喧々諤々 - III
アーマメント社所有、万能人型戦闘機技術開発研究所。
レフィーラの行政区が識別している都市分布図で確認すると、技術開発研究所があるこの地区は第二十一区画とされており、建設開始の前段階、設計当初から一般市民への開放を前提としていない、都市やその実質的な下部組織が利用することのみを目的として生み出された特殊区画であった。現在進行形で拡張中の海上都市の中でも、比較的新しく継ぎ足された追加区域である。
第二十一区画でも最も大きな敷地を占有しているのが、前述したアーマメント社所有、万能人型戦闘機技術開発研究所だった。敷地内には大型機を収納出来る屋外ハンガーが幾つも立ち並び、周囲には離陸場や管制施設すら存在する。それらが敷地面積の限られた人工島の上――それも一区画に集中してに存在しているのだから、それは驚くべき事実と言っていいだろう。
さらにその敷地範囲は上のみに留まらず、その下にまで及んでいる。
技術研究所地下には、細かく区分けされた幾つもの格納スペースが存在していた。屋外のハンガーと比べると、そこは幾らか整頓が成されているように感じられる空間である。
その場所を知る者達はそこを『地下』と呼んではいるが、レフィーラは海に浮かぶ海上都市である。まさか実際に地中を掘り起こして、その空間を確保したわけではない。
レフィーラは積層ギガフロート構造――つまりは幾つもの層を重ね合わせて生み出された人工島ということであるが、基本的にそこで暮らす都市市民達は一番上層である第一層の上に生活空間を整えて日々を営んでいる。
この海上都市で言う地下というのは、その第一層の下。第二層、三層へと海面下にずっと続いている層のことを便宜上『地下』と呼称しているのである。
「全く、この忙しいときに……」
開け放たれた搬入口から、巨大な積み荷を抱えた大型トレーラーが搬入されてくる。それも一台ではなく、三台。その脇では作業服を着た人間が手持ちの誘導灯を振って停止位置を調整している。
入ってきた車両後部の積み荷部分に砂色の保護シートを被せて衆目に晒されないようにしてはあるが、そこに浮かび上がってくる無骨な輪郭、そして十メートル近いその巨大さを鑑みれば、積み荷の正体が何かなど考えるまでもなかった。
「万能人型戦闘機」
搬入されるそれを見て小さく呟いたのはミュウである。
TXXのテストパイロットを務める軍用基準性能調整個体の彼女は、積み荷の正体を迷うこと無く看破したようであった。とはいえ、彼女の口調にはなんの感情も籠もっていない。その緋色の瞳を固定して、とりあえず呟いてみただけのようだった。
実際返事など求めてはいないのだろう。
彼女の横に並ぶヒバナはちらりと視線だけは向けてみたものの、石像のように微動だにしない彼女にすぐに興味を失って、視線をトレーラへと戻す。
もともと万能人型戦闘機の存在を想定して用意されたこの地下空間は非常に広大である。第二十一区画の地下には八メートルの巨大さを誇る万能人型戦闘機が悠々と移動出来るだけの通路が各所に存在していて、移送用のトレーラーが複数台入ってこようともさして窮屈さは感じられない。
ヒバナが忌々しげな目つきで搬入されていく車両を見やっていると、並ぶ大型トレーラーの最後尾に隠れるように付いてきていた通常車両が停止した。生意気なことに、走行に車輪ではなく静音式のフロート機構を採用した最新高級車である。
「あのモデル、私の給料で何ヶ月分だったかしらね……」
メーカーが販売を始めたばかりのものだったはずだが、この都市に到着したばかりのはずの人間がどこで一体仕入れてきたのだろうか。
ヒバナが目を細めながらそんなことを考えている間に、停止した車両の扉がスライドし、運転席の中から一人の男が降りてくる。その姿を確認したヒバナの眉間に寄せられていた皺の深さが一気に増した。
「ミュウ、相手が何か不審な素振りを見せたら無力化しなさい。相手の命は二の次。私の命が最優先よ」
「了解」
ミュウは万能人型戦闘機搭乗者としての能力を重点的に調整された個体であるが、人工筋肉への代替を始めとした強化処置を施されているために、その身体能力は生身の人間に劣るものではない。
軍用基準性能調整個体の少女の抑揚無い声を聞きつつ、軽い足取りで歩み寄ってくる男の姿にヒバナはつい舌打ちを漏らす。
「ち……、まだ生きてたのね」
「はっはっはっはっ、当然だ。腕の良い傭兵ってのは強い奴のことじゃなくて、生き残る奴のことをいうのさ。つまり凄腕傭兵クロード=ハンスマンは死なないって事だ。覚えておくといいぜ」
白い歯を見せてキザっぽく、もっともらしそうなことを口にするその男にヒバナは詐欺師を前にした表情を浮かべる。気取った様子を見せるその男の姿からは凄腕どころか、戦場を生業とする傭兵としての空気の欠片すら感じられなかった。
無論、自分は開発者であって兵士ではない。好意的に解釈するのならば素人には見破れないレベルの擬態を行っているとも考えられた。だがしかし、ヒバナには目の前の男がそこら辺にいる程度の人間にしか見えなかった。
暫くヒバナは胡乱げにクロードを眺めていたが、それすらも無駄な時間かと気がついて溜息を吐き出す。
「……悪いけど、こっちは今、色々と忙しいの。あんたの妄言に付き合ってる暇はないわ」
「忙しいねえ? ……横にいる子の紹介はないの?」
「見て分かるでしょ。軍用基準性能調整個体よ。それ以上でもそれ以下でも無いわ。詳細をあんたに説明する必要も無い」
「へいへい。あんた、前にあったときもそんな感じだったけどな。ちょっと心のゆとりが足りないんじゃないのか?」
「傭兵なんていうその日暮らしの人間からすれば、誰でもそう見えるかもね」
「ひでえ」
そう言って、情けない表情を浮かべるクロードの姿に少しだけ溜飲を下げた後に、ヒバナは視線を搬入されてきたトレーラーへと視線を移した。
見れば丁度、積み荷の姿を隠していた保護シートが作業員達の手によって剥ぎ取られるところだった。砂色の保護シートが開放されて風に煽られたように大きくはためき、その下にあったものの姿が露わになる。
万能人型戦闘機。
そこには全長八メートルをもつ鉄の巨人が静かに横たわっていた。
空を走り、地を駆け、周囲を蹂躙する。
世界最強と目される兵器群であり全線の恐怖の象徴。だが、それを専門に扱うヒバナにとっては起動していない万能人型戦闘機などただの見慣れたものでしかない。
遠目ではあるがその全容を一瞥して、ヒバナは小さく鼻を鳴らした。
「また今回は、随分と派手に壊してきたのね」
「おう。激戦だったぜ。なんせ今回は大物を二つも狩ったからな。必要経費って奴だが、流石にこれ以上は無理だからな。払う金に糸目は付けないから万全な整備を頼むぜ」
「お金だけじゃなくてデータもよ」
むしろヒバナ的には後者の方が貴重だ。
既に現行機である〈フォルティ〉は稼働して長いため、アーマメント社には充分な実戦データが集まってはいたが、その殆どが軍によって組織的に運用され収集されたものだ。
整備がなされ理想的な環境で理想的な運用が行われる軍の機体とは違い、傭兵達は開発者が想定する以上の劣悪な環境及び状態で兵器を用いることが多々ある。
そういった現場主義の実戦データは貴重であり、こちらの思わぬ盲点を教えてくれることもあった。
「おう、いくらでも持ってってくれ。累積した実戦データなんて俺には殆ど無用の長物だからな」
へっへっへ、と笑うクロードを無視して観察する。荷台に横たわる万能人型戦闘機の状態は一言で言って最悪であった。
基本となっているのはアーマメント社の商品である〈フォルティ〉であるが、戦場を渡っている間に傷つき、その度に現地で間に合わせの改修を行ってきたのだろう。複合装甲板は継ぎ接ぎだらけなのが見て分かるし、左腕部などは規格が違うはずの他社製品の腕がそのまま装着されている。その上で各所に弾痕や汚れがこびりつき、この機体が本来の仕様通りの性能を発揮出来ない状態なのは明らかであった。
「いやー、正面装甲を貫通してコックピット内に弾丸がめり込んできたときは流石の俺も死ぬかと思ったぜ」
「……そこは死んでおきなさいよ、人として」
喉元過ぎれば熱さを忘れるということだろうか。
笑い話のようにあっけらかんと言う男の神経がヒバナには理解出来ない。だが今もこうして生きているということは、凄腕かどうかはともかく、悪運は強いのだろう。
そうこうしている間に二台目のトレーラーに被さっていた保護シートも剥がされる。姿を現したのは一台目と同じく、万能人型戦闘機〈フォルティ〉の姿であった。だがその状態は随分と違っていた。
確かにあちこちに傷がつき、各部位ごとも随分と摩耗しているようではあったが、先に姿を見せた一機目のように無理な改修を行った痕跡は見えない。そこからは幾つもの戦場を渡り歩きながら、派手な損傷を貰うことが終ぞ無かったという搭乗者の腕の良さが現れていた。
「どっかの誰かの機体と違って、こっちは比較的簡単に済みそうね」
「嫌味か」
横から何か声が聞こえてきたがヒバナは無視した。
二機目の〈フォルティ〉はへたりが来ている部品を交換してやるだけでも十分だろう。いや、金に糸目は付けないと言っているので、多少なりとも損傷している装甲板も交換するべきか。だがどちらにしろ大した手間にはなるまい。
そう思っていると二台目の大型トレーラーの運転席から、小柄な人影がひょいと出てきた。美しくも若干の幼さを感じさせる、端整な顔立ちをした少女の姿である。彼女はヒバナを捉えると、きょとんと目を瞬かせて声を漏らした。
「――あ!」
白肌を持つ肩を剥き出しにした服装に、丈の短いスカート。ラフな格好をしたその姿は愛らしい、という表現も当て嵌めることも出来るが、この都市の技術者で、彼女の持つ瞳の色を見てなおもそんな感想を抱く者はいないだろう。
紅い、ガラスのような無機質な瞳。
軍用基準性能調整個体。それは彼女が戦うためだけに生み出された人造兵の証明に他ならない。ただし、少女はヒバナの知っているような軍用基準性能調整個体とは――今隣に並んでいるミュウのような存在とは違う。
それを証明するかのように、その赤い目を持つ少女はにぱっと子供のような笑顔を浮かべ、その後にこちらに向かって大きく手を振ってきた。
「あー! やっほー! ヒバナちゃん、お久しぶりー!」
天真爛漫――、と称せるごく子供さながらの自然な表情。
そこには取り繕いや、偽りはない。極自然に思って、感じたことを、あるがままに表現している、無邪気な姿。
中期以降に製造された、感情の昂ぶりや自我を極端まで薄められた軍用基準性能調整個体ではない。
彼女は一切の感情抑制を行われていない、今では極々少数しか現存していない初期型の軍用基準性能調整個体なのだ。
ぴょんぴょんと跳ねるような足取りでこちらに向かってくる相手に、ヒバナは再び深い息を吐き出す。
「ええ……、あなたは相変わらず元気で五月蝿そうね、ルネ」
「あーひどい。ルネはうるさくないでーす、ただ少しだけ口を動かすのが好きなだけでーす。……隣にいる子は? 軍用基準性能調整個体だよね? ねね、名前はなんていうの? 基本になった遺伝子モデルの管理番号は? 出身所は? ……その顔立ち、私と似てるけど、もしかして私と同列? てことはてことは――妹!? マイシスター!?」
「……」
勝手に盛り上がり始めて騒ぎ始めるルネに対して、ミュウは完全な無反応を貫いていた。完全な感情抑制を行われた彼女にとっては、たとえ相手が自分と似て非なる存在とて反応を示すに値するものではないらしい。
初期型軍用基準性能調整個体。
かつて感情の制御不能を起こして暴走し、その能力の高さも相まって甚大な被害をもたらした存在。それは忌まわしい記憶として、今ではこの海上都市の人間にとって半ば禁忌的な扱いだ。
記録上では事故後に制御不能を起こさなかった個体も含めて初期型の軍用基準性能調整個体は全て処分されたことにされているが、実際は違う。当時存在していた二千体のうち、レフィーラで処理が確認出来たのは約千八百。
残り二百近い初期型軍用基準性能調整個体の大半の所在は掴めておらず、当時の詳細に明るい研究員が制作した予測報告書には、うち百体ほどは確実に今後も生き残って稼働していくであろうと記されている。
ルネはその限られた生き残りのうちの一人だった。
「そっかー。話には聞いてたけど、ほんとに感情無いんだねー」
「……」
ルネはじっとミュウを見やる。
赤い瞳と赤い瞳。
同じ色彩を持ちながら異なる光彩を持つ二人の瞳が、重なり合う。合わせ鏡のように映り込む瞳を暫く覗き込んで、――暫く。
数秒間の後に、ルネはぱっと顔を話した。
「つまんないね」
そして一言。
それが全てだというように言い捨てて――その赤い瞳を今度はヒバナに向けた。
「いやーそれにしてもヒバナちゃんも歳とったねー。今何歳? もうおばちゃんじゃん」
すでに彼女にとってはミュウは興味の対象外ということだろう。もはや意識の欠片もやっておらず、ミュウもまたそのことを何か気にした様子は無い。
ミュウの物怖じせぬ言いようにヒバナは僅かに眉を顰めて、
「ルネ。あんまり女性に歳の話はしないこと。さもないと次の出撃であんたの機体は墜落するから」
「わーっ、うそうそ! ヒバナちゃん超若々しい! よっ、老化防止技術いらず! かわいいなー」
何も考えていなさそうな少女の発言に、ヒバナは溜息を吐く。
ルネの正体が半ば禁忌として扱われている初期型の軍用基準性能調整個体であるとか関係無しに、彼女と話しているとどうにも無用の疲れが累積していく気がする。
もうさっさと話を進めてしまおうと、ヒバナはまだ何事か調子の良いことを口にしているルネを無視して、その飼い主に視線を向けた。
「それで、運ばれてきた機体の修繕はいつまでに間に合わせておけばいいわけ? 急げって言うならそうするけど」
「ん? あー……、別にそんな急がなくてもいいぜ。ちょい暫くはこの都市に留まるつもりだからな」
「なんですって?」
予想してなかった言葉にヒバナは渋面と共にクロードを睨みつけた。
傭兵として各地を転戦しているこの二人の補給及び機体の修理などを請け負うのは初めての事ではない。だが彼らが海上都市に求めるのは補給所としての役割であり、活動拠点などではなかったはずだ。少なくともここ暫くのことでクロード達が都市内に長居しようとしたことは無かったのである。
「……あんた達、まさかこの都市で何か問題起こすつもりじゃないでしょうね。一応言っておくけど、そこまでされたら私も面倒見きれないわよ」
こうして補給や物資の融通程度ならば効かせてやることも出来るが、犯罪を犯した人間を庇ってやれるほどの力は無い。
柳眉を釣り上げるヒバナの視線に、クロードは面倒そうに肩を竦める。
「別に面倒は起こさねーよ。ちょっと野暮用があるだけだ。……それよりも、俺達が滞在中、機体はここに保管しておけるのか?」
詳しいことを説明するつもりは無い様子で、クロードは搬入作業が行われている機体を眺める。
そんなクロードをなおも胡乱げに見やっていたヒバナであったが、それも束の間。様子を崩さぬ相手に無駄と悟り、小さく息を吐き出した。
「……ここに置いておけるのはあくまで一時的な処置よ。整備が終わったら外周区行き」
「ええー。あそこきらーい」
若干頬を膨らませて不満げな声を漏らすルネだったが、無視する。
クロード達の機体は、T—XX開発のための資料用という名目でこの場所に運ばれてきているのだが、そういつまでも放置しておけるものでもない。データ管理上ではそれで誤魔化せても、実際に目に見られれば何かしらの追求は免れないだろう。
ましてやこれからはT—XXは実稼働試験が本格化するため、この区画の人の出入りもこれまでよりも多くなる。そこに武装まで施した万能人型戦闘機の現行機がハンガーに吊させていては注意を引くに決まっていた。
大抵の相手には機密情報を盾に押し通せるだろうが、さすがに会社の役員が視察に来た場合はそうはいかないだろう。
そのため、整備が済み次第それらの機体は人の目の付かぬ場所に移動させる必要があった。その点で考えれば、ゴースト達の住処になっている外周区は絶好の隠れ蓑である。公式に制定された区分的にはあそこは存在しない場所であり、都市政府も基本的には不干渉を貫いている。
「それで……」
修理後の機体の持ち運び先を口頭で伝えたあとに、ヒバナはかねてから気になったことを訊ねた。
「どうにも、持ってきたものがいつもより多いみたいだけど?」
険を含んだその視線の先には、最後尾に搬入されてきた三台目のトレーラーの姿がある。ヒバナの記憶が確かならば、クロードとルネは二人組の傭兵であったはずだ。いままで海上都市を訪れていた際も、常に整備を要求されたのは二人分の機体だけであった。
「適当な予備部品を運んできた――てわけでもなさそうね。ということは、そう、ついに二人旅はやめたってわけ。……ねえ、あんたがどう考えているのか知らないけど、私かこうやって色々と手伝ってやってるのは善意なんかじゃなくて、あんた達に昔作った借りがあるからなの。……あんまり門戸を広げられると上にバレてお終いになるわけ。あんたそこら辺、ちゃんと理解してる?」
「あー……いや……、一応そこら辺は俺も少しだけ迷ったんだ、ぜ? けどほら、恩人の頼みを無碍には出来なかったというかだな……」
険の籠もったヒバナの視線に、クロードは視線を逸らす。その様子は宿題をやっていないことをバレた子供のようでもあり、少なくとも戦場で生きる傭兵の姿ではなかった。
こつこつと爪先で固い床を叩きながら、ヒバナはクロードを睨みつける。
「恩人ってなによ?」
「ほら、さっき言っただろ。大物を仕留めたって。その時の最大功労者なんだよ」
大して興味も湧かずに受け流していたが、そう言えばそんなことも言ってたなと思い返す。話によれば機体の損傷もそれが原因だとも。
「……具体的にはなんなのよその大物って?」
「――あ、訊いちゃう? それ訊いちゃう? ……いやーしょうがないなあ。訊かれちゃったからなあ」
「うざい……」
むふふとクロードが神経を逆撫でするむかつく表情を浮かべた。どうしても自慢したくて仕方がないという風だ。その顔を見て今すぐ前言撤回したい気分になったが後の祭り。時を戻す方法は存在しない。
「はっはっはっは! 聞いて驚け、なんと俺達は「重機動要塞をやっつけてきたんだよねっ」ちょ、ルネさあああん!? 俺の台詞を取らないでくれませんかねえ!?」
むふーと鼻の穴を広げる少女に続いて男の絶叫が広い地下空間に響き渡る。
戯れ始める二人に呆れて一瞬聞き流しそうになるも、ヒバナはすぐに聞こえてきた言葉の意味に気がついて顔を顰めた。
「ちょっと……、重機動要塞って」
その表情と声音に浮かぶのは僅かな驚きと、多大な不信感。
耳に聞こえてきた言葉というのは、それだけ現実味の無い言葉であった。
「あんた達、嘘ついてるんじゃないでしょうね」
「するか。なんでそんな一ミリたりとも得しないことを俺がしなきゃいかんのだ」「いかんのだー」
失礼な、という二人の視線を向けられて、それでもなおヒバナは素直には信じられなかった。
戦闘用大型重機動要塞。
その外装の至る所に設置された精密射撃砲を始めとし、万能人型戦闘機の発着場及び整備拠点としての機能、さらには拠点破壊用の大型ミサイルを発射をするためのサイロを登載。さらに主砲として重金属粉を亜光速で発射し対象を溶断する重金属粒子砲をも装備する、現代の科学技術の粋が生み出した鋼の怪物。まさに動く要塞。
小国ならば一機で制圧も可能なほどの、この世界で現存する機動兵器の中でも最大最強の戦力である。
一度停止すれば再起動するのに三日を要し、さらには大量の燃料物資を底なしに消費するその機動兵器を保有しているのは現時点でも十にも満たない。付け加えれば、ヒバナの記憶が正しければ公式にも非公式にも撃墜記録が存在していない、無敗の怪物であったはずだ。
それを撃破したといわれても、そう素直には信じられなかった。無論彼らだけの実力では無く、当然前の戦場においての雇い主がいて、そこの勢力の戦力との協力の結果ではあるのだろうが――いや、だがしかし、それにしても……。
「おーい……、なんか悩んでるところ悪いんだが」
「何よ?」
刃物の切っ先のような凄まじい剣幕にクロードは一瞬怯みつつ、
「いや、運んできた三機目のことなんですけどね……」
「五月蝿いわね。安心しなさいよ、いらない心配しなくてもお金とデータさえ寄越せば修理しといてあげるから」
「あーと、そうじゃなくてだな。……その少しばかり、機体が特殊でな」
「特殊?」
「ああ、出自というか……持ち主がというか。正直俺も詳細は知らないのだけど。まあ百聞は一見にしかずていうし、見れば分かるだろうけど」
「あれ見たらヒバナちゃんも驚くと思うなー。私とクロも最初はすっごーい驚いたんだから」
「……?」
奥歯に物が挟まったような物言いをする傭兵二人にヒバナは怪訝そうな表情を浮かべた。
クロードは適切な説明の言葉を持っていないようなもどかしい様子であるが、ルネなどは明らかに楽しんでいる。とっておきの玩具を自慢する子供に似ているかもしれない。
「なんなのよ?」
二人の様子に眉を動かしながら、ヒバナは未だ姿を隠されたままの積み荷を見やった。
浮かび上がるそのシルエットから、積み荷の正体は十中八九万能人型戦闘機であることは間違いない。だがその保護シート越しの起伏は〈フォルティ〉に当て嵌まるものではないことはすぐに分かった。次点で可能性があるのはこの世界で最も流通数の多い万能人型戦闘機である〈ヴィクトリア〉であったが、その輪郭にも重ならないと判断する。
察するに相当カスタムを施した機体なのだろう。それこそ原型を留めていない程に。それは傭兵達が扱う機体には時々見られる傾向だった。
そう判断すると同時に、ヒバナの興味が一気に薄れる。
現地改造、あるいは改修といえば聞こえは良いが、その実体の殆どは損傷箇所の間に合わせ、応急処置である。あるいは正常な機体に非正規の強引な改造を施した結果、何かしらの無理や欠陥を生じさせていることが殆どだ。万能人型戦闘機の設計に携わる者としてもあまり好ましくない。
ヒバナの冷めた視線の先で、作業員達の手によって三台目のトレーラーに覆い被さっていた保護シートが剥がされた。
その中身を目にして、反応が薄れていた彼女の目が一気に大きくなった。
「な、ちょっと、これ……」
そこにあったのは随所に桜色が散りばめられた、白銀の機体。
その姿には〈フォルティ〉の面影も〈ヴィクトリア〉の面影も無い。いやそれどころかヒバナの知るどの現行機も、これと似た姿は持っていない。
強固な基本骨格を持つ下半身に対してやけに上半身が細く見えるが、恐らくそれは機体重量を抑えて搭載兵装数を出来る限り増加するためだろう。トレーラーの荷台に寝かされている今の状態では武装固定具には何も装着されていないが、戦場に出るときにはその軽量化した装甲分だけ増加した火力を装備していくに違いない。
兵士の帰還率を蔑ろにした兵器の在り方は、長期的に見て大きな損失にしかならない。それはもはやこの世界の戦争の常識である。搭乗者の生存性を犠牲に機体の攻撃力増加を図るなどという机上論が、こうして目の前に実在していることに驚きを禁じを得なかった。
だが、彼女が真に目を引かれたのは荷台に仰向けに固定されている白銀色の機体ではなく――いや、機体そのものにも色々と言ってやりたいことはあったが――その横に納められていた、兵器の姿である。
全高八メートルを持つ万能人型戦闘機基準で考えてみても大きいと感じられる、長大な全身。その全長は明らかに本体である万能人型戦闘機を超えていて――恐らく機体装備時は折りたたんでおり、使用時に限ってその長い砲身を展開するのだろう。その為に設けられた簡易な可変機構の部位があるのことが見受けられる。
だが注目すべき点はそこではない。
銃身下部にあるのは冷却剤の詰め込まれた大型タンク、銃身後部からマウントアームを伝って姿を見せているのは蓄電用のコイルか、あるいは発電機か。
いずれにせよ、通常の火薬を用いた砲であれば必要の無い代物だ。
大袈裟にも思える発熱の備えに、通常火薬兵器には必要無い電源ユニット。それらが意味するのは一つしかなかった。
「まさか――電磁投射砲……!?」
人目も憚らずに上げた驚きの声が響き渡る。二人のにやにやとした傭兵の視線が突き刺さるが、今のヒバナにはそれすらも気にはならなかった。
電磁投射砲。
一言で語れば、その兵器価値はとても大きい。
発射時に熱としてエネルギーの多くが失われる火薬兵器よりも遙かに高速で砲弾を発射することができ、貫通力や破壊力が増す。また廃莢が存在しないために機構の単純化が計れ、連射力の増加も見込める。
次世代兵器の一つとして、電磁投射砲の研究はここ海上都市レフィーラでも行われている。だが、レールの耐久性や膨大な電力の確保、冷却の問題により、未だ拠点に配置されるような大型固定砲台として用いるレベルでしか実現していない。
技術都市を自認するレフィーラでも未だ実現していない理論兵器。
それが今――、万能人型戦闘機が扱えるレベルまでの小型化を果たして実在している。
「………………、」
言葉も失って暫し呆然としていたヒバナであったが、ふと思い出したかのようにクロードへと視線を動かした。――のみならず、勢いよく襟首を引っ掴む。
「ちょ、ちょっと、あれはどういうことよ!? なに!? あ、もしかしてハリボテってこと!?」
「なっ……!? ちょ、おい……だああー!? お、落ち着け! 首を振るな! 曲げるな回すな折るな!」
「落ち着けるかぁっ! あんた、さっさと説明しなさいよ! さもないとオンボロ機体を分解してジャンク屋に売り払うわよ!」
「人の商売道具で何しようとしてんだてめえ!? ――するっ! 説明するって言ってるだろうが! だから少し落ち着け、あんた!」
完全に泡を食った状態のヒバナに、クロードが叫び声を上げる。
その様子をネルはけたけたと楽しそうに笑いながら眺め、ミュウは眉の一つすら動かさず――、
「……なんか、時間の割に対して話が進んでいないみたいだけど」
その声が聞こえてきたのはちょうどその時であった。
決して大きくはない、透き通った鈴音のような声。だがそれは何故か不思議と、この広い空間を持つ地下格納庫にそっと響き渡った。
声を荒たげていたヒバナも思わず口を止めて、ついでに目の前の男の襟首を掴んでいた手も離して、声の発信源を見やった。
氷のような美貌を持った少女がいた。
ヒバナはその姿に息を呑んだ。
一瞬軍用基準性能調整個体かとも思ったが、そうでないことは彼女の瞳の色が証明していた。深い、見る者の意識を沈み込ませるかのような海色の双眸。それは、硝子玉のような無機質な光沢を持つ軍用基準性能調整個体の赤い瞳とは何もかもが対称的であった。
人工照明の光を反射して、少女の銀糸のような髪が静かに輝きを纏っている。
飾り気の少ない、身体の輪郭が浮きがある服装。素人でしかないヒバナの目を持ってしても、彼女の身体が無駄なく鍛え上げられて出来ているのだということは容易に理解出来た。人に見せるためではない、戦うための、兵士が持つ身体。
そんな彼女の海色の瞳を向けられて、ヒバナは思わず逃げるように視線をその隣にいるクロードへとずらして、訊ねた。
「……この人は?」
「あー……、ほらさっき言っただろ。恩人だよ恩人。ついでにいうと、電磁投射砲を使って超遠距離から重機動要塞の動力部を正確に撃ち抜いた凄腕の搭乗者でもある」
その説明にぴくりとヒバナは反応した。
つまりは、このどう見ても年下の少女こそが、あの機体及び電磁投射砲の持ち主ということか。
途端、ヒバナの頭の中で思考が高速回転する。
欲しい。是が非でも、電磁投射砲のデータが、あわよくば実物が欲しい。それは個人としての、そして研究者としての欲望である。目の前にある見知らぬ技術の結晶、それを欲さない研究者などいるはずがない。いたとすれば、そいつは直ちに職を追われるべきだ。
だがその反面で、冷静な思考が言っている。
見たことない機体に、万能人型戦闘機で運用可能まで小型の成された電磁投射砲。そして乗っているのは、軍用基準性能調整個体でないにもかかわらず、若すぎると言える範疇の少女。加えて、連れてきた人間の証言を信じるならば、凄腕の搭乗者であり、重機動要塞にとどめを刺した実行犯。
得た情報を並べただけでも、ありえない組み合わせだと分かる。恐らく自分には荷の重い厄介ごとを抱えているのは間違いないだろう。保身を考えるならば、交流を持つべきではない。そういう存在だった。
人には見えぬ思考の中で欲望と理性の天秤がぐらぐらと揺れる最中、口を開いたのはその銀髪の少女だった。
「あなたに幾つか頼みたいことが。それを受け入れてくれるならば、この機体で得ることの出来る情報を好きに扱って構いません」
「な……、何かしら?」
思わず条件を問い返したのは、決して打算の果てに出した結論では無かった。
むしろ比重的には必要限の整備や修理を行ったとは、関わりを持たずにおさらばしようという、安全策のほうに傾いていた。
だというのに、少女の感情の見えぬ深い瞳に見つめられて、ヒバナは動きを止めて声を漏らしていた。
ヒバナは基本的に相手が誰であろうと思ったことは遠慮せずに発言するし、人見知りをするような可愛い性格でもない。
だが恥を忍んで言うならば、ヒバナは今、明らかに年下の少女相手に気圧されていた。
深い蒼色の瞳に見つめられるだけで、身体の芯の体温が徐々に奪われていくような――そんな錯覚さえ覚えたのだ。それこそ相手の提案を断れば、自分はこの場で殺されるのではないかと、そんなありえない想像が脳裏を過ぎるほどに。
そんなヒバナの様子を眺めながら、何を思っているのか悟らせぬままに銀髪の少女は口を開く。
「一つ目の頼み事ですけど。私は人を探してるんですが、この都市では住民検索をすることは出来ますか?」
一応の敬語を使ってくる少女に理由の説明出来ない寒気を感じながら、ヒバナはそれを表に出さないよう堪えながらどうにか口を開く。声は震えてはいなかったはずだが、それも完全には自信が無かった。
「……出来はするけど、情報管理機にアクセスするには二級以上の市民IDが必要よ。……大した手間でもないから相手の名前を教えててくれればこちらで調べておくわ」
「そうですか。……じゃあお願いしたいんですが」
少しだけ悩んだような素振りを見せた後に、その少女はヒバナを見た。
深い海色の瞳を正面から見て、ヒバナは思わず吸い込まれそうになる。美しく、綺麗な輝きなのだが。
――何故だか、この少女の目を見ると無性に不安を掻き立てられる。
「紫城稔、レジス。この二つの名前で検索をお願いします」




