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プラウファラウド  作者: ドアノブ
四話 針時計
42/93

針時計 - III

 なんでこうなった。


 設えられた後部座席に座る人影を見て、クルスは思わずそんなことを考えてしまう。


 長い赤茶色の髪が特徴的な、白いパイロットスーツを着た人物。顔の作りは良いと思える造詣をしているが、その険のある目つきが無駄に周囲に敵意を発していて全てを台無しにしている。それでももしそれが表面上だけならば救いようもあるのだが、この人物は実際に口を開けば罵倒言葉を言葉尻に加えなければ死ぬ呪いにでもかかっているのかというような口振りを発揮するので、擁護のしようが無い。

 強いて言うのならば、彼女の罵倒は悪意と表現するよりは口癖に近い様な気もするのだが、それが一体何の慰めになるのだろうか。

 兎にも角にも。


 彼女はクルスがアルタスに来てから一、二位を争うほどに苦手な相手なのだが、何の因果なのか、その相手こそが自分の機付きの整備員となってしまっているのであった。存じぬ存ぜぬの関係でいるというわけにもいかない。


 この一ヶ月の間に格納庫でお互いに意見を交わしつつ罵りあったりしながら付き合いを続けてきていたわけだが――、



「……本当にいいんだな?」

「くどいぞ。お前は歩いたら忘れる鳥か」



 間断無く帰ってくる強い口調に、相手に聞こえないよう小さく息を吐き出しつつ、一体この状況になっている理由は何なのだろうかと改めて頭を悩ませる。だが考えてみるも、原因となる様な出来事は一切思いつかない。先日の機体の動作テストの時点では、彼女は普段と変わりなかった様に思う。


 それともクルスが気がつかなかっただけで、実際には今回に繋がる何かがあったのだろうか。

 少なくとも結果については、随伴機を務めたエレナの言では新記録を出していたはずなので怒られる様な筋合いは無いと思うのだが。


 正直、何が何だか分からないが、よもや相手も独断で搭乗席の換装を行ったというわけでもあるまい。どこかしらの許可は出ているのだろう。そうだというのならば、クルスは命令に従うほか無い。予定時刻も迫っている。


 クルスは観念して、足下の整備員達の誘導に従って機体を格納庫から歩かせる。


「――!」


 何だか後ろから息を呑み込む様な気配が伝わってきたが、気のせいだろうか。

 ちらりと背後を窺って見るも、いるのはいつも通りの表情を浮かべる整備員の姿である。彼女はクルスの視線に気がつくと同時に眉根の角度を垂直に近づけたので、クルスは直ちに正面へと向き直った。


『七番機、コードを発信。指定された滑走路を使って離陸せよ』

「了解」


 管制塔から送られてきた誘導指示に従って、機体を蒼穹の下へと晒させる。長く伸びた滑走路には一切の障害は無い。白い夏の光が蒼躯の機体を輝かせる。

 指定位置につきフロート機構を作動させて機体が地面から浮き上がる。後は推進ユニットを作動させて加速と共に機体を飛翔させるだけなのだが――、


「そういえば」


 その直前でふと気になったことを口にする。


「お前、搭乗経験はあるのか?」


 それは素朴な疑問であった。

 万能人型戦闘機は戦闘兵器であり、誰もが気軽に乗る様な代物ではない。ただ直進するだけの単純動作ならばともかく、急制動や旋回を含めた実践的な機動は乗るものに大きな負担を強いることになる。

 いくら万能人型戦闘機と密接な関係にあるとはいえ、果たして整備する立場にある彼女に搭乗経験があるのかは疑問である。


「安心しろ。技術学校にいた頃にこれと同じ複座型に乗った経験がある。…………低速の単純移動だけだけどな」

「おい、最後にものすごく不安になる言葉が聞こえたんだが?」


 口元を引き攣らせた。

 速度を抑えた単純移動など、搭乗者に殆ど負担は無いはずである。それこそ一般的な航空機に乗るのと大差ないだろう。

 だがこれからクルス達が指定空域で行うのは実戦を想定した起動試験だ。その際に搭乗者にかかる負担は低速機動の比ではない。


「安心しろ。G軽減用のナノマシンは注入されてる。死にはしないはずだ」

「想定が物騒すぎるだろ!? 後部に死体が乗ってるとか嫌ってレベルじゃないぞ!?」

「もういいから、早くしろ。予定が狂うぞノロノロノロ」

「増やすな!」


 クルスはそう言葉を返すも、


『――七番機、何故発進しない? 何か問題が発生したか? 返答せよ』


 彼女の言葉を後押しするかの様なタイミングで、管制塔からの通信が入る。

 こちらの決断の背中を押す様な言葉にクルスは思わず短く呻いてから、仕方がなしに覚悟を決めた。――最悪、やばそうだったら演習を止めればいい。その際には急制動ではなく、ゆっくりと減速するべきだと脳内でしっかりとシミュレーションをしてから、


「――こちら七番機、問題無い。出撃する。……ああ、くそ……。どうなっても知らないからな!?」


 そう若干捨て気味に言って、フロート状態のまま停止していた機体の推進ユニットに火を灯す。甲高い唸り声を上げながら、機体が急激に速度を増していく。それに合わせて機体を前傾姿勢へと移行させ――一気に重圧が増す。


 クルスには既に慣れたもので、かつての乗機に比べればその度合いもかなり軽い。心地よさすら感じる範疇だ。だが果たして自分の背後にいる人物にとってはどうだろうか。慣れない人間にはこれだけでもそれなりの圧迫は感じそうではある。気にはなるが、離陸直前の今でそれを窺うことは出来ない。


 与えられた長い滑走距離を活かして充分な速度を得た蒼躯の機体がふわりと、落ち葉が風にでも吹かれた様に浮き上がる。

 フロート機構によって元々浮かび上がっていたが為に、離陸の際の衝撃は殆ど無いに等しい。あるのは複合装甲の中にいてなお感じる、前面から訪れる圧迫感。


 二人の人間と一抹の不安。


 それらを抱えた鉄の巨人が、夏の広く高い青空の中へと飛び上がっていった。










 行う項目自体は昨日の内容と何ら差異は無い。

 指定空域内に設置された乱数機動を行っている四十四の仮想標的機を全て撃墜するのが動作試験の内容だ。


 ただし武器として使うものは実弾でもなければ、模擬戦用のペイント弾でもない。万能人型戦闘機用の突撃銃先端に取り付けられた発信装置がトリガーと連動しており、そこから発信された判定信号を仮想標的機が受け取り、撃墜判定を受け付けた場合は速やかに領域外へと離脱していく仕組みになっている。


 実態の無い仮想の弾丸を扱うその特性上、弾道に風圧などの外的要因が存在せず実際に射撃を行うのとは感触も違うところもあるが、発射時の衝撃等は擬似的に再現されているため馬鹿にしたものでもない。何よりも弾薬が消費されることもなければ的である仮想標的機が破壊されることもないため、非常にローコストである。シンゴラレ部隊の面々が行う機体調整ではよく用いられる手法であった。


『こちら二番機ー、配置についたよー。そっちのほうはどうー?』


 そう間延びした声を送ってくるのは、昨日と同じく随伴機として同行していてきたエレナである。


『――七番機、配置終了。いつでも開始可能だ』


 クルスは返事をする。


 発した言葉に偽りは無い。

 複合感覚器(センサー)に幾つもの反応を捉えながら、クルスとその搭乗機である〈フォルティ〉はいつでも動作試験に臨める状態にある。

 ただ、唯一の不安があるとすれば――、


「……本当に大丈夫なんだな?」

「何度もそう言っているだろ。しつこいぞアカピーマン」

「…………それは、悪口なのか?」


 後部座席にある、その存在であろう。

 険のある目つきをした彼女は現在の高度にあっても普段とまるで遜色ないのだが、実機動を行ってからもそうでいられるとは正直思えなかった。


 彼女の事が心配というのもあるのだが、どちらかというとそれよりも、飛行の最中に背後から酸っぱい匂いをした液体が飛んできたりしたら嫌だなという気持ちの方が強かった。ゲーム時代、プレイの前に近くにバケツを用意しておくプレイヤーがいたというのは界隈では有名な話だ。


 とはいえ。

 ここまで来たらもうやるしかないのも事実である。後はお互いの身に最悪の事態が訪れないことを祈るしかない。


 クルスは短く切る様に息を吐き出しながら覚悟を決めて、


「五秒後に開始する」

『了解ー』


 言葉を合図にして、機体の表示画面の片隅に随伴機とリンクしたカウンターが表示される。何の装飾も無い簡素なデジタル数字が秒刻みで減少していくのを眺めていく。


 五

 

 四

 

 三

 

 ぽつりと呟いた、


「……舌噛まないようにしておけよ」


 二

 

 一



「――……ん」



 そう掠れる様な小さな声が聞こえると同時に、表示されていた数字が消滅する。


 瞬間、蒼躯の機体が飛び出した。

 楔を放たれたかの様に青白い噴射炎を吐き出し、獲物目掛けて疾駆する。その姿は与えられた狩猟場に猟犬が駆け出したようでもある。


 真っ先に目をつけたのは右方に一塊になっている標的群。火器管制が行う自動捕捉を惑わす様に無秩序な乱数機動をする仮想標的機を視認、見定めて、火器管制の自動捕捉機能が対象の機動予測をし終えるよりも早く、引き金を絞る。


 重心点へと正確に被弾信号を受け取った仮想標的機が次々と領域外へと離脱して行く。


 複合感覚器上から反応が消え、役目を終えて離脱していく標的には脇目も振らずに機体を加速、そして旋回――ここに来るまでとは比べものにならない程のGが中に収まっている二人の人間へ襲いかかる。


 ナノマシンによって血流が正常に働くよう補助が行われているはずだが、それでも身体の中身が片側に偏る様な感覚がある。


 そんな最中で、クルスは機体の感触を隅から隅までゆっくりと指でなぞる様に味わっていく。

 そして感嘆する。先日の動作テストで感じていた様な違和感が今ではまるで感じない。各種制御系に存在していた、数値でも表れない様な僅かな差異。些細なものとはいえ、それは感覚が鋭い搭乗者である程、その者の繊細な動作制御に大きな影響を与えてくる。

 ただそれだけに、感じる違和感は理性よりも感覚によるものが大きく、他者に説明するのは難しい。


 クルス自身それを上手く口で説明出来ていた気はしていなかったのだが、後ろに居座る整備員は昨日のやり取りで見事にそれをくみ取り、その要望に従って修正してきたのだ。

 大した手間もなく機体弄りが行えていた『プラウファラウド』ならばともかく、全てが現実のものとなっている現状でそれがどれだけ困難なことかはクルスも理解しているつもりだ。


 極端な軽量化を施した〈フォルティ〉をちゃんと機体として成り立たせている事といい、やはり腕は良いと改めて実感する。


 ――これでもう少し性格がなあ……


 そんなことを思いながらも、クルスの動きに迷いはない。


 尻尾にも見える抵抗尾翼を立てて減速と同時に急旋回、意図的に推進ユニットの偏向調整をずらして、通常ではありえない向きと角度を保ちながら蒼躯の巨人が空で弧を描く。


 最早お決まりの如く、自動姿勢制御機構(オートバランサー)が悲鳴を上げ始めるが、それを上手く宥め、或いは強引に押さえつけ、自分が脳内で描く軌道を機体に取らせようと――


「――ぅ」


 その時、微かな隙間から漏れ出た様な呻き声が背後から聞こえてきて、クルスは収束していた意識を拡散させた。普段は存在しない背後にいる人物を思い出して、はっとする。


 軽量化を施した機体による、手動操作を多用した高G旋回機動。如何にナノマシンの恩恵があるとはいえ、慣れてない人間が平然としていられるわけがない。クルスとて『プラウファラウド』の時に軽量機に乗り始めた頃は、それまでの中量機とは比べものにならない負担に追いやられ、仮想現実から抜けた後も頭の中が揺れている様な錯覚に襲われていた。

 軽量機の成り損ないとはいえ、殆ど搭乗経験の無い人間がクルスの行う高速機動を味わって平然としていられるわけがない。


 出撃前に脳内で想像していたとおりに、機体を正常姿勢に復帰させて緩やかな減速を行おうとする。


 もとより今日の動作試験は昨日の誤差修正の確認が目的である。短時間とはいえ、機体の修正が成されていることは既に把握した。それが済んでいる以上、無理に実行する必要は無い。

 クルスは停止させるべきだと速やかに判断し、


「――手加減、したら、意味ない、だろ……バカ、アホ、お人好し……!」


 背後から飛んできた罵倒――と言い切るには若干首を捻るが――に思わず行っていた動作の手を緩めた。なおも声は続く。


「私のことは、気にするな……。後ろに荷物がある、程度に思って、動作テストを続行しろ……」

「いや、そうは言ってもお前……」


 聞こえてくる声は息も絶え絶えで、直接見なくともその顔色が蒼白に染まっていることは想像に難くない。だが、


「いいから、続けろ。昨日よりも仕上がってるんだから……、撃墜記録が延びてたら、承知しない、ぞ……」


 言葉尻に罵倒を付け足す余裕もないのか。

 聞こえてきたその言葉に、クルスは舌打ちを漏らす。



「――ああくそ」



 理解は出来ない。

 だが、彼女の言葉には嘘も揺らぎもなく、そこに真摯ともいえるような力強さが込められているのをクルスは確かに感じ取った。そうしてしまえば、クルスにとれる道など一つしか残っていなかった。そんな思いを前面に差し出されて知らぬ顔を出来るほど、クルスは達観してはいない。


 自分も相手も、どちらも馬鹿に違いない。

 クルスは思いっきし頭をかきむしりたい衝動に駆られながらも、自動姿勢制御機構の働きによって安定姿勢を取り戻しつつあった機体を再び傾けさせた。


 目指す先は、複合感覚器に大量の反応を残す仮想標的群。


「後で文句言っても知らないからな――!」


 搭乗者の言葉と共に、機体が加速した。




***




 現在の気分は最悪だった。 

 目の前のモニターには機体の状態と、前部の搭乗席からどのようなコマンドが機体へ入力されていっているのかがリアルタイムで表示されていっているが、それに気を割く余裕はミサには存在していなかった。


 例えるならば、缶詰の中の具在だろうか。


 ああいう保存食の類いにはよく注意書きに、空ける前に良く振ってくださいと記されている。沈殿物を均等にするための動作であるのだが、ミサの今の心境はまさにその沈殿物である。上下左右に振り回され、自分を取り巻く景色が目まぐるしく変わる。上下の感覚などとっくになくなっていた。今ならば地面に頭から突っ込んでいっていたとしても、まるで気づきはしないだろう。典型的な空間失調の状態であった。


 だからミサは出来ることを極限まで絞り込む。


 取捨選択した結果、残ったのは僅か二つ。

 意識を手放さなぬよう必死に食らいつくことと、耳を澄ます。

 ただそれだけである。

 ただそれだけの動作であったが、それが何よりもミサにとっては重要だった。


 こうして間近で耳を澄ませてみると分かる。

 改修を施され奇形となった〈フォルティ〉と、それを操るクルスという搭乗者。

 この二枚の歯車の間に齟齬は殆ど存在していない。


 クルス=フィアという高速で回転する歯車に押し出される様にして、噛み合ったもう一枚の歯車もぐんぐんと回転していっている。そこには異音など無く、二枚の歯車が高ピッチで稼働している軽快な音が鳴り響く。


 ならば、自分が感じていた異音は全て気のせいだったのか。


 いや、そうではない。

 確かにこの場に異音は発生している。

 ギチギチと歯車が擦れる不協和音。心が逆撫でされていく様な、不愉快な音。

 発信源はクルスでもなければ〈フォルティ〉でもない。


 搭乗者。

 万能人型戦闘機。

 二つの要素に続く、もう一枚の歯車。


 今ならば、食堂で祖父が浮かべていた呆れ友受け止められる表情の意味がよく分かる。

 それは呆れるほど単純な答え。

 忘れてはならない要素。

 異音の原因となっていた、歪な歯車。



 それは、自分自身。

 ミサ=コスタニカという存在が、異音を発している原因そのものであった。



 昔から自分は出来が良かったという自覚がある。

 分からないことがあれば素直に人に尋ねたが、少なくとも同年代の人間に何か頼った記憶は無い。それが原因なのか、他人という要素に関しては限りなく無頓着で過ごしてきた。同じ整備班の人間にしても最低限の交流は持っているが、交友となると途端に薄くなる。


 ローテーションに合わせて不特定多数が扱う一般部隊の機体を相手取るには、それでも問題は無かった。極端な話、搭乗者の事などまともに把握して無くとも機体を万全にしておけばいいからだ。

 だが、機付きの整備員となった今ではそれだけでは不十分なのである。


 万能人型戦闘機と搭乗者は二つで一つ。

 この言葉は決して、万能人型戦闘機という要素を搭乗者に投げっぱなしにすることを意味する言葉では無い。 


 ともすれば、自分は機体以上に搭乗者の事を知る必要があるのではないか――

  

「――」


 視界が定まらない。

 パイロットスーツで補強されているにも関わらず首がもげそうなほどに振り回されるし、本当に自分の体内にあるナノマシンは稼働しているのかと疑わしくなるほど、身体のうちに圧迫感を感じる。実際には座っているだけだというのに、汗が額を流れていっていた。


 それでもミサは維持と気合いで歯を食いしばって、正面の画面に視線を集中させる。


 そこには大量の文字列が次から次へと、洪水の様に表示刺されては流れていく。それらは全て、この機体にリアルタイムで入力されていっている動作の羅列であった。

 本来機体に備わっている自動機構の干渉を極端に嫌うクルスの操縦入力は、一般的な搭乗者のそれと比べても極めて煩雑且つ膨大な量を持っている。


 かつては入力ログ以上の意味を持っていなかったその文字羅列が、今は全く別のものとして認識出来た。


 これは、機体を操る搭乗者の言葉だ。


 大量の文字を通してそこに存在する搭乗者の意図を読み取り、何がしたいのかを把握する。遊びも無駄も無い。一見意味が無く思える行動にも、何かしらの理由がある。


 一度そのことをを理解すると、目の前に現れているそれは、クルスの口から語られることよりも遙かに雄弁であった。前部座席に座る年下の搭乗者が何をどうしたいのかが、次々と頭の中に刻まれていく。


「――あははは……」


 ともすれば意識が飛びそうな環境の中で、ミサは自然と笑い声を漏らしていた。何故こんな事に気がつかなかったのだと思うと、笑いを堪えきれなかった。今までの自分に呆れてものも言えない気分だ。


 漏れ出たその声は、狭い空間の同居人にとっては不気味に思えたらしい。意識が錯乱したとでも思ったか。


「――おい!?」


 そんな叫び声に、ミサは一層口の端を歪める。


「いいから、集中しろ、クルス」

「――」

 

 何だか驚く様な気配が伝わってきたが、ミサは取り合わない。現在におけるクルスとの会話は、口でするよりも遙かに効率的な方法が別にあるのだから。


 万能人型戦闘機はそれ単体では完結しない。

 万全の機体と、それを操る搭乗者。


 そして、その二つの要素をかみ合わせる為の整備員という繋ぎのための歯車。


 三つで一つ。


 祖父が呆れるのも道理である。

 搭乗者が整備員を蔑ろにするならともかく、整備員自身が己の存在を忘れていたのである。それで苛つき頭を悩ませていたのだから、傍目から見たらさぞ滑稽であっただろう。想像すると顔から火が浮かび出そうになる。



 ――ガリガリガリ



 幻聴する耳障りな不協和音。

 鳴り響く異音の原因は機体と搭乗者ではない。搭乗者と自分が噛み合わずに聞こえてきたものだった。


 機付きの整備員とは、搭乗者の要望に従って機体を改修するだけの者ではない。

 搭乗者をより理解、或いは本人以上に相手のことを把握、熟知する、そんな存在であるべきだった。そうして初めて、自分は第三の歯車として加わることが出来る。



 果たして自分にそれが出来るか。

 対人関係を築く能力はお世辞にも良好とは言えない。その自覚はある。友人と呼べる様な関係を持つ人間は片手の指にも足りず、名前と顔だけしか知らない人物が殆どだ。



 きっと、当分はこの耳に残る不協和音が消えることはないに違いない。


 だが、それでも。



 ガリガリガリ――――――――カチ――――



 ほんの一瞬だけ、幻聴の中に歯車が噛み合う音が聞こえた気がした。




***




「なんだありゃ?」


 部隊の格納庫にやって来たシーモスは、その一角で繰り広げられている光景に思わず呟いた。口に咥えていた煙草を思わず落としそうになって、それを見咎めた整備員の一人が注意を促す。


「中尉、格納庫内は火気厳禁です。煙草を吸いたいなら外の喫煙所でどうぞ」

「――ああ、そりゃ悪かった」


 差し出された水入りの容器の中に火のついた煙草を差し込みながら、シーモスはなおも変なものを見る様に視線を先へ向けて動かさない。

 傍らに立つ整備員はなおも何か言いたげではあったが、結局何も言わずにその場を去っていった。その代わりというわけでもないが、シーモスは丁度視界の隅に入った背の低い人物の元へと足を進める。その間にも視線は格納庫の一角にある珍事を見ていた。





「……なんだこれ?」

「感謝しろ。お前は口で説明するのが下手くそで、報告書の内容も小学生の読書感想文レベルだからな。特別に項目別に分けた猿でも出来るレベルの書類様式を作ってやった」 

「あぁ、うん。それはありがたいんだが…………なあ、必要なのか? この質問本当に必要なのか?」

「必要に決まってるだろうアホチン」

「絶対嘘だろ! なんで欄の中に今日の朝食やら、持ってる私服とか、休日の過ごし方なんて項目があるんだよ!? お前何? 俺の何なの? お母さんなの? 管理してるの?」

「だれがお母さんだ。整備員に決まってるだろうが、アカピーマン」

「どう考えても整備員に知らせる内容じゃねえから、これ! ……それと以前も言ってた気がするけど、なんで赤ピーマン? それ悪口じゃないと思うんだが」

「私の一番嫌いな食べ物だ」

「私的すぎるだろ。ピーマンの肉詰め食わせるぞこの野郎……!」

「別に私のことはどうでも……いや、お互いに知り合った方が発展を望めるのか……? …………よし。私はミサ=コスタニカ、歳は二十二だ」

「なんでこのタイミングで自己紹介を始めた!? 無愛想毒舌キャラが唐突に不思議ちゃんになってる!?」

「趣味は機械弄りだな。特に前時代的だが一切の無駄が無い洗練された仕組みを見ると感動すら味わう」

「訊いてねーよ! そしてお前は俺の話を聞けよ!」




 場違いというか何というか。

 鉄と油の臭いが充満したこの空間に、年若い子供の声が聞こえているのをシーモスは呆然と見やった。


 片方はシーモスと同じ部隊に所属するクルスである。独立都市アルタスではあまり見ない黒髪を持った少年は、狼狽した声を響き渡らせている。

 対する相手は、赤茶色の長い髪を持った整備員である。特に交流を持ったことは無いが、珍しい女性整備士ということもあってシーモスも何となくは知っていた。そう言えばクルスの機付き整備士になったのも彼女であったかと思い出す。

 それが一体何故、格納庫内で漫才を始めているのだろうか。

 首を捻る。


 他に気になるのは、その二人の位置からやや離れた場所でじっと立っている少女の存在であろうか。人形の様に整った顔立ちをした金髪の少女――セーラはその二人の会話に加わるわけでもなく、それこそ人形の様に微動だにしないままその二人を見やっている。

 彼女が一体何を考えているのか、シーモスがその佇まいから窺い知ることは出来ない。


「で……、あれはなんだ?」


 向かった先にいたタマルへと視線を向ける。 


「私が知るか」


 タマルは面倒そうに肩を竦めた。

 それは小生意気な子供の仕草にしか見えなかったが、そのことを口に出すととんでもない逆襲が待っているので自嘲する。


「あー……」 


 これでまたシンゴラレ部隊にまつわる変な噂が流れそうだなと考えながら、格納庫の一角にあるその光景を前にして、呟いた。


「なんだか、あれだな……」

「あん?」


 ぽりぽりと頬を引っ掻くシーモスの言葉に反応して、タマルが視線を寄越してくる。背の低い彼女がその動作をやると必然的に横の黒人男性を見上げる様な形になるのだが、それはさておき。


「あいつらを見てると、今が戦時中って事を忘れそうになる」

「……まあ、そうだな」


 呆れとも感心ともつかない微妙な色を含んだ声音に、タマルはしばしの逡巡の後に同意してみせた。一瞬同意に躊躇ったのは、見た目中学生未満の自分もその要因の一つなのではないだろうかと思ったからであった。身体的な問題で仕方がないこととはいえ、それを肯定するのは業腹なのである。

 と。


「――いいじゃないですかー」


 間延びした声が二人の耳に聞こえてきた。


「なんだいたのか」

「いましたよー。お二方よりもずっと早くいましたからねー」


 いつの間にというシーモスとタマルの反応に、プラチナブロンドの美しい女性――エレナが小さく口を尖らせる。美人という言葉を当て嵌めるに相応しい容貌だというのに、それに似合わぬ仕草や格好を好むのはいつも通りである。

 少しだけ憮然とした表情を浮かべていたエレナであったが、すぐにいつも通りの柔和な笑みに表情を戻した。


「戦時中だからってずっとぴりぴりしてる必要なんてないですよー。必要なときに必要なことをすればそれで良いんでーす」

「まあ、一理あるか……」


 要はさじ加減が重要だというエレナの言葉に、シーモスも同意する。

 張り詰めたいとは存外切れやすいのと同様、緊張感とは時に大きな負担となる。ずっと意識を張り詰めているのはとても合理的とは言えない。

 ……いや、そもそも緊張感とはなんだっただろうか。


 ふとそんな思考が頭を過ぎる。


 既にこの都市は、隣国と三十年間戦争を続けている。

 間には二度の停戦期間が挟まっているが――それにしたって長い年月だ。この基地の中には戦争の中で生まれ、戦時下しか状況を知らない世代もいる。戦争税があることが当たり間となっている時代だった。

 争っていることが当たり前であり、戦争が常に身近にあることしか知らない世代。

 果たして彼らは今の状況下で特別な緊張感を感じているのだろうか。彼らにとってはその状況こそが日常であり、長く続く戦争が終わったその時にこそ、体験したことのない非日常が訪れることになるのではないか――いやそもそも、この戦争に終わりなど来るのだろうか。


 漠然とそんなことを考えるシーモスに、横に立つタマルが胡乱げな視線を向けてくる。 


「なぁにが――一理あるか……、だ。お前はしょっちゅう気を抜きまくりだろうがよ」


 そう言われてしまっては、シーモスに反論する手立てはない。


「……さじ加減が上手いんだよ」


 シーモスは苦笑しながら肩を竦めると、向けられた視線から逃げる様にして外の喫煙所に向かって歩き出していった。






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