大飢饉 - VI
パパパパという、連続的な音が閉鎖空間に反響する。
発射方式がガスだけに銃身の過熱も気にすることなく引き金が引きっぱなし(フルオート)で発射される弾丸の嵐は、標的にした相手を容赦なく打ち据えていった。
違法改造が施されたガス銃は通常の規格以上の速度を持って兵士達を叩き、加えてその射手の技量が無駄に高いのだから始末が悪い。僅かに露出した素肌を狙って行われる連続射撃は、実戦を経験済みの兵士達にとっても充分な脅威となっている。
「クソ! 迂闊に前に出るな、狙われるぞ!」
「釘付けだ、動けない!」
「オラオラオラッ! 死にたい奴から前に出てきやがれってんだ!」
やるかやれるか。現場は殲滅戦の様相を呈してきている。
銃撃の標的を逃れて行動をする僅かばかりの者達も複数がかりの整備員たちに足止めをされ、そうこうしている間に緋の目を持った人影によって昏倒させられていく。
隠密行動という言葉の意味が遙か彼方へと消え去ってしまって久しく、室内で繰り広げられるのは秩序も統率も存在しない惨状。鉄錆の香りも、火薬の香煙もないこの状況は、まさしく戦争ごっこというに相応しい。
「どうすんだこれ……」
その様子を一歩離れた位置からクルスは眺めてみて、深く溜息を吐き出した。身体の疲れとは違う疲労を覚えているのも決して勘違いではないだろう。
もうさっさと帰ってしまいたいというのが本音だったのだが、肝心の出口はタマルの銃撃から避難した敵で固められている。そこを突破するなど、クルスには土台無理な話だった。
「あー……判断を間違えたなあ……」
思えば、自分の機付きの整備員は何と賢い選択をしたのだろうか。
これほどの騒ぎになるならば大人しく断食を受け入れて、ミサと一緒に格納庫で留守番でもしていれば良かったのだ。それこそゲームでもしていれば、あっという間だったはずだろう。
――……そういえば、そろそろ狩り場が空き始める時間だなあ。
収まることのない騒動の最中でクルスが現実逃避字気味にそんなことを考えるも、今の状況はそれを許してくれなかった。クルス自身にやる気は無くとも、相手から見れば憎き部隊の一員なのである。
「もらったああああ!」
裂帛の気合いと共に、横合いから腕が差し伸ばされてくる。
「どぁ!?」
クルスは悲鳴と共に身を翻した。
こちらの腕を取ろうとしてくるそれを咄嗟に弾いて、慌てて距離を空ける。西方基地所に着いてからはそれなりに走らされたりで体力も増しているが、所詮は付け焼き刃の代物だ。こうして一度躱せただけでも奇跡に近い。
素人丸出しの動きを見せるクルスに襲いかかってきた兵士は一旦足を止めると、良い獲物を見つけたとばかりににやりと口の端を歪めてみせた。それとは対称的に、クルスは表情を引き攣らせる。
「お前、最近入ってきたっていう新参だな?」
「あー……、うん、そう。その通りなんで……。過去の確執については俺は無関係なんで是非とも見逃してくれないかなー……なんて思ったり思わなかったり……」
「基地の新顔にやられるわけにはいかないな。悪いが死んでもらうぞ」
「死ぬって言った!?」
「末世で辞世の句でも詠むがいいっ! チェストオオオオオ――ごべえあ!?」
クルスが慌てて逃げ出すよりも先に、男の顔面に足の裏が突き刺さる。
鼻の穴から鮮血を流しながら吹き飛ぶ男。代わって猫科を思わせるしなやかな動きでその位置に着地したのは、金髪の髪を持つ少女である。
セーラは音も無く着地して、クルスを見やってくる。
「大丈夫ですか、クルス少尉?」
「お、おう、助かった……」
まるで特撮のヒーローか何かのように颯爽と駆けつけてきた少女。その異様な戦闘能力を目の当たりにして、思わず口元が引き攣った。
「しかしまあ……」
襲われたのも束の間、状況の推移は目まぐるしい。
一息ついて部屋内を見ていれば、既に室内に侵入していた敵のあらかたは気を失っているようだった。クルスは勿論、同行していた整備員達も戦力としては心許ないものだろう。短時間で生み出されたこれらの成果の殆どは、タマルとセーラの手によるものである。
改造が施されたガス銃を手に持って大暴れしているタマルはともかくとして、何故自分よりも年下の少女がこれだけの能力を持っているのだろうか。訓練を受けた軍人相手を一蹴するなど、尋常ではないことだ。
戦況は硬直状態へと陥っていた。
室内へ残留した者達は全員戦闘不能まで落ち込み、外に撤退した敵は開ききったドアの向こう側から時々顔を覗かして様子を窺ってくる。だがそうすると容赦なく圧縮されたガスによって射出されたプラスチック弾が飛んでくるために、中々行動に移せないようだった。
相手の中にはボディーアーマーを着ている者もいるようだったが、積極的には前に出れていない。相手がゴーグルを付けていることを良いことに、タマルが容赦なく相手の顔面付近を狙っていためである。これが仲間内で行うようなサバゲーであったならば大顰蹙ものだが、タマルの中では既に自分が善であり相手が悪である。喧嘩を売ってきた相手に容赦するような優しい性格を彼女はしていないことは、敵味方合わせてこの場に居る誰もが知っていた。。
「てめえ、コラ! 顔面ばっか狙ってるんじゃねえ! 卑怯だろうが! 万が一があったらどうする気だ! 素手でかかってこい!」
「はっはっはっ! 戦場を甘く見た報いだぜ! 兵士が負傷を恐れてどうするつもりだよ!」
聞く耳持たずに放たれた掃射に、顔を覗かしていた者達が慌てて顔を引っ込める。
昔のカートゥーンアニメにこんな場面があったような気がするなと、クルスは何と無しに過去を思い出した。
「くそ、あの年齢詐称のクソガキめ! ――おい誰か閃光弾持ってねえのか!? ……なんなら、もう、手榴弾でも構わんぞ!」
「そんなものあるわけねえだろ! アーマーだけでいっぱいだっての!」
「入口の方の報告だと敵は閃光弾使ってきたって話だっただろうが!?」
「それはあいつらがおかしいだけだっての! 普通そんなもんを私闘に持ち出してくるか!?」
「……だよなぁ」
扉の外から聞こえてくる悲鳴混じりの声に思わず相槌を打ったのは、他でもないクルスである。
相手がボディアーマーを着込んでいると聞いたときはもしかして自分の認識が甘いのかとも思ったのだが、やはり違ったようだ。タマルの備えは相手から見ても過剰なものなのだ。部屋の外から聞こえてくる悲痛な声にクルスは少し同情したくなってくる。どう考えてもタマルがやり過ぎだった。
だがクルスにとっては痛ましさを感じさせるやりとりも、加害者たるタマルにとっては嗜虐心をそそるスパイスにしかならなかった。実に楽しそうな笑みを口元に浮かべて、次々と攻撃を加えていく。
そういう表情を浮かべるタマルは普段にも増して活き活きとしているなと、クルスは嫌なことに気がついてしまう。
「まったく、仕方がねえなあ……」
相手が遮蔽物の後ろに退避してしまい、弾による攻撃の効果が薄くなったとみるや懐から円筒形の物体を取り出す。本来のそれの用途は保温型の密閉容器であったはずだが、無論タマルが取り出したのは正規利用しているようなものではない。
「ほらよ、そんなにこれが欲しいならくれてやる! 受け取れ!」
「――げっ! そ、総員対閃光防御だ! 姿勢取れ!」
「そうら、時間差でさらにもう一つプレゼント!」
タマルの宣言通り、時間差で投げ込まれた二発の自作閃光弾が部屋の外で極光を生み出す。天井にある照明器具によって決して暗くはなかったはずの空間が、殊更明るい白で染め上げられた。
「目がーッ、目がーッ!」
部屋の外から野太い悲鳴が幾つか上がってくるが、非殺傷弾なのだからきっと無事だろうとクルスは信じた。祈ったと言い換えてもいい。
「――くそ、一旦下がれ! 体勢を立て直すぞ! 正面に言っている連中にも声をかけろ! 向こうは囮だ!」
そんな声と共に、人集りが消えていく。
開きっぱなしであった扉も閉じられて、室内は最初の頃のような静かな空間へと戻っていった。
「一先ずは、落ち着けられるか……?」
閃光弾の一撃が――正確には二発であるが――トドメとなり、とりあえずは状況が落ち着いたようである。
室内に侵入していた者達は全員身動き取れない状態にされて放置され、部屋の外にいる者達も体制を整えるべく攻勢を控えて様子見に移っている。
タマルは慣れた仕草で弾倉を新品に交換、次いでガス銃の発射圧力を調整しながら室内を見やり、一つ頷く。
「よし、クルス。お前は今のうちに脱出して外の物資を運送しろ。こっちの敷地内に入れちまえば勝ちだからな」
「いやいやいや、俺に脱出って……どうやって?」
ここにあった食料物資の殆どは外に運び終えている。後はそれをシンゴラレ部隊の敷地内に運び込めば終了するはずだった。
だがしかし、そのための脱出経路は外にいる相手によってなし崩し的に抑えられてしまっている。外にある運搬用に用意したリフトカーは光学迷彩の電子布を被せて偽装してあるので恐らくは無事だろうが、クルスにはそこまで辿り着く手段がない。
「アホ。そんなの、決まってるだろ」
だがクルスの憮然とした表情に対して、タマルは特に何の感慨もなさそうにちょいちょいと指を指した。つられて見やるも、そこにあるのは壁の高い位置に備えつけられた、至って何の無しの変哲のないガラス窓である。
言わずもがな、タマルが示す行為が何を意味しているかを察して、クルスは無表情に呟く。
「いや……、ここって確か二階だったはずなんだが」
それも構造上は二階であるのだが、実際の高さ的には三階構造物と同等以上――十メートル以上の高さはある。そんなちょっと行ってこいとばかりに気軽に飛び降りするような高さではない。クルスにとっては自殺しろといわれているようなものだ。
「何言ってやがる? 以前高所からの着地方法は教えてやっただろ」
「それを失敗して地面の上でのたうち回ってたのも知ってるだろ、あんた」
苦い記憶を思い出してクルスが呻いた。
四点だったか五点だったか、転がるようにして衝撃を受け流す着地技術である。極めれば三、四階からの高さでも無傷でいられる方法らしいのだが、そういった行為の基本すら出来ていなかったクルスに習得出来るはずもない。
想定の半分以下の高さにも拘わらず無様に失敗して、その痛みに悶絶していたクルスの横で笑っていたのは他でもない、タマルだった。
「ち。ったく……。万能人型戦闘機の操縦技術はあれだけ持ってるくせに、何で生身になると急にへたれるんだてめえは」
「ほっといてくれ」
一応、自分が情けないという自覚はある。
だがそれと同時に無茶を言うなという気持ちも強い。
『プラウファラウド』と出会う前ならいざ知らず、自宅に親が殆どいないことを利用して昼夜問わずに仮想現実に入り浸り始めてからは、学校の授業以外でちゃんとした運動をした記憶が殆ど無い。それでも日本にいた頃の体育の成績は可でも無く不可でも無くといったところなのだから、僥倖だっただろう。
一度だけ同級生の少女の口車に乗せられて、彼女の日課に付き合わされたことがあったが、その結果がどうなったのかは脳内から抹消してしまいたい記憶である。
「……仕方がねえ。ここの戦力が減るのは勿体ないが、セーラ。お前もクルスと一緒に離脱しろ」
「わかりました」
タマルの指示を受けて、呼吸を忘れたように傍らに立ち竦んでいたセーラがあっさりと了承する。与えられた命令に疑問など欠片も抱いていないようだった。
セーラはくるりと動いて、視線をクルスへ向けくる。物静かな赤い双眸に見つめられて、だがそこに何か言いしれぬ気迫を感じ取ってクルスは僅かに後退ってしまう。
「クルス少尉、前と後ろどちらがいいですか?」
「……なんの話だ?」
「前と後ろ、どちらがお好みですか?」
「だから何の!?」
要領が得られずに訊ね返すが、彼女からの返事はない。
金髪の少女にじっと瞬きもないまま見据えられて、クルスは脅迫されたような気分になりながら仕方が無しに息をつく。
「……じゃあ、後ろで」
後ろを選択したのはただの勘である。
当たりか外れかも分からないままのクルスに対して、セーラは僅かに首肯するとさっと静かな動作で背中を向けた。
「――……?」
よく分からずに、向けられた背中をまじまじと眺める。
改めて見るも小さな背中だ。引き締まってはいるがその輪郭は年相応に華奢であり、一体この身体でどうして先程のような芸当が出来るというのだろうか。
そんなことを漠然と考えていると、セーラは首だけ振り返って言った。
「掴まってください」
「……はい?」
当然という風に促されて、クルスは変な表情を浮かべた。言われている意味が分からずにセーラの顔を見返していると、彼女がその桜色をした小さな唇を動かす。
「運びます」
「……ああ、そういうこと……」
そこでクルスはようやく理解した。
つまり、前か後ろかというのはそういう意味だったらしい。
「…………ん?」
――ということは、まさか前を選んでいたら彼女に正面からしがみつくことになっていたのだろうか。あるいは、お姫さまだっこか。……いずれにせよ、それらと比べれば背負われるたほうが遙かにましではあるだろう。……確かにましではあるのだが――情けないことには変わりない。
「うーむ」
自分よりも背の低い、それも年下の小女の後ろ姿を見て小さく呻く。
恐らくはクルスを背負って飛び降りるということなのだろうが、ここで「よしきた任せろ!」とばかりに勢い込んで飛びかかれる人物は、そうはいない。いたとしたらそれは相当な強者に違いない。セーラが埒外の身体能力を持っていることは疑いようのない事実であるが、やはりクルスにも体面というものがある。
「なあ」
クルスはその視線をセーラではなくタマルへと向けて、
「俺はここに残るから、セーラだけ行かせるんじゃ駄目なのか?」
「いーからさっさと行け。お前ここにいても邪魔なだけだ」
「うぐ」
戦力外通知。
そう言われれば返す言葉も無い。
色々と葛藤を抱えながらも、クルスは覚悟を決めて手を伸ばした。こういうときは変に照れると逆に恥ずかしい思いをするのである。そもそも相手はセーラだ。裸を見られても眉根一つ動かさないような少女である。そういうことを気にするだけ無駄に違いない。
――うん、細い。
少女の肩越しに手を回して真っ先に思ったのがそれである。セーラの首回りは、年相応の少女のそれだった。眼前にやたらと細い金色の髪が揺れている。何となく指で梳いたら感触が気持ち良いだろうなと思った。
そうこうしているうちにセーラがクルスの太腿を抱えて持ち上げる。クルスの体重は六十はない程度だが、彼女は大して苦にも思っていない軽い仕草である。
「…………………やばい、なんか死にたくなってきた」
自分より身長が低く年少の少女に背負われているこの構図は、はたして端から見るとどうなのだろうか。その答えは周囲の者達を見れば一目瞭然であった。
整備員達は視線を逸らしながらもちらちらと見ているのが丸わかりであったし、タマルに至っては腹を抱えて笑い出しそうである。
「どさくさにまぎれて変なとこ触んなよー?」
「しねえよ!」
「触りますか?」
「お前も乗ってくるなよ!?」
投げかけられる野次に叫び返すも、やはりセーラの背中にしがみついている状態では様になるはずもない。
これは黒歴史になりそうだなとクルスが気分を落ち込ませている間に、ひょい、とセーラは重さを感じさせぬ身軽な動作で窓枠に足をかける。
肩越しに見える光景を確認して、その高さに表情を引き攣らせる。
高さは十メートル前後。冷静に考えてみると、人を抱えてこれは、やはり無理なのではないだろうか。そもそも、クルスが習った着地方法は地面に転がって衝撃を分散させるというものだったはずだが、一体どうするつもりだ。
「なあ聞きたいんだけど……」
「なんでしょうか?」
「……どうやって着地するんだ?」
クルスのどこか引き攣った声音に対して、セーラは向けられた発言の意味が分からないとばかりに少しだけ首を傾げたそうな素振りを見せ、
「普通にですが」
「……そうか。……普通にか」
「はい。普通に、です」
言葉足らずは最早セーラのアイデンティティのような気もする。訊ねれば答えてくれるのが彼女であるが、反面で最低限の情報しか与えてくれないのだ。恐らく彼女から得たい情報を貰うためには、質問する側が工夫をしなければいけないのだろう。
彼女の表情を読むのは多少心得てきたクルスだが、扱い方法についてはまだまだ未熟である。取扱説明書とか欲しいのだが、どこかに置いてないだろうか。
「行きます」
端的な合図と、感じる浮遊感。
小柄な体躯からは想像出来ないほどの強靱な筋肉は、少女の意思を反映して収縮する。
一切の躊躇い調子で、セーラの身体が宙へと投げ出された。無論、背負われたクルスも同様である。下から吹き付ける風圧によって髪が揺れる。万能人型戦闘機で高空を飛んでいることに比べれば大した高さでもないはずなのに、それを遙かに上回る恐怖心が湧き上がってくるのは何故なのか。
だがその感情を表に出すよりも先に、気がつけばクルスの視点は地上のものと同じになっていた。その事に気がついたのは数瞬後。驚くべき事に、セーラは二人分の重量によって生じる衝撃を膝を曲げるだけで全て受け流して見せたのだった。
「い、生きた心地がしない……これ紐無しバンジーとかとやってること大差ないだろ……」
背筋に薄ら寒い感覚を覚えながら、クルスはひっそりと呟く。
今後二度と体験したくない出来事だった。心臓と精神に悪すぎる。これならばまだ錯乱幕無しに誘導弾の嵐の中に飛び込んだ方がましだ。向こうは思考と反射の赴くままに迎撃すれば良いのだから、楽なものである。
「……この前にも思ったのですが」
「うん? ……この前?」
ふと、セーラが小さな声量で言葉を漏らした。
平坦な声音で、そこからは直前に自分がした行いに対する恐怖心などは微塵も感じられない。彼女にとっては取り立てるほどの行為ではなかったのだろう。
出来れば早めに降ろして欲しいところだったが、背中に負ぶさっといてそれを口に出すのは厚かましいというやつだろうか。
とりあえず負ぶさったまま金髪の少女の呟きにそれは一体いつのことだろうかと首を傾げると、背中越しでもその動きが伝わったのかセーラが言葉を補足してきた。
「数日前に、あなたと基地内の射撃場で訓練をしていたときのことです」
「……ああ、あったなあそんなことも」
セーラに言われて、クルスも思い当たった。
彼女に生身の射撃訓練に付き合って貰ったのは、まだほんの数日前のことである。だというのに、何だか今回の騒動が大きくなり過ぎて、もっと以前のことのように感じてしまう。
「……で、それがどうかしたのか?」
考えて見るも、現在の状況と射撃訓練の時とで何か要素が重なっているようには思えなかった。景気よく模擬弾をばらまいているのはクルスやセーラではなく、タマルだ。訓練内容を活かせるような事態だとは思えない。というか、こんな事態で活かしたいとは思いたくない。
「あの時もこうしてあなたと密着していました」
「……あー、そういえばそうだったな」
あの時はクルスが前でその背中にセーラが密着していたので、状況としては逆だ。だが確かに、身体を触れ合わせているという点では差異は無いのかもしれない。
「こうしているとあなたの――」
セーラは一度そこで言葉を切って、
「体温をすごく間近に感じます」
そんなことを言った。
クルスは少しだけ考えてみて、首を傾げる。
「そりゃ、まあ……そうだろ。実際くっついてるわけだしな」
クルスとセーラはパイロットスーツ越しに密接している状態だ。密着と言っても良い。その状況で相手の存在を意識するのは極普通のことである。少なくとも、取り立てるほど不自然という感じはしない。
しかしセーラはクルスの返答にあまり納得した風ではないようだ。
小さな背中越しからそんな雰囲気が伝わってくる。
――それは、騒動前に何かを考え込むセーラの姿と共通していた。人形の様に無機質で、感情を表に出すことが極端に少ない彼女にしては珍しい姿。
「……セーラ?」
一体、現状の何がそんなに引っかかっているのだろうか。
それが気になりつつも、流石に今はそんな余裕はないだろうと思い出す。現在の状況では追っ手にいつバレるかも分からないし、さっさと荷物を持って撤退、今回の馬鹿騒動をさっさと終わらしてしまうべきだ。悩むのはその後でも良い。……それといい加減、背中から降ろして欲しい。
「おーいセーラさんや。考えるのは後で、とりあえず行動に移そう。だから降ろしてくれ。わりと切実に」
そう言って小さく身動ぎして見せるも、セーラは行動には移さなかった。
無理矢理抜け出そうにも、クルスの膝裏に差し込まれた細腕はボルトで固定されたかのように動く様子がない。全力で暴れれば逃れられるかもしれないが、流石に年下の少女の背中でそれをするのは憚られるだろう。
一体どうするべきかとクルスが俄に困惑していると、セーラがぽつりと呟いた。
「ああ――、なるほど」
小さく漏れたその声は、不思議とクルスの耳元に不足無く届いた。何かを理解し、納得した色の声。そうしてセーラはクルスを開放するどころか、足を抱えた腕により一層の力を込めてきた。
まるで子供が自分の玩具を離すまいとするような仕草に、クルスは呆然とする。
「セーラ?」
「――そう……。――そうなのですね。――クルス少尉、やっと分かりました」
「…………何が?」
そんなことよりも早く降ろして欲しいのだが。何時までこの羞恥プレイを続けるつもりなんだお前は。
そう考えるも、主導権はセーラの手の内である。心中を口に出すわけにもいかず、クルスは諦めて大人しくセーラの言葉に意識を傾ける。
「先程、私はクルス少尉にそうするべきだと思ったと説明しました――けれどあれは正確ではありませんでした」
「……はあ」
なんで今のこの状況でその話題なんだろうか。確かに気になってはいたけれども、それはわざわざこの状況で言うことか。
そう思いつつ相槌打つ。
試しに足をばたつかせて見るも、無駄な足掻きに終わった。結構力を込めたつもりではあったが、セーラは足に根でも生えているかのように微動だにしない。
寧ろ、もう一度強く腕に力を込めてきて、セーラはそこにある感触が何なのかをしっかりと確かめた後に、
「するべき、ではありません。そうではなく……――私はそうしたいと、そう思ったのです」
「……そう、したい?」
「はい」
それが、彼女の悩みの答えだったらしい。
「うーん……?」
イマイチ要点が掴めていないながらも、クルスは与えられた断片から考えてみることにする。
まず、前提としてセーラは悩んでいた。
その内容は若干曖昧ではあるが、恐らくは自分の行動についてだろう。これまでであれば傍観していたであろう事態に、何故今回は参加する判断を下したのか。
その答えが――そうしたいと思ったから。
では一体何故、どんな理由で、セーラはそうしたいと考えたのか。こここそが今回のキモであろう。
振り返ってみるも、今回の騒動でセーラがらしからぬ行動を取ったのは、二つ。
エレナと共にクルスの部屋に押し入ってきた時と、今現在の状況。
クルスは少しだけ考えて見てから、すぐに頷いた。別に難しく考える必要は無いのだ。
セーラが行動を起こした二つの共通点を考えてみれば、その理由は迷うまでもないことだった。
「ああそうか」
理解して、一つ頷く。
「確かに、セーラは何だかんだで結構食べるもんなあ」
「…………どういうことでしょうか」
「別にいまさら隠すことでもないだろ。お前が見た目以上に食べる奴だってのはとっくに知ってるんだからさ」
聞こえてきた平坦な声に、クルスは思わず苦笑を漏らす。
エレナと共にクルスの部屋に押し入ってきた時と、今現在の状況。
この二つの共通点は、どちらも食事がかかっているということだ。
この金髪の少女が意外と食い意地が張っているということは、共同生活すらしたことのあるクルスはよく知っている。彼女の驚異的な身体能力を見た後では納得も出来るが、本当によく食べるのである。
そんな彼女にとっては食事の危機というのは見逃せない事態だったに違いない。それこそ、無表情の彼女が悩むほどに。
「……」
しかし、何故だろうか。
至近距離にある金髪の少女の発する気配が微妙に冷ややかなものとなった気がする。或いは変なものを口にしてしまったような。背中越しでは表情を窺うことは出来ないが、あまり歓迎出来るようなものではない。
心なしかクルスの足を抱える手に力がこもった気がする。
「クルス少尉」
「うん?」
妙に空気が冷たい。
既に夏も過ぎ去って久しい。今日はやけに気温が低いなとクルスは身を震わせた。
「……クルス少尉は知らないようなので教えますが。私は五日間一切の睡眠を無しに通常時の最大パフォーマンスで活動が出来るようになっていますし、同様に食事も必要最低限以下で抑えられるようにもなっています。仮にこれから三日間の食事規制を受けたとしても、活動能力には一切の影響は出ないでしょう」
「そりゃ、お前……。これまでに散々不健康な生活を送ってきた俺が言うことでもないと思うけど、もう少し身体は大事にした方が良いぞ……?」
大体 五日間不眠だとか、三日間断食だとか、それで身体に影響ないとかどんな痩せ我慢だ。そんな状態で運動でもしたら間違いなくぶっ倒れるぞ。
クルスもかつて似たような経験をしたことがあるので分かる。食事と睡眠は生きるための根幹に根付く、基本事項なのだ。
大食らいというステータスが年頃の女子にとってはマイナス評価だということはクルスも理解しているが、そこまで見栄を張らないでもいいだろうと肩を竦める。それと同時に、やはりセーラもそういうことは気にするのなだなとなんだか妙な感慨を覚えた。
セーラはまだ何かもの言いたげな雰囲気を発していたが、ふと動きを止める。
何か音を捕らえた猫のように僅かに首を動かして、動作の最後に視線をやや上に向けて小さく唇を開いた。
「――敵です」
その呟きにクルスが何か訊ね返す必要は無かった。
言葉の意味を問うよりも早く、その答えが空から降ってきたからである。
「見つけたぞ、赤目ええええ!」
獣の如き低い唸り声と同時に、大きな音を立てて一つの人影が現れる。
今回の騒動で争ってきた相手は誰も彼もが基本的に軍人と言うことがあって、服装の上からでも筋骨隆々の逞しい者達ばかりであった。だがしかし、そんな者達と比べてみても、眼前の存在は異様である。
「やっぱりいるじゃねえか! くそ、あの野郎め。危うく騙されるところだったぜ」
身長は二メートルはある。加えて腕や首回りは丸太のように太く、はち切れんばかりの筋肉がその存在を誇示している。つり上がった眉と細められた瞳。秘められた眼光の中には野性の力強さを感じさせるものがある。
そして注視せざるを得ないのは、その身に纏った強化外装。それは纏った者を超人へと変化させる、科学技術の鎧だ。
装備、外見、どちらをとっても規格外。
頭上から降りてきたその存在の異様さにクルスは目を見開いた。
「そんな……、ゴリラが強化外装を装備してるだと!?」
「おい、誰がゴリラだ、誰が!?」
「しかも喋った……!? ……まさか、極秘裏に開発された生体兵器ってことか!? くそ、いい加減この基地にも慣れてきたと思ったのに、そんな暗部を抱えているだなんてな……。思っていた以上に闇は深かったということか……」
ぴきりと、幅広いその顔面の額部分に太い血管が浮き上がる。
「よーし良い度胸だ、気に入った! 全力で地面の中に埋めてやるから感謝しやがれよこの野郎……!」
クルスの言葉を真に受けて、その顔色が夜の暗さに紛れないほどに真っ赤に染め上がった。
次で終わりです。




