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プラウファラウド  作者: ドアノブ
閑話 
53/93

喧々諤々 - I

 

 広がるのは網膜を染め上げるほどの蒼。

 空と海、二つの蒼が彼方まで伸び続けたその景色は遙か過去、数千数万と時が経っても変わらずにあり続ける貴重な姿だ。強い日差しを受けて海面が白く輝きを放ち、その上を海鳥たちが翼を揺らしながら滑っていく。

 

 周囲に島影すら存在しない大海の真ん中。

 だが上空からよくよく目をこらしてみれば、海面から不等間隔に突き立っている巨大な白い杭の存在を見つけることが出来る。太古から存在する雄大な光景に紛れる、白い光沢を放つ異物。

 詳しい者が見ればその処女雪のような穢れない壁面に、防腐、耐衝撃、自然浄化――様々な特殊加工が施されていることが分かっただろう。


 それは科学技術を発展させ続けた人間が幾重のもの試行の果てについに実現させた、人工島の姿であった。ただし、積層ギガフロート構造を用いて建設されたそれらの殆どは、無人である。海面に点在する白い杭の姿をしたそれらは人の移住を目的としたものではなく、海中に張り巡らされた真空トンネルを繋ぐための中継地点でしかない。

 全長約二千キロメートル。

 摩擦力と空気抵抗を極限まで廃し、その空間を行き交う特殊車両は音速の八倍。

 防衛の観点にいくつかの難は抱えるものの、それにかかるコストを考えても空輸、海輸を遙かに凌ぐコストパフォーマンスと速度を実現する輸送手段である。

 その余りにも長大な真空ラインは幾つもの中継地点を経由して、陸上のある都市と、海上に存在するある都市を繋げている。


 陸に存在するのはアルタス。

 勢力圏内に稀少鉱石(レアメタル)の鉱脈など豊かな資源を内包する土地を抱え込み、その利権を狙う隣国と長年戦争を続ける独立都市。

 そうしてもう一方。

 真空トンネルを介して繋がった、独立都市アルタスと強固な同盟関係にある海上都市。 


 積層ギガフロート構造を用いて海上に造り出された人工島の上に築き上げられた、白亜の高層建築群。都市を覆い込むように張られた透過性の高効率太陽光発電パネルをすり抜けて降り注ぐ強い日差しが、聳え立つビル群の窓硝子を幾重も反射し、見るものを魅了する複雑な輝きを放っている。ある雑誌のコメントでは『万華鏡のようだ』とも称される幻想的な都市。

 それが海上都市レフィーラである。


 実際、それは大したものだった。 

 途切れること無く続く戦火で各地の荒廃が広がっていく中で、人工的に生み出された楽園。世界で最も美しい都市とも呼ばれ、その姿を一目見ようとする観光客や移住を求める人間も少なくない、発展著しい先進都市。

 都市内部には各種農林水産区、工業生産区が配置され、たとえ外界から孤立しようとも、半世紀以上は自給自足で都市機能が維持出来るように設計されている。また周辺海域の地底には幾つかの鉱山が存在しており、想定範囲をそこまで広げれば孤立時の都市機能の想定維持時間は大幅に更新される。

 海上に浮かぶ美しい白亜の都市は、同時にそれ一つで完結した世界を保つ箱庭でもあるのだ。




「ふっっざけんなあぁっ!!!」



 その中の一角。 

 海上都市レフィーラに本社を構える企業がある。

 この争いの途切れない世界において圧倒的な需要を誇る戦闘兵器――取り分け万能人型戦闘機の開発を中心とする工業メーカー、アーマメント社。

 複数存在する兵器製造企業の中でも市場のシェアは決して大きくないが、それは販売先を極端に限定しているからである。技術都市を自認するレフィーラの支援によって設立、運営が成り立っているこの企業は、技術漏洩の観点から海上都市と親密な関係にある勢力にしか製品の販売をしていない。


 だが、市場の広さと性能は決して比例しているわけでは無い。

 都市政府から与えられる豊富な予算と陸の同盟都市から優先的に輸出されてくる資源を背景に生み出される兵器の質は、他企業製の同世代のものよりも一歩抜き出てた位置に存在しており、それは実際の戦場でも実証済みである。特に国力では大きく劣る独立都市アルタスが、アーマメント社製の兵器を用いてその隣国メルトランテの侵攻を長年に渡って阻止し続けているという事実は、業界において大きな語り草になっていると同時に、企業の良い宣伝にもなっていた。

 


「後から出てきて、そんな横暴が認められるか!」

「ま、まあまあ落ち着いてください……ヒバナ開発主任」



 アーマメント社本社ビル最上階付近の一室。

 そこはアーマメント社の中でも重要度の高い案件を検討する際に用いられる、多目的会議室だ。そのばで語られるのは技術発展の方向性の模索であったり新技術開発の報告であったり、末端の平社員がいるような場ではなかった。

 部屋の中央にある円形に設えられたテーブル。その外周に沿うようにして、幾人もの者達が腰を下ろしている。その場にいる全員が社内でも相応の責任を持つ人物であることは間違いないが、大きく分類すると、それらは二つの種類に分けることが出来た。

 一つは人工化学繊維によって上等に設えられた高級スーツを着た者達。何人かの例外はいるものの、その殆どは年を重ねた人物達であり、彼らは皆、アーマメント社にまだ名がなかった頃からその発展に尽力してきた功労者達であり、現役員の幹部でもある。


 それら役員達と比べると、もう片方の者達は異色に見える。

 彼らが着ているのは役員達のようなスーツでは無く、汚れ一つ無い白衣であった。それを着ているということは、その者達が経営者では無く技術者であるということの証だ。

 そして円形のテーブルの右と左に分かれて専ら声を荒げているのも彼らである。それを見やるスーツ姿の者達は皆一様に、少々困ったような表情を浮かべていた。



「近接戦闘時の強度試験に最大加速時の動作試験。こっちは既に全試験項目を終了目前に控えた先行試作機もあるっての! 今更それを白紙化ってどういうことよ!」



 そう鬼の形相で叫び声を上げているのは、現在進行中の新型万能人型戦闘機の開発班主任のヒバナである。顔立ちだけならば整っているのだが、思ったことをずけずけと言う明け透けな性格と、技術者にありがちな自身にズボラな性質から、色々と損をしている女性である。「磨けば光るのに誰も磨かないんだよなあ」とは彼女の部下が酒の席で漏らした言葉であった。なおその部下は後日、格納庫にあった試験機体の股下に裸で吊されているのが見つかっている。



「だから、何度も言ってるじゃないですか」



 そう溜息交じりに言葉を漏らしつつ、対面を見やる男性。彼は目前にある鬼角を生やしたヒバナにも怯まずに――むしろ面倒そうな様子すら見せつつ、一瞥して、



「そちらの機体は白紙化じゃなくて、予備用のセカンドプランに移行するだけだって」

「それがおかしいって言ってるのよ!」



 間断を置かずに高い声が飛ぶ。

 一際大きなその声に、役員達は身体を震わせた。その中には現社長もいたのだが、ここ数年でめっきり頭髪が薄くなったこの場の最高責任者は、汗を垂らしながらおろおろと視線を彷徨わせているばかりである。

 ヒバナはそんな上役であるはずの彼らを一顧だにせずに、出会って以来の宿敵である男を睨みつける。



「なんで今更! 〈フォルティ〉後継機の計画は我が開発班が提案したT—XXで決まっていたはずでしょう! もう既に、こっちは後半年も待たずに量産に移行出来る状態にあるのよ!?」

「それはあくまで、そちらの先行試作機が残りのテストで問題を起こさないっていうのが前提でしょう」

「それでも今から計画始動しようって言う奴らよりはよっぽど早く出来るっての!」


 

 その男の名前はアモン=ロウという。

 同じ開発部に所属する、謂わばヒバナとは同僚の間柄ではあるが、その仲は決して親密なものではない。同じ部署でも所属する班が違うために、お互いの案を上に通すべく競い合う関係だった。特に入社時期も年齢もほぼ同じ事とあっては意識せざるを得ない。この企業に務めてもう十年近くなるが、ヒバナは昔からこの男が気に入らなかった。

 特に今回は最悪、ある意味で格別である。

 これほどまでに腹立たしいのは初めてであった。


 だがそんなヒバナの鮮烈な怒りを受け流すが如く、アモンはもっともらしく指を立てて話し始める。その仕草がヒバナの神経をまた逆撫でするのだが、その事実に目の前の男は気がついているのだろうか。



「こちらの案が採用される理由は二つです。一つは最大の取引先であるアルタスで停戦が決定したために、新型機配備の緊急性の割合が低下したこと」



 その言葉に、ヒバナは一応は口を噤む。

 業腹ながら相手の言葉に含まれた事実を認めたからである。

 現在、アーマメント社で製造される兵器のうち、最大の受け渡し先は独立都市アルタスである。長大な真空トンネルとその中を走る特殊車両によって海上都市と独自の交易ラインを築いているアルタスは長年に渡って兵器を購入し続ける最大手の良客であり、その供給量はレフィーラをも上回っている。


 そのアルタスが隣国との戦争の停戦を宣言したのが僅か数日前のことだ。その期間は一年。両国家の采配次第で幾らでも狂う心許ない目安ではあるが、兵器の配備にある程度のゆとりが発生したのは間違いない。

 その報を知ったときにはT—XXの調整がじっくりと出来ると笑みを浮かべていたが、まさかこんな事態になるとは思いもよっていなかった。


 一先ずは口を閉じたヒバナを確認して、アモンはもう一本、見せつけるように指を立てる。



「そして二つ目。……まあ説明するまでもありませんが」



 そう呟くように言って、



「紙面上の数字を見比べればどっちが優秀かなんて一目瞭然ですから」



 アモンはにっこりと笑う。

 次の瞬間、ヒバナは額に青筋を立てて火でも吹きかねない勢いで叫び声を上げた。



「ふ、ふざけんなーっ! こんなめちゃくちゃな数値、信じられるか!」



 それだけではなく、今度は勢いよく両手をつけに叩きつけて立ち上がる。バンッという音に、彼女の隣に座っていた役員がひいと小さな悲鳴を上げた。



「いくら何でも、盛るにも限度があるだろうが!」



 そう言って、叩きつけられた彼女の手の下には数センチの厚さになっている紙の束がある。社内の重要機密なのでこの室内を出るときには裁断処分することが義務づけられているものなのであるが、それはともかくとして。


 その紙面には幾枚にも渡って、アモンが主任を務める開発班が横やりで提案してきた新型機の仕様が記されていた。

 新型の兵器開発――それも対象が万能人型戦闘機となれば社運を賭けた一大事業である。そこにかかる費用は莫大なものであり、提案されるものを幾つも幾つも掬い上げていくわけにはいかない。そんなことをすれば新型の完成待たずして会社は潰れてしまう。

 そのためまず最初に、いくつかの計画を立ててを書面で審査する。性能はもちろんのこと、将来的な生産性や開発コスト、将来的に見込める発展性、技術発達の貢献度――。

 提出された開発計画は、多方面の観点から様々な分野の専門家達から精査されることとなるのだが。


 はっきりと言えば、この紙面上のスペックはそこそこに盛って記すのが通例であったりする。理論上は可能です、限定環境下においては再現可能です、将来的には実現出来ます――そんな曖昧な数値をさも通常状態においても実現出来るかのように書いておくのである。

 自分達の案が採用されるために根付いた技術者達の悪しき習わしではあるが、もはやこれは慣習と言ってもいい。ヒバナもT—XXの仕様書を提出した際には似たようなことをしているので、盛るという行為自体はある程度許容出来る。それはいい。


 だが今回、目の前の男から提出された新型機の仕様書に記されていた各性能数値は、どう考えてもその『ある程度』の範疇を逸脱していた。



「何なのよこの数字は! あんた正気!? 馬鹿じゃないの!?」



 咎人に対して詰問する口調そのものでヒバナが声を上げるが、その相手である男はヒバナの神経を逆撫でするかのように眉を動かして見せる。自分に非など無いと物語っているアモンの態度に、ヒバナは腹の底が煮えたぎるような感覚を覚える。



「何と言われても……、こちらが提案する新機体――通称T—XFの性能数値ですが」

「あんた、暫く顔会わさないうちに脳みそでもカビさせたわけ!? まさか、一から全部言ってやらないと分からないとでも言う気!?」

「ふむ。ご不明な点があるならお聞きしましょうか」



 あくまでも余裕の表情を崩さずに話を促す天敵の様子に、ヒバナは口元を振るわせながら――断じて笑いそうになっているわけではない――相手の顔面に拳を叩きつけることを夢想しつつ、それでもどうにかわき上がる感情を抑えつつ、ゆっくりと言い聞かせるように口を開いた。



「いいわよ……! 説明しなきゃいってやらなきゃ分からないって言うなら、してやろうじゃないの……!」

「御拝聴しましょう」



 アモンの声を聞く度に、イライラと胸の内に秘められている怒りのボルテージが上がっていくことをヒバナは自覚しつつ、



「じゃあまず最初、一番目に付くから言わせて貰うけど! 何よ、この機体速度は!? 高度六千以下における最大速度千百って……、こんな数字、誰が信じるのよ!」


 

 罪を叩きつけるように言い放つ。実際彼女からすれば、その心意気そのものであった。

 紙面に記された数字は、ヒバナからすればおおよそ信じられるものではない。そこに提示された速度は現行機である〈フォルティ〉に近代改修を施したものと比べても一・三倍以上の数字であるのだ。これは最早、万能人型戦闘機の区分の中でも速度を追求して生み出された軽量機の領分である。



「あんた、次期主力万能人型戦闘機に求められる基本理念が何だったか忘れたの!?」

「はて。確か『今後登場するであろう次世代機よりも一歩先を行き、優れた拡張性と万能性を併せ持ちつつ、将来的にも発展余地のある先進的万能人型戦闘機』だと記憶してますが」

「その通りよ! 分かってるなら……、なんであんたのところの班は軽量機なんか提案してきてんの!?」



 万能人型戦闘機。

 幾つもの兵装バリエーションパックとフロート機構により、高空、地上、水上と活動範囲を選ばない大型機動兵器であり、今では各勢力の主力戦闘兵器として戦場に君臨している。

 その開発は万能人型戦闘機が歴史に登場して以来様々な方向性が模索され、その系譜は兵器としては異例なほどに多岐に渡っているが、近年では概ね一つの方向に収束し始めている。

 あらゆる状況にも適応し、対応が出来て、汎用性が高く、また操縦に癖が無く比較的容易に搭乗者の育成が行える、戦場を政治や盤面として捉える俯瞰者達が求める兵器としてのニーズに応えた形。

 俗に中量機などと称されるそれらの機体群は、戦場に求められるべくして生み出された一つの答えであった。



「この場に求められているのは大量生産を前提とした汎用機でしょうが! 軽量機区分の機体なんて、アホかー!」



 会議室に響き渡る大声に、アモンは眉を顰める。

 彼としても、まあ、ヒバナの言わんとすることは分かる。


 万能人型戦闘機の開発黎明期には多脚型、無脚型、逆関節等も存在はしていた。軽量機もそういったなかの一つではあるが、今までにそれらが完成形として正式採用され、量産されたケースは殆ど存在していない。それぞれに注目すべき点は存在するものの、同時に見逃せない欠点も存在するからである。

 軽量機区分に関していうならばその欠点は至極単純なものであった。すなわち、万能人型戦闘機でありながらあまりにも汎用性に欠けるためだ。


 軽量機はその頭一つ抜き出た速度から短期的な、或いは小規模で限定的な戦闘ではその攻撃的な性能を遺憾無く発揮するものの、その速度を実現するためには機体の軽量化が必須であった。

 そのため装甲が薄く地上戦時に歩兵の壁としての役割も務めにくく、搭乗者の生還率に不安が生じ、さらには一度に搭載していける兵装数も限られる。また軽量故に機体の設計に余裕が無く将来的な発展性に欠け、さらには搭乗者の育成も時間が必要。

 少数のメリットに付随する多数のデミリット。各勢力で軽量機が主力採用されないのも当然であった。 

 現在、軽量機の殆どは技術開発の際に副産物として生み出される実験機扱いであり、極々少数存在する実戦機もその用途は限定的であり、汎用性に富んだものではない。


 確かに、軽量機では〈フォルティ〉の後継機としては相応しくないだろう。ヒバナの怒りももっともかも知れない。

 だが、そもそもの前提が違う。



「どうも勘違いしているみたいですね。中量機、軽量機などという曖昧な区分で話すのは技術者としては不本意ではありますが……、次期主力万能人型戦闘機T—XFは決して軽量機などではありません」

「そんなの……!」



 その言葉に音が聞こえてきそうな程にヒバナは奥歯を噛みしめる。

 彼の言葉通り、T—XFが仕様書通りの性能を実現するのだとしたら、確かにその機体は軽量機の範疇に収まらない。何故ならば、その装甲の耐久性能数値は既存機の〈フォルティ〉を上回っているからである。


 いやそれだけではない。

 速度や耐久性はもとより、機体の目となる複合感覚器の感度や探知範囲、機体各所の可動域、人工筋肉の収縮速度や伝達率、連続稼働時間、内部蓄電量、基礎フレームの対応性、関節部の駆動を補助するサーボモーターの出力――存在する様々な要素を抽出して見てみても、T—XFが持つその数値は既存機を大きく上回っていた。

 いやそれどころか、次期主力万能人型戦闘機としてヒバナが主任を務める開発班によって設計されたはずのT—XXすらの性能すらもほぼ全てを凌駕している。

 それはつまりT—XFが次世代どころか、更にその先に存在するであろう技術水準で生み出されたということを意味する。


 だがそれはありえない。

 技術の発展とは積み重ねである。新たな法則が次々と発見されていた黎明期ならともかく、今の時代は分からないことの方が圧倒的に少数。実体の無い情報という概念すらも数字で表すことの出来る世の中だった。

 何かしらの新発見によって既存の技術を数世代先まで推し進めるなど、お伽話のような過程だ。

 唯一の例外が傭兵派遣などと言うわけの分からないことをしている企業であるが――中途をすっ飛ばしてその領域にまで足を踏み入れたとはヒバナには思えなかった。


「……つまり、あんたのところのT—XFは現行の既存機の全てを大きく凌駕するスーパーマシンって言いたいわけ」

「ええ、そうです。〈フォルティ〉よりも速く、軽く、固く。……『今後登場するであろう次世代機よりも一歩先を行き、優れた拡張性と万能性を併せ持ちつつ、将来的にも発展余地のある先進的万能人型戦闘機』……この理念にT—XFは不足無いと思いますがね。――強いて短所を上げるならば……、T—XFは前世代機からの流用部品が殆ど存在しないために暫くは値段の高騰が起こりそうなところですか。まあそれも量産を続けていけば次第に収まるでしょうがね」



 生産する数を増やしていけば、その単価は下落していく。当然の流れである。ましてやTXFが実現すれば、その存在は長期にわたって戦場の覇者として君臨していくことになるだろう。運用時間が長ければ生産数も増える。生産数が増えれば価格も落ち着く。それを考えれば、初期コストの高さなど大した問題ではない。

 アモンの余裕ある口調は言外にそう物語っていた。

 そうしてから、ふと思い出したように肩を竦めて見せる。



「……というか既存機の性能を凌駕する機体というのはあなたのところのTXXも同様でしょう」



 たしかにT—XXは〈フォルティ〉を始めとする現行機を上回る性能を実現している。だがそれは一般的な技術の進歩に基づいた実直な姿であり、次世代技術を背景に抱えた高性能機の範疇は出ていない。



「中量機の〈フォルティ〉より固くて、軽量機の速度!? そんでもって高性能索敵機能! わあ素敵! 馬鹿じゃないの! 子供が考えた最強ロボットじゃないの! そんなのはアニメ、漫画、ゲームの中だけにしておきなさいよ!」

「いやあ、技術は日進月歩。各担当技術者達がよく頑張ってくれました」

「過程が存在しないじゃないのよ!? 技術はどっかから降って沸いてくるわけじゃないのよ!?」

「――――」



 この場に置いて、初めて。

 ヒバナが言い放ったその言葉を聞いたアモンの表情の中に、僅かに苦いものを含んだような色が浮かんだ。魚の小骨が喉に引っかかったときに浮かべるような、ほんの少しの痛みを感じた顔である。



「……?」



 その変化を目聡くも見逃さなかったヒバナは、その理由が一体何なのかと考え、だがそこをどうにか問い詰めようと何か言う前に、今まで沈黙していた者の声が会議室に響き渡った。



「あー……、両者とも、そろそろいいかな」



 場を支配する……、というほど威厳に満ちたものではない。

 それはともすれば頼りなさすら感じさせるようなものであったが、自然とその場の空気へと浸透していった。頭に血が上っていたヒバナも、それを相手にしていたアモンも、お互いに口を閉じて声の発信源を見やる。

 そこにいるのはアーマメント社社長の姿である。

 二人の視線を一身に受けた社長は一瞬、怯んだように身を竦ませたが、それでも一つ咳払いをすると、恐る恐ると言った風に口を開いた。



「ええと、それでアモン開発主任」

「はい」

「T—XFの開発進捗状況はどうなってるのかな?」



 その言葉にアモンは一瞬視線を泳がせたが、それを周囲に気がつかせぬようすぐに気を取り直して社長の顔を真っ直ぐに見据えた。



「進捗は極めて順調と言えます。基部フレームを構成する特殊合金や新型の複合装甲板に使う新素材などの開発はすでに九割終了しており、新型エンジンも既に実験機へ搭載、実動負荷試験へと移行しています」

「え」



 どこからか一瞬、小さな悲鳴がヒバナの耳に聞こえてきた気がしたが、その場にいた他の者達はなんの反応も示していない。気のせいかと、ヒバナもすぐに勘ぐるのを止めて、社長と会話をしているアモンへと視線を向ける。



「なるほどね、それは良い報告だね。…………ところで、君の隣に座っている子の顔色が悪いようだけど、大丈夫かい?」



 社長の言葉を聞いてヒバナも視線を僅かにずらすと、なるほど。たしかに、アモンの横に座る女性研究員――確か名前はシオンと言ったか――の顔色が悪く見えた。よく観察すれば、じっとりと汗をかいているのも確認出来る。空調が完璧に効いているこの室内でその様子では、そうとう辛いのだろう。

 とはいえ、そこまで気にするほどでもない。何しろ計画の進退を決める会議当日だ。きっと今日の朝まで資料漁りに追われていたに違いない。この職では誰もが経験する道である。


 思いやりを見せる社長の言葉にたいして、アモンは穏やかに頷いて見せた。


「ええ。少々疲労が溜まっているだけですので、会議が終わればゆっくりと休ませますので大丈夫ですよ」

「そうかい? 君たちは我が社の大切な人材なのだから、体調管理もしっかりとしてくれよ」



 そう言われて、そのシオンは顔を青ざめさせたまま勢いよくこくこくと無言で頷いてみせた。その様子をヒバナは怪訝そうに見やったが「ヒバナ開発主任」社長のその呼び声にすぐに意識を切り替える。



「はい」

「T—XXの状況はどうなっているかな」

「……すでに完成機とほぼ同一の性能を持つ先行試作機を用いた、最終機動試験を再来週に控えた状態です」

「うん。それで、実機とその先行試作機の違いは?」

「概ねは同一……。ですが、一部機体に影響が無い範囲において〈フォルティ〉の予備部品を利用している状態です。また現状では航空電子機器(アビオニクス)の一部が完成しておらず、こちらも〈フォルティ〉のものを使い回しています。計画全体の進行率は約七十九パーセント。概ね予定通りかと」

「なるほど」


 

 演技かかった様子で社長は一つ頷く。

 その仕草が何だか疳に障って、ヒバナがつい目つきを険しくすると社長が慌てて視線を逸らした。そしてからすぐにはっとした様子を見せて、



「あー……、まあ、ともかく。T—XFは開発を続行してくれ」

「それはつまり……――」



 最後まで言い切ることも無く、ヒバナは拳を握りしめた。短く切った爪が痛いほどに手の平に食い込んで、深い跡を刻みつける。

 その言葉はつまり、T—XXは次期主力機の座からセカンドプランへと格下げを意味する言葉に他ならないということだった。


「…………ッ!」


 胸中に激情と薄暗い感情が入り交じった複雑な模様が渦巻いていく。

 こんな馬鹿なことがあるのかと、思う。年単位で進めてきた計画が、横から出てきた突拍子も無い机上論によって無に帰そうとしている。それはまるで、自分のこれまでの行いが全て否定されたかのような心境だった。

 憎悪と悲痛さが入り交じったヒバナの表情に、アーマメント社の社長は額に汗を流しながら慌てて言葉を続ける。



「えー……、だが、一部の者達の間から、これではヒバナ主任があんまりではないかという声も出てきている」

「……………………社長?」



 予定外の言葉を聞いたかのように、アモンが最高責任者の顔を見やる。

 それはヒバナも同様であった。

 一体この人物が何を言い出すのかと、事前にあった感情と困惑が入り交じった複雑な表情を浮かべながら、見やる。



「実際、彼女たちが開発したT—XXは他の候補機を様々な面で上回った優良機だ。その事実は間違いない。……そこでだ」



 怪訝そうなアモンの視線を意図的に避けるようにアーマメント社の社長は視線を泳がして、



「日程は未定であるが、T—XXとT—XF二機種による選定試験を行っていこうと思う」

「ちょ、え……社長、本気ですか!?」



 ここで初めて、アモンが慌てた声を漏らした。

 ヒバナを相手にしていたときとは違う、彼のその様子は明らかに動揺していた。

 社長は僅かに申し訳なさそうな色を顔に滲ませつつ、小さな苦笑を浮かべる。それは決して力強いものではなかったが、人の温かさが混じった笑いだった。



「幸いにして、時間的猶予はあるからね。君には少し申し訳ないけど、そういうことになる。技術発展の面から見ても決して無駄にはならないだろうしね。……それに、やっぱり僕は人の行動って言うのはそう簡単に無碍にするものではないと思うんだよ」



 その言葉にアモンは暫く目を瞬かせてから、社長と同じような苦笑の混じった吐息を小さく吐き出して、



「……選考試験に出せるレベルの実機の完成となると、まだ大分時間がかかると思いますが」

「まあ、それはしかたがない。T—XFは大分後発だからね。だけど、先程の話を聞く限り、T—XFの開発は大分順調に進んでいそうだからね。「え」早めを期待しているよ――後日、開発計画の予定表を提出するように。……それと君の隣の子、本当に大丈夫かい?」

「は、はい」



 その言葉にアモンはどこかぎこちない返事を返す。その横では彼の部下であるシオンが相変わらず顔を真っ青に青ざめさせていた。そんな二人を僅かに不思議そうに見やった後に、社長はヒバナへと視線を移し、



「そういうことで、ヒバナ開発主任もいいかな?」



 そう問われて、ヒバナは否応なしに頷いた。



「はい。私としてはきちんと選考の場をいただけるのならば、何の問題もありません」

「うん。期待してるよ」



 そう言ってここ数年で頭が薄くなり始めた社長は人好きされそうな笑いを一つ漏らすと、今回の会議の終了を宣言した。









 会議が終わり、その場にいた者達が次々と去って行く中。



「アモン=ロウ!」



 ヒバナは廊下の途中で、その男の名を呼んだ。

 怒りの感情を隠しもしない彼女の声に、部下と共に踵を返していたアモンは足を止めて振り返る。そうして何か言おうと口を開きかけたが、それが音になるよりも速くヒバナは鬼の表情で睨みつけ、牙を剥きながら言い放った。



「あんたどういうつもりよ! あんな誇大報告! これで採用されたとしても実現出来るわけないじゃない! 法螺(ほら)吹いて後々困るのはあんたでしょうが!」



 問答無用とばかりに言い放たれるその言葉にアモンは口元を引き攣らせて、



「……困るも何も、法螺なんて吹いていないんですがね」



 そう言うも、激情に駆られたヒバナの耳には届かなかった。

 もし心象風景を具現化することの出来る超能力者か何かがこの場にいれば、この海上都市は火の海に包まれていたことだろう。それくらいの感情のうねりが、彼女を支配していた。最早、目の前にいるのは不倶戴天にも等しい怨敵である。



「どんな手を使って今更盤上に上がったんだか知らないけれど、手柄が欲しいばかりにそんな誇大報告までするなんてね……! ――あなたのことは昔から大っ嫌いだったけど、同じ分野の技術者としてはそれなりに尊敬してたのに。……見損なったわ」



 言うことは済んだ。

 ヒバナは用事を済ますと、返事を耳にすることも無く早足にその場を去る。最早、一時の時間を無駄にするつもりもない。もしT—XXが選考に落ちるようなことがあれば、誰も幸せにならない結果が待っている。万が一などあってはならないのだ。

 彼女の胸内には純然たる決意が宿っていた。




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