大飢饉 - III
第十一格納庫の外。
そこでは幾人もの者達が列をなして配布物を受け取っていっている。
格納庫内は火気禁止の為に解凍開封作業は外で行われていたが、それを受け取った者達は冷え始めた季節の風から逃げるようにして建物の中へと引っ込んでいっていた。
彼らが口にするその殆どが長期保存用の缶詰であったり、インスタント食品だったりではあったが、想定外の食糧難を前にした者達にとっては砂漠の雨にも等しい。購買部へ買い出しに行きながら戦果を出せなかった者達などは僅かに申し訳なさそうな影を落としつつも、嬉しそうに口元を緩めている。
整備員全員となればそれなりの大所帯になるのだが、食料は十分に行き届いているようであった。
目の前にあるのは、タマル主導によって行われた炊き出しの様子である。
一体これだけの量を一体どこから出したのだとも思うが、驚くべき事にその殆どはタマルの持参品ということらしい。
その光景をクルスはタマルと並んで眺めていた。
隣に立つ人物が自分に感謝する相手を見て悦に浸る種類の人間ではないことはクルスも知っている。どう見ても小学生にしか見えない容姿の彼女は、自らが作りだした目前の風景を見ても特に感慨もなさそうだ。
そんな彼女の代わりというわけでもないが、この場にいる面々に十分に食料が行き渡っているのを見てとって、クルスは思わず感嘆の息を漏らした。
「よくこれだけの量があったな……」
「ま、私が少しは食い物を溜め込んでたからな。……例のメーカーのやつは喰うわけにはいかないし、この人数じゃ一日分にもなりはしないけどよ」
「とはいっても、それでも結構な量だろ。……一人だったら一日三食消費してっても余裕でおつりが出たんじゃないのか?」
タマル以外にも幾何かの物資提供が整備員達の間だからなされているとはいえ、これだけの量。こうして均等分配などしなければ――それこそ、タマル一人だったならば数日間など余裕で持ち堪えられたことだろう。
クルスのその言葉にタマルは肩を竦めてあっさりと頷く。
「まあ、な。でもこういう時は協力し合うのが同じ部隊の仲間ってやつだろ。私一人だけ腹が膨れてても絶対に気分は晴れないだろうしよ」
「うっ……!」
「中には全く備蓄がないような奴らもいたからなー。ま、それもおかしな話じゃないけど」
基地内にはいつでも利用可能な食堂も購買もあるのである。それらが使えない今の状況が異常なのだ。そう言ってタマルは肩を竦めた。
「うちらの部隊は外から見れば得体が知れなくて、あんまり良く思わない奴らも多い。それに加えて身内で下らない問題を抱え込むのもアホらしいからな」
「がはっ……!」
「目先に欲かいて、変な禍根を残しても苦労するのは自分達だ。困ったときにはこうして協力し合うのは当然だ」
「げふっ……!」
「……? おい、さっきからどうしたんだ? 顔色悪いぞ?」
心臓に見えない矢が突き刺さって苦悶するクルスの様子を、タマルが怪訝そうな顔で見やる。
「い、いや……心が痛いというか、己の内に住む欲望が醜いというか……なんかもう、本当に生きててごめんなさい……」
結果的には失敗したとはいえ、確保していた食料を誰にも知らせずに独占しようとしていた己の所業が彼女の前ではどうしようもなく汚く感じられて仕方が無い。
過去の罪に苛まされて小さく呻き声を上げるクルスを変な目で見てたタマルだったが、そのうちにそれが少しだけ心配する者の表情に変わる。
「なんかよく分からないけど……、まあ、なんだ。同じ隊のよしみだ。なんか相談に乗れることなら乗るぞ?」
「ぐあああ、な、なんだこの幼女……! 眩しい……!」
「誰が幼女だあァっ!?」
「痛だだだだだだあっー!? 死ぬ、折れる! 人の関節はそんな方向には曲がらないんだよ……、ちょ、ギブギブギブ! マジで無理!」
「――いったい何やってんだ、お前らは……」
うつぶせに倒れたクルスに足を絡めているタマルを見て、通りかかったシーモスが呆れたように声を漏らした。
そのまま暫く観察していたが、特別面白いことはないと判断したのか、疑問の視線をタマルへと向ける。
「しかし、一先ずはこれで良いとはいえ、残りの期間はどうするつもりなんだ? 全員に分けるにしても、一度に全部食べる必要は無かったんじゃないのか」
これだけの量である。節約して消費していけば、空腹は感じようとも断食という極限を目の当たりにすることはなかっただろう。
その考えは、クルスも持っていた。
果たして食料の供給が再開するまでどのような動きを見せるつもりなのか。
「まさか、断食でもするつもりか? ――……たしかに一日二日程度ならば出来んこともないが……」
今日、正式に食堂再開は二日後である旨が通達されていた。
明後日には食料供給が再開されるとするならば、明日一日程度我慢すれば充分ということになる。辛くないとは言えないが、その程度ならば可能だろう。
しかしタマルはその言葉を聞いて、まるで毛虫でも見るような白けた目線を向けた。
「はあ? 何言ってんだ? 俺達は明日も空腹に喘ぐ予定なんてまったくないぜ」
「……?」
その言葉には一同怪訝そうな表情を浮かべるしかない。
予定も何も、保持していた食料の殆どはたった今消費したばっかりである。些細なもの程度ならば残っているだろうが、それで飢えを感じないほどに腹を満たすのは土台無理な話である。
周りから真意を問うような視線を向けられて、タマルはふんと鼻から息を出す。
「馬鹿だろお前ら。無いならあるところから持ってくるに決まってるだろ。……だいたい、このままやられっぱなしでおめおめと引き下がれるとでも思ってるのかお前ら…………――!」
そう言ってタマルは口の端を大きく釣り上げた。その悪役じみた表情は、擬音を付けると『にやり』とするのが相応しい。以心伝心。その顔を見た者達全員がこの時点で、彼女がろくでもない事を思いついていることを悟った。
珍しく、エレナが険しい表情を浮かべて窘める。それは悪行に走ろうとする友を止めようとする、固い決意に溢れていた。
「タマルちゃんー落ち着いてー」
「あん?」
「気持ちは分かるけどー……、確かに腹立たしいしー、空から落下傘無しに降下訓練させて潰れたトマトになって無様に骸を晒せーとか思うけどねー」
「いや……、そこまでは思ってないんだが……というか、お前はそんなこと考えてたのか」
「でも、いくら何でも爆破はいけないと思うのー」
「しねえよ!? お前は私を何だと思ってるんだ!?」
「あれ、しないのー?」
「誰がするかっ! テロリストじゃねーんだぞ!?」
憤慨するタマルを見やりながら、それを横で眺めていたシーモスは後頭部をぽりぽりと掻きながら呟いた。
「いや……、俺はてっきり、対地上支援訓練とか言って奴さんのところに万能人型戦闘機で乗り込むつもりなんじゃないかと思ってたんだが」
その言葉にクルスも想像する。
外部音声で罵声を吐き出しながら他部隊のガレージへ襲撃を仕掛ける〈フォルティ〉の姿。そして中で車座になって休んでいた者達へ、蒼躯の巨人は手に持った大型突撃銃を向けるのである。
実にしっくりとくる光景であった。
「あー……、ありえそうだなあ。フルオートでペイント弾を撃ち込んだり」
「とりもち弾使ったりー?」
「え、そんなのあるのか?」
自分の知識には無い装備が出てきて、クルスが反応する。
エレナはこくりと頷いた。
「ありますよー? 暴徒鎮圧用の非殺傷弾ですけど、確か少数ならうちの倉庫奥にあったはずですよー。あれ触るとベタベタで中々取れないんですよねー。昔、身体中に纏わり付いて酷い目にあいましたからー」
「そうか……。じゃあタマルが使ったらその動けない相手を……」
「リンチ、か」
「もしかしたらやりすぎて森のどっかに埋めることになるかもー?」
各々好き勝手に意見を言い合うその様に、タマルは額に青筋を立てて笑うという器用な表情を浮かべながら、強く握りしめた拳を鳴らす。
「よぅし、よーく分かった……、とりあえずお前らそこに一列に並べ。順番に張り倒してやるからよ……!」
***
要領の良し悪しというのはこういうときに出るものなのだろう。
タマルの怒気が膨れあがると同時にシーモスとエレナはさっと姿を眩ませた。動きの予兆を感じさせぬ見事な体捌きで、人混みの中へと消えていく。必然、彼女の優しい折檻を貰ったのは逃げ遅れたクルスだけであった。
「それで……、一体何をするつもりなんだ?」
そんな言葉を発したのは何食わぬ顔をしたシーモスである。
クルスへの体罰が終わったのを見計らって戻ってきたらしい。別の方向からはエレナも同じように姿を現す。クルスはそんな二人を恨めしげに睨みつけるが、両者ともどこ吹く風とばかりに無視を決め込んでいた。
タマルもクルスを相手にして一通り満足したのか、戻ってきた二人を相手に再び腕を伸ばすようなことはしなかった。
「まず最初に……、今回の一連の騒動の主犯格は既に調べがついてる。特地の連中……それと、二○二機巧隊やつらだ」
第二○二機巧隊はここ西方防衛基地所に属している万能人型戦闘機運用部隊である。アルタスへの対領空侵犯任務を請け負っており、ここ西方基地所に常駐してるだけあって軍内でも有数の実戦経験豊富な一団である。
「ま、予想通りと言えば予想通りだわな」
シーモスが特に驚いた様子も見せずに肩を竦め、食事を終えていつの間にか集まってきていた整備員達もうんうんともっともらしく頷いていた。
状況を飲み込めていないクルスが訝しげにその反応を見やっていると、タマルが特に何の感慨も見せないまま言う。
「同等条件下での模擬戦全戦全勝」
「あ、それは分かりやすい」
今度はクルスにもすぐに分かった。
同じ兵器群を扱う部隊でありながら明らかに特別扱いされているシンゴラレ部隊は、向こうからすれば意識せずにはいられない相手だろう。ましてや実戦豊富な者達ともなれば自らの腕に自信も持っていたに違いない。
僻みといってしまえばそれだけだが、人の持つ感情というのは正論だけで語れないものだ。勝ち負けの後にお互いに健闘を讃えあえればそれはそれは素晴らしいとは思うが、どんなに笑いあっても心の中にしこりは残るものである。それは決して勝負とは切り離せない感情だ。そのことをクルスはよく知っていた。
……だからといってそういった感情を表に出して行動に移されると、される側としては辟易とするしかないのだが。せめて手袋でも投げつけられた方がまだマシなのだが。
「まあ、それはわかったとして。……だとしても、その特地の人達はなんで参加してるんだ? 正直、あんまりうちらとは関わり合いがなさそうに思えるんだけど」
実際、クルスがこの部隊にきてから特に接点を持った記憶は無い。そもそも万能人型戦闘機の運用を基本としているシンゴラレ部隊と、陸上部隊では基地内でも活動範囲が違う。一度も顔を合わしたことの無い可能性すらあった。
そうすると今度はシーモスが、鼻先を引っ掻きながら口を開く。
「確かにそうなんだが……、特地の奴らは以前に一度、こっちに面子を潰されてるからな……」
「ったく、済んだことをいつまでもしつこい連中だぜ」
「……面子?」
ますます分からないとクルスは言葉を彷徨わせる。
相手の面子を潰した、となるとつまりは特地の領分で彼らに土を付けたということだろうか。しかし先日の買い出しの時点で手も足も出ていないあたり、そんな事態になったとは考えづらい。
そんなクルスの疑問を読み取ったのはタマルだった。彼女は若干面倒そうな表情を浮かべて、
「あー、まあ随分前の話だけど、向こうとの合同訓練の時があったんだけどよ……そんときにな」
そう言ったあとに、タマルはちらりと様子を窺うように視線を動かす。その先には呼吸することを忘れているかのように静かに佇んでいる金髪の少女の姿があった。
タマルに引っ張られるようにしてクルスも見やる。
それに気がついたセーラは首を傾げてみせた。最もそれはそよ風に吹かれた程度の変化であり、クルス以外の者が気がついていたかどうかは定かではなかったが。
「ま……、そういうことだ」
後は説明しなくても分かるだろ――タマルは言外にそう含めて、その話題を切った。
どうやらセーラが何か相手の矜持を傷つけるようなことをしたらしいということは理解出来たが、その内容についてはさっぱりである。彼女の能力の高さはクルスも知っているが、まさか陸上戦闘を生業にしている者達に勝る程ではないだろう。無機質めいた雰囲気を持っていて時々忘れそうになるが、彼女は若干十四歳の少女に過ぎないのだから。
かといって分かって当然というような空気を匂わされて、クルスもそれ以上質問することを止めた。実際は良く分かっていないのだが、まあセーラが何かしたらしいという必要最低限ことだけ理解しておく。
「――で、爆破もしない、万能人型戦闘機で襲撃もしない。じゃあお前さんは何をするつもりなんだ?」
「何って私は最初から言ってるだろ。……食料がないならあるところから取ってくればいいんだよ」
ちょっと買い物に行ってくる。
何の変哲もないような、そんな気軽さを感じさせる口振りであった。実際、彼女はその自分の言葉に疑問を感じていないのだろう。
タマルは手元の端末から大気中に映像を投影する。
多少の歪みを生じつつも映し出されたのは、ここ西方防衛基地所に簡易見取り図であった。地図の随所にタマル個人の感想や注釈がついているところを見るに、どうやら彼女が個人的に制作したもののようである。
「なんでこんなもん作ってるんだよ……」
クルスがげんなりとしながら呟く。
軍事施設の内容は一般にも公開はされているが、それはあくまで概要程度であり、詳細は全てぼかされている。軍事施設内の施設配置図は立派な軍事機密情報なのである。個人の雑感混じりとはいえ、基地のマップデータが存在していて良いはずがない。
「なんか俺……、ある日突然逮捕されそうな気がしてきたんだけど」
「もし外部に漏れたりしたら騒ぎですねー」
そんなクルスとエレナの間延びした言葉に、タマルは不機嫌そうな表情を浮かべた。
「そんなヘマ誰がするか。心配しなくても、この端末は一切外部には接続してないし、別の媒体に移動したりコピーされたら復元不可レベルまでデータ破壊されるよう仕組んであるから安心しとけ」
「備えが万全ならいいって話でも無い気もするが……まあ、今更か」
納得というよりは諦めの色が強い調子でシーモスが息を吐き出す。そんな同僚達の反応にタマルは五月蝿そうに鼻を鳴らすだけだった。
構わずに話を進める。
「相手が買い占めた食料の大半は既に再配布済みだが、残ってる物資は一箇所に集めてある。――その保管場所がここだ」
そう言って指差された一点を周囲の者達は見やる。そこは立ち並ぶ格納庫の一角であった。基地内格納庫施設の中では最も発着場から離れているところに位置する区画であり、使われなくなった前世代機の予備部品などを仕舞っておく倉庫として利用されている場所であった。
それを見て取ったクルスは渋い顔を浮かべる。
「……なんでそんな辺鄙な場所に? なんかこっちが行動しやすというか……、都合が良すぎないか?」
そもそも食糧難の状態で食料を余らせている意味も分からないし、それをわざわざ人気の少ない場所に移す意味も分からない。まるで襲ってきてくださいと言わんばかりの作為的な状況に、クルスの勘が警鐘を鳴らしている。
「実際その通りなんじゃないか」
クルスの疑問に答えたのはシーモスであった。
「向こうからすれば、最初から一日程度の絶食なんておまけなんだろうさ。俺達から仕掛けてきたのを返り討ちにする。それが向こうの目的ってことだ」
「はあ……」
土俵は何であれ、つまりは直接的な対決が目的だったということか。
確かにそれが出来ればいい鬱憤晴らしにはなるだろうが、そのために随分と手間暇をかけたものである。勝負をふっかけるにしろ、もう少し手は無かったのだろうか。
停戦となったのだから、待っていれば模擬戦の機会もあったのではないかと思うのだが。
そんなことを考えていると、同じくシーモスの言葉を聞いていたタマルが首肯した。
子供程度の体格でしかない彼女が腕を組んで大仰に頷いて見せても、小学生が背伸びしているようにしか見えない。グレアムあたりが同じ仕草をすると途端に威圧感のある仕草になるというのに、
「シーモスの言う通りだ。相手はまるで何かからの襲撃を警戒するみたいに見張りを立ててる。――ちなみに、これがそのシフト表だ。ついては、私達はこれを参考に最も手薄な時間帯を狙って行動に移すこととする」
何でも無い風に次から次へと普通では知り得ないはずの情報を出していく臨時司令官に、クルスは堪らずに口を挟んだ。
「ちょっと待て。さっきからその情報はどこから持ってきてるんだ……」
「秘匿事項だ」
にべもなく一蹴される。
だが、口にしないということは口には出来ないようなこと――などと考えてしまうのはクルスの邪推なのだろうか。
ただし、あんまり突っつくと猛毒を持った蛇が藪から飛び出して来かねないのでこれ以上は口に出さないでおく。
そのまま作戦を計画し始めるタマルや整備員達を眺めながら、ふと思いつく。
なんだかいつの間にかタマルの言うとおりに相手に仕掛ける流れとなっているが、果たしてそれは本当に効果的なのだろうか。
「……今のこの状況が向こうの目論見通りだっているなら、何もせず素直に一日過ごすのが最大の意趣返しになるんじゃないのか?」
同じ基地内の人間相手にこういうのもどうかと思うが、相手にとってやられて嫌なことをするのは勝負の基本である。何もしないことが相手への意趣返しになるというのならば、そうするべきなのではないのだろうか。
ぽつりと零れたその言葉を拾ったのはシーモスである。
普段から明け透けにやる気を見せていない彼はその意見に賛同したそうな顔を見せつつも、小さく首を振った。
「まあ確かにそれも正論なんだろうけどな……」
そこで言葉を切って、シーモスは視線をタマルへやる。クルスも見やって、思わず表情を引き攣らせた。
彼女は好戦的な笑いを浮かべながら、握った拳で指を鳴らしている。きっと彼女の脳内ではこれから相対する敵の無残な姿が浮かび上がっているに違いない。
その詳細までは分かるはずもないが、口の端を歪めて時々気味の悪い声を漏らしているところを見ると、とりもち弾程度では済んでいるとはどうしても思えなかった。
そして、それの考えはシーモスも同様らしい。
「……お前、あれにその正論を挟めるのか?」
「無理だな」
即答する。
既に今日だけで二回ほど痛めつけられているのである。三回目は謹んで辞退したいところだった。あれはとても痛い。そのうえ不思議なことに、終わった後は全くその痛みを引きずらないのである。それは良いことのはずなのだが、逆にその事が恐ろしい。
「それにその意見を口にするにはちょいとばかし遅かったな。せめて炊き出し前だったら可能性もあったんだろうが」
「……どういう意味だ?」
随分と思わせぶりな言葉を吐くものである。
クルスの当然の疑問に、シーモスは肩を竦めて見せる。そうしてから子供にヒントを与えるように口の端だけを僅かに釣り上げて言う。
「難しいことじゃない。冷静に今の状況をよく考えてみな。すぐに分かる」
「今の状況……?」
クルスは事態を整理してみる。
悩んだ時間は幾許もない。すぐに、今のこの状況がタマルの意見が非常に通りやすくなっているということに気がついてしまった。
「あー……」
呆れとも感嘆とも判別しがたい曖昧な声を漏らしながら、クルスは目を覆った。
タマル主導の炊き出しによって、僅かながら備蓄していた者達もその食材をこの場で提供してしまっている。今は皆一時の充足感を得ているが、時間が過ぎれば後は下降の一途を辿るのみだ。一切食料がないという現在の状況は、行動を起こさなければ食料が一切手に入らないということを意味している。それは充分な動機に成り得た。
そして、それはクルスも例外ではない。自室の冷蔵庫に収まっていた食料は全て三人の胃袋の中に消えてしまっているのである。
加えて、炊き出しの大半の食料提供者はタマルである。今回の炊き出しを行わなければ、彼女が腹を空かすような状態にならなかったことに気がついている者は多いだろう。つまり、今この場にいる者達は多かれ少なかれこの見た目詐欺の女性に負い目を持っていることになる。
もし仮に、食料を持ち寄った炊き出しをする前だったならば、この流れに乗らない者もそれなりにはいたのではないだろうか。
空腹は付いて回るだろうが、行動を起こさなかったところで絶食というほどの事態にもならず、またタマルに対して恩や負い目を感じるような状態にもならない。
それをタマルは炊き出しという今回の一件で、実利的動機と内面的動機、両方の要素を部隊の者達に用意してみせたのだった。
最初からずっとそのつもりだったとするならば、大したものである。
その事を後でタマルに訊ねてみると、彼女は鼻で笑ってみせた。
「あん、なんのことだ? ――私はただ、全員均等に行き渡るように私物の食料を配布しただけだぜ」
口から出る言葉はそう言っていたものの、その時の彼女の表情を見てしまえば、その本意がどこにあったかなど考えるまでもないことだった。




