花咲く笑顔
腰をかけると深く沈むこの感触にはいつまでたっても慣れそうにない。
応接用に設けられたソファーに座りながら、グレアムはそんなことを考える。座り心地は良いと表現出来るのかもしれないが、軍人である自分とはどうにも相性が悪い様に思う。固い簡易のパイプ椅子のほうが遙かに性に合っているなとつくづく実感する。
そんな教え子の考えを察したわけではないだろうが、西方基地所最高司令官であるソピア中将は目の前の机に湯気の立つコーヒーを置きつつ、微かな笑みを浮かべた。
「落ち着かなそうだな、少佐」
「……ええ、まあ。どうにもこの感触には慣れそうにありません。許されるなら床にでも座った方が落ち着きそうです」
「はっはっはっ、それは勘弁してくれ。私はこれでも巷では英雄などと呼ばれているのだ。報告に呼び出した部下を床に座らせるなどという噂が立ったら困る」
「……英雄ですか」
胡散臭いものを耳にした様にグレアムが呟く。表面上は取り繕っていたが、言葉に含まれる感情の色までは消し切れていなかった。
ソピアが優秀であることは彼がこの防衛基地所の最高司令官に就任してからの成果を考えれば疑う余地も無いが、英雄などという理想像とは遙かに縁遠い人物であるということをグレアムはよく知っている。
特に下世話なゴシップ好きが祟って公私混合をする癖は、下に付く部下としては本当に頭の痛いところである。
「なんだ少佐、言いたいことがあるなら言った方が良いぞ。我慢は健康に良くないからな」
「なるほど。説得力があります」
老齢の域に入りながら些かの衰えも見せずに白い歯を見せた笑う上司に、内心で深く頷いてみせる。と同時に、きっとこの人が健康であればあるだけ、自分は老け込んでいくのだろうなという嫌な実感も持つ。
小さく息を吐き出したくなるのを堪えながら、グレアムは途中で止まっていた報告の続きを始めた。内容は再編成を終えたシンゴラレ部隊の初任務についてである。
これから増して行くであろう裏から支援を受けた組織に対する見せしめとして行った武力行使であったが、横から想定外の介入を受けることになった。
「――まさかセミネールが介入してくるとは思いませんでしたが」
苦々しい感情を抱きながら、グレアムが深刻そうに息を吐き出す。
「クルス少尉の〈フォルティ〉の戦闘記録は回収し、ダミーにすり替え終わっています」
「報告書には目を通したが、あの状況で機体が発見出来たのは奇跡に近いな。搭乗者も無事か」
「はい。疲弊はしていますが外傷等は一切ありません。そう長引きはしないでしょう」
「うむ」
運が良かったと顎髭を撫でながら考える。
クルス少尉の存在を臭わせるものは可能な限りセミネールの視覚外に追いやらなければならない。
今回の事の部隊となった真空トンネル海上中継地点〈ホールギス〉であったが、現在その現場はセミネールより派遣されてきた部隊により立ち入り禁止区域に指定され、閉鎖されている。
彼らの理由はセミネールの送り込んできた万能人型戦闘機の回収である。
彼の企業は自社の製品の情報が他者に渡ることを良しとせず、戦場で撃墜した兵器は回収可能な状態であれば確実に拾いにくる。その際に他勢力の介入は一切許可していない。
それは例え、その万能人型戦闘機によって被害を被った側も例外では無い。
敵軍であれ友軍であれ、セミネールの技術商品には非接触であるべしと世界に向けて公言していた。
あまりにも厚顔不遜。
不平等という範疇では収まらない一方的な内容であるが、それを呑み込まざる得ないのが今の世界の在り様である。
「――セミネールの機体がどこから現れたかは判明していないのですか」
「ふむ、それを聞くか。……残念ながら不明だ。恐らくは高空から輸送してきたのだろうが、アルタスの防衛網とレフィーラの防衛網どちらにも引っかかってはいない」
輸送手段一つとってもこの技術格差である。
今回は運んできたのがただの万能人型戦闘機であったからまだいい。
だがもしその積み荷が、辺り一面を焦土化する破壊力を持った爆弾であったならば。それが誰にも気付かれぬまま都市上空から真下へと投下されていたとしたら。
それを考えれば、逆らうなどいう選択肢が出てくるはずもない。
傭兵派遣企業セミネール。
世界各地に支社や拠点は点在すれども、その中核となる本社や運営委員の所在は一切知られていない特殊企業。他の勢力を突き放し一歩も二歩も先を行く技術の動力源の正体は一体何なのか。
それを知る手立ては無く、あの企業が行ってくる強引な請求にはどこもが首を縦に振るしかないのだ。
それだけにクルスと彼が乗っていた機体の存在は非常に危険な因子である。
あれらがセミネール由来の存在である可能性が濃厚である以上、勝手に解析及び転用している現状は知られれば粛正対象と認定されることになる。
万全を期すならばクルスを排除するというのが確実なのだが、既存機体に乗りながらセミネールの万能人型戦闘機を単体で撃墜する技量を手放すのは惜しい。兵器だけではなく、優れた搭乗者の存在はその周囲の水準を大きく押し上げる起爆剤と成り得るからだ。
「……全く忌々しい連中ですな」
グレアムは不機嫌な色を溜息に込めて吐き出す。
実直であり真面目な軍人であればあるほど、セミネールの目的意識不明な在り方は不愉快に感じてしまう。あれはそういう性質を持つものだった。
「セミネールの傭兵はどこから雇われてきたのでしょうか」
「ゴースト達の組織に武装給与を行っていたのは間違いなくメルトランテで間違いないだろうがな」
「……それでは傭兵も?」
「可能性は低い。与えられていた装備から見ても、あれらは明らかな捨て駒だ。わざわざセミネールに高い資金を払って傭兵を送り込むほどではないだろう。……とはいえ、武装勢力が独自に雇ったとも考えられないか。ふむ」
メルトランテは当然として、最近では都市政府の議員の中で抗戦派と非戦争派の派閥争いの勢も増してきている。そこに加えて、傭兵を雇って送り込んできた姿の見えない存在。
ソピアは湯気の消えたカップをゆっくりと啜った後に、呟く。
「……面倒事は尽きんな」
「全くです」
その言葉にグレアムは短く首肯した。
***
「お、いた」
独立都市アルタスの市街区である。
この都市の主要交通手段であるモノレールを使わずに都市内の人目の付かない箇所を散策していっていたクルスは、思いのほか早く目的の人物を見つけられて思わずそう呟いた。
その声に反応して目的の人物である幼い少女――サシャが振り向いた。
「あ、クルス!」
手入れのされていない伸びた髪に、汚れた衣服。
だが自らのその境遇を感じさせない明るい笑顔をぱあっと浮かべてサシャは駆け寄ってくる。そこには初めて会った時に感じられた警戒心のようなものは一切無い。
「久しぶり! 何か用事でもあった?」
そう言いつつも、褐色肌の幼い少女の視線はクルスの持つ荷物に釘付けになっている。もしこの少女に尻尾が生えていたら、空を飛びそうな程に振り回されていたことだろう。
彼女と会うのは一ヶ月ぶりほどであったが、元気そうで何よりだった。
分かりやすい少女の反応に苦笑しつつ、もしかしてこれって餌付けなのではないだろうかと考える。
「まあ用事というか、また飯でもどうだろうと思ってさ」
「お弁当でしょ!? やった、食べる食べる!」
期待通りの言葉を聞いてサシャは俄然目を輝かせた。
盛んに催促してくる少女に苦笑しつつ、案内された適当な場所に腰を降ろして以前と同じように並んで弁当を広げる。
以前とは違い、冷凍食品を一切使っていない完全自作弁当である。基地を出る前に料理を見つけた顔見知り連中と一悶着在ったものの、その出来栄えは以前の比ではないという自信があった。
「おおー!」
サシャは満面の笑みを浮かべながら箸を伸ばしかけたが、途中でそれを止めた。そしてちらりと少し離れた位置を見た後に、クルスに訊ねる。
「なーなー? あのお姉ちゃんはこっちに来ないの?」
「あー……」
クルスは若干困った様な表情を浮かべて、三人分離れた位置に居座る金髪の少女を見やった。そこにいるのはいつも通りの変わらぬ無表情を貼り付けているセーラである。一緒にいるとも表現し辛い微妙な距離であるが、その膝の上には弁当箱――ミニトマト入り――が置いてある。
未だに監視の任務を解かれていないのか、彼女はクルスに同行してきていた。素性の知れぬ自分を考えれば理解出来る一方で、一体いつまで続くのだろうと疑問も覚えているのだが、それはさておき。
無駄だろうなと思いつつも、クルスは声をかけてみる。
「セーラ、会話に加われとは言わないからせめてもう少し近づいてくれないか?」
そもそも何故彼女が距離をとって陣取っているのか不明であるが、彼女からすればこの行為は必要ないということなのかもしれない。実際セーラにとって、クルスやサシャと一緒に弁当を食べたところで得る様なことは何もないだろう。
声をかけられたセーラはじっとクルスを見つめる。
そのガラス玉のような無機質さを持つ赤い双眸に見られるのもクルスはすっかりと慣れてしまったが、隣に座るサシャには恐ろしく感じられたらしく、クルスの影に隠れる様に身体を寄せた。
「……」
その様子を見ていたセーラはすっと腰を上げて、間にあった三人分の距離を一人分の距離だけ縮めて、また腰を下ろした。
「あー……、まあ、いちおう一緒に飯を食べてるって言える距離にはなった……か?」
人によって意見は分かれそうではあるが、まあセーラの普段の様子を考えれば譲歩してくれた方かも知れない。何となく彼女の行動が、毎日顔を合わしていた野良猫が少しだけ距離を縮めてくれた様に思えた。
……そういえば同じ部隊のタマルやシーモスが時々セーラのことを『猫』などと言い表すときがあったが、それは彼女のこういったところを示していたのだろうか。何となく納得出来る話である。
まあこれ以上気にしていても仕方が無いので、クルスは未だに少しセーラを警戒するサシャを宥めて弁当を食べ始めた。
何を作っても一切表情を変えずに機会の様に一定のペースで機会の様に口を動かす少女や、何を作っても次の瞬間には胃の中にアルコールを流し込む黒人のおっさんと違ってこの少女は実に美味しそうに食べてくれるので、作った側としても気分が良かった。
食べるものの笑顔は作り手側の最大の賛辞なのである。
「ねー、クルス」
半分ほど食べ終えた時点で、サシャが少しだけ端の勢いを緩めて訊ねてくる。口の端にご飯粒が付いていたので、用意しておいたティッシュで拭いてやる。サシャは逃げることもなく大人しくされるがままになった後に、言葉の続きを口にした。
「なんで急に御飯食べようって来たの?」
その無邪気でありながらも容赦ない言葉にクルスは言葉を詰まらせる。だがそれも一瞬で、クルスは誤魔化す様に肩を竦めた。
「――別に友達と飯を食うくらい普通だろ?」
そう言うも、サシャは疑わしそうな視線を向ける。
育った環境故か、この少女は他人の嘘というものに殊更敏感な様であった。だがクルスとしても、決して嘘を言ってるわけではない。初めて会って以来全く接触の無かったこの少女がどうしているのか気になったのも本当のことだ。
ただそれに加えて、数日前の海上施設での出来事が頭の中にあったのは間違いない。
平等解放軍と名乗っていた彼らのほぼ全てが、ゴーストと呼ばれる非正規市民の者達であった。己の境遇の不遇さを嘆き、地位の向上を夢見て命を賭けて行動を起こした者達。
そして初めて、自分が殺意を持って手を下した相手でもある。
別にその事に関して罪悪感を抱えているわけでは無いが、やはり何かしらの影響が出たのではないかと考えてしまってはいた。
「――なあサシャ」
「ん、なに?」
年相応の仕草で首を傾げるゴーストの少女に向かって、クルスはつい訊ねてしまっていた。
「今幸せか?」
サシャはその質問にきょとんと目を丸くした後に、答えを探す様に小さく唸り声を上げながら視線を彷徨わせた後。
手元にある弁当箱の中に入っていた唐揚げを口にする。
それは以前の時の様な冷凍食品ではなく、下味からクルスがつけた手作りのものである。当然、サシャの子供舌を意識して濃い味にしてある。
少女は大きく口を開いて丸々一つを口に含んで味わった後に――
「ちょー幸せ」
日の光を浴びた花の様に眩く笑顔を浮かべてそう答えた。
海上中継地点〈ホールギス〉編 完
↑ 今考えましたごめんなさい。
とりあえず一区切り。




