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プラウファラウド  作者: ドアノブ
八話 惑う心の在処
82/93

T―XF

 海上都市レフィーラ。

 陸地から離れた洋海上に浮かぶ、人の手によって生み出された人工島。

 海上都市は現在もその敷地面積の拡張工事を続けているらしく、そういった後付けされていった人工島が新たな区画として数えられ、数字と共に追加されていっているらしい。


 キィィィィ――という鳥の鳴き声のような音が次第に小さくなっていっているのは、機翼に取り付けられたエンジンの火が衰えていっている証拠だった。

 クルス達が居心地の良くないアヒルの腹中から降り立って辿り着いたのは、現在完成している区画の中では比較的新しいということになる二十一区画に存在する発着場である。


 現在の時刻は昼を大きく過ぎ去った辺り。

 自動操作の運搬機によって旅路を共にした貨物が運び出されていくのを尻目に、クルスはゆっくりと辺りを見渡す。

 堅いコンクリートのような材質によって平坦に固められた発着場が、白い霞を帯びながら視界の先まで伸びている。

 ここから甲板の端までどの位の距離があるのだろうか。

 少なくとも一キロや二キロ程度ではすまないだろう。

 師団規模の演習を行ったとしても問題が無い程に広い。


 これだけの敷地を生み出し海の上に浮かべているということも信じがたいが、更にはこの場所が海上都市に存在する一区画でしかない事実はそういった単純な感情すら置いてきぼりにしていく。

 長く遠い発着場に並んでいるのは何れも軍用機のみであり、旅客機などの姿は一つも存在しない。黒い切れ目のように飛行場を横断して延びている線は、対応機を高速で打ち出す為の電磁式カタパルトだ。

 それらの通常の航空場では見られない要素が、ここは民間には開放されていない区画なのだということを強く知らしめていた。


 クルスはそれらを確認し、最後に頭上を見上げて――青い空の向こうで白く輝く陽日に怯んで目を細めた。


「暑いな……。アルタスより赤道に近いのか」


 クルスが今いる発着場は、都市を覆い込む透過性発電パネルの外側、外郭から突き出るようにして存在している場所である。  

 アルタスと同じくレフィーラも天候や気温といった環境管理を人の手に委ねているが、それはあくまで透過性発電パネルの内側に限った話。この場所のような外郭にまで及ぶものではない。

 容赦なく照りつける自然の猛威によって、クルスの肌は早くも汗を流し始めていた。

 夏の西方基地所と似てるなと思う。

 発着場に漂う鉄と燃料の匂い。

 だがそれに混じって波の音と共に運ばれてくる潮の香りが、ここが洋上に存在する海の都市なのだということを否応なしに伝えてくる。


「うーん、常夏だねー」


 クルスの横に並び立ったエレナが大きく伸びをした。

 細長い両手を合わせて上半身を解きほぐすように反らす。黒い軍服の皺が伸ばされて彼女の身体の曲線美が強調されたが、クルスは目の毒だと判断してさっさと視線を周囲の観察へ戻した。万が一気付かれでもしたら、どうからかわれるか分かったものではない。


「しかしここが人工物の上っていうのは、色々とすごいよなあ」


 これだけの敷地を実験場として海上に作り出してしまっているとなると、この世界の空母艦などは果たしてどれ位の大きさを誇っているのだろうか。 

 ゲームの時代にも空母を出撃拠点とした任務や戦場領域は幾つか存在していたが、これほどの大きさではなかったはずだが。

 そういえばアルタスの対外機構軍にも海上戦力は存在していたはずだが、どれ位の規模だったのだろうか。支配領域内に海を待つアルタスではあったが、目下の脅威は陸続きの隣国である。加えて海上都市という盟友が存在している以上、そこまで重視しているとも思えない。

 今更ながらにクルスがそんなことを考えながら辺りを見やっていると、基地施設の方向から一台の四輪式移動機がこちらに向かってきていることに気がついた。天井などが一切無いオープンなもので、風通しが良さそうである。

 その上に乗っているのは一人の男だ。

 白衣を身につけているところからして、軍人などではなくここの技術者だろう。 


「君たちがアルタスからの助っ人かい?」


 四輪式移動機がクルス達の前で停止すると、そこから降りてきた男が尋ねてくる。

 茶色気味にくすんだ金髪を短めに刈り込んだその容貌はそれなりに整っているように見えたが、如何せん目の下に付いた青黒い隈がその印象を最悪なものにしていた。

 よくよく観察してみれば服装もどこかすれているし、男の佇まいの随所から疲れのようなものが見て取れる。それらの要素が男を必要以上に老け込んで見せていた。


「アルタス対外機構軍より出向してきたクルス=フィア少尉です」

「同じくエレナ=タルボット少尉ですー。現時刻只今をもって着任しますー」


 エレナが腕を上げるのと同時にクルスもまた、背筋を伸ばして未だにぎこち無い敬礼をしてみせる。

 そうすると、何故か相手は微妙に困惑したような表情を見せた。


「……何か?」


 何か失敗でもしたかとクルスが内心不安になりながら問いかけると、アモンは白衣のポケットに手を突っ込んだまま、僅かに身体を揺する。冬眠中の熊が身動ぎしたような仕草だった。


「あ、いや。事前に資料は貰っていたのだけれど、改めて実際に見てみるとやっぱり驚いてしまってね。本当に若いんだねえ……」

「……なるほど」


 その言葉の意味するところを察して、クルスは苦笑いを浮かべた。

 どのような基準でクルスが今回の任務に選ばれたのかは知らないが、テストパイロットを呼んでこんな子供が来たのでは驚くだろう。

 エレナにしても、この見た目だ。

 ナノマシン技術などの発達によって女性の搭乗者というのも昔よりは珍しくはないらしいが、それでも彼女のように端麗な顔立ちを持つものは少ないに決まっている。

 実際、私服を来て基地内を彷徨いているときのエレナはどう考えても軍人には思えない。虫も殺せないどこぞのご令嬢と言われた方が、よっぽど納得がいく。


「気を悪くしたらごめんね。驚いただけで悪気は無いんだ。許してくれ」

「いえ」


 気にしないでくださいと、首を振る。

 正直そういった反応には慣れてしまっているので、思うところは何も無い。むしろ初対面でありながら諸手で迎え入れてくれたら裏を疑うところである。


 男は気を取り直したように一度咳払いをすると、しっかりとクルス達に向かって向き直った。


「僕はアモン=ロウ。君たちが面倒を見ることになる次世代候補機の開発主任を勤めている。一応言っておくと、階級は無いよ。僕はあくまで会社勤めのサラリーマンだからね」


 そんなことを一息で言い切ると、


「海上都市へようこそ。歓迎するよ」


 にこりと相好を崩すアモンに、クルスは密かに安堵した。

 ここにくる途中、エレナが物騒なことを言っていたので少し不安を覚えていたのだ。事前に頭のねじが外れた連中などと吹き込まれては、誰でも身構えてしまう。

 だが接してみる限りは普通に良い人そうだ。

 少なくとも違法改造したガス銃を持って暴れたり、訓練の名目に託けて機動兵器で私怨を晴らしたりはしなそうである。

 

「早速だけど、移動しようか。ここは暑いしね」


 無駄な反骨精神を発揮することもなく、クルスとエレナは素直に応じて四輪式移動機の後席に乗り込む。

 アモンは前席だったが、特にハンドルを握るようなことはなかった。パネルを少し操作するだけで移動機が動き始めたことから、例によって自動操縦のようだった。

 移動機に限らず施設管理や環境維持などの自動化は近年急速に進んでいる事象であるが、何か問題はないのかと不安にならないでもない。

 万能人型戦闘機という煩雑な機械の操縦ですら出来る限り自分で担おうとするクルスにとっては、自動化というものにあまり良い印象を持っていない。

 多分、単純にあまり信用できていないのだろうと思う。

 優れた技量を持つ搭乗者同士の戦闘に於いては火気管制の自動照準は補助程度の意味合いしかなく、機体制動の根幹となる自動姿勢制御機構(オートバランサー)は動作の阻害と感じてしまうことも珍しくはない。

 そういった幾多もの経験が意識の根幹に居座っているのだろう。

 

「さて、なにから説明しようかな」


 広大な滑走路の上を移動機がさほど速度も出さずに進んでいく。

 風が肌に当たって気持ちいいのか、隣の席に座るエレナが頭を撫でられた猫のように目を細めている。


「はいはーい、最初に質問があるんですけどー」

「ん、なんだい?」

「ここでの服装規定っていうのはどうなっているんですかー?」

「……ふ、服装かい?」


 予想外の事を聞いたとばかりにアモンがたじろいだ。

 てっきり仕事の内容に関することだと思っていたのだろうから、その反応は正常だろう。


「もしかして施設内では軍服でいないといけないとか、ありますかー?」

「いや……ここでの服装は自由で構わないよ。発着場だとラフな格好をしている者も少なくないし、軍服の人間が駐留していると、逆に現場が萎縮してしまうかもしれないしね」


 アモンがそう言葉にした途端、隣にいたエレナの肩がぴくりと揺れた。

 いつも浮かべている微笑も、心なしか上機嫌そうだ。

 クルスは内心で溜息をつく。彼女のことだから、例の自分の趣味を押し出した私服で来るつもりなのだろう。

 言質が取れてしまった以上、エレナが遠慮をする理由はない。

 軍服を身に纏っている彼女は敏腕の秘書のような、出来る女性といった風情を醸し出していて中々に似合っているのだが、それもそう遠くないうちに見納め時になりそうである。

 軍服姿の方がレアな軍人ってどうなんだろうか。


「えーと他には……」


 どこか戸惑ったようにアモンが言葉を漏らすが、エレナは服装に関しての心配が無くなったからか、何も言わずに前から来る風に目を細めている。

 アモンの視線がクルスに向いた。

 ……そんな縋るように見られても。

 クルスは周囲に視線をさまよわせてから、呟く。


「ここ、随分と広い発着場ですね」


 とりあえず最初に思ったことを口に出してみると、アモンは救われたようにほっと息を漏らしてから説明してくれる。


「ここ二十一区画の発着場は海上都市に存在する中でも一、二を争う最大級の場所だからね」

「でも、見た限りだと一般利用されているわけじゃないんですよね?」


 軍用機ばかりが居座っている光景を見ながらクルスが尋ねると、アモンは頷いた。


「この場所はうちの会社の占有さ。正確にはアーマメント社が保有する万能人型戦闘機技術開発研究所の敷地内って事になっている」


 滑走路の距離だけでも五キロ以上あるこの発着場であるが、通常規格の輸送機であろうとも離陸には二キロも必要なく、万能人型戦闘機に至ってはその半分も必要ない。

 その為、この発着場がここまで広大な面積を持っているのは、安全のためのマージンという意味合いが強い。

 万能人型戦闘機技術開発研究所は社内の新技術の開発及びデータ採取を目的とした機関である。ここで扱うものの殆どは実験段階の代物であり、実戦経験の無い信頼性の薄いものだ。どのような事故が起こるかは不明であり、どんな不測の事態にも対応出来るようにするための広い敷地面積であった。


「仮に不時着とかした場合は消火車とか搬送車が余裕を持って活動できるだけのスペースが必要だからねえ。まさか渋滞を作るわけにもいかないだろう?」


 もたついている間に機体が全焼したでは話にならない。

 要はそういう話なのだろう。


「まあもっとも、T―XFがここを使うにはもう少し時間がかかるだろうけどね」


 TX―F。

 その言葉にクルスは反応した。

 クルスとエレナのここでの仕事は新型機のテストパイロットだ。

 最新鋭の万能人型戦闘機は最高レベルの機密だけに与えられた情報は最低限であったが、この場所に来る前にクルスにもある程度の資料は与えられている。


「T―XFって俺たちが乗る機体ですよね? 型式番号ですか?」 

「暫定の、ね。まだ名前らしい名前は付いてないんだよ。……。ほら、こういう身内だけで使った名称ってさ、案外正式採用された後にも根強く残っちゃったりするんだよね」


 小さく肩を竦めながらアモンは言う。


「そのせいか誰も名称を付けたがらなくってね。会社側から与えられたテストコードをそのまんま放ったままさ」


「なるほど。でもT―XFって呼ぶときに不便じゃありません? もう一つ、似たような名前の競争機があるんでしょう?」

「あっちはT―XXだね」 

「やっぱり分かりづらい……。〈フォルティ〉の後継機なんですから〈フォルティⅡ〉とかで良いんじゃないんですか?」


 クルスも現場に入る以上、これから名前を口にする機会も多くなるだろう。

 正直分かりづらい名称は止めて欲しかった。


「えー、そんなの可愛くないよー」


 そんなクルスの面白みの無い意見に異を唱えたのは隣に座るエレナである。さっき見たときは満足げに風に当たっていたくせに、今はぶーと小さく口を尖らせている。

 そんな残念美人の意見に、クルスは呆れる。


「可愛いって何だよ。仮にも兵器の名前だぞ」

「んー、だからせめて名前くらいは可愛いのにしたほうがいいと思うんだよねー。例えば……〈プリティー猫さん〉とかー」

「お前……何かの間違いでそれが採用されてみろ。模擬戦とかで機体のデータ照合して画面に〈プリティー猫さん〉とか表示されたら、一気に肩の力が抜けるわ」

「敵の気勢を削げるなら良いんじゃないー?」

「……ん、あれ? 確かにそれなら……いやいやいや、ねーよ。そもそも、俺そんな名前の機体に乗りたくないし」

「いいじゃないですかー。ついでに機体色はピンク色にしましょうよー。実験用のテスト機なんだから派手な色で問題ないですよねー? 私、今回の任務ならピンク色の機体にしても大丈夫だって考えてたんですよねー」

「なんつー野望を持ってるんだよお前は! 嫌すぎるわっ、そんな機体!」


 名前が可愛い猫で、見た目がピンク。

 考えるだけで恐ろしい事態だ。

 実験機はアクシデントなどで破片が飛び散ってもすぐに分かるように目立つ色にすることも珍しくないので、なまじピンクという色を否定する材料が少ないことが嫌だ。


 そんな二人のやりとりをみてアモンは苦笑しながら、


「名前に関しては〈フォルティⅡ〉も考えなかったわけじゃないんだけど、採用されたわけでもないのにナンバリングを継承しちゃうのもね」

「なるほど」


 その通りかもしれないと、クルスは納得する。

 選定の段階でそんな名前を付けていたら、もう片方の開発チームに喧嘩を売っているように見られるかもしれない。まあ自信の表れとも見れるかもしれないが、辺に荒波を立てる必要も無いだろう。

 それと機体色に関してさらりと流しているアモンの大人の対応に、内心で喝采しておく。


「なんだったら君たちが呼びやすいように名前付けちゃってもいいよ。正直、うちのメンバーはあんまり興味ないみたいだから」


 流石に猫さんは困るけどね。

 そんなアモンの言葉を聞きはするものの、実はクルスもあまりネーミングに拘る質ではない。

 前に乗っていた〈リュビームイ〉という機体名も、クルスが付けたものではなかった。あれは機体をデフォルトネームのままにしていたら、その事を知った銀髪の少女が半ば強引に名付けてきたものである。

 変な名前だと思ったが、それ以外には別段拒否する理由も無かったので素直に受け取っておいた。一応その意味も聞いてみたのだが教えてもらえなかったのでクルスは知らない。大方、彼女の父親の母国語だということは察しが付いたが。

 詳細が気にならないわけではなかったが、当時はそんなことに気を揉むくらいなら一秒でも早く長く戦場にいたかったので、深くは追求しなかったのだ。


「そもそも〈フォルティ〉っていう名前は何を意味してるんですか?」

「あーそれ私も知りたーい。多分〈フォルティ〉って、人名だよねー?」


 何かの参考になるかもとクルスが尋ねると、エレナも興味を持ったらしく便乗してくる。

 するとアモンは何故か目に分かるくらいの苦い表情を浮かべた。


「うーん……それは」


 その芳しくない反応にクルスとエレナはそろって首を傾げる。


「もしかして知らないんですか?」

「いや……、知ってるよ。ただ何というか、その由来がね……」

「……?」

「そんなに言いにくいことなんですかー? あ、何かエッチな意味だとかー」

 

 平然とそんな事を宣うエレナをクルスは半眼で見やる。

 よくもまあ、初対面の相手に対して平然とそんな言葉を投げられるものだ。

 ただ、なぜ由来を隠すのかは気になるところである。エレナではないが、何か不都合な理由でもあるのかと勘ぐりたくなるのも仕方がない。

 同行人二名の疑惑の視線に晒されて、アモンは観念したように溜息をついた。


「……〈フォルティ〉って名前はまだ当時の開発班が機体開発中に暫定的にそう呼んでいたんだ。それが正式採用された後にもそのまま引き継がれた形になるね」


 正式採用前の呼称がそのまま引き継がれるということは先ほども話に聞いていたことなので、それほど驚くことではない。


「当時の開発主任が社長にした解説内容はちゃんと記録として残ってるよ。――曰く、フォルティはこの世界で最も忠義に厚く従順で賢い生物を意味する言葉。これから長年にわたって大勢に運用されるこの機体に相応しいものだ、とね」

「へえ。そんな生物が」


 初めて聞く話にクルスが感心したように息を漏らした。

 恐らく実在では無く、伝説上の生物か何かだろう。

 地球でも神話や実在の動物の名前を引っ張ってきて兵器に名付けるというのは、まま見られた光景だ。


「でもーそれなら問題ないですよねー?」


 エレナが首を傾げ、クルスもそれに同意する。

 アモンは先ほど〈フォルティ〉の由来を口にするのを憚っていた理由は何なのだろうか。聞く限りでは何もおかしいところはない。〈フォルティ〉が当時の最新技術を詰め込んだ機体であり、現在に至るまで最前線で戦っていることを考えれば、相応しいとすら思える。

 そんなクルス達の疑問を察したようにアモンは小さく首を振り、


「フォルティなんてそんな生き物、現実にも伝説上にもいないよ。少なくとも僕が調べた限りでは影も形も見つからなかったね」

「え」


 思わぬ解説にクルスは目を丸くする。

 だとしたらその開発主任が語った内容は何だったというのだろうか。何か別のものと勘違いしたのか。


「くだらない話だけど、当時の開発主任は愛犬家で知られていたらしくてね。その当時に飼ってた犬の名前が――フォルティだったんだってさ」


 自動で走る移動機の上で、しばしの沈黙が降りる。

 クルスはしばらく聞こえてきた言葉を反芻して、内容をゆっくりと解釈し、それが何かの暗喩ではないことをはっきりと理解して――、


「…………犬」

「ですかー」


 何とも言えない表情を浮かべるクルスと、それに倣うように声を漏らすエレナ。

 実際どんな顔をすれば良いのか、反応に困った。

 自分たちがこれまで命を預けてきた存在の由来が、開発者が飼っていた犬の名前だった。それを聞いてどうしろというのか。


「見事なまでに職権乱用だねー」

「付けるにしても、せめて個体名じゃ無くて犬種とかにしておけば……」


 シェパードとか、マスティフとか。

 そこら辺ならば仮に軍用戦闘機の名前として付けられても、さほど違和感は無いだろう。地球では恐竜とか虫の名称を持っていた戦闘機もあったのだし、問題は無いはずだ。

 アモンはしばらく頭の中の記憶を思い出すように沈黙した後に、


「プードル、だったかな」

「だめかー」


 とても戦闘兵器に付けられるような名前じゃない。 

 エレナのセンサーにもそれはヒットしなかったらしく、小さく肩を落としていた。プードルは駄目でプリティー猫さんは可だという彼女の可愛い基準もよく分からないが、今は置いておく。


 そうするとどのような名称が相応しいのだろうか。

 そんなことを話している間にも四輪式移動機は走り続ける。

 いつの間にか広大な発着場から抜け出して、景色はトンネルの中へと姿を変えていた。発着場の地下に存在する通路なのだろう。見飽きたと言ってもいい自浄作用付きの白い壁面は、天井に埋め込まれた灯りによって綺麗に照らされている。

 長く続く白色の通路の先を見据えて、クルスは溜息を漏らす。


「人工島なのに地下まであるのか……」

「そりゃ陸地と違って限られているからね。利用できる空間は利用しないと。ただこの都市ももう随分と増改築を繰り返しているから、三層以下は工事に利用した搬入路とかが入り交じって巨大な迷路みたいになっている有様さ。多分、都市政府も正確には把握できてないはずだよ」


 年月によってその面積を広げてきた海上都市であるが、その中には本来の予定には無かったような強引な増築区域も存在している。そういった場所に資材を運ぶためには既存の区域にも新たな移動路を作り上げたりする必要があり、そういった工程を繰り返した結果、迷宮とも言うべき空間が出来上がってしまったのだ。

 そういった場所には防犯用の感覚器にも穴が多く、都市防衛の観点から色々と問題視されているという。嘘か真か、巡回していた警備部がミイラ化した遺体を発見したという噂もあるらしい。


「海の上に都市を浮かべておいて、なんでその下に迷宮なんか作ってるんですか……」

「まさに現代の科学技術が生み出した闇と言った感じだねえ。時々、都市庁から地下探索兼マップ制作のバイト募集があるらしいよ?」

「この時勢にダンジョン探索をしている人間がいるとは思わなかったです……。まさかクリーチャーが出るなんて言わないですよね?」

「あははは、そういった話は今のところ聞かないねえ。でもここは海上都市だし、生物兵器の一匹や二匹が逃げ出して住み着いててもおかしくはないかな。いつかこの都市が沈んだ時には、海底迷宮なんて呼ばれる日も来るかも」

「生物兵器って……」


 そんなものが存在するのかと、クルスは呻く。

 口ぶりからして視認不可能な細菌兵器のような類いでもなさそうである。

 そうなるとコミックなどの創作物にありがちな、生き物を基本に改造を施したような代物が存在するということだろうか。地球にいた頃でもそんな兵器の話はついぞ聞いたことが無かったのだが。

 強化外装を操るゴリラならば西方基地所の敷地内で見たことがあるが、あれはノーカンか。


「海上都市が沈むなんて、ありえるんですかー?」


 そんなクルスの思考をよそに、アモンの口からさりげなく告げられた物騒な内容に反応して、エレナが小さく首を傾げた。


「そりゃあねえ。物質である以上、不変はあり得ないさ。ものなんていうものは空気に触れているだけでも劣化するからね。当然対策なんてものは呆れる程に施しているけれど、それでも全部無くなるときは一瞬だよ」


 今の世の中は物騒だしねと、諦観とも達観とも感じられる調子で言葉を話すアモン。冗談や嘘を言っている様子ではない。ただそういう可能性と事実もあるという、目の前にある現実を口にしただけのようだった。

 その様子を何気なく観察しながら、


「それで自分たちは一体どこに運ばれているんですか?」


 白い壁面が続く光景を眺めながら訝るクルスに、


「それはもちろん、これから君たちが面倒を見ることになる子供の元へさ。地上を通っても辿り着けはするけど、こうして地下を通った方が早いんだ。君達もここにいるなら使うことになると思うよ」


 ただ迷子になったら大変だから気をつけてね。

 最後にそんな不安になるようなことを付けたされて、クルスは思わず渋面を浮かべる。冗談であって欲しいが、その判別が付かないので反応に困る。

 出来るのはせいぜい気をつけようと、心の中で固く誓うくらいだ。




 それから、四輪式移動機が広い空間に出て停止するのには、それほど時間がかからなかった。

 移動機から降りて息を吸い込むと、鼻の奥まで入り込んでくる鉄と機油の匂い。

 クルスもよく知る、最早嗅ぎ慣れたといっても過言では無い空気であった。


「ここが僕たちの拠点となっている格納庫。位置的にはさっきの発着場の地下に位置していて、リフトを利用すれば機体を直接運べるようになってる」


 格納庫には機体固定用のハンガーが幾つも並んでいたが、殆どが空である。コンテナなどが幾つも立ち並びながらなおもガランとしている空間の中を、幾つもの人影が行き来している。

 殆どが作業用の服を着たメカニックマンで、その中に混じるようにしてアモンと同じ白衣を着た者達がぽつぽつと点在している。


「あ、アモンさん」


 そのうちの一人。

 白衣を着た女性がこちらに気がつくと、ぱたぱたとペンギンのような足取りで近寄ってくる。


「やあ、シオン君。丁度良いところに」

「このお二人が例の?」

「そういうことだね。こっちの無茶な要望をどこまでかなえてくれるかは分からないけれど――」


 そのまま立ち話を始めるアモンと、シオンと呼ばれた白衣を着た女性。 

 女性は長い栗毛を編み込んで一本に纏めていて、ノンフレームタイプの丸眼鏡をかけている。歳は二十歳そこそこだろうか。背丈は平均的だが、やや童顔に思える。研究畑らしくその肌は日の熱さを知らない程に白く、化粧っ気は全く感じられなかった。

 なお、本当に、余談であるが、彼女の最大の特徴は自己主張の激しい胸部装甲であった。実った果実を思わせるたわやかなそれは、かなりの対衝撃性能を有しているに違いない。


「二人に紹介するよ。彼女はうちの開発班のメンバーであるシオン君」

「初めまして、シオン=アスターです。これからよろしくお願いします、クルス=フィア少尉、エレナ=タルボット少尉」


 シオンを名乗った女性は丁寧に腰を折った。

 クルスは小さく首を傾げる。


「あれ、なんで名前を?」

「事前にお二人の資料はアルタスから送られてきていましたから。それくらい暗記してますよ」

「なるほど」


 確かに二人分の名前を覚えるくらい大した労力でも無いだろう。

 与えられた説明にクルスが納得していると、シオンがどこか緊張した趣で話しかけてきた。


「それであのー、少し質問があるんですけど……」

「……? なんですか?」


 その様子にクルスが首を傾げる。

 何故だろうか。

 何か警戒されている気がする。


「クルス少尉は搭乗者なんですよね?」

「はあ。ええ、まあ」


 そりゃテストパイロットとして呼ばれてきたのだから搭乗者に決まっている。素人を呼ばなきゃいけない程、人材に困窮しているわけでもないだろう。

 そんなことは事前に資料を読んでいれば知っているに決まってる。いや、資料を読まなくとも分かりきったことではないだろうか。


「それも……、凄腕なんですよね?」

「はあ」


 クルスは曖昧な返事を漏らしながら、一応は頷く。

 自分で自分のことを凄腕だと肯定するのは酷い羞恥プレイな気もしたが、自分の操縦技術が平均的な搭乗者を大きく超していることはクルスも知っているので、頷くしかない。


「じゃあもしかして、自動姿勢制御機構無しで高機動機体を安定させたり、自動照準ソフト無しで射撃を出来たり……出来ます?」

「……ああ、そういうことですか」


 ここに至ってクルスはようやく、シオンの内心を理解した。


 要するに、彼女は疑念を抱いているのだ。

 なにせ、テストパイロットとして呼ばれて現れたのが、成人前の子供だ。

 そんな相手に、自分たちが血汗を流して生み出した機体を預けて本当に大丈夫なのかどうか。そういった疑念に駆られるも無理はない。

 恐らく事前の資料でクルスの操縦技術に関してもある程度は記されていたのだろうが、盛っているのではないかと疑っているのだ。


 そんな彼女内心を察することが出来たクルスは、そんな彼女の不安を晴らすべく己の自信を見せつけるようにして言う。


「安心してください! 高機動機の扱いに関しては熟知していますし、自動姿勢制御機構が無くとも曲芸飛行だって出来ますよ。火気管制無しの射撃に関しても自信はあります。改造機使用だったので公式には残りませんでしたが、軍内の仮想標的機を使った実戦機動下での射撃撃墜訓練では最速記録を出したこともありますから!」


 これから付き合いがある相手を気遣って、クルスとしては精一杯に努力したつもりだった。


 だが何故だろうか。

 それを聞いたシオンは顔面を蒼白にして、今にも泣き出しそうな悲壮な表情を浮かべた。


「う、嘘ですよね……? ね? ちょっと見栄を張ってるだけですよね?」

「む。見た目で信用できないのは分かりますが、これでも自分は万能人型戦闘機の扱いに関しては妥協していませんよ」


 現実の時間を犠牲にして手に入れた幾千もの戦場の経験は、決して伊達ではない。生半可な覚悟ではランクトップという頂は手に入らないのだ。

 何故かシオンはこの世の終わりを前にしたような顔をしながら、縋るようにして自分の上司であるアモンを見やった。

 クルスとシオンのやりとりを眺めていたアモンはふと、おもむろに、にっこりと笑顔を浮かべて部下の肩を叩き、


「自分の発言には責任を持たないといけないな、シオン君」

「うわあああああー、私の貞操があぁぁー!」


 そう叫び出すやいなや、格納庫の外へと駆けだしていった。


「あう!」


 シオンは途中で一回、何も無いところでこけたが、すぐに立ち上がると再び駆けだしていってしまう。

 その様子をクルスはぽかんと見送るしかなかった。


「……なんだあれ」


 想像もしていなかったシオンの奇行には、ただただ唖然とするしかない。

 困ったように視線を動かすと、アモンと視線が重なる。彼は部下の奇行に対してやれやれと小さく肩を竦めて見せた。

 ちなみにエレナは終始興味なさげに視線をさまよわせていた。シオンはエレナにとっては興味の対象外らしい。相変わらず態度が露骨だ。


「ええと……、アモンさん? あの、さっきのは……」

「クルス少尉」


 困惑するクルスにアモンは何故か暖かい光を瞳に宿しながら、


「もし今後彼女が君のところに来て擁護しようのない痴態を晒したとしても、どうか見捨てずに受け入れてやってくれ」

「はあ……」


 もう何が何だかよく分からないので、クルスは考えるのも面倒になってとりあえず頷いておいた。

 シオンも時間が経てば戻ってくるだろう。落ち着いてからもう一度話を聞けばいい。


 そう自分を納得させて、クルスは乱れた気を紛らわすように格納庫内に視線を移した。

 ここが海上にある人工島の、擬似的に生み出された地下空間だということを忘れさせられそうな、広い地下格納庫。

 前述通りに機体ハンガーの殆どは空であったが、だがその中に一つだけ、大きな影がある場所があった。

 そこにある姿を見て、クルスは大きく目を見開く。

 巨人の腕と見紛う巨大な腕に、積層構造の複合装甲版を身に纏った強固な身体。


「あれが……」

「やっと気がついてくれたかい。そう。あれが試作次世代万能人型戦闘機T―XF。君たちが乗ることになる機体だよ」


 アモンのそんな言葉を聞きながらも、クルスはまるで縛り付けられたかのように、その存在から目が離せなかった。

 クルスがこうまでも驚いた要因は二つある。


 一つはその機体を構成する部品(パーツ)の外観だ。

 これまでクルスが出会った万能人型戦闘機は、敵味方問わずその全てが『プラウファラウド』内に存在していた部品で構成されていた。


 ――アーマメント社製万能人型戦闘機〈フォルティ〉

 ――トハルト・インダストリー製万能人型戦闘機〈ヴィクトリア〉

 ――パンネヘント社製万能人型戦闘機〈ムスタング〉


 ゲーム時代には無かった企業統一という厄介な縛りは存在するものの、その全てがクルスにとっては既知のものである。

 故に、必然的にクルスはこの世界の万能人型戦闘機は全てゲームに準拠したものなのだと自然と思い込んでいた。

 だが視界に移るT―XFの姿にクルスはどこか既視感を覚えつつも、間違いなく初めて目にするものであった。


 ゲーム内に存在していた機体部品の存在とその数値を全てを網羅していたクルスはその知識に基づいて次世代機の概要も推測し、大体の憶測を付けていた。それだけにことの驚きは大きい。


 そしてもう一つのクルスを驚かせた原因が、その機体の状態である。


 それは人型兵器と言うにはあまりにも苦しい姿だった。

 複合装甲に覆われた上半身だけが機体ハンガーに吊されていて、内部機構を晒した断面からは、行き場を失っている無数のコードが重力に従って垂れ下がっている。

 腕は片方しかついておらず、複合感覚器の集合体たる頭部は未だ不透明のシートが巻き付かれたままであった。

 その周囲には大魚に纏わり付く小魚のように、幾人もの人間達が行き交っているのだ。


「――……」


 ゆっくりとした動作でクルスが横を見やると、あはは、とアモンが力なく声を漏らした。


「いやあ……、見ての通り、まだ機体が組み上がってすらいないんだよねえ。というか、それどころか、まだ届いてない部品もあったりして」


 力の籠もらないの声。

 その目の下にある青黒い隈の色の深さは、そのまま彼の困憊具合を表しているようだった。



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