私も是非知りたいところ、だ……」
ブラントの言葉に続いたのは、この場にいた者の声ではなかった。
聞き知ったものではない。
クルスが反射的に声のした方へ振り返ると、そこには白衣を着た男がいた。格好からしてここの施設の研究員なのだろう。また変な手合いが増えたのかと考えて、無意識に表情が硬くなる。胸のプレートにはクレイス=シーサーと書かれている。それが男の名前か。
「おおクレイス、君も来たのか」
「来たも何も……はあはあ……研究所について私が到着手続きをしている間に0189が勝手に移動を始めたもので、慌てて追いかけて来たんですよ……ふう」
テクスにクレイスと呼ばれた男は本当に急いできたのか、大きく肩で息していた。
肉体労働は趣味じゃない、と呟き、その後にじっとセーラとその下に組み伏せられたブラントを見たあとに、もの問いたげにテクスを見やる。
「それでテクス博士……、これはどういう状況で?」
「ふむ、見ての通りだな。0189がブラント君を武力制圧しているところだ」
そう言われてクレイスはなるほどと一つ頷いた後に、
「……それはあなたが命令を?」
「いいや、彼女が自分で判断し、行動したのだ」
「おおっ、なんと……!」
クレイスが疲れも忘れて驚きに目を見開いたのが分かった。
テクスも呼応するようににぃっと口の端を釣り上げる。
「命令も無しに自分の判断で守る人間を選んだ個体と、軍用基準性能調整個体としての領分に留まり続ける個体。ここまではっきりと差が浮き彫りになる光景も珍しい」
「これはすごいですよ、博士! 同じ調整個体でありながらこうまでも差が出るとは! やはり0189には確かな自我と個性が確立されている! メンタルマップの比較状況としても申し分ない!」
興奮した口調でクレイスが声を上げる。
クレイスは感情の発露の兆しを見せたセーラに格別強い期待を抱いていた研究員の一人だ。だが実際にセーラを見てみれば無反応無表情という有様で意気消沈していたのだが、目の前に示された事象によって気力が湧き上がってきたのだった。
その目には爛々とした光が灯っていて、セーラに制圧されているブラントに対しては全く関心を抱いていない。彼が興味を抱いているのは『軍用基準性能調整個体が規則を破って自発的に対象を取り押さえている』という事象に対してのみである。
クルスはやっぱりこの人もそういう人種なのかと、半ば諦めと共に理解した。
「博士、いまならリアルタイムでのメンタルマップの計測も可能なのでは!?」
「うむ。だがこちらはまだ取り込んでいる最中なのでね。君に頼めるかな?」
「是非!」
そう言うや否やクレイスは駆け足で室外へと去って行った。
現れてすぐにいなくなった人物に一体何なんだとクルスは暫し唖然としていたが、それはブラントも同様だったらしい。セーラに取り押さえられたまま間の抜けた表情をしていた。
だがすぐにテクスの「さて」という声にクルスもブラントも我を取り戻した。
「0189、ブラント君を開放したまえ」
「……」
しかしセーラは動かない。
「おい!」
恐怖の色を浮かべて焦ったようにブラントが身体を揺すったが、それもなんの意味をもたらさなかった。二人の男の言葉には耳を貸すこともなく、ともすれば聞こえていないのかとすら思ってしまうくらいの無反応。
その様子を横で見ていたクルスも怪訝に思ったのだが、ふとセーラは何故か何かを訊ねるようにクルスを見やってきた。
「くくく、生みの親であり管理権限を持っている私ではなく、クルス少尉に許可を求めるか。これは面白い」
心底愉快そうにテクスが笑みを浮かべ、クルスは困惑しながらセーラを見返す。
じっと少女の赤い瞳に見つめられながら、なんとなく彼女が自分の反応を待っていることは察せられた。
なんで俺なんだと思いながらもクルスが一つ頷いてみせると、セーラは呆気ないほどにブラントを開放した。これまでの無反応は何だったのかと思わされる光景である。
「くそが……っ!」
自身を押さえつけていた存在がなくなり自由を得ると、ブラントはすぐさま起き上がって剣呑な目つきでセーラを睨みつけたが、その赤い瞳を見てすぐに怯んだように視線を逸らし、そしてクルスを睨みつけてくる。
殺意すら籠もっていそうなその視線にクルスは不穏なものを感じ取ったが、それが形になるよりも早く静止の声が入った。
「あー……悪いがね、あまり問題ごとを起こされても困るのでな。ブラント君もここは押さえてはくれんかな」
「ああ!? ふざけんなよ! 何もしてない俺を相手に、そいつから殴りつけてきたんだろうが!」
「何もしてないだって……?」
この男はまだそんなことを言えるのか。
叫き散らす男の台詞に、再びクルスの頭に血が上る。未だ倒れたままの少女の姿を見ててクルスが一歩前に踏み出すと、ブラントは「うぐ」と小さく呻きを漏らして後退った。
「まあまあ、クルス少尉も落ち着きたまえ。経緯はどうあれ、軍人である君が民間人である彼に手を出すのはあまり褒められたことじゃない。色々と不都合も出てきてしまうだろう?」
「………」
確かにそのとおりだったので、クルスは黙るしかない。
心情面を考慮せずに状況だけ見れば、今の事態はクルスが一方的に民間人であるブラントに暴力行為を振るったということになる。
挑発行為を行ったブラントにも非は出てくるだろうが、彼が行ったことは道具と同じとされている軍用基準性能調整個体を乱雑に扱ったに過ぎない。クルスは海上都市の法には明るくないが、自分があまり良くない立場だと言うことはすぐに理解出来た。
押し黙ったクルスを見て了承の意と取ったのかテクスは一つ頷いて、ブラントへと向き直る。
「さて、ブラント君。色々と言いたいことはあるが、今回の件に関してはこちらにもそれなりに責任がある。そこで提案なのだが……、もしこれを水に流してくれるというのならば、次君に振り込まれる報酬に倍以上の色を付けてもいい」
「ば、倍だと?」
その内容にブラントは僅かに驚き、そして戸惑いを見せた。そこへ追い打ちをかけるようにテクスが言葉を重ねる。
「どうだ、悪い話じゃないだろう? 君は最近また資金のやりくりに困っているみたいじゃないか。色々と入り用なのだろう?」
「な、なんでそれを……」
「愚問だな。君は軍事兵器のモニターをしているという自覚をもう少し持つべきだ。君を含めてモニター達の調査報告は随時更新されているのだ。これもちゃんと事前に説明したはずなのだがね」
「……」
ブラントは暫し沈黙する。
恐らくは頭の中で損得勘定を計算しているのだろう。となれば、答えがどうなるかは明白だった。ここで彼が意地を張ったところでほんの僅かな自尊心が満たされるだけで、他に得をすることなど何一つ無いのだから。
「……分かった。今回はそれで終わりにしてやる。ただ今日はもう帰らせて貰うぞ。もともと意味も無い定期報告だけする日だったんだからな。問題は無いはずだ」
「ふむ、まあ構わない。ただ一つ、君に預けていた軍用基準性能調整個体は一時こちらに引き取らさせて貰うよ。少し試したいことがあるのでね」
「ああ?」
「構わないだろう? なに、心配しなくとも約束した報酬はきちんと払うさ。信用出来ないというなら後で契約書も用意しよう」
「……ち、好きにしろよ。そんなクソ人形、いない方がよっぽど気分が良いぜ」
その言葉がどこまで本気なのかは分からない。だがブラントという人間が軍用基準性能調整個体を一つの命として扱うつもりが爪先ほども存在していないというのは間違いなかった。
ブラントは今にも唾でも吐きかねない悪態と共に顔を顰めてクルスとセーラを睨みつけると、歩調も荒いまま自動式の扉の向こうへと姿を消していった。
クルスもまた暫くその扉を睨むように見つめ、
「……好きになれそうもない」
ぼそりと、暗い言葉を零す。
これまでにも気が合わなかったり価値観の違う人間と出会ったことはあるが、あそこまで感情の裏側を刺激してくる人間は初めてだった。
戦場に身を置いてきたせいか以前より多少気が荒い性質が出てきているとはいえ、訓練を除けばクルスが他人に拳を振り上げるなど初めての経験だ。そのことからも、どれだけ相性が悪いかが分かる。
小さく漏らしたクルスの本音を耳ざとく拾ったテクスは「くくっ」と鳩の鳴き声のように短く笑い声を漏らした。
「確かに彼は人格的にはとても褒められた人間ではないかもしれんな。先程のやり取りからも分かるとおり、行動も粗暴で単純だ。しかし、あれで彼のような人材は以外と貴重なのだよ」
「……どういう意味です?」
「サンプル採取のためのテストケースには様々なパターンが必要だ。軍用基準性能調整個体に対して無関心な者、嫌悪を抱く者、都合の良い道具として扱う者、ペットとして扱う者。しらみ潰しというわけだ」
研究者としては褒められた手法ではないがねと、テクスは口の端を釣り上げる。
「海上都市にいる人間の殆どは軍用基準性能調整個体を命などと認めはしないが、それと同時にあそこまで割り切って接することの出来る人間も少ないのだよ。考えてもみたまえ。軍用基準性能調整個体がその気になれば、その指だけで人を殺すことも出来るのだ。恐ろしいだろう? 怖いだろう? だから、大抵の人間は遠ざける。それが普通というものだ」
「……一人の人間として扱う者は?」
「勿論そのケースも欲しいのだがね、海上都市では軍用基準性能調整個体は兵器であり恐怖の対象でもある。金を払ってそのように振る舞うよう指示しているケースもあるのだが、中々難しい」
「そもそもなんでそんなことになってるんだ。人工的に生み出されようが人の形をしてるんだ。ここまで差別的になるなんて」
実体がどうであれ、軍用基準性能調整個体の見た目は幼い人の姿である。同情でも哀れみだろうが、人として見る者が少なかれ現れるのが普通のはずだ。戦争という武力行使が蔓延したこの世界でクルスの持つ価値観が異端なのは理解出来るが、どうにも腑に落ちない。
例えば今のクルスはセーラがどういう風に生み出された存在か知っているし、実際にその力を奮う光景も何度も目にしている。そのことについてなにも思わないでもないが、かといって兵器や恐怖の対象にしか見えないわけではない。
テクスはふむと少し考えた後に、
「理由は幾つかあるがまず第一に0189、君に合わせてセーラと呼ぶとするか。――セーラは現状、相当に特殊な状況に陥っている個体だ。例として当て嵌めるには相応しくないだろう。この世の人間が軍用基準性能調整個体と聞いてまず思い浮かべるのはセーラではなく、あれらだよ」
そう言って、テクスはこの広い空間にいる存在を指し示した。
何十人というセーラと同じ顔立ちをした軍用基準性能調整個体達。赤色の瞳を持つ少女らは席に座っていたり、立っていたりはしているが、クルス達に関心を払っている者は誰もいない。
先程まで、同じ空間で暴力を伴う騒動が行われていたにも拘わらずである。
「先程のように騒ぎが起ころうとも誰一人として自発的に行動を起こそうとしない。なぜなら、二世代型の軍用基準性能調整個体はそのように作られていて、何かしろとここにいる軍用基準性能調整個体は命令されていないからだ」
命令されない限り動くことのない戦闘機械。
それが本質であり、この海上都市に存在する軍用基準性能調整個体の姿だ。
軍用基準性能調整個体は都市守衛の戦力の一部として警備などにも貸し出されるために、海上都市の市民の目に触れる機会もそれなりに存在している。だが話しかけても微動だにせず、命令されたこと以外は人形の様に立ち続けるその存在を人として見る者は殆どいない。
「第二に実例があるのだが……、まあそれは今はどうでもいい。ともかくブラント君はあれはあれで、研究に役立ってくれているのだ。だからそう喧嘩腰にならでくれ」
ささくれ立っている内心を見透かしたようにテクスが言う。
しかしそれはクルスにとってなんの慰めにもならない言葉であり、不愉快なものでしかなかった。
それもそうだろう。テクスの言葉を訳せば、研究のためならば軍用基準性能調整個体がどうなっても良いと言ってるにも等しいのだ。
「軍用基準性能調整個体はどうなっても良いと?」
「勘違いしないでくれ。ワシは軍用基準性能調整個体が幾つ壊れようと気にはしないが、彼のように率先して乱雑に扱おうとも思わん。少なくとも道具として役立っているうちはな」
「俺はあんたの顔もぶん殴ってやりたくなってきたよ……」
「ふははは。ではそうされないように、精々君の前では努力しようかね。これで見た目通りの歳ではないのだ。荒事は堪える」
その言葉にクルスは僅かに考える。
テクスの見た目は白髪の生えた老人であるが、実際はもっと上だと言うことだろうか。老化防止技術が発達しているという話は今朝方に聞いたばかりなのでさほど驚くことはなかった。むしろこのどこか狂気然とした雰囲気を持つ研究者ならば、それも当然ではないかという気すらしてくる。
クルスはテクスの軍用基準性能調整個体に対する歪んだ価値観を説明されてから、この場所にいる者達が自分とはまるで違う生き物の様に感じられていた。彼等を見ているとそもそもの精神構造が違うのではないかと、そう思わされてしまうのである。
だがこの状況でその事を考えても何の意味も無いだろう。
それよりも、今のクルスは他にずっと気になることがある。
「それで」
クルスはそこでようやく、先程から無言で控えている金髪の少女へと視線を向けた。見慣れた赤い双眸と視線が重なる。何となく懐かしい気分になってくる。
正直に言えば、理解は全く出来ていなかった。
セーラが何故ここにいるのかという疑問もあるし、何故突然に現れ、突然にブラントを襲撃したのかという謎もある。更に言えば容体はもう大丈夫なのだろうか。何故か無くなったはずの腕が付いているのだが、それはいったいどのような理由か。
ぐるぐると頭の中を疑問が思い浮かび、どれを最初に口にすれば良いのかと考えると声にならないまま消えていく。
結局、
「セーラ、久しぶりだな」
ついて出た言葉は、そんなありきたりで捻りの無い言葉だった。
タマルやシーモスあたりがいたら鼻で笑っていたかも知れない、それくらいに捻りの無い言葉だ。そもそもクルスには久しぶりに再会した同僚に対して気の利いた言葉を言えるほどの器用さは持っていない。
「はい、お久しぶりです。クルス少尉」
だが無表情な少女からそんな言葉が返ってくれば、それも間違っていないのではないかと思わされる。端的な少ない言葉のやり取りは、クルスとセーラにとっては何よりも慣れ親しんだ形だった。
セーラのその平坦な声音の中にただ冷たいだけじゃないものを感じ取ったのは、クルスの間違いなのだろうか。
「少し、意外でした」
そんなクルスの様子に気がついてはいないのか、セーラは呟くように言う。
「うん?」
「あなたが、あれほど他者に対して激昂するのを初めて見ました」
「あー……」
セーラは決して責めてなどいないのだろうが、何となく恥ずべき瞬間を見られたような気分に陥る。
クルスも他人に対してあれ程怒りを覚えたのは初めての事だったのだ。ましてや殴りかかるなど、自分でも思ってもみなかったことだ。
元々クルスは感情にまかせて暴れるような質ではない。
それは、感情に委ねて直感的に行動すると大抵碌な事にはならないと経験で知っているからだ。シーズン終了間近、ランキングを上げようと躍起になって戦闘回数の回転率を上げようと躍起になり、結果として調子を崩して順位を落としてしまったのは一度や二度ではない。
そういった長い時間をかけて積み重ねた経験が、クルスを形作っているのだった。
「……あんま褒められたことじゃないよなあ」
ブラントと相対してからのことを思い出して、クルスは自責の念を感じた。
事情はどうあれ、短絡的に行動してしまったのは問題だろう。
しかも。形としては現役軍人が一般市民に暴行を加えたことになるのである。クルスにとってはブラントは少女に暴行を加えた犯罪者の括りだが、海上都市において軍用基準性能調整個体に手を出したことに対する罰則は存在しない。
加えて、相手が悪人ならば暴力を奮っても良いと開き直れるほど擦れた性格もしてはいなかった。
「クルス少尉」
「ん?」
セーラに名前を呼ばれて、首を傾げた。
見やると金髪の少女は何か自分の言葉を探すように暫し沈黙した後に、そっとその桜色の唇を小さく動かした。
「あなたは、それでいいと思います」
「……?」
一体どういうことだとクルスは疑問を浮かべたが、少しして気がつく。
もしかして自分は慰められているのだろうか。
「あ、うん。……ありがとう?」
いまいち確信が持てないままクルスが取りあえずそう言うと、少女は本当に小さくだが頷いて見せた。恐らく、間違ってはいなかったのだろう。
クルスはそう自分を納得させて、それからようやく、視界の端に移っていた少女に意識を向けた。
「……ええと、ソフィアだったよな? ずっとそのままの体勢だったけど、どこか痛めたのか?」
視界に移るのは金髪赤眼。
セーラと同じ身体的特長に、同じ顔立ちを持つ、まだ幼さを感じさせる少女。
改めて見るも瓜二つ。同じ遺伝子情報から生み出されたであろう彼女は、今クルスの横に立つ少女と比べても殆ど差異が内容に感じられる。
唯一腰まで伸びた長い髪が最大の違いで、それがなかった場合クルスも見間違えていたかもしれない。それほどに両者は似通っていた。
ブラントに蹴り倒されたままの体勢でいた少女はクルスの顔を見やると、その硝子玉のような瞳に何も写さないまま訊ね返してきた。
「もう起き上がってもよかったのでしょうか?」
「は?」
一体何を言っているかと、クルスは呆然とする。
それを見て説明が足りなかったと考えたのか、ソフィアは補足を付け加えてきた。
「前管理代行者より許可無く行動するなと命じられていますので」
「あ、あんのやろう……!」
事態を理解してクルスは思わず拳を握りしめた。
前管理代行者とは、間違いなくあの粗暴な男のことだろう。
道具扱いしていたことは理解していたが、まさか立ち上がることにすら許可を必要とするような扱いをしていたとは思っていなかった。
もう二、三発は殴っておくべきだったと、クルスはブラントが去って行った扉を睨みつける。
そんなクルスに対して何を思うわけでもなく待機していたソフィアだったが、続くテクスの言葉であっさりとその場から立ち上がった。
「構わんよ、0188。起き上がりなさい」
「はい」
ソフィアが姿勢を正すのを見届けてから、テクスは説明を始める。
「話が遅れたな。これは製造番号0188。名をソフィア=シーフィールドという。見て分かるとおり軍用基準性能調整個体だが、君の良く知るセーラ=シーフィールドと同じ遺伝子情報を持ち、感情発現のデータを得るために調整された二・五世代型だ」
クルスは大凡の見当はついていたので、そのことに驚くことはなかった。
それよりも気になるのは、そのソフィアが自分に一体どう関係してくるのかということだ。この少女があの男から離されたのはクードにとって喜ばしい事柄だったが、テクスは実験のためならば軍用基準性能調整個体などどうなっても構わないと話す人間である。なんの理由も無くブラントの元から彼女を引き出し、クルスに紹介するなどとは思えなかった。
実際その通りだった。
テクスは何食わぬ顔で当たり前のようにその言葉を口にする。
「さて君には実験に協力して貰うために来て貰ったわけだが……0188。現時点より君の管理代行者はクルス少尉だ。以降は彼の管理下で命令に従うように」
「はい、わかりました」
「ああ、なるほどな。それなら確かに………………ん?」
つい頷きかけてから暫く、クルスは何を言われたのかよく分からなかった。
一度二度と頭の中で言われた言葉が反響して、背後からどことなく冷気を伴った恐い気配を感じ取ってようやく脳がその中身を受け付けた。
そうして、顔を引き攣らせる。
「ちょっと待て! なにがどうしてそんなことになった!?」
本気で意味が分からないと、クルスは真意を問う。
対してテクスは合成味覚煙草を口に咥えてゆらゆらと揺らしながら、くっと口の端を持ち上げた。
「なに、別に大した問題は無いだろう。0188――ソフィアはセーラと全く同じ遺伝子の組み合わせによって生み出され、基礎育成段階に於いては殆ど同じ内容の教育を施されてきた姉妹型だ。君は独立都市で彼女と過ごしていたように、それと同じ事を海上都市でしてくれればそれで良い」
「同じ事……」
何となく、嫌なものを感じ取ってクルスは後退った。
「期限はまあ、充分なデータ採取が終わるまでとしておこうか。君は個体識別番号0188、ソフィア=シーフィールドと一緒に生活をしてくれれば、それでよろしい」
「なんでそんな必要が……」
「再現実験というやつだよ。なんども言うとおりセーラ……やはり名前で呼ぶのは慣れんな。0189は極めて貴重な状態にある。出来る限り同様の環境に置くことによって同じ現象が再現出来るのか、違いが出るとしたらどう違うのか、それを確かめたいのだ」
「いやでも、だからって……」
軍用基準性能調整個体だろうがなんだろうが、クルスにとってはソフィアは年齢の近い異性である。出会ったばかりのそんな相手と共同生活をするなんて、そんな馬鹿げたことなんかあって良いわけが――………、
「……あれ?」
そこまで考えてみて、クルスは別にいけるのではないだろうかという気がしてきてしまった。
そもそもクルスが独立都市に来たばかりの頃はまだろくに状況も理解して折らず、さらにはまじめに任務をこなさない不良軍人と、無口無愛想無表情の三拍子が揃ったセーラとの共同生活である。シーモスは酒缶を散らかすし、セーラは裸で彷徨くし、更には何故か監視される立場であったクルスが晩飯の献立まで考えさせられる環境だったのだ。
それと比べれば、今回はましな方ではないだろうか。
海上都市に来たばかりとは言えクルスは今の生活には随分と慣れているし、周囲に目を向ける余裕もある。監視もされていない。
「博士、私は――」
「0189。君はまだここに残って調整だ。取りたいデータもまだまだ大量にあるのでな」
「……」
テクスのにべもない言葉にセーラはただ黙った。
もしこの時クルスがセーラに注意を払っていれば、その少女が不機嫌そうに顔を顰めるという貴重な瞬間を見ることが出来ていただろう。
だがクルスは事態を把握するのに必死でそんな余裕がなく、テクスは軍用基準性能調整個体の無表情から感情を読み取れるような人物ではなかった。
「……拒否権は」
流されそうになっていると自覚したクルスが一縷の望みを込めて訊ねるが、テクスはそれは鼻で笑った。
「ソピア中将からも正式な許可を貰っている命令だと、そう言ってほしいかね?」
「ですよねー……」
分かりきっていたその返答にクルスは目を泳がせながら、もう一人の当事者であるソフィアを見た。
長く美しい金糸の髪を持つ少女はなにも感じさせない緋色の目でクルスを見た後に、小さく頭を下げる。
「よろしくお願いします、クルス少尉」
つまりは、そういことらしい。
そういうことだった。
更新遅れて申し訳ありません。
感想の返信などは少し後になると思います。




