現在地不明
独立都市アルタス
海に接した自然豊かな都市土と複数の稀少鉱石の採掘場を持つ、その所有領域に反して資源豊富な都市国家である。海洋に浮かぶ自治都市レフィーラとは深い繋がりを持ち、お互いに協力しつつの同盟関係を結んでいた。
人口は約二百万。
その豊かな土地を狙って侵攻してくる隣国メルトランテとは、国境線上で常に諍いの絶えない状態となっている。国土面積では大きく負けているものの、その豊富な資源と進んだ技術、主戦力たる万能人型戦闘機の性能の高さから戦局を五分以上に支えている強国でもある。
二機の蒼躯の万能人型戦闘機に挟まれて都市近郊へと機体を近づかせていった〈レジス〉は、その全景を上空から目にして息を呑んだ。
「凄いな……」
思わず、そう呟かずにはいられない。
緑の山々に囲まれたその都市は、研磨された宝石の如く白く耀いていた。
これは都市周囲を透過率の高い高効率太陽光発電パネルで覆い尽くしているためである。全天候型都市として開発されたアルタスは防衛機構を備えた外壁と高効率太陽光発電パネルでその周囲を完全密閉し、都市内の天候等も全て人工で再現、管理する自立循環機構を備えている。
仮に外部との貿易関係が全て無くなったとしても計算上は問題無い生活が送れることになっている。
その美しさに目を奪われる反面で、こんな大規模な領域の開放をいつしたんだと頭を悩ませる。これだけの作り込み、告知しないわけがない。やはり自分が見逃していたということなのか。
『管制塔。こちらシンゴラレ第二小隊。作戦により三機帰投』
『こちら管制塔……、作戦コードの受諾を確認。お帰りなさい。誘導に従って着陸してください』
聞こえてきた通信に〈レジス〉は言葉を失う。
自分の前後を囲む蒼い機体の搭乗者たちが並々ならぬ意気込みで、自分達で設定した世界観やキャラを演じているとは感じていた。
しかし、まさか管制塔役までいるとは……。
もしかしてこの管制塔役のプレイヤーは今回戦場にも出ずにずっとここで待機しているのだろうか。好きこのんでそれをしているとはいえ、このゲームをしていて戦場に出ないなど〈レジス〉は到底理解出来ない範疇であった。
『了解。……半壊ついてきな。一応聞くが、そいつは着陸出来るんだよな?』
「あたりまえだろ……。なあ」
『ん?』
「あんたらいつもこうなのか?」
思わずついて出た疑問に、通信機越しの相手が困惑する雰囲気が伝わってきた。
『どういうことだ?』
「いや管制塔とかさ。あの人は戦場に出ないのか?」
『そりゃお前……。管制官が前線に出て戦うわけないだろう……』
呆れるような声で言われて、〈レジス〉は顔を顰める。
そりゃ軍隊として考えるならそうなんだろうが、ロールプレイとはいえそこまで徹底する必要は無いのではないかと思ってしまう。
「……まあ楽しみ方はそれぞれか。でも全く無いって事は流石にないだろ? 時々は出撃したりしてるんだよな?」
『いやだから……、時々も何も……一度も出撃なんてしてないだろ』
溜息交じりのその言葉に〈レジス〉は耳を疑った。
「は!? 一度も!?」
『いや、そりゃ俺も詳しく聞いたことは無いけど。でも普通、搭乗者以外が戦闘機に乗った経験なんてあるはずないだろ。逆に乗ったことがあるなんて言われた方が驚くんだが』
いったいお前は何を言ってるんだ、と。
そう言われてしまって〈レジス〉は唖然とする。
いうまでもなく『プラウファラウド』というのは、万能人型戦闘機と称される人型巨大兵器を自分で組み立て戦場で戦って楽しむゲームである。
その作り込みの綿密さなどが広まってからは航空雑技団やフリーマッチで空からの映像を撮影して楽しむような変わり種のプレイヤーも現れてはいたが、そのゲームの根幹に根付くものが万能人型戦闘機を自分で操縦するということなのは間違いない。
それを放棄するプレイヤーがいるということは、ひたすらに対人戦で数多の戦場を駆け抜けてきた〈レジス〉には信じられなかった。
シーモスの口振りからすると、まさかシングルプレイすらも経験していないのではないだろうか。
「あ、ありえるのか……そんなプレイヤーが」
『ありえるも何も、管制官ってのはそういうもんだ』
「……一応聞くんだが、無理矢理管制官をやらせてるってわけじゃないんだよな?」
『は? 何を意味の分からんことを……。自分で選んだからあそこに立って働いてるんだろう』
「……そうか」
その言葉を聞いて〈レジス〉は言葉を収め、想像してみる。
戦場で空も飛ばずにいるプレイヤーの姿を。
「――勿体ないな。空を飛ぶのはあんなにも気持ち良いのに」
素直にそう思ってしまった。
ゲームの楽しみ方など人それぞれだとは思っているが、それでもそう思わずにはいられない。
あのプレイヤーは大空を自由に駆け抜ける爽快さも、誰かを相手に実力を高め合う緊張感も、何も知らないのだ。
所詮は架空現実。理解出来ない相手には鼻で笑われることかもしれないが、世界を五感で感じ取れるようになった時点で、それは最早ゲームという小さな括りでは納められなくなったと〈レジス〉は考えている。
未知の世界を、目で見て耳で聞いて鼻で嗅ぎ肌で感じて口で味わう。
それが出来ることはとても素晴らしいことだというのに、自らそれを放棄してしまっているのはとても哀しいことだ。
通信機越しのシーモスからは、何だか呆れと感嘆が混じったような雰囲気が伝わってくる。ロールプレイをしている彼も、少なからず似たような思いを持っているのではないかと考えていたが、違ったのだろうか。
『それが傭兵の価値観ってやつなのかね。俺には分からんが――まあ、そんなに言うなら今度デートにでも誘ってみたらどうだ』
「は?」
どうしてそんな話になった?
会話の流れが掴めずに〈レジス〉は思わず、自機の前を飛翔する蒼い機体の背中を凝視した。
それを察したわけでもないだろうが、シーモスの笑い混じりの声が聞こえてくる。
『お空のデートにでも誘えば良い。軍人の俺達は勝手に機体を動かすことは出来ないが、傭兵なら別だろう? 今度お前の言う空の魅力って奴を教えてやればいいさ』
ま、相手がお誘いに答えてくれる保証はしないけどな、と最後にシーモスはそう付け加えてくる。
「……」
言われた言葉を〈レジス〉は自分なりに噛み砕いてみた。
要するに、今度一緒に同時出撃をしようと誘われているのだろうか。
勝つことが第一優先の〈レジス〉と趣味機を扱う彼らで、戦場のスタンスが合うとはとても思えなかったが。
前を行く蒼躯の機体の背中を追いかけながら、誘導に従って機体の高度を下げていく。
どうやら脱出エリアは都市そのものではなく、その郊外に存在する軍事施設に存在しているらしい。
機体の速度を徐々に抑えながら、その足を塗り固められた道路へと擦りつけた。途端に負荷のかかった部位が悲鳴を訴えてくるが、それを上手く宥めていく。
帰投の際の転倒などすでに長い間経験していないが、今の全ての数値が狂った〈リュビームイ〉では十分にありえる事態だ。そもそも普通の操縦士ならば墜落していて然るべき状態なのだから。
それを特に苦辛した様子もなく指示された位置の通りに〈リュビームイ〉を着陸させてから、ぼんやりと呟いた。
「……やっと戻ってこれた」
***
「……ほんとに着地しやがった」
遠巻きにその光景を見ていた作業員達の間から、呻き声が漏れた。
右腕を全損し、各部の装甲も潰れてしまっている万能人型戦闘機。
あの機体が着陸態勢に入ったのを見たときには、その場の作業員達の誰もがその光景を疑った。そして次に浮かんできたのは怒りの感情。誰があんな墜落寸前の機体を滑走路に降ろすことを許可したのかという、怒りだ。
中の搭乗者がそれで死のうがそいつの自業自得だが、これから続々と都市を守るためにここを飛び立った勇敢な兵士達が帰ってくるのだ。その滑走路に残骸などあっては邪魔なうえに不吉なことこの上ない。戦場に出る者達の中にはそういったジンクスを気にする者は多いのだから尚更だ。
しかしそれがすぐに中将発の作戦にそったものだと知れて、一体どういうことだと困惑した。
ここの基地の最高司令官であるソピア中将は国境線上の作戦指示をもう二十年はとり続け、その線を押し上げてきた英雄である。その彼が意味の無い行動を取るはずがない。
――まさか着陸出来るのか
そんな考えが頭に過ぎると同時に、そんな馬鹿なと首を振る。
ありえるわけがない。
あの機体が無事に着地出来るなど、ありえなかった。
そう思いつつも、目が離せない。
二機の蒼い〈フォルティ〉に前後を挟まれながら、半壊の万能人型戦闘機が高度を落としてく。
そして。
「――……着陸した」
その言葉が自分の口から漏れたことに気付くのに、しばしの時間が必要だった。
周囲の作業員達が目の前の光景に見惚れ熱を上げる中で、その男は目の前の事実を冷静に推察する。
自動姿勢制御機構が上手く働いたのか――。
いや、不可能だ。
あの状態で機体の自動姿勢制御機構に頼って着地行動へ移れば、まず間違いなく膝のアクチュエータが死ぬ。そのまま足が折れて潰れてしまうだろう。
毎日機油に塗れながら万能人型戦闘機に触っている人間ならば分かる。あの機体はもう死に体だ。着地の衝撃を我慢出来る気力が残っていない。
ならば、可能性があるとするならば。
「まさか手動でやったってのか……」
口に出してみて、それがどれだけ現実味の無いことかを思い知る。
だがそれ以外にありえない。
傷ついた機体を労り、宥めすかしながら、着地の際に訪れる衝撃を分散させ、受け流した。
ぞくりと、背筋が粟立つ。
見たことのない機体。
この都市の対外機構軍の採用機ではない。ということは外部から雇われた傭兵か。
エアブレーキすら壊れかけ、機体比重を大きく崩したあの機体でして見せた、その妙技。
果たして、搭乗者は一体どれだけの時間を空の上で過ごしてきたのか。あれに乗っているのは歴戦の猛者。相当なベテランに違いなかった。
「おい、あの機体はどこのどいつだ!?」
すぐ隣にいてはしゃいでいた新米整備兵の首根っこを掴んで誰何する。
「痛い! 班長、痛いっす!」
「いいから早く言え!」
「そ、そんなこと言われてもしらないっすよ! ……あっ、でも誘導してる蒼い〈フォルティ〉はシンゴラレ隊の機体ですから多分そこの……」
「シンゴラレだあ!? ……また、あの怪しい部隊どもか!」
その名前を聞いた途端、男は眉間に寄った皺を一層深くさせて吠えた。
シンゴラレ部隊。
この基地最高司令官ソピア中将直属の特殊部隊である。
設立の詳しい経緯は部隊外には知らされていないが、彼らは通常の指揮系統には組み込まれていない。それだけでもきな臭いものだが、さらにその部隊に集められた面子を見ればろくでもないことは子供にも分かる。
あそこは奇抜な面子をわざと集めたんじゃないかというような人物で構成された集団で、同じ軍隊内でも奇異の視線で見られている。
別に男自身はそれは構わないのだが、気に食わないのはシンゴラレの機体は正規仕様とは違い個別に特殊改造が成されているらしく、通常の整備班には中々扱わせないということだった。
まるで腕を疑われているようで、整備班の指揮を執る人間としては非情に腹立たしい。
男は作業着を肩まで捲り上げると、大股で歩き出す。
「ちょ、班長!? 何処行くんすか!?」
「ばあっっか野郎! あの壊れかけに乗ってる搭乗者の顔を拝みに行くんだよ! ついでに機体も治してやらあ!」
「な、馬鹿言わないでください! これから前線にいた機体が順次戻ってくるんすよ!? 誰が指揮とるんすか!?」
「そんなもんミサにでも任せておけ!」
「あんた責任って言葉知ってます!? ……え、ちょ、ほんとに勘弁して……、おい見てないで班長を取り押さえろ! この人本気だぞ!?」
「ええいどけどけお前ら! 俺に男色の趣味はねぇっ!」
のしのしと肩を怒らせて進む男に次々と周りの作業員達が押さえ込みにかかる。毎日の機械弄りで鍛え上げられた岩盤のような太腕を回してくる作業員共を千切っては投げ千切っては投げ――、
発着場の片隅。
彼らのそんな様子に気がついた管制塔の幾人かが頭を抱えて溜息を吐いていたことは、言うまでもなかった。
***
最早意味が分からなかった。
目の前で起こっている光景に最早説明がつけられずに、〈レジス〉は頭を抱えた。それだけで済ませた自分を褒めてやりたいぐらいだった。もし少し何かが違っていれば、目の前のモニターに全力で頭を打ち付けたくなっていたに違いない。
それほどまでに、眼前にある光景は受け入れがたいものだった。
もうこれで何度目だろうか。
特別任務を受けてから、もう幾度となく訪れる事態に翻弄されていた。ある程度は諦めてもいた。――しかしである。流石にこれはない。
殆どのことはバグと認識して納得してきたし、自分の知らない新しい戦場領域も自分がアップデート告知を見逃していたと、一万歩ぐらい譲って自分に言い聞かせていた。
けれどこれはない。
ありえない。
損傷という言葉を使うのも生温い、大破一歩手前の〈リュビームイ〉を指定のハンガーへと搬入した〈レジス〉は目の前の光景に何も言えなかった。
『プラウファラウド』の世界においてプレイヤーの活動出来る範囲は大きく分けて三つ。
他プレイヤーとの交流や運営からの告知が掲示されている、共通ロビー。
自分の搭乗する万能人型戦闘機の兵装や機体構成を変更したり、出撃する戦場を選んだりするための個人エリアである、ガレージ。
そしてこのゲームの華、無数の巨人達が大空を舞い戦火を交える、戦場領域。
戦場領域は操縦席から機体の外に出ることは出来ないため、万能人型戦闘機の中とも言い換えられる。
しかしその他の二つ、共通ロビーとガレージでは自分で作成したアバターを操って活動することになる。逆の言い方をすれば、プレイヤーはその範囲でしか活動を許されていない。
でははたして。
目の前で広がる光景はどうだろうか。
格納庫に機体を入れた以上、それはつまり脱出エリアに侵入したはずなのである。コックピットから抜け出れば、そこは自分の良く見知ったパーソナルスペースであるガレージに行っているはず。
行っていなければおかしい。
では何故、今自分の眼前では濃紺色の作業着を身に着けた無数の人物達が慌ただしく走り回っているのだろうか。
何故、一緒に帰投した二機の蒼い巨人が目前で肩を合わせて並んでいて、しかもその胴体部分から髭を蓄えた黒人のおっさんが姿を現しているのか。
いつの間にかガレージは共有化され、アバターによる活動範囲は外にまで広がったんだよ。
そんな言葉を自分に言い聞かせて見るも、まるで信用が出来ない。出来るわけがない。
コックピット内で瞠目していた〈レジス〉は試しに強く頬を抓ってみた。痛い。当然だ、仮想現実では五感もしっかり機能しているのだから。
ただこれで夢だという可能性は消えた。消えてしまった。
「――おいおいおいおいおいおいおいおい」
頭の中が煩雑する。完全に自分の許容範囲量を超えていた。
半壊の〈リュビームイ〉の足下では、無数の人間が首をあげてその威容を眺めている。その大体は好奇心で占められているだろうか。見慣れぬ機体への興味と、それを操る搭乗者の姿への。
そんな彼らの視線には気がつかずに。
そんな余裕も無く。
「――――――俺は今どこにいるんだ?」
ここの来てようやく〈レジス〉は、自分の置かれている立場の特殊性に気が付き始めた。