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プラウファラウド  作者: ドアノブ
七話 銀世界の騎士
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銀世界の騎士 - VII

 セーラの最大の敗因は、針の穴を通すような精密射撃に頼ったことにある。

 最小限の損耗で最大の効果を求めた彼女の一撃は効率という面でみれば極めて優秀であったが、その反面で範囲的な制圧力というものに欠ける。 

 黒騎士とも言うべき風貌を持つあの〈黒鐵(クロガネ)〉を操る搭乗者の能力は異常だ。こと白兵戦兵装の扱いという一点において、あれの右に出る者はいない。死という絶対的な事実が常に控えている実戦で、音速を超える弾丸を見切り切り払うなどいう芸当、他の誰が出来るというのか。 

 如何に正確な射撃であろうとも――いや、正確且つ的確だからこそ〈黒鐵〉とその搭乗者はその弾道を読み切り、その弾丸は雷光の一閃にて粉砕される。

 故にあの相手を封殺するには、徹底的に超振動戦闘用長刀(ヴァイロブレイド)の届かない銃撃の間合いを保ち、なおかつ射撃は散らばして放つ必要があるのだ。


 作戦終了予定時間まで残り五分。

 白雪と瓦礫が散らばった敷地内の大地を強く蹴り出した黒機に対して、クルスは容赦なく引き金を絞った。瞬くような連続的な発射炎と共に〈フォルティ〉の右手に握られた突撃銃から大量の弾丸が解き放たれる。

 狙いは複数箇所。微妙にずれた弾道を描くそれらを切り払うのは、如何に特化した性能を持つ〈黒鐵〉といえども物理的に不可能。

 フロート機構を用いらない独自の移動方法を扱う〈黒鐵〉は、まるで人間のような動きを見せて横に跳躍、回避。身体が低く浮き上がった瞬間に大出力の推進ユニットを一瞬だけ吹かして、その移動距離を緻密に調節する。


 安定した速度と走破性を失ってまでその独特の移動方を選択しているのも、全ては闇色を持つ超合金の刃――雷光の性能を十全に引き出すため。全身の力を地面に伝え、その反発力を用いて一刀を成す。そんな生身の人間が錬磨し生み出してきた剣の(ことわり)を、万能人型戦闘機の戦いに取り入れるためである。

 

 着地――そして再び、跳躍。

 離脱点と着地点を直線で結んだような軌道。強烈な伸縮性を持つ人工筋肉によって瞬発力を得ながら、体幹の荷重移動と推進ユニットの噴射感覚によって巧みにその飛距離と向きを調整し、弾丸の脇を擦り抜けていく。

 標的を見失った大口径の弾丸が、既に幾多の爆撃で原型を失いかけている建築物にとどめを与えていく。削り取られた破片が瓦礫となって大地に落ち、未だ地上に残る生身の人間達が為す術も無く巻き込まれていった。


「――」


 五感が過敏なほどに働き、神経の根は機体の隅々にまで行き届いている感覚がある。

 機体を傾ける。貯蓄コイルを仕込まれた蓄電器から血管の如く張り巡らされた回路を伝って電流が駆け巡った。特殊合金製の骨子に支えられた筋肉が収縮し、関節に仕込まれたモーターが回転する。後退を命じると同時に主機出力が上昇し、脚底部に備わったフロート機構が浮遊高を増加、傾けた推進ユニットの内部に備わった推進剤が燃焼、身体を押し戻す。

 今のクルスの目や耳は頭部に集約された複合感覚器(センサー)であり、両手両脚は人工筋肉とサーボモーターに支えられた巨人の四肢だった。

 着地したときの体幹移動から敵機の次の移動方向は読み取れているし、宙に浮いたときの推力ユニットの方向から着地点も予測している。

 相手の動きはよく見えている。

 これほどの好調を実感するのは、対戦に明け暮れていた頃でもそう多くはない。今の自分ならば何だって出来るというような、万能感。

 かつてない最高の状態。




 ――だが届かない。 




 口から漏れる呼吸が荒い。

 聞こえてくる動悸が五月蝿い。

 心臓が耳元まで移動してきているのような錯覚。  

 駆け抜ける影に向かって、三点射撃。相手の着地点を読んで放った三つの弾丸が辿り着いたときにはもう、敵機はそこにはいない。

 黒い機影を残しながら〈黒鐵〉が跳躍し――また一歩『間』が殺される。


 ――性能が違いすぎる。


 頭では理解していたことを、現実として肌で体感する。

 調子は悪くない。クルスの集中力は極限まで高まっている。

 それでなお、埋めることの出来ない絶望的なまでの兵器の質の差が立ち塞がる。

 

 当然か。

 今相対している〈黒鐵〉は本来、自分の愛機であった〈リュビームイ〉を持ってして挑むべき相手だ。クルスの本来の姿で凌ぎを削り合う敵なのだ。

 それそも製造企業統一という制限――それもゲーム『プラウファラウド』においては一線級の性能を持つともいえない部品(パーツ)で組まれた、趣味機体で立ち向かうべき相手ではない。


 全く持って、自分と相手の合間に存在するこの距離の何と頼りないことか。

 相手が真っ直ぐに突っ込んでくれば一瞬で戦闘は終わるのではないかという錯覚すら覚えそうになる。


 射撃――そしてリロード。

 弾倉内の弾が切れたことを検出した火器管制が自動的に弾倉を排出、クルスは空になった弾倉が地面に落ちるまでには新たな弾倉を突撃銃に装填していた。

 その速度は迅速にして的確。洗練されたその動作には無駄というものが一切見つけられない。

 しかしその間にまた――存在していた『間』が殺されている。


 じわりじわりと、死神の刃が首元に近づいてくる。

 触れてもいない黒い刀身に、徐々に身を削がれていっているようだ。今、自分が感じているのは時間が無いという事態に対する焦りか――或いはこれが恐怖なのか。

 相手がその足を一歩動かす度に、世界が黒く塗り潰されていく。

 遠間合いから一方的に攻め立てているのは〈フォルティ〉であったが、どちらが追い詰められているかは明白である。それは相手も分かっているだろう。

 黒い鎧の内側から一切の焦りを感じさせずに、冷静にクルスの射撃を避けながら己の領域内へと運び込もうとしている。


 残っている『間』はあとどれくらいか。 

 他に類を見ない〈黒鐵〉の偏重した機体構成が実現する剣の間合いは、膨大な対戦回数を持つクルスの経験でも正確には理解していない。

 複雑な操作を省略し、本来ならば切る、突く、といった単純な動作を組み合わせて事前に登録しておき『技』として扱い戦うのが万能人型戦闘機での白兵戦の通常であるが――〈黒鐵〉にはその常識が通じない。

 幾ら人の形を摸している万能人型戦闘機だとはいえ、それを本物の人間の身体のように扱うのは目の前の搭乗者くらいのものだろう。


 側面を取るように移動する敵機の先を読み、後退しながら機体を旋回させる。

 だが敵の瞬発力に身体(フォルティ)が追いつかない。人間以上の可動域を最大まで利用して持ってして身体を回すが、それよりも速く〈黒鐵〉が動く。


 ――また『間』が死ぬ。

 ――奴を倒すにはどうすればいい。


 焦り。それと同時に、まだここは敵の距離ではないという前提の元に行われた思考。それはこの状況において、あまりにも悠長だ。クルスはその事をすぐに思い知る。


 追従してくる銃口を完全に振り切ると同時に、僅か一歩――これまでの動作と比べれば余りにも静かな動きで〈黒鐵〉が前に出た。



 そして――空気が変わった。



 物理的な話ではない。

 だが確かに今この瞬間。

 〈黒鐵〉がその一歩の距離を埋めた瞬間に、複合感覚器では捉えることの出来ない何かが変化したことをクルスは理解した。

 数瞬遅れて振り向き直った機体の前面から伝わってくる、圧迫感。

 それは軽量化を施した〈フォルティ〉の機動負荷よりも遙かに重く、クルスの身体を打ち据える。徐々に近づいてきていた命を狩る死神の鎌――その刃がついに首元に触れたのである。


 これまでに無いほどに〈黒鐵〉が深く前傾姿勢になり――疾駆。

 内蔵された人工筋肉が軋み、機体随所のサーボモーターが唸りを上げる。

 深く折り曲げた膝関節に力を溜めて――開放。

 蹴り上げられた衝撃によって、施設内の硬く舗装された路面が砕ける。

 同時、押し出された空気が突風となって吹き荒れた。


「――っ!」


 機体性能を前面に押し出した、突撃。

 クルスは先刻の自分が見誤っていたことを知る。

 ここは既に、相手の射程圏内だった。

 クルスは咄嗟に引き金を絞るも殆どの弾丸は漆黒の複合装甲板に阻まれ、幾らかの有効弾はその長刀を盾に全てが弾かれた。


 深く、低く――懐にまで〈黒鐵〉に踏み込まれる。


 その瞬間、視界が黒く塗り潰された。黒機が伸ばしたその一歩を中心に、今まで保っていた領域が一瞬で侵略される。


 雪塵が舞う。

 自分の間が殺され、相手の間が活きる。

 ちろりと点滅する〈黒鐵〉の複合感覚器。



 ――ここは俺の間合いだ。 



 炎の色をした明かりが、そう物語っていた。 

 ぞわりと、見えない手に背中を撫でられたと感じた。息と心臓の鼓動が止まり、クルスの全身から体温が消え去る。今この瞬間、クルスはこれまでの人生で最も鋭敏に死の香りを嗅ぎ取った。かつて海上中継地点で崩落に巻き込まれたときでも、ここまでこの存在を身近に感じたことはない。 


 だが、機体を操ることだけは止めない。ここはゲームではない。それをしてしまえば全てが終わってしまうと、クルスは理解していた。

 思考する手間すらを惜しんで〈フォルティ(自分)〉に命じる。



 ……――動けッ!



 備えとして残しておいた左腕が駆動。相手と比べれば遙かに性能の劣る〈フォルティ〉の人工筋肉が意思によって伸縮し、腰部の武装固定具に備わっていた超振動ナイフを引き抜き稼働させる。


 ――疾風迅雷。


 脇から抜けるようにして、黒い残光が大気を切り裂く。

 錬磨された超合金同士がぶつかり合う甲高い鳴音とともに、銀世界に火花が散った。 

 高周波発生機構を備えた刃が空気を鋭く鳴らしながら、お互いにお互いを食い潰し合う。――否。


「そんなところを狙って……!」


 それは拮抗すら起こらない。

 大出力の高周波発生機構に加えて、武装重量を考慮せずに生み出された超振動戦闘用長刀――雷光が備える切れ味、破壊力は、量産型の〈フォルティ〉が持つ超振動ナイフの比ではない。短い刃が大きく形を崩し、圧壊していく。

 刃を支える左腕のアクチュエーターに過負荷警告。


「……分かってるって!」


 このままじゃ死ぬぞという〈フォルティ〉の身も蓋も無い忠告に、クルスが唾を飛ばす。

 もとよりこの白兵戦で勝とうなどとは思っていない。 

 剣術の心得などないクルスがこの状況で頼るものは、軽量機の本領を発揮させるために身に着けてきた無茶な機動経験以外にありえなかった。自分のこれまでの対戦経験を最大限に用いて、伝わってきた衝撃に合わせるようにして機体を横へ弾く。

 もしこの時、相手と同じように地に足を付けて対抗するように踏ん張ったりしていたら、超振動ナイフ諸共機体は切断されていただろう。だがフロート機構を作動させたままでいたことによりそうはならず、地面との摩擦を受けない〈フォルティ〉は氷上で弾かれたように滑っていく。


「こんの……ッ!」


 機体出力の差によりほぼ一方的に押し出された〈フォルティ〉は半身を大きく仰け反らせ、そのまま崩れ落ちそうになる。それを自動姿勢制御機構が作動するよりも速く、クルスはノズルを調整、小刻みに偏向させながら推進ユニットに力を入れる。

 ともすれば機体全体が持っていかれそうな衝撃を整合していき――最終的には失われていた機体の安定を見事に取り戻してみせた。



「――――、」



 止まっていた時間を取り戻したかのように、息を吐き出す。

 酸素が足りないと身体が訴えている。脳に新鮮な血液を循環させようとする心臓の鼓動が、五月蝿いほどに聞こえる。

 新鮮な空気を取り込みながら、状態を確認する。

 左腕の稼働率は大きく低下、人間の指に当たるマニュピュレーター部分は完全に死んでいた。

 襲い来る破壊に対する緩衝材代わりに使った超振動ナイフは既に原型を失うほどに拉げている。高周波発生機構も停止し、既に鉄屑に成り果てていた。むしろ、よく耐えてくれたと思うべきなのだろう。


「次は無しか……けど」


 最早重しでしかないそれをクルスは躊躇無しに投棄して――ふと全身から悲鳴を感じ取った。

 それはクルスが十全に戦えないことへの嘆きであり、〈フォルティ〉の痛みであった。


 頻繁すぎる駆動制御のやり取りに、機体の疲労が凄まじい勢いで蓄積されていく。機体を一切労らないクルスの命令に、悲鳴を上げている。各関節部、補助モーター出力、推進ユニット、内部機関――それぞれの寿命が急速に潰えていくその様子が、クルスには手に取るように分かった。

 紙一重の攻防に最早〈フォルティ〉の性能は、完全に追いつけていないのだ。


 ある意味で当然だろうか。

 中量機である〈フォルティ〉を強引に軽量化し、軽量機としての運用をしている。足りない速力は強引な荷重移動や推力ユニットで加速させて補い、通常の想定以上の負荷をかけ続けてきた。

 並の相手ならば機体を労ることもできていた。だが〈黒鐵〉を前にした現時点で、それだけの余裕は存在しない。一時たりでも張り詰めさせた糸を途切れさせ、動きに妥協を見せれば――次の瞬間にはクルスと〈フォルティ〉はあの黒刃によってこの白い世界に沈められているだろう。


「まだ保ってくれよ……」


 そう(なだ)(すか)すように、自分以外には聞こえていない言葉を呟く。

 クルスは軽量機の扱い方しか知らない。

 機体速度を活かして距離を操り、複雑な高速機動をとって相手の死角を取る。その一面のみに尖った戦闘技術は鋭い切っ先を保つと同時に、応用が利きづらい。中量型である〈フォルティ〉に軽量を施している時点で、無理をさせているようなものである。

 

 はたしてこの戦いを終えた後、離脱出来るだけの余裕がこの機体に残っているのか。

 思わずそんなことを考えてから、小さくかぶりを振った。

 その思考に意味は無い。

 この相手を前に離陸を敢行して無事で済むわけがない。動作の最中に複合装甲板諸共切り伏せられるのが関の山だ。

 すでに退路は断たれている。

 今はただ、目前の道を進むために障害を排除するべき時だった。


 クルスは視線だけで残り作戦時間を確認して、思っていたよりも遙かに時間が経っていなかったことに気がついて僅かに驚いた。

 それだけ、時間の感覚が鈍るほどに意識が集中していたということだ。

 一瞬でも気を逸らせば終わるという状況は、思った以上にクルスの神経を大きく摩耗させている。

 呼吸は浅く、全身から汗が流れ、眼球が圧迫されているかのような感覚、気のせいか軽い頭痛も感じられる。(つぶさ)に機体に指示を与えてきた身体は鉛のように重く――だが、全身を目まぐるしく巡る血流は異様なほどに熱い。クルスの意識はまだ、臨戦態勢を解いてはいない。

 内側から心臓の裏を引っ掻かれるような、或いはぢりぢりと遠火で少しずつ臓器が焦げ付いていくような、焦燥感にも似た感覚。


 〈フォルティ〉の横に伸びたライン上の複合感覚器眼(センサーアイ)と〈黒鐵〉の奥に潜む双眸が絡み合う。或いは複合感覚器を通して、お互いの搭乗者の視線が重なる。


 ――苛立ち。


 胸内でふつふつと湧く感情。

 クルスは目の前の存在に、自身が強い苛立ちを覚えていることをはっきりと自覚する。その理由は明白であった。





 零度を下回る銀世界の中〈フォルティ〉の大腿部に存在する武装弾倉個(ウェポンベイ)が開放され、内部に残されていた弾倉が全て落ちていく。少しでも軽く、少しでも頭で描く理想に近づくために、クルスは残っていた弾倉の全てを投棄した。

 

 継続戦闘能力の破棄――それはつまりこの戦いの結末が近いことを意味している。

 相手もそれが分からないわけでもあるまい。だがそれでも相対する〈黒鐵〉は身動ぎすることなく、ただその様子を静観していた。……とはいえ、それは余裕を見せているというわけではなかった。


 〈黒鐵〉が両手で構えた黒刀は正眼、両の足は前後に開きながら大地に付いている。雪の積もった銀背景を背負いながら見せる黒い巨人の姿は、実に様になっている。剣術などには大した造詣を持たないクルスでも〈黒鐵〉の取るそれが単なる格好つけでないことは理解出来る。

 或いは――その道に詳しい者がこの場に居れば、僅かにその重心が前に寄っていたことに気がついたかもしれない。


 薄紙一枚。

 剣の道において語られるそれは踵荷重になって場に居着いてしまわないための忠言であり、〈黒鐵〉の今の姿は一足一飛を実現する紛うことなき臨戦の態勢であった。

 人間の為に編み出された戦闘の型を再現――更にはそれを人間以上の駆動域や強靱な力、或いは推進ユニットなど人間には決して存在し得ない器官を用いて、万能人型戦闘機の為の戦法へと昇華していた。

 

 先程相手が見せた間合いを考えれば、今の状態で残っている『間』はあって無いも同然だろう。

 超振動ナイフを失い、左腕部の機能を低下させた〈フォルティ〉では先程と同じ手は使えない。もしまた〈黒鐵〉に懐へ潜られた場合、今度こそクルスは超振動戦闘用長刀によって断たれることになる。

 だがクルスは決して絶望に支配されていない。

 僅かでも機体を軽量化し、瞬きすら惜しんで目の前の黒い巨人を見据え、内の渦巻く感情のうねりすらも戦意へと変換する。


 一秒が永遠にも引き延ばされたような感覚。

 雪風が吹き荒れる。

 〈黒鐵〉が大地を蹴って跳躍、突進を開始する。この地方では珍しい白陽の光に照らされながら、冷気を切り裂いて最短距離を疾駆。その身体が僅かに浮き上がると同時に、加速。

 推進ユニットによって押し出された機体が一瞬にして〈フォルティ〉の懐に入り込む。

 その淀みのない流水の如き自然さで行われた一連の動きに合わせて、クルスもまた動いていた。



 最初にそれを感じたのはセーラが撃墜された瞬間。

 影も置いていくような〈黒鐵〉の動きと一撃に戦慄する反面で、クルスは大きな違和感を覚えていた。


 致命傷を与える。


 極論を言ってしまえば万能人型戦闘機の戦闘はそれが全てだ。

 そしてその為に最も有効な方法は、搭乗者の乗り込む胸部を破壊することである。

 なのに何故、セーラ機の機体はそうされることなく破壊されたのか。


 正面装甲の堅牢さを嫌ったのか。

 いいや、違う。〈黒鐵〉の搭乗者の程の腕前があれば、狙ったところで仕留め損ねることなどありえない。一撃で複合装甲板を貫き胴体部を破壊することが出来たはずである。


 命を奪わずに相手を無力化する理由。

 確信したのは先程の攻防。

 懐に入り込んだあの間合い、〈黒鐵〉が狙ってきたのはセーラ機を撃墜した時と同様、胴体部と脚部を繋ぐジョイント部分だった。人間でいう腰部にあたるその位置は、主要機関等が存在しない、例え破壊されても最も爆発が起こりにくい部分である。

 もしあの瞬間、〈黒鐵〉が一撃必殺を狙う刺突を〈フォルティ〉の胴体部に放っていれば、間違いなくクルスは死んでいた。差し込んだ超振動ナイフで衝撃を流す暇も無く、活性化した刃によって潰されて果てていただろう。

 しかし、相手はそれを選ばなかった。


 時間が遅滞する。

 極限にまで研ぎ澄まされた神経を研ぎ澄ませたクルスは、僅か数秒、その瞬間に行われた全ての行動を知覚していた。


 僅か一呼吸にも満たない間。

 圧倒的な伸縮速度とそれに耐えうる剛柔性を持つ人工筋肉と、それらの駆動を補助の範囲では収まらない出力で補佐するサーボモーター。大地へ踏み込んだ脚部が発生した力を余すこと支えきり、静けさすら感じさせる穏やかな流れで体幹の重心移動が行われる。その洗練された動きはいっそ、芸術的すらであった。


 その軌跡すら残さずに、懐に入り込んだ〈黒鐵〉が袈裟気に超振動戦闘用長刀を切り下ろす。

 数瞬遅れて〈フォルティ〉が動き出す。

 軸を反転させようとしたその動きはしかし完全に間に合うことはなく、雷鳴の如き剣線が左肩を複合装甲板諸共切り裂いていった。


 構わない。


 装甲が、骨子が、破片となって散らばっていくのを感じながら、思う。

 元から左は死んでいる。

 機能していなかったものが無くなったところで痛くはない。 


 だが、相手の攻撃はまだ終わっていない。

 もとより凌がれることは、〈黒鐵〉の搭乗者にとっては折り込み済みだったのだろう。体勢を低く落としながら構え、地面を向いた刃の切っ先を捻る。

 その全てが流れるような動作で行われていた。気がついたときにはもう、〈黒鐵〉は次の斬撃の体勢に入っている。



 クルスはこれまでに〈黒鐵〉と戦っていて理解した事がある。

 相手の距離外から広範囲にわたる面制圧射撃。

 白兵戦を挑む相手に対する、合理的且つ無情な対処。

 機体性能という絶対的な壁が両者の間に聳え立つ今――そんな正攻法では絶対に目の前の相手には勝てないのだと。



 全てを切り裂く黒刃。その狙いは万能人型戦闘機が持つ胸部の、僅か下。最も搭乗者の死亡率が低いであろう部位。


「――」


 まるでそれを忌避するかのように〈フォルティ〉が重心を下げた。

 それは逃れようとする動きではない。腰部を狙っていた太刀筋に向かって自らを晒そうとするような、自殺にしか思えない行為だった。


 瞬間、〈黒鐵〉の太刀筋が鈍る。

 これまで武器の名に違わない雷光の如き鋭さを持って敵を切り裂いてきた刃が、大きく減速する。これまでと全く逆方向に加えられた力によって大きな負荷が生じ、黒機の腕が悲鳴を上げる。事前の一撃が理想的ともいえる鋭さを持ってい為に、それを抑えるための難度は増す。


 その姿を、遅延した時間の中でクルスは妙に冷めた心境で眺めていた。

 自分と同じように搭乗者として優れた能力を持ちながら、相手の命を奪わないという道を選択している、その在り方。

 こうしてここで自分と戦場で出会ったのだ。相手の搭乗者だって、戦場に出たのはこれが初めてということではないだろう。これまでにも命を奪われる脅威には晒されてきたはずだ。

 自分の立ち位置、世界、常識。

 ありとあらゆるものが変化したはずだ。

 にも拘わらず〈黒鐵〉の搭乗者は敵対する相手の命を慮るというそんな選択を、選び取っている。


 なし崩し的に軍という居場所に落ち着き、シンゴラレ部隊の一員として戦闘を行ってきた。

 命を奪うための躊躇いがあったのは最初だけ。

 一度その手で引き金を引いた後は、この世界はそういうものなのだと納得した。

 ゲームでは無い。戦争をしているのだ。敵対する相手の命を考える必要など無いと。

 

 目の前の存在を目にしていると、そんなこれまでの自身の在り方を咎められているような気分になってくる。 


 命は尊く、奪ってはいけないもの。

 この世界に身を置きながら日本に居た頃の価値観を持ったまま戦場に繰り出し、自分の命を置いたまま刃を振るう。

 その在り方はクルスが選ばなかった――選べなかった姿だ。 

 



「勘違いするなよ……! 俺は別に――後悔なんかしてないっ!」




 気炎を吐く。 

 体内にあるありったけの酸素を全て吐き出す。


 自身の言葉に偽りはない。

 クルスは、自分が行ってきたこれまでの行動に後悔など覚えていない。

 海上中継地点〈ホールギス〉では引き金を引かなければセーラが死んでいた。

 輸送列車の傭兵との戦いでは撃たなければシーモスが死んでいた。

 或いは、どこかで自分が死んでいたかもしれない。


 そして今も、ここで自分がこの相手を倒さなければセーラが死ぬことになる。 

 自身がこれまでしてきたことに――そしてこれからも相手の命目掛けて引き金を引くことに躊躇いはしない。


「――おおおおおっ!」


 〈フォルティ〉が腕を振るう。

 狙いは超振動戦闘用長刀を握りしめる指。そこに目掛けて突撃銃のグリップの底を叩きつける。一瞬生じた隙を逃さず放たれた一撃に〈黒鐵〉の指が潰れて、内部機器を露出させながら砕け散った。

 万能人型戦闘機において最も脆い部位が、人間の指にも当たるマニュピュレーターだ。掌という僅かな部位の中に無数の駆動部を持ち、人間と同じか或いはそれ以上の器用さと正確性を実現するその場所は、駆動範囲に影響するために装甲などで無闇に補強することも出来ない。謂わば剥き出しの精密機器の集合体とも言える。

 銃を鈍器として扱う酷い一撃ではあったが、そんな脆弱な部位を破壊するには充分であった。


 重い闇色を持った長大な刃が支えを失って、重力に引かれて落ちていく。

 黒と白、二機の戦いにおいて初めて〈フォルティ〉に生じた、勝機。

 

 動け。

 動け――!

 

 まだ自動姿勢制御機構(オートバランサー)は左右のバランスが狂った機体の数値調整(アジャスト)を終えていない。姿勢を崩して片膝を付けていた〈フォルティ〉は、だがしかし――搭乗者の意思に突き動かされるように、肩ごと左腕を失ったまま躍動する。

 

 相手の胸部を目指して銃口を動かす。

 如何に最高級の性能を持つ〈黒鐵〉ともいえども、零距離からの射撃を耐えられはしない。引き金を引けばこの戦いは終わる。


 だが。


 次の瞬間、白陽を浴びた銀刀が煌めいた。

 周囲の雪に染め上げられたような、鳴動する刃。



「――」



 内蔵式の超振動ナイフ。

 複合感覚器が〈黒鐵〉の手甲部分から伸びる凶器を捉える。

 超振動戦闘用長刀を持っておきながら、更に奥の手として近接兵装を内蔵しておくという徹底具合にクルスは、苛立ちを通り越して感心とも呆れともつかない不思議な感覚を覚えた。

 このゲームでなくなった世界で、死というものが現実となった世界で、弾丸を潜り抜けて白兵戦を挑む無謀とも言える戦術。

 遠くから安全に攻撃可能な銃器という最強の兵器を持ちいらないという、決断。


「――ああ」


 ――本物だ。

 ――あんたは本物だ。





「だから……――――――――――――――ここで……死ねっ!」 





 相手の胴元に〈フォルティ〉が銃口を突きつけた。

 それと同時、黒機が――〈黒鐵〉の白刃を携えた腕が躍動する。


 幾千もの対戦経験を持ち、なおかつその上位に君臨するプレイヤー。技量水準を大きく超えた二人の搭乗者が己の意思を下したのは全くの同時。極限まで集中した彼らの実力は限りなく拮抗していた。


 故に――勝負を分けたのは機体性能である。

 自分の命を晒け出すに等しい無謀な一手を持ってしても〈フォルティ〉と〈黒鐵〉、二つの機体に隔たる性能差という絶対的な壁を乗り越えることは出来なかったのだった。


 クルスの意思を〈フォルティ〉が反映する何倍もの速度で〈黒鐵〉の刃が駆動する。鳴動する超合金が切り裂いたのは――銃身。相手の抵抗手段を奪おうと銀線が食い込んでいく。

 この間近に命の危機を感じさせる瞬間においても、〈黒鐵〉の搭乗者は命を奪うという選択肢を選ぶことはなかった。


 一泊遅れて〈フォルティ〉が弾丸に発射命令を下す。


 炸裂した火薬によって発生した燃焼ガスの圧力によって、内部に装填されていた弾丸が凄まじい勢いによって加速を開始、銃身内に刻まれた螺旋状の溝によって旋回運動を与えられ直進性を高めつつある最中、銃身半ばに食い込んだ超合金の刃と内部で激突を起こす。 

 充分な破壊力を得ていなかった銃弾は侵入した異物を食い破ることなく銃身半ばで運動エネルギーの大半を失い、弾詰まりを発生。だが一度発生した燃焼圧力は無くなることなく蓋をされた銃身の中で暴れ狂い――爆発。

 封じ込められたエネルギーに銃身が耐えられなくなり、腔発を起こす。


 全高八メートルを持つ万能人型戦闘機に合わせて設計された巨大突撃銃の砲身が破裂し、大きく破片を飛ばしながら砕け散る。それだけでは収まらず、逆流した圧力は銃身を大きく歪め――同時に弾倉内に残っていた残弾にも引火した。




「――――」



 刹那の時間。

 両機体の至近距離にて弾頭十数発分の爆発が発生。

 食い込んでいた刃をもへし折らすほどの衝撃が二機に襲いかかる。同時に無数の破片が破壊力を伴って機体の装甲に食い込んでいく。

 

 全高八メートル、特殊合金製の基本骨子と強靱な人工筋肉を備える鋼の巨人が弾かれる。

 この突発的に生じた衝撃波は相手の急所を撃ち抜くつもりであったクルスにとっても、そして〈黒鐵〉の搭乗者にとっても想定外のものであった。




思ったよりも残しておいて欲しいという感想があったので、24、25日に公開していた番外話は再掲載することにしました。ただ方法はまだ決まっていません。もしかしたら活動報告の方に投下するかもしれません。

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