銀世界の騎士 - V
文字数多いです。
気温が氷点下であることが当たり前のこの場所であるが、早朝のこの時間帯は殊更に空気が冷たい。まだ日の出ていない薄暗闇の中、自分の息が白く吐き出されるのを眺めながら一ノ瀬は肩を震わせた。
こんな時間に外に出張っている理由は例の如く、この基地に来てから与えられた、唯一の仕事らしい仕事とも言える見張りである。
この人力による見張りという行為にどれだけの意味があるのかは甚だ疑問だ。こんな雪原にぽつんと点在している施設に誰かが入ってくるとは思えないし、そもそも施設内には監視用の複合感覚器が備わっているのである。
高度に発達した複合感覚器は光学以外にも熱探知や電波探知など、目に見えぬものを捉える眼を幾つも備え持っている。
当然、嗅覚や聴覚を持ってはいるものの、情報の九割を視覚によって取得する人間よりも遙かに頼りになる存在と言えた。
つまり、人力による見張りという行為にどれだけ意味があるかという話だ。
本来であればこんな作業は必要無いだろうということに一ノ瀬が気がついたのは、ほんの数日前。恐らくは実地研修を名目に企業から出向してきた人間を本当に何もやらせないと問題があるので、お情け程度に誰かが捻り出した仕事なのだろう。
そう考えると本当に自分はこの基地の人間にとっては迷惑にしか思われていないのかもしれない。何とも悲しい話である。仕事は思えない作業をしていた上に、それがほぼ意味のない行為だというのだから。
「お」
ふと、一ノ瀬は珍しいものを発見したかのように声を漏らした。
白い地平線の果てから太陽が出てきているのを発見したのである。
ここメルトランテ北東部は分厚い灰色の雲に覆われているのが殆どだ。雪も降らず、白い日の光に照らされるのは希だと言っていい。その証拠に、一ノ瀬がこうして太陽を直接目にするのはここに来てからは初めてであった。
一ノ瀬の隣で同じく見張り番をしていたノエルも、微かに驚いたように眼を細めている。
「今日は晴れなのか」
「すごい、綺麗ですね……」
ノエルが呆然と呟き、その内容に一ノ瀬も頷いて同意する。
太陽の光を浴びたことによって降り積もった雪原が音も無く耀き始めていた。曇天に覆われていた頃の光景はただただ白が埋め尽くすだけの光景であったが、今目前に広がっているのは光り輝く銀世界であった。
人を魅了する宝石とはまた趣の違う、静謐な美しさを持つ極寒の大自然。
そのまま差し込まれる白い光によって生み出された銀世界を眺めていると、ふとその中で一ノ瀬は気になる影を見つけた。
「……鳥?」
遠方にある、黒い、完成された一枚の風景画にこびりついた汚れにも思える影。
今まで生き物の姿は殆ど見ることが無かったが、日の出と共に活性化を始めたのだろうか。一ノ瀬が目を細めてその影を眺めていると、次第にその姿は鮮明になってくる。
細長い胴体に、尾尻と半ばに生えた八枚の姿勢制御翼。
丸く窄まったその頭先は鳥の嘴のように見えなくもないが――勿論違う。
一ノ瀬は隣で呆けているノエルの手を取り、覆い被さるようにして押し倒した。
数瞬後に、彼方から音速を超える速度で物体が飛翔する。凍てついた空気が鳴動するのとほぼ同時に、背後から轟音が鳴り響いた。
「きゃあ!」
下敷きになっているノエルから悲鳴が上がるが、一ノ瀬は構わずに辺りを窺う。
最初の一発に続いて、同じ方向から二発三発と影が飛来する。地を這うように低空を滑空していくミサイルはそのまま基地施設本部ではなく、敷地内の外れた位置にある兵器格納庫へと突撃した。化学薬剤によって生み出された人工の炎が雪の積もっていた建物を赤く染め上げる。
熱風に乗って火の粉が舞い上がるその光景を見やりながら、一ノ瀬はぼんやりと呟く。
「……なるほど。ここら辺では晴れになると雪の代わりにミサイルが降ってくるのか……」
「アホなこと言ってないでくださいっ! 敵ですよ、敵っ! ……それと早く退いてください! いつまで人の上に乗っているつもりですか! 動けないでしょう!」
一ノ瀬に押し押されていたノエルが仰向けになりながら、ばしばしと背中を叩いてきたので一ノ瀬は急いで起き上がった。同時に倒れていたノエルの腕を掴んで起こそうとしたが、それよりも早く彼女は起き上がって周囲を見渡す。
「こんな僻地に一体どこの勢力が……まさかセミネールの傭兵?」
「そんなこと今気にしてる場合か? ……第二波が来たぞ!」
銀色に耀く雪原の奥から飛来する影。
最早その正体が何かなど考える必要も無い。
ノエルも慌ててその影を視認――かといって現状でどうすることも出来ずに、その結末を見届ける。
飛来した弾頭は第一波とは違う機動を描く。
零下の大気を切り裂く現代科学の火矢は鋭い音と共に、基地施設にあるレーダーサイトに突撃した。
強固な複合装甲板を備えた万能人型戦闘機や機動戦車とはと違い、対外からの攻撃を受けることを想定されていないアンテナ施設は脆弱なものである。球形のドーム型サイトが木っ端微塵に吹き飛び、燃えさかる火炎と共に周囲に鉄片を撒き散らす。
「対レーダーミサイル!?」
設置されたレーダーサイトにピンポイントに突き刺さる弾頭を見て、ノエルが叫び声を上げる。
対レーダーミサイルはその名称通り、レーダーを破壊することを目的とした誘導弾である。目標となるレーダーサイトより発信される探知波を受信し、その発信源へと自ら誘導を仕掛けるという特殊な誘導方式を持つ兵器だ。
「驚いている暇は無いぞ、二発目だ!」
同じ方向から飛来する黒い影。
だがその弾道は先程とは違っている。
「狙いは北側か!? 補助用の副アンテナまで狙うって事は、向こうさんはこの施設を完全破壊するつもりだぞ!」
この基地施設にあるレーダーサイトは北、西、東にある計三つ。
そのうちの一つ、主軸となるメインレーダー施設は土台を残して木っ端微塵に吹き飛んでしまったが、その結果に満足した様子もなく更に二つ目のレーダーへと、科学の火矢が襲いかかっていく。
「!」
そのまま一度目の再現となるかと思いきや、しかしその誘導弾は途中で在らぬ方向へと舵を切り、敷地外への雪面に突っ込んで轟音を上げた。幾重にも渡って降り積もった白雪が土砂と共に爆炎に巻き上げられる。
その光景を見て不良品でも混じっていたかと思わず考えてしまったが、すぐに本当の理由に思い当たる。
「……ECMが機能してるって事は、基地はちゃんと機能してるみたいだな……」
併設されている装備から発信された妨害電波によって、誘導弾の感覚器が欺瞞されて目標を見失ったのだろう。
施設の防備装置が機能しているということは、とりあえず指令系統が麻痺しているというわけではないらしい。前線からは外れていても流石は戦争国、対応は順当に行われているようだった。
更に続いてくる誘導弾。
その次々と落ちていく様を見て、ユーマは「おお」と小さく歓声を上げた。
ユーマは正直にいってECMの事には詳しくないが、こんな前線から離れた基地に搭載されたものである。はっきり言ってそう大したものではないと勝手に思い込んでいたのだが、どうやら違ったらしい。
「あんなに機能するもんなのか……。俺の機体にくっつけたり出来ないのか?」
破壊力と命中率を備えた誘導弾は万能人型戦闘機にとっては対策必須の兵器である。一ノ瀬も幾度となく苦辛してきただけに、目の前の光景には感動に近いものを感じてしまう。
――実のところ、このレーダー基地に備わっているECMは全てトハルト・インダストリーの手によって入れ替えられた最新のものである。
いや、それどころか、防災設備や、整備機材、基地職員が使う部屋の毛布に至るまで、全てがトハルト・インダストリーの後押しによって品質の向上を果たしていたし、ユーマが何気なく食堂で口にしていた料理の原材料は、複数ある食料プラントの中でも最も質の良いとされる首都で製造されたものである。
この僻地に似合わぬ最新設備の数々は、ユーマとノエルがこの基地にやってくる僅か数日前に突貫でもたらされたものであった。
その背景にはトハルト・インダストリーの現社長の愛娘――ユーマやノエルがお嬢様と呼ぶ、将来的には社の看板を背負う可能性もあるような人物の影があった。
彼女はユーマが近衛の条件を満たしていないと知るや危険度の低い僻地を選定、メルトランテと約束を取り付け、ユーマ達が辿り着く前に施設の防衛設備や居住空間の改修を指示していたのだ。遠距離攻撃のに対する防衛の要と言えるECMに至っては、彼女自らが開発に携わり、未だ市場には出回っていない代物である。既存兵器に対する実戦テストは既に終えて、企業内の管理施設のみに配備されている最高装備品である。
実に恐ろしき、身内に対する過保護とも言える配慮の深さであった。
もっとも、その不必要とも思えた最新設備の一つが現状において遺憾なく性能を発揮しているのだから決して無駄にはならない結果となったわけだが。
勿論そんな事実を欠片たりとも知らないユーマは、予想外の基地施設の高性能に感心するばかりであった。
その隣で状況を確認しながらノエルがナイフの切れ目の様にすっと目を細める。
「……電波探知式のホーミング方式、ジャミング後は自己探査を行わずに不時着したということは他の誘導方式は持っていない……おそらく相手は万能人型戦闘機です。それも、少数!」
「根拠は?」
隣で声を上げたノエルの推察に、ユーマは問う。
「一度目の迎撃が間に合っていないということは、恐らく発射地点は相当な近距離です。しかも非複合探知方式と言うことは、万能人型戦闘機用に小型化して携帯性を優先した低性能型のはず! 加えて、もし相手の数が多いならもっと馬鹿みたいに飛んでくるはずですから!」
「……ほう、てことは?」
「後方支援用の装備をした機体が数機。あとは施設内を抑えるための前衛機が来るはずです!」
流石に重要人物の近衛をしているだけのことはある。
短時間傍目で見ているだけでしっかりと推測しているらしい。そういった戦局眼を一ノ瀬は持ち合わせていないので、頼もしい限りである。
一ノ瀬は自分の口から出る白い吐息を若干鬱陶しく思いつつ、基地の外、雪原が広がっている方向の遠くを見やって納得した。
「なるほど……、ノエル、正解みたいだ」
「はい!? 何ですかユーマ!?」
「来たってことだよ!」
直後。
一ノ瀬がノエルの手を引くのと同時に突風が吹き荒れた。
先程まで飛来してきていた誘導弾とは違う、長く深い影を地に落とす存在。まるで雪面をスケートリングに見立てたかのような流麗な動作で、それは現れた。
「あの機体は……!」
施設の周りには一応侵入を阻むための金網が存在していたが、所詮は対人用だ。全長八メートル近くを誇る巨人にとっては何の障害にもなりはしない。砲台も何も設置されていない施設内へと、最強を誇る兵器が悠々と侵入してくる。
「アーマメント社万能人型戦闘機〈フォルティ〉! 一体どこの所属ですか!?」
ノエルが叫び声を上げる。
どうやら〈フォルティ〉というのが相手の機体の名称らしいのだが、一ノ瀬にとっては割合どうでもいい情報だった。機体を構成している部品を見て、大した性能を持つ相手ではないと一瞬で判断出来たからだ。
先頭を駆け抜けてきた一機に加えて、更に追随するように二機が駆け抜けていく。
一ノ瀬はそのうちの一機に目を留めて、目を細めた。
「ノエル、一機だけ形状が違う奴がいるけど、あれもその機体なのか?」
「え? ……あれは、損傷機体? ――いえ、違う。あれは……カスタム機です! 恐らく、無理矢理軽量化した機体ですよ! でもあんな、装甲板まで剥ぎ取って、なんて命知らずな!」
命がかかった戦場でそんなことをする人間がいるのか。
ノエルは呆れとも憤然とも分からない怒鳴り声を上げたが、一ノ瀬は素直に感心してしまった。どのような考えで搭乗者があの機体に乗っているかは分からないが、戦場にそんな機体で出てこられる者は中々いないだろう。
現にこれまで一ノ瀬がこの世界で見てきた万能人型戦闘機は、一様にして機体の扱いやすさと安定性を重視した中量機であった。
無論、下地になった素体の性能が性能だけに一ノ瀬が知る軽量機と比べれば雲泥の差であろうだろうが――、
「あそこはっ……!」
ノエルが目を見開く。
施設内に侵入した三機の万能人型戦闘機。
そのうちの一機が、施設内にある灰色の建物へと銃口を持ち上げた。
それは中の人間に対して、死神の鎌を突き立てたにも等しい行為だった。
そして。
万能人型戦闘機が手に構えた大型の突撃銃を発射、次々と弾丸を撃ち込んでいく。灰色の色をした無機質な建築物がビスケット菓子の様に粉々に砕け散っていった。
管制室には防弾硝子程度は備わっていただろうが、何十ミリも大きさを誇る大口径の連射に耐えられる防備があるわけがなかった。
恐らくあの付近にいた人間達は全滅だろう。
「あの位置は管制室だったな……。くそ、施設の位置が把握されてる! これじゃ増援が来る前に全滅するぞ!」
「……ECMはまだ機能している。自律制御が働いているみたいですね……。ユーマ、移動しますよ!」
どこへ、というのは愚問だろう。
出来るだけ敵機体に注目されないような移動経路を選んで駆け出すノエルの後ろを、一ノ瀬も続く。耐寒用の厚着に加えて、あちこちに雪が積もっていて非常に走りにくい。凍り付いた氷面に何度も足を奪われそうになりながら、訊ねる。
「戦うのか!?」
「当たり前です! それが私達の任務ですよ!」
「二ヶ月立ってるだけの簡単なお仕事だったんじゃ?」
「良かったですね、ユーマ! 仕事熱心なあなたには朗報でしょう!?」
お互いに意味も無く軽口を叩きながらも、足を動かしていく。
一ノ瀬とノエルが目指しているのは兵器格納庫である。
ただし最初に敵のミサイルに標的にされた場所ではなく、施設の裏手側にある、普段の基地体勢であればまともに運用されていない予備格納庫だ。
まだ国境線の先にあるノブース共和国とこの国が終戦状態になる前には、この場所にももっと多くの兵器が駐留していたらしい。今向かっているのはその時代に使われていたものだ。今はこの方面の軍備縮小によって、空きになっていたのである。
情報漏洩に対する防護措置として、一ノ瀬とノエルの機体は施設の防衛部隊達が使用している格納庫とは違う、その使われなくなった場所に保管されていたのだが、それが思わぬ方向に作用した。
今のところ破壊されたのはレーダーと管制室と、防衛部隊達の格納庫だけで、一ノ瀬達の機体が保管されている格納庫は無事のようだ。恐らく相手も気がついていない。あるいは空だと思われているか。
どちらにせよ幸運である。
お陰で手段を失って極寒の地の中で彷徨うようなことにならずに済んでいる。
再度の轟音が響いた。
走りながらその方向を見やると、残骸の中から新たな鉄の巨人が露わになるところだった。
相手と同じく雪の背景に溶け込むよう塗装された〈ヴィクトリア〉の姿。この基地施設の防衛部隊の機体だった。
どうやら全滅は免れたらしい。
崩れた格納庫の瓦礫を強引に退かし、次々に戦闘機動をとっていく。
この基地施設に駐屯している〈ヴィクトリア〉の数は合計で八機。姿を現したのは僅か四機であることから、半数は不能状態なのだろう。
原因が機体なのか、搭乗者であるのかは、不明であるが。
相手は三機、防衛部隊は四機。
単純に数で判断するならば防衛側が有利であるが――
警備部隊の〈ヴィクトリア〉がフロート機構を用いて滑走する。
出来れば空へと飛び上がりたいところだろうが、敵機を前にしての垂直離陸は単なる的でしかない。それを理解した動きだった。
侵入者の機体目掛けて〈ヴィクトリア〉が機関砲を連射する。重い虫が飛ぶような駆動音と共に廃莢が撒き散らされるが、その殆どが機体を掠めることすら出来ずに過ぎ去っていく。
その返礼とばかりに相手の銃身が動いた。
敵機の先頭に立つのは例の軽量化を施されたカスタム機だ。
平地でありながら絶え間なく飛来する銃弾の雨を歯牙にもかけずに、合間にある距離を急速に縮めていく。
狙いを定められていると知った〈ヴィクトリア〉が回避機動に移った。フロート機構で滑り抜け、相手の照準を幻惑させるように無秩序な乱数機動を行う。
しかし。
その動きを知っていたかのように火線が伸びる。命中すると悟った〈ヴィクトリア〉は咄嗟に機体を横に向けて肩を盾にしたが、安定性を欠いた機体が大きく姿勢を崩し、身を沈める。
刹那、その胴体に大穴が空いた。
後方に位置取った敵の一機が、手に持った長銃で貫いたのだ。
燃料部に引火して爆発を起こす機体には脇目を振らず、三機の万能人型戦闘機が動き続ける。その一切の淀みが無い様は、狩りを行う一つの群を思わせた。お互いがお互いのカバーリングを行い、分担して作業を行い、確実に相手の力を削いでいく。
その一連の光景を見て、一ノ瀬ははっきりと理解する。
「まずい……相手になってない」
相手とこちらの防衛部隊では、余りにも搭乗者の練度が違いすぎる。相手の動きは明らかに防衛部隊の動きを見透かしていた。この先行われるのは戦闘ですらない。
一方的な蹂躙だ。
特に一ノ瀬が脅威を感じたのはあの軽量化を施した、一見すると破損しているようにも見える歪な風貌を持つ機体だった。
あの機体が銃撃を加える間際、フロート機構を用いて回避行動を取っていた〈ヴィクトリア〉を狙っている際に、その銃口は一切ブレていなかった。仮に射撃に関して機体の自動予測を用いて標準していた場合、先程のような小刻みな回避行動を取る相手を狙うとコンピューターが自動で追随し、補正が入るまでの数瞬、銃口が震えるようにブレるのである。
だがしかし、あの機体は終始銃口が固まっていた。
最初から最後まで、一切の迷いを見せていなかった。
それはつまり、あの搭乗者が機体の射撃補助システムである自動予測を持ちいらずに、手動照準していたということである。経験と勘、そして何よりも機体を自分の意思で自在に操るだけの技量なければ不可能な芸当だ。
それこそ、かつて名を連ねていた強者達の中でも上位に位置していた人間のような――
「ユーマ、早く!」
「分かってる!」
地面を蹴る足に力を入れる。
結末が分かっていても、今一ノ瀬に出来ることは防衛部隊の生存を祈りながら、目的地に一刻も早く辿り着くことだけである。正直、名も知らぬ防衛部隊の人間達を囮にしているようで気が引けるのだが、そんな感傷は現時点では意味は無い。
戦闘音を背に格納庫に辿り着き中に入ると、整備服を着た何人もの人間が一斉に振り向いてきた。彼らはこの基地の人間では無く、機体調整のために一ノ瀬やノエルと一緒にトハルト・インダストリーから出向してきた技術者達である。
「ノエル様、どうなってるので!?」
「敵襲です。所属勢力は不明、数は少数! 私とユーマは出ます! 機体は万全ですね!?」
「当たり前ですよ! 寧ろ暇すぎてどうしようかと思っていたくらいです!」
「結構です!」
声を張り上げるノエルを尻目に格納庫内で耐寒用のコートを脱ぎ捨てると、一ノ瀬は自分の愛機へと駆け寄り、コックピットへと繋がるタラップに足をかける。
「待て待て、無茶だ、まだ機が暖まってない! ここは極寒地だぞ!」
「馬鹿言うな! 何のために一度機体を分解して寒冷地対策したのさ! 動いてれば汗はかくだろ!」
下で騒ぐ整備長に叫び返して、一ノ瀬は機内へと身体を滑り込ませる。
整備長はああ言っていたが、事前に準備はしていてくれたらしく機体はすぐに稼働状態へと持って行くことが出来た。流石近衛に付いて企業から送られて来ただけあって、良い仕事をしてくれている。
『ユーマ、聞こえますか?』
通信機からノエルの声が聞こえてくる。
向こうも問題無く機内に乗り込んだらしい。
「ああ、聞き取り良好、問題無い」
『整備員達に付近の地下シェルターへ避難するよう命令を出しました。多少の時間がかかります。戦闘は出来る限りここから距離を離しましょう』
「そりゃ出来ればそうするが……恐らく相手はこの基地の完全破壊が目的じゃないのか?」
その場合、避難させたところで安全とは言い難い。
『ユーマ、今回の私達の勝利条件は二つです。一つ、基地施設の防衛。正確にはレーダーの、ですが。そして二つ目は、近隣の基地から増援が来るまで持ち堪えること』
「……増援は来るのか?」
『間違いなく来ます。……ただ早期に管制室が破壊されているために、ちゃんと緊急信号が出ているかが不安ではありますが。通常であれば十分もあれば増援は来るはずですが……』
「遅れる可能性はある、か……」
耐えることを目的とするにしても、その時間が分からないというのはあまり良いものではない。あと何分で来るかを待つのと、あと何分か分からないを待つのとでは、意味合いが大きく違っていく。
『一先ず、施設内に侵入した敵機を排除することから始めましょう。その間、敵の遠方攻撃に晒されますが、幸いにしてECMを初めとした防衛機能は生きています。相手も時間制限がある以上、少しすれば突入してきます。それまでに敵の数を減らして――』
「いや、二手に分かれよう」
ノエルの言葉を切って、一ノ瀬は言う。
通信機の先から少しだけ詰まるような呼吸音が聞こえてきてから、
『……何故です? 敵の数は多くありません。こちらの増援が来るまで持ち堪えるのが得策では?』
「どうせ相手の狙いはレーダーだ。防衛機能も何時まで持つか分からない以上、もたもたしてると破壊されるぞ。それに防衛の観点で言えば、やっぱり厄介なのは遠距離地点から攻撃を仕掛けてきてる奴らだ。早めに消したい。……ノエルはそっちを頼む。俺は基地内に侵入してる敵機の掃討を行う」
『……協力して先に敷地内の敵を叩いてからというのは?』
「動きを少し見たが、敵は相当な手練れだ。特に一機。……ノエルじゃ多分死ぬ」
その言葉にノエルが少しだけむっとしたのが分かった。
『それは私がお嬢様の近衛所属であることと、私の操る機体が何かを知っていての発言なんですよね?』
機嫌を損ねてしまったかと焦る。
一ノ瀬も余裕が無い所為で言動が明け透けになってしまっていた。ノエルとて重要人物の近衛に選抜される逸材だ。理由はどうあれ、それをこうも頭ごなしに実力足らずと言ってしまっては腹立たしいに決まっている。
「怒るなよ、別に理由はそれだけじゃない。機体の装備的にもそっちの方が都合が良いんだよ。俺の機体がどんなものかはノエルもよく知ってるだろ?」
『……』
一ノ瀬の声にノエルは沈黙した。
実際、一ノ瀬の愛機は正直言って団体行動には向いていない。仮に二機一組で行動したとしても、あまり効果的な連携は取れないだろう。その事は通信機の向こうにいる彼女もよく理解しているはずなのである。
静寂。
通信越しには彼女の静かな息遣いが微かに漏れ出ている。
しかし、ふと、ふっという空気を吐き出す音と共に穏やかな言葉遣いが聞こえてきた。
「分かりました。ですが忘れないでくださいよ? 私達はここの任期が終わったら一緒にお嬢様の下で働くんですからね」
「お前は前科があるんだから、そのフラグっぽい物言いを止めなさいよ!?」
この女性はわざと言ってるんじゃないかと、一ノ瀬は思わず叫んだ。
***
崩壊した格納庫の中から現れた四機の〈ヴィクトリア〉。
その最後の一機が今、黒煙を上げて崩れ落ちた。
鉄屑と成り果てた巨大な質量が安定を失って地面に叩きつけられて、鈍い轟音と共に雪が混じった粉塵が辺りに巻き上がる。
原因となったのは搭乗者が収まっている胸部への零距離射撃。
銃身を切り詰めた短機関銃を装備したエレナ機の〈フォルティ〉が、敵機の胸部に銃口を押しつけて発射したのである。万能人型戦闘機の正面装甲は最も強固な部位の一つであるが、流石に銃口を押しつけられてしまえば貫けぬ理由は無い。
巨大な銃弾に押し潰されて、中の搭乗者は間違いなく死んでいるだろう。
『これでお終いかなー?』
同僚であるエレナがそういった前のめりになる癖があることを、セーラは把握していた。
確実に仕留めるためにという効率的な考えのもとに行ったのではなく、彼女はどこか戦いという行為のに遊びを混ぜているきらいがある。人間にはそれぞれそういう趣味趣向の差異――個性があるということは認識しているが、セーラにとっては理解しがたいことでもあった。
軍用基準性能調整個体である少女にとっては戦いとは自身が存在する意味そのものであり、そこには与えられた命令を言われた通りに果たすことという目的以上の付加価値は無い。
高い能力を、あらゆる状況下で、確実に発揮する。
設計者達はそう求めて軍用基準性能調整個体を作り出し、セーラはそういう風にこの世に作られた。
そういう点で言えば、どのような場であれ自己表現を躊躇しないエレナと軍用基準性能調整個体は対局の位置にいると言えるかもしれない。
もっとも。別段その事に関して文句があるわけではないのだが。
少なくともエレナは作戦の場に置いてはしっかりと任務を全うしているし、作戦遂行の観点から見れば彼女は搭乗者として優れた操作技術を持つ、非常に有用な人物である。
「複合感覚器に反応無し。敵万能人型戦闘機の無効化を完了と判断」
『同じく、複合感覚器に反応無し』
聞こえてきた声に、セーラは僅かに髪を揺らした。
『作戦開始から約三分。あとはレーダーを破壊して終わりか?』
『けどタマル達の遠距離攻撃が思ったよりも成果を上げてませんねー。やっぱり携帯型の誘導弾では性能不足ですかー』
『確かに、これだと目視で破壊した方が早そうだな……』
散発的に発射されるミサイルがまた一発、目標を狂わせられてあらぬ建物に激突して破壊を撒き散らす。施設の再起不能までの破壊が今回の任務の目標なので決して無駄ではないが……。
炎に炙られる残骸の影を見つめながら、部隊の七番機であるクルスが溜息を吐いた。
『時間も押してますし、私もレーダーの破壊作業に行ってきますねー』
「……それは作戦予定とは違いますが」
聞こえてきた声に、セーラは口を挟んだ。
本来の予定では多数の弾頭と投射機を備えた遠距離爆撃用パックを装備した一番機と三番機――タマルとシーモスが後方より誘導弾を用いて破壊する段取りであった。仮に敷地内に乗り込んだ自分達がレーダー破壊の援護をするとしても、それは敷地内の他の設備を破壊した後のことであるはずだ。
そんなセーラの考えを見透かしたかのように、エレナが戦場にはあまり似つかわしくない酷くゆったりとした――セーラからすると何を考えているのか分からない――声で、
『頭が固いのはセーラちゃんの欠点ですよー。物事には優先順位がありますからねー。能力はあるんだから、いい加減臨機応変を覚えた方が良いですよー』
「――」
そう教師が教え子に言い含めるような空気を纏わせて、言った。
『二番機より一番機へー、レーダー破壊の援護行動の許可を求めますー』
『――許可する。想定よりもECMの能力がかなり高い。正直、誘導弾を切り捨ててそっちに合流しようかどうか迷ってた所だ』
『攻撃は続けてていいと思いますよー。施設内の破壊には役立っていますしー』
『了解した。こっちは施設の破壊に専念する。照準情報は送るから巻き込まれないように気をつけろ。それと二番機、手持ち火器でレーダーの完全破壊は可能なんだろうな?』
『ええ、投擲用の吸引地雷もありますから大丈夫ですー。再利用なんてさせませんよー』
『了解、行動を開始しろ』
エレナはあっさりと指揮官であるタマルの許可を得る。
もしかしたら彼女が提案しなくとも、タマルの方からそう作戦変更の指示が来ていたかもしれない。
『では四番機と七番機は予定通り施設の破壊をお願いねー。時間には気をつけてー』
『了解。単独行動するなら、そっちも気をつけろよ』
『うん、ありがとー。セーラちゃんも頑張ってねー』
クルスと短いやり取りを終えたエレナ機はくるりとターンを決めて、滑走していく。言葉通り施設内のレーダーを破壊しに行ったのだろう。二番の番号を与えられた〈フォルティ〉はあっという間に建物の影に消えて見えなくなった。わざわざ複雑な操作を必要とする建築物の隙間を通っていくあたりが彼女の性格を表している。
「……」
セーラはその見えなくなった影を少しの間、見つめる。
臨機応変というものが、戦場において求められる重要な要素だということはセーラも知っている。実際の現場においては当初の予定通りに事が進まないことも多い。そういった際には居合わせた者の判断によって行動を選択、実行する能力が求められる。
最善の結果が得られなくとも、次善、次々善と、己の判断で考え、動く。
それは身体的には高い能力を持つ軍用基準性能調整個体が備えることの出来ていない、最大の欠点だとも言われている。
上位存在のあらゆる命令に忠実に従うよう求められ生まれた軍用基準性能調整個体は、言い換えれば命令というものに依存していると言っても良い。
そんな存在にとって与えられた命令を破棄して、自己で判断し、行動するというのは、自己の存在に対する矛盾を孕んだ難題であった。
セーラの場合、現場で個々が考えるということ自体はそれなりに重要だと理解していた。
それは軍用基準性能調整個体の中でも独立都市アルタスの実行部隊へと送られ、幾つもの戦闘経験を積んできたことによって彼女が得た、確かな進歩であるといえる。
しかし、それが先には続いていない。
今のように作戦の効率が落ちていることに気がついたとしても、その打開策を考え、行動することが出来ない。先程のエレナの如く事前の作戦を自ら無視して行動を起こすということに、強いストレスを感じてしまう。
これはある意味で当然のことでもあった。
命令への従順さを期待され、感情を限りなく抑制し個人の特徴というものを希薄にされた軍用基準性能調整個体にとって、命令に従わず、自分で考え、動くということは、謂わば自己存在の否定に等しい。
『セーラ、どうした?』
「――なんでもありません」
聞こえてきた声に、セーラは静かに答える。
そこには揺らぎや困惑の色は一切ない。冷えた金属のような、触れた相手の感覚を消してしまうような、平坦な声音である。
『帰りは軽い方が良い。弾は出来るだけ撃ったほうが後が楽だ』
「はい」
行きとは違い、帰還は敵に追いつかれないよう全速力で移動する。銃弾にしろ、吸引地雷にしろ、残しておいて得するものでもない。クルスの言葉通り、使い切った方が得策である。
セーラは新たに与えられた命令通りに、敷地内の建築物へと攻撃を加える。
そこには自分の意思も判断も必要無い。軍用基準性能調整個体の本分とも言うべき、機械のような単純作業である。
司令所があったと目されていた場所は早々に破壊し、兵器格納庫及び防衛戦力も全て破壊済み。あとは時間が許す限り、この基地が修復不可能なよう無差別に攻撃を加えるだけだ。
所々に存在する人間が集まっている場所を重点的に狙いながら、共に破壊高度を行っている人物のことをセーラは考える。
クルス=フィア少尉。
同じ部隊に所属する人間であるが、これは偽名だ。
初めて会った時はレジスと名乗っていたが――これすらも本名かどうかは分からない。傭兵であると言っていた彼が初対面人間に対して素直に正体を明かすとは言えなかった。或いは、傭兵という経歴すらも偽りかもしれないが。
セーラにとって、クルスの存在は非常に特異であった。
自分と年齢が近く、それでいて戦うために生み出された自分よりも遙かに高い搭乗者としての能力を持つ人間。
彼に対しては、どうにも自分でも把握の出来ない何かを持て余している感覚がある。口では表現し難い、何かである。セーラは自分が感じているそれを言い表す適切な言葉を知らない。
それでも無理矢理当て嵌めるとしたら――それは、苛立ちだろうか。
軍用基準性能調整個体である自分にとってそれはありえない内の波であるはずだったが、それに近いものを覚えているのは確かだった。
怒りと言うほど鮮烈ではなく、親しみと言うほど温くはない。
それを表現するには、苛立ちといった程度の大きさが丁度良いように感じられた。
ではそれが不快かと訊ねられると――それもまた違うと首を振るのだが。
ふと、少し前に基地内で起きた騒動を思い出す。
食料の供給不足を発端とした、他の部隊との衝突。あの時、セーラは自分の選んだ行動に対して戸惑いを覚え、考え、結果としてそれを「そうしたいから」と結論づけた。
あの時感じていたものは果たして何だっただろうか。
苛立ちだっただろうか。
当時を思い返して考えてみると、苛立ちと表現するのも何か間違っているように感じられる。
苛立ちというような負のイメージではなく、どちらかというとそれは暖かさを持った――そう、何度か触れたことのある、クルス自身から感じた伝わってきた体温のような。
人肌の温もり。
人間の、クルス少尉の……、
セーラは漠然とそこまで考えて、
『セーラ!』
通信機から声が聞こえるよりも早く、セーラの意識は思考から引き戻され目の前へと集中していた。
機体の複合感覚器に反応が出る。
それは外ではなく、建物の中。機体を旋回させるのと同時に、前方にあった無傷の建物の壁が突き破ぶられて、大きな影が現れた。
「――」
セーラは、見た。
奇怪な万能人型戦闘機が立っているのを。
それは雪景色の中では余りに目立つ漆黒の機体だった。
背部には短い翼のようにも見える突起のような武装固定具。
長い腕に、細く伸びた指先は猛禽類のように鋭く尖っている。
兜のように装甲に覆われた顔面部の奥深く、人の目を模したかのように配置された複合感覚器が燃えるように赤い光を放っている。
一目で分かる異形。
全体的には細身の輪郭を持つ機体だが、肩部と、肘から手首まで――下腕部を覆っている装甲が分厚い。まるでその部分だけ鎧を纏っているかのようなフォルムだ。
――似ている。
現れた万能人型戦闘機を見て、セーラはかつてクルスと出会った時に彼が乗っていた白銀色の機体を思い出した。
見かけが似ているわけではない。だが、そのあまりにも常識から外れた設計コンセプトが――或いは、機体が持つ雰囲気とでもいうべきか。計器では確認出来ない空気のような何かが、かつて見た姿と共通していた気がしたのだ。
『あの機体は――……!』
通信機の先から聞こえてくる声。
戦場の彼にしては珍しく、緊張しているようだった。万能人型戦闘機を降りているときの彼は兵士の色や匂いを殆ど感じさせない不思議な人物であるが、作戦時には余裕のようなものを持ち合わせていることが常だ。今のような反応は珍しい。
予期せぬ邂逅にセーラが僅かに警戒を強める、だがやることは変わらない。
現れたのは間違いなく敵だ。
敵と戦場で会えばやることは一つ。
そしてそれは相手も重々承知なのだろう、一切の迷いも感じさせぬ勇ましい勢いで敵機が動いた。
翼にも似た武装固定部に取り付けられていた背部兵装が起立。同時に右腕のマニュピュレーターが現れた柄へと伸びてしっかりと保持すると、長大な本体を固定していたロックボルトが小爆発で吹き飛び開放され、火薬によって強制的に跳ね上げられる。その勢いを利用して、異形の万能人型戦闘機は機体の全高にも匹敵する巨大な近接兵装を大きく振り上げて、構えた。
白銀世界を背景に、夜影よりも深いと思わされる宵闇色に塗り潰された黒刃が晒される。
「戦闘用超振動長刀――」
セーラは脳内に埋め込まれた演算プロセッサを起動させつぶさに相手を観察しながら、小さく息を吐き出した。
それは、冗談としか思えない、余りにも現代の感覚とはズレた兵装だった。
実戦において野外で白兵戦用の近接兵器を使うような事態は、現実的には殆ど起こらない。音速の銃弾や視界外からのミサイルが飛び交う戦場で刃物を振り回す利点など、常識的に考えて存在しない。
セーラの搭乗機である〈フォルティ〉にも標準装備として超振動ナイフは存在していたが、それはあくまで殆ど負担にならないレベルで携帯可能な小型兵器だからである。敵機が今構えているような機体の全高とほぼ同等の近接兵装など、ただの重しにしかならない代物だ。まさに無用の長物である。
だが何故か。
セーラは黒刀を構える敵機体の姿に、通常ではありえないような威圧感を感じ取った。
「――!」
相手が、低く跳ぶ。
速い。
先程まで相手にしていた〈ヴィクトリア〉の比ではない。だが、驚くべき事に相手はその加速をフロート機構を作動させて得たわけではなかった。
本来垂直離陸用に用いられる万能人型戦闘機の跳躍制動を使って、機体を大きく前に蹴り出したのだ。まるで人間が大地の上を走り出すかのような躍動。その動作とほぼ同時に推進ユニットが起動、強い紫色の光に後押しされるようにして更に加速する。
まるで地を這うような姿勢で高速接近してくる漆黒の機影。
だが目の前で行われる常識外の動きに対しても、セーラは一切の表情を崩すことなく冷静に事を運ぶことを選択した。
彼女の脳内に埋め込まれた演算プロセッサの機能によって、その情報処理能力を飛躍させたセーラは冷静に相手の姿を捉えている。如何に高速移動する機体と言えども、無数に降り注ぐ雨粒の一つ一つを認識可能な今のセーラにとっては充分に視認可能な対象に過ぎない。
相手の武装は実践的ではない近接武装のみ、そして動きも速くはあるが、直線的。
狙うは急所、放つは弾丸。
無音にも感じられる超遅速の世界の中で、銃口を真っ直ぐに構える。
矛先が向くのはただ一点、胴体部のみ。
どんなに優れた兵器であろうとも、それを扱う人間が死んでしまえばただの鉄の塊となる。搭乗者が乗り込むコックピットが存在する胴体部は、全ての万能人型戦闘機に共通する最大の弱点だ。故に胸部の正面装甲は最も堅牢に設計されているのだが――それとて万全なものではない。
当たる角度、目標との相対速度、用いる弾丸の種類、口径。いくつかの条件が重なってしまえば、その鎧はあっさりと貫通することが出来る。
セーラは凄まじい勢いで距離を縮めてくる相手に対し、寸分の焦りを感じること無く静かに見据えて、
――発射。
暗い洞窟のような銃口から赤色の火花が散ると同時に、中から銃弾が発射される。
真っ直ぐに、寸分の違いも無く。
直撃。
針の穴を射貫くような精密さで、対万能人型戦闘機用の大口径弾が凍えた空気の中を突き進む。
その一発の弾丸は、相手がこちらに肉薄するよりも先に敵の搭乗者をミンチにするだろう。
敵機の性能は未知数だったが、真っ正面から対万能人型戦闘機用に貫通力を高めた五十八ミリ砲弾を当ててしまえばそれは最早関係ない。
そして、次の瞬間。
セーラは見た。
――敵機が長刀を袈裟切りに振り落とした。
敵の装甲部食い破り致命の一撃を与えるはずだった五十八ミリ砲弾と、振り抜かれた一筋の剣線が、一部のズレも無く重なった。強靱な人工筋肉と、過剰とも言える高出力のサーボモーターによって実現された、超高速の振り抜き。
内部に備えられた広周波装置によって震動する超合金の長刀が、一刀のもとに死の凶弾を斬り伏せる。
超振動し空気を鳴動させる黒刀は、触れた瞬間にその出力を持ってして弾丸を文字通りに微塵へと粉砕した。
銃弾を、切った――?
高速思考状態にあったセーラの思考が一瞬、停止した。
あらゆる状況において惑わず、焦らず、慌てず、そのように生み出されたはずの少女がメモ前で行われた事象に目を見開き――それが戦場においては致命的な隙を晒す結果となった。
『セーラ、逃げろッ!』
声が聞こえる。
だが遅い。セーラの視界には既に漆黒の機体が目前にまで迫っている姿が映っていた。その炎の色をした複合感覚器眼が瞬くように滅点。極限まで引き延ばされた時間の中で、セーラはたしかにその一瞬を捉えていた。
そして次の時――袈裟切りから繋がるようにして振るわれた右から左への一閃。
雷光の如く奔った戦闘用超振動長刀の一撃によって、セーラの搭乗する〈フォルティ〉はその強固な複合装甲板諸共無残に引き裂かれ、二つに分かたれていた。




