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お昼戦争 - II


「辛いって、何がですか?」


 それが一体何を言っているのか分からずに、クルスは首を傾げた。

 するとセレスタが驚いたような反応を見せる。


「何って……。そんな、搭乗者だなんて……凄く過酷な役目じゃないの。それをあなたみたいな年若い子がするなんて、重たすぎるわ」

「えーと……」


 この都市に来てからそんなことを誰かに言われたのは初めてだったので、クルスは思わず返答に迷ってしまった。


 辛い。

 彼女が言っている、その意味は分かる。


 軍隊内おける万能人型戦闘機の搭乗者の役割は重責だ。

 万能人型戦闘機は名前が示すとおり空地両方において高い性能を発揮する高性能兵器であるが、それ故に様々な作戦へ編入されることになり、その搭乗者達にはそれに応えられるだけの高い操縦技術が要求されることになる。自動姿勢制御機構(オートバランサー)を代表とするコンピューターのアシストを受けようとも、機体を自由自在に操れる域まで辿り着ける人間は非常に希だ。

 またその加速力と高い旋回性能が生み出す重圧は他の機動兵器とは比べものにならないレベルであり、如何にナノマシンの血流補助を受けているとはいえ乗っている人間にかかる負担は並では無い。


 そんな席に、自分のような年端程度でしかない人間が乗り込み、前線で戦っているという状況。それが世間一般的に考えて見れば普通ではないというのは、クルスにも理解が出来る。

 しかし何故か――その感覚がいまいちクルスにはぴんとこなかった。


 初めて人の命を自分の手で奪ったときには相応に葛藤があったはずなのだが、今ではセレスタの話している言葉がまるで違う国の言語のようにも感じられる。


 一体その原因は何なのか。

 考えてみて、その理由はすぐに分かった。


「――クルス君? 大丈夫?」


 会話と言うには長い沈黙を生み出してしまったクルスに、対面に座ったセレスタが心配気に見やってくる。


「ごめんなさい。何か変なことを言っちゃったかしら」

「……ああ、いえ」


 その様子に対して、多分この人は本当に優しい人なんだろうなと思った。

 穏健派だから優しい人だというのは安直すぎるが、セレスタが向けてくる暖かみのある瞳の光はクルスの記憶の中にある母方の祖父母を思い起こさせる。


「……大丈夫、何でも無いです。ただちょっと、驚いただけで」

「驚いた?」


 小さく首を傾げるセレスタに向かって、クルスは小さく笑って見せた。


「別に辛くなんて無いんですよ」


 その言葉にセレスタは子供が強がっているとでも考えたのか僅かに不服そうな表情を浮かべたが、クルスはもう一度、言い聞かせるように言う。


「本当に辛く感じたことなんて無いんです。――だって、そんな必要無いでしょ。この都市はもう三十年も戦争をしてきたんですよ。それにここだけじゃなくて、今この世界では争っている状態が正常だと言えるほどに戦火に溢れているんです。特別辛いなんてことは無いですよ」


 戦争という行為が恒常化し、銃弾や火薬、業火で溢れた戦場で幾つもの命が散っていく。他を蹂躙する暴力的な存在を前にしてしまえば、人の命など砂海の砂の一粒ほどの重さも無い。

 その事実に気がつくのには少しの時間が必要だったが、クルスにとってこの世界は最初からそういう場所だった。


 結局の所、前提の問題なのだ。

 もしその場にいるのが紫城稔だったなら辛くて仕方が無かったのだろう。

 現代日本の感覚を引きずったままでいたならば、この世界の在り方は地獄にも等しく感じられていたかもしれない。

 だが今この場にいるのは、クルス=フィアという存在だ。

 銃を撃つのも、人を殺すのも、それは全て稔では無くクルスが行っている所業である。

 独立都市アルタス対外機構軍万能人型戦闘機搭乗者クルス=フィア少尉にとっては戦闘という行為と、それに付随する結果は、最早辛いものでも何でも無くなってしまっているのだ。

 それこそが当たり前であり、常識。

 そんなものを人は辛いと感じたりはしない。


 セレスタはクルスのその表情をじっと見つめた。表面だけで無く、その裏にあるものまで梳かして見据えるように、じっと見た。


「あなた……」

 

 セレスタは僅かに震える声で何かを言いかけて、しかし言葉を途中で止めた。

 その表情は何かを葛藤しているかのようでもあり、何か痛ましいもの目にしてしまったかのようでもあった。


 一体何故、目の前の人物はそんな顔をしているのか。

 その理由がクルスには分からなかった。


「ええと……、どうかしましたか?」


 突然黙り込んでしまったセレスタの様子に、クルスは何か不味いことを口にしてしまったかと内心で慌てる。

 もしかして戦争を許容するような発言が不味かったのだろうか。冷静になって考えて見れば確かに、和平を目指している人間からすれば先程の自分の言葉は皮肉を言っているようにも受け取れるかもしれない。クルスとしてはそんな意図は全く無かったが、問題は相手がどう認識したかだ。

 もしかして次の瞬間にはひっぱ叩かれるのではないだろうか。


 ……だが幸いにしてそれはクルスの杞憂であった様で、次に視線を上げたときのセレスタは少しも怒っている風では無かった。


「ごめんさいね。歳のせいか、最近どうにもぼうっとすることが多くなっちゃって」

 

 どう考えてもそういった類いの沈黙では無かった気がするが、自分の失態が流れようとしているのに、それを無理に引きずろうという気はクルスにはない。

 気にしないでくださいという風に首を振るクルスを見て一つ微笑みを見せると、セレスタはその表情のまま言葉を続けた。


「クルス君、一つだけ聞きたいことがあるのだけれど良いかしら?」

「なんでしょうか?」

「あなたは、戦争が終わったらどうしたい?」

「……え?」


 その言葉に、クルスの思考に一瞬の空白が生じる。

 思わず見返すもセレスタの表情は変わらず、聞き間違いでは無かったと理解する。


「……戦争が、終わった後?」


 考えてもいなかったセレスタのその言葉に、クルスは暫し目を瞬かせた。 

 それを見たセレスタは寂しさが入り混じったような顔を浮かべた。


「永遠に続く戦争なんて存在しないわ。争いっていうのは結局のところ一過性の現象でしかないのよ」

「……でも、もう三十年この都市は戦争を続けてますよね?」

「三十一年続くかは分からないじゃないの。現に今は停戦しているわ」


 それは確かにその通りである。


「いいクルス君? いつか戦争は終わるわ。それがいつかまでは分からないけど、絶対にその日は来るの。その時、あなたはどうする? 戦争が終わった後も軍人として生きていくのかしら?」

「それは……」


 争いの場が無くなったあと、自分はどうするのか。


 ―― 一生、軍人として生きる?


 そう頭の中で呟いてみても、クルスにはまるでその実感は湧かなかった。


 そも、クルスが今現在シンゴラレ部隊の一員として活動しているのも、激流のように変化した状況に追いつけずに結果的に落ち着いた場所と言った方が正しい。部隊の同僚達や万能人型戦闘機に乗れる環境はそれなりに気に入っているが、軍人として独立都市のために戦うという意識は希薄だ。

 ソピアとの取引に応じたのは間違いなく自分の判断であり意思であったが、あの状況でそれ以外に選択肢があったかと言われればそれも疑問であった。

 

 だが今はどうなのだろうか。

 今のクルスには、シンゴラレ部隊の隊員として日々を過ごす以外の選択肢が存在しているのか。それは分からないが、少なくとも以前よりは確実に選べる選択肢の幅は増えていると言えるだろう。


「……ソピアとあなたの間でどんな取引があったかは分からないけど、あなたはちゃんと独立都市の市民権を手に入れている。色々な手間はあるかも知れないけれど、別の生き方だって探せるはずよ」

「――」


 不意を突くようにして出てきたセレスタのその言葉に、クルスはぴくりと肩を揺らした。

 何故なら彼女のその言葉は、クルス=フィアという人物がどうやって生まれたかを示唆していたからだ。咄嗟に驚いた顔を見せなかったのは上出来である。


「……なんのことですか? 私は十年前に外から移民してきたんですよ。市民権を持っているのは当たり前でしょ」


 これまで殆ど他人に話したことのない、用意された形ばかりの経歴を口にする。

 クルス=フィア。

 十年前の移民募集で家族と共に移住。その後の事故で家族を失い、軍学校の特殊カリキュラムを修了後、西方基地所へ着任。

 それが紙面上だけ用意された、薄っぺらいクルス=フィアの歩みである。


 発せられた言葉からクルスの警戒を鋭敏に感じ取ったのか、正面に座るセレスタは少しだけその眉根を下げた。それは今にも泣きそうな顔にも見え、恐らくは悲しみの表現だった。


「……勘違いしないでちょうだいね。別に、私はあなたのことを糾弾するつもりはないのよ」


 クルスの言葉など少しも信じていないようにセレスタは話す。

 何も彼女も憶測で話しているわけでは無いのだろう。情報の操作などはクルスの今の戸籍を用意したソピアが調整しているはずだが、恐らくは彼女なりに裏が取れてしまっているに違いない。


「独立都市の運営に関わる議員だなんて言っても、私に出来ることなんて大したものじゃないわ。都市の外から助けを求めてくる人達を受け入れてあげられないくらいにちっぽけなもの。どんな経緯であっても、あなたが今に充足を感じているなら私はいいと思ってるのよ」 


 都市の外から、というのはアルタスの市民権を持っていないゴースト達のことだろうか。

 平和と謳われる独立都市が内包する闇とでも言うべき存在。

 セレスタはそんな彼等達の現状に無力感を覚えているらしかった。ゴースト達を独立都市に存在する環境問題として捉える人間は多くいれども、そんな対象として見ている人間は果たしてどれだけいるのだろうか。

 クルスは朧気ながらセレスタという人物がどんな輪郭を持っているのか、見えた気がした。


「ただ、お願い。自分から可能性を狭めないで欲しいの。そんなに愚かなことは無いわ。あなたはまだまだ若いんだから、遅すぎることなんて何もないはずなのよ」


 クルスはセレスタの言葉をただ黙って聞いていた。

 視線を正面に位置する彼女から外さずに、じっと見つめる。


 若木の幼葉のような色をしたセレスタの瞳には曇りを感じさせる陰りなど一片も無く、そこにはただ真摯で直向きな光が灯っていた。それは大人が子供を心配する、暖かみのある慈愛の明るさだった。


 そんな春の陽だまりのような温もりを持つ視線に押されるようにして、クルスは考える。

 果たして、自分の目的は何だろうか。

 戦って、生き抜いて――自分のその先に何がある?

 

 例えば、紫城稔はどうだったか。

 軍人でも何でも無いただの学生であった少年は、『プラウファラウド』という仮想現実の中でひたすらに強さを追い求めていた。それは、将来の夢などと言う立派なものではなかった。

 だが時間を捻出し、同年代との付き合いを犠牲にして、幾千もの時間と戦場を仮想現実で渡り続けていたのは、燃料に引火した炎の如き欲求が渦巻いていたからだ。

 所詮はただの遊び。だが、それは紫城稔という一人の人間を突き動かしていた確かな動力源だった。


 なら――万能人型戦闘機の搭乗者として戦い続けるクルス=フィアの動力源は?

 都市への帰属意識も薄く、明確に誰かを守りたいと思えるような欲求も存在しない。

 戦場でかつて得ていたような高揚感も失われている。

 ならば、ただの生存欲求?

 死にたくないと言って、命を賭けながら戦場に出ているのか?


 独立都市アルタス対外機構軍に所属する万能人型戦闘機の搭乗者、クルス=フィアの行き先には何がある?

 

「――……」


 盤石だと思っていた足下が、ひび割れたような錯覚。

 判然としない疑問がクルスの脳裏を幾度も掠めては、風のように過ぎ去っていく。


 セレスタはその様子を何も言わずに、暫く見つめていた。

 そこにどのような感情が交じっていたのか、それは分からない。

 だがもしクルスがその瞳の奥を注意深く察するだけの余裕があったとすれば、そこに悲しみと、ほんの僅かな安堵が混じっていたことに気がつけただろう。


 セレスタがクルスについて知っている事は決して多くはない。

 知っているのは彼の経歴が一人の軍人の指示によって用意されたものであるという、その程度のものである。ソピアが一体どこから、何を目的にこのクルスという名を与えられた少年を連れてきたのか、セレスタは何も知ることが出来ていない。


 偶然クルスを見つけたときにセレスタが昼食に誘ったのには、その裏を知る切っ掛けになるのではという下心があったのは否定出来ない事実だ。 

 だが会話を重ねていく間に戦争が当たり前であり、戦うことが辛くないと口にする目の前の少年が痛ましくて感じられて仕方がなくなってしまっていた。

 答えなど一つしか無いと言わんばかりに。彼が何でも無いと口にしているその姿が、まるで自分に言い聞かせているようにしか思えなかったのである。

 一つを芯にして、それに殉じて真っ直ぐに突き進む。

 その生き方は一見すると強く、気高く見えるかも知れないが――反面で取り返しの付かない状況にもなり得る弱さがある。形が変わらないと言うことは、もし最初の形が歪であったとしても修正出来ないということなのだから。


 だが、クルスを名乗る目の前の少年はセレスタの言葉に逡巡を示した。

 それはつまり、まだ変えられるということだ。

 目の前にいる少年は外から言われて、まだ迷うことが出来る。決まり切ってしまい、本当に手遅れな人間は他人からの意見で我を曲げないのものだ。


 思考を停止させないで欲しい。

 考えて、考えて。

 その先にクルスがどのような答えを見つけるのか――そこまではセレスタには分からない。

 それをセレスタが決めるのは傲慢だ。

 考えた末にクルスが戦争を肯定しそれを支持するならば、それはもう誰が文句を言えるようなことでもない。無数の選択の中から彼が選び取ったものなのだ。勿論、セレスタ個人としては残念ではあるのだが。


「――ごめんなさいね。歳を重ねちゃうとどうしても説教臭くなっちゃって嫌だわ」


 場に生じていた重たい空気を無視して、セレスタは小さく手を叩いた。

 まるで仕切り直し台腕ばかりの動作にクルスは面を上げて、呆然とする。そんな少年の反応を見てセレスタは微笑んだ。


「さ、お話はこれくらいにして御飯を食べましょうか。ここのお料理はどれも美味しいのよ」


 まるでスイッチを切り替えたかのように今までの空気を霧散させて、セレスタが最初と同じような穏やかな表情を浮かべて見せる。

 その姿はどこからどうみても気の良い老人のそれでしかなく、そんなものは彼女からしてみればお家芸みたいなものなのだろう。クルスはそこに人の上に立つ人間の恐ろしさに片鱗を垣間見た気がした。

 どうにも釈然としない気持ちに襲われながら、クルスはつい前髪を指で弄る。

 だがそれも目の前に次々と運ばれてくる料理を目にしてすぐに意識の外に追いやられた。

 恐らく最初からセレスタが合図なりをすれば運んでくる算段になっていたのだろう。個室の扉が開いて、様々な品目の料理が並べられていく。


 広い円形テーブルの上に並べられているものの中にはクルスの知らないような料理も多数ある。大皿から小皿に取り分ける形式で、既存の知識に当て嵌めるならば中華形式に近いだろうか。

 白い湯気を立てるバラエティ豊かな料理に思わず感嘆の息を吐き出す。


「すごいでしょう? ここは食料プラント製の食材を一切使ってない、自然素材がうりのお店なのよ」

「へえ」


 独立都市内において食料プラントという精製施設が、食材自給率に大きく貢献していることはクルスも知っていた。

 果実や野菜類の栽培や家畜の育成などは、どうしてもスペースが必要になる。

 範囲の限られた独立都市には農業用の区画も用意されているが、年間の生産数には自ずと限界が出てくる。そのためアルタス内での自然食材というのは、高級品に分類されていた。

 クルスにしても動植物性プランクトンを利用して生み出される食材は普通に美味しくはあったが、どこか単調で深みのない味わいだと気がついていたところである。


 クルスは試しに近くにあった料理の一つに目を付けて、自分の小皿に取り分けた。見た目は海老チリのようにも見え、魚介系の白身の上にとろみのある朱色のタレが食欲をそそる匂いを漂わせている。 

 クルスは習慣で、いただきます、と一言呟いてから、それを口にする。


 最初に舌を刺激したのはタレだ。

 恐らくはいくつかの香草とスパイスを組み合わせたとろみのあるタレが広がっていき、それを受け取った胃袋を活性化させていく。

 そうして生み出された食欲に掻き立てられ、料理に導かれるようにして噛む。

 柔らかな弾力のあるこれは、やはり魚の白身だろうか。自然素材をうりにしているだけのことはあり、癖の無い、素材特有の風味が口内から鼻の中へと吹き抜ける。だがそれで終わりでは無い。二つの要素を噛み締めている間に口の中でタレと具材が絡み合い、お互いの香ばしさを引き立てると共に混じり合い完成された甘辛い味付けが舌を刺激する。

 クルスは温度の高いそれを嚥下すると、思わずといった風に言葉を口にした。


「――すごい美味しいですよ、これ!」


 次にクルスが手を伸ばしたのは最初から切り分けられている、鳥肉料理。自然素材を活かしているらしく、切れ目が入っていながら鳥の原型が見て取れる。

 基本は蒸し焼きのようだが、表面は強火で炙ったように美しい焼き色が付いている。

 その一切れを口にすると、に思わず舌宛を打つ。

 これも美味しい。

 一品目と比べれば塩とスパイスだけのシンプルな味付けだが、予定調和の如くそれが合う。これを食べてしまうと、無駄な調理などいらないのではないかと錯覚しそうになる。


「あらあら」


 クルスの様子を眺めていたセレスタが、顔の皺をくちゃくちゃにして嬉しそうに笑った。


「お口に合ったようで良かったわ。若い子とこうしてお食事する機会なんて全然無いから、少し不安だったのよ」

「いや、本当に美味しいですよ。人生で一番美味しいかもしれないです」


 誇張無きにそう思う。

 クルスが自分で作る料理は言うに及ばず、これまで外で食べてきたどんな店よりも美味しく感じられる。箸が止まらないという現象をクルスは現実で初めて体験した。 

 包み焼き、練り物に、スープ、サラダに揚げ物。

 まるで食材に呼ばれるように、卓上に手を伸ばしていく。我ながら凄い勢いで食べていたと思ってしまうほどなのだから、クルスが満腹感を覚えるのにそう長い時間が必要無かったのも必然であった。


「――」


 しかし、ふと気がつく。

 食べれども食べれども、机の上の皿の数が減らない。

 当然といえば当然で、大皿一品はそれ一つで二、三人前と言ったところの品目である。それが幾つも机の上に並んでいるのだから、クルスが奮闘したところで早々無くなるわけがない。

 だがそれでももう少し減っていても良さそうな物だがと考えるクルスの前に、空になった皿が下げられると同時に新たな品目が加えられた。

 

「え」


 目を丸くして退室していくウェイターを見送った後、はっと対面の席に座るセレスタに視線をやる。


「あと、これとこれもお願いね。こっちは一つずつ味付けを変えてちょうだい」


 見やれば追加注文をしているセレスタの姿に、クルスは愕然とする。

 まだ机の上に料理が残っているというのに一体これはどういうことだろうか。年齢に似合わぬまさかの大食いだろうかと戦きながら、恐る恐る訊ねた。


「あのー……セレスタさん?」

「あら、どうかしたかしら?」

「いえ、まだ追加注文を取っていたようだったので。随分食べるんだなあと……」


 そう言うと、セレスタは面白い冗談でも聞いたように頬を綻ばせた。


「こら、あなたは何言ってるのよもう。私はもうお腹いっぱいよ。あとはクルス君がたっぷりと食べて良いんだからね」

「え……? いやでも自分もけっこう食べたかなーなんて……」


 正直既にお腹は充分に満たされているのだが。

 しかしクルスのその控えめの宣告に、セレスタは子供を少し叱るような顔をした。


「あら駄目じゃないの、若い子がお年寄りに遠慮なんかしてちゃ」

「え、いや別に遠慮じゃ……」


 そう言いかけるも、時間と共に数を増していく机の上の品々にクルスは言葉を止めて口元を引き攣らせた。


「え、えーと……」

「お金の心配なんかしなくていいのよ。さ、どんど食べて頂戴ね」

 

 セレスタのその表情をクルスはかつて見たことがあった。

 山と田んぼに囲まれた片田舎。

 父親に連れられて母方の祖父母の家に行くと、彼らは決まって食べきれないほどの量の御飯を並べながら、穏やかに笑って「さあお食べ」と言うのだ。

 セレスタの表情は、その時の祖父母と同じものだった。


「育ち盛りでまだ若いんだから、遠慮せずにいっぱい食べなさい」


 その台詞も昔聞いたことがあるような気がする。

 既に広いテーブルを狭くさせ始めている、数々の料理群。

 緻密な調理を感じさせる透き通った色合いのものや、食材の部位を大胆に使ったもの、味わうだけで無く見せることを意識したものなど、その種類の多さに飽きは無い。飽きは無いが――何事にも限度というものがある。


「せ、セレスタさんももっと食べたらどうです? さっきからあまり口を付けていないようですけど」


 苦境に立たされていることに気がついたクルスが苦し紛れにそう言うと、セレスタは困ったような仕草で上品に頬に手を当てて、


「それが、もう歳かしらね。最近食が細くなっちゃってねえ。勿論、あなたはお年寄りに付き合って我慢なんてしないでいいのよ。寧ろしっかりと食べなさいね」


 悪気など一切感じさせない様子でセレスタはそう言い、その柔風のような言葉と視線に押されるようにしてクルスはゆっくりと卓上を見た。


「……」


 焼いたもの、煮たもの、混ぜたものから素材を活かしたものまで何でもござれ。料理人の技巧を凝らした品の数々が今目の前にある。


「――」


 それを、これだけの量を、たった自分一人だけで胃袋に納める。

 それはどれだけの収納術を駆使しても不可能な難問のように思えた。現在の状況から〈ヒュトリクス・アーラ〉に挑んだときと同等の気配を、クルスの五感が感じ取っていた。


 だがまかりなりにも自炊をこなしてきたクルスの価値観が、食べ残すなんてとんでもないと本能に訴えかけてくる。

 勿体ないも当然だが、料理というものは作り手の手間と苦労の成果なのだ。ましてやこれだけの品々。最早クルスにはそれがどの程度のものなのかすら計ることは出来ないが、無為にしていいものでは無い事は分かる。


(大丈夫だ、いける。こんなところでランク一が負けるわけがない……!)


 香ばしい匂いを湯気と共に立ち上らせる品々を前に、クルスは己を鼓舞する。

 何を怯む必要があるというのか。

 思い出せ。

 かつての苦境。

 押し寄せるミサイルの群、崩れ落ちる海上の尖塔、戦場を行き交う幾多の弾丸、黒刀を操る万能人型戦闘機との死闘、空飛ぶ巨獣への特攻。

 それらに比べれば、この程度の軍勢などものの数では無い。


「この後には甘いものも用意してあるからね。楽しみにしていて」

「ワー、タノシミダナー」


 そう微笑むセレスタ。

 果たしてそれは天使の微笑みか、悪魔の嗤いか。


 ウェイターの手によってなおも運ばれ続けてくる品々を、クルスはじっと据わった目つきで睨みつけ、


「――いただきます」


 不退転の覚悟を持って戦いへと身を躍らせた。






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