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プラウファラウド  作者: ドアノブ
閑話 
65/93

感染 - III

 翌日。

 ここ海上都市にきてから、リュドはいつも日を跨いでも一日が過ぎ去ったという気がしない。気温、湿度、天候。外的要因の殆どを管理している全天候型のこの都市では基本的に都市内環境は一定である。一応人体の影響を考慮して人為的に雨や雪を降らせることもあるのだが、その頻度は限りなく希だ。

 住みやすく代わり映えのしない環境、汚れることの無い白い街並み。

 この都市ほど時間の変化を実感させられない場所も珍しい。


 約束通りの時間にリュドが昨日ゴーストの女の子とあった場所に行くと、そこには既に女の子の姿があった。幼い彼女は前と同じ煤けた色をした服を着ていて、道端の隅でぼんやりと様子で立っている。


 人通りも相変わらずであり、そんな人間達がゴーストの女の子に取る対応も一緒。もしアイスクリーム屋の出店があれば、昨日の巻き戻しかと疑っていたところだ。


 リュドが歩いて近づくと女の子も途中で気がついたようだった。

 じっとこちらを近づいてくるのを待っている。どこかその様子に硬さのようなものを見られて、リュドは内心で眉根を寄せた。もしかしたら昨日名前を教えなかったことが関係しているのかもしれない。或いは、本当に報酬が貰えるのかどうか緊張しているのか。

 女の子の前まで行ってリュドは一先ず声をかける。



「こんにちは」

「こ、こんにちは」



 返事を返す女の子の様子はやはりどこかぎこちない。その様子が少し気になりつつも、リュドは話を進めた。



「それで、例の人とは会えそう?」



 リュドの質問に少女はこくりと小さく頷き返す。



「大丈夫。連れてこいって行ってた。案内するから、来て」



 そう言って女の子は歩き出す。そこにどこか焦りのようなモノを見出してしまうのは、リュドの錯覚なのだろうか。

 子供は弱く未熟な存在。

 その基本的な考えは変わらない。

 だが、この世界では多くの子供達が生きるという目的のために日々を過ごしているというのも事実である。用心に越したことはないのかもしれない。前いた場所では目前の女の子と同じくらいの子供が銃を抱えて走り回っていたのだ。その気になれば人を殺すなど、造作も無いことなのである。








 リュドが外縁部を訪れるのは初めての事だ。

 その治安の悪さや環境の劣悪さは話では聞いていたが――率直に言ってここが海上都市レフィーラの一部だとは信じがたい。

 比較的幅の広いここの通りは思っていたよりも遙かに人が多いのだが、その割にはどこか陰鬱とした空気が拭いきれずに漂っている。

 道脇には露店が幾つも立ち並んでおり、その中には地べたに直接商品を置いているところも少なくない。店構えから扱っている商品にも統一感は感じられなかった。中には戦場から拾ってきたと思しき自動小銃などをぞんざいに重ねている光景も見られた。

 都市内でも公的に居住区と認められている区画はあれほどに清潔感を保っているというのに、この場所は前に見たスラムにも似た空気がある。 



「ここが外縁部……」



 ここまで正と負が極端な場所も珍しいのではないだろうか。

 光と影は同時に語られるもの。やはりレフィーラも外で伝え聞いたような楽園などではないのだ。もっとも、この場所は行政区分上は存在していないために、都市運営に携わる者達はこの場所と、ここに住む人間達の存在を認めはしないだろう。

 そこにいるのに、いないものとして扱われる。故にゴーストなのである。



「すごいね」

「?」



 その混沌加減に思わず呟くと、一歩先を行く女の子が不思議そうに首を傾げた。リュドが何に驚いているか分からないのだろう。疑問に思うわけもない。この子にとってはこの光景は日常なのだ。

 

 リュドが「なんでもないよ」と言うと、女の子はきょとんとした表情で瞬きした後に再び雑多な町中を歩き始めた。

 その後を付いていきながら、周囲の光景を観察する。


 基本的にはどこまで行こうと雑多という印象である。ただやはり表通りと裏通りはあるようで、露店が並んでいた通りから離れるにつれて見かける人影の数も徐々にではあるが減っていっていた。ゴースト達は誰も彼もが明らかに身なりの違うリュドを怪訝そうな視線で見やってくる。中には明らかに好意的でないものも混じっていたが、リュドは無視してた。気にしたところできりがないからだ。


 ごく基本的なライフライン――下水道や電気は存在しているようだったが、いったいそのエネルギー元である電源はどこにあるのだろうか。水はまだこの都市自体が海の上なので分かるのだが……。

 その疑問は歩いているうちに知れた。というのも住居のすぐ横に大型の発電機が野晒しのまま置かれていたからである。


 その正体が機動兵器用の大型ジェネレーターだと気がついたときには、リュドも流石に唖然としてしまった。

 確かに今の時勢では、紛争地帯などを歩けば兵器の残骸は山ほどにある。中には損傷が軽微で簡単な修復で扱えるものもあるだろう。ゴースト達はどうやらそういったものを持ちいって、生活に役立てているらしい。中には明らかに軍用のものである多脚型戦車に汎用肢を取り付けて作業用として用いてる者もいた。


 その光景を目にしてここはとんでもない地雷原なのだと理解する。

 好意的には軍事兵器の平和的利用とも受け取れるものだが、どう取り繕うとその設計は兵器によるものである。

 武器は露店で売っているのを見たばかりだ。それらを扱えるようにアプリを交換して武装すれば、あれらはたちまちに本来の姿を取り戻すだろう。そんなものが生活の一部分として馴染んでいるという光景、そのものが危ういものだ。

 天国と地獄。

 余りにも極端な二面性であった。



 そのまま、女の子に連れられてどれくらい経っただろうか。

 雑多な街並みと案内人の小さな歩幅では、大した距離は移動していないように思える。次第に人の姿も消え始めて、特にリュドと案内をする女の子の間にも会話はないので、結果として下から聞こえてくる海の音だけが木霊している。


 事態が起こったのは寂れた家の角を一つ曲がったときだった。

 先を行っていた女の子が凍り付いたかのように身体を硬直させる。その原因は明白であった。


 曲がり角の先には三人の男がいた。

 バンダナを頭に巻いた者と、やけに細い身体をした浅黒い肌の色を持つ者。そしてその二人から一歩引いた位置に、三人の中で最も体躯が大きい男が控えている。 



「おいおい、正規市民様がガキ連れてなにやってんだよ」



 バンダナの男が口の端を釣り上げた。

 その汚れた身なりからして、彼らがゴーストであることは疑いようがなかった。

 バンダナの男と褐色肌の男はリュドの姿を上から下まで眺めて、下卑た笑いを浮かべている。彼らがろくでもないことを考えている人種であることは容易に知れた。


 ――これはもしかして嵌められたか。


 リュドが並び立つ女の子の様子を窺うと、予想外に幼い少女は目に見えて狼狽していた。小さな肩を震わせるその様子にリュドは若干拍子抜けする。その様子はとても演技には見えなかったからである。

 察するに、明らかにここの住民ではないリュドを見つけて絡んできたのだろう。目的は金か、あるいはリュド本人か。ゴーストが正規市民相手に問題を起こした場合は大問題へと発展する危険性があるが、そもそも正規市民達は外縁部へなど近づかない。

 ゴースト以外でこんな場所に来るのは余程の理由があるものか、あまりものを知らない一時滞在者くらいである。仮に観光者が行方不明になったとしても、それが発覚するのは正規市民が行方不明になったよりも大分後だ。周囲に関係を持っていないためである。同行人でもいれば話は別かも知れないが、そんな人物はゴーストの女の子を連れてなどいないだろう。男達はそう判断したのかもしれない。――もしかしたら単純に物事を深く考えていないだけかも知れないが。


 この世界に来てからこういう手合いには何度か遭遇していた。

 良くも悪くもリュドの整った容姿は目立つ。加えて子供とも言える年齢のせいか、高圧的に振る舞ってくる者達が多い。最初は穏便な様子を見せていても、リュドが意に沿わない態度を取るとすぐに暴力に訴えてくる者が殆どだった。


 とはいえ、いきなり襲いかかるわけにもいかない。

 出来れば穏便に済ませたいんだけどなと思いながら、リュドが口を開こうとする。

 だがそれよりも早く行動を起こした者がいた。



「あ、あなた達、何……?」



 声が震えながらも女の子が一歩前に出る。

 予想外の行動にリュドが目を丸くする。

 案内役としての自覚があったからなのか、あるいは報酬欲しさなのか。理由はリュドには分からないことであったが、それは立派と言っても良い姿だったのだろう。

 しかし、そんなものは相手の男達にとっては何の価値も持っていなかった。

 褐色肌の男は幼い女の子を見て不機嫌そうに表情を歪めて、



「ガキはすっこんでろ」

「うぐ!」



 横殴りの一撃。

 体重の軽い女の子の身体が大きく吹き飛んで、狭い道の壁に叩きつけられた。顔を強く打ち付けたのかぼたぼたと鼻から赤い液体が流れ出てきている。その所為で上手く呼吸が出来ないのか、女の子は必死に口を開けながら低く喘いだ。

 その様子を見てリュドはちりちりと胸内が焦げるような感覚を覚えた。


 弱者が強者に虐げられる。

 この世界に来てから何度となく目にした光景だった。

 それは法の保護も無いゴースト達にとっては当然なのかもしれない。戦争という災禍が蔓延するこの世界においては、子供という存在は守るべき対象では無いのかもしれない。


 だがこの瞬間、リュドにとってはこの男達はどうしようも無いほどに敵となった。



「……一応聞くけど、この中に情報通のヒゾンさんって方はいる?」

「はあ? 誰だそれ。んなことよりもお前、一体何の用があったか知らんが――」

「そ。じゃあいいや」

「おい!? てめえこっちが言ってること分かってんのか!? いいからさっさと――」



 褐色肌の男が言葉を発することが出来たのはそこまでだった。

 次の瞬間、リュドの一撃によって完全に意識を飛ばされたからである。身体が弾かれたように吹き飛び、近くの木箱の山に突っ込む。積み重なっていたそれらが音を立てて崩れた。



「お、お前、その動き……!」



 まさか反撃されるとは思っていなかったのか、リュドの行動を目にしたバンダナの男が狼狽する。それは致命的な隙である。

 リュドは力を込めて、一歩、踏み込む。

 生じた風圧によって地面に堆積した土埃が砂塵のように巻き上がった。

 通常ではありえないほどの脚力を生み出したその一歩は、間にあった距離を一瞬で消した。バンダナの男の顔が驚愕で歪む。その顔面目掛けてリュドは拳を振った。

「ぶびぇ」

 軟骨が潰れる嫌な感触。

 大きく仰け反る相手がさらけだした顎目掛けて更にもう一撃。

 バンダナの男は白目を向いて仰向けに倒れた。


 その姿を見届けてから、残った最後の男に視線をやる。

 三人の中では一番体格のいい男だ。身に纏っている雰囲気も街のチンピラと言うよりは軍人のそれに近い。そういえばこの男だけはこれまでに一度も言葉を発していない。



「……」



 男は口を開かずに、静かに拳を持ち上げた。

 逃げることでは無く、戦うことを選んだようだ。

 仲間を見捨ててはいけないと思ったのか、あるいは逃げられないと悟ったのか。リュドにとってはどっちでもいい。関係の無いことだった。

 衰えを感じさせない分厚い上半身に、重心の安定した下半身。リズムを刻んでいるかのように軽やかなフットワーク。拳を握って顔の前に持ってきているそれはボクシング・スタイルだろう。

 どう見ても素人では無い。

 肉体も鍛えられているし、つい最近まで戦場にいた元兵士か傭兵なのかもしれない。

 だがリュドは怯まなかった。

 凍てついたような無表情に、だが内心では激情を抱きつつ疾駆する。


「――ッシ!」


 肉薄してきたリュドに合わせて、男が拳を突き出す。刃のような鋭さを持ったそれはリュドの顔面目掛けて繰り出される。だがそれは狙いを外され少女の頬を浅く切るに終わった。掠り取られたように血飛沫が跳ねる。

 外したことを悟った男か素早く拳を引き戻す。

 そして次の瞬間、男の視界に銀線が舞った。


「なに――?」


 その正体が自分が相手していた少女の美しい長髪だということに男が気がついたのは、ガードごと身体を吹き飛ばされて壁に叩きつけられた後だった。意識が朦朧とする。竜巻のような回し蹴りを回ったのだと認識したのは更に後。

 リュドの続くもう一撃で、男の意識は完全に刈り取られた。

 

 男達の無力化を確認したリュドは一息つくと、慌てて最初に吹き飛ばされた女の子の方へと振り返った。ぱっと見では重傷と言うほどではなかったはずだが、あくまで素人の判断である。ましてや被害者は子供。ちょっとした傷がどう影響するかは分からない。場合によっては案内を中断して病院に行く必要もあるだろう。



「大丈夫っ? 怪我の具合は――……」



 最初に感じたのは、熱。 

 熱した鉄を押しつけられたのかと錯覚するほどの、痛み。




「え?」




 リュドの視界が一瞬、真っ白に染め上がる。意識が遠くへ吸い込まれそうになるのを堪えようとするも、上手くいかない。

 刃物で刺された。

 リュドが事態を認識したのは、自分が大地に倒れ伏してからであった。


 痛みが身体を襲う。

 力が抜けていく。


 うつぶせに倒れながら視線を上げると、身なりを汚した女の子がリュドの携帯端末を握りしめて駆け出していくところだった。女の子は倒れ伏したリュドには脇目も振らずに、薄汚れた街並みへと姿を消していく。


 その姿を暫し呆然と見やってから、自嘲とも呆れとも分からない笑みが漏れた。



「あはは……」



 ――馬鹿だなあ……。



 小さくなっていくその姿を霞み始めた視界で見送りながら、リュドは漠然と思った。

 女の子は昨日、リュドがアイスクリームを買う際の支払いに携帯端末を使っているところを目にしていた。恐らく案内の報酬よりも携帯端末を奪った方が為になると判断してしまったのだろう。子供らしい素直な考え方である。

 

 当然、携帯端末を持っていったところで暗証番号が無ければ貨幣は使えない。リュドに与えられている市民IDも一時滞在用の仮のものだ。時間が経てば無効になってしまうので、悪用しようにも大した価値のあるものでも無い。そうなれば後は、携帯端末の利用方法は安値で売るだけ程度のものだろう。



「……ほんとに、もう……。この世界ってやつは……」



 最低だと、心の底から思い知る。

 子供相手に少し気を許せばこれである。これを最低と言わずして何を最低というのか。


 掠れた吐息を漏らしながら考える。

 果たして自分の傷はどの程度のものだろうか。心臓を突かれなかったのは幸いだったが、傷は決して浅くない。臓器が傷ついている感触は無いのだが、今の朦朧とした感覚ではどこまで信用出来るのか。


 加えて犯行に使われた刃物。

 毒物を塗ってあったりはしないだろうが、ここは外周区だ。ゴーストが使っていた凶器に衛生面では期待出来ないだろう。雑菌などで体内が化膿した場合は最悪な事態になりかねない。

 どうにか立ち上がろうとして、しかし全く足に力が入らないことに気がついた。血の流しすぎが原因だろうか。試しに震える手をどうにか動かして痛みの発生源に触れてみると、思った以上に生暖かい感触がこびりつく。それと同時に鋭い熱が再び襲いかかってきて、リュドは顔を顰めた。

 人間は血液の総量の三分の一を失うと死に近づく。加えて、そこまで至る前までに出血多量によるショックや低酸素症で命を無くす可能性も高い。

 果たして今、赤い絨毯のように地面に広がっていっている血液はどれくらいの量なのか。

 リュドには判別がつかなかった。


 酸素が足りない。

 呼吸が空回りする。


 この感覚は、体力の限界まで走り込んだときに近いものがあった。

 吐き出す息が短くて、喉を擦りつけていくような違和感。頭の中に広がっていた霧が全て晴れていき、聞こえるのは自分の心臓の鼓動と、地面を蹴りつける自分の足音のみ。

 雑音の一切消えて、世界が自分一人になったような、あの感覚がリュドは嫌いではなかった。



「あー……やばい……駄目。いま寝たら、まずい」



 そんな少女の意思も深まる出血と体力を失った身体の疲労には逆らうことが出来ずに、倒れ伏した少女の海色の瞳はそのまま静かに閉じられていった。




***




 夢を見た。

 深い深い闇に覆われた空間。

 目の前に母や父、親戚や友達等の知り合いが大量に立って並んでいた。誰もが何を言うわけでもなく、人形の様に能面で起立していた。

 その光景を見た瞬間、リュドは言いしれぬ悪寒を感じた。

 自分の手にはいつの間にか鈍い光を持つ拳銃が握られている。


 ――止めて!


 リュドは思わず叫んだが、身体は言うことを聞かなかった。銃口を真っ直ぐに向けて、狙いを定める。まるで自分ではない誰かに操られているかのようだ。

 ゆっくりと引き金が引かれて、火薬の炸裂音と共に弾丸が発射された。



 撃つ。

 最初に母が死んだ。

 撃つ。

 次に父が死んだ。

 撃つ。

 今度は友達が死んだ。



 ――止めて!


 言葉は意味を成さない。そもそも音として出ているのかどうかさえ分からない。

 ただ、夢の中の自分は一切引き金を緩めない。本来であれば弾倉に十二発しか入ることのない拳銃を使って、何度も何度も、次々と殺していく。


 撃つ。

 恩師が死んだ。

 撃つ。

 ヒバナが死んだ。

 撃つ。

 クロードが死んだ。

 撃つ。

 ルネが死んだ。

 撃つ。

 マークが死んだ。

 撃つ。

 名も知らぬ女の子が死んだ。




 撃つ。

 撃つ。

 撃つ。

 撃つ。

 撃つ。




 ――撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ撃つ。撃つ。撃つ。撃つ撃つ。撃つ。撃つ。撃つ撃つ。撃つ。撃つ。撃つ撃つ。撃つ。撃つ。撃つ



 一発撃つ度に顔を知っている誰かが倒れ、それと同時にリュドの中の何かが磨り減っていく。永遠にも感じる作業のような光景が繰り返され。


 そして――最後に残ったのは黒い髪の少年だった。

 リュドは銃口を向ける。 

 ただ真っ直ぐに、狙いを定めて。


 そのまま――、




***




 目を開けて最初に視界に入ってきたのは白い天井だった。

 鼻腔を刺激するような微かに漂う消毒液の匂いからリュドはここが病院だと察し、どうやら自分は生きているらしいということを知った。清潔だが無機質。この都市ではどこにでもある自浄素材を用いた病室だ。寝かされているベッドも極めて普通。

 身体を動かそうとすると脇腹から鈍痛のようなものこそ感じたものの、案外あっさりと身体を起こすことに成功する。



「あ、おはよー」



 そう何事も無かったかのように挨拶をしてきたのはルネだった。

 薄い栗色の髪を持った軍用基準性能調整個体(ミルスペックチャイルド)の少女は、ベッドのすぐ横の椅子に腰を下ろしていた。血のように赤い瞳の色をカラーコンタクトで押さえ込んだ瞳をくりくりと動かして、目の前の生き物を観察する猫のような表情を見せている。

 リュドは何を言うべきか迷って、とりあえず当たり障りの無いことを訊ねてみた。



「……ここはどこ?」

「私は誰?」

「いや、記憶喪失じゃないから……」



 リュドが思わず溜息を吐いて見せると、それで安心したのかルネがにぱっと笑った。



「ここはレフィーラの都市内の私立病院。リュドちゃんが血塗れで倒れてるところを私が介抱して、運んできたの」

「……私はどのくらい寝てた?」

「大体三日だね。正確には二日と二十二時間四十七分、秒以下は省略!」



 流石、軍用基準性能調整個体。

 ふざけた仕草でその本質を忘れそうになるが、その機能は十全のようだ。随分と詳細な報告に感心すると同時に、それだけの時間が経っていたことに少し驚く。

 実感としては気を失って起きただけなのだが、意識不明というのは予想以上に呆気ないものである。特に三途の川を見たりもしていないし、ちょっと勿体ない気もする。

 そんなことをリュドが考えていると、ルネが小馬鹿にするような笑みを浮かべた。



「まったく、あんな子供に刺されるなんて駄目だなー。ちんまいのがその容姿を利用して油断を誘うなんて、初歩中の初歩じゃん」

「……うん、ほんとにね」



 それがこの世界の常識。

 改めてそれを思い知らされて、リュドは力無く笑った。

 この世界の人間達の鮮烈な生き方は何度も目にしていたというのに、本当に自分は駄目だなと溜息を吐く。少し行動を共にしただけで気を許してしまった。それが悪いことだと思いたくないのだが、結果は今の通りである。



「……そういえばルネは何で私を見つけられたの?」

「え? だって昨日リュドちゃん外縁部に行くって言ってたじゃん。だから護衛してあげようかなあって」 



 記憶が正しければ離れた位置で寝ていたはずなのだが、しっかりと聞き取っていたらしい。恐るべき軍用基準性能調整個体の性能だった。

 リュドが密かに驚いていると、ルネは子供さながらにえへんと張ることの出来ない胸を張って、



「これで前に命を救って貰った貸しは無しだからね!」



 そんなことを言った。

 リュドは首を傾げる。



「……この都市に来て補給の伝手も紹介してくれる時点でもうチャラになってると思ってたけど」

「それはクロが返したんであって、私じゃなかったからねー」



 存外この少女は律儀な性格らしい。

 リュドは内心で苦笑しながら未だに鈍痛を感じさせる部分を服の上から擦ってみて、違和感を覚える。思わず裾を捲って見てみる。



「え」



 そこには見慣れた自分の身体があるだけで、傷跡やそれを縫合したような跡すら無い。リュドは少し呆気にとられた。



「傷が無い……」

「ここがレフィーラで良かったねー。この都市の医療技術は世界最高だからね。傷一つ残ってないってさ。でも人工皮膚が馴染むまでは安静。じゃないと跡が残っちゃうってさ。それと血液不足で臓器の機能の幾つかが低下してたから高性能人工臓器に交換しても良いかってお医者さんに聞かれたから『おっけーい!』って言っといた」

「勝手に人を改造人間にしないでほしいんだけど!?」



 思わずそう叫んでしまったが、ルネは命の恩人である。あまり強く言うことは出来ない。勝手に全身の筋肉を人工筋肉へと置き換えられてなかっただけよかったと、自分を慰めておく。

 リュドが怪我の疲労とは別種の疲れを感じていると、ルネが不意に忘れていたことを思い出したように手を合わせた。



「あ、そうだ。はいこれ」



 そう言って彼女が差し出してきた携帯端末を見て、目を丸くする。

 あの時、確かにゴーストの少女が持って行ってしまったリュドの携帯端末だった。



「これ、どこから持ってきたの?」



 受け取りつつも呆然としながらリュドが訊ねると、ルネはあっけらかんとした調子で肩を竦めた。



「別に。リュドちゃんを病院に置いてきた後に人工臓器代とか治療費用の話になってー、私が払うのもやだなーって思ったから取ってきただけだよ?」



 どうやら親切心で取り返してきたわけではないらしい。

 もし相手が極度の捻くれ屋や素直になれない性格をしているならば照れ隠しの嘘という線も考えられたが、生憎ルネはそういった手合いではない。言いたいことは平気で口にする、素直な生き方をしている。彼女がそう言ったのからには、本当にそうなのだろう。

 面倒だったと呟くルネに苦笑した後に一瞬逡巡してから、気になったことを訊ねた。



「……これを持ってた少女は?」

「死んじゃったよ?」

「……え?」



 予想外の返答に呆然とするリュドの表情を眺めながら、ルネが小さく首を揺らす。



「私が殺したんじゃないよ? 私が行ったら何人かの大人に囲まれて殴り殺されちゃってたから、私はそこにちょっとお邪魔して貰ってきただけー。……まあ、邪魔してきた人はどかせてて貰ったけど」



 ルネの説明を耳に通しながらも、リュドはそれをどこか他人事のように思っていた。

 名前も知らない女の子だ。

 人捜しをするために協力して貰った、それだけの関係。

 そして最後に裏切って自分の身体に刃物を押し込んできた相手。

 恨んでも良い、そういう存在のはずだ。


 だが脳裏に思い浮かんだのは、アイスを貰ったときに無邪気に笑顔を浮かべた少女だった。



「……なんで殺されたのかな」



 リュドの呟きに、ルネは不思議そうに瞬きをする。



「さあ? セキュリティの問題はあるけど携帯端末の悪用方法は幾らでもあるし、それを狙われたのかな? もしかしたらあの子供は最初っから男達の手下で、用が済んだから殺されちゃったのかも」



 ――ああ、本当に最悪の世界だ、ここは。


 リュドは刺されて、刺した少女は死に、奪われた携帯端末は自分の手元にある。

 誰も得などしていない。

 誰もが不幸になっている。

 そこまで考えて、リュドは諦観と共に溜息を吐き出した。


 ここはそういう世界なのだ。

 大人も子供も関係なく、等しく命が軽い。世界有数の先進都市であるこの海上都市すら、ゴーストという負の存在を発散出来ぬまま抱えている。あの少女は生きるために自分で選択をして、その結果死んだ。

 その判断を文句を言う資格は誰にも無いのだろう。



「――」



 ふと気がつく。黙り込んだリュドをルネが面白そうに眺めていた。

 笑みを浮かべながら向けてくる視線はまるで小さい子供がお気に入りの玩具を眺めているようなものだった。



「なに?」

「んーん、リュドちゃんも変わったなあって思って」



 突拍子も無い言葉にリュドは何を言われてるか分からずにきょとんとする。

 ルネはその様子を見ておかしそうに笑った。



「だって今、リュドちゃん、誰が死んでも仕方が無いって思ってたでしょ」

「……」



 リュドは返答に詰まった。

 事実、その通りだったからだ。



「私達と会ったばかりのリュドちゃんだったら絶対にもっと色々と考えてたよ。小さい子供が死ぬなんてーとか言ってさ。どんな環境で育ったんだろうっていうくらい甘かったしさ」



 そう言って、本来の色を隠されたルネの瞳を真っ正面から覗き込んでリュドは思わず息を呑んだ。


 軍用基準性能調整個体。

 戦うために生み出された存在。

 だがその瞳の中には無邪気な光が灯っている。同じ作りものでも、自動型擬人機械であるプリムヴェールの無機質なものとはまるで違った。全てが偽装、本質的には感情の一切無いプリムヴェールと違い、リムは己の輝きに満ちている。

 幼稚で、残酷。

 時には明確な悪意よりも厄介ともなる感情の色。

 リュドは笑いを零す少女から、そんな性質の光を垣間見てしまった。


 だが逆に。

 この少女は自分の瞳から一体何を見ているのだろうか。


 そんな思考を読み取ったかのようにルネはにへらと、だらしなく笑った。



「大丈夫。私は今のリュドちゃんの方が好きだよ」



 言葉を失うリュドに対してリムはそう無責任に言うと軽い動作で距離を離して、



「じゃ、私は行くねー。何か欲しいものがあれば買ってきてあげるから、連絡してね」



 そう言い残してルネはばいばいと手を小さく振りながら、病室を後にした。

 白い空間に一人取り残されたリュドは閉じられた扉を暫く見つめた後に、そっと首を動かして窓の外を見やる。


 手前には白亜の都市群、遠くを見れば空と海が見渡せる広大なパノラマ。

 高層階で、しかも個室。どうやら相当に値段の高そうな部屋である。どうせ自分のお金じゃないと思ってルネが好きに選んだのだろう。

 リュドとしても誰かと相部屋にされるよりは個室の方が嬉しいので、構わないのだが。



「以前の私なら……か」



 ルネの残していった言葉が耳元に纏わり付く。


 例え仮想現実だろうが、世界が変わろうが、自分が自分だと言うことに変わりはない。

 リュドはそう思っている。だからこそ『プラウファラウド』のアバターも現実の自分と全く同じものを使っていたし、別人のようになっていた他のプレイヤー達に疑問を覚えていた。

 だが今の自分は、どうなんだろうか。


 この世界に来たばかりの時の自分と、今の自分。

 困ってる子供を助ける自分と、警戒する自分。

 人を殺したことの無い自分と、殺したことのある自分。

 どれも同じ自分のはずだが――それは本当に同じ自分なのだろうか?

 迷わず返答出来るほどの自信がリュドには無い。


 少しずつ。

 少しずつ。

 どろどろとした黒い液体の様なものが心の内に溜まっていくのを感じる。

 それは粘着質で纏わり付いてきて、鉛のような重りとなってリュドを深く暗い場所へと引きずり込もうとしていた。ずぶずぶと底なしに泥沼に沈み込んでいくような感覚。

 足先から足首、そこから膝下。

 徐々に徐々に暗い奥底へと全身が呑み込まれていくように。


 ふと、目が覚める前に凄く嫌な夢を見ていた気がした。

 内容は覚えていない。

 病死の中は当然のように空調も完備されており、温かい。膝にかかる布団の感触も心地よいものだ。だがリュドはまるで今、、冬の雨水にさらされているかのような凍えを覚えた。冷たいという感覚すら消え去って、後に残るのは身体の震えと神経を直接風に当てたかのような鋭い痛みだけ。



「大丈夫」



 呟く。 

 纏わり付く全てを払拭するように、力を込めて。



「……帰る。こんな世界から抜け出して……私は、稔と一緒に帰るんだから」



 ――だから、大丈夫。

 


 自分にそう言い聞かせるような銀髪の少女の声は、白い部屋の中に吸い込まれて静かに消えた。


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