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プラウファラウド  作者: ドアノブ
閑話 
52/93

穏健派

 



「あら」

 


 何かに気がついたような。

 そんな声が横から聞こえてきて、クルスはそちらに首を動かした。


 太陽が空の頂上を過ぎる僅か前、正午を控えた時間。

 西方防衛基地所には、独立都市アルタスと直接繋がる高速モノレールのターミナルが存在している。このモノレールは軍登録されている者ならば誰でも無料で乗り降り可能で、専ら基地所内の人間達が非番の日に都市に繰り出すために使われるのが殆どだ。

 戦況が膠着状態に陥っているとはいえ、現在は戦時下だ。国境線では数ヶ月前に大規模な戦闘が行われたばかりでもある。通常の指揮系統には組み込まれていないなどという得体の知れない部隊の人間でも無い限り、軍人の休日というのは極端に減っていた。つまりは、そのターミナルが人で溢れかえるというようなことは殆ど無いということだ。


 得体の知れない部隊に所属しているクルスはわりかしこのターミナル――ちなみにほぼ全てが自動化され無人である――を高い頻度で利用しているが、ターミナルや列車内には人がいないことが大抵であり、同乗者がいる方が珍しい。

 



 声に反応して首を回したクルスの視線の先には、初老を過ぎた女性がいた。 

 頭に生えているそれは衰えで色を失った白髪なのだろうが、あまりそうは感じられない。

 生来からそうだったと言われても違和感は感じさせない、力強さがあった。腰も曲がっていたりはしていないようで、全体的に物腰が良いというか、どこか気品のようなものを感じさせる老婦人だった。


 彼女が着ているのは見慣れた軍服ではなく、上質な艶を醸し出す枯葉色のコートであった。

 ターミナルで人とすれ違うのも珍しいというのに、それが軍人ではないというのは初めての経験だ。一体この人は何者だろうかとクルスが考えていたが、その老婦人はクルスを見やって少し驚いたように瞼を瞬かせた後に、目尻にどこか暖かなものを感じさせながら話しかけてくる。



「あなた、お若いわね。こんなところにどんな用で来たのかしら?」



 纏う雰囲気に違わぬ穏やかな口調である。クルスは「あー……」と苦笑気味に声を漏らした。都市に向かうとあって、現在のクルスは私服だ。実年齢に加えて東洋人特有の童顔も相まって、相手はクルスが軍人だとは考えもしなかったらしい。

 なんと言うべきかクルスが言葉を彷徨わせていると、老婦人が不思議そうな表情を浮かべた。 



「あらどうかした? もしかして、ご家族に会いに来たのかしら? なにか届け物でも?」



 目の前にいる少年が軍人では無いと信じ切っているその口振りに何とも言えない気分になりつつ「これでも一応、自分も軍人なんですよ」と教える。それを聞いた老婦人は「あら」と驚いたように声を漏らした。その際に開いた口を手で上品に隠すあたり、そういった細やかな所作に育ちの良さのようなものが滲み出ている。



「あなた、軍人さんなの?」

「ええ、一応」

「そうなの、ごめんなさいねえ。見た目がお若いからてっきりご家族か何かなのかと思ってしまったわ」

「いえ……、自分でも軍人には見えないことは分かってますので」

「ふふふ、そうよねえ。軍人さんにしてはあなた、可愛らしすぎるもの」

「ははは……」

 


 一応十六才の男である。流石に可愛らしいなどと言われると、クルスも乾いた笑いを漏らすしかない。同僚にはもっと若かったり、見た目が若いを通り越して幼いとしか言いようのない者がいるのだが、この老婦人が目にしたら一体何と言うのだろうか。  



「ということは、あなたはこれから都市に繰り出すのかしら」

「はい、そのつもりです。時間があったもので。……そちらは、どのような御用事でこの基地に?」

「あら、私? 私はねえ、ちょっと人に会いに来たのよ」

「へえ。ご家族か何かですか」



 老婦人の先程の口振りからそうなのかと思いながら訊ねてみると、彼女は頬に手を当てて何か思索するように少しだけ首を傾げた。



「そうねえ……、家族ではないのだけれど、それも同然に育ったの。少し恥ずかしい言い方をすれば、幼馴染みっていうことになるのかしらね……」

「へえ」



 夫人の年齢は目算で大体六十前後といったところだろう。

 そんな年齢になっても小さい頃からの付き合いが続いているとなると、それはどんな関係になるのだろうか。目の前に立つ人物の半分も生きていないクルスには少も及びつかない範疇だった。

 だがそれだけの期間、関係が保たれているのである。きっと仲が良いのだろうなとクルスは考えたのだが――、実体は少し違ったようだった。


 老婦人は幼馴染みという単語を出したときは何かを懐かしむような穏やかな表情を浮かべていたのだが、少し時間が経つにつれて次第にその表情に陰りが差し、更に経過すると目尻は優しく微笑んでいながら口元を引き攣らせるという微妙な顔をして、



「……ごめんなさい。前言撤回するわね。どちらかというと、腐れ縁というべきだわ」

「はあ……」



 もしかして仲が悪いのだろうか。


 何故か怖い表情を浮かべた老婦人の言葉に、クルスは曖昧に頷いてみせた。少なくとも詳細を聞く勇気は無い。


 経験談だが、笑いながら怒っているという器用なことをしている人物には、極力触れないようにするのが鉄則である。現場に近づかなければ、藪を突くことも、水と間違えて火に油を注ぐこともないのだ。



「セレスタ議員、お迎えが遅れて申し訳ありません!」



 そんな感じでクルスと老婦人が雑談を交わしていると、呼び声がかかった。見やると、ターミナルの入口に一人の軍服を着た女性が立っていた。小さく息を切らしていることから、彼女が走ってきたことが窺える。


 ――セレスタ議員?


 一瞬誰のことかと思ったが、冷静に考えればこの場にはクルスとたった今現れたばかりの女性軍人を除けば、一人しかいない。

 ちらりと老婦人を見やると、彼女はクルスに優しく微笑んだ後に、訪れたばかりの女性軍人にむかって丁寧に頭を下げた。

 


「あらあら、ありがとうございます。予定よりも早く来ちゃってごめんなさいねえ。あなたにもお仕事があったでしょうに」

「いえ、議員をお迎えするのが仕事ですので! お待たせして申し訳ありませんでした」

「大丈夫よ。このかわいい軍人さんがお相手くださったから」



 そう老婦人――セレスタというらしい――に言われて、迎えに来たその女性軍人はクルスに視線をやって、微妙な表情を浮かべた。まあしょうがないと、クルスは内心で苦笑する。

 クルスが所属する部隊は基地内でも特殊であり、悪目立ちしていると言ってもいい。通常の軍人達から避けられるのはいつものことであった。それでも流石は職業軍人と言うべきか――それが普通なだけでシンゴラレ部隊がおかしいだけかもしれないが――軍人は敬礼をしてくる。



「少尉、私が到着までの間、議員といてくださってありがとうございます」

「あー、いえ」



 私服なので階級章もつけていないはずなのに、何でこの人は自分の階級を知っているのだろうか。そんなことを思いつつ、曖昧に返事を返す。

 相手の対応からして恐らく階級は自分が上なのだろうが、相手は年上だ。そう畏まった対応をされると、どうにも落ち着かない気分にされる。階級が絶対という軍人気質が未だに染みついていないのだ。


 そんなクルスの様子には取り合わずに、迎えの女性軍人はセレスタへと再び視線を向けて、



「どうぞ。外に移動用の車を用意してありますので」

「あら、ありがとうございます。この年になると移動も中々大変になってしまってねえ」



 セレスタはそう言ってから、目尻を優しく緩めてクルスへと向き直った。



「あなたも、ありがとうねえ。年寄りの暇潰しに付き合って貰っちゃって。退屈だったでしょう」

「いえ、問題ないです」



 もともと時間を持て余して都市に足を伸ばそうと思っていたので、何の支障もない。

 セレスタはクルスの返事に嬉しそうに皺の混じった頬を柔らかく緩め、そうしてから訊ねてきた。



「お名前、聞かせてくれないかしら」

「――ああ」



 そういえば自己紹介なんてしてなかったなと、今更に気付く。道端で出会っただけなので、機会が中々無かったというのもあるが。



「クルス=フィアです。……私服なんで、敬礼と階級は勘弁してください」



 そう言うと、セレスタは何故か少し驚いたように目を瞬かせた。

 その反応にクルスは何か間違えたかと内心で焦るが、セレスタはすぐに再び目尻を緩めて、



「そう。クルス君ね。今日はありがとう」



 もう一度、丁寧に礼をクルスに告げると、迎えに来た軍人と共に去っていった。クルスはその背中を暫く見送った後に首を傾げる。



「セレスタ……、議員?」



 一体あの老婦人は何者なのだろうか。わざわざ迎えが来ているという事は、それなりに立場のある人物の可能性が高い。少なくとも、一兵士の家族や腐れ縁に迎えは来ないだろう。



「そういえば……」



 ふと思い出す。

 独立都市アルタスは選抜された議員によって、その運営方針の舵を決めていっていると。正確な人数は覚えていないが、数はそう多くは無かったように記憶している。ということは、あの老婦人もそんな大物だったということだろうか。

 なんとなく、嫌な汗が背筋を伝う。



「……何か失礼なことしてないよな、俺」



 あまり礼儀作法には詳しくないクルスである。相手が年長者と言うこともあって、丁寧な言葉遣いは心掛けていたが、どこに自分の無知が出ていたか分かったものではない。セレスタも会話中は穏やかでいたが、内心では何を考えていたのか。



「……そういえば、最後に名前聞かれたな」



 もしかしてあれは……。

 


 夏が去り始めた季節頃。

 こんことならシーモスの名前でも使っておくのだったと、クルスは人気の無いターミナルで一人後悔した。




***




「セレスタ議員をお連れしました」

「御苦労」



 

 それは形式的なやり取り。

 案内を任せた軍人が綺麗な敬礼を残して部屋を去って行く。残された人物へソピアが視線を向ければ、そこには暫くぶりに目にする相手が立っていた。



「久しぶりだな、セレスタ議員」

「ええ、以前に顔を合わせたのはもう十ヶ月以上前だったかしらねえ」



 そう言って、セレスタは人好きされそうな柔らかな笑みを浮かべた。

 そこにあるのは穏やかな表情であり、それと同時に一切の内面を知らせない盾である。彼女の本質は穏やかで優しくはあるが、その暖かな表情が生来の性格だけによるものではないということをソピアは十分に知っている。なにせ彼女とはもう古い付き合いになる。



「予定よりも早い到着のようだが?」



 室内には二人の老人以外の姿は無い。 

 相手を応接用の腰掛けへと促しながら、ソピアは探るように問う。セレスタはゆっくりと嫋やかな所作で腰を下ろしながら、笑みを零した。



「ごめんなさい。私ったら、年甲斐も無く楽しみでねえ。張り切っちゃったわ」

「別に逃げるつもりなどないのだがね」

「あら、以前アポを取った私を放って別の基地の視察に行ってしまった薄情な軍人さんがいたと思ったのだけれど。それも予定を入れていた時刻の三十分前に発ったとか」

「……もう十年以上も前の話だろう。時効だ。これで歳は取っている」

 


 相手に憚ることなく、ソピアは溜息を吐いた。

 

 話し相手の彼女とはもう何十年来の付き合いがあることになるが、過去を知っている人間というのは実にやりづらい。単なる世間話に過ぎなくとも、会話の主導権を持っていかれそうになる。

 都市の運営を司る議員と話す機会は幾度かあれど、正直に言ってしまえば彼女を相手にするのが一番苦になる。

 向こうとて、こちらが苦手意識を持っていることは理解しているのだろう。

 それを証明するように、

 


「本当かしら。最近、年甲斐も無く色々と働いている人がいるみたいだけれど」



 そういってこちらを探るような気配を醸し出す相手に、もう一度溜息。

 急に会う用事があるなどというから幾つか予測はつけていたが、どうやらそういうことらしい。こうして直接来たということは彼女なりに何か確信を持っているのだろうが、だからといってはいそうですかと頷くわけにもいかない。

 とりあえずは適当に誤魔化してみる。



「なんのことかな。戦争中だ。軍人が働くのは当然だと思うがね」

「クルス=フィア」

「――」



 差し込むような出てきたその言葉にソピアは内心で顔を顰めて、目の前の相手を見つめる。セレスタは柔らかく微笑んでいた。



「十年前の移民募集に当選して家族と共に移住。その後事故で家族を失い、軍学校の特殊カリキュラムに参加、卒業後西方基地所に着任ということになっているけど……どういうつもりなのかしら?」

「……どういうつもりとは? 市民履歴にそう記されているのだからそうなのだろう」

「惚けないでちょうだい。確かに情報バンクではそうなっているけれど、その存在がでっち上げられたのはつい最近。巧妙に幾つもの偽装や改竄をして、これを指示した人はいったい何を企んでいるのかしら?」

「ふむ」



 顎に手を当てて、考える。

 クルス=フィアという人間の経歴は相当に慎重を期して作り上げたはずだったが、どこからばれたのだろうか。

 各種市民データの改竄は当然として、都市内の墓地には事故で亡くなった存在しない彼の家族の墓すら用意されているというのに。


 恐らくはどこかに彼女の子飼いがいると考えるべきか。

 セレスタという人物は昔からそうであった。組織に属しながら、他者よりも数段上の成果を手に入れるために先へ先へ手を打っておく。そうして大抵、同じようなことをしている自分とかち合うことになる。忌々しい限りである。



「ターミナルで偶然クルス君に会ったわ」

「ほう」


 

 少々予想していなかった言葉に、ソピアは声を漏らす。



「優しくてすごく良い子だったけれど。いったい、あなたはあの子を一体どこから拾ってきたのかしら?」

「なに、偶然山に落ちていたのを拾っただけだ」

「そう……、まともに答えるつもりは無いのね」



 口にした内容は殆ど事実なのだが、セレスタは信じるつもりはなかったようだ。まあ、そう判断するだろうと思ったからソピアも正直にそう告げたわけだが。一般的な感性を持つ人間ならば、信じないだろう。


 僅かに皺を寄せるセレスタを見据えながら、ソピアは考える。

 彼女の様子から、あまり深いところまでは知られていないと判断出来る。

 クルスの存在がばれているのは予想外だが、それも表層をなぞっているに過ぎない。その正体はおろか、本命は彼ではなく、もう一つの付加要素にあったという事も知られてはいなさそうだ。

 例の機体やレフィーラとのやり取りが知られていないというのならば、現状で問題は無いように思える。



 ――つまり、とりあえず怪しい藪を突きに来ただけか。



 ソピアはそう判断して、



「まあ、そのことは一先ず置いておきましょう」



 だが次の言葉には目を見張ることになった。



「それと、正式発表はされていませんが、アルタスとメルトランテの間で休戦期間が設けられることが決定しました」

「……なに?」


 

 予想外の事態に、ソピアは思わず驚きを取り繕うことも忘れてセレスタを見やる。そして悠然とした彼女の佇まいから、それが虚言や嘘ではないことを悟った。



「現在は水面下の話ですが、数週間後には政府からの公式発表もされることでしょう」



 三十年続けてきた戦争。

 その三度目の休戦協定。

 その寝耳に水な情報に、ソピアはゆっくりと息を吸い込み、吐き出す。動揺しかけた自分の脳を落ち着かせて、慎重に言葉を吐き出す。



「そのような交渉があったことは知らされていないが」

「あら? 反戦派を中心に彼の国との和平交渉はもう何年も続けられてきていますよ」

「言葉を変更しよう。その交渉に発展があったという話を聞いていないが」

「あらそうですか? どこかで連絡が遅れているのかしら。これだからお役所仕事はいけませんね」



 ほほほ、と小さく声を漏らす相手に、ソピアの口元が引き攣る。

 どう考えても意図的に連絡を遅らせていたのだろう。今すぐに目前の老婆を部屋の外に叩き出してやりたくなるが、そんなことをしても刹那的に溜飲が下がるだけで、何の得も無い。



 ソピアはささくれ立つ心を落ち着かせて状況を推測する。


 この休戦、はたして敵国にとってはどのような思惑があるのか。

 数ヶ月前の国境線上の戦闘では大きな損害を被ったとはいえ、メルトランテは強国である。軍備に時間はかかれども、いちいち弱腰になる理由は無いはずだった。


 考えられるとすれば――、



「海の向こう側か」



 海を越えた向こう側の戦場でメルトランテの旗色が悪いという話は聞いていた。

 恐らくそれが、休戦という判断に踏み切らせたのではないだろうか。


 だが果たして本当にそうなのか、確信は持てない。海を越えた先の戦場にはメルトランテの重機動要塞が派遣されていたはずである。重機動要塞は強大な軍力を持つメルトランテをもってしても四機しか建造されていない、虎の子である。兵器の範疇すら逸脱したあれがあってなお戦線の縮小を強いられるとは俄には思いがたい。

 唯一の想定としては、セミネールの介入であるが――、



「……私はこの休戦期間を一時的なものとしては捉えず、終戦への足掛かりへと考えています」



 思索に耽るソピアの耳に、穏やかな、それでいて確固たる芯を感じさせる声が聞こえてきた。

 思わず俯かせていた顔を上げて、目の前に座るセレスタの顔を見やる。そうしてから先程の言葉を反芻し――ゆっくりと首を横に振った。



「……それは絵空事だ。ここ暫くの武装勢力の活動はそちらも知らないわけではないだろう」



 場末の傭兵やテロリストには明らかに過ぎた戦力。最新式の重火器や強化外装、挙げ句には万能人型戦闘機。それらの兵器を彼らがどのような経路から入手し、運用しているのか。

 最早考えるまでも無いことだ。どんな言葉を弄そうとも、争いの芽が消えることはない。火種などどこにでも転がっている。表向きの休戦など、一体何の意味があるというのか。下手をすれば、こちらの動きに枷をつけることになりかねない。



「考え直すべきだ。向こうが苦しいというのならば、逆にこちらにとっては良い機会となる」

「すでに議会で決定したことよ。……中将。あなた達は軍人であって、政治家ではないの」

「なんだそれは。まるで私がクーデターでも目論んでいるような口振りじゃないか」



 ソピアが皮肉交じりにそう言うと、セレスタはきょとんと少し目を瞬かせた後に、小さな笑いと共に吐息を漏らした。



「正直それも疑っていたのだけれど、違うみたいね」

「当たり前だ。私とて都市の現状は正しく認識しているつもりだ」



 クーデター。

 そんな事をしても、都市の経営が回らなくなり破綻するだけだ。どころか、それこそメルトランテを始めとする外部勢力につけ込まれる隙になりかねない。稀少資源を主軸に各勢力との外交を立ち回っている独立都市アルタスではあるが、その立場は非常に繊細で、危うい。内乱など起ころうものならば、一瞬にして世界の荒波に攫われてその名前は地上から消えることだろう。

 露骨な侵略戦争を仕掛けてきたメルトランテほどではなくとも、この周辺の土地へ手を伸ばしたがっている者達は掃いて捨てるほど存在しているのだ。



「……休戦期間など、向こうからすれば体の良い調整時間に過ぎない。西や海を越えた場所の身辺整理が済めば、再び押し寄せてくるぞ」

「そうかもしれません。ですが、そうさせないための交渉でもあります」

「――そうか」



 まるで自らの使命を宣言するかのようなセレスタの言葉に、ソピアは一先ずは頷いておく。だが頭の中では思考は停止していない。

 

 もし仮に今回の休戦がお互いに首尾よく働き、終戦にまで辿り着いたとして。その先には決して平和など待っていない。はたして保つ時間はいかほどか。

 戦果は途切れること無く、世界中の資源は消費される一方である。たとえ隣国との交易が再開したとしても、いつかはまた、戦争になるだろう。結局のところ、現状を維持した終戦など、破滅への足取りを緩める程度でしかない。

 もし本当にこの都市の未来を考えるならば、必要なのは平和などではなく――、 



「ねえソピア」



 まるで長い付き合いのあるソピアの考えなど分かっているとばかりに。セレスタは聞き分けの悪い姉弟に言い聞かせるような口振りで、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 穏やかな光を湛えた瞳が、ソピアをしっかりと見据える。その言いしれぬ迫力に、ソピアは何も言えなかった。



「私達は余りにも長い間戦い続けている。あなたはそうは思わないかしら?」





***




「セレスタ議員?」



 その名前を尋ねると、なんでそんなことを聞いてくるのかと、目の前の人物の眉根が僅かにつり上がった。機械の中につん込んでいた手を引き抜いて、こちらを見やってくる。


 長い赤茶色の髪を、後頭部で括って馬の尻尾のように垂らしている女性である。顔立ちは整っていると言えたが、化粧気などは無く、かわりに機油らしき黒汚れを頬あたりにくっつけていて、何よりも険の混じった細い目つきが近寄りがたい雰囲気を発していた。

 不機嫌に見えるが、これが彼女のいつもであることはクルスも理解しているために気にしない。かつては彼女との付き合いを若干苦としていたが、今では損しそうな性質だなと憐憫を覚える余裕すらあった。


 ミサ=コスタニカ。

 人工質なてかりを持つ濃紺色の作業服は、彼女が複雑な機構を持つ兵器を扱う整備員である証であり、彼女はクルスの機付きの整備員なのであった。



「さっき、ターミナル前であったんだよ。優しそうなおばあちゃんでさ」



 正午前の出来事を思い出しながらクルスが言う。

 結局、あのやりとりで乗ろうとしていたモノレールの発車に乗り遅れてしまい、別段重要な目的があったわけでも無いのであっさりと予定を下げて基地内に引き返したのである。

 精々、都市に行ったついでにゴーストの少女であるサシャを探して、出会えたら昼飯に作った弁当でも一緒に食べるかと考えていた程度だ。問題は無い。

 ただ作っておいた弁当は無駄にするつもりも無いので、それは今食べていたりする。


 時間帯が昼時と言うこともあってか、格納庫内の人間は大分少ない。クルス以外の万能人型戦闘機の搭乗者も見当たらなかった。セーラでもいれば余った弁当を渡して一緒に食べようと考えていただけに、少し残念である。


 作業を進める手を休めたミサは、眉根を通常よりもほんの少しだけ垂直に近づけて、



「仕事をしてる人間の横で食べる御飯はおいしそうだな、嫌味か。鬱陶しいから外の席に座って食べてきたらどうだ」

「いや……、流石にあそこで食べる度胸は俺にはない」



 ミサの言う格納庫外の光景を思い浮かべて、クルスはありえないと首を振った。


 然もありなん。

 信じがたいことであるが、シンゴラレ部隊専用の区画として用意されている第十一格納庫の外には小洒落たカフェのテラスにでもありそうな、白いテーブルが設置してあったりする。

 第十一格納庫周辺の区画は部隊関係者以外立ち入り禁止とはいえ、建物の外は外部からでも視認可能である。その事実を知ったとき、そりゃ、他の軍人達から変な目で見られるわと、クルスは呆れるしかなかった。


 ちなみに発案及び実行者はエレナであるらしい。彼女曰く一連の行為の禁止は軍規に記されておらず、違反もしていないとのことだが、それは常識的に考えて誰もしないからだろうと突っ込むのは野暮なのか。


 さらに余談をすると、第十一格納庫は何故か屋上に上がれるように最上階が改造されていて、その屋上にも寝転ぶ用の簡易チェアが用意されていたりする。発案タマル、実行者タマル及び整備員一同である。あの少女(二十七才)、見た目以外は常識ぶった発言をしておいてやることはやっているあたり、やはりこの部隊の一員であった。 



「だとしても、こんな場所で食うよりはマシだろう味音痴」

「んー」


 

 確かに、油や鉄の臭いが充満したこの場所はお世辞にも食事場所として適しているとはいえないのだが。さっきからちらちらとミサの視線が手元の弁当箱にいっていることをクルスは見逃していない。

 今の時間は丁度昼時。

 朝から神経を尖らしている人間はさぞ腹を空かしている頃だろう。

 睨めつけるような視線を向けてくるミサに、クルスは膝の上に並べていた弁当箱を差し出した。



「食うか?」

「む」



 何故かたじろぐような反応と共に呻き声を漏らすミサ。

 暫く逡巡した様子を見せて視線を彷徨わせた後に、彼女は自分の手元に視線を見やって、溜息を吐く。そうして首を振った。



「いや、いい。手が汚れてる」



 彼女の言うとおり、見やればその手は黒く汚れている。正確には手では無く、機械作業用の特殊手袋が汚れているのだが、現状では大した差異は無い。外せば良いとも思うのだが、長時間手を休めるつもりもないのだろう。


 そろそろ自覚していることではあるが、自分は戦果はともかくとして、機体全壊であったり、腕部破損であったり、機体の損傷率が高いように思える。しかも過度な改修を機体に施しているために、修復作業も通常より手間がかかる。

 それを休む間も惜しんで整備してくれているというのだから、クルスとしては彼女には本当に頭の上がらない思いだ。


 そんな気持ちと共に少し考えた後、クルスは弁当箱の中から適当なおかずを一つ箸で摘まんで、彼女に向かって差し出した。



「ほら」

「……」

「……おい、なんだその目は。善意を向けた相手になぜゴミを見るような目を向けるか」



 絶対零度というのも生温い視線を向けられている意味が分からずに、クルスは彼女の視線を見返す。その様子にミサは汚れが付くのも構わずに額に手をやって、険がある――というよりは半眼に近い目つきのまま溜息を吐く。



「お前、照れとかそういうものはないのか?」



 言われてクルスは少し目を瞬かせた後に「あー」と声を漏らしてから、口の端を少し釣り上げた。



「なに、お前照れたの?」

「死ね」



 もはや病的とも言える罵倒と同時に、ミサが箸の先の獲物をかっさらっていく。

 例えるならばそれは猛禽類が地上の獲物をさらっていったような様相であり、色気や緊張といった甘酸っぱい雰囲気は皆無であった。


 別にそんな喰い方をしないでも、とクルスは呆れながら眺める。 

 ミサは咀嚼したおかずを呑み込むと、苦いものを口にしたような、すっごい不本意そうな表情を浮かべながら呟いた。



「――美味しいな」

「それならもう少し嬉しそうな表情を浮かべて言ってくれ。どう考えても美味しいって顔してないからなお前」



 ここまで疑わしい「美味しい」も中々見つからない。

 クルスの苦言にミサは僅かに眉根を挙げた後に、



「ちなみに私の好きなものは甘いものだ」

「お前、その時々唐突に始まる自己紹介は何なの? 俺と会話する気ある?」



 彼女と話していると時々、クルスは本当に同じ話題を話しているのか不安になるときがある。

 もしかして自分達はお互いにその場で壁に向かって話しているのではないだろうか。以前よりも気楽に言葉を交わせるようにはなったが、蓄積する疲労度は増えているように思える。人間関係とはままならないものだ。


 大体、甘いものが好きと言われてどうしろというのか。

 まさか、これから購買まで行って菓子を買ってこいという婉曲なパシリ宣言でもあるまい。だとすれば、次は弁当に甘いものでも用意しておけということか。だが、正直甘いラインナップと言われてもそう多くは思いつかないのだが、塩おにぎりならぬ砂糖おにぎりでも用意しておけばいいのか。もし実行したら間違いなく酷い目に遭いそうであるが。


 そんな取り留めのないことを考えていると、不意に、



「超穏健派だな」

「……は?」 


 

 また会話が飛んだ。

 しかも今回は少し考えてみても何の取っ掛かりも掴めずに、クルスは宇宙人を見るような目でミサを見やる。彼女も流石に伝わってないと理解したのか、言葉を付け足した。



「セレスタ議員。お前がターミナルで会ったって言ってた人」

「……ああ」


 

 そういえば、会話の始めはそれだったかと、クルスは思い出す。弁当に話題を持って行かれてすっかり忘れていた。弁当の中身に箸を伸ばしつつ、訊ねる。



「穏健派ってのは?」

「要するに非戦争派てことだ。人命は尊いだとか、戦争は犠牲を増やして国力を低下させるだけだっていう立派な考え方をしてる」


 クルスは怪訝そうな表情を浮かべる。


「……それって戦争してる真っ只中で支持されるのか?」



 戦争、それも侵略されてる側でそんなことを口にしても、誰からの賛同も得られなさそうな気がするのだが。クルスは首を傾げるも、ミサはその様子を横目で見やりながら口を開く。



「まあ、普通ならそうかもだけど。うちは少し状況が特殊だからな」

「そうなのか?」

「まあ、もう隣とは三十年も戦争してるけど、国境線は全然動いてないし、休戦も期間を設けて二回行われてるからな。終戦ていうのも、あながち非現実的な話ではない気はするが」

「ふうん、そんなもんか。……でも、単純な国力で言ったらメルトランテの方がずっと大きいんだろ? 向こうに何か終戦のメリットってあるのか?」



 この戦争、仮にメルトランテの勝ち戦だとするならば、向こうに降りる理由は無いはずである。だがクルスの発言を聞いて、ミサは明らかに呆れたような色の混じった視線を向ける。

 常日頃から険の混じっていて感情の機微が分かり辛い彼女だが、今回はクルスにもそのことがすぐに分かった。



「お前本当に何も知らないんだな、クルス」

「おい、何故このタイミングで語尾に俺の名前をつけた。俺の名前は無知とかそういう系の類義語じゃないからな? 罵倒の代わりにはならないからね?」


 

 クルスの厳粛な抗議をミサは冷たく一瞥しただけでまともに取り合わずに、話を続ける。



「うちらの戦争相手はこっち以外にも手を伸ばしてるからな。ここらへんで一番の資源採掘地であるアルタスからの交易も完全に止まっている以上、台所事情も結構辛くなってるはずだ」

「……だとしたら、こっちとしては終戦する必要はない?」

「というのが、戦争推進派の言い分。アルタスの運営議員は今その二つでぶつかってる。……なんでお前はそんなことも知らないんだ。アルタスに住んでるなら子供でも知っている事だぞクルス」

「だから語尾に俺の名前をつけるのを止めろ」



 顔を顰めつつ、だけどこの整備員、聞けば何でも答えてくれるなと内心で感心する。もっとふざけたことを質問してみても答えてくれるのだろうかと試したくもなったが、十中八九ろくな事にならないことが予想付いたので止めた。

 その代わりというわけでもないが、最後に気になったことを訊ねる。



「それで結局……、その穏健派の人が何で軍事基地なんかにきたんだ?」

「私が知るわけ無いだろう、アホタレ」

「だよな」



 頷く。

 寧ろ、もしミサが知っているなどと言ったほうが驚愕である。もし平然と答えられてたりしたら、整備員という職業について少し認識を改める必要があるところだった。



「何が目的かなんて、直接会ったお前の方が詳しいんじゃないのかトンチンカン」

「あー……、確か、人に会うとかいってたな」



 ターミナルでの老婦人とのやり取りを思い出しながら、口にする。確かあの時、セレスタ議員は幼馴染みだか腐れ縁と会いに来たと言っていたはずだ。

 そのことを告げると、ミサは頭の隅の内容を思い返すように視線を彷徨わせ、



「そういえば聞いたことあるな。セレスタ議員とソピア中将は付き合いが長いって」

「相手は基地司令かよ……」



 ソピア=ノートバレオ中将。

 ここ西方防衛基地所の最高司令官であり、シンゴラレ部隊への命令権を持つ、謂わばクルス達の親玉のような存在である。クルスも何度か顔を合わせたことがあるが、都市内では英雄などと言われるだけある毅然とした雰囲気を持った人物であった。

 時々グレアム少佐と並んでいる姿を目にすることがあるが、あの二人が並んでいるとどう考えても非合法マフィアにしか見えなかったりする。



「確か、セレスタ議員とは学生の頃からの付き合いだとか」

「へえ」


 

 なんでこの整備員はそんなことまで知っているのだろうかとクルスは密かに考えつつも、



「学生の頃からの付き合い、なあ……」



 そんな言葉を聞いてしまうと、つい思い浮かべずにはいられない。

 別に孤立していたわけではないが、余った時間のほぼ全てをVR世界の戦場で過ごしていた紫城稔には特別親しいと言える人間はいなかった。部活などしていなかったし、他の帰宅部の誘いにも殆ど応えることもなく。紫城稔は『プラウファラウド』というゲームに没頭し続けた。


 別に外部を拒絶していたわけではない。

 ただ興味が薄れていただけだ。

 現実のどんな出来事よりも、仮想世界の戦場が魅力的だった。

 何千というプレイ時間を持てば必然的に交友関係も狭まる。現実での同年代の付き合いなど学校以外では皆無と言っていい状態だった。


 だが、何事にも例外というものは存在する。

 同年代であり、現実でも仮想世界でも浅からぬ交流のあった人物。



 もし自分の記憶が本物だとして。



 はたして今、あの銀髪の少女は一体どうしているのだろうか。

 ふとそんなことを考えた。





セーラ「」

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