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プラウファラウド  作者: ドアノブ
七話 銀世界の騎士
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銀世界の騎士 - IV

 辺り一面の白の世界。

 分厚い灰色の雲に蓋をされたその光景は、クルスに世界の死を思わせた。

 緑の草木は一つとして存在せずに、降り積もった豪雪がなだらかな起伏を生み出しながらどこまでも続いている。地平線の果てには空気の層によって白く霞む山々が聳え立っていて、その存在を誇示していた。


 クルスは試しに地表沿いに機体の複合感覚機(センサー)の感度を高めて探査してみると、固められた雪の下にいくつかの反応があった。恐らくは雪狐や鼠などの生き物だろうか。

 こんな過酷な場所でも生きる命があることに感心すると同時に、僅かに安堵を覚えてしまう。ここはこの世の地続きであり、本当に死の世界というわけではないのだ。


 メルトランテ北東部に広がる平原野。

 クルスの所属するシンゴラレ部隊は既にノブース共和国の国境を越えて、停戦中の敵国内へと侵入を果たしていた。

 クルス伝来の隠密移動方法によって雪上に一切の痕跡を残さずに行軍を続けている一行であったが、部隊の行軍速度は遅々としたものである。

 跳躍や推力ユニットを起動させた高速移動を行わずに主機出力や内部機構のダンパー圧を抑えた現在は、機体の振動や駆動音を落とすことに成功しているが当然の如く機体の有効性能は著しく制限されている。ましてや現在のように殆どをフロート機構を利用した低速慣性移動では、その速度は牛歩の如し。

 

 推進機にものをいわせて空を飛んでいけば大して時間もかからない距離を、一日近くもの時間をかけて移動しているのである。


 ノブース共和国の手引きに従って国境線を越えてから既に十時間ほどが経っただろうか。現在の時点で移動予定距離の大凡半分を消化していて、これでも当初の想定以上の行軍速度を維持していた。


 額面上だけで受け取れば順調そのものの推移であるが、実際には素直に頷きがたいものがある。既に半日近くもの間、鉄の中に押し込まれてひたすら雪面に気を遣いながら移動しているのだ。

 長時間の連続プレイは『プラウファラウド』で充分に体験済みであるが、流石に戦闘も何も無く気を張らしながらの静音移動をひたすら続けるのは初めての経験である――軽量機の機動に慣れるために練習面(プラクティスステージ)を飛び続けたことはあったが。


 白、白、白。


 こうして永遠と景色の変わらない空間の中を移動し続けるのは、なかなかに精神的に来るものがあった。景色に目印になるようなものや起伏が無いために、本当に自分が移動しているのかどうかも怪しく感じてくる。計器類を確認すればそこには確かに一定の数字が映し出されているのが確認出来るのだが、ともすれば故障しているのではないかと疑ってしまう。


 クルスは埃が積もっていくような疲労が溜まっていることを自覚しつつ、気を紛らわすように画面に表示された外気温度を確認してみて顔を顰めた。


「マイナス二十って……」


 その想像を絶する数字に思わず愕然と呟いてしまう。


『外は氷の世界だ。間違えても機体の電源を落としたりするなよ。生命循環維持装置が無かったら、あっという間に凍り付くぞ』


 耳ざとくクルスの声を拾ったのはタマルである。 

 一定間隔で並んだ〈フォルティ〉達はそれぞれ有線による接触通信が行える状態になっている。移動中の機体が有線で繋がっているというのは部隊各員が優れた操縦技術を持っているという証左でもあったが、それ以上に、如何に現在の移動速度が鈍足かを証明する証拠だった。


「誰がするか。頼まれても断るぞ……」


 通信機越しに聞こえてきた返事にクルスはうんざりと返事をする。

 外は所謂、バナナで釘を打てる状態なのだろう。そんな極寒の環境を体験したいとは露ほどにも思えない。日本にいた頃も都心と祖父母の田舎くらいしかろくに行った記憶のないクルスにとって、最早外の氷結世界は理解不能の領域である。


『なんだ、流石のお前さんも寒さには勝てないか?』


 そんな何気ないやり取りの会話にシーモスも加わってくる。

 恐らくは、変わらぬ景色と神経質な行軍に向こうもいい加減うんざりとしてきていたのだろう。

 我慢というものは戦場においては美徳であるが、兵士というのは人間だ。疲れもするし、長い間作業が続けば飽きもする。作戦行動中であろうとも眠気を覚えることもあるだろう。

 そういったものに対して、会話というのは集中力を切らさないために意外と有効な予防手段である。

 無論会話に熱中するなどというのは論外であったが、仲間との適度な会話は良い方向に緊張の力を抜いてくれるのだ。


「おっさんは俺を何だと思ってんだよ……。無敵超人か何かと勘違いしてんじゃないのか……」

『さてね。どうにもお前を見てると何でも出来ちまうんじゃないかと思っちまうんでね』

「それはどんな過大評価だ」


 思いもしなかった人物評にクルスは呆れる。

 万能人型戦闘機の操縦技術に関しては自信を持っているクルスであるが、他の事柄に関してはダメダメも良いところである。何でも出来るなどいう言葉とは程遠く、仮に軍人の成績表でも渡されようものならば赤点が大量に並んでいるに違いない。


 そう思ったのはクルスだけでなく会話を聞いていたタマルも同様であったようで、馬鹿にしたような笑い混じりの言葉が聞こえてきた。 


『そりゃ誰だのことだ? 少なくともセーラの背中に負ぶさって逃げ回るような人間に言ってやる言葉じゃ無いだろ』

「そのことは言うな! あれは俺にとって忘れたい出来事なんだよ!」


 少し前の食料争奪を名目に起こった基地内での騒動のことを持ち出されて、クルスは頭を抱えたくなった。あの時の状況はクルスにとっては掘り起こしたくない記憶である。年下の少女に負ぶさるというのは、どう考えても羞恥でしか無い。


『そんなに嫌でしたか?』


 そう問いかけてくるのはセーラの平坦な声。

 普段は無表情のまま会話に加わってこないくせにどうしてこんな時ばかりは参入してくるんだと、内心で呻く。


「そりゃ、あの時の事なんて無かったことにしたいに決まってるだろ……」


 傍目から見たらどれだけ滑稽だったことか。

 出来る限り早く、自分を含め人々の記憶から消去されることを祈るばかりである。


『――……そうですか』


 セーラからの返答に、一瞬間が空いていたのは一体何を意味しているのか。

 なんだか会話が嫌な方向に進んでいると察したクルスは、どうにか話の方向をずらそうと話題を変える。


「そ、それよりも、タマルとかはこういった移動には慣れてるのか?」

『あん?』


 藪から棒に言葉をふられたタマルは怪訝そうな声を漏らした。

 通信機越しに彼女が顔を顰めているのが手に取るように分かったが、クルスは構わず強引に話を続ける。


「いや、ここ暫く見てた感じだとタマルが一番こなれている風だったからさ」

『――勘違いだろ。私なんかよりもお前やセーラ、エレナの方が動作の完成度は上だ』

「俺はともかく、セーラとエレナはここに来てから動作を習熟した結果だろ。少なくともここに到着した時点での下地はタマルが一番あったように見えたけど」


 ノブース共和国に来てから作戦当日までに十日ほどを機体調整や馴らしの期間として貰っていたが、他の同僚達と比べるとタマルの隠密制動は随分と洗練されていた。

 雪面に跡を残さないように数値調整された機体にも割合あっさりと順応していた辺り、雪原での環境に慣れているというよりは、今回のように極度に機体性能を制限して行う静音移動そのものに慣れているのだろう。


『ち……、万能人型戦闘機に関しては本当に妙に目聡い奴だな。そういうことは気がついても口に出すんじゃねーよ』

「あー……悪い。踏み込みすぎたか?」


 面倒そうなタマルの口振りに、その自覚はあったクルスは言葉を濁ごした。

 シンゴラレ部隊の面々はそれぞれに言い難い経歴を持っていることは何となくクルスも察している。この部隊に来たばかりのときはあまり余裕も無かったが、環境に慣れて周囲に目をやる暇が出来れば気になるのが人情というものだろう。


 最もそれで部隊内の関係が崩壊しては目も当てられないので、取り立ててがっつくつもりもないのだが。今回のように機会があればそれとなく突っついてみる程度の興味である。


『別に大した事でもねーよ。ここに来る前にいた場所では今回みたいな機会が多かったってだけだ』

「へえ」


 高空を飛んでの移動が基本の万能人型戦闘機において、地上でしか機能しない静音状態での移動というのは取り立てて使用頻度が高いものではない。正規の部隊にでも所属していれば尚更だろう。

 にもかかわらずタマルだけ慣れているということは、彼女はこの部隊に来る前からそういった技術が身につくような環境にいたということだった。


 個としては圧倒的な戦闘能力を誇る万能人型戦闘機で相手に見つからないよう潜伏し、移動する。それが必要とされていたという情報だけで、彼女が以前いた場所でどんなことをしていたかは自ずと想像が出来るというものだ。


『なんだタマル。お前、別の場所でもこんなきな臭いことやってたのか?』


 やれやれという、シーモスの呆れともからかいとも判断のつかない言葉が差し込まれる。

 それに応じるようにして、通信機からタマルが短く息を吐き出す音が聞こえた。 


『パナーダにいたって言えば分かるか?』


 少しの間。


『そいつはまた、面倒な……』


 タマルの返答に、シーモスが反応しづらそうに言葉を濁した。

 もし今シーモスの顔を見る者がいたとすれば、導火線に火が付き爆発寸前の爆弾を偶然見つけてしまったような表情を浮かべる彼の姿を目撃出来ただろう。

 しかしそんなことは分からずに、また、漂った微妙な空気を察することもなく、クルスは聞き覚えの無い地名に首を傾げた。


「そのパナーダっていうのは?」

『――……』


 沈黙が降りる。

 そういえば会話の途中にこうして空白地帯が生まれることを可愛らしく表現して、妖精が通ったなどと言うんだよな、というどうでもいい豆知識を思い出す。

 偶然、全員が同時に別のことを考えていて話を聞いていなかったとかならば助かるのだが、勿論そうではないだろう。

 この静寂の意味は呆れに違いなかった。

 恐らく自分が余りにも常識的なことを訊ねてしまったのだと、クルスは遅まきながら気がついていた。

 通信機の向こうから、誰のものかは分からない溜息が聞こえてくる。


『クルス、お前はほんとに万能人型戦闘機以外のことになるとよお……、一度小学校からやり直してこい……、……つーか、そういえばお前、確か十六だったよな? まともな教育機関に少しでも在籍したことあるのか?』

「え、あー……」


 クルスは返答に迷った。

 勿論、日本にいた頃はクルスも他の同世代の人達と同じように極普通の私立高校に通っていた。だが当然ながらそこで学ぶのは日本の文部科学省が定めた規定に則った教育内容であり、この戦火に塗れた世界の歴史などを学んだことは一度もない。

 クルスがアルタスに来てからはそれなりに経つ。

 アルタス周辺の情勢などは出来る範囲で情報収集していたが、世界規模の把握をしているかと言われれば首を振るしかない。無論、横にである。

 

『……ま、お前の技量を見てれば碌な人生歩んでないことは分かるな。安心しろよ、私も真っ当な教育は受けてないからよ』


 クルスの沈黙を変な風に勘違いしたのか、タマルは幾分穏やかな口調で言ってくる。慰められても困るのだが。


『私も学校には一度も通ったことありませんよー。お揃いですねー』

「あ、うん」


 続く、エレナの言葉にも呆けた返事を漏らすしかない。 

 まともな教育機関に通ってないことをそんな嬉しそうに報告されても、クルスとしては何と返答して良いのか分からない。そもそもクルスは小、中、高、と学校には通っていたのである。ただこの世界のものではなかったというだけだ。

 勿論、口に出せるわけもないが。


『つっても、普通パナーダくらいは知ってるもんだろ……。戦場に出てて知らない人間がいることが驚きだ』


 聞こえてくる言葉に仕方が無いだろと内心だけで毒づきつつ、

 

「はいはい、どうせ俺は常識知らずですよ。それで、そのパナーダっていうのはどんな場所なんだよ。無知な俺に早く教えてくれませんですかねー」

『おい、開き直りやがったぞ、この坊主』

『クルス、この任務が終わったらたっぷりとお前には勉強を教えてやるから楽しみにしておけよ』

「へいへい……、それでパナーダっていうのは?」


 何だか面倒な約束を取り付けられてしまったなと思いつつ、話を先に促す。


『パナーダていうのは、言っちまえば国名だな。東部大陸の半分を有してた大国の名前。だけどそこが短期間で急速に衰えたもんでな、各地で内紛が頻発したんだよ』


 なまじ力が強い国だっただけに内包していた各勢力や組織が力を付けていたのも、その悲惨な情勢を生み出す後押しをしたといえる。

 もともと強大な軍事力を背景に長年各種弾圧を行ってきたパナーダ国の実行力が著しく低下したために、それを機に各地で独立を宣言する勢力が出現。鎮圧に向かった政府軍と泥沼のような戦争を続けることとなった。

 これに引きずられるように周辺諸国も巻き込まれ、またパナーダにおける利権を無視出来ない他国も積極的な介入を開始し、事態は尚更に悪化していった。


『寝ても覚めてもクソみたいな場所だったぜ。日ごとに北に南に正統政府を宣言する連中が沸いて出てくるわ、昨日仲間だった奴が次の日には敵になってるわ。まあその逆もあったけどな。各勢力ごとに内部抗争や分裂、殺し合いに瓦解。――言っちまえば阿呆みたいに規模のでかい乱戦みたいなもんだったな』


 謂わばゲリラ的な勢力が乱立している状態だ。正面切った戦力も必要だが、それと同様以上に隠密行動をする機会が増えていく。強襲は勿論、暗殺やテロじみた事も行う。殺したのは兵だけではない。女や子供、非戦闘員だって容赦なく殺した。


 そう語るタマルの声質からは何の感情も窺えない。


『長引いた内紛で政府軍が実行力を失ってからは特に酷かったな。首都やそれに準ずる都市の殆どが戦火で焼かれてな。馬鹿みたいに並んでた高層ビルが軒並み瓦礫になってるんだから笑うしかないぜ』


 周辺を支配していた大国の崩壊。

 秩序を無くした戦場。

 血と、鉄と、火薬と。

 戦いの空気を五臓六腑にまで染み割らせた彼女はどのようにしてその戦乱を生き抜き、朽ち果てたかつての栄華をどのような立場で見ることになったのだろうか。

 通信機の先、隊列の先頭をゆく彼女が今、一体どんな顔をしているのかがクルスは気になった。


『それで……、その内紛はどうなったんだ?』

『まだ続いてるよ。私は馬鹿らしくなって一足先に抜けさせて貰ったけどな。……けどまあ、結局こうして似たようなことをしてる以上、ただ場所が変わっただけかもしれないけどよ』


 ふと、ただ話を聞いていただけのエレナが不思議そうに声を漏らした。


『んー、でしたら何故タマルはこうしてまた戦場に来てるんですかー? タマルは確かに見た目は子供ですけどー、能力はあるんですから他の生き方もありましたよねー?』


 それは純然たる疑問だったのだろう。

 エレナという人間は、良くも悪くも自分の欲求に正直な人間だとクルスは感じている。

 モデル顔負けの美しい容姿や静謐な雰囲気とは裏腹に、彼女は非常に奔放である。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと行動で分かりやすく表現する彼女は、ともすればこの異質な部隊の中でも最も問題がある人物かもしれない。


 そんな彼女からすると、戦場から抜け出してきてまた別の戦場に身を置いているというタマルの矛盾的な生き方は理解不能だったのだろう。もしかしたらそれは、先程から聞き手に徹している合理的な考えを持つ金髪の少女も同じかもしれなかった。


『なんでって、そう言われると困るんだけどよ……』


 タマルは珍しく言葉を詰まらせた。

 彼女自身、誰かに口で説明出来るような明確な理由を持っていないのかもしれなかった。


 答えあぐねた彼女に代わって答えたのは、シーモスである。

 普段からやる気を見せない中年の男は、通信機越しから聞こえてくる声だけでも覇気が無いと理解出来る億劫そうな声質で、


『ま、人間の生き方なんていうのはそんなもんだ。汚れたら洗濯して元通りとはいかないだろうさ』


 そう言った。


『でも誰も知らない場所で、名前も変えてしまえば人間は幾らでもやり直せる気がしますけどー?』

『そんなもんはただの思い違いだ。例え姿形や名前を変えても、時間が経っても――その人間に一度染みついちまった匂いってのは落とすことはできない。生き方を変えてみても、忘れたと思っても、ふとした時に脳裏にちらついて、思い出しちまうんだよ。自分のこれまでをな』

『んー……、そういうものですかねー。ちょっと分かりませんがー』


 エレナはあまり理解を得られなかったように声を漏らしつつ、


『ちなみにー、今のはシーモスの体験談ですかー?』

『そうそう、おっさんの歳の功って奴だ。ありがたく拝聴しておけよ。なんなら講習料を貰ってやってもいいぞ』

『はん、言ってろ不良軍人』


 適当な言い合いを始めたタマル達の声を耳にしながらも、クルスの耳に反響していたのはその前のシーモスの言葉だった。


「……」


 名前を変えても、時間が経っても。

 その人間に根付いたものというのは変わらない。

 ならば――世界が変わったらどうなのだろうか。


 日本でゲームをして暮らしていた紫城稔と、万能人型戦闘機に乗って人を殺すクルス=フィア。


 それは名称を変えただけの、どちらも同じ人物だ。

 しかし、その生き方は最早別人と言っていいほどに違ってしまっている。


 海上中継地点〈ホールギス〉。

 生まれて初めて、明確に自分の意思で人を殺したという記憶。 

 あの時の自分の指で引き金を引いた感触は、まだ残っていた。恐らく、一生忘れることはないだろう。あの戦いで、自分はこの世界で生きる人間なんだという自覚を得た。

 紫城稔ではなく、クルス=フィアとしてこの世界に存在するのだという、自分の立ち位置を理解した戦い。


 しかし、シーモスの言うように、それはただの思い違いでしかないのだろうか。

 生きる覚悟だとか、名前を変えただとか、結局の所そういったものの全ては自分の都合の良いように最もらしく用意した言葉に過ぎず、本当はただの子供でしかない紫城稔が、この世界で無理なく行動するために思いついた耳障りの良い言い訳。

 実際には、ただの逃避行動に過ぎないのかもしれないのでは――


 ふと脳裏に浮かんだそんなどうしようもない考えを誤魔化すようにして、クルスは思考を会話に戻して気になっていたことを口にした。


『……そのパナーダって国は大国だったんだろ? なんだってそんな急に衰えたんだよ』


 一つの大陸の半分を手中に納めていた大国。

 それほどの規模の勢力が、いったいどんな理由で急速に衰えることになったのか。仮に外国との戦争だったとしても、そんな極端に崩れ去るとは考えづらい。


『そんなの決まってるだろ』


 そんな質問に対して、何を当たり前のことをとばかりの声が聞こえてくる。


 大陸の半分を支配していた巨大国家を僅かな間に衰えさせた最大の要因。それは経済的な衰退でもなければ、国外との熾烈な戦争でもない。



『セミネールの粛正だよ』



 たった一つの企業の不文律に触れたという、ただそれだけの理由だった。



***



 夜空に浮かぶはずの銀月も分厚い雲に蓋をされ、部隊が進む道は既に闇夜に包まれていた。  

 日が落ちたことによって外気の温度は下がり続け、機内の適切な環境を保つ生命循環維持装置があるにも関わらず身が凍り付くような錯覚を覚える。


「セミネール……」


 クルスのその小さな呟きを拾う者は幸いにもいなかった。

 傭兵派遣企業セミネール。

 報酬と引き替えに自社の戦力を貸し出すという特殊な企業。扱う兵器のそのどれもが現行の技術の先を行く性能を有し、その内部技術は決して公開せずに秘匿しているという。

 それらの技術に裏付けされた性能を持つ兵器を戦力として貸し出すのに、どの勢力にも技術の内実を明かさないという矛盾。

 それらを可能としているのは、その企業が単純に強大な力を持っているためである。


 それこそ、大陸の半分を有していた国家を短期間で衰退させることが出来るほどに。


 本社不明、企業内部形態不明、目的不明。

 戦火が嘗め尽くすこの世界においてもあまりにも異質な組織集団。


 話題としてはこれまでに何度かクルスは耳にしていたが、いまいちどういう認識をするべきなのかは分かりかねていた。


『そういえばお前さん〈ホールギス〉の時にセミネールの傭兵とやり合ったんだったか』

「ああ、うん。その時はよく分かってなかったけど」


 薄れていた記憶を探り出すようなシーモスの声に、クルスは相槌を打つ。


 赤い、重騎士の様なフォルムを持った重量級万能人型戦闘機。

 あの機体もこの世界の既存技術を凌駕したもので組まれた、高性能機であった。しかも用いられていたものはクルスの記憶の中にある『プラウファラウド』に存在していた部品である。


『まさかあのセミネールの傭兵を一人で倒しちまうとは思いもよらなかったがな』

『おっさんはセミネールの傭兵と戦ったことがあるのか?』

『あるぜ。……つっても、大規模な空戦の最中に片手間にあしらわれただけだけどな。生き残ったのは殆どまぐれみたいなもんだな』

「そんなにか……」


 赤色の機体を思い出して、呟く。

 機体性能の差からそれなりに苦戦したものの、クルスの認識ではあの機体を操っていた乗り手の技量は精々が中堅どころといったところだった記憶があった。


 果たして、あそこに乗っていた人間は何者だったのだろうか。

 分厚い鎧の様な正面装甲に刃の切っ先を差し込んだ時の光景を思い出す。

 もしかしたらあれも、クルスと同じようにこの世界に来ていた――


『全機停止しろ』


 タマルの静かな、しかし有無を言わせない号令。

 それとほぼ同時に低速移動をしていた五機の〈フォルティ〉が音も無く静止した。

 まるでスイッチが切り替わったかのように、思考がクリアになる。


 部隊の面々が搭乗する万能人型戦闘機〈フォルティ〉は普段の空を思わせる蒼躯とは打って変わって、白とグレーを配置した雪原用の迷彩カラーへと変更されている。その上で機体上面には迷彩用の電磁布が被せられている。

 磁場の変圧によってその表面の色彩を自由に変更することが出来、以降は放っておけば無駄な電磁波なども発することはない電磁布は光学隠密としては優れた手段だった。


 静寂。

 徹底的な化粧を施した鋼の巨人達は動きを止めると同時に、一瞬で雪原と同化した。氷点下の深深とした空気に覆われた雪原。

 その中に次第に甲高い唸り声が響き渡り始める。


『――』


 地を這うクルス達の遙か上。

 灰色の雲を背景に夜空を駆け抜けていく複数の機影があった。

 四機の編隊を組んだ万能人型戦闘機が光の尾を引きながら悠々と駆け抜けていく。目立たぬよう、見つからぬよう、ひたすら息を殺して移動し続けるクルス達とは全くの正反対の存在。

 相手が手に持っている長大な銃身が目に付く。

 万能人型戦闘機との戦闘を意識した、大口径機銃。

 もし仮に今この瞬間に敵に見つかったとしたら、静音のために機能の大半押さえ込み即応状態にないこの部隊は一瞬で壊滅させられてしまうだろう。

 

 それが意味が無いことだと分かっていても、クルスはつい息を止めてしまっていた。

 無音に満たされた機内に、自分の心臓の音だけがうるさく聞こえてくる。普段よりも鼓動が刻む音が早いことが分かってしまい、その事に何故だか分からない苛立ちを覚える。


『――行ったな』


 暫くして。

 敵影の姿が完全に目視不可能になってから、シーモスの声を合図にクルスは大きく息を吐き出した。


 心臓に悪いなどと言うレベルではない。

 どれだけ隠密を完璧に行っていたとしても、運悪く目視で発見されてしまえば全てが終わるのだ。自分の実力足らずで死ぬならまだしも、相手に見つからないよう祈るだけという事態はクルスの精神を大きく摩耗させていった。


『これで四度目か』

『そうですねー。定期巡回は大体三か四時間に一回と言ったところでしょうかー。国境線沿いといっても、やはりこちら側は大分手薄ですねー』


 実際その通りなのだろう。

 定期的に哨戒行動を行う敵機の姿は今のように確認出来ていたが、これまでこちらに少しでも感づいた者達はいない――いても困るのだが。

 恐らく彼らにとっては異常が無いのが当然であり、半ばルーチンワークに近い惨状になってしまっているのかもしれない。

 危機的な状況に順応するのが人間ならば、安寧な環境に順応するのもまた人間だ。

 シーモスの弁に従うならば、どれだけ順応したところでその人物に染みついた匂いは落ちないということだが――、


「お」


 ふと気がついて、クルスは機体の光学感覚器(こうがくセンサー)を望遠状態にする。

 万が一にも察知されるわけにはいかないので、その他の感覚器は無効化したままだ。星々の明かりが無い夜の雪原は一面白色の様相を呈していた白昼時とは打って変わって、驚くほどに闇に染め上げられた空間を演出している。

 だがそんな中、遠方に仄かな明かりを浮かばせる施設があった。


『予定よりは大分早く辿り着いたか……』


 タマルの呟きに、クルスも時間を確認した。 

 確かに、本来の予定よりは到着が早い。それだけ行軍が順調に行われたということだろう。

 なだらかな雪原の中で、部隊は行軍を止める。

 近づける距離としては現地点が精一杯であろう。向こうは対空レーダー施設だとはいえ、無防備だというわけでもない。いくら手薄だとしても、ここはまかりなりにも国境線沿いの施設なのである。

 これ以上近づく時は、それはつまり作戦の本番の時である。


『どうする。早いが、仕掛けるのか?』


 シーモスが指示を仰いだ。

 本来の予定では日が出るかどうかの明朝に仕掛ける予定であったが、暗闇の中で襲撃するのも悪い選択肢ではない。夜というのは攻めて側にとってはプラスに作用することが多い。

 クルス個人としては心許なく感じる〈フォルティ〉の感覚器類に頼る暗闇の状況は余り好きではないのだが、全ては部隊の隊長であるタマルの采配次第だった。


 斯くして、


『……いや、とりあえず正確なレーダーの位置の確認。それと格納庫の位置も知っておきたい。欲を言えば管制室の場所も把握してえな』


 タマルは焦ることなく慎重策を選んだ。


『なるほど』


 シーモスも同意する。


 彼女が口にしたものは全て、真っ先に潰しておきたい施設群である。

 そもそもの目標であるレーダーは言わずもがな、敵防衛戦力が展開する前に格納庫を破壊出来れば作戦は相当優位に進められるし、施設の頭である管制室の無効化に成功すれば施設機能そのものの鈍化は免れない。

 通常の軍事基地であれば管制塔は広く複数に配置され、一つが潰されても第二、第三管制へと機能を移すことが出来るようになっている。

 しかし前線から離れた位置にある単なるレーダー施設にそれだけの備えがあるかどうかは疑問である。第一管制を潰すことが出来れば、近隣基地への連絡そのものを抑えられる可能性もあった。



『確認作業後は予定通りに明朝まで待機。神経質な行軍で疲労も溜まってる。少しでも身体を休ませろ』

「了解」


 月明かりの無い空間。

 静寂に包まれた闇夜の雪原の中で、有線を介して各々の返事が静かに伝わる。

 そこには雑談を交わしていたときのような気軽い空気はない。外の冷気にも見劣りしない硬質な雰囲気が隊員達の間に充満していっていた。




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