大飢饉 - I
「馬鹿を言うな! 時間を稼がれているだけだ!」
「そうだそうだ! 一時的な戦線の縮小! 敵国の狙いは明白だ、一年の間に環境を整えてまた資源を奪いに来るに決まっている!」
多数の人間達が集まった会議場に、攻撃的な大声が鳴り響く。それに続く数多の賛同の声。もはや一つ一つの声は言葉として聞き取れず、音の波となって押し寄せていくだけだ。
地響きにも近いそれを壇上で真っ向から受け止めながら平然とした表情を浮かべているのは白髪の女性。戦争反対を唱える穏健派の筆頭であるセレスタ議員。この独立都市において、もう何年も議員席に居座る女怪である。
「現在は一時的なものとされていますが、私はこれをそうは捉えていません。今回の条約は二国間の関係を融和させる切っ掛けに出来ると確信しています」
「なにが条約だ! 議会の正式な合議も無しに進めた話など。何のための議員制か!」
「結果は出ています」
「そういうものでもないだろうが! 思想の偏った一部の者達で関係を動かすなど!」
「ならばこちらも言わせて貰いますが、議会決定の予算額を超えた過剰な軍備増強。明らかに進行を目的とした機動兵器の国境線配備。加えて、不必要に思える程の海上都市への人員出向。そちらも議会承認無しに推し進めているものがあるみたいですが?」
「情勢を考えれば、都市防衛の中核である軍の強化は必須だ! 国境線へ比重を傾けたのもその一つに過ぎない!」
「ならば今回の事も都市防衛の一つとして受け取ってくださいな」
紛糾、とはまさにこのことか。
戦争推進派と穏健派。二つの陣営に分かれての押しに押されぬ言葉の投げ合いが目の前で繰り広げられている。
その様子をコミグリ=シレは後方の席でうんざりと眺めていた。
議会後方、それも端の席に座り頬杖をつくその姿からはおおよそやる気というものが感じられない。実際コミグリにはやる気は無かった。一応派閥的には戦争推進派に属するコミグリであったが、今回の議論内容については興味が欠片たりとも湧いていない。今考えていることは自宅にいるペットと今晩のディナーについてである。
「いやはや、大変なことになっていますねえ」
「これはこれは……、ウォルタ議員」
隣に座っていた議員がこそこそと席を近づけて声をかけてきた。
コミグリは誰だったかと一瞬だけ考えてから、記憶の片隅に引っかかっていた名前を掴み出すことに成功する。もちろん、それを表情には一切出していない。
「まったく、セレスタ議員にああもかかっていける方々には感服しますな。後のことを考えると私にはとてもとても……」
こそこそと声を潜めていうウォルタにコミグリは小さく苦笑する。
この騒ぎの中である。議会上の端っこで喋っていたところで、誰かの耳に触ることなどないだろう。ウォルタも一応は戦争推進派寄りではあったが、そうと完全に言い切れないところもある。どっちつかずというか、小心者なのだろう。よくそれで議席を勝ち取れたものだとも思うが、能力の高さと性質は必ずしも一致するものでもない。
どんなに豚のように膨らんだ頬肉を纏っていても、その下にどんな顔を隠しているのか分かったものではなかった。
「茶番ですよ、茶番。水面下って言ったって、限界はあるりますからね。僕は勿論、あそこで大声上げてる彼だってそういう話が進んでることくらい知ってたに決まってます」
壇上付近で行われているあれらのやりとりは結局の所ポーズに過ぎない。
戦争推進派の先鋒として、発言力を維持するためのかっこつけだ。実際には停戦議案が進んでいることをとっくに知っており、利益と損益を秤に並べて見比べて、見逃すことを選択したのだろう。もちろんそれはコミグリも同様であるが。
それを聞いたウォルタ議員はなるほどと、額に汗を浮かばせながら大仰に頷いた。
「やはりそうでしたか。いえね、穏健派の方でそういった話を進めているということは私も耳にしていたのですよ。いやよかった。うっかり勘違いするところでしたよ」
「それはなによりです」
なにがなるほどだ。そんなこととっくに分かっているだろうが。
内心で毒づきつつも、コミグリは笑顔で頷いて見せた。表面の偽装は運営者の必須特技である。この職に就いてから表情筋が固まってしまったような気配すらある。
そして案の定、ウォルタはわざとらしくふとふと何かに気がついたかのように声を漏らした。
「はて、しかしそうなるとコミグリ議員も何か目的があって口出しをしなかったということになるんですかね?」
その問いかけにコミグリは盛大に溜息を吐き出したくなった。
何が楽しいのか分からないが、陰謀ごっこなど自分は欠片もするつもりは無いのである。素直に聞けばいいのに、何故こう回りくどいのか。肩が凝って仕方が無い。
別に隠すような内容でもなく、コミグリはあっさりと問いに答える。
「大したことでもありませんよ。私が今回口出しをしなかったのは貿易のためですよ」
「ほう、貿易ですか?」
「ええ。アルタスが有数の資源地だとしても年間で採掘出来る量には限りがありますからね。正直戦争ばかり続けていると、ラインが細くなっていく一方でして」
実際、稀少鉱石を初めとした資源が最も流れて行っている先は海上都市である。
兵器の依存度や、真空トンネルという高速安価の貿易手段が存在している以上は当然なのかもしれないが、資源の輸出先がすでに確固たる関係を築けている相手に偏るのはあまりいただけない。
資源は独立都市の最大の武器である。もっと手広く使っていきたいというのが本音だ。混迷化する現在の世界情勢において、狭い範囲で完結して関係を閉じるべきではないとコミグリは考えている。
「意外ですなあ。あなたは戦争推進派だとばかり思っていましたが」
「基本的にはそうですよ。……そりゃ、ホントにお隣さんが喧嘩売ってこなくなるなら停戦には諸手を挙げますけどね。僕はそこまで夢想家じゃないんで」
現状、向こうにとって停戦はただたんに準備期間でしかないというのは間違いないだろう。隣国で四機稼働している重機動要塞。そのうちの一機が破壊されたという非公式の情報も出回っていることが、その可能性を確実にしている。
おそらくはそちらの情勢を落ち着かせた後に、改めてこちらに取り組むつもりだろう。国力の差は大きい。現状は向こうの戦線が広がっているためにこちらも互角以上でいられたが、もし戦線を縮小されてこちらの方面に集中されでもすれば、今のままでは悲惨な結末になるに違いない。
都市防衛の中心となっている西方防衛基地所。そこの最高司令官の席に座るソピア=ノートバレオ中将は民間や軍内では英雄と讃えられるほどの名将であるが、それにも限界というものはある。
「せめて停戦の期間くらいは上手くいってほしいものですがねえ」
「そう上手くいくとは思いませんがね」
貿易を武器に終戦も十分視野に入ると穏健派の方は考えているようだが――、はたしてどうなるか。
昨今の軍事情勢は混迷の一言だ。机上論だけで語れるような状態ではない。右を見ても左を見ても戦争をしているような状態だ。むしろ強固な同盟勢力が存在し、相手が一国のみのこの都市は希有な例だといえる。――まあ、その一国が大陸一の軍事力を持つ巨大国家というあたり泣ける話ではあるが。
「それにどうにも最近はセミネールの活動も活発になっていると聞きます」
「傭兵派遣、でしたか。正直なところ……、一体あそこは何を考えているのかわたしにはさっぱりですな。技術の出所もそうですが、それを使ってやることが余りにも主体性に欠けると言うか。お金が欲しいにしても、軍隊でも作って侵略戦争を始めた方が効率が良いと思いますがねえ」
ウォルタの思わず本音を零したという言葉には、コミグリも全面的に同意である。
あれだけの軍事力を持ちながら勢力としての確固たる行動を殆ど起こさず、あまつさえ多額の報酬と共に戦力を貸し出す奔放さ。各地の戦場に唐突に顔を出して戦力バランスを崩していくその様子は、世界的なテロと言っても差し支えがない。愉快犯と言われた方が余程納得が出来るほどだ。
「正直、僕はあそこについては天災みたいなものだと諦めるしか無いと思っていますからね」
「人災のはずなんですがな」
「何考えてるんだか分からないんだから仕方がありません。精々、いきなり空から爆弾が降ってこないことを祈るしかありませんよ」
実際、コミグリは笑い事ではなく半ば本気でそう考えていた。
制御どころか事前に察知も出来ないのだ。考えるだけ無駄であるというものである。光学的な視認も電子レーダーでも見つけられない輸送手段を持っている相手に、他に何が出来るというのか。
コミグリとウォルタはどちらともなく顔を見合わせて、揃って溜息を吐き出した。
そうしてからふらりと顔を上げて、壇上で未だ議論だかヤジだか分からない声を飛ばしている人の姿を見やる。
あの場にいるどれだけの人間が本気で、どれだけの人間が演技なのかは知らないが――、
「しかし会議は終わりそうにありませんな……」
「ですね……」
隣の席からぽろりと出てきた言葉に、頷く。
結局今回の会議が終わりを告げたのは、それから数時間も後でのことであった。
三十年続く戦争の停戦条約。
独立都市アルタスとメルトランテの両国間で交わされた条約により、国境線沿いに緩衝地帯を設定。今後十二ヶ月間は緩衝地帯での軍事的行動及び資源採掘施設建造の禁止という非交戦項目を中心に締結。
独立都市を運営する議員の中でも非戦争論を支持する穏健派の者達による主導によって結ばれたこの条約は、戦争推進派の者達には気がつかれぬよう水面下で事を運ばれたものであった。
また、一度締結された停戦という実績により、議員や都市市民の中でも非戦争論調が強まっていく。それに対し対外機構軍高官を中心とした戦争推進派は、過去にも停戦があった事実を取り上げ、今現在までも戦争は続いていることを強調して反論。都市運営者達の間では相反する主張による議論が紛糾することとなっていく。
停戦という事実を見れば決して悪い結果ではない。
だがアルタスは定かではない一年間の安定と引き替えに、その内部に大きな軋轢を抱えることとなった。
***
パン、というけたたましい音が鳴り響く。
手の平にある拳銃を介して伝わってくるのは僅かな衝撃。薄暗い銃口から発射された弾丸は理想的な螺旋運動を行いながら真っ直ぐに突き進み、目標に着弾。
狙った地点からやや左に命中したのを確認して、クルスは溜息を吐く。
なかなか思い通りにはいかない。最低限、的には当たるし時々は狙い通りの場所にも届くが、お世辞にもその精度は高いとはいえなかった。
万能人型戦闘機ならば自動照準に頼らぬ目測撃ちも上手くいくというのに、何故生身の身体では上手くいかないのか。理不尽なものを感じられずにはいられない。
「FPSは全然触ってなかったからなあ……」
こんなことならば少しくらい触っておけば良かったと小さくぼやくと、クルスの呟きを拾ったセーラが僅かに視線を動かしてこちらを見やってきた。
それはほんの些細な動作ではあったが、彼女とはアルタスに来てから一緒に行動する時間が多いお陰で、そういった通常なら気にならないような僅かな仕草もクルスは気がつけるようになっていた。
「あーFPSっていうのはゲームのジャンルな。銃とか爆弾使って戦うやつ」
「そうですか」
その簡素な説明にセーラはこくりと頷く。
そうしてから彼女はクルスの隣の射撃位置に立った。
金髪の少女が持つ拳銃はクルスの持つものよりも一回り大型だ。そんな大口径の獲物を持て余すことなく、真っ直ぐに構える。
彫像のように整った横顔。緋色の瞳がぶれることなく正面を見据える。華奢に見える体つきに似合わぬ、しなやかなさを感じさえる体幹。天井の人工照明に照らさながら拳銃を構える彼女の立ち姿には欠点に思えることなどなに一つ無く――、
綺麗だなと、クルスは素直に思った。
銃声。
彼女の持つ大型拳銃から空の薬莢が排出される。だがそれが床に落ちるよりも早く、次の乾いた銃声が鳴り響いていった。
「おー」
漏れるのは感嘆の声。
セーラが引き金を引く度に、二十メートル以上離れた標的に次々と穴が穿たれていく。吸い込まれていくという表現はこういうことをいうのかと、実感する。人型をした射的の心臓部に次々と空洞が出来上がっていき、一発一発のブレが恐ろしく少ない。この光景は確かに、まるで銃弾が心臓に吸い込まれていくようだった。
発射音が重なるほどの連続して射撃を行いながら着弾位置がずれていないということは、彼女が大口径拳銃の衝撃に負けていないという証左である。
加えると、クルスはかつて彼女が片腕で大口径拳銃振り回している姿を目撃している。今は両手で構えて撃って見せているがそれはあくまでお手本ということだろう。
見た目華奢な少女でしかないというのに、一体どこにそれだけの力が備わっているのか。もしクルスが真似でもしたら、弾を的に当てるどころか発射の衝撃で手首を痛めるところまで容易に想像が出来てしまう。
「腕相撲とかしたら勝負にならないんだろうなあ……」
昔、リュドに腕相撲で負けて割と真剣にヘコんだときがあったなと思い返す。半引きこもり体質――というよりはゲーム依存――だったクルスが将来は自衛隊に入ると断言し身体を鍛えることを日課にしていた彼女に勝てる道理も無いのだが、やはり同年代の女子に負けるというのは精神的にくるものがあるのである。
最後に一発、人型の的の眉間に暗闇が出来上がって。弾倉一ケース分を撃ち切ったセーラは腕を降ろす。
狙いが多少ずれても命中が見込める胴体部を基本に、最後にとどめの一発を脳へ撃ち込む。対人間を意識したお手本のような射撃。相手が生身であれば間違いなく仕留めきっているだろう。最も、彼女の場合は最初から頭を狙っていても問題はなさそうであるが。
感嘆の息を漏らしながらクルスは思わず訊ねる。
「すげえな。なんかコツとかあったりするのか?」
「コツ、ですか……」
横からの質問にセーラは暫し言葉を止めた。
金髪の少女は相変わらずそれしか知らぬような無表情ではあったが、そこにどこか、戸惑うような空気が混じっていた。
「拳銃は武器ですが」
「うん」
少しして、そっと開かれた口から出た彼女の言葉にクルスは頷く。
「……武器ではありません」
「……うん?」
まさかの前言撤回である。
一体どういう意味だとクルスはセーラを見やるが、逆にクルスは彼女に見返された。そして無言。少し待ってみるも無言。もう少し待ってみるも無言。
赤い瞳に見つめられ、見つめながら――気がつく。
「え、それで終わり!?」
どうやら彼女の中で説明は終わっていたらしかった。
……つまりはどういうことだろうか。
銃は武器でありながら武器でない。
何かの禅問答のようである。
(えーと……)
おちょくられているような気もするが、目前の少女にそんな甲斐性が無いことはクルスもとっくに理解している。それに自分なんかよりも余程その道に精通している者の言葉である。
銃が武器でないとしたらなんだろうかと、考えてみる。兵器、人殺しの道具――イマイチしっくりとこない。そういう言葉遊びではないだろう。だとするとなにか。
武器、というと基本的には何かを傷つけるものだ。対象を損傷、破壊する。それを目的に生み出されたと言っても良い。しかし、一体何故傷つけるのか。武器は時に人を傷つけ、時には人を守る。つまり、武器というものは手段でしかなく、それを使って何をするのかが根幹にある。
そこまで思考が辿り着いて、セーラの先程の言葉の意味をクルスは理解した。
「そうか……! つまり所詮武器は道具でしかなく、剣にも盾にもなる。武器であって武器でない、使い手の心情次第で意味が変わってくるということだな。当てることを目的にするのではなく、それで何をするのか。それを理解すれば自ずと弾は当たるって事か……そうだよな?」
「…………?」
思いっきし変なものを見る目をされた。相変わらずの無表情だったのだが、間違いない。今回は的中率百パーセントの自信がある。
いや、不正解だという気はクルスもしていたのだけれども。だってどう考えても今の答えは射撃のコツにはなっていないだろう。だがしかし、だとしたら彼女の言葉の意味は何なのだろうか。
眉間に皺を寄せるクルスの様子から言葉が足りていなかったとようやく気がついたらしく、セーラは少し考えるようにして、
「――クルス少尉は万能人型戦闘機で銃を撃つときに、わざわざその事を意識していますか?」
そう言ってセーラはクルスの背中に付く。
「構えてください」
そう背後から暖かみのない声で促されて、クルスは素直に構えを行った。
肩幅程度に足を開き、突きだした両手で拳銃を構える。
基本的な構えは以前部隊に来たばかりの頃にタマルから教わったものだ。ただし、自分の撃ちやすいように崩してしまって構わないとは言われていた。確かに的に当てやすい構え方などは存在するが、強化外装の普及によって凄まじい身体能力を誇る歩兵が一般的となった現代では、落ち着いた形で射撃を行えるのは最初の不意打ちくらいのものだという話である。
視界の正面に映る、握った拳銃越しに的を見据える。
と、銃を握り込むクルスの手に小さな手が重なった。
想像していたよりも遙かに暖かみのある感触。背中から金髪の少女がその細長い腕を回してきていた。
「拳銃と身体を分けて考えずに。自分の腕の延長線上として捉えて」
耳元、というよりはやや下寄りの位置から聞こえて来る声に、意識を傾ける。
「目標を見据えて、直接掴むつもりで手を伸ばす。真っ直ぐに。銃も万能人型戦闘機も違いはありません。自分の身体と一緒」
そうして少しだけ腕の傾きを修正された。生身の射撃に関してはクルスがセーラに言葉を挟む余地は存在しないので、大人しくされるがままになる。
「あー……なるほど」
何となく、彼女の言いたいことが分かった気がした。
確かにセーラの言うとおり、クルスは万能人型戦闘機で射撃を行う際にわざわざそんなことを意識したり、頭で考えたりしていない。思考と動作。何千時間もの搭乗時間は既にそんな境界線を消し去り、自分の身体の一部と同等に扱っている。
対して、生身で行う射撃はどうだっただろうか。
道具を使って目的を撃つと強く意識していた。それでは駄目なのだろう。
拳銃を構えた腕は今、関節を曲げずに真っ直ぐに伸ばされている。それが射撃を行う上で正しいのかどうかはクルスには分からないが、腕の骨と拳銃が一本に繋がったよう感じられる。
神経が研ぎ澄まされ、五感が指先を通して銃身にまで共有されるような感覚。
「撃って」
――引き金を引く。
小さな反動が腕に伝わる。そしてそれとほぼ同時、音速で発射された弾丸はあっさりと的の中心部を射貫いた。
「おお」
これまでで一番綺麗に的を射たという感触に、クルスは声を漏らす。
今の感覚は指を動かす前から弾が当たるということが何となく分かった。万能人型戦闘機の時と同じで、神経の枝葉が手に持った拳銃にまで伸びたような一体感。
毎回こうはいかないだろうが、一度でも感触を掴めたのは大きい。一度知れれば、あとは反復あるのみだった。動作や感覚を身に着けるための近道は飽きるを通り越して苦痛になるほどの繰り返しである。
搭乗者であるクルスが実際戦場で拳銃を撃つ機会がどれほどあるのかという疑問もあるが、出来るに超したかとはない。手札一枚が生死を分ける場面もあるだろう。
「――と」
そうしてから、中々背中の感触が離れないことに疑問を覚える。
自分の手に添えられた小さな指の感触もそのままだ。かといって、彼女が修正すべき点を口に出してくるようなこともない。
「……おーい?」
「なにか?」
「いや……」
そうやって訊かれるとクルスも返答にも困るのだが。
異性に密着に近い状態でいられるのはどうにも心が落ち着かない。この金髪の少女は裸を見られても眉一つ動かさないような人間である。そんなことを意識する思考を持ってるのかさえ甚だ疑問ではあったが、かといってその事実はクルスの心情に何らかの影響を及ぼすことはない。
的に弾を当てることだけを考えている時には気にならなかったが、こうして状況が落ち着いてくるとどうしても自分とは違う柔らかな感触が気になってきてしまう。
「えーと……まだ何かあるのか?」
肩越しに振り返ると、これまでにないほどの至近距離でセーラと目があった。ガラスのような無機質な光。物言わぬ緋色の瞳にクルスが反応に困っていると――すっと、柔らかな温もりが離れた。
ゆっくりと数歩後退したセーラにクルスは思わずほっと息を漏らす。
そうしてから、一体何だったのかと改めて見やる。
クルスよりも一回り小さい金髪の少女は、クルスではなくじっと自分の手を眺めていた。何かを観察するように動きを止めている少女であったが、そこにどんな感情が込められているのかクルスには分からない。
以前よりは察せられるようになったとしても、やはりそれはつもりでしかない。表情の薄い少女が果たして何を考えているのか。
クルスは察することが出来ずに、ただ前髪を弄っただけだった。
***
第十一格納庫。
シンゴラレ部隊のために用意されたその場所の中には、隊員達の搭乗機である五機の万能人型戦闘機が収まっている。
最初に基地に着たばかりの頃は無数の鋼の巨人――それも実物である――が列を成している姿に感動したものだが、流石に今となっては見慣れた光景となってしまった。つくづく人間という生き物は慣れるものだとクルスは実感する。
降って沸いてきた停戦条約。
万能人型戦闘機の出撃基地として中核を担っていた西方防衛基地所は大きな環境の変化が起こるだろうと思っていたのだが――正直言って、目に見えるところであまり変化は感じられなかった。
相変わらず基地所からは偵察用の武装パックを装備した機体が定期的に飛び立っていくし、シンゴラレ部隊に関しては元が元である。呼び出しがかからない限りは行動制限が極端に緩かったがために、停戦と言われても特に影響がない。
そもそもクルスが来てからシンゴラレ部隊はテロリストに山賊にと、どこかの正規部隊と交戦した記憶はない。停戦という状況がどの程度の影響をもたらすのか甚だ疑問である。
もしかしたら他の隊の方では何かしらの変化もあったのかもしれないが、生憎と向こうとは交流は殆ど無い。食堂などは共通なのだが、明らかに避けられているのが分かってしまう。一度基地に着たばかりの頃に絡まれたこともあったりしたのだが、あの時はタマルが途中で乱入してきて酷いことになった。恐らくクルスが来る前からあの調子なのだろう。当時の騒動具合を見れば、他の部隊が避けるというのも頷ける話であった。
射撃訓練を終えた後。
特にやることも無くぶらりとクルスが格納庫を訪れてみるも、中にいる人影の数は少なかった。
既に前回の出撃から一ヶ月以上が経過している。少し前までは破損した機体の修復に整備員達が慌ただしく作業をしていたのだが、それも済んでしまったのだろう。全壊に近い損傷を負ったシーモス機はともかく、片腕を破損したクルス機などはさっさと予備部品と交換してそれで終わってしまった。モジュール化というのは効率が良い反面で味気ないものである。
格納庫にある五機の〈フォルティ〉が万全の状態で待機しているのを眺めながら、ふと思う。クルスの部隊内の機体認識番号は七番機である。タマルが一番機であり、二番機がエレナ。そしてシーモス、セーラと続くわけだが――五番機、六番機はどうなっているのだろうか。
一つは指揮官であるグレアムのものかと考えるが、それが五番六番というのも変な話気がするが。そういえばここに来たばかりの時にも他にも人が居るようなことを聞かされた気もするが――、
「あれー、クルス君ー?」
クルスが考えていると、ふと間延びした声がかかった。
声が聞こえてきた方向へ振り向くと、そこには予想通りの姿。明るいプラチナブロンドの髪を持つ女性がいた。
「どうしたんですかー、こんなところでー」
そう言って不思議そうに首を傾げるエレナは、秋色の長いスカートにロングシャツを組み合わせた格好をしている。下に着ている服の袖には相変わらずのフリルが控えめにあしらわれており、それが彼女の印象に合わない少女趣味を密やかに主張していた。
「今日はセーラちゃんと射撃訓練をするって聞いていましたけどー?」
「それはもう終わったよ。……そっちこそ何してるんだそんな格好で」
彼女の格好は一見して育ちの良いお嬢様と言ったところだろうか。
顔立ちや体型が理想的な均衡を持っている彼女に似合ってはいるが、軍事基地内に立つには明らかに異質な格好である。それが機動兵器の立ち並ぶ格納庫内となれば尚更な話だった。
「私ですかー? わたしはこれですー」
そう言って彼女が見せてきたのは、小型の映像機だった。大気投影型のディスプレイを採用した携帯可能なテレビである。大気投影型はそのときの周囲状況で画面に影響が生じ画質が悪くなるなどの問題を抱えるものの、圧倒的な軽さを誇るために携帯を前提とした道具には人気である。
「あまりやることもなかったのでー、屋上で寝そべりながら見てたんですよー」
「……ああ」
納得する。
この格納庫は魔改造を受け屋上への出入り口が存在しており、屋上には簡易のチェアと日よけ用の巨大なパラソルがあるのである。建ち並ぶ兵器格納庫の中で一つだけ天辺から傘を生やしている姿は周囲からも酷く目立っている。
万能人型戦闘機で基地に着陸する際もすぐに目に付くし、もしこの基地が敵の襲撃を受けた場合、真っ先に目印にされそうだ。
「それでクルス君は何をしてるんですかー?」
訊ねられて、まあ丁度良いかとクルスは考えて口を開いた。
「いや、五番機、六番機ってどこにあるのかなーって」
「あー」
エレナは少し首を傾げたものの、すぐに思い当たったのか理解したように頷いて見せた。
「五番機はグレアム少佐ですよー」
朗らかに告げられた言葉に、クルスは怪訝そうな表情を浮かべる。その番号は、部隊の長が居座るにはあまりにも中途半端な気がするのである。
「どうかしましたかー?」
「え、いや。なんで隊長がそんな微妙な番号に位置しているのかなと思って」
「さあ?」
さあって。
肩すかしを食らったような気分になって、クルスはエレナを半眼で見やる。それに気がついたエレナは少し困ったように視線を彷徨わせた。
「かつての戦友の番号を受け継いだとか、ラッキーナンバーだとか聞いたことはありますけどー、どれも噂ですしねー。直接聞いたことはありませんからー」
「そうですか……。というか、俺、少佐が万能人型戦闘機に乗ったところなんて今まで一度も見たことないんだけど」
そもそも今までの任務で前線まで出てきていなかった気がする。海上都市では無差別な強力ジャミングで通信は不可能であったし、輸送列車での襲撃者を待ち構えていた件ではそっちのほうの部隊との共同作戦であり、グレアムはそもそも列車に乗り込んでいなかったはずである。
「昔はすごい有名だったよー。特に白兵戦武器を使った近接戦闘の名手として知られてて〈切り裂き〉なんて通り名までついてるくらいなんだからー」
「〈切り裂き〉ねえ……」
それは随分と顔の印象通りの二つ名である。ただその場合、切り裂かれているのは自分の顔と言うことになってしまうが。逆に縁起が悪い気もするが、そもそもそんなことを気にするような人間でもないだろう。
「まあ五番機が少佐って事は分かったけど、それじゃ六番機っていうのは……」
「んー? 六番機はイル君だねー」
「イル、君?」
初めて聞くその名に、クルスは思わずオウム返しに言葉を漏らしてしまう。その様子にエレナは子供の様に小さく笑いを漏らしながら、
「そうそう。すごく変な人なんだよねー」
「あ、それはこの部隊にいる時点で分かってるから」
「以前万能人型戦闘機を無断で動かして山奥に山菜採りに行ったこともあるんだよー」
「やばい、予想よりも酷かった!」
「あとは演習中に指揮車に躓いて転けたり、寝ぼけて寝間着で他の部隊のブリーフィングに参加しようとしたりー」
「そいつホントに大丈夫なのか!? 射殺されたりしてない!?」
聞いているだけで恐ろしくなる武勇伝の持ち主である。
自由奔放というか、そんな人間を兵器に乗せて大丈夫なのだろうか。今の話を聞いただけだと肩を並べて戦いたいとは欠片も思えなかった。
「ちなみに今その人は……」
「任務で別の地域に行ってるみたいだねー。いつ帰ってくるかは私も知らないー」
なぜ隊内で唯一単独で別地方に飛ばされているのだろうか。
「うん、あれだな。こういうのは失礼かもしれないけどさ、あんまり会いたいとは思えん」
「私も帰ってこないでほしいかなー」
まさかの既知からも拒否であった。
一体どういう人物なのだとクルスがまだ見ぬ同僚に頭を痛めているのを横目に、エレナが徐に適当な機材の上に腰掛ける。
そんなところに座ったら服が汚れそうな気がしたが、そのことを彼女が気にした様子はない。身嗜みに気を遣っているのかいないのか、判断に迷うところである。
そうして携帯映像機を懐から取り出して、画面を見始めた。
「……なんでここで?」
「んー? 屋上は飽きたから外の椅子で見ようかと思ってたんだけど、ここでもいいかなーって思ってー」
「はあ、そうですか……」
マイペースというか、この人も大概自由人だよなと思う。
シンゴラレ部隊のどの面々にも言えることなのだが、誰もが軍人向けの性質とは思えない。風評の一つである問題児をとりあえず一箇所に集めておいたというのも、あながち間違いではないに思えてくる。
「……そんなに暇してるなら都市にでも行ったらいいんじゃないのか?」
「えー? 今はターミナルは運転中止中だよー?」
「……ああ、そういえば」
そうだったなと、クルスはエレナに言われてからそのことを思い出した。
都市へ直通となっていた高速モノレールは数日前から全て運行中止となっている。
停戦ということもあり、大規模な点検及びメンテナンスを行うとのことらしい。車両、路線両方を含めたその範囲は膨大であり、整備にはまだ暫くの日数を要す予定となっていた。
その話を事前に知っていた者達によって、基地内の者達に貸し出しを行っているレンタル車は全て消え去ってしまっていて、そのため現状都市に行く手段が殆ど無いという状態である。
エレナが画面を眺め始めて言葉も減る。
何となくこのまま立ち去るのも味気ないかと思い、クルスはポケットの中から小さな袋を取り出して、その中身を口に入れた。
クルスが咥えているのは基地内の購買部で売っている、ビスケット菓子である。柔らかく水分の少ない固形で、栄養価がやたら高い。非常食の用途にも向いているとされているものだった。
日本にいたときにも似たようなものを口にしていた記憶があるので、なんとなく同じ感覚で食べ続けている。
そのまま何と無しにエレナの隣に腰を下ろして、画面を覗き込む。その事に気がついたエレナが親切にも投影範囲を広げてくれた。
映っていた番組はニュース番組であった。
独立都市内でも最も大きな放送局によるものである。大気に投影された画面の向こう側ではやけに美人顔のニュースレポーターが喋っている。背景に映っているのは食品生産工場であった。
『こちらは現場です。ここを初めとする複数箇所の製造物に異物混入が確認されました! 社は全品回収を宣言しており、すでにその作業を開始しているとのことです! この会社は対外機構軍への卸も担っており――』
画面上隅のテロップには「大手食品メーカーで異物混入!」の文字が大きく躍っている。
「……」
エレナが隣に座るクルスを見やる。
クルスも手にしていた袋のラベルを見やった。
画面に映るのと全く同じロゴが、そこには印刷されていた。




