本能
複合感覚器に現れた一つの反応。
空から隕石の如く落ちてきて、その慣性を殺しきれずに膝を曲げながら乱暴に着地した赤い鋼の巨人の姿。
目の前に出現したその機影を、クルスは息を吸うことも忘れてつぶさに観察する。
曲線を多用した胸部はシンデナントグループの製品。
装甲の厚さに対して重量が比較的軽めであり、機体全体への負荷が軽い汎用部品。特筆する点は少ないが欠点も無い優等生であり、時には中量機に組み合わせられることもあった。
球体上の肩装甲を装備した腕部はクーゲル社製の傑作であり、可動域に難は生じているものの関節部も含めて高性能な複合装甲が広範囲を囲い込んでいて致命傷を与えるのは難しく、その重量に負けないだけの力と積載量もある。
丸い複合感覚器眼を縦に二つ並べた頭部部品はパンネヘント製。それらの強靱な上半身を支える中世の騎士鎧を着込んだかのような脚部はジニエストラ機関の試作品であり――、
ありえるのかと、口の中で呟く。
決して珍しくはない。
中堅層に多く見られる、典型的な重量機だ。
ただし。
その感想を当て嵌めるには『プラウファラウド』というゲームにおいては、という注釈が必要になる。
企業間にあるはずの技術的差異を存在していないかのように組み合わせている真紅の機体。開発と規格の違いという至極真っ当な壁が存在するこの世界では、存在出来るはずの無い組み合わせ。
唯一の例外はたった一つ。速度を突き詰めて組み上げられた、今はもう手元にはいないかつての愛機だけであった。
クルスの頭の中で軽い混乱が起こる。
紫城稔の記憶。彼が夢中になっていた『プラウファラウド』というゲームのこと。架空の存在〈レジス〉として愛機と共に幾千もの戦場を経験し――、
だがしかし。それらは全て、万能人型戦闘機が兵器となった今では虚構の記憶に等しいものではなかったのか。いや、そもそもこの機体はどこから現れた。何が目的だ。
頭の中について出た疑問。
だがそれらの全て断ち切らせるかのように、状況は容赦なく推移を開始する。
目の前にいる赤い巨人が銃口を持ち上げた。
巨大なドラム型マガジンを兼ね揃えた六連装ガトリング砲。総弾数千六百発を毎分四千発の速度で打ち出すその重火器は、複合装甲板で守られた万能人型戦闘機を一瞬で鉄屑に変える威力を持つ超兵器である。
その圧倒的な破壊をもたらす凶器が、真っ直ぐに向けられる。
何か生き物の唸り声のような電動音とともに銃身が回転を始めるのと、クルスが頭の中の疑問や混乱を全て置き去りにして行動を開始したのは同時であった。
軽量化を施した〈フォルティ〉が跳躍するのと、毎秒六十六発という高速連射を実現した連装砲から大量の弾丸が放たれるのは一秒の差も無い。青い光を上げて飛行状態へと入った〈フォルティ〉のすぐ足下を、音速を超えた弾丸の嵐が突き抜けていく。
「こいつは、敵なのか!?」
叫ぶも、そこに答えは無い。
赤色の万能人型戦闘機は諦めること無く腕部の力にものをいわせて重い銃口を持ち上げて追撃する。火器管制の自動捕捉はまだ追いついておらず、搭乗者が自身の勘混じりに射撃を行っているようだった。
飛翔する〈フォルティ〉の尾を追いかけるように弾丸の嵐が虚空へと吸い込まれていき、完全に逃したと察した赤い重量級の万能人型戦闘機もまた空へ舞い上がろうと跳躍する。
「――」
膝を曲げたその強直を見逃すことなく、クルスの〈フォルティ〉がその手に持った短機関銃を連射した。
それは上空から浴びせた射撃だったが、重装甲相手には有効打に至らない。ばらまかれた弾丸の殆どがその曲面に弾かれ、あるいは良い角度で当たったものも表層を傷つけるに終わっている。
根本的な火力不足を目の当たりにして、クルスは乾いた上唇の端を舐める。
現在の〈フォルティ〉の装備は極めて軽装である。
武装は貫通力の低い短銃身の短機関銃に、地面に吸引する特性を持つ接地型の小型地雷。あとは感覚機錯乱用の磁界弾頭と腰部に固定されている超振動ナイフくらいのものだ。
これらの装備は全て、範囲の限られた屋内での戦闘を想定して用意されてきたものであり、火力という面で見た場合は脆弱だといわざる得ない。強化外装を纏った歩兵や中装甲の旧型万能人型戦闘機を相手にする分には特に不自由を感じないが、対象が幾重もの防弾処置を施した重装甲機体となると完全に役者不足だ。
更に数度追撃を仕掛けるが、何れも効果は無い。
降り注いでくる銃弾をものともせずに、赤い重装甲を纏った万能人型戦闘機が緑光を撒き散らしながら飛翔する。一応は弱点となる関節部を狙ってはいるのだが、可動域を犠牲に施された複合装甲板を前に呆気なく弾かれてしまっている。
現状の手札を考えると、相手の装甲を唯一突破出来そうなものは高速振動する超合金の刃によって物体を切断する、ナイフくらいのものである。威力という一点で見れば申し分の無い性能を持つそれではあるが――、
宙に飛び立った重量級万能人型戦闘機が、再び六連装の砲身を向けて猛撃をかけてくる。〈フォルティ〉とは比べものにならない破壊力を持つそれから機体を逃がしながら、自然と舌打ちが漏れて出る。
白兵戦間合いの超振動ナイフを振るうということは、この弾丸の雨の中機体をかいくぐっていかなければならないということだ。それはあまりにも無謀な選択肢であった。
六つの砲身を束ねて高速連射するガトリング砲は極めて高密度の弾幕を形成する。難易度が高い高くないの話ではなく、そもそも物理的に抜けられるだけの隙間が存在しないのである。
一応、腕部で胸部を庇いながら被害覚悟の特攻を仕掛ければ肉薄出来るだけの自信はあったが、それとて上手くいく確証は存在しない。命を掛け金に博打をするつもりにはならなかった。
相手の可動域の狭さを狙って死角をとれれば一番それが良いのだろうが、動きの基本が直線である高空戦闘機と違い、その場で高速旋回が行える万能人型戦闘機ではお互いが視認距離にある場合では死角をとって近づくのはほぼ不可能である。
そもそもだ。
当たり前であるが、高速で制限の無い空間を飛翔する万能人型戦闘機の主力兵装は銃弾と自動追尾の行う誘導弾である。相手よりも先に仕掛け、相手の届かない位置で、一方的に撃破する。
それが戦いの基本だ。
それを考えれば、超振動ナイフや高熱で相手を溶断するプラズマトーチといった白兵戦用の武装が、殆ど実戦で使うことの無いものであると容易に理解出来る。
閉所ならばともかく、限界の存在しない空間で扱うような代物ではないのだ。そんなことをする搭乗者がいるならばそれは、余程の自信家か状況にやけになっているのであろう。
アルタス軍に正式配備されている〈フォルティ〉は手持ち式の超振動ナイフが標準装備に含まれているが、それも大して機体の負担にならないことから容認されている、一種のお守りにも近いものだ。
(――どうする)
考える。
現状とれる選択肢はそう多くはない。
弾切れを狙うか。
相手の火力を考えればそれも良手では無いだろう。相手の装備はガトリング砲のみに限らず、肩部には誘導弾の発射装置が装備しているのが見て取れる。恐らくは内部兵装も存在しているだろう。それらを全て躱し続けるというのは薄氷を踏むようなものだ。
特に目標を高速で自動追尾する誘導弾は厄介だ。
現在の〈フォルティ〉には対誘導弾用の錯乱幕は登載されていない。この様な開けた広域での戦闘状況を想定していなかったためである。もし発射を許した場合は、目視で撃墜する必要があった。
「――ち」
蒼と赤の鋼の巨人達が空を駆け抜ける。
敵の弾幕をかいくぐって諦め悪く射撃を続けるが、その何れもが曲面処置を施した複合装甲板に阻まれてろくに損傷を与えられない。
ちりちりと、頭の中に消火しきらない熱が燻る感覚がある。
実際の所をいえば、相手を撃墜する手段は存在しているのだ。戦場を何千と渡ってきた経験値はこの程度の逆境に対する答えを容易に導き出している。
だがそれを選択するということは――、
機体の驚異値を示す数値がちらちらと変動する。
赤色の重装甲機が〈フォルティ〉の背後へと付こうとしていた。
相手の狙いは明白で、射線と〈フォルティ〉の移動軸を合わせようとしているのだろう。万能人型戦闘機同士の空中戦ではよく見られる光景であるが、それだけに対処法も幾手と存在する。
クルスの動きに迷いは無かった。
推進ユニットから漏れ出ていた青い光が弱まり、搭乗者の命令に従って〈フォルティ〉の尻尾のようにも見える抵抗尾翼が垂直に立てられる。
厚い空気の壁を正面から受け止めた尻尾が大きくしなりをあげて、それにあわせて機体が急激に減速。空中で転けそうになる機体を自動姿勢制御機構と併せて挙動を押さえ込むと同時、瞬間的に二百近い機速の落差が生じその衝撃が搭乗席に座るクルスを襲う。
それは決して派手な動きでは無い。
空中制動用の抵抗尾翼を動かしただけの些細な動作。
だがそういった動作こそが、近接格闘戦を主とする軽量機に乗り続けたクルスの本領でもある。
零から百。百から零。
相手の意識の不意を突くような急激な緩急を織り交ぜた、自動姿勢制御機構でも補正が追いつかないほどに機体の安定性が損なわれる空中機動を、煩雑な手動操作によって支配下に置く。外見的な派手さを伴わせないその武器は、だがしかし確かな鋭さを持っていた。
相手からすれば蒼躯の機体が一瞬で目の前から消えたように見えただろう。
軽量化された〈フォルティ〉の後尾を追いかけて加速していた赤い敵機が目標を一瞬で追い越して前に躍り出る。幾ら重装甲であろうとも推進ユニットが剥き出しの背面も同じようにはいくまい。
クルスにとって予想外だったのは、敵機のその後の対応が予想以上に早いことだった。
相手の複合感覚器はこちらの動きが捉えられていたのか、単純に後ろをとられることに慣れていたのか――或いは単純に機体性能が原因か。いくら強引な軽量化を施したといっても〈フォルティ〉の本来の分類は中量機である。かつての愛機ほどの俊敏さは望めない。
背後を狙って蒼躯の巨人の短機関銃から弾丸が吐き出されるのと、眼前の赤い重量機がその場で急旋回したのはほぼ同時であった。こちらの火器では装甲を貫けないということを理解しているのか、回避するのではなく堅牢な正面装甲で受け止めることを選択したようだ。
それは正解である。
火薬量が少なく貫通力の低い短機関銃の斉射では、鎧を着込んだかのような敵の重装甲を射貫くことは出来ない。それを証明するかのように、〈フォルティ〉の手元から発射された弾丸は全て弾かれるに終わった。
返礼とばかりに六連装ガトリング砲が牙を剥く。
何倍にもなって帰ってきたお返しはだがしかし、その目標を捉えることは無い。反撃を察知して寸前で〈フォルティ〉が急上昇したことによって、そのすぐ足下を高速で掠めていく。
思考の端。小さく燻っていた炎のもとへと新鮮な酸素が送り届けられる。
回避と同時に行われた急制動によって、機体の速度が再度大きく損なわれることになった。速度を武器とする軽量機の速度が相手の眼前で失速する。それは武器を持った相手に腹を剥き出しにするにも等しい行為であった。
知らず知らずのうちに、クルスの口元がつり上がっている。緩急を交えた機動に身体が圧迫されて、自然と息が乱れ始める。
ひどく懐かしい感覚。
お互いに万能人型戦闘機を操って優劣を競う。相手の仕掛け手に対して応手を行い、さらにその先を読んで一手撃つ。仮想現実の世界でひたすらに行ってきた、戦いの記憶。
お粗末な乗り手しか存在しなかった、先程までの旧式の万能人型戦闘機とは違う。
一方的な蹂躙ではなく、お互いに積み重ねてきた経験を発揮し、どちらが上か決定する、対等な勝負。
―― それは思考よりも早く行われた、反射的な行動であった。
トッププレイヤー。
その世界における最上位で、ひたすらに研鑽を続ける者。
何百、何千という戦場で蓄積してきたその経験は身体の奥深く、もはや本能にまで根付いているといっても過言ではない。
他者よりも上へ、勝利により貪欲に。
単純な理念に基づいたその行動は全てが求める結果へと続いている。
思考のどこかで、消えること無く焼け残っている炎。それが吹き込んできた風によって炎上した気がした。
***
特別任務。
ゲーム管理用のAIであるRANIから送られてきたそれは、海上施設の防衛任務だった。戦闘領域は既存には存在しない新ステージ。大海原の中にいくつかの白い杭のような施設が存在する戦域である。
戦場へと投下された〈ヒメハギ〉はそこで一機の蒼い万能人型戦闘機と交戦状態に入る。その機体は一言で言えば奇形であった。
基本的な構成部品はプレイヤーも扱うことも出来る既製品で組み上げられているようにも思えるが、本来ならば装甲があるべき箇所にそれが存在しない。一部分などは内部フレームが露出しているような箇所まで見受けれて、周囲に転がる残骸も合わせてまるで幽鬼めいた印象が感じられる。更には背部から足下近くまで伸びた抵抗尾翼が尻尾のようにも見えて殊更奇形を強調する。
加えて、その実力。
初めはイベント特有のボスユニットに与えられた超性能の賜物なのかとも思ったが、すぐに違うのだと気がつかせられる。
速いのではなく――、巧いのだ。
機体性能でいえば、相手の機体は決して上等な部類ではない。下地となっているであろう既製品も全体で見れば大したものでは無く、おそらくはそれに準じた性能を持っているのだろう。
だがその搭乗者の技量が ―― CPUだろうが ―― それをまるで感じさせない。
扱いの難しい軽量機体を巧みに操って火器管制の自動予測を加えた射撃を難なく避けきるその挙動。狙いを定めさせぬその制動は、戦っていて相手がCPUだということを忘れさせるほどだった。
流石は特別任務といったところだろうか。
搭乗者としての技量であれば、平凡な実力しか持たない自分よりも遙かに上をいくに違いない。CPUよりも腕が劣る考えると少々複雑な胸中ではあるが、自分より実力が上の者達など大量にいるのだ。今回はそれがたまたま人ではなかったということに過ぎない。
明らかに格上の相手を前に〈ヒメハギ〉が撃墜されていないのは、偏に愛機の重装甲のお陰であった。
敵機である蒼い尻尾付きは大した火力を持っていないらしく、こちらの弾幕の合間を縫って行ってくる射撃のどれもが複合装甲に弾かれている。もし相手が高初速を持った貫通弾を持っていたらとっくに撃墜されているだけに、この事態は僥倖であった。
向こうにこちらを撃墜する手立てが無い以上、自分は焦ることなく現状に望むことが出来る。謂わばこれは、安全が保証された狩りのようなものだ。
射線軸を合わせるべく敵機の背後へと寄せる。
高出力の推進ユニットの光が増すのに比例して残存エネルギーが目減りしていくが、まだまだ危険域に達するまでには時間がかかる。気にするほどではない。相手は見るからに軽装甲。一秒間に六十発以上の弾を吐き出す六連装ガトリング砲が命中すれば、一瞬で穴だらけになることは疑う余地もなかった。
〈ヒメハギ〉の愛機は重量級ではあるが、その最大速度は決して遅くはない。機体重量と搭乗者の技量がものをいう細やかな機体機動はともかく、ゲーム内でも最大出力の推進機関は重量級の愛機にも充分な速度をもたらしてくれる。それを活かせば相手の尻をつくのも不可能では無い。
そう考えた次の瞬間、眼前からから蒼躯が消え失せた。
「うえ!?」
変な声が口から漏れ出た。
光学迷彩、空戦機動――そんな幾つかの想像が浮かび上がるが、事実は分からない。ただ〈ヒメハギ〉は複合感覚器の反応を見ることも忘れて反射的に機体を旋回させていた。
その行為は自分の駄目な経験則に基づく行動である。
重量機を扱う〈ヒメハギ〉はこれまでにも何度も相手を見失うことがあった。それは大抵相手の空戦機動によるものなのであるが、プレイヤー層の中では中堅でしかない〈ヒメハギ〉は全く明確な対処を見いだせていない。
ただ今までに姿を見えなくなった相手は次の瞬間、自機の上下か背後に現れることが多かったのである。
相手の挙動をつぶさに読み取れば相手の出現位置も予測出来るのであろうが、速度の出た空戦の最中にそんなことをする余裕は〈ヒメハギ〉には無い。三択のうち、背後を振り向くことを選択したのは完全にただの運任せである。
旋回させると同時に擬似的に再現された高Gが身体を襲う。口から内臓が飛び出るような感覚を味わうのと同時に、幾重もの弾丸が背後を振り返った愛機の正面装甲に突き刺さって弾かれた。
「お?」
目の前には見失ったはずの尻尾付きの蒼い万能人型戦闘機の姿がある。
理解は出来ていない。
出来てはいないが――
「よくわからんが……、ラッキー!」
照準を定め、勢いに任せて引き金を引く。
低い電動音を上げて六つの砲身が高速回転を始め、排出された薬莢と共に盛大な火花を撒き散らす。弾倉の切り替えを必要としないガトリング砲からフルオートで発射された無数の弾丸は、これまでと同じく空と海に囲まれた空間に吸い込まれて消えていった。
射線軸をずらすために敵機は急上昇を行ったのだと理解する。
これも躱すのかと歯噛みしたのも束の間、速度を大きく損なった敵機のその姿を前にして〈ヒメハギ〉は歓声を上げた。
然もありなん。
敵の目前で減速を伴いながら急上昇した敵機は、捕捉するには格好的であったのだ。それこそ、多少の捕捉時間がかかる誘導弾を使用可能状態に移せる程度に。
愛機の背部に登載された誘導弾の発射機が持ち上がる。発射口保護用のカバーが持ち上がり、後ろから暗い発射口の中に弾頭が装填される。
短射程用の高速ミサイル。
複数捕捉機能はついてない比較的安価な単発式ではあるが、弾頭速度と追尾性の高い高性能誘導弾。狙うだけの時間が無かった事に加えて、その弾単価に怯んで使用を控えていた〈ヒメハギ〉のとっておきである。
機体の複合感覚器と弾頭そのものに詰まれた感覚機が接続されて、捕捉した目標へと正確に照準を定める。
敵の蒼い尻尾付きがその手に持った短機関銃をこちらに向けるのが視界に映ったが、貫通力の低いあの兵装ではこちらの装甲を抜けないことは実証済みだ。
無駄な足掻きをと、〈ヒメハギ〉は口の端を釣り上げる。
次の瞬間、背部の発射口から爆炎が吐き出された。
***
―― やっていいのか?
脳裏に浮かび上がる疑問の声。
その問いに対する答えは無かった。
勝つために、敵を倒すために。
思考よりも速く、脳から電気信号が発せられて身体に指令を伝え、さらにその動きが機体へ行動を命じていく。本能を前には絡み合った糸のような煩雑さを持つ思考など、一瞬で置き去りにされていた。
機体を急上昇させて大きく隙を晒けだす。
短時間の間に行われた二度の急制動により機体速度は大きく減速し、それは相手にとって大物を狙う絶好の機会となる。
赤い重量級の万能人型戦闘機。
複数の企業の製品によって組み合わされたその機体の背部に装備された誘導弾発射機が持ち上がる。カバーが捲れると同時に姿を現す、暗く深い深淵の大穴。
感慨も、迷いも、決意も無い。
気がついたときには時にはもう、その引き金は引かれていた。
三点射撃。
放たれた三発の弾丸はその軌道を逸らすこと無く、針の穴を通すような緻密さでその暗い洞穴へと吸い込まれていった。
時が止まる。
クルスはそんな錯覚を覚える。
何倍にも引き延ばされた時間感覚の中で、クルスの視覚はその一瞬を確かに捉え見た。
誘導弾の発射口へと入った三発の弾丸が内部に装填されていた誘導弾の頭へと突き刺さり、食い破る。弾頭の暴発と共に烈火が膨張して、発射装置が内部から風船のように膨らんだ。
爆音、そして爆炎。
空に鉄と焼煙、そして焔の入り交じった華が咲く。
そして現実感無くクルスがその光景を見やる先で――。
自らの武器の破壊力によって半身を焼き焦がした万能人型戦闘機が黒煙を引きづりながら、海上に浮かぶ白い杭へと激突した。
朝起きたら布団が血塗れになってて驚いた……。




