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プラウファラウド  作者: ドアノブ
三話 亡霊の居場所
37/93

内側


 

 マーベリックにはかつて仲間がいた。

 友と呼べる者達がいた。 

 自国の国の兵士として肩を並べて戦った、本当の意味での仲間だった。強化外装を纏って戦友達と共に幾つもの戦場に立ち、進み続け、そして。


 ―― 気がつけば、一人になっていた。


 彼の仲間達が何処でどのようにして死んでいったのか、今ではもう殆ど思い出せない。爆弾で吹き飛んだような気もするし、空襲によって纏めて焼き払われたような気もする。


 戦争で失ったのは仲間だけではなかった。

 守るべき祖国は戦いの果てに周囲の国に呑み込まれ、その名はこの世界上のどこからも消えてしまった。

 国を失い、仲間を失い、愛すべき家族も失い、右腕を失い。

 欠損した右腕を戦場で拾った義肢で補いながら、泥水を啜って喉を潤し異物で飢えを凌ぎながら各地を目的もなく放浪し、最後に辿り着いたのが独立都市アルタスだった。


 都市を透明な膜で覆い込み完全な環境制御を実現した理想都市。

 戦渦が広がるこの世界で平和を享受することが出来る数少ない楽園。


 だがそんな場所にすら、万人に優しい世界は実現してはいなかった。


 正規市民と非正規市民。

 存在しながらにして存在しない存在。


 外縁部の劣悪ともいえる環境の中で、マーベリックは再び仲間を得る。粗暴な者もいれば気難しい者、褒められた経歴ではない者もいたが、全てを無くした男にとっては彼らとの交流は充分な潤いとなっていた。


 そして今。


「死ね」


 自分はまた一人になっている。


 自動小銃を突きつけながら、目の前で動きを止めている少女を見やる。金色の髪と緋色の目を持つ、戦うために作られた存在。

 この行為に何処まで意味があるのか、マーベリックにはもう分からない。


 もう間もなく、自分は高速思考の弊害で脳が焼き切れて死ぬだろうし、例えここで目の前の少女を殺したところで、非正規市民達の環境は何も代わりはしないだろう。


 だとすれば、自分達の行いは全てが無駄なのだろうか。

 この都市に蔓延る不平等の壁を砕くために決起した仲間達の犠牲も、今こうして自分が脳を焦がし血を吐きながら立っていることも。全て。


 ―― 否。


 断じてそんなことは認められない。

 例え今回で何も変わらなくとも、自分達はこうしてここに存在し、行動を起こした。それは紛れもない事実だ。たとえ両都市でどれだけ隠蔽工作を実行しうとも、今回の件を知るものは絶対に存在する。


 そうだ、無駄では無い。

 外縁部で苦しむ者達を救うため、平等の礎となるために。


 ―― 自分達という存在を少しでも深くこの世界に刻みつけるのだ。









 室内に乾いた銃声が鳴り響いた。

 小さな銃口から発射された弾丸は、あまりにも呆気なく対象を破壊する。行ったことは、少し指に力を込めて引いただけ。

 たったそれだけの動作で、一つの命が消えた。


 血飛沫が舞う。


 セーラの眼前が真紅に染まりあがる。噎せ返る様な鉄錆の臭いが鼻腔の奥を刺激し、飛び散った液体が桜色の唇に赤を上塗りする。

 無機質な光を持つ赤い瞳が、僅かに見開いて止まった。

 未だ高速思考状態にあったセーラは、その瞬間を余すこと無く認識していた。


 弾丸が飛来する。

 視界の横から音速の二倍の速度を持って現れたその鉛玉は、空気中に衝撃波を発生させながら男の側頭部へと突き刺さる。螺旋運動を繰り返しながら頭皮を突き破りあっさりと頭蓋を破壊、脳部分へと突入し、その運動エネルギーを余すこと無く周囲に撒き散らして破壊した。


 絶命。 


 最後の断末魔を上げることも無く義肢をつけた男は――呆気なく死ぬ。


 赤い液体に濡れながらその巨躯がゆっくりと沈み込む。戦闘の最中で酷使されたことで限界が近づいていたのか、男の義肢が床に叩きつけられる同時に音を立てて砕け散った。


 男は頭に弾丸を貰い、生き物からただの物へと成り果てた。

 その返り血を全身に浴びながら金髪の少女はその死体じっと見やり、少しした後に弾丸が飛んできた方へと顔を向ける。


 管制室の入口。

 そこに立つ一人の少年の姿があった。

 真っ直ぐに伸ばされたその手の中には、黒鉄色をした拳銃が構えられている。排出された空薬莢が床に落ちて、何度か跳ねて軽い音を立てた。それがさして広くない管制室にはやけに響き渡る。



 クルス=フィア。



 どうやら自分はあの少年に命を救われたのだと、セーラは理解した。




 ***




 クルスの目の前で男が倒れた。


 大きな身体を持った、中年の男だ。

 人の形をした物体が血を吹き出しながら沈んでいく様は、凄惨の一言に尽きた。施設突入時にも生身の人間達が死んでいく様は目にしていたが、それとは意味が違う。立った今命を散らしたあの男は、クルスが自分の手で明確な意思を持って殺したのである。


 やったことといえば、拳銃を握った手を持ち上げて指を引く。それだけのことだけだったが――その手応えは一生忘れないだろう。

 

 施設外部で赤色の万能人型戦闘機との戦いを終えた後、クルスは急いで別行動を取っていたセーラの元へと向かっていた。


 足下を赤く濡らし、途中で幾つもの人間達の屍を乗り越えながら辿り着いた先。

 見知った少女に銃口が突きつけられていると認識した瞬間、クルスは寸分の迷いも無く引き金を引いていた。


 正直、どこをどう狙ったとか、そういう記憶は殆ど無い。

 男の頭を撃ち抜いたのが自分が狙った結果なのか、あるいはたまたまなのかその判断すらクルスには付かなかった。

 ただ駆け足に、血塗れになっている少女の元へと向かう。


「セーラ、大丈夫か!?」


 間近でその光景を目にして息を呑む。

 普段は風の無い夜の湖面の様な静けさに近い印象を与える少女であったが、今は全身が鮮烈なまでな赤に染まっている。

 顔や髪にも鮮血がつき、パイロットスーツに至っては元の白地部分の方が少ないほどだった。

 

 片膝を付いたまま立ち上がらない少女に、どこか酷い怪我を負っているのかと焦燥感を募らせる。緊急用の医療パックはコックピットに常設されていたなと思考を巡らせて、一先ず少女を起き上がらせるためにその手を伸ばした。


 だがセーラは手を取らずに暫くじっとクルスを見つめた後、そっと息を吐く様に口を開いた。


「あなたは人を殺すのを忌避していたのでは?」


 そう言葉にする金髪の少女はここ暫くでよく見慣れた無表情であったが、その中には確かに疑問の色があった。


「あー……」


 早々にそんな言葉が飛んでくるとは思ってもおらず、クルスは思わず言葉に詰まる。聞こえてきた言葉はその通りで、少し前に人を殺すことに躊躇いを覚えて彼女に負担を強いらせてしまったのも自分である。


 だがしかし―― クルスはちらりと、動きを止めたまま血溜まりに沈む、自分が殺した男を見る。……確かに未だに死体に対しての嫌悪の様なものは感じるのだが、そこに後悔の様な物は一切無かった。

 自分がもしこの男を殺していなければ、あそこで血溜まりに沈んでいたのは目の前の少女だったのである。人の死を目前にした所為か、その光景がやけに現実味を持って頭の中に思い浮かべることが出来た。


 これまでの一ヶ月間。


 行動を共にし、言葉を交わし、時間を共有した存在。

 交友と言えるほどのものは無かったかもしれない。だがそれでも、クルス=フィアという存在と最も長い時間を共有しているのはセーラという名の少女である。


 それが、他人の手によって一生奪われる。


 それは背筋が凍り付く様な、ぞっとする想像だった。

 自分が人を殺すことなど些細なことに思えてしまうほどに。


 だから後悔などあるはずもなく、自分の選んだ選択に忌避感も覚えることも無い。

 自分の中にある倫理観と、仲間の命。

 どちらに比重が置かれるか。それはクルスにとって、天秤で量る必要も無いくらいに明白なことだった。



「――そうですか」



 少女はその返答を聞くと、何かを感じ取る様にそっと瞼を閉じて――、


「セーラ?」


 それもほんの僅かなこと。

 すぐに目を開けて赤い瞳を覗かせると、クルスが差し出していた手を無視して立ち上がる。


「バカ、お前! そんな全身から血を流してるのに――」

「全て返り血です。私自身のものはありません」


 焦って叫び声を上げかけるクルスだったが、さらりと恐ろしいことを言われて口を閉じた。


「お、おぅ……そうか」


 上から下まで全身を血塗れにしながら普段通りに表情を変えない少女に、クルスは少しだけ顔を引き攣らせる。物騒などというレベルではない。


 それでも少しだけ気になって、手を伸ばして少女の頬に付いていた血を拭ってみる。ハンカチなどという気の利いた物をこの場所に持ってきているはずもないので、親指で擦る様に拭っただけだったが。


「――っ!」

「え?」


 予想外だったのはクルスがその動作を行った瞬間、びくりとセーラの肩が跳ねた後に、石像の様に硬直したことだった。無表情は変わらぬが、その下にある身体までもが石になったかの様に固くなる。



 初めて見る金髪の少女の反応にクルスも驚く。

 食べ物の好き嫌いがあったりしたり、一見して無感情にも思える少女にも確かな内面の機微があることは薄くではあるが察していた。だが、セーラがここまで外面に色を出すところをクルスは今初めて目にする。 

 一糸纏わぬ裸を晒しても顔色一つ変えることが無かった少女が、一体何故今こんな反応を見せてくるのか。


 どこかぎこちない動作で首を曲げて見やってくる少女に、クルスは思わず一歩後ずさりしてしまう。彼女の首を動かすその動作が、まるで錆びた螺子を無理矢理回している様に見える。


「――何でしょうか?」

「え、あ、いや、悪い。血が付いてたから……ええと、なんか怒ったか?」

「……いえ、問題はありません」


 そう口にする少女はいつも通りの無表情に見える。

 ……見えるのだが、そう思う反面で何かが違うようにも思えた。具体的にそれが何かと聞かれるとクルスも答えに窮するしかないのだが。

 

 追求すべきなのかどうかクルスが悩むが、その結論が出るよりも先にセーラが口を開いてしまった。それが不都合な話を流そうとしている様に見えてしまうのは、クルスの捻くれた視点が原因なのだろうか。


「それよりも、状況の説明を」

「……とりあえず、外にいた万能人型戦闘機は全機破壊、行動不能にした」

「途中で爆発があったようですが。タマル中尉達は爆破装置の解除は失敗したのでしょうか?」

「いや、それは敵の一機がこの建物に横から墜落したからだと思う。爆破装置の方は分からないけど、正直この階はやばい気もする。機体が墜落したのがここの下の階辺りだから、その衝撃で相当負担が来てるぞ」


 言葉が示す通り、未だに微弱な振動が階全体を襲っていた。

 送電ラインの一部が切れたのか、施設に並ぶ照明もいつの間にか非常用のものに切り替わっている。埃なのか建材の破片なのか、ぱらぱらと白いものが粉末状になって待っているのが視界の隅に映った。 


「そうですか」


 大まかな状況を把握したセーラは施設制御用の管理端末へと近寄り、指を走らせて操作を始める。


 出来ることはそう多くはないが、施設内に設置してある防犯用の光学感覚器を使えば施設基部の状態が確認出来ないかと思ったからだ。上手くいけば別働隊の援護を出来る可能性もある。


 だがしかし、予想に反してそれは叶わなかった。端末と施設全体の自動機構との接続が断絶していたためだ。


 それは物理的ではなくプログラム的なものだが、だからこそすぐに復旧というわけにもいかない。敵武装勢力の誰か――恐らくは義腕の男である――がセーラがここに辿り着く前までにウイルスを流し込んでおいたのだろう。


 それはつまりこの管制室が制圧されることを事前に見越していたということに他ならないが、妙手ではあった。結果的にこの部屋で出来ることはほぼ無くなってしまっている。


 その事実を十秒足らずで確認した後、セーラは傍らに立つクルスを見やった。


「――私達の目標は全て達成しています。移動しましょう」

「了解」


 歩兵、万能人型戦闘機含め、敵勢力の大半は無効化し、管制室も制圧した。当初に決められていたクルス達の役割は全て終わったと言ってもいい。



 断続的な爆発音が床下から伝わってくる。

 ここの一つ下の階は資材保管区であったはずだ。だとすると、何か引火する様なものでもあったのかもしれない。真空トンネルを走行する特殊車両は電動式であるが、回転翼機などは発火性の高い液体が未だエネルギー源である。 

 屋上にポート施設があったことを考えれば、それが保管区に保存されていたと考えるのはそれほど突飛な発想ではないだろう。


 物言わぬ死体となった者達を乗り越えて、クルスとセーラは早足に自分達の機体の元へと向かう。敵の生き残りの存在もありえたので警戒していたが、それは杞憂に終わった。

 何の問題も無く自分達の〈フォルティ〉の元へと帰ってくることが出来た。操縦席に座り、待機状態にあった機体を稼働状態へと持っていく。それとほぼ同時に通信機から声が聞こえてきた。


『――おい! ――か――答しろ、聞こえ――か!?』


 耳に付くのは幼い子供の声――と勘違いしてしまいそうな、タマルの怒鳴り声であった。何となく彼女の声を聞くのがひどく久しぶりに感じながら、返事をする。


「こちらクルス機」

『――っ! 聞こえ――ならさっさと返事し――がれ!』


 途切れ途切れに聞こえてくる声に顔を顰める。

 通信機のノイズが酷い。試しにノイズ除去用のフィルターを通してみるも、大して効果は無かった。もともと積層構造になっているこの施設は間に幾重もの分厚いが合金が挟まっているために、電波妨害(ECM)が無くとも電波の通りが随分と悪い様であった。


 どうにか内容を聞き取れないわけでは無いので、仕方がなしにそのまま通信を続ける。


「いや、今機体に戻ってきたところなんだよ……。それよりも、こうして通信を入れてきているって事は……」

『――ああ、少――手間取った――が爆破装――の解除は終了――。そっちはどうな――?』

「……こっちも敵勢力の無力化及び管制室の制圧は終了。ただ戦闘の影響で下の階が相当脆くなってる。今から階層を降りて合流地点まで行くのは危険な気がする」

『――さっきの振動はそれか……。状況は把握し――。予定を――変更、ク――とセーラは屋――から脱出――てA10地点で待機――』

「了解」


 そう返事を返すと、向こうもこのノイズが激しい状態で通信を続けるつもりは無いらしく、あっさりと通信を終えた。  


 セーラも当然その通信内容は把握していて、二機の蒼躯の機体は屋上甲板へ続く昇降用のリフトへと機体を移動開始する。物資搬入用の巨大な通路といえども体長八メートルの二機の巨人が並んで移動するには少々手狭な空間であり、セーラ機を先頭にして一列に並ぶ。


 機体の慣性移動に小さく揺られる中操縦席に身体を預けながら、クルスは大きく息を吐き出した。大きな疲労を感じていた。


 部隊に所属して、初めての任務である。

 万能人型戦闘機を用いた戦闘には何ら不安も覚えてはいなかったが、やはりゲームであった頃の記憶とは違うなと実感する。


 撃って、撃ち返されて。

 違うのは、撃墜されればそれまでということだ。


「……あ」

 

 そういえば、あの赤い機体のことを報告していなかったと、今になって気がついた。


 武装勢力が保持していた他の旧式万能人型戦闘機とは明らかに一線を画していた存在。搭乗者の実力もそうだが、何よりも気になるのはあの機体構成である。


 通常ではありえない、複数の企業の製造品を組み合わせて作られた重量機。

 かつての乗機である〈リュビームイ〉と同じ存在。

 一体あれは何者だったのだろうか。上空より現れて問答無用で攻撃を行ってきたということは、この施設を占拠した武装勢力の一味と考えられるが、それにしては毛色が違った様に思えたが――



「……!」



 機体の驚異値を示す数字が上昇する。

 視界の中には前を歩くセーラの〈フォルティ〉しかいない。 複合感覚機(センサー)にも反応は無い。


 一瞬誤作動を疑ったが、緊急状況下においては自身の勘よりも機械の数字を信じるのが鉄則である。つまりは自分はどこかからか目標を捕捉(ロック)するためのレーダー照射を受けている。


 クルスは反射的に機体の残弾を確認、残りの予備弾倉が随分と減っている。他は吸引型の簡易地雷に超振動ナイフのみ。任務開始時と比べると随分と心許ないレベルになっているが――、


 警告音が鳴り響くと同時に、慣性を利用した低速度の高効率燃費移動から一気に戦闘機動へと入れ替える。機体を下がらせるのと、足下から大量の弾丸が生えてくるのはほんの僅かな差だった。

 大量の破片が宙へと撒き散らされていく。


「――下だと!? くそ」


 空振りした弾丸の嵐が天井に穴を空けていく。

 無数の弾丸を切っ掛けに〈フォルティ〉の足下が崩落を開始し、数瞬の判断でクルスはこの階に居座ることを諦める。

 落下している瓦礫に巻き込まれない様にしながら、それらを盾にしつつ急制動を繰り返して回避行動を取っていく。


 闇の中に瞬く発射炎。

 朱色の銃火に照らされた暗闇に映るのは、巨大な砲塔を持ち上げた赤い重騎士の様なシルエット。その頭部にある縦に二つ並んだ複合感覚器眼が淡い不気味な光を灯してこちらを見据えている。


 高度が下がっていく。 


 機体が眼下の闇に飲まれていく寸前、激しい振動に反応して降りていく防災用の隔壁のその向こう側に、機体を旋回させて振り向く僚機の姿が見えた。




***


 


 隔壁が閉じる。


 セーラは反射的に機体の突撃銃の残弾数を確認、充分な弾数があることを確認して落ちてきた防災壁にその銃口を向けていた。

 分厚い隔壁ではあるが、あくまで災害用であり戦闘を意識したようなものではない。対弾性の備わっていない壁ならば、万能人型戦闘機用弾頭の威力で十分に破壊可能である。


「……」


 だが、そこまで機体を動かしてからようやく自分のしている行動に気がついた。


 一体自分は何をしているのか。

 既に階そのものの崩落が始まりかけている。そこに自分が向かったところで二次災害に遭うだけであろう。最悪、自分の行う行動が崩落を加速させる原因になりかねない。それを考えれば、自分が取るべき行動は明白であるはずだった。


 だが、何故だろうか。

 合理的であるはずのその思考に、引っかかりを覚える。

 それはほんの僅か、痛みにも感じない微かなものではあったが、確かに自分の内側に存在していた。

 この感覚には覚えがあった。

 クルスが部隊に配属された当初に行われた、模擬戦。

 戦闘行為への不介入を命じられながら、自分は敵一番機であったタマル機の胴体部をペイント弾で撃ち抜いてしまった。


「……」


 あの時、何故自分がそのような行動を実行したのか。それは未だに少女の中で答えが出ていない。ただあの時も、今の様に反射的に行動を起こしていたのだった。


 しばしの逡巡。

 セーラは通信を繋げる。


『セーラより指揮機へ。クルス機が敵機と交戦、不安定状態のある階下へと落下。指示を』


 今回の作戦の前線指揮官はタマルである。

 状況が混迷している以上、彼女に指示を請うのは極めて合理的だった。

 通信は相変わらずノイズが酷かったが、聞き取れないほどではない。報告を受けたタマルは少しの間、判断を迷わせていた様だったがすぐに答えを出す。


『セーラ――予定――りに――撤退しろ。』


 それは予想通りの答えであった。

 現実的に考えて、今この時点でセーラがクルス機を追って崩落が始まっている下の階に行く意味など全く無い。下にいる敵性存在を協力して倒したとしても、その時には階下は潰れいるだろう。

 犠牲が一から二に増えるだけの話である。そこには何の得も存在しない。

 

 故に指揮機から下された命令は反論の余地も無い、セーラからしてみても非常に理解の得られるものだった。



「――クルス機の援護に向かうことも出来ますが」



 だというのに、自分は何を口にしているのだろうか。その行動の無意味さは先程自分でも確認しているはずだというのに。

 まさか少女の口からそんな言葉が出てくるとは予想していなかったのか、通信機の向こうからも驚く気配が伝わってくる。


 軍用基準性能調整個体(ミルスペックチャイルド)というものの性質を知るものからすれば、それは当然の反応であろう。

 命令に忠実に、合理的に。

 それがその存在の在り方であったはずなのだから。


 ――だがそれでも、


『セーラ、命令だ。撤退しろ』


 指揮機からは合理的な指示が下った。

 皮肉なことに、通信機から聞こえてきたその命令は一切のノイズがかからずにはっきりと聞こえてくる。


「――……了解」


 無表情を貼り付けながら少女は命令に従う。

 

 機体を旋回させて脱出経路へと進路を取ろうとする間際、無機質な光を持った赤く冷たい視線で防災壁を見つめる。

 実時間にしてしまえばそれはほんの数秒のことだろう。だが脳内の演算プロセッサを起動させて高速思考状態にあった彼女にとってはその何倍にも感じられる瞬間である。


 この時、使用制限のある高速思考を行ってまでして一体自分が何を考えたのか。己の胸中に渦巻くそれが一体何なのか、それを知ることもなく。


 セーラは崩落が加速しつつある通路を抜けて、屋上ポートへと続く昇降機へと機体を移動させていった。





 


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