予感
そこは。
薄暗い部屋だった。
都市部郊外に存在する賃貸物件の一室。四方を自浄作用のある白い壁で囲まれたその空間は、ここ海上都市ではごくありふれたものだ。
部屋の天井に備わった電気照明は沈黙を保ち、薄汚れたカーテンの隙間から差し込む陽の光だけが室内に僅かばかりの灯りをもたらしている。
時刻は昼。
高く昇った日によって照らし出される空間は酷く退廃的なものである。
室内に置かれた物品は少ない。
足の低いテーブルに、中身の無い本棚、小型の保冷庫、折り畳み式のパイプベッド。
テーブルの上には簡易調理機に入れるだけで作ることの出来る市販の調理容器が放置されたまま積み重なっていて、閉じられたこの空間の中で異臭を放っている。
部屋の隅を見れば、うっすらと綿埃が積もっているのを発見することも出来た。人が使っていないのではなく、単純に手入れが行き届いていないのだ。
まともな感性を持つ人間ならば「汚い」と感じるであろうその部屋の主は、今は一糸纏わぬ姿でベッドの上にいた。
ブラント=ケシーという名の、海上都市の二等正規市民権を持つ男である。
都市稼働開始以来、今日に至るまで拡張工事を続けている海上都市では、短期雇用の仕事は少なくない。登録しておけば労務局が頻繁に仕事を斡旋してくれるために、滅多なことでは食うに困ることは無かった。
ブラントはこれまでにもこれといった定職を持たずに、そういった短期仕事で日々の糧を稼いで暮らしているような人間だった。
とはいえ、ここ一年ほどは正規雇用ではないもののある商品の長期モニターのようなことをしており、内容の割にやけに実入りの良いその仕事のお陰でまともな短期労働すらもした記憶は無い。
目を覚ましたブラントはカーテンの隙間から差し込む陽日に不機嫌そうに顔を顰めると、次いで手元の携帯端末で現時刻を確認し「ち」と舌打ちを漏らしてから、のっそりと冬眠明けの熊のような動作で立ち上がる。
同時に上にかかっていた薄布がゆっくりと落ちていき、ブラント以外のもう一人、同じベッドの上にいた人物の姿が明らかになった。
真っ白な肌に金糸と見紛う美しい金髪を持った少女の姿。
見た目通りならば十四、五といった年齢で、肉体は小柄で華奢。腰よりも長い金髪が彼女の白い肢体を包み込むように散らばっている。
彫刻職人に依頼して生み出されたかのようにその顔の造詣は整っており、日常では殆ど見ることの無いその赤い瞳には感情の色が一切無い、無機質な印象が含まれていた。
軍用基準性能調整個体。
それは人間では無く人形であり、ブラントがモニターを務めている『物』だった。
ベッドの上にいる少女はブラントと同様に、一切の衣服をその身に着けていない状態。横倒しになったまま身動ぎしないその姿は息をしているようにも思えず、ともすれば死んでいるようにも見える。
もっとも、それもおかしな表現だとブラントは考える。
自分の目の前にいるのは人の形をして息をしているだけの人形だ。
物は生きていないのだから、死にもしない。
幼さを色濃く残した軍用基準性能調整個体の裸体には幾つもの痣が浮かび上がっている。それは昨日の晩――時間的には今日だが――ブラントが行為の最中に刻みつけたものだった。
ブラントの手元に置かれた人形――名前はソフィア=シーフィールドというらしいが――は基本的にブラントが好きに扱って良いと、事前に依頼主からは言われている。
勿論、殺してしまったり、強盗や殺人などの犯罪行為を命令することは論外だが――そういったことをしなければ大抵の事は問題は無いそうだ。
それこそ昨晩、或いはこの一年間で何度もしてきたように、ブラントが己の情欲をぶつけたところで咎められることはない。
そしてブラントにとっては気分の良いことに、このソフィアという人形は基本的に下された命令を拒絶しない。殴ろうが痛めつけようが人形の様な無表情を貼り付けたその顔がブラントの神経を逆撫ですることもあるが、理由も無く従順なソフィアを基本的にはブラントは気に入っていた。
勿論それは人間に対して抱く好意とは全く別種の、自分に都合の良いお気に入りの道具に対するものだったが。
この仕事の目的は何なのか。
モニターの仕事を受ける際に感情云々の小難しい説明を担当者からされたのだが、ブラントはそこには大して興味を持たなかった。
彼にとって重要なことは、この見た目だけは上等な人形が自分の好き勝手にしていい玩具であり、これを置いている間は楽に暮らしていけるということだけであった。
ブラントにとって今のこのモニター仕事は最高だった。
手元に上質な玩具があり、毎月勝手に賃金が振り込まれ、こうして生活するための格安物件も紹介して貰っている。
面倒なことといえば定期的にある経過報告くらいのものだ。
電子上のやりとりだけではなく直接報告することが義務付けられているので、移動が面倒なのである。
しかも、目的地である人工生命研究所は都市中心部から離れた場所にあるために、交通機関を乗り継いでいくのもまた手間だった。
「ち」
そして今日はその定期報告の日だった。
そう頻繁にあるわけでもないのだが、今日のような日はブラントは無条件に憤り覚え、やることなすことが荒々しくなる。
現在の時間を再度見てブラントは苛立たしげに何度か舌打ちを漏らすと、ベッドに寝たきりの金髪の少女を見やった。
赤い瞳は開いているのだから寝ているわけではないのだろうが、基本的にこの人形はこちらから何か言わなければ反応しない。
「面倒くせえ」と声を漏らして、ブラントは未だにベッドの上に残る人の影に視線をやると大きく息を吸い込み、
「――さっさと起きやがれっ、クソ人形!」
未だ横たわっている少女の腹部を蹴り上げた。
「――っ」
ブラントはお世辞にも鍛えたあげられた身体を持っているとは言えなかったが、それでも成人男性の容赦ない一撃である。
小柄な少女の身体は衝撃によって僅かに浮かび上がって、そのままさして広くない室内の壁に叩き付けられる。鈍い音と共に床の上に僅かに積もった埃が舞い上がり、それがまたブラントの血管を浮き上がらせた。
「いちいち命令しなきゃ何も出来ねえのかよ、てめえは」
軍用基準性能調整個体と分類されてはいるが、ソフィアは実験用のテスト個体であり、元から都市市民に紛れて生活するように設計されている。決して戦闘用に生み出されたわけではなかった。
筋力などの最低限の強化処置はなされているが、その度合いは実戦で活躍している軍用基準性能調整個体と比べれば遙かに程度が低い。
それこそ素人のブラントの蹴りであろうとも、充分な負荷になりえるくらいには。
「――か、は……」
腹部を打ち据えられて肺の奥から息を吐き出していながら、呼吸を整えるのを待つこと無く少女はゆったりと立ち上がった。
華奢な肢体に無数の傷痕。
裸体と共に陶磁器のような白肌に浮かび上がる暴力の痕跡。
多分な幼さを含む少女はだがしかし、自身の待遇について一つの文句を口にすることもなく、ただ機械がそうするように小さく唇を開いた。
「失礼、しました」
「ちんたらすんな、飯の用意をさっさとしろ。その後は報告に行くぞ」
「はい」
ソフィアの名を持つ人形は静かに頷き、ブラントはそれが当然だという様子で舌打ちを漏らす。
真っ赤な瞳が薄暗闇の室内に浮かび上がる。
雑な作りをした硝子玉のような、無機質な色。
その金髪の少女の瞳の奥には何も写してはいないようだった。
***
海上都市二日目。
技術研究所で一夜を明かしたクルスは朝目を覚ますと、準備もそこそこに終えて職員共同用の食堂へと向かった。
与えられた室内には簡易的なキッチンもあったが、素材が無ければ流石に何も作ることは出来ない。それにここの職員用のICカード――昨日渡された――があれば格安で使うことが出来ると聞いていたので、特に利用することに抵抗はなかった。
「やあ、昨晩はちゃんと眠れたかい?」
こんな場所でもカレーはあるんだよなあとか、カレーなら取りあえず外れることは無いだろうとか――そんな安牌を取るような思考でクルスが朝食を決めて、カウンターで商品を受け取ってから適当な席に着くとほぼ同時、背後から声をかけられた。
クルスが振り向くよりも早く、一人の男が隣の席に座る。
首を動かして見やるとそこには昨日出会ったばかりの研究者である、アモンがいた。
「おはようございます、アモンさん。お陰様でよく寝られました」
「それはよかった。君は身体が資本だからね。問題があると僕も困る」
そう言うアモンの目の下には泥を塗りたくったような黒い跡がこびりついていて、瞼も随分と重そうに見える。
「アモンさんは……眠そうですね」
「うん? ……うん、まあ、そうかな。一応昨日は久しぶりに仮眠を取っているんだけどね」
「ちなみに、どれくらい?」
「……三十分かな」
「うわあ……」
現場の悲惨な現実にクルスは呻き声を漏らす。
例の機体の開発が難航していて一分一秒の時間が惜しい現状では仕方が無いのかも知れないが、身を窶して働く男の姿は悲惨の一言だった。
一週間の平均睡眠時間を聞いたりしたら酷い結果が返ってくるのかもしれない。
聞いてみたいような、聞きたくないような。
クルスの何とも言えない視線に気がついたのか、アモンは小さく眉根を動かして顔を顰めた。
「……そんなに酷い顔をしてるかい?」
「かなり」
クルスが正直に返答すると、アモンは溜息を吐く。
自分でも疲労が溜まっていることは自覚しているのだろうが、それを昨日来たばかりのクルスに向かって、素直に口にするというのも憚られるといった風だった。
クルスとしても気軽に慰めの言葉を言っても意味が無いことは理解しているので、言葉に詰まる。
「…………」
暫くの無言。
アモンとクルスは示し合わせたように僅かに視線を彷徨わせて、お互いの目の前にある朝食に注目した。
先に口を開いたのはアモンだ。
「朝からカレーかい? けっこうがっつし行くんだね」
「いや、目の前でカツ丼食べてる人に言われたくないんですけど……」
露骨な話題変えだったが、クルスは素直にそれに乗る。逆らって別に何か特があるわけでも無い。
加えて、朝からカツ丼という胃に来そうな品を選んでいる研究者に対しては隠しようのない素直な驚きもあった。
朝からよくそんなに入れるなというクルスの反応に、アモンは苦笑する。
「睡眠欲は満たせないから、せめて食欲くらいは充分にね」
「なるほど」
アモンの言い分に、クルスは納得した。
研究者というとその字面で勝手に不健康なイメージを貼り付けてしまっていたが、今のアモンを見れば分かるとおり、実際には相当な体力勝負の面がある。
食事とはエネルギー源の供給であり、生命活動の根幹だ。
それを蔑ろにしては動こうにも動けないということなのだろう。朝というのはまだ肉体が活性化しきっておらず、つい軽めに済ましてしまいがちだが、それは間違いだ。
朝の食事はその日の根幹となる一番最初のエネルギー供給であり、もっとも重視すべき機会なのである。
「それに……正直に言うとここのところずっと起きてるから、朝夕の感覚が大分曖昧になってるんだよね」
「それ、大分末期ですよ」
どこか遠い目をするアモンに、同情と呆れみを混ぜながら呟くクルス。
実はクルスもそれと似たような経験はしたことがある。原因は春休みだったり祝日によって発生する連休だったり――つまりは、父親があまり家に帰ってこないことをいいことに「健康なにそれ美味しいの?」と言わんばかりの荒行をしていたということだ。
勿論、目的は仮想現実空間の戦場である。
連休中に二十四時間の連続プレイ時間規制に引っかかってシステムに強制ログアウされた回数も、一度や二度では無い。
まあアモンからすれば自分の今後を決めかねない大仕事と、子供の我欲に満ちた廃人プレイを同列には扱わないで欲しいだろうが。
「ああ、そう言えば今日の早朝にエレナ少尉に会ったけど、彼女すごいね。びっくりした」
「……はい?」
おもむろに、話し相手の口から共にここ海上都市に来ているエレナの話題が出てきて、あの女、もうなにかやらかし始めたのかとクルスが思わず警戒すると、
「まさかこんな都市の端っこにある研究施設でお嬢様が歩いてるとは思わなかったよ」
「……ああ」
つまりはエレナの服装のことかと理解して、クルスは納得した。
施設内の服装に関しては、昨日の時点で既に言質は取ってある。
きっと西方基地所にいたときと同じく小花の髪留めをして、自分の趣味満載の私服を身に着けて彷徨いていたのだろう。
確かにああいう服装をしているときのエレナは何処かの令嬢といった風であるし、驚くのも無理はない。
「なんて言うんだろうね、あれ。似合ってるんだけど、妙に少女ぽいっていうか」
「またフリル付きのワンピースでも着てましたか?」
「うん、そう。黒と白のやつ。その口振りだと以前からそうなんだね、彼女」
「ええまあ」
言われて頷く。
何となく、目の前の男の反応が新鮮に見えた。
慣れとは恐ろしく、シンゴラレ部隊内では既に見慣れてしまって、彼女がそういった服装で格納庫にいても対して違和感を覚えなくなってしまっていたのである。
彼女の軍服姿を見て珍しいと感じてしまったのだから、相当なものだ。
「彼女、随分と美人だよね。元はモデルか何かかい? うちの研究員共が妙に色気づいててさ、つい笑っちゃうよ。普段は徹夜ばっかりで服装とか数日変えないでも気にしないくせに、昨晩は浴場が大混雑してたくらいだ」
「あー……たしかに見てくれは良いもんなあ」
やけに整った美貌を持つプラチナブロンドの同僚の姿を思い浮かべて、クルスは頷く。
服装の趣味はどうも子供っぽいと言うか、少女趣味が混じっているが、それでも彼女には似合ってしまっているのである。身体のラインを描く輪郭線も抜群であるし、彼女に熱を上げる者がいても少しも不思議では無い。
「……でも、女性って言うならシオンさんはどうなんですか? 彼女だって普段から同じ場所で仕事してるんでしょう?」
昨日顔を合わせた女性研究員を思い出して、クルスが言った。
エレナと比べてはいけない気がするが、あの長い髪を編み込んだ女性も普通に顔立ちは整っていたように思えた。
「うーん、言われてみれば確かにシオン君もありなのかもしれないけれど……」
発言と表情をまるで一致させないままアモンは首を僅かに傾げて、
「そういった話はこれまで聞いたこと無いなあ……。それに、彼女は身内じゃ一種の化け物扱いだからねえ。そういう対象には見られてないのかもしれない」
「……化け物?」
童顔気味のシオンの顔立ちを思い出しながら、クルスは怪訝そうな顔をする。
初対面でいきなり叫びだして走り去るという奇行を晒した彼女ではあるが、その点を除けば特に問題があるようには思えなかった。
化け物などと言う言葉は大凡彼女には似つかわしくないように思えるのだが、一体どういうことだろうか。確かに、一応、胸は反則級に大きかったが。
クルスは恐る恐る訊ねる。
「まさか火を吹くとか言いませんよね、彼女」
「いや、流石にそれは無いけどさ」
「じゃあ満月の夜に変身するとか、伝説の剣術の後継者だとか、あるいは三階の高さで頭から落ちても大して怪我も無く生還したとか」
「なんでハードルをどんどん上げていくかな、君は? というか最後のだけ妙に生々しいのは何でなの?」
「あ、分かった。あの眼鏡を外すと眼球からレーザーが……」
「でないからね」
クルスが最後まで言い切る前に否定されてしまった。
まあ流石にクルスも本気で言ってたわけではないので問題は無いが。
「で、なんであの人は化け物なんておっかない渾名付けられてるんですか?」
「うん。君が散々ハードルを上げてくれたお陰で、事実を言っても大したことがないようにしか思えない状態だからね?」
恨むようなアモンの視線にクルスはそっと目を逸らした。
アモンは何とも言えない表情を浮かべたが、暫くして一つ溜息を吐き出して口を開く。
「彼女はとにかく、体力があるんだよね」
「……はい?」
言われた意味がよく分からずにクルスが思わず変な声を零すと、アモンは小さく肩を竦めて、
「僕が知っている限りじゃ、彼女は今日でもう一週間以上、一睡もしてないはずだよ」
「一週間……」
それはまた随分と極端な話だと、呆れる。
仮眠くらいはとも思ったが、アモンの口振りからするとそれも無いらしい。
いつかぶっ倒れるんじゃないかあの人などとクルスが密かに心配するが、アモンはそれだけでは終わらないとばかりに小さく首を振った。
「しかも彼女、それでいて作業効率が全然落ちないもんだから仲間内からは化け物だなんて認識されてるのさ。疲れを知らないから機械人形なんて渾名もあったけど、何故かこっちは全然流行らなかったなあ」
「それは確かに……」
一週間以上も眠らずに働いて、しかも作業効率に変化が無いというなら、確かにそれは異常だ。女性に余り付けるような言葉では無いと思うが『化け物』などと揶揄されるのも分からないでも無い。
クルスの中でただ胸がでかいだけだったシオンという人間の人物像が、少し変わってしまった。
「ギュウ詰めのスケジュールの中でみんながノックダウンしていく中、彼女だけ平気な顔して働き続けてるんだ。これはもう軽くホラーだよ。そのせいでシオン君は女性と言うよりは、化け物って印象のほうが遙かに強い。対して外から来たエレナ少尉は新鮮味があってとんでもなく美人だしで、もう注目の的ってわけだ」
「なるほど……」
理屈は分かったと、クルスは頷いた。
エレナは美人だという事実は確かなのだから、そういうこともあるのだろう。
たがしかし――エレナが美人という評価はあくまで外面の話。
あの中身を知ってなお同じ態度でいられる者は果たしてどれくらいいるものだろうかと、クルスは内心で気の毒に思う。
少なくともクルスは基地内の騒動で万能人型戦闘機を持ち出してきたりするような相手は御免である。あれと付き合っていては、命が幾つあっても足りそうになかった。
「まあ、夢は覚めないうちが幸せだよな……」
つい漏らした呟きにアモンは不思議そうな表情をしたが、クルスは愛想笑いで誤魔化した。わざわざ教えなくとも機会があればすぐに広まるだろう。
その時が来るまでは夢を見させておくのが優しさというものだ。
それまではそっとしておこうと決めて、クルスは話を戻して気になったことを訊ねた。
「でも早朝っていつ頃ですか? 今も充分に朝ですけど」
「ちょうど日が昇るくらいだったかな。ガレージで作業をしてたらひょっこりと顔を出してきてね、外出はしても問題無いのかって聞きに来たよ」
「外出? そんな早くに?」
日が昇るのと同時。
そんな時間帯に一体どこに行こうというのか。
いや、そもそも――、
「そういう私的な外出って許可は降りるんですか?」
「そりゃねえ。テストパイロットの君たちが乗る機体が組み上がるのはまだ暫くかかりそうだ。それまで缶詰をさせておく訳にもいかないしね」
新型万能人型戦闘機の開発などという機密情報に触れるのだから、勝手に軟禁のような状態になると思っていたが、どうやら違ったらしい。
言われてみればその通りだが、確かにやることも無いのに一つの建物の中に閉じ込められるのでは息が詰まる。モチベーションが凄い勢いで下がりそうだ。
クルスの場合はゲームなどで時間も潰せるが、それにも限度はある。今現在携帯端末で遊んでいるものは楽しんではいるが、『プラウファラウド』ほどはのめり込めていない。
「まあそれに、もう暫くすれば玩具も届くからね。それまでの辛抱だよ」
「……玩具?」
不意に出てきたその単語にクルスは反応した。
新型の万能人型戦闘機開発者の言葉である。まさか額面通りの代物というわけでも無いだろう。
「まあ、それは届いてから説明するよ」
しかしアモンは勿体ぶるようにそう言って、肩を竦めた。
隠し事をされているようでクルスは何となく釈然としない気持ちになりながら、しかし変に追求すると負けた気分になるので情報を引き出すことを諦めた。
「それで、エレナはどこにいったんですか?」
「さあ? まだ交通機関も動いてないよとは言ったんだけど、歩いて苦から大丈夫ってそのまま。どこに何の用があるかは聞いてないな」
「ふうん」
何となく違和感は覚えるが、エレナの突拍子の無い行動は今に始まったことではない。外出許可も取っているということだし、取り立てて気にするようなことではないのかもしれなかった。
そういえば海上都市に来るまでの輸送機の中で、以前にもエレナは海上都市を訪れた経験があると言っていたことを思い出した。もしかしたら知り合いでも居て、その人に挨拶にでも行ったのかもしれない。
クルスは一先ずはそう納得した。
「それで、君は今日はどうするつもりだい? もし外出するならこっちで記録しておくけど」
クルスがカレーを胃の中に納めつつそんなことを考えていると、アモンから声がかかる。ふと見やれば彼の目の前に置いてあった丼は既に空になっていた。
食事の時間も惜しんでいるのか、けっこうな早食いである。
クルスの前にあるカレーはまだ半分ほどは残っているし、別に冷めてもいないのだが。
「外出させてください。今日はもう一つの仕事がありますから」
クルスがそう言うと、アモンは「ああ」と思い出したように声を漏らした。そうしてから奇特なものを見るような視線を向けてくる。
「そういえば君は人工生命研究所の方にも呼ばれているんだったか。あんな所に呼ばれるだなんて、一体何をしているんだい?」
「何も知りません。具体的な事はまだ何も聞かされていないんですから」
寧ろ、知っている者がいるなら今すぐここに来て教えて欲しいくらいだった。
詳細は現地で聞けと言われているだけで、本当にクルスは何も知らされていないのである。
そうしてからクルスはふと、先程のアモンの台詞に嫌な予感を覚えた。
「……というか、あんなところって。何かあるんですか、その人工生命研究所には」
「いや、何かっていうか――……」
そこでアモンはなんと言うべきか迷ったような素振りを見せた後に、
「簡単に言うなら、ここ海上都市で一番関わりたくない研究所かな」
「えー……」
一切取り繕いの無いその返答に、クルスは渋面を浮かべた。
そんな様子のクルスを見てアモンは少し笑った後に、話を続けてくれる。
「そもそも、人工生命研究所っていうのが何の研究をしている場所かクルス少尉は知っているかい?」
「そりゃもちろんですよ。あれですよね、あれ。……うん、ずばり、人工生命の研究でしょ」
「いや……。うん、まあそうなんだけど」
クルスの見栄を張っているんだか張っていないんだか分からない返事に、アモンはどう判断するべきか困ったような微妙な顔をした後に、
「人工生命っていっても別に新しい命を生み出そうとかそういうんじゃなくて、元々は医療用の人工臓器だったりとか……僕達と縁深いものだと、万能人型戦闘機に使われてる人工筋肉とかかな。そういうものの研究開発機関だったんだ」
「へえ」
元々は、という枕詞にそこはかとなく嫌な予感を覚えつつも、クルスは頷く。
「てっきり、キメラでも作ってるのかと」
「まあ、そういう噂が全くないわけでもないけど」
「あるのかよ……」
「片言で喋る猫とか、触ると自爆する蟲型生物とか……どれも都市伝説レベルだけどね」
そう言ってアモンは肩を竦めた後に「話が逸れたな」と、仕切り直すように咳払いをして見せた。
「優秀な人工生体部品の話だけど。そういった方面のものは、実は凄く軍事転用がしやすい内容でね。最初のうちは医療用に開発した技術を横流ししてただけだったらしいけど……、今じゃすっかりその目的が逆転。軍事用の強靱で能力を強化した生体部品を用途に合わせてスペックダウンさせて医療用に流している始末さ」
直接の原因が何だったのかは分からない。
裏でそうなるよう糸を引いた者がいたのか、或いは単純に時代の需要がそう求めたのか。単純に開発者達にとってはその用途は何でも良かった可能性もある。
ともかくもその理由は定かではないが、人の命を助けるための研究機関はいつしかその舵取りを変更し、人の命を奪うための研究へと姿を変えた。
医療技術、軍事技術、民間技術などという言葉は存在しているが、その垣根は驚くほどに薄い。それこそ、そんな分類が必要なのか疑ってしまうほどに。
例えば形状記憶合金。
これはある温度以下で変形しても、その温度以上で加熱することによって元の形状に戻るという性質を持つ特殊合金であるが、ある国が軍事技術として開発した一方で、どっかの島国は下着のワイヤーに使ったりしていた。
他にも、コンピューター、インターネット、電子レンジやGPSにスペースシャトル。
これらは全てこの場所では無い地球での歴史だが、民間と軍事の垣根が消えた例を探せば暇が無い。
なので人命救助から人命剥奪へと目的が変わったという事実に何とも言い難い鬱っぽい感情を覚えることはあっても、そこまで極端に驚くことようなことでも無かった。
残念がるべきか、嘆くべきか、呆れるべきか。
何にせよ、ありふれた話である。
「……要するに、人工生命研究所っていうのは今は軍事技術関連の研究所ってことですよね。それなら、ここと大して変わらないんじゃ?」
クルスが今居るこの場所は最新の万能人型戦闘機を作っている場所――つまりは、人を殺すための最新技術を研究している場所だ。
人工臓器と人型機動兵器ではその用途も、大きさも違うかもしれないが、その根幹は軍事技術――敵対者と戦うことが本質だ。
そこにそんな大きな差があるとは思えず、一番関わりたくないなどと取り立てて言われる理由にはならないように思える。
「まあ、それだけならねえ」
そんなクルスの疑問は全て察しているとばかりに声を漏らして、アモンは温くなったお茶を啜った。
「たしかにそれだけなら、ここ変わらない場所かもね。……ただ当然と言えば当然だけど、人間には欲がある」
「欲?」
「そ」
アモンは頷いて、
「僕も時々感じちゃうんだけどね。その分野の最先端に触れて、掘り進んでると、全能感にも似た何かを感じちゃうんだよね。もっと深く、もっと先へ、幾らでも潜っていけるような……もちろん、ただの錯覚なんだけど」
そう言って、自嘲にも思えるような笑みを浮かべた。
実体験に基づいて語っているのだろうから、もしかしたら昔に何か苦い思いをしたことがあるのかもしれない。
決して良い経験では無かったのだろう。
そんなことを感じさせる表情だった。
「さて、クルス少尉に問題です。強い生体部品を個々に作れるようになったら、人は次にどうすると思う?」
「どうするって……」
言われて考えて見るもすぐにしっくりとくる答えが出てこなくて、クルスは言葉に窮する。
「えーと……、な、長生きするとか……?」
いかにも自信なさげに返ってきた答えをアモンは馬鹿にすることもなく、僅かに笑みを浮かべながら頷いた。
「確かにそれもある。ナノマシン技術の完成、高性能な人工臓器による代替、医療器具の発達。海上都市にある技術を惜しみなく費やして老化防止技術を行えば、人は二百年は生きられると言われてるね」
「に、二百……」
自分の人生の十倍を生きてもまだ余る年数。
それが一体どういう意味なのか、クルスは理屈で理解は出来ても感覚では全く理解出来なかった。
今から二百年前の出来事などを情報として知ることは出来ても実感は出来ないし、今から二百年後の自分や周囲の環境がどうなっているかも予測が付かない。
そんなに長い時間生きてどうするつもりなのだろうか。
クルスが何とも言えない表情をしている姿をアモンは暫く観察した後に、ゆっくりと席を立ち上がった。
目の前に置かれた食器の中身が空になって久しい。
束の間の休息は終わりということだろう。
「だけど、長寿以外にも人間が考えそうなことはもう一つある」
まるで子供に知らぬものを教えるような言葉遣いでアモンは言う。
あくまで錯覚だろうが、何故か、クルスは自身の体温が数度下がったような気がした。
「そんなに難しく考えなくても良いんだ。万能人型戦闘機と一緒さ。性能の良い複合感覚器や推進ユニット、武装や間接補助のサーボモーター。幾つもの部品を作れるようになったら――当然、今度はそれを使って機体を組み立てたくなるだろう?」
そう語るアモンの口調は平坦だった。
何も感じていない――というよりは、意識してそうしているようにも思える。
「人工の命。完璧兵士の創造。――あそこはもう随分と長い間、そんな妄執に取り付かれて歩き続けているよ」
アモンは食器を片付ける去り際に、付け足すようにして言った。
「軍用基準性能調整個体。今じゃその存在はそう呼ばれていたりするね」




