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とある開発班の実験風景

 人の手によって生み出された積層構造の孤島の上に、一つの影があった。

 頭があり、胴体があり、腕があり、脚がある。二本の脚で起立するその輪郭は人間が持つそれと似ていたが、しかし決定的に違っている要素がある。


 全高八メートル。

 人間ではあり得ないその巨大な全身は、特殊合金による基礎骨格と、人間が持つ以上の収縮率と強度を持つ人工筋肉、そして多層に重ねられた複合装甲によって生み出された科学技術の鎧である。


 万能人型戦闘機。 

 資源、人種、国土、宗教、政治、差別――

 あらゆる理由で戦火の絶えないこの時代に於いて、陸空の環境を選ばない万能性から各地の主戦力となっている人型機動兵器。

 それが、孤島に大きな影を伸ばしている存在の正体であった。

 その巨体はまるで自分の存在を主張するかのような黄昏色。ライン上の複合感覚器眼が並ぶその面構えは、開発者達をして「悪役っぽい」と言わしめる凶暴さを持っている。


 アーマメント社製万能人方戦闘機〈フォルティ〉。

 現行機の中でも汎用性に富んだその機体を、試作兵装運用の為に改造した実験機である。

 前線の装備として一般的な突撃銃や複合投射機、携帯用の超振動ナイフといったものは一切身につけておらず――だがそれらが無くとも一切の問題を感じさせない圧倒的な存在感を持つ矛をその機体は持っていた。


 機体の背部コンテナとアームや無数のパイプで連結しているのは、長大な砲身を持つ武器である。その大きさは機体の全高にも匹敵する程であり、携帯用に砲身を収納しなければ移動にも不自由するような代物だった。


 海上都市から数十キロ離れた人工の孤島。

 離れ小島にも等しいそこには周囲を覆い込むような透過性発電パネルも無く、合唱のように重なり合う海原の音と共に冷たい潮風が機体を叩き付けていく。


 黄昏色の実験機が姿勢を低くして、その長大な矛先をどこまでも続く海原へと向ける。

 既に展開を終えている砲身は、その機体の両腕によってしっかりと支えられている。

 ガンッ、という物を叩き付けるような鈍い音が鳴り渡った。

 脚部の底に備わった機体固定用のアンカーが人工島の甲板に食い込んだのだ。鉤爪にも見えるその装備は万能人型戦闘機が持つフロート機構の機能を出来る限り阻害しないように配慮された、本来の〈フォルティ〉には無い実験機特有のものである。


 蒼と蒼の狭間。

 視認すら叶わぬ遙か先の目標を黄昏色のその機体はじっと見据えて、呼気を挟むような一瞬の間の後、引き金を引いた。 

 炸薬の代わりに仕込まれた電磁加速機構から漏れ出たエネルギーが、枝分かれした光の線として大気に顕現する。眩く光った閃光が黄昏色の機体に深い影を産み落とした。


 長大な砲身の中に仕込まれたレールの隙間を、特殊加工された弾丸が滑り抜けていく。

 放電現象の残滓を残して射出された弾丸の速度は音速の八倍以上。大気との摩擦によって一瞬で赤熱し、衝撃波によって海面を引き裂きながら突き進み十キロ先の目標の脇をすり抜けて後方に着弾。高熱原体が飛び込んできたことにより海水が蒸発、着弾時の衝撃と相まって数十メートルにも及ぶ巨大な水柱を生み出した。

  

 砲身下部に仕込まれた冷却剤がパイプ内を循環し、加熱された砲身を急速に落としていく。その間に保護用のバイザーの奥に潜む複合感覚器(センサー)が結果を観測し、一射目の弾道から環境データを再取得、機体内部の火気管制が修正。


 ――第二射。


 紫電と共に放たれた弾丸は軌道を修正、着弾点に数センチの誤差を生じさせて目標を文字通りに消滅させた。

 その結果に喜びを示す暇もなく、機体の複合感覚器が次の目標を捕らえ、新たに弾道を計測。加熱した砲身の冷却が終了すると同時に、次弾を装填。突風と紫電を生み出しながら、凶器を吐き出す。

 

 ――第三射。 

 ――第四射。


 設定された目標を破壊するたびに新たに出現する標的。

 徐々に距離を離していくそれを黄昏色の機体は淀みなく、一定の間隔で破壊していく。等間隔で行われるその様は、ただの作業のようでもある。


 ――第五射。

 ――第六射。


 人口密集地に打ち込めば多大な被害を生み出すであろう科学の槍を事も無さげに撃ち続け、そして――第七射。


 紫電と共に吐き出された弾丸は狙いを大きく逸れ、狙った目標の遙か手前に墜落して白い水飛沫を立てた。

 それと同時に、構えられた長大な銃身の隙間から黒煙が昇る。そして緊急用の冷却機構が作動するよりも早く、鮮烈な赤色を持った炎が吹き出た。

 射撃姿勢を取ったままの鋼の巨人は、熱に晒されたままその意思を失ったように沈黙。 


 蒼い海、青い空。

 白い陽日に照らされた孤島の上で、紅蓮の炎が物言わぬ黄昏色の機体を包み込んでいく。



   ***



「何が起こったの!?」


 実験場が一望出来る管制塔の上で。

 特殊加工された強化硝子越しにその光景を見ていたヒバナは、怒鳴りを上げた。データを観測していた研究員達の間から、次々と報告が上がってくる。 


「砲身に異常発生! 熱量増加、冷却が間に合っていません! レールの耐熱温度を超えます!」

「――実験中止、冷却剤を解放! 強制冷却しなさい! 発電基部は絶対に守るのよ!」

「その場合、搭乗者も巻き込まれます!」

「馬鹿っ、軍用基準性能調整個体(ミルスペックチャイルド)とようやく試作した発電基部、どっちが大事だと思ってるのよ! 早くしなさい!」

「――強制冷却します!」


 罵声にも似た命令を受けた研究員が端末を操作して、コマンドを実行する。ヒバナが目を向ける先では既に半身が赤い炎に覆われた実験機の姿が映っていた。


 外部からの上位コマンドを受け付けて、長い銃身に取り付けられたコンテナが強制射出される。解放された隙間から、中に入っていた大量の冷却用の薬剤が噴出していった。

 大量に立ち昇ったそれらが気体となって、白い濃霧のように実験機の周囲を包み込んでいく。それとほぼ同時に目に映っていた炎が消え去っていった。


「状態は!?」

「温度下降! 内部、外部、共に冷却に成功! 第三、第四レールに歪みが発生、損傷レベルB、実験続行不可能! 発電機部の損傷は軽微! ――搭乗者の体温が急激に低下、応答途絶しました!」

「……取りあえず最悪の事態は逃れたわね。……ユニットを即時回収、収容後はレベル七まで分解して精査しなさい!」


 硝子越しに見える視界の先で、佇む機体の周囲に次々と人や緊急車両が集っていく。

 遠目ながらにテストパイロットを務めていた軍用基準性能調整個体が運び出されるその光景を見やりながら、ほっと安堵の息を吐き出す。

 部品にいくつかの消耗は出ただろうが、発電基部が無事ならば大した問題では無い。

 手に入れた見本を模倣して生み出したその部分が謂わば試作品のコアであり、機体も含めたその他は全て付随品に過ぎない。壊れた場所は取り替えればいいだけだ。

 もちろんそれは次も失敗して良いという意味ではなく、原因を調べる必要があるが。


「……出火の原因は?」

「報告が上がらないことにはなんとも……。ですが冷却剤によるアイシングそのものは間に合っていましたから、どうやら途中で機能そのものが失われたようです。……可能性としては連続射撃時に発生した電磁帯によって内部機構に何らかの異常が発生したか、あるいは単純にシステムエラーの可能性もありますね」

「原因究明は最優先よ。問題が分からなきゃ解決のしようもないわ」 


 後者だったら担当の連中を怒鳴りつけてやる。

 ヒバナはそう考えて、胸内から生じる苛立ちを押さえるように腕を組んで事態の経過を見守っていると、


「……これ、間に合いますかね?」


 ふと、ヒバナと同じ白衣を身につけた研究員の一人が不安の入り交じった顔で質問してきた。

 ヒバナの下について比較的日の浅い、狸のような顔をした男性研究員だ。融通は利かないが言ったことは迅速にこなしてくれるので、役に立ってくれている。

 名前はなんと言うんだったか。

 頭の中で狸と勝手に呼んでいたので、本名を思い出せなかった。

 少しだけ考えて、まあ特に問題は無いと結論づける。名前など所詮は個体を認識するための記号のようなものだ。案外知らなくてもどうにかなるものである。


「ヒバナさん? 聞いていますか?」

「ええ」

電磁投射砲(レールガン)の開発は良いですけど……なにもT―XXでの使用を前提にしなくても良かったんじゃないですか? 上にも半ば強引な運び方をしたんでしょう? これでもし選考会に間に合わなかったりでもしたら……」

「私達は二度と浮かび上がれないでしょうね」


 事もなにげに頷くヒバナの様子に、狸顔の部下はがっくしと肩を落とした。

 現在アーマメント社では、次期主力万能人型戦闘機を決定するための企業内選考会が予定されている。

 選定候補は二つで、ヒバナが先頭に立つヒバナ開発班が設計、開発したT―XX。

 もう片方はヒバナの同期であり同僚(一応)でもあるアモンが主任を務める開発班が設計、開発したT―XFである。


 後発のT―XFと違いT―XXは先行試作機が組み立てられる程に開発が進んでいたのだが、選考会を控えた今になってヒバナ率いるT―XX開発班は電磁投射砲の開発と平行して、電磁投射砲の使用を前提としたT―XXの改修作業にも取りかかっていた。


 電磁投射砲は優れた性能の片鱗を見せているが、火薬を主体とした既存兵器とは大分毛色が違うために運用にはそれなりの調整が必要だったのである。幸いにしてT―XXは将来を見越して設計に大分余裕を残していたので、作業自体にはスムーズに移行することが出来た。

 まさかヒバナも、正式採用前からT―XXのアップデートを行うことになるとは思っていなかったが。


「計画にズレが発生したとしてもT―XXの改造は必須よ。今のままじゃ恐らく向こうの新型機に選考会で勝てないわ」

「……それって、T―XFの性能の話ですか? あんなもの実現できるわけがないって、以前ヒバナさんも怒りまくってたじゃないですか」


 当時の様子を思い出したのか、その部下はぶるりと肩を振るわせた。

 詐欺紛いの数値を算出して記載したT―XFの仕様書に憤慨したことは、まだヒバナの記憶にもしっかりと残っている。当時の自分が荒れていた自覚はあるので部下の様子については何も言わずに、ただ嫌なことを思い出したように顔を顰めた。


「今とあの時とでは状況が違いすぎるわよ」

「……そうですか? 向こうが提示してきた指標数値は僕も見ましたけど、あれはどう考えてもはったりですよ。あんなの実現できるはずがないじゃないですか」


 技術の進歩というのは積み重ねである。

 世界の法則のほぼ全てが出揃ってしまっている現代において、スキップでもするように行程を飛ばして技術が飛躍することはあり得ない。それこそ自分たちの手が届かない技術が降ったり湧いたりでもしない限りは、あのT―XFの性能を満たすことは不可能だろう。


「……ええと、それなら大丈夫なんじゃないんですか? 何が不安なんです?」


 こちらの言葉の意図をまるで掬うことの出来ない狸顔の部下の様子に、ヒバナは青筋を浮かべて叱りつけた。


「あんた馬鹿なの!? その頭に詰まってるのはプリンか何かなわけ!? 今っ、現にっ、私たちがその降って湧いて出た技術を弄くってるでしょうが!」

「あ」


 今気がついたとばかりに呆けた声を漏らす部下の頭を、今すぐにでも全力で殴ってやりたい衝動に駆られながらヒバナは唸り声を漏らす。

 そう、有り得ないと思っていたことが自分達の身に降りかかっているのだ。

 実際の事例があるかないかでは、状況に大きな違いが出てくる。最早有り得ないなどと言ってはいられない。


 獣が出すような低い音を出すヒバナに部下は小さな悲鳴を上げつつ、どうにか上司の機嫌を取りなそうと手を振った。その様子はどこか、暴走する馬を諫めるようでもある。


「で、でもそんな都合良くそんな新技術が詰まった機体なんて手に入りませんよ。心配しすぎなんじゃないですか?」


 その安直な言葉を聞かされても、ヒバナの不機嫌そうな顔が変わることはない。

 確かに、今の自分のような状況がそうそうありえるとは思えない。

 ヒバナが電磁投射砲や既存の範疇を逸脱した例の機体に触れているのだって、半ば偶然のようなものである。今の自分の環境は望外の幸運なのだ。


 だが、そう楽観視していられないだけの根拠がヒバナにはあった。


「……向こう側に潜り込ませておいたスパイの話だと、大分前に向こうにも万能人方戦闘機らしき積み荷が運ばれてきたらしいわ」

「スパイって、何してんだあんた」


 何気なくヒバナの口から出てきたその単語に部下は驚きを通り越して呆れてしまい、思わず言葉遣いも素に戻って呟く。

 それに反応してヒバナがギロリと視線を向けると、部下は慌てて目を逸らして、ゴホンとわざとらしく咳払いを一つして見せた。そして何事も無かったようにヒバナの言葉に応じて、小首を傾げる。


「そりゃ向こうだって機体開発をしているんですから、参考なりデータ採取なりのために機体くらい用意すると思いますけど。何が気になるんですか?」

「問題はその出所よ。その機体、真空トンネルを使って輸送されてきたみたいなのよ」

「……アルタスからですか?」


 ヒバナのその言葉には、さすがの部下も疑問を覚えた。

 機体開発のデータ採取の為に機体を用意するのは良いとしても、一体何故それを陸地にある独立都市から引き寄せなければいけないのか。

 ここは技術都市とも呼ばれる海上都市であり、万能人型戦闘機の開発を行っているアーマメント社の本社も存在するのである。外部を頼らなくとも実験用機体の調達など然したる手間でも無いはずだ。


「少し前に噂になってたでしょう。独立都市側から相当にふっかけた要求が来て、それをうちの会社と海上都市がほぼ丸呑みしたって話」

「あーありましたねえ」


 それは公に通達された話では無く、あくまで関係者の間で流れた噂だ。

 しかし都市内での人材の移動を見る限り、あながち嘘とも言い切れぬところがあった。特に軍用基準性能調整個体の方面では派兵するための個体選定や訓練が始まっていると聞く。


 これは中々異例である。

 軍用基準性能調整個体の部隊運用は海上都市における最大の戦力の一つであり、例え関係性の深い独立都市に対してもおいそれと貸し出すような真似はこれまでしてこなかった。前例はアルタスとメルトランテが開戦したばかりの頃、国境線上での戦火が最も激しかったときである。

 つまりは三十年も前の話だ。


 戦況が硬直状態に陥って以降は、海上都市は物資の支援や兵器の優先供給などの間接的支援を行ってきたのみで、増援部隊の派遣などの直接的な行動はとってこなかった。

 それは勿論海上都市の防衛の観点から部隊派遣を嫌ったという理由もあるだろうが、それ以上にアルタスの現状はレフィーラにとって都合が良かったからということがある。  


 独立都市が戦争を続ける限り、海上都市製の製品の需要は途切れることがない。

 新技術を投入した商品を独立都市が買い、その資金で独立都市が抱える豊富な稀少資源を購入し、また新たな技術を生み出して独立都市へ売りつける。

 閉鎖的にも見えるこの循環は、技術開発の観点から見た場合は一種の理想型である。

 実際アルタスが戦争状態に陥って以来、海上都市が持つ技術水準は加速度的な上昇を果たしていた。

 

 それが今になっての部隊派遣である。

 裏を疑わない方が間違っている。 


「都市や企業が要求を飲んだって事は、こっちにも相応のメリットが存在していたに違いないわ。それが多分、その運ばれて来た機体なんだと思う」


 推測の材料の中には真偽の怪しいものもいくつかは紛れていたが、そこまで突拍子の無い話でも無いのではないかと思う。

 そうだと仮定して考えてみれば、色々と納得のいく点が多いのだ。

 

 アーマメント社の次期主力万能人型戦闘機は幾つもの選考を経てほぼT―XXに決まっていて、恐らくそれは上のお偉い方もそのつもりだっただろう。大量の予算を与えて先行試作機を作れる段階にまで持って来ているところからも、それは間違いない。


 それが土壇場になってセカンドプランへの格下げ、及びに新たな機体の開発。

 事前に情報を得ることが出来たヒバナがあらゆる伝手を使って役員に根回ししたからこそ現在の選考会という事態になっているが、そうでなければT―XXは問答無用でセカンドプランへ落とされていたことだろう。


 次期主力万能人型戦闘機には提供した機体の新技術を応用したものを開発すること。

 恐らくだが、独立都市側からそのような要求があったのではないだろうか。


「……あのー、ヒバナさんって本当に開発者なんですよね?」


 ヒバナの説明を聞いていた狸顔の部下がほぅと息を吐き出して、そんなことを呟いた。その前触れの無い変な質問に、ヒバナは怪訝そうな表情を浮かべる。


「当たり前でしょ、何よ突然?」

「実はどこかの組織の諜報員だったりとかしません?」

「……あんた何言ってるの?」

「いやだって、普通の開発者は相手の開発チームにスパイを送り込んだり、上に黙って外部の傭兵と提携したり、あげくには出所不明の機体のデータを運用したりしませんって!」


 そうやけに常識ぶった発言をする部下に、ヒバナは嘆息する。

 この部下は指示したことは正確に遂行するし知識もある有能な人材ではあるが、どうにも機転が利かない上にまるで貪欲さが足りない。


 自分の知らない知識の欠片が目の前にある。

 手を出す理由などそれだけあれば十分だ。 

 法律や常識といった枷に囚われて未知の知識に手を伸ばせないようでは、技術者としては最早終わっている。恐らくこの先も大成することは無いだろうなと、ヒバナは隣の部下に内心で無慈悲な評価を下した。

 その点で言えば――自分と同世代であるあの男は躊躇しないだろうという確信があった。

 こちらを小馬鹿にするような態度や、昔から何かと製品開発の競争相手として相対したりでいけ好かない奴であるが、あれは間違いなく技術者である。目の前に餌があればそれが罠だと知っても手を伸ばす人種だ。


 何故か天敵の顔を思い起こして知らず知らずのうちに不機嫌な顔を浮かべていたヒバナの耳に、再び隣の部下の間抜けな発言が届いてくる。


「ですけど、こんなうちにも無いような技術、一体どこで作られたんでしょうね? 独立都市がこんなものを保有していたら、噂くらいとっくに出ていそうなものですけど」


 ぽつりと出てきた部下のその言葉に、ヒバナは思いっきし馬鹿を見る目を向けた。その視線に相手が怯んだように後退る。


「な、なんですか?」

「あんたね……。あの機体を見てそんなこと言ってられるなんてある意味凄いわよ。数世代も技術を先取りしたような意味の分からない代物、そんなのあのセミネール由来のものに決まってるじゃないの」

「セミ……え? ……え、ええーっ!?」


 暫く言葉の意味を理解出来なかったのか目を白黒させていた部下であったが、時間をかけて理解した後に大きな声を上げた。その声は喧噪に塗れた室内の中でも一際大きく響き渡っていく。


「だ、大丈夫なんですかそれ!? やばいですよ! 粛正されちゃうんじゃ!?」

「五月蝿いわねえ、そんなはずないでしょう。もしそうなら、今頃私たちは海の藻屑よ」


 部下の醜態にヒバナは呆れて呟いた。

 もしあれがセミネールの掲げるルールに抵触するものだったならば、ここに辿り着くそれ以前に同伴していたクロード達が真っ先に消されているはずだ。

 傭兵だろうが組織だろうが国家だろうが、彼らの掲げるルールに従わない者は粛正される。それがセミネールという企業なのである。


 だがそうなってはいない。

 それはつまり、一体どのような理由かは分からないがあの機体の技術はセミネールの規則の範囲外に置かれているということである。


(あの機体の持ち主……リュドミュラはいったい何者なのかしら。セミネールからの脱走者……? それとも、こっちに技術が渡ることまで向こうの予定通りなのかしらね) 


 一体どういう経歴の持ち主なのかヒバナにも好奇心はあったが、それは時に猫も殺すとも言う。

 軍用基準性能調整個体にも引けを取らない整った容貌と、氷の如き冷たさを感じさせる雰囲気を持つ少女。実際に話してみると意外にも普通の印象を受けるのだが、ヒバナはリュドミュラと初めて会ったときに見た、彼女の瞳の深淵を忘れていなかった。


 真っ青な、海の色。

 だがそれは海上都市の周囲に満ちているような、数多の生命を育む暖かな海ではない。

 あれは遙か北方の氷塊が浮かび生命の灯火を削り取っていく死海――それも太陽の光が一切届かぬ遙か水底のものだ。

 ヒバナは研究畑の人間であり兵士ではないが、あれが常人には無い狂気の類いを孕んだものだということは理解できた。あれは謂わばダムである。何かが切っ掛けで決壊すれば、全てを飲み込む濁流となることだろう。

 そしてヒバナの思い違いでなければ、その壁には既に無数の亀裂が入っているように感じられた。


 自分よりも年下の少女の瞳の色を思い出して僅かに身震いしてから、ヒバナは未だに狼狽している部下を見て呆れながら溜息を吐いた。

 

「……ていうかあんた、本当に欠片も予想してなかったの?」

「え? え?」

「周りを見てみなさい。他にも気がついていた人間はいるに決まってるでしょ」


 別に声を潜めることも無く話していた会話だ。

 目の前の狸顔の男がやたらと目立つリアクションをしていたために、無駄に注目も集まっていた。当然周囲にまで会話の内容は聞こえていただろう。

 そしてその反応を大まかに分けると二つになる。

 狼狽した男と同じようにぎょっとした顔を浮かべている者と、誤魔化すような曖昧な表情で苦笑を浮かべている者である。ヒバナにとって後者の者達のほうが見所があるのは言うまでもない。 


「……」


 狸顔の男はその様子を見て唖然としたように口を半開きにして沈黙した後に、がくりと肩を落として項垂れた。


「もし海上都市が沈んだらヒバナさんの責任ですからね……」

「大丈夫よ、そのときはみんな一緒に海の底だから。訴える人もいないわ」


 ヒバナが肩を竦めてそう言ってやると、その部下はこれまでで一番情けない顔をして見せた。





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