分水嶺 - II
別に〈レジス〉もそれで終わると思っていたわけではない。
ただ相手の動きを制限させるなり、相手が攪乱幕を発動させるなり、そういった副次的な効果を期待していただけである。
だから相手の気勢を削ぐ目的で発射した誘導弾が相手に一切の損害を与えられなかった、そのこと自体には文句はないのだが。
「……ちょっと、それは反則じゃないか?」
目の前で起きた光景を見てしまえば、思わずそう呟かずにはいられなかった。
戦火の爪痕。
戦闘の残骸である鉄片が辺りに突き刺さっている古の墓標。
荒れ果てた大地に立ちこめる爆炎の中から、異形の万能人型戦闘機が姿を現す。
闇よりも深い漆黒の装甲を纏ったその万能人型戦闘機は、その血色に染まった頭部感覚器を空を飛ぶ〈リュビームイ〉へと向けて、はっきりと認識したらしかった。
飛翔する〈リュビームイ〉と高度を合わせるかのように、漆黒色の敵機が青白い噴射光と共に大地から身体を浮かせ上がる。
――速い。
大型の光化学兵器をその手に持っているにも拘わらず、その機動力は軽量級の〈リュビームイ〉にも匹敵する。
「――ち」
飛翔する〈リュビームイ〉もまたその速度を加速させた。
こちらに向かってくる相手に対して、受けて立つように〈レジス〉も直線的に機体を向かわせる。
高速機二機の速度を受けて、彼我の距離が凄まじい速度で消えていく。
こちらを見据える異形の敵機が銃口を傾ける。
その狙う先は言うまでもない。
次の瞬間、〈レジス〉は速度を緩めぬまま機体を回転機動させた。
空中で身体を螺旋運動させる〈リュビームイ〉のすぐ脇を、真紅の光が駆け抜けていく。
余熱で機体側面の温度が上昇するが、許容数値を超すことはない。
仮想現実空間だというにも拘わらず、擬似的に再現された強烈な遠心力が〈レジス〉の身体を襲った。
しかし、その中でも〈レジス〉には余裕がある。
夢見る数多のプレイヤー達をふるい落としてきたその重圧も、軽量機乗りの〈レジス〉にとってはもうすでに馴染み深いものとなっていた。今更意識するものでもない。
搭乗者の身体に襲いかかる負担には一切構わずに、〈リュビームイ〉の持つ両手の突撃銃を敵機へと向ける。
対万能人型戦闘機用の大口径ライフル。
その照準が相手を捉えた瞬間、容赦なくトリガーを引く。
フルオートで連射されていく無数の弾丸達が、火薬の炸裂音と共に相手に牙を剥いた。
お互いに直線で並び合った上での、面制圧射撃。
通常であれば必中のタイミングであるが。
「――やっぱこれもダメか!」
その弾丸が敵機を貫くことはなかった。
それは最初の光景の焼き回し。
雨あられと降り注ぐ銃弾の嵐を目前に、敵機の背部に装備された箱状の兵装が展開する。その断面を晒すようにして姿を現したのは、無数の発射口である。
まるで蜂の巣のように並んだ穴から、光が溢れ出る。
そして、次の瞬間。
五十発を超える弾丸の群は、全て消えて無くなっていた。
無茶苦茶だと、毒づく。
近接防御兵装。
それによって、必中であったはずの弾丸は全て撃ち落とされたのだ。
現実にもCIWSという似たような兵器が存在する。
それは主に軍艦などに装備される短射程兵装で、接近してくる対艦ミサイルなどをセンサーで察知、ガトリング砲を用いて迎撃するための自動システムなのだが。
恐らく相手の兵装もそういう類いだ。
機体に高速飛来する物体を認識、排除する、自動迎撃装置。
CIWSと異なるのは今敵が使用しているのは質量を持った物体弾ではなく、光化学兵器を利用した非実在弾であるということ。そして呆れるほどに高精度を誇るということ。
確かに、現実にはありえない兵器で戦うのも、仮想現実の醍醐味と言えるだろう。
しかし。
「――秒足らずで五十発以上の弾打ち落とすのはやり過ぎだろ!」
敵として出てきた以上、それは驚異でしかない。
あの反則級の迎撃兵装がある限り、〈レジス〉の攻撃は全て封じられたも同然だった。唯一の救いは射程が短そうな所だが、それも慰め程度にしか映らない。
「ち」
再度舌打ちを一つ。
こちらを狙って次々と飛来する赤い光の隙間を駆け抜けながら、期待せずに応射する。
案の定、無数の弾丸は全て一瞬のうちに消滅させられた。
どうするべきか。
思考を加速させる。
今こうしている間も、敵は一方的に手に持った光化学兵器で攻撃を仕掛けてきている。易々と当たるつもりはないが、大地を溶解させるほどの熱量を持った大火力兵器だ。
一撃でも貰えば、装甲の薄い〈リュビームイ〉はこの荒野で屍を晒すことになるだろう。
「あーくそ、リュドがいてくれれば楽だったのにな」
彼女の超破壊力を持つ電磁投射砲ならば、あの相手の超性能CIWSを問答無用でぶち抜くことが可能だろう。
もちろんこの特別任務は寮機の同行を認められていないので、無い物ねだりでしかないのだが。
そろそろ彼女もログインしている時間かなと、場違いに銀髪の少女のことを思い浮かべながら〈レジス〉はその双眸をナイフの切れ目の様に細めた。
「…………狙うなら近接戦闘か」
そう判断する。
近接戦闘といっても、この場合は十八番である近距離間合いでの銃撃戦を意味しているわけではない。
〈レジス〉が勝機を見出したのは、超至近距離での正真正銘の格闘戦闘である。
〈プラウファラウド〉の世界において、超高温のプラズマブレードや超振動ナイフは兵装として確かに存在するが、実戦で用いられることは滅多なことではない。
そういった白兵戦兵装は確かに重装甲機体の特殊装甲板も貫通しうる破壊力を備えてはいるが、そもそも視界外から誘導弾が飛んできたり、何百メートルも離れたところから銃撃戦を繰り返すような戦場で白兵戦など殆ど出番はない。
間合いに入る前に蜂の巣にされるのがオチだ。
白兵戦用の兵装はむしろ対万能人型戦闘機に使われることは極希で、施設の破壊や、弾薬を惜しむ貧乏性のプレイヤーが一般車両などの破壊に用いられる場合が殆どである。
それでも〈レジス〉がそこに活路を見出したのは、僅かな間に相手の超性能CIWSの特性に気がついたからである。
ミサイルはおろか突撃銃の掃射すら全て迎撃して見せた驚異の兵装ではあったが、攻撃の用途に用いる様子は一度もない。
単純に出来ないのか、出力が足らないのか。
理由は分からないがその機能がないことは、先程機体を擦れ違わせたときに攻撃されていないことからも明白だ。
ならば取るべきは一つである。
茜色の大空を〈リュビームイ〉が飛翔する。
対するは漆黒の巨人。
異形の万能人型戦闘機。
お互いに距離を一定に保つように空を駆け抜けていた二機の巨人。
そのうちの片方、夕日色に染まった〈リュビームイ〉がその均衡を打ち崩す。
残量が半分を切った増槽を空に放棄して、獲物を狙う猛禽類の如く上から下へ、直線的に襲いかかる。
重力をも味方につけたその加速は、機体を亜音速の世界へと突入させていく。
漆黒の敵機がお決まりのようにその銃口を向け。
次の瞬間〈レジス〉は両手に持っていた突撃銃を正面に向かって投棄した。
紅蓮色の光が漏れ出いた敵の銃口が僅かにぶれる。
『!』
突撃銃と名称したところで、それは八メートルの巨人が持つ火器だ。
その口径は戦車の主砲よりも大きく、またその発射機構を備えた銃本体の質量も膨大なものとなる。
機体前面に突然出現した質量物体に、敵の火器管制システム(FCS)が自動で反応した。
火器管制に引き摺られたまま敵機の大型砲から真紅の矢が発射され、黒い銃身を一瞬のうちに赤熱色に溶解させる。
一切速度を落とすことなくその脇を〈リュビームイ〉に駆け抜けさせながら、下手くそと、口の中で呟く。
異形の万能人型戦闘機。
大地をも融解させる光化学兵器に、軽量機にも匹敵する機動力、そしてあらゆる射撃を無効化する自動迎撃システム。
確かに強力な機体だ。
だが、それだけだ。
人の意思の介入しない自動迎撃に、火器管制システムに依存した射撃行動。
そこにはまるで搭乗者の技量というものが感じられない。
――その機体は確かに速く、強いが。
「おせえええええええ!」
それでは〈レジス〉の敵には成り得ない。
何千と戦場で戦い続けてきた〈レジス〉は知っている。
もっと強く、全ての動きを予測する搭乗者がいた。
もっと速く、死角を突いてくる搭乗者がいた。
もっと上手く、精密射撃を仕掛けてくる搭乗者がいた。
身を削り、誇りをかけて戦い合ってきたその者達と比べれば、この相手はあまりにも下手くそだった。
急降下する〈リュビームイ〉の腕部甲から、内蔵式の超振動ナイフが姿を現した。甲高く獣が鳴くような音と共に、ナイフが震動を開始する。
今になって〈レジス〉の狙いを察したのか、漆黒の機体が後方へと回避行動に移った。しかし、増槽を捨て、両手に持った突撃銃を捨て、重力を味方につけた〈リュビームイ〉の速度は既に最高速に達している。その行動はあまりにも遅すぎだ。
悪あがきとばかりに敵機の銃口に赤い光が灯り始めるが、
「近距離間合いでそんな大型銃が取り回せるわけないだろうが!」
〈リュビームイ〉がその腕を一閃。
驚異の火力を誇った光化学兵器が銃身半ばで切断される。
そして、異形の敵機はまるで想定していなかった事態に思考を固まらせたかのように、動きを一瞬硬直させた。
ただのCPU制御だと思っていたが、案外運営の誰かが操縦でもしているのか。何にせよ、未熟としか言いようがない。
この状況、この事態。
無駄にしていい時間など存在し得ないというのに。
『――――、――!』
だがそれでも何か、執念でもあったのか。
二の太刀で相手の胸部を貫こうとしていた〈リュビームイ〉の右腕を、漆黒色の異形は逆の手で掴み取った。
亜音速を保ったまま〈リュビームイ〉が漆黒の機体と衝突する。
空気が鳴動し、周囲一帯に異音が響き渡った。
「――ぐ」
凄まじい衝撃がコックピット内を襲う。
ぐらぐらと視界が揺れ、操縦席に締め付けられた身体が悲鳴を上げる。
機体の装甲が潰れ、周囲に無数の鉄片が割れたガラスのように飛び散る。果たしてその被害が大きいのはどちらの機体か。
それでも、〈レジス〉は目の前に映る赤い光を湛えた漆黒の機体から目を逸らすことはしなかった。
機体の速度を緩めることなく、超振動ナイフを押し込もうとする。
だが、重装甲を支える必要の無い〈リュビームイ〉の、各部の間接を駆動させる動力モーターは出力には恵まれていない。ましてや相手はイベント用の特殊仕様の機体である。
甲高い音と共にたちまちに〈リュビームイ〉の前肢の内部フレームが悲鳴を上げ、火花を散らすと共にその手首ごとひしゃげる。人間の手にあたるマニピュレーターも潰されて、中の配線が剥き出しになっていく。
そこに勝機を見出したのか、異形の敵機に殊更強い光が灯る。
それは、これまで異形の万能人型戦闘機がずっと機械的に戦っていた姿が嘘かと思うような姿。
まるで生命の在処を脅かされているかのように、必死の抵抗を見せつける。
だがしかし。
「――じゃあな」
次の瞬間。
漆色の異形を持った敵機の胸部装甲に、下から上へ突き抜けるように超振動ナイフが突き刺さっていた。
どろりと、内部の燃料部にでも貫通したのか、切り口から赤い液体が流れ出てくる。まるでそれは致命傷を与えられた人間のようで。
必死の抵抗を見せていた敵機から、力が抜けた。
呆然と、何が起こっているのか分からないという風に、自分の胸に突き刺さった刃を頭部感覚器で見やる。
種も仕掛けも無い。
ただ〈リュビームイ〉が内蔵していた超振動ナイフは両手にあった。
たったそれだけのことである。
『――、い――――、――、し――――な――』
「?」
そう最後に通信機から殆ど聞き取れない音声が聞こえてきて。
自重を支えることが出来なくなった異形の機体は虚空へと手を伸ばし、その破片を周囲に零しながら地表へと崩れ落ちていった。
それを視界に捉えた〈レジス〉は朽ち果てていくそれをただ見送る。
その遺骸が大地に叩きつけられて、数多の墓標の仲間入りしたのを静かに見届けて。
十秒。
二十秒。
それだけの時間が経過してから。
視界の端に《敵機殲滅終了》の文字が出現したのを確認して、〈レジス〉は大きく息を吐き出した。
特別任務クリア。
こう言っては何だが、あまり達成感のようなものは湧いてこなかった。
これなら対人戦をやっていた方が楽しかったかなと、そんなことを思ってしまう。
確かに敵は強力であったが、やはり動きに面白みがない。対人戦で身を削り合うような興奮は覚えられなかった。
ただ。
最後の必死の足掻きだけは、やけに人の意思のようなものを感じたが。
まるで本当に死ぬのを恐れていたような――、
そんな事を考えてから、〈レジス〉は自分の愛機〈リュビームイ〉の惨状に気がついた。
「――……右腕全損、正面複合装甲中破、超振動ナイフ以外の兵装オールレッド、残弾無し……。うあー……、絶対やばいよこれ。大赤字だよ」
機体の現状はあまりにも厳しい。
当然である。
数多の武装を使い捨てのように投棄して、その上で敵機と正面衝突、あげくに白兵戦である。
今もモニター上には異常を知らせる数字が次々と表示されていって、自動姿勢制御機構もその機能を完全に失っている。システム補助を切った操作に慣れている〈レジス〉の様な人間でもなければ、とっくに墜落していてもおかしくはない。
「やばいなー……、最悪突撃銃だけは補充してあとは予備で何とか……。あーリュドにお金貸してっていったら怒られるかな。……いや、あの新型ライフルは譲渡じゃなくて売ったんだと言い張れば……」
――ザ
「そういえば特別任務の成功報酬もあるはずだよな? それならいけるか? 最悪現物支給だったとしても誰かに売り払えばそれなりの額に……」
――ザザ
「いやでも、使える限定品だったら……、――ん?」
――ザザザザアアアアアアッ
「……っ!?」
耳元で唐突にノイズが響き渡った。
資金のやりくりに頭を働かせていた〈レジス〉は驚いて身体を浮かび上がらせようとして、しかし身体はしっかりと操縦席に固定されていたので無駄に苦しい思いをした。
「ぐ……、ちょ、ちょ、なんだなんだ?」
通信機から流れ出るノイズに〈レジス〉は焦る。
思い浮かぶのは特別任務開始前、同じように通信機から聞こえてきた音である。人の声らしきものに思えたが、それも今聞こえてくるノイズによって掻き消されていた。
もしあれがイベントの一環だとするならば。
「……おいおい、まさか増援と出てくるんじゃないよな。流石にそれだったら万歳特攻することになるぞ」
思わず顔を引き攣らせてそう呟く。
万歳特攻とは『プラウファラウド』のプレイヤー間で使われる用語で、武装が無くなったり戦闘がほぼ不可能になった状態に陥った搭乗者が、機体一つで敵に向かって特攻することである。
突っ込む際に共有回線で『○○○、ばんざーい!』と叫ぶプレイヤーが頻出するためにそう呼ばれるようになった。○○○の部分には主に自分の所属勢力の名前や、希に女の名前が当て嵌められることもある。
当然ながら万歳特攻したところで、待っているのは自機撃墜という非情な結末でしかないのだが。
――ザザザザザザザザアアアアアアッッ
時間が経つにつれて大きくなるノイズ音。
それが操縦席内部を隙間無く満たしたかと思った瞬間。
それは唐突に。
――――――
音が消えた。
「は?」
訳が分からない。
一体何なんだと、〈レジス〉は思わず視線を彷徨わせて。
がくりと、
「え?」
唐突な浮遊感を感じた。
「ちょ!?」
それは覚えのある感覚。
理解不能な事態でも、〈レジス〉の取った行動は迅速だった。
機体落下は軽量機乗りの嗜みである。
それこそ乗り始めたばかりの頃は地面に頭から突っ込むことも珍しくもなかったのだから、その対処は骨の髄にまで身についている。
高度数字を見やれば、やはり凄まじい速度で数値が下がっていっている。
墜落中。
しかも既に〈レジス〉は上下感覚を失っていた。
空間識失調
現実の戦闘機乗りも陥るという、平衡感覚を完全に見失った状態。
こうなってしまっては、信じられるのは自分の感覚ではなく、画面に表示されている数字だけである。機会を疑い自分の感覚を信じてしまえば、それこそ大地に追突することになる。
下がり続ける数値を見ながら、どうにか機体姿勢を垂直に戻そうと操縦棒に力を入れるも、そこには全く反応が無い。
「なあっ!? ここで操縦不能!?」
〈レジス〉は悲鳴を上げた。
確かに〈リュビームイ〉の状態は壊滅寸前といった酷い具合であったが、それでもどうにかさっきまでは飛んでいたというのに。
「ちょっと待て……」
もしこのまま墜落したかと考えて、〈レジス〉はぞっとした。
ここは虚構の空間。仮想現実でしかないというのに、さあっと血の気が引く音が聞こえてくる。
もしこのまま地面に叩きつけられれば、間違いなく死亡判定を貰うことになる。
『プラウファラウド』が任務をクリアしたと判定されるには、目標を達成した上で、機体を改修地点まで戻すという行程が存在する。
つまり。
「やばい……」
いま撃墜すれば特別任務は失敗ということになる。
「やばいやばいやばい」
おうちに帰るまでが任務です。
そんな頭に来るフレーズが脳裏に浮かぶ。
それと同時に〈レジス〉の中で電卓が高速稼働した。
武装全損、機体全壊、その上、特別任務のクリア報酬も貰えないことになったら――、
〈レジス〉の顔色が土気色に変わる。
必死に操縦棒に力を入れるが、何も変わらない。
「――動けっ、〈リュビームイ〉! 何故動かん!?」
あらゆる手段を用いて機体に再始動を命令するが、反応は無い。
無情に表示され続ける計器の数字だけが、現状を的確に示し続けていた。
「い、嫌だ! 借金はいやだああああ!」
そんな一人の搭乗者の叫び越えも空しく。
その先に何があるかも知らぬまま、力を失った鉄の巨人は大空から奈落の底へと落ちていった。




