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プラウファラウド  作者: ドアノブ
八話 惑う心の在処
87/93

邂逅

 海上都市西南区海浜高台。

 人間という生物が正常な機能を保って生きていくにはその生活環境に一定の自然環境が存在することが望ましいという学説に基づいて用意された、海上都市第八区域に生み出された人工丘である。

 多人数の行き来を前提としてデザインされたその高台には整地された遊山道以外にもその(ふもと)に人工白浜が設けられ、山道の途中から直接向かうことが出来る設計になっている。

 海に浮かぶ人工島の中に作られた人工浜辺と聞くと馬鹿馬鹿しくも思えるが、度重なる戦争によって被害は積み重なり、大海の汚染も深刻なものになりつつある。人工浜でも生み出さなければ、裸体に近い格好で安全に遊べる海域など世界的に見て極僅かでしかないのだ。

 ここの人工白浜は海上都市でも複数在る人工浜の中でも最も美しいことで知られている。人為的に整理された水底には色鮮やかな珊瑚や水草が神秘的な空間を演出し、その中を美しい艶やかな魚達が踊るように擦り抜けていく。

 現代では失われた旧時代の光景を再現したここの人工白浜は、他所と比べて極端に生物学が発展した海上都市ならではの光景だと言えるだろう。

 海上都市を取り扱う旅行誌や観光ガイド資料には必ずと言っていい程に紹介される、名所だ。


 だが大勢の民衆に支持されるからといって、それが万人に当て嵌まるわけではない。例えどれだけその代物が素晴らしいものだったとしても、価値を見出さない者はいる。 

 ましてやそれが戦うために生み出された軍用基準性能調整個体(ミルスペックチャイルド)となれば、尚更だ。そこに多くの人が見惚れるような美しい白浜があると知っていても、金髪赤眼の少女――セーラが海辺で水遊びを始めることなどない。



 透過性光発電パネルを通して降り注ぐ白い光が緑を照らしている。

 本来赤道に近い場所に位置する海上都市は暴力的な日射に襲われて然るべきだが、環境の完全制御を実現し、常に内部温度を管理している海上都市ではそれは有り得ないことだ。


 セーラはゆっくりと進めていた足を止めて、その赤い双眸でゆっくりと周囲を見渡した。

 歩きやすいよう整地された遊歩道に沿うようにして幾つもの樹林が植えられており、環境破壊が進んだ現代では貴重になりつつある緑豊かな空間が演出されている。高台の中腹に設けられた展望台からは、海上都市を取り囲む蒼海が一望出来るように整えられている。 

 ここは都市内では比較的有名なデートスポットなのだろう。

 行き交う人々には老人や一人歩きをしている姿もあったが――その多くは年の近い男女の組み合わせであった。麓の白浜から来たのか、或いはこれから向かうのか。水着の上に薄着を羽織っただけの者達も幾人か見受けられる。

 小さく揺れる木々の微風を感じ取りながら、セーラは特別な意味もなくその光景を眺める。

 ――見る。

 その行動そのものに意味はない。だが行動に明確な理由がなくとも、見ていれば後から付随して思うこともある。


 赤い瞳の視界に映る男女達。

 その殆どは仲睦まじい様子を見せている。

 セーラが無意識のうちに注目していたのは、その者達の少なくない人数が手を繋いだり腕を組んだり等の肉体的接触を行っていることだった。

 肉体に触れるということは、相手の存在を近くで感じるということである。

 だが相手の存在を感じ取るだけならば、視界で捉えておけばいいだけだ。人間が手に入れる情報の八割は視界によって得るものなのだから、何も直接的に触れ合う必要など無い。

 だがもし、そういった合理的思考を捨て去ってまで相手の体温を感じたいと思ったのならば――果たしてそれは、どういった理由に基づくものなのだろうか。


「――何か興味を引くものがあったか、0189」


 セーラがいつものように無表情のまま棒立ちしていると――別に意識しているわけではなく、それが自然体なのだ――横合いから声がかかった。

 首を向ければそこにいるのは若いと言える顔立ちをした男がいる。だがそれは老化防止技術を駆使して保っている仮初めの容姿だ。彼の実年齢は既に四十を超えている。生活に余裕がある海上都市では老化防止技術の普及も他所より進んでいるため、見た目から年齢を推し量るのはあまり意味がない。

 男の名はクレイス=シーサー。

 人工生命研究所で軍用基準性能調整個体を生業にしている研究者の一人だった。


「いえ、別に」


 訊ねられた質問にセーラはそう呟いて小さく首を振ったのだが――余人にはその動作があまりにも小さすぎたためか、クレイスは気がつかなかったようだった。

 少女の薄い唇の隙間から漏れ出た声だけを拾って、研究者は顔を顰める。


「そうか。だが思った事はちゃんと口に出せ。お前のメンタルマップは常に記録されているとはいえ、これでは私がいる意味がない」

「すみません」

「……ふん」


 セーラの謝罪に何の価値も見出さずに、クレイスはつまらなそうに鼻を鳴らす。


「……無口無表情がお前が獲得した個性とはいえ、まともな会話もままならないとはな。これでは試験体としては不適合だ。データで観測していなければ、お前に感情が芽生えているなどとは信じられん」


 二・五世代型軍用基準性能調整個体に区分されているセーラは、感情発露の経過観察を行うために調整された実験個体である。セーラ以外にも二・五世代型の軍用基準性能調整個体は幾体も用意されていたが、実際に感情の発現を観測出来たのはセーラが初であった。


 それを知った海上都市の技術者達が、破損した腕の修復を名目に独立都市アルタスからセーラを呼び寄せたのが二週間ほど前。

 以来セーラは海上都市にある人工生命研究所で寝泊まりをしながら、データ収集のための実験を繰り返している。

 今、こうしてセーラとクレイスが西南海浜高台の遊歩道を連れたって歩いているのも、その一環であった。決して両者の親睦を深めるためなどではない。

 セーラという個体が経験を蓄積した結果どのような思考と個性を形成しているのかを知るために行われている、実験に過ぎない。


 もっとも、その実験経過もあまり好調とはいえない。

 セーラの内側に感情に近いものが存在していることは機器によって観測されているのだが、あまりにもそれが外側から分かり辛い。話しかけても返ってくるのは一言二言、端的な言葉のみ。

 軍用基準性能調整個体としては正しい在り方かもしれないが、データ採取用の実験個体としてみた場合、それは悪癖でしかない。

 セーラが到着直後は興奮した様子で代わる代わるに白衣を着た研究者が顔を見せていたが、感情を廃した二世代型と対して変わらない反応しかしないセーラに彼等は次第に飽きていき――今では、持ち回りになっているセーラとの交流係は半ば罰ゲーム扱いになっていた。


「全く、代わりがいればすぐにでも廃棄にしてやるものを…………」


 うんざりとした様子を臆面なく見せているクレイスも例外ではない。

 彼の目的は特定の状況下においてセーラがどのような反応を見せるのか、その会話パターンの採集である。そのために慣れ親しんだ研究所を出て、こんな人工丘にまでやって来たのだ。

 これでクレイスの横にいる軍用基準性能調整個体が豊かな自然に興味でも示したりしてくれば苦労の甲斐もあったのだろうが――生憎と、セーラはこれまでにそのような素振りを見せてはいない。


「……交換した腕の調子はどうなんだ?」


 芳しい反応が得られなかったからだろう。

 クレイスはどうやら高台に関連する話題を諦めたらしい。その代わりにセーラが海上都市にやって来ている名目にもなっている、腕の話題を振ってきた。


「同じ細胞組織を利用して生み出したものだ。拒絶反応など起こるはずも無いが……馴染むのにも時間がかかるだろう」


 そう問われて、セーラは初めてクレイスにも分かるくらいに反応をして見せた。ゆっくりと視線を動かして、自分の右腕を見た。

 セーラはシンゴラレ部隊の一員として挑んだ前回の任務で、搭乗機を大破という被害を受けた。万能人型戦闘機が破壊された大抵の場合、それはそのまま搭乗者の棺桶となる。

 セーラは幸いにして一命を取り留めて救出されたが、右腕を肘上から潰されるという大怪我を負ったのだった。


 だが、今現在セーラの右腕は存在している。

 軍用基準性能調整個体。戦うために生み出されたというのは決して伊達ではない。人工筋肉や特殊骨格に換装されたセーラの身体は一種のモジュール構造になっており、欠損部位を予備として培養されている生体部品と交換することで極短時間での復帰を可能としているのだ。

 

 とはいえ何から何まですぐに元通りとは言わない。

 身体の成長に合わせて調整されたその新たな腕肢は、僅か三日前につけられたばかりのものだ。まだ完全に馴染んでるとは言えず、動かすと中で糸が張っているような些細な阻害を感じる。

 確かに存在する違和感。

 しかし、セーラがこの時に感じていた違和感の正体はそれではなかった。


 ――傷一つない、まっさらな手。

 ――まだ人を殺したことのない、綺麗な手。


 血の色も知らない代物が自分の身体の一部として存在していることに、拭いきれぬ違和感を覚えたのだ。もちろん、そんなものは錯覚――ただの思い違いだということはセーラも承知している。

 軍用基準性能調整個体は何の道具を用いらなくとも、身体一つ、たったそれだけで兵器と呼べるに値する性能を持つ。

 人為的に生み出された高性能繊維を用いた人工筋肉と特殊合金製の骨格は常人では有り得ない膂力を発揮し、比喩無しに人体を引き千切ることも可能な凶器なのだ。

 この身が軍用基準性能調整個体である以上、まっさらなどと言い表せるような部位は存在しない。戦うために生み出され、そして実際にシンゴラレ部隊の一員として戦場を経験してきたセーラの身には血と怨嗟の匂いが染みついている。身体のほんの一部分が新調されたところで、その存在の本質は変わりようもない。


 だが、セーラは自分の中に芽生えている変化を確かに感じ取っていた。

 少し前の自分ならば、そもこんなことは考えなかったはずだ。

 軍用基準性能調整個体の部位交換など、機械が壊れた部品を取り替えるのと変わりはしない。感覚が馴染むまで習熟訓練を行い、それで何も思うことなく終わりだっただろう。


 量産され海上都市で実戦運用されている二世代型軍用基準性能調整個体とは違い、感情の発露及びその後の経過観測を目的とした実験体。

 なるほど、これも感情かと理解する。

 感情という曖昧不確かなものが自分の中に芽生えていることを、セーラははっきりと自覚していた。


 そういう意味では、自分の内を把握し思考する現状のセーラは、実験体として正しく己の領分を全うしているといえるだろう。――だが、自ら疑問を覚え模索することを始めた少女の思考はそこでは決して止まらなかった。与えられたことだけを達成して停滞する段階は、極自然と過ぎ去っていた。


 疑問。

 感情の発露、そしてその観測が二・五世代型であるセーラの生み出された理由だというのならば――その目的を達成した後の自分には、どんな意味が残されているのだろうか。


「どうした? なにか思うところがあるのか」

「……――いえ、問題ありません。確かに右腕にはまだ違和感がありますが、誤差範囲内です。時間が解決します」

「なるほど、つまらん返答だ」


 何度目かになる溜息を漏らすクランスであったが、それに対してセーラは特に何も思わない。男のそんな反応を目にしても、胸の内は少しも揺らぎはしない。セーラにとってクランスという名の研究員はただ知っているだけの、著しく優先度の低い存在でしかないのだから。


 そうしてからふと、一人の少年の姿が脳裏に思い浮かんだ。

 独立都市や海上都市ではあまり目にしない黒髪。

 具体的な理由は無い。だが、セーラは無性にその姿を見たくなった。かつて幾度か触れたことのある体温、その時に伝わってきた温もりを思い出して、セーラは小さく身体を震わせた。


 会って、訊ねたい。

 自分の中にあるこの気持ちが感情というものならば。

 今胸内に燻っているこれは、果たして何という名の感情なのか。


 友愛、親愛、恋愛、興奮、羨望、憧れ、憧憬、絶望、敵意、憤怒、侮蔑、憎悪、恐怖、嫌悪、軽蔑、嫉妬、焦燥、悲哀、諦観、空虚――……


 果たして、自分が今抱いているこれを言い表すのは何が相応しい。


「――0189、時間だ」


 思考の中を彷徨う意識をゆっくりと浮上させる。

 呼び声に応えて視線を向ければ、クランスは連絡用の携帯端末を片手にしていた。


「連絡があった。独立都市からの協力者が来たそうだ」

「協力者? 事前の報告にはありませんでしたが」


 セーラは訊ね返す。

 海上都市に於いて軍用基準性能調整個体の扱いは危険な道具扱いであり、その待遇は良いとは言えない。恐らく報告も後回しにされたか、或いは元から伝えるつもりはなかったのだろう。

 クランスは当然のように悪びれた様子も見せずに言う。


「そうだったか? お前が独立都市で所属していた部隊の人間だよ。名前はクルス=フィアと言ったか」

「――」


 セーラにしては珍しく、驚きに僅かに双眸を大きくなる。

 といってもそれを傍目で見て気がつけた人間はいないだろう。彼女の表情の変化はそのどれもがそよ風のように静かで察知しづらく、余人の目にとっては普段と変わらぬ無表情にしか映らない。


「――クルス少尉が来ているのですか?」


 事実、クランスはセーラの僅かな変化には気づけなかったようだった。


「ああ。現在彼はアーマメント社の新型機開発の協力者として海上都市に来ているが、それと並行してこちらの実験にも協力して貰うことになっている」

「そう、ですか」

「そうだ。よって現時点でケース8におけるメンタルデータサンプルの採取を終了とする。研究所に戻るぞ」


 そう言い切って、セーラがどのような返事をするかも確認することなくクランスは踵を返した。ようやく面倒事が終わったかと、その背中が鮮明に物語っている。


「クルス少尉が……」


 木漏れ日が洩れる遊山道の中、セーラも少し遅れて後に続く。

 その足取りが幾分軽くなっていたように見えたことには、クランスも、そしてセーラ自身も気がつくことはなかった。




***




 頭だけで知っていることと、実際に目で見てみることでは、認識に大きな隔たりが発生する。

 クルスは喉元を軽く締められているような錯覚を覚えた。

 同一の遺伝子によって生み出された存在が何十と存在し、一つの空間で活動している。同じ顔の人物が視界の中に複数並んでいるという通常では有り得ない光景に対して、心理的な抵抗を感じてしまうのだ。


「どうだ。中々に壮観だろう」


 まるで手元にあった玩具を見せびらかすかのような雰囲気を醸しながら、テクスが言った。そこに特別な感慨のようなものは一切無い。

 白衣を着たこの老人は、人工生命研究所で軍用基準性能調整個体を専門にしている研究者である。彼にとっては目の前の光景など見慣れたものでしかなかった。


「軍用基準性能調整個体と一括りにしても、当然用途や目的によって求められる性能は違ってくるのでね。不本意ではあるがある程度は細分化せざるを得ない。現状で軍用基準性能調整個体の遺伝子型は雄型四種類、雌型三種類。ここにいるのはタイプ・シーフィールド。軍用基準性能調整個体の中でも最も基礎性能を高め、万能性を重視した第二世代型だ」


 隣から聞こえてくるテクスの声は確かに聞こえていたが、正確に把握出来た自信は無かった。熱に(うな)されている時のような白い目眩を覚える。クルスは、目の前にある空間を脳が拒否しているのを感じていた。

 同じ髪、同じ瞳、同じ顎、同じ身長、同じ手足。

 無数のそれらを一つの視界に納めるというのは、余りにも拒否感のある光景だった。それも受付にいたような無機質で構成された自動型擬人機械(サイバロイド)ではない。目の前の者達は生身の身体を持った人間なのだ。

 

「いくら同一遺伝子だからって、ここまで一緒になるものなのか……?」


 クルスがぽつりと漏らしたそれは、自然と出た疑問だった。

 一卵性の双子は自然界にも存在する現象ではあるが、それとて生まれてきた双子の容姿は全く同じとはいかない。

 日常の姿勢、使う筋肉、食物摂取、体幹の癖――仮に同一遺伝子を持つ双子であろうとも、通常はそういった後天的な要因によって成長の仕方に差異が発生し始める。そしてその差異は歳を重ねる毎に顕著になっていくものだ。どれだけ似た双子であろうとも、成人になる頃にはよく似た別人になるのが自然だ。


 だが、この空間にいる軍用基準性能調整個体は誰もが鏡に映したかのような瓜二つの状態だった。

 確かに彼女らの年齢は成人には及ばない。だがそのことを差し引いたとしても、あまりにも似すぎている。仮に食事と生活規則を徹底管理して限りなく差異を縮めたとしても、ここまで同じような存在にはならないだろう。

 その疑問の答えを口にしたのは、やはり隣にいる白衣の老人だった。


「当然だろう。軍用品の規格統一は基本だ。ここにいる個体達は既に筋肉も骨格も強靱な人工代替物へと換装済み。その際に個体毎に発生していた細かな成長差異は調整してある」


 その内容にクルスは唖然とした。

 二世代型とテクスは言った。つまり目の前にいる軍用基準性能調整個体達は限りなく個を薄められ、均一化を施された存在ということだ。

 だが、だからといって、ここまで徹底する必要があるのだろうか。

 規格を共通にすることによって発生する利便性は理解出来たが、そもそも軍用基準性能調整個体を兵器として見ることに激しい抵抗のあるクルスにとっては納得出来る話ではない。

 だが例えそう感じたとしても――今のクルスに出来ることなど何も無い。

 軍用基準性能調整個体の運用形態は、海上都市では既に出来上がってしまった仕組みなのだ。ここでクルスが憤ってどれだけ倫理観と人道を説こうとも、何も変わりはしない。仮にテクスがそれで心変わりしたとしても意味は無いだろう。

 この争いに塗れた世界で安定した構造を維持する海上都市のシステムが、一人の人間の声で崩れるほど脆弱なものとは思えなかった。

 そして何よりも――心の何処かで、普通に生まれ育った人間よりも軍用基準性能調整個体を用いることに一定の理解を示す自分がいることにクルスは気がついていた。



『多くの人に愛されて育った人間を戦場に送って殺し殺され、戦わせるよりも、誰にも祝福されずに生まれた軍用基準性能調整個体の方を代替品として戦わせた方が、よっぽど不幸になる人間が少なくてすむではないか』



 先程のテクスの言葉がクルスの中で反響する。

 人為的に作られた命と、愛されて育ってきた命。

 そのどちらが戦場に立つのに相応しいのか。

 極論で言ってしまえば――どちらが失われても問題無い命なのか。


「……くそ」


 結局クルスは相反する価値観の狭間で揺れながら、行き場の無い拳を握りしめたまま口を結ぶことしか出来なかった。

 もう帰りたいと考えるのは、果たしてこれで何度目だっただろうか。その思考はただの逃避でしかないのだが、そう思わずにはいられなかった。


 その様子をテクスが愉快そうに眺めていることに気がついて、内心で「このじじい」と毒づく。

 そのままクルスにとってはなんとも居心地の悪い沈黙が続くかと思われたのが――実際には、そうはならなかった。

 まるで顔を見せる機会を待っていたかのようなタイミングで、クルス達の背後の扉が開く。小さな音と共に自動で開かれた昇降機の中から姿を現したのは、二人の男女である。

 首だけで振り返ったテクスは、現れた人物を見て少し驚いたように声を漏らした。


「おお、ブラント君か」

「や、どうも博士」


 一人はラフな格好をした大人の男だった。

 剃り残しのある頬髭であったり、乱れた着こなしであったり――クルスは失礼と思いながらも、その男に対してどことなく不精者の印象を持つ。口振りからしてテクスの顔見知りのようだが、服装は極めて一般的なものだ。白衣ではない。

 そしてそんな男の後ろに付き従うようにしてもう一人、少女が佇んでいる。

 人形の様に整った顔立ちと、赤い瞳に金の髪。

 それらの要素を見てしまえば、彼女が軍用基準性能調整個体であることは疑いようがない。

 少女の背丈や顔立ちはやはり他の軍用基準性能調整個体と同じくセーラと重ね合わせても問題なさそうなほどに酷似していたが――だがしかし、これまでとは違う相違点があった。――つまりは、艶のある金髪が腰程まで長く伸びていたのである。


「あーあ、こっちは早く帰りたいっていうのにこんな所まで来させられてよ……へ、相も変わらず気持ち悪いところだな。目に毒だ。勘弁して欲しいぜ、全く」


 ブラントと呼ばれた男はゆっくりと辺りを見渡して「うへぇ」と悪態をつく。

 この階層には同じ顔をした軍用基準性能調整個体達が幾人も存在しているのだ。鏡を見るわけでもなく、同じ顔をした人物が表情を変えぬまま生活している光景は、確かに不気味に映る。それはクルスも同じことだ。

 だがそれを隠すことなく当人達の目の前で口にしていることに、クルスは憮然としたものを感じてしまう。


「うむ、もうこんな時間だったか。君がここに来たということは、定期報告は終えてきたということかね?」

「まあ、そういうことです。……ただ以前から言ってますがね、わざわざ俺が直接言いにくる必要なんてないんじゃないですか? 報告と言ったところで、これに変化なんてありゃしないし、時間の無駄でしか無いですよ」

「まあそう言ってくれるな。報酬は相応以上に払っているだろう」

「そりゃそうだけどね」


 双方の会話から察するに、ブラントという男はここで働く研究員というわけでもなさそうだった。暫く様子を窺っていたクルスは多少迷った後に、二人の会話に言葉を挟んだ。


「テクス博士。その方は?」

「うむ……、まあ君にも全く無関係という訳でもなし、一応紹介しておくとするかの。彼はブラント=マーチス。二・五世代軍用基準性能調整個体のモニターとして実験に参加して貰っている、一般市民からの協力者だ」

「一般からのモニター……?」


 テクスの説明にクルスは渋面を浮かべた。

 軍用基準性能調整個体は戦うための存在だと、テクスから散々説明を受けたばかりだ。モニターと言ったところで、一般市民が一体何をするというのだろうか。

 だが怪訝に思ったのはクルスだけではなかったらしい。


「子供……? なんでこんな場所に子供がいるんだ」


 ブラントもまた訝しげな表情を作る。

 彼からしてみれば、軍用基準性能調整個体でもない子供がここにいることに疑問を覚えたのだろう。一応、クルスは今もアルタス対外機構軍の制服を身に纏ってはいるのだが、服に着せられてる感は否めない。


「独立都市アルタス対外機構軍西方基地所より派遣されてきました、クルス=フィア少尉です」


 浮かび上がるひとまずの疑問を置いておいて、クルスはブラントと向き合った。タマル曰くいつまでたっても様にならない敬礼動作だが、それを目にしたブラントは少し驚いたように目を丸くした。


「へえ、独立都市の……。そんななりしてあんた、軍人さんかい。まあ……、今時見た目じゃ年齢は計れねえからな。その分だと、相当注ぎ込んでるんだろう?」


 そう言ってにぃと口の端を歪めるブラントに、クルスは表情に出さずに何のことかと考えてみて、すぐにその答えに思い当たった。

 恐らくブラントは、クルスを見た目通りの年齢ではないと考えたのだろう。

 体内注入型のナノマシンや軍用基準性能調整個体などを初めとして、人体と機会の融和技術が発達したこの世界では、医療と同時に老化防止技術もかなり進んでいる。今朝方のアモンの話では理論上二百年以上は生きられるという話であったし、どうやらクルスもそういった類いだと思われたようだった。

 まあ、子供と考えるよりはそう考える方が正常なのだろう。

 見た目通りの年齢だと知れて変に話題が拗れるのも面倒であったし、クルスは相手の勘違いを正すことはしないよう決めた。  


「しかし、あんたも軍人さん。こんなところに用事だとは、大変だねえ」

「……?」


 そんなことをクルスが考えていると、ブラントは頬を歪ませながら言った。

 今度は考えても何のことか分からずに首を捻ると、それを見たブラントが大袈裟な仕草で方を竦めて見せる。


「なあに、別に俺は上司じゃねえんだ。いちいち隠すことはねえって。仕事とはいえ、こんな不気味な人形共と何かしなきゃいかんとは、あんたもいい加減うんざりしてるんじゃないのか?」

「いえ、別にそんなことはありませんよ」

「ふうん、まじめだねえ……。それともあれか。博士を通じてあんたの上司にでも報告が行っちまうのかい?」


 ブラントはどうやら最初から答えを決めつけているようで、クルスの言葉を素直に信じるつもりは無いようであった

 そうして短く言葉を交わしながら、クルスはこの男とはあまり長く話していたくはないなと思う。

 性格の不一致、認識の違い、相性が悪い。

 それを言い表す言葉は何でも良いのだが、要するにこのブラントという男と自分は『合わない』のだろうということを、この出会ってからの短時間でクルスは感覚で察していた。

 だがそう考えたのはクルスだけのようだ。

 余程他人に対して鈍感なのか、或いは気がついていてなおもそうしているのか。ブラントは口の端を不気味に歪めて話し続ける。


「これでも俺は一年以上この人形と暮らしてるんだ。こいつらとの付き合いが嫌になるって気持ちはよおく分かってるんだぜ」

「……一年以上、ですか」


 それはつまり、最低でも自分とセーラが知り合ってからと同等の時間を関わってきたということだった。だが例え同じ時間を過ごしてきても、クルスとブラントでは軍用基準性能調整個体に対する印象が全く違っているらしい。

 彼の言葉の端々からは、少女達を自分と同列の存在として扱っていないということが明け透けに出てきている。


「こいつらときたら、頭は悪いしいちいち言わなきゃろくに動かないしで、本当に面倒だからな。誰だって報酬が良くなきゃこんな仕事やるわけが無いぜ。でなければ、誰が好き好んでこんなものなんかと」


 そう言って、ブラントは後ろに佇む長髪の少女へと親指を向ける。

 やはりこの男もテクス同様に軍用基準性能調整個体を一つの命として扱ってなどいない。でなければ、本人を前にしてこうまでも勝手な物言いは出来まい。


 指差された軍用基準性能調整個体の少女は何を言われているのか理解していないわけではないだろうが、それでも表情一つ変えることないまま音を立てずに佇んでいる。クルスの同僚である少女がそうであったように、周囲からの関心というものが極端に薄いのだろう。

 その事実は少なからずクルスを苛立たせた。


「それだけ、なんですか?」

「あん?」

「あなたは一年以上、その軍用基準性能調整個体と一緒に暮らしたんだろう? なのに、思ったことはそれだけなのか?」


 自然と口調に棘が混じってしまう。

 研究者という立場の人間ですらなく、一般的な市民ですら彼女たちを人間として見ていないその態度に、クルスは嫌悪感を押さえきれなかった。


 クルスにとって軍用基準性能調整個体と言われて思い浮かぶのはセーラだ。

 セーラは確かに感情の起伏が薄く無表情で色々と分かり辛いところがあるが、決して何も感じていないわけではない。クルスにとってセーラは短くない時間を同じ部隊で過ごしてきた同僚だった。


「少なくとも俺の知る軍用基準性能調整個体は人形なんかじゃなかった。周囲からは分かり辛いだけで、食べ物にも好き嫌いもあるただの人間だったぜ」


 過去にあった金髪の少女とのやり取りを思い出しながら、はっきりと言い切る。「ほう」と感嘆が混じったような声を漏らしたのは、テクスだ。クルスの発言の何かしらが彼の琴線に触れたらしい。

 対して、ブラントの反応は劇的だった。

 最初は何を言われたのか分からないという風に目を丸くしていたブラントであったが、それも暫くの事。


「く……くくくっ」


 押し殺すような笑い声がクルスの耳に届く。

 そして最初は掠れるような音だったそれも、時間が経つにつれて次第に抑えが効かなくなっていく。


「おいおい……おいおいおいおいっ! 軍人さんよ! こいつらは軍用基準性能調整個体だぞ! そ、それが生きてる!? 意思がある!? ははははっ、最高の冗談だぜそれはよぅ!」


 嘲りの混じった笑い声が界全体に響き渡る。 


「いいか、こいつらは人間様に使われる便利な道具なんだよ。あんた、軍人なんだろう? 前線には出てるのか? もしかして、人の殺しすぎで頭がイッちまってるんじゃないのかい?」


 その杜撰な物言いにクルスは表情を歪めた。

 その反応がブラントにとっては愉快だったのだろう。にいっと口の端を不気味に釣り上げると、後ろへ身体の向きを変えた。

 そしてブラントと共に現れその背後に控えていた、長い髪を持つ軍用基準性能調整個体の方へと近寄る。


「見てろよ! こんなことしたって何も言わないのがこいつらだ! 人形だ! 機械と変わらないんだよ!」


 何をするつもりだとクルスが疑問に思ったのも束の間――ブラントが、脚を振り抜く。その標的は言うまでもなく、ブラントの目の前にいた少女である。

 成人男性の太い脚は容赦なく小柄な胴体にめり込んで、その全身を吹き飛ばした。勢いのまま叩きつけられた長い髪の少女は受け身を取ることもなく、固い床の上を転がる。


「こんなにされても文句一つ言わねえ! これが人形じゃなくてなんだっていうんだ、なあ!?」


 クルスは一瞬何が起こったのか分からなかった。

 耳に聞こえてくる音はただの雑音にしかならない。

 ただ床に伏せたまま口を小さく開いて身体を曲げる少女の姿を見て、その姿が――片腕を失ってしまった自分の知る少女と重なった。

 視界が真っ白になる。

 自分の思考の中に、僅かな空白が生じた。


 そして。



「――……え?」



 瞬きをした。

 気がつくと、クルスの目の前でブラントという名の男が尻餅をついている。

 鼻と口の端からはぼたぼたと赤い液体を流していて、重力に従って垂れ落ちたそれが雫となって床を塗らしていた。


「て、てんめえ……! なにしやがる!?」


 獣の唸り声のような声。その濁った目には黒々とした憎悪の光が宿っていて、クルスを真っ直ぐと睨みつけてきている。

 視界の端ではテクスが「ほほぅ」と興味深そうに声を漏らしている。一体何がそんなに彼の興味を引いたのだろうか。


「――ああ」


 自分の右手が握り拳を作っていることに気がついて、そこでようやくクルスは事態を理解した。折り曲げた指の関節から、じんじんとした熱い感触が伝わってくる。こびりついている液体は、血だ。

 自分が、目の前の男を殴りつけたのだ。


 きっと、躊躇いは無かった。

 戦争という状況に慣れてしまった結果、人を傷つけることに引け目を感じなくなっていたわけではない。ただ理性を超えるほどに、目の前が真っ白になったと錯覚するほどに、鮮烈な怒りを覚えたのだ。

 軍用基準性能調整個体を道具としてしか見ていないテクスの発言も大概であったが、それはまだ言葉だけのことだった。だから内心で刺々しい感情を覚えたとしても、内側に封じ込めることが出来た。

 だが話で聞くのと、目前でその行為が行われるとでは天と地ほどの差がある。

 軍用基準性能調整個体をモノとして扱うブラントの所業を見て、クルスの限界点はあっさりと超えてしまったのだった。


「――ふっざけんなよくそ! 軍人が市民に手を出すのかあ!?」


 ブラントは理性を無くした獣のように吠えて、起き上がった。

 そして肩を怒らせながら、クルスに向かっていき躊躇なく拳を振り上げてくる。クルスは今更ながらに、この男が自分よりも一回りは大きい体格の持ち主だと気がついた。

 その顔は憤怒の色に染まっていた。ブラントにとっては、自分は理不尽な暴力を震われた被害者だ。軍人が守るべき市民に手を上げるなど、あってはならないことだった。

 故に、ブラントが拳を握って殴り返すのは正当な行為であり権利だった。勿論それはブラントの中でのみ完結した、短絡的な思考でしかない。


 だが。

 熱した血潮が全身を駆け巡っているような状態になっているブラントとは対称的に、クルスの思考は冷めていた。

 目の前に迫る直接的な暴力に対して些かも怯みはしない。

 勢いはあるが、それだけだ。

 動きは大ぶりで、軌道は単調。

 真っ直ぐに飛んでくるその拳を観察し、クルスは容易く回避出来ると判断する。どころか、そのまま流れるような仕草で逆に腕を取るところまでの一連の動作が、当然のように頭の中に浮かんできた。

 その事実にクルスは内心で驚嘆したが、もしこの場にタマルがいれば「当たり前だ」と脛を蹴ってきたことだろう。


 哨戒、スクランブルなどの通常部隊では日常的に行われている任務に加わることのないシンゴラレ部隊は、基本的に基地内待機という名の自由時間が非常に多い。シンゴラレ部隊の司令官であるソピアが必要性を認めない限りは出撃することはなく、一ヶ月以上を呑気に過ごすこともあった。

 その短くない時間の中、幾度となくタマルに扱かれてきた――無論、強制的にである――クルスは、自覚もせぬ間に一般人に後れを取るほど軟弱ではなくなっていた。その能力は最早、日本でゲームに腐心していた男子高校生の頃とは比較にならない。


 だが、実際にクルスが思い描いた未来図をなぞることはなかった。

 別にこの期に及んで暴力を振るうことに躊躇いを覚えたわけではない。

 今のクルスの思考は氷のように冷め切っていた。熱に浮かされることもなく冷静に――このブラントという男はもっと痛めつけるべきだろうと、普段の自分からは考えられないほど攻撃的な思考が浮かんでいた。

 その意に反してそうならなかったのは、その前に横から割り込んできた影がクルスにその手腕を発揮する機会を奪い去っていったからだ。


「な」


 細い、金糸のような線が視界を横切った。

 それが何なのか、その影を捉えたクルスは考えるまでも無かった。

 金の髪、赤い目、小柄な身体。

 独立都市に来て以来、もっとも同じ時間を過ごした存在だ。万能人型戦闘機が持つような複合感覚器(センサー)で精査しなくとも、見間違えるわけがない。

 思わぬ乱入者にクルスの動きが停止する。

 だが現れた影は止まらなかった。小柄な少女は機械の如き正確無比な動作でブラントの腕を絡め取って捻り上げ、次の瞬間には男を床に叩きつけていた。

 数秒前まで理性を支配していた暴力的な衝動は予期せぬ事態への驚きに塗り替えられ、クルスは大きく目を見開いた。


「――セーラ!?」


 その名を呼ぶ。

 軍用基準性能調整個体。

 それは戦うために生み出された少女との久しぶりの邂逅であった。


遅れて申し訳ありません。

更新がない間にも感想を書いてくださった読者の皆様、また厳しくも温かいメッセージを送ってくださった方々も本当にありがとうございます。


今後とも当作品をよろしくお願いします。

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