交戦
急襲、という言葉があるように。
仕掛ける側が事前に仕掛けてくるタイミングを知らしてくる様なことはない。あったとしてもその大半は本命から視線を逸らすための囮か、虚偽である。
相手の意識の裏をつく様に攻撃を仕掛けるのは、人間に限らず自然界に存在する全ての狩人達の鉄則だ。如何に損害を出さずに、無抵抗に獲物を仕留めるか。捕食者の立場にある者達はそれを念頭に牙を研ぎ澄ましてきたと言っていい。
俊敏な筋肉を持つ肉食獣は草葉に身を潜め、大翼を持つ猛禽類は視界外から襲いかかり、昆虫は背景に溶け込んで一体化し――そして人間は、兵器を、戦術を、己の持ちうるもの全てを磨き上げてきた。
森の生き物たちも寝静まった深い夜の時刻。
深い木々に覆われたその中に浮かび上がる、無数の影がある。
万能人型戦闘機。
その造詣に詳しい者が見たならば、その中でも〈ムスタング〉と呼ばれる種類のものであることが分かっただろう。全高八メートルを持つ人型兵器ではあるが、片膝をついた体勢ではその巨体は半分以下と、意外なほど小さくなる。
その上で彼らは機体の表面に擬装用の電子布を被せていた。
電磁布はその色を磁場の変圧によって好きに変更することが可能であり、その表面の色彩を周囲の風景に合わせて設定する。一度設定した後は放置しておいていいので、継続的に周囲に電磁波などを発したりする心配もない。
視覚的に辺りの色彩に紛れこむというのは、言ってしまえば遙か昔の顔に泥を塗りたくっていたような原始的な手法と大差は無いが、電磁遮断塗料を表面に塗った電磁布と万能人型戦闘機の待機状態を併用した隠密待機は極めて効果的であった。
周囲に溶け込みながら待機を続ける機体のうち、その一機。
部隊内で〈フォクス〉と呼ばれているその男は、待機状態により最低限の機能しか発揮していない万能人型戦闘機の中で、じっとその時を待ち続けていた。
男達の今回の目的は資源輸送用の列車の襲撃である。
雇い主はメルトランテ。
独立都市アルタスと数十年の戦争を続ける西の大国。
自分達の行動にそこまで大きな意味があると〈フォクス〉は考えていないが、戦場を転々とする傭兵部隊に与えられる任務などそんなものだろう。雇い主からすれば少しでも相手の足を引っ張る要因になればそれでいいと考えているのかも知れない。メルトランテ側は隠そうとしているようだが、数ヶ月前に起こった国境線上の戦いで彼らが安くない損害を受けたという噂は傭兵達の間ではよく聞く話であった。
再侵攻を仕掛けるには暫くの準備期間が必要であろうとも。
「――つかの間の平和、か」
戦火に塗れたこの世界においてなお、この二勢力による長い戦争の話は有名だ。豊富な資源を欲した大国の侵略戦争。それに抗う独立都市。
倫理観に基づく事の善悪で考えれば、どちらに分があるかは考えるまでもない。だがそんなものは誰も気にはしない。
何があろうとも、勝てば許される。今はそんな世である。
善い悪いなどという二論的な考えでは何も救われることはなく、得ることもない。
それが、男の学んだ全てだった。
『――十分後、標的来ます。仕掛けますか?』
偵察に出ていた歩兵からの連絡だ。
薄暗い空間の中で〈フォクス〉は思案する。
前回の襲撃で向こうもこちらの存在を認知している。前の様にすんなりといく可能性は低い。付近を哨戒する護衛の数を増やしているか、あるいは列車そのものが罠か。
指揮官である〈フォクス〉はそのことを警戒して、これまでに幾度か標的の輸送列車が走って行くのを見送っていた。
戦場において、警戒というのはいくらしてもしたりない。
一瞬の油断、慢心、そういったものを無造作に晒した者から肉片となっていくのである。
とはいえ、安くない報酬で雇われた以上、ずっと眺めているだけでいられないのも事実である。どれだけ待とうとも、どこかで決断しなければならない。
「……全員に通達。狩りを開始する」
『了解』
男の命令の下、夜闇の森の中で影達が蠢き始めた。
***
「食いついた」
複合感覚器に反応が出たのと、異常を感知して磁気浮上式の輸送車が急減速を行ったのはほぼ同時であった。
今までは殆ど振動というものを感じさせていなかった輸送車であったが、今回ばかりはそうもいかなかった。〈フォルティ〉の中で待機していたクルスは大した揺れを感じなかったが、機外待機となっていた隊員達には違っただろう。
その事を運がいいと喜ぶべきかは微妙なところであるが。何せこれからクルスは他の隊員達が戦闘準備を終えるまでの時間を稼がなくてはならないからだ。
『万能人型戦闘機、数九。強化外装装備の歩兵十三。敵戦力予定よりも多いです』
「みたいだな」
同じく機内待機であったセーラの言葉にクルスは頷く。
随分と多いが、前回確認出来た戦力が全てだというのは何の保証も無い根拠である。最悪、これ以上が控えている可能性もありえる。
どうやら敵の万能人型戦闘機のうち四機は地上展開しているようであった。歩兵達の壁役兼砲台として機能するためだろう。航空戦力と装甲戦車、両方の役割をこなせる兵器というのはつくづく厄介なものである。
ゲームの中の山賊と違い、必殺技で一発終了とはいかないようであった。
「セーラ、俺は上をやる」
『了解』
端的な、短いやり取り。
それだけで充分であった。
察知されぬ様多くの機能を殺し待機状態にあったそれぞれの機体が息を吹き返して、光を灯していく。
貨物車に偽装されていたコンテナの上部が開くと同時に、クルスの乗り込んだ〈フォルティ〉が跳躍した。
人工筋肉とサーボモーターが生み出す驚異的な跳躍力に加えて、推進ユニットから青白い光が噴出。その巨大な質量を支える推力の後押しを受けて、蒼躯の機体が夜の空へと舞い上がる。
整備不良と見紛う様な隙間の空いた複合装甲板と、まるで生き物の尻尾の様に長く垂れ下がった抵抗尾翼。一目で異質と分かる〈フォルティ〉が頭部に集積された複合感覚器を機能させて周囲の状況を察知する。
「夜戦か……」
嫌な状況だなと、思わず言葉に出した。
明るいよりは、暗い方がやりづらい。それは自明の理だ。いくら複合感覚器が発達し、視覚以外にも周囲を見る方法が確立していたとしても、やはり人間という生き物は視覚情報を最重視してしまう傾向にある。
しかも今の空には分厚い積雲帯が発生していて、僅かな月明かりをも遮っていた。梟でさえも空を飛ぶのを躊躇いそうな、闇の深い夜だった。
輸送列車の護衛はクルス達のみではない。
クルス達が乗り込んでいた列車は見せかけのための岩や砂を運んでいた囮であったが、そうとばれないために通常の護衛部隊も通常通りに配置されていた。彼らの殆どは対人用の装備である。万能人型戦闘機相手には無力であったが、強化外装を纏った歩兵相手には充分な戦力となる。
随伴していたこちらの護衛部隊も――というよりは通常の護衛部隊にシンゴラレ部隊が随伴していたのだが――車両から姿を現して敵歩兵に対して応戦を開始する。
発射炎と同時に光が瞬き、無数の銃声が森林に木霊する。辺り一帯が一瞬にして戦場という名の地獄へと変貌した。
飛翔したクルス機を見て、地上にいた一機が追いすがろうと跳躍体勢に入る。
その一瞬後。
周囲に紛れる様な夜色をした機体の胴体部がひしゃげ、穴が空いた。膝関節を曲げて姿勢を低くしていたその機体は空へと浮かび上がることもなく、自動姿勢制御機構の補助を失って地面へと音を立てて沈む。
偽装していたコンテナを盾に放たれた、セーラ機の一撃であった。彼女の正確無比な一撃は寸分の狂いもなく敵の胴体部を捉え、貫通こそしなかったものの中にいた搭乗者の姿を肉片へと変えた。
爆発せずに原形を残していたその機体へとセーラは立て続けに銃弾を撃ち込み、燃料へと引火させて爆破させる。煌々と明るく燃える炎の光が周囲を照らし出す。機体周囲にいた歩兵達の幾人かがその爆発に巻き込まれて吹き飛んだ。
酔狂や狂気から破壊を行ったわけではない。動かなくなった残骸を敵の歩兵達に障害物として利用されることを嫌ったのである。
その様を見ていた残る三機の万能人型戦闘機は火線をセーラ機へと差し向ける。フルオートによって際限なく吐き散らす射撃の雨はたちまちにコンテナを穴だらけにしたが、すでにそこにセーラ操る〈フォルティ〉の姿は無い。
フロート機構を作動させた蒼躯の機体は、風圧に押されて吹き飛んだ砂埃で波紋を広げながら、地上を滑空する。
機体内部。その操縦席に身を預ける金髪の少女が持つ無機質な緋色の瞳の奥には、既に仄かな光が宿り灯っていた。
高速思考。
脳内に組み込まれた演算プロセッサが稼働を開始して、その思考能力が通常の何倍にも高められる。世界が遅れてやってくる。音速を超えているはずの弾丸であろうとも、直線でしかない単純なその軌道の予測はあまりにも容易である。
腕を持ち上げる。撃つ。
たったそれだけの動作を行うと同時に、フロート機構を作動させて移動を開始していた敵万能人型戦闘機が膝から炎を吐き出し、地面に胴体を叩きつけながら勢いよく転倒していった。
セーラ=シーフィールドの戦闘能力は部隊の中でも抜き出ている。
その事実は幾度かの実機演習を通じてクルスが把握していたことだった。特に有視界状況に置ける彼女の射撃能力と回避能力は、クルスの記憶にあるランキング百位付近のプレイヤーと比べても見劣りするものではない。
故に心配する必要もないだろう。
セーラが地上でも問題無くその能力を発揮していることを複合感覚器越しに眺めていたクルスは、とりあえず問題はなさそうだと、意識を目前へと集中させた。
事前の情報通り、空へと舞い上がったクルス機の前には万能人型戦闘機〈ムスタング〉が四機の姿がある。その色は周囲に溶け込む様な宵闇色であり、こうして相対してみると非常に確認し難いものがある。
上空へと現れたクルス機に対する敵の対応は迅速なものであった。
眼下の輸送列車と向けられていた銃口が持ち上げられると同時に、表示されていた驚異値が一気に跳ね上がる。赤外線かレーザーか――敵機からの照準行為を受けた証明であった。
クルスは咄嗟に複数の推進ユニットの偏向をそれぞれ別方向へ傾ける。自動補助を介さない手動で行われた動作に、気持ちよく飛翔していた〈フォルティ〉が途端に安定性を失って高速で回転する。自動補助無しのこういった変則機動は、火器管制の自動予測を無効化するには効果的な手段である。
(――対応が早い。かなり場慣れしてる相手だ)
かつて海上中継地点で相手した旧型の機体群とは比べものにならない。相手にしている数は以前の方が多かったが、どちらが厄介かは考えるまでもないだろう。
敵機から放たれた幾重のもの銃弾が虚空へと吸い込まれていく中、クルスもまた振り回される視界の中で手に持った突撃銃を構えさせる。
視認し辛い上に敵は既に散開して戦闘機動に入っている。事前の型録性能通りならば〈ムスタング〉の最高速度は〈フォルティ〉を超えている。
軽量化を施したクルス機ならば旋回性能などの機動性では勝っているだろうが、推進ユニットの性能という内部機関そのものの性能差は如何ともしがたい。
複合感覚器の反応と半ば勘を頼りに、加速する敵機に向かって銃弾をフルオートで吐き散らす。中身を失った薬莢と共に火花が散り、敵影の一つへと食らいつく。
一瞬の明かりと共に闇夜に爆炎が咲くが、それはクルスの望んだ結果ではなかった。敵の持っていた長身銃を破壊しただけである。
(くそ。目視が出来ない。数値が甘い。狙いがつけづらい――あとやっぱ機体が遅い!)
改めて、心中で不満を吐露する。
万能人型戦闘機の操縦技術に関しては一般的な搭乗者の範疇を大きく超えた域にいるクルスであったが、現状で苦手意識を抱いているのがこの視界の効かない夜戦状況であった。
視覚が効かない以上はその他の情報、つまりは複合感覚器が集積した情報が目となり耳となることになる。それは『プラウファラウド』であった頃でも代わりはしない。
問題は現在のその複合感覚器の性能が、かつての乗機と比べると段違いに低いということである。慣れというものは恐ろしいもので、最高級の性能に慣れきったクルスにとってはこれが酷い重荷となっていた。
基地に滞在中にも夜間飛行は何度か行っていたが、身体の奥、細胞レベルで染みこんだ記憶というものは中々に払拭しがたい。クルスが〈フォルティ〉に搭乗した時間など、かつての愛機と比べてしまえばほんの微々たるものなのである。
(せめて短時間でもいいから視認が出来れば――)
とはいえ照明弾など万能人型戦闘機に積んでいるわけもない。無い物ねだりであった。
相手の数はこちらの五倍。
単純に考えて、相手の火力もこちらの五倍である。しかもそれが包囲陣形を敷こうと機動を取ってくるのだから、こちらの攻撃が行えるタイミングは腹立たしいほどに少ない。
敵機が残していく噴射炎の残滓を視界の端に捉えながら、周囲から飛び交ってくる銃弾を躱していく。合間合間でクルスも慣れない火器管制の自動予測を用いた射撃を行っているのだが、結果は芳しくない。
こちらが照準調整を終えるよりも先に、回避行動及び相手の包囲の慣性を阻むための機動をしなくてはならないからだ。この僅かな間とはいえ照準にラグが発生するのが、軽量機乗りであったクルスが自動補正を嫌う最たる理由でもあった。
「――ッ!」
ギッ、と肩部装甲の側面を銃弾が掠めていく。
大気中に火花が散り、機体が揺れる。大した損傷でもなくすぐさま姿勢を立て直し、続いて飛んでくる銃弾の隙間を潜り抜けるが――
「ち……、さっきから一機、腕の良い奴がいるな」
精密射撃を諦めて乱雑なフルオート射撃で反撃を行いながら、舌打ちを漏らす。五機いる敵機のうちの一機、明らかに動きの良い機体がいた。
他の機体が自動予測に頼った射撃を行う中で、その一機だけは明らかに手動による誤差調整を入れた射撃を行ってきている。
腕の良い搭乗者。
相対して魂を焦がす様な熱気に駆られたかつてとは違い、その存在はただただ厄介に映るだけであった。
***
強い。
敵機と銃火を交えながら〈フォクス〉はそんな感想を抱く。
包囲殲滅が成されていても不思議では無い状況下でありながら、相手は巧みに機動を操りこちらの攻撃を躱してきている。通常機の原型を崩す程の大胆な改修をされた機体の様であったが、それは伊達や酔狂で行ったものではないらしい。
敵機の推進ユニットが複雑な残滓を夜闇に残していく度に、通常では実現不可能なような軌道を描いて自動予測射撃をすり抜けていく。
果たして自分に、あの動きが可能であろうか。いやあの動きの再現で無くとも、敵機の今の状況に陥ったとしてここまで生き延びることは可能であっただろうか。
トップエース。
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
かつての残滓。脳裏にこびりついた、追い求めた背中。
逆境にも屈すること無く、次々と獲物を食い破っていった獰猛な捕食者。
くっ、と口の端から笑いが漏れる。
それは自嘲と歓喜の入り交じった声であった。
冷静に考えれば罠に嵌められたこの状況。長居はしたくない。
地上部隊の戦況も芳しくは無い様であるし、そもそもあまり長引けば周辺から増援部隊が駆けつけてしまう。それ以前に列車内にまだ敵戦力がいる可能性もある。補給も限られている現状、これ以上益の無い戦闘は避けるべきところだった。
敵前逃亡は傭兵の常である。こういう場合も想定して、離脱用の策も準備してある。タイミングを見計らってその策を起動させれば、離脱自体は決して難しくない。
だが〈フォクス〉は別の決断を下した。
これは油断か。――否。
これは慢心か。――否。
善悪など関係なく、勝利すれば是とされる世の中。
全てを奪われた者達がなおも戦う意味はどこに存在するのか。それを知るためには何をして、何を成せばいいのか。
その手立てを求めて〈フォクス〉は戦場を彷徨い歩いてきた。戦いの答えは戦いの場にあると、そう信じて。
男は人知れず獰猛な笑みを浮かべる。
闇夜に紛れる蒼躯の機体。
尋常ならざる動きを見せつける、異色の万能人型戦闘機。
トップエース。
かつて目前にあったその栄光がちらちらと、瞬きをする度に瞼の裏に写り込む。それはまるで、意識の奥底に焼き入れられたかの様だった。
『〈フォクス〉より〈レッサー1〉〈レッサー2〉〈レッサー3〉へ。交戦中の敵機に対して、誘導弾の使用を許可する』
一撃で相手を破壊する威力と、相手の背中を追い続ける追尾力。
この二つを兼ね揃えた誘導弾は万能人型戦闘機の主力兵器である。運用価格や整備の問題から組織の後援が無ければ使用は難しいが、その有用性は疑うまでも無い。一時期は万能人型戦闘機には誘導弾以外の兵装は必要ないという意見まで発生したほどである。
高性能な攪乱幕の出現によってその万能性は下がったが、それでも未だ最強の一角に位置するのは間違いない。
加えての――更に一手。
中に収まっている〈フォクス〉の指令に従って、牙を剥く狐の紋章を刻み込んだ〈ムスタング〉の背部。そこに装着された兵士の駒が刻まれた黒色の箱が静かに展開を開始した。




