銀世界の騎士 - VI
爆発。
吸引式地雷のもたらした衝撃によって骨子がねじ曲がり、聳え立っていた円盤状のレーダーアンテナが根元からへし折れて崩れ去っていく。最初の爆炎に引き摺られるようにして連鎖的に空気を揺らす衝撃が起こり、一種のモニュメントのようにも見えたレーダーアンテナは土台を含めて完全に崩壊した。
周囲からの反応を収集する施設な以上外部を装甲板で覆うわけにもいかないので、耐久に乏しいのは仕方がないのだろう。所詮は探査用の設備。大した耐久性も持っていないものだから、万能人型戦闘機の用いる投射式の吸引地雷程度でも呆気なく原型を失うことになるのである。
「二番機、目標物の破壊をかくにーん。最後の目標破壊に移りますー」
『こちら一番機、了解。作戦を続行する』
作戦進捗を告げる事務的な報告を終えて、部隊の二番機であるエレナは残骸となった目標には尻目もくれずに、最後のレーダー破壊を行うべく移動を開始する。
万能人型戦闘機でそんな行為をする羽目になっているのは、この施設が持っていた防衛設備が思っていた以上に高性能であり、当初予定されていた誘導弾による遠距離破壊が上手く機能しなかったためである。
「あれ、これって……」
エレナはモニターに表示されていたものの変化を見て、声を零した。
部隊内の四番機と送受信を行っていたデータの接続が変更され、大破したという情報が出てきたためである。共に居たはずの七番機から送られてくる情報には、そこに未確認の機体が一つ現れていることを告げていた。反応の数字から見て、万能人型戦闘機だろう。
先程まで四番機がいた位置に入れ替わるように出現し、七番機と対峙している。
四番機と入れ替わるようにして現れた、新たな機影。
それらが意味するところはつまり――、
「うーん……これはもしかしてー」
周囲からは気が抜けると言われるいつもの間延びした口調を乱すこともなく、エレナはゆっくりと小首を傾げた。それに合わせて四枚の花弁を持つ髪留めが小さく揺れる。
「セーラちゃん、死んじゃった?」
呟く。
機器類の突発的な故障ということも考えづらいだろうし、現れた敵機に撃墜されたと考えるのが妥当だろう。万能人型戦闘機の撃墜は多くの場合、その中にいる搭乗者の死をも意味をする。正面装甲の堅牢さなどを始め搭乗者の保護機能はいくつかあるが、それらを幾つ組み合わせたところで万全とはならない。良い角度で弾丸の一発でも貰ってしまえば、中の人間は機体の残骸と共に肉片に肉片を散らす運命だ。口汚い搭乗者が万能人型戦闘機のことを鉄の棺桶などと揶揄する由縁である。
「うーん、データ接続が行われてるって事は機器類は生きてるみたいだけどー」
ちらりと残り作戦時間を確認する。
最大限ギリギリまで引っ張ったとして、残り五分と言ったところだろうか。
それまでの間に自分達は撤収しなければならない。そうしなければ近隣の基地から増援が来てしまうためだ。長時間の移動を行ってきた現在、部隊各機の推進剤や電力の残存量に余裕などは存在しない。敵増援の相手をするなど無理な話だった。
もし仮に何らかの理由で機体の中にいたセーラが生きていたとしても、その残された僅かな時間でセーラの救出作業を行うのは不可能に近いだろう。
このまま作戦を実行し、施設破壊後は残存機のみで脱出。
それが部隊の取り得る最適解である。
だが果たして――それをあのクルスという人物は容認出来るだろうか。
あの少年は優れた操縦技術を身に着けているが、それに見合った価値観はまるで身に着けていない。あれだけの殺人の術を身に着けていながら、敵兵が降伏すれば攻撃を躊躇ってしまいそうな雰囲気を持っている。
それを裏付けるように、今回の作戦の施設破壊時にもクルスは防衛に出てきた万能人型戦闘機は容赦なく破壊しておきながら、施設内を駆け回る生身の人間に対しては殆ど攻撃を加えていなかったことにエレナは気がついていた。クルスが破壊していたのは建築物ばかりで、地面を這い回っていた人間を撃っていたのはエレナとセーラばかりであった。
万能人型戦闘機を撃墜している時点で人を殺しているという事実に代わりはないのだが――万能人型戦闘機を壊したところであまり人を殺したという実感は持ちづらい。幾ら銃弾や誘導弾で敵機を撃墜したとしても、中の死体を見ることは殆ど無く、あくまでも物体を破壊しているという感覚が先行する。
それと比べると生身の人間を攻撃した場合は派手に血や内臓が飛び出す。中の人間の姿の隠した物体を破壊するよりも、遙かに『殺し』をするという実感に繋がるのだ。
もっとも、その選り好みとも言える行為をクルスが自覚的にやっているかは疑問だが。案外、無意識的に行っているという可能性もある。
一体、操縦席に座りながら彼はどんな表情をしているのか、興味が湧くところだ。考えると、一度見てみたい誘惑が胸奥で疼く。
怒っているのか、悲しんでいるのか。
嫌悪を感じているのか、何も感じていないのか。
滑走する〈フォルティ〉の中でエレナは今も同じ戦場に立っている黒髪の少年の顔を思い浮かべて――、
「おっ、とー?」
咄嗟にエレナが機体を揺らすと同時、近場の雪面が爆発を起こした。
地雷ではない。大口径の弾丸が無数に打ち付けられて、降り積もった白雪が周囲諸共捲れ上がったのだ。
エレナは雪を飛沫のように飛ばしながら機体を旋回させて、弾が飛んできた方向へと機首を向ける。そして、そこに現れた機体を見てちろりと上唇を嘗めた。
形状は〈ヴィクトリア〉に通じるものがあるが、しかし違う。
特徴的なのは後頭部から大きく伸びたブレード状の部品だろうか。恐らくは複合感覚器用の部品なのだろうが、まるで大きな一本角が伸びているように見える。
従来機よりも肩幅は狭く、幾分身長も低い。腕や指がアンバランスに長く、手首の部分が服袖のように広がっている。伸びる脚部も先端になるにつれて細くなっていき、まるで人が爪先立ちしているような、独特の形状をしていた。
総じて全体的に細身であり、女性的な印象を与えるシルエット。
そしてある意味一番注目すべきは、機体の肩に刻まれているのがメルトランテの国旗ではないことだろう。代わりに記されているのは、組織の発展を高くへと導く、四枚羽根の神鳥が大きく羽ばたく社章。
トハルト・インダストリー社。
万能人型戦闘機の市場でシェア一位を占めている世界屈指の大企業のエンブレムであった。
「トハルト・インダストリー……ということはー、企業組織の機体?」
相手の動きを深く観察しながら、エレナは呟く。
企業と言っても、万能人型戦闘機を製造している所は何れも国家に引けを取らない一大勢力であり、自社戦力を保有しているのが当たり前だ。その社章を機体に刻んでいるということは、恐らく目の前の機体はトハルト・インダストリーが保有する機体なのだ。
エレナはそこまで理解して――しかし、そんなものが何故こんな場所に配属されているのかと怪訝に思う。
仮に企業からメルトランテに貸し出されたのだとしても、そんな戦力がこんな僻地に保有されている意味が分からない。こちらの襲撃計画が漏れていたのかとも一瞬疑ったが、それならばもっと幾らでも賢いやりようがあっただろう。
どうにも分からないなーと考えていると、向こうから思わぬアクションが来た。
『そこの〈フォルティ〉! どこの者ですか!? 所属と目的を明言した上で武装を放棄、投降しなさい!』
「……」
広周波帯を用いて行われる、相手機からの声。
思わず、目を瞬かせる。
まさか基地が半壊にまで陥ったこの状況で、相手から投降を呼びかけられるとは思ってもみなかったのだ。
相手機体の搭乗者は状況を空気を読めない人物なのか――、或いは軍規に交戦前に呼びかけるよう記されているのかもしれない。もしそうならば、それを律儀に守る相手は随分と頭の固そうな性格をしていそうである。
さてどうしようかと、エレナは考える。
勿論所属を言うわけにはいかないし、投降もするはずがない。
そもそも原則として、作戦行動中に敵との対話行為などアルタスの対外機構軍では認められていない。通話記録は全て機体内の記憶領域に保存されてしまうし、下手に返事でもすればスパイ容疑をかけられることになる。
「んー」
エレナはそっと下唇を指で撫でた後に、
「ま、いっか」
返答代わりに〈フォルティ〉の腕を持ち上げ、銃口を向けて撃つ。
万能人型戦闘機用の大型機関銃から嵐とも言えるような大量の弾丸がばらまかれるが、それらは全て空を切って遙か後方で着弾した。
火器管制を持ちいらない手動射撃であったが、しっかりと躱されてしまう。流石に相手も馬鹿正直に投降してくるとは考えていなかったのだろう。いつでも動けるように身構えていたに違いない。
『よろしい、問答無用ということですね……!』
見慣れぬ輪郭を持つ敵万能人型戦闘機は俊敏な動作で移動。フロート機構を利用して雪上を滑るように射線から逃れる。その制止から移動までの動作はあまりにも滑らかであり、その機体性能の高さと搭乗者の技量を垣間見せていた。
相手の棘々しい声は一先ず思考の外にやって、相手の動きをつぶさに観察する。
独特の尖った足の形状からして、接地状態における歩行に向いているとは思えない。もしかしたら、フロートに特化した設計なのかもしれない。実際、既存機にもそういったものがあることは知っていた。フロート機構は万能人型戦闘機の地上戦闘能力を支える重大な要素であり、万能人型戦闘機を万能にしていると要と言っても過言ではない。その部分に焦点を当てて発展させようという概念はそれほど突拍子の無いものでもなかった。
しかしあそこまで接地面の少ない形状をしていると、機体を満足に支えられなさそうである。あれでは垂直離陸能力は除外されてしまっている可能性が高い。
所謂実戦配備を想定されていない実験機の類いか、あるいはそもそも運用状況にそんなものを想定していないのか――、
「雪上なら垂直離陸はそもそも無理そうだしねー。……それにしても、格納庫とかに仕舞ってるときはどうするんだろ?」
ふと気になったことをぼやきながらちらりと横目で時間を確認しつつ、機体を走らせる。
垂直離陸は不可能、障害物も少ない。
こういった平面的で単純な状況では、搭乗者の技量以上に機体性能の差が出やすい。等加速直線運動などの単純な動きに対して火器管制が行う自動照準は正確無比であり、そういったものを切り返すには瞬間的な加速がものをいう。
更に数度の斉射。
その全てを相手機は鋭い左右への切り返しで回避していく。その度に舞い上がった積雪が陽の光を反射して光の粉となりながら、周囲に降り注いでいった。
いっそフルオートで弾をばらまきたくなるが、攻め気に奔りすぎないよう自制する。平面的なこの状況では弾倉の入れ替えによる僅かな動きも、大きな隙になりえた。
『無駄な抵抗を! 量産機が多少のカスタムを施した程度で、お嬢様から戴いたこの〈フェオドラ〉に適うとでもっ!』
「……お嬢様?」
あまり聞き慣れない言葉に、エレナは目を瞬かせる。
しかしすぐにそんなことはどうでもいいかと、エレナは挑発的に口の端を釣り上げた。
見たことの無い新型機と交戦という稀少な状況に、否応なしに好奇心が刺激される。彼女が内に秘めている貪欲な本能が、意識を興奮状態へと持っていこうとしている。
『……現時点で投降の意思無しと判断。侵入者を排除します!』
声質から相手の搭乗者は女だと判断出来る。
エレナがこう思うのも変な話であるが、女性の万能人型戦闘機搭乗者というのは珍しい。そうそう戦場で邂逅しあうものでもない。
前時代には女性の方が対G負荷の面において優秀という理論もあったらしいが、その方面をナノマシンによる補助によって補っている現代においては、搭乗者の性別に特に優位は存在しない。そういう意味でもこれは希な状況だと言えた。
お互いに距離を測りながら、零下の大気を切り裂き雪上を滑り抜けていく。
敵新型機体――相手の搭乗者の言葉によると〈フェオドラ〉というらしい――が構えるのは独特の形をした大型の手持ち火器だった。長い銃身に口径の違う銃口を上下に二つ持った、あまり見ない形をした長銃。
その双方の銃口の内の片方から、猛烈の勢いで弾丸が吐き出される。
後先を考えていないような大量の弾の嵐に、エレナは慌てて機体の方向を回転させた。急激な方向転換に身体の中身が引っ張られるような錯覚を得るが、エレナはそれを苦ともせずに機体を動かし続けた。
やはり敵機体は既存のものよりも優秀だ。
エレナの操る〈フォルティ〉を付け狙う相手の自動照準は、回避行動を取る機体に対して遙かにブレを少ないレベルで追従してきている。滑走する〈フォルティ〉の影を追いかけるかのように雪面が巻き上がっていく。
それをエレナは意図的に姿勢を崩して、機体を横滑りさせて凌ぐ。ソフトを用いた無秩序な乱数機動や真っ当な回避行動よりも、こういった変則的な動きの方が自動照準の効果が発揮し辛いことは、同僚との日々の訓練において身をもって実感済みである。
「そんなに景気よく撃っていいのかなー!?」
殺意と共に発射された弾丸の数と同回数の排莢が行われ、空薬莢が撒き散らされる。熱を宿した抜け殻が地に降り積もるった白雪に触れると同時に、個体が液体、液体が気体となり、白い蒸気が立ち上っていく。
合間合間で気勢を削ぐように短い銃撃を加えつつ、エレナは好機を見つけると同時に機体を前面へと押し出す。
これだけ景気よく弾を吐き出していれば早期に弾が尽きるのは道理。
敵の持つ銃身側面に存在した弾倉と思わしき部分が弾かれるように投棄される瞬間を見逃さずに、突っ込む。その場で隙を狙っても良かったが、確実に仕留めるためには距離を縮めるのが一番だ。作戦時間も限られている以上、悠長に戦闘を楽しむ暇がない。エレナはこの一度の襲撃で仕留めるつもりであった。
無論――
「それも予想済みー!」
相手の銃身が二つの銃口を持っていることも忘れてはいない。
向けられた二つの銃口、その下側。今まで沈黙を保っていた暗い洞穴から射出される大型弾頭。それを可変式の推進機を用いて機体を強引に深く沈めて、潜り抜けた。
機体の正規動作を逸脱した、万能人型戦闘機の操縦を補助する内部システムを余分とする搭乗者の手による自律操作。
かつての模擬戦でクルスにされたことの猿真似であったが、身に着けてみると存外これが使い勝手が良い。機体姿勢を立て直そうとする自動姿勢制御機構を強引にねじ込む瞬間には何ともいえない快感を覚える。無駄に機体負荷がかかるのが最大の難点だったが、今の相手のような機体性能を前面に押し出した相手には殊更有効である。
直後、機体後方で膨大な熱量が発生したのを〈フォルティ〉の複合感覚器が観測した。通常の弾丸ではありえない、膨大な破壊力。仮に高性能爆薬が破裂したとしてもここまでの高温は発生しないだろう。
「複合兵装! えー、プラズマ弾だったのぉ!?」
背後から押し寄せる水蒸気と熱波に機体を煽られながら、エレナは呻いた。
プラズマ弾。
超高温体である超圧縮されたプラズマを拡散しないようにカプセルの中に封じ込め、それを弾頭として発射、着弾時にその超高温を開放することで対象を周囲諸共融解させる破壊兵器である。扱いには最大級の注意が必要であるが、未だ光学兵器や電磁投射砲の小型化に実現に成功していない現在では、万能人型戦闘機が保持出来る最大威力を持つ破壊兵器だといって良いだろう。
しかしそれも後方で爆発してしまえば最早脅威ではない。
想定外の爆風によって機体を煽られて姿勢制御に若干の遅延を見せたものの、敵機の弾倉交換を許すほどの時間は与えていなかった。
先程とは違い自動姿勢制御機構を存分に利用して体勢を立て直して、敵機目掛けてその銃口を構えようとして――エレナは目を見開く。
「補助肢!?」
補助肢による自動装填。
最初見たとき服袖のようだと思っていた手首部分の装甲が展開、簡易的な腕肢を形成し、迅速な行為で新たな弾倉を取り付けたのだ。銃身を構えたまま弾倉の交換が行えるというのは優れた利点だ。相手が景気よく連射をしてきた裏には、この機能に対する自信があったからに違いなかった。
既存機には存在しなかった新たな機構を見せつけられて、エレナの想定が狂う。
「あーもうっ」
咄嗟に機体の方向を転換すると同時に、距離が開きすぎる前に手に持った短銃身の機関銃を大量に吐き出す。杜撰な照準では機敏な動作を見せる〈フェオドラ〉の装甲を擦ることは出来なかったが、そのお陰で相手も〈フォルティ〉を狙う標準がズレた。いくつかの弾丸が装甲を掠めていくが、致命には程遠い。
「時間がないのにー……!」
エレナにしては珍しい表情を浮かべながら、高速機動。
お互いの手に収まった連射火器が銃弾を吐き出し、空中で交差する無数の弾丸が冷気を切り裂きながら差し迫る。白い雪面を舞踏会場に見立てたかのように、二機の巨人は円軌道を描きながら弾丸を躱し、火線を集中させる。
双方は互いに示し合わせていたかのように銃弾を擦らせずに機体を滑らせる。氷の上を滑るようなフロート機構独特の挙動から、二機の万能人型戦闘機は輪舞曲を演じているかのような軌跡を残していく。
それは戦場と呼び称すにはあまりにも洗練されており、いっそ当人達以外に目撃者がいないのが悔やまれるほどだったと言ってもいいだろう。
だがそんな事実は何の慰めにもならない。
芸術的価値よりも、欲しているのは結果だった。
エレナは状況を考えて――決断する。
そう、優先するべきは結果だ。
自身にとっては不本意であろうとも、重視するべきことがあった。
エレナは機体に命じて僅かに距離を空けると同時に、兵装を起動させる。
機体大腿部に装備された投射機が持ち上がり、発射態勢を整える。単純な機構によって発射されるのは吸引式地雷。
裏表関係なく触れたものに接着し、対象と接触、或いは送信された起爆コードによって爆破を起こす兵器である。壁や建物の破壊、高空から爆弾代わりに投下したり、或いは地雷本来の用途として使うなど何かと応用の効く兵器であり、シンゴラレ部隊においては標準的に装備されている兵装の一つだ。
投射機から三つの母機が射出、それが空中で展開して中から大量の吸引式地雷が現れる。弾速は鈍いものの、空中で一気に広範囲に広がる様は散弾に通じるものがある。
目前に出現した地雷の結界に〈フェオドラ〉は、急激な旋回を起こして進路を変更した。中に入れば爆破の嵐に襲われるのだから当然の判断だろう。
これで倒せたら幸運であるが、エレナの狙いは別にあった。
投射された地雷は一つとして敵機体に触れることはなく雪面へと落下して――爆破。
数十にも分裂した地雷群が次々と連鎖的な破壊をもたらし、周囲へと獄炎を撒き散らした。生身の人間が居たならば焼き爛れている温度帯。黒煙と共に熱に晒された大量の白雪が水蒸気へと変化して、二機の機体を視界ごと覆い込む。
急激な温度変化に水蒸気と炎、これだけの要素が重なってしまっては複合感覚器の機能も大半が減衰する。
その中を、エレナは事前に焼き付けた記憶を頼りに〈フォルティ〉を疾駆させる。
目掛ける先はこちらを見失った敵機――ではない。
真っ直ぐに目掛けるのは残り一つ、最後の破壊目標であるレーダーだ。
エレナの――シンゴラレ部隊の今回の目的は敵施設の破壊である。防衛部隊を全滅させることではないし、予定にない新型機との交戦など管轄外だ。
エレナ個人としては逃げ出しているようで腹立たしい気分であるが――それを優先するほど弁えていないわけではない。周囲から見ると好き勝手に振る舞っているようにも見える彼女だが、彼女なりの境界線というものは確かに存在しているのである。
エレナの意に従って〈フォルティ〉が走り抜ける。
その姿がないことに相手が気がついたのは、完全に煙幕が消え去った後のことであった。
二機の間には大きな距離が開いている。
姿を隠しての敵襲に備えていた相手は暫くの間、呆然とした後に、
『え、な……ああっ、しまった!』
通信機から聞こえてくる声。
どうやら相手は投降勧告をした後に、接続を切ることを忘れていたらしい。
一瞬、注意してあげようかとも思ったが、向こうが勝手に喋っている分には後で自分が怒られることも無いだろう。
エレナは面白そうなので放っておくことにした。
***
「あの、機体は――……!」
黒一色。
白が周囲を満たす銀世界の中に浮き出る、深淵の影。企業の垣根を越えて、この世界の技術水準を大きく凌駕した技術によって構成された宵闇の姿。
人の眼を模したかのように配置された複合感覚器が、装甲の奥で炎のような明かりを灯している。見た者を竦ませるような威圧的な風貌。悪魔的とも言えるその姿は、クルスの記憶に残るものと相違ない。
胸の奥が疼く。
かつて海上中継地点で相対した赤い重装機体の時とは違う。
自分が確かに見知っている機体の姿に――率直に言ってしまえばクルスは動揺した。
突如出現したその機体は敵なのか、味方なのか。
戦場においては余りにも悠長と言える思考の揺らぎ。
その気の緩みとも思える一瞬の間が、この世界にとっては致命的なものとなってしまう。
敵の背部に兵装が起立。背部の部装甲底部から炸薬によって跳ね上げられた勢いを利用して、その機体が長大な得物を持て余すことなく構える。
陽の下に晒された、機体の全高にも匹敵する巨大な黒刃が白い光を反射して耀いた。
その明確な戦意が揺れることなくこちらに向けられているという事実に、クルスは焦りを覚えた。
戦闘用超振動長刀――雷光。
それは『プラウファラウド』のプレオープンイベント参加者のみに配布された、特別報償武装である。複数ある近接兵装の中でも圧倒的な破壊力を持ちながら、その扱いづらさと、そもそも白兵戦兵器自体がゲーム仕様に不向きだという理由から、殆ど使用者が存在していなかった色物の武器。
黒機が疾駆する。
フロート機構を利用せずに、その強靱な人工筋肉やサーボモーターが生み出す膂力を足裏から大地へと伝え――機体を前面に押し出す。その低い跳躍と共に背部の推進機が光を放ち、速度を加速させる。
通常の万能人型戦闘機の運用ではありえない、脚力を利用した歩方。
その姿を見て、クルスは中の人間までもが同じなのだと、確信する。それと同時に、現在の状況の危険度に、気がつく。
今、目前に言えるあの黒機は紛うことなき敵対者なのだ。
――まずい……!
セーラの搭乗する〈フォルティ〉が銃口を構えた。
異色としか言えない変則的な高速移動を行う黒機に対して、彼女の動きはどこまでも冷静だった。瞬間的な加速を得た機体に惑わされる事もなく、その銃口は真っ直ぐに敵機の姿を捉えている。
いつも通りに、焦らず、冷静に――発射。
殺意も意思も無い、機械が手順道理に動作を行ったかのような、相手の急所を狙い澄ました、正確無比な一撃。一人の人間を殺すのに無駄など必要無いというセーラの性質が色濃く反映された精密射撃にクルスはそれじゃ駄目なんだと、声にならない声を上げた。
胸部を一撃で破損、機体機能の大半が無事であろうとも中の搭乗者を無効化してしまえば消耗を最小限に抑えて全ては終わる。
その極限まで無駄を省いた戦闘論は間違いなく真理ではあるが――それ故に読みやすいのだ。
特に何百、何千と対人戦を――それも膨大な時間を費やして実力を上げてきた上位プレイヤー達にとっては、一撃必殺を狙った射撃など数えられぬほど経験してきている。
致命傷を与える。
極論を言ってしまえば万能人型戦闘機同士の戦闘はそれが全てだ。
その行為のために戦場に身を置く搭乗者達は己の腕を磨き、複雑な機動、僚機との連携、武装の組み合わせを試行錯誤して――それと同時に幾つも対抗策を生み出すのである。
――虚空一閃。
狙い澄ましたかのようなセーラの精密射撃を、予定調和のように黒刃が粉砕する。
常識ではありえないような、剣速。
それを実現しているのは、機体各所に備わった駆動補助用の高出力サーボモーターと、驚異的な性能を持つ人工筋肉である。
銃撃を旨とする通常の万能人型戦闘機においては、それは不要な性能だ。
機体を振り回すほどのモーター出力など銃口を動かす際に邪魔になるだけであるし、人工筋肉など垂直離陸を行う際に必要な浮力さえ得られれば後は余分だと言ってもいい。そもそもフロート機構による滑空移動を基本とする万能人型戦闘機において、大地を蹴飛ばして機体を加速させるだけの膂力などいらないはずなのだ。
それらの常識を一切無視した機体構成。
あの黒機の設計コンセプトは大型の黒刃を扱う、ただその一点のみに集約されているのである。
――銃弾と砲火。
――誘導弾と爆撃。
遠距離による射撃攻撃が跋扈する戦場において、黒刀を自在に操り敵機を切り裂く漆黒の機体。特異な戦闘術と奇異な機体構成、そしてその常識を逆行するような白兵戦に絞った彼の存在は、プレイヤー達の中でも殊更に有名であった。
最初は実戦向きではない趣味機体だと言われていたものがいつしか脅威と見なされるようになり、ついにはその黒刃で上位プレイヤーをも切り裂き、白兵戦兵装のみで猛者達が身を削るランキングへと刃を突き立てたプレイヤー。
プレイヤーネーム――〈ライキリ〉
機体名――〈黒鐵〉
勢力間プレイヤーランキング最高記録――十六位。
「セーラ、逃げろッ!」
クルスは叫ぶ。
だが事態は既に収束へと向かっていた。
寒冷地色に馴染まされた〈フォルティ〉の前に〈黒鐵〉が肉薄する。そこは既に黒機の間合いだ。
身動ぎさせることすら許さない、雷の如き横薙ぎ。
大気を切り裂き振るわれた一閃は、残像も残さずに振るわれていた。
胴体下部。
上半身と下半身の付け根が分かたれる。
驚異的な重量と破壊力、高周波機構が実現するその切れ味の前には〈フォルティ〉の持つ複合装甲など、紙の鎧にも等しい。
食い込んだ黒刃は積層構造の装甲板を全て切り裂き、内部の特殊合金製の基本骨子を切断、優れた伸縮性を持つ人工筋肉はバラバラに引き裂かれ――零下の大気の中に断面が晒される。
分かたれた二つの残骸。
万能人型戦闘機だったもの。
自動姿勢制御機構を失った下半身はその安定性を保つことが出来ずに膝を折って沈黙、上半身はその原形を保ったまま崩れ落ち、基地内の塗り固められた路面に叩きつけられた。
複合装甲が撓み、同時に破片が周囲に散開する。
「……セーラ!? おい、セーラ!」
クルスは急かされるようにして、通信機に向かって呼びかける。
データ接続に表示されているセーラ機の状態は――大破:作戦続行不可能。
しかしその状態が正常にこちらに送られてきてると言うことは、機体内部の電源はまだ生きているということだ。
「セーラ、返事をしろ!」
機体は破損したが、爆発は起こっていない。
地面に崩れ落ちた胴体部も原型を保っている。
搭乗者が乗り込む胸部が高所から叩きつけられていた以上、相当な衝撃が襲ったのは間違いないだろう。だが機体の保護機能が正常に働いていたならば、そしてセーラの強靱な身体能力を加味すれば、生存の可能性は充分にあった。
「くそ、意識を失ってるのか……!?」
無意識に脳裏に浮かび上がる死亡という単語に焦燥感を覚えながら、考える。
もし仮に彼女が生きていたとしても、救助は出来るのか。
状況は切迫している。
作戦時間は残り五分程度。
近隣基地から敵の増援が現れるまでに眼前の〈黒鐵〉を排除し、破損した〈フォルティ〉のコックピットからセーラを回収する。果たしてその成功率はどれほど存在している?
そも、この機体で上位プレイヤーに適う方法はあるのか。
今眼前に佇む黒機は、自分がかつての愛機〈リュビームイ〉を操って全力で挑むべき相手である。軽量化という強引な改修を施しただけの〈フォルティ〉で――どこまで結果が望める?
『――七番機状況を報告しろ! どうなってやがる!?』
一番機――タマルからの通信。
耳朶を打つその声に、クルスの冷静な思考が訴えてくる。
生死も不明の人間に固執するべきでは無い。敵は近接兵装のみ、性能差があるとはいえ工夫を凝らせば撤退は可能なはずだ。
予期せぬ敵戦力。
想定外の高性能な防備。
既に今回の作戦は破綻しかかっている。
施設の完全破壊は達成出来なくとも、上々の結果だといえる。戻ったとしても作戦失敗とは受け取られないだろう。
『おい、クルス! 報告しろ!』
正確に今の状況を告げれば、恐らくタマルは撤退を指示する。
普段から感情の色を剥き出しにしている彼女だが、実地での指揮を任されているだけあって、感情に流されることなく判断を下すことが出来る人間だ。例え結果的に部隊員を見捨てることになったとしてもである。
クルスは大きく息を吸い込む。
生命循環維持装置によって整えられた機内の空気が、肺の中を満たしていく。心臓の鼓動が大きく脈打ち、意識が細く、鋭く、洗練されていく。
確認。
施設の大半は遠距離兵装を持ったタマルとシーモスによる爆撃によって、機能を停止している。瓦礫となった建築物を再利用するには、一からやり直す必要があるだろう。
レーダー破壊に向かったエレナはどうか。
データ接続によって送られてくる情報は、彼女がこちらと同じく未確認機と交戦していることを告げていた。向こうも、こちらと同じような相手なのか。その場合、彼女が生き残れる確率はどの程度か。
――難しく考えるな。
位置的にクルスがエレナの元へ向かうのは不可能だ。
出来ないことはするな、出来ることだけに焦点を当てろ。
「こちら七番機……、未確認機と遭遇。四番機大破。敵機を無効化しない限り、離脱は不可能と判断。交戦状態を維持する」
『クルス、てめっ……!』
「通信機の状況が悪い、故障の可能性あり。以上、通信終わり」
撤退命令が彼女の口から告げられる前に、会話を切断する。恐らく、彼女は何かしら感づいていただろうが……耳にさえしなければ最低限の言い訳は出来る。
そして真っ直ぐに、見据えた。
同僚を切り伏せた、深い漆黒の影を。
独特の輪郭を持つ、黒機。
あらゆる物を切断する黒い刃を構える〈黒鐵〉はすぐに仕掛けてくることもなく、その動きを止めて、静かにこちらを見ている。
それはこちらの出方を窺っているようでもあり――同時に何かを期待しているようでもあった。
その姿に何となくクルスは理解する。
そもそもセーラが撃墜された時点で、クルスは違和感を感じていた。そしてそれが何なのかが、今この瞬間にはっきりと分かってしまった。
恐らくこの搭乗者は――、
「そんなものは。関係ない。五分で倒してやる……!」
胸内に感じる苛立ちを抑えながら、熱の籠もった息を吐き出す。
――迅速に倒して。
――セーラを救出して。
――撤退する。
実行するべきはそれだけだ。
黒一色の闇に染まった万能人型戦闘機。
相手の頭部装甲の奥に潜む複合感覚器が灯す赤い光と、クルスの視線が絡み合う。雪が積もる銀世界の中で、二機の間にある空気が質量を持ったかのように重くなった。
一瞬の間。
クルスの操る〈フォルティ〉の銃口から弾丸が吐き出されるのと、〈黒鐵〉が疾駆を開始したのは、全くの同時であった。




