来襲
戦端を開いたのは六機の鉄の巨人による機関銃の音だった。
「――っ!」
現行機より一世代前の旧式万能人型戦闘機。
一様にして鈍色の塗装の施されたその脅威を前にして、クルスは全力で推進ユニットを稼働させて機体を横滑りさせた。重心を寄せた反対側から青白い噴射炎が吐き出され、離着陸用の甲板に大きな焦げ跡を残していく。
真空トンネルの中継地点である〈ホールギス〉屋上の甲板は本来、回転翼機の運用しか想定されていない。そのため万能人型戦闘機の噴射炎に対応出来るだけの耐熱処理を施されておらず、その表面を大きく黒で塗りたくることになった。
施設の奪還を目的にしていることを考えればその設備を欠損させるようなこういは出来る限り控えるべきなのだろうが、絶え間なく唸り声を響かせる重火器を前にしてそんな余裕は無い。
周囲を空中浮揚する機体達の持つ機関銃から、猛烈な勢いで弾丸が吐き出されていく。出会い頭に行われたその歓迎をクルスが躱す事が出来たのは、偏に速度を重視させて機体を軽量化していたからだ。
本来の〈フォルティ〉の加速力では回避することは叶わなかったであろうし、中量機の装甲では六機の万能人型戦闘機による斉射に晒されれば瞬く間に鉄屑に成り果てていただろう。その場合、中にいるクルスがどうなっていたかは考えるまでもない。
加えて、相手の搭乗者の技術が果てしなく低いことが幸いした。恐らくは操作の殆どを機械の補佐に頼っているのだろう。万能を謳われる強力な兵器であろうとも、これでは宝の持ち腐れであった。
百メートル以上ある灰色の甲板の上を、装甲を排除し尻尾を生やした万能人型戦闘機が滑っていく。その軌跡に黒い焦げ跡が焼け付いていき、それを重ねてなぞるようにして無数の弾丸が降り注いでいった。
巨大な弾痕を穿たれた甲板が大きく撓み、砕け、瓦礫となって飛び散る。
「――嫌な状況だな」
自分の選択を挟み込ませる余地も無く劣勢に立たされたクルスは、コックピットの中で人知れず声を漏らした。
何はともかく、頭を抑えられているというのが不味い。戦いというのは、上を取っている方が圧倒的に優位だ。
頭上から降り注ぐ銃弾の雨に、クルスは甲板上に縫い付けられている。相手の射撃が火器管制の捕捉補助に頼り切った攻撃を行っているために今のところは全て捌けてはいるが、その照準も次第に合い始めている。
万能人型戦闘機の特徴として屈伸運動からの跳躍を活かした垂直離陸が可能だということが挙げられるが、その為にはまずフロート機構を停止させて脚部を接地させる必要がある。間断無く弾丸を撃ち込まれているこの状況でそんな選択をすれば、それは自殺行為にも等しい。
そのためにもまずは隙を作り出す必要があるのだが。
機体を旋回させて弾を回避しつつ、頭上にいる一機目掛けて短機関銃を突きつける。その引き金を引く間際――、物言わぬ肉片となった歩兵達の姿が脳裏に過ぎった。
「――く!」
照準を胴体の僅か横、相手の構える機関銃へと定め直す。
狙われた相手が数瞬遅れて機体を加速させ、回避行動に移る。クルスが放った敵腕部を狙う弾丸はさらその僅か横に軌道を描きつつ、青空へと吸い込まれていった。
「――ああもうっ、ちくしょう!」
最悪の気分だった。
相手の腕はお世辞にも良いとはいえない。今の瞬間、胴体を狙っていれば間違いなく損傷を与えることは出来たはずだ。それが出来なかったのは、偏に倫理観が邪魔しているに過ぎない。
搭乗者としての実力も万能人型戦闘機の性能も勝っている相手だというのに、自分が守勢に回っているという現状において。
命を狙われる危機に瀕してなお、いらない価値観がクルスの攻撃の手を鈍らせる。
人間を殺す、というただそれだけの行為がクルスの枷となっている。
それが意味の無いことだということは分かっている。
相手は犯罪、それもテロを起こした非正規市民である。ここで仮に命を失わなかったとしても、彼らに先は無い。ここは海上だ。孤立無援な上に逃げ道も存在しない。ここでの戦闘の結果がどうであれ、その先にあるのは死という不変の事実である。
どうせ消える命。
ならばここで自分が手を汚したとしても、構わないのではないか。そもそも今の自分は軍属、こうして実戦に出ている以上、極論をいえば人を殺すのが仕事のようなものではないか。遅いか早いか、その程度の差でしかない。
そう、自分に強く言い聞かせる。
「……」
大きく息を吸い込む。
銃撃の嵐の隙間を抜けて、再度銃口を上と向ける。
狙いを定めて撃つ。
たった、それだけの動作。
これまで何千何万と繰り返してきた記憶にそって、引き金を引く。
こんどは外れなかった。
暗い銃口から吐き出された銃弾が狙い通りの箇所に食いつき、複合装甲板をズタズタに突き破りながら内部フレームを破損させる。機体安定を欠いた敵機が鉄片を散らしながら甲板上に激突――内部機系の火花が引火したのか、赤い炎と黒煙を吐き出し始める。
「……俺は卑怯者だな」
脚部を大きく欠損させた敵機を見て、歯噛みする。
墜落した万能人型戦闘機の胴体部が開いて中から搭乗者が避難する姿に、隠すことの出来ない安堵を覚えてしまっていた。その事実が、さらにクルスを苛立たせる。
結局の所、クルス=フィアという人間には未だ自分の手を汚す覚悟が出来ていないということだった。抵抗する手立てを奪い去り、結果として彼らが死ぬことになったとしても、自分がその結末を与えることは出来ない。
それは弱さなのか、強さなのか。
その疑問に答えられるものは誰もいない。
ただ万能人型戦闘機という世界最強の兵器を操る人間が人を殺せないというその在り方は、酷く歪だ。歪みのある部品はいつか規格に沿うように整形されるか、廃棄される運命にある。
兵士でありながら命を奪わない。その選択出来てしまうのがクルスの不幸なのかもしれない。もし一切の余裕の無い極限状況下であれば、そんなことに悩む暇も無く行動していただろう。
頭の中で自嘲にも近い考えが浮かぶ中、そんな事は一切関係なく、本能とでもいうべき動きでクルスの身体は機体を操っている。
所詮、相手は俄仕込みの搭乗者。
もしかしたら中には過去に軍歴を持つ者もいるのかもしれないが、その影を感じさせる存在はいない。
絶対的優位でありながら仲間を失った事による動揺。
加えて、機械の補助に頼り切った射撃は単調で、それと同時に弾倉入れ替えの隙が酷く読みやすい。
戦場の間に出来上がった一瞬の空白。
それだけあればクルスには十分だった。
フロート機構を無効化して、慣性に乗って機体の足裏で甲板を歪ませながら接地する。破片を撒き散らせながら膝関節を大きく曲げ、
――跳躍。
特殊合金製のフレームを骨子にサーボモーターと人工筋肉に補佐されたアクチュエーターが唸り声を上げ、八メートルの巨体が甲板に大きな影を落とす。
万能人型戦闘機の垂直離陸は機体脚部への負荷が大きいためあまり推奨はされていないが、この場所を選ばない離陸性能が万能人型戦闘機の兵器としての運用性を上げているのも事実だった。
飛行用の出力に切り替えた推進ユニットが青い光を一際強く吐き出し、各所の装甲板を排除し長い抵抗尾翼を持つ異形の〈フォルティ〉が宙へと飛び立つ。
そこに一切の淀みもありはしない。あまりにも鮮やかに行われた一連の動作に、残り五機となった敵は動きを止める。それは驚きに端を発したものなのかも知れないが――、まるでその洗練された動作に見とれているようにも感じられた。
その速度を加速させて敵の更に上へと高度を上げていったクルスは、上空から周囲へ視線を落として一瞬だけ思考を停止させる。
海だ。
眼前に広がる光景を見て場違いにもそんなことを思ってしまった。
青い空と青い海。
魂さえ塗り染めるような、濃厚な蒼の二重奏。
既視感だ。
戦闘領域:大海洋上空域
かつての、過去の記憶が脳裏を過ぎる。
海上にぽつりぽつりとここと同じような中継地点が存在すること以外は、目の前の光景はかつて経験した戦場によく似ている。一ヶ月前だというのに、もはやそれは懐かしいと思える過去の記憶となっていた。夏休みの半ば、最後にあの少女と共闘したのもあの戦域だった。
思わずして目にした光景に回顧の念に駆られたクルスだったが、それは時間にしてしまえば一瞬のことだった。
機体を宙に泳がしながら、下にいる敵へ狙いを定める。
空。
万能人型戦闘機が一切の制限を無くす、無制限の空間。
そこは最早、クルスの領域であった。
銃口を下へ向け、火器管制の補助が働くよりも早く機体が支え持つ短機関銃から弾頭を発射する。施設内での取り回しを重視して装備してきたその兵装は銃身が短く決して貫通力も高くはないが、それも絶対ではない。その威力を上げる方法は距離を縮めるか――脆い箇所を狙うかだ。
クルスの連射した弾丸の雨は敵の一機の肩関節部に突き刺さる。
もともと広い可動域を確保するために施される防御措置が薄いことに加えて、上方からの攻撃である。攻撃されることを想定されていない上面装甲が薄手になるのは、全ての兵器共通の鉄則である。
肩の付け根から腕部を破壊されて、安定を失った敵機が脚部から中継地点の屋上へと墜落する。自動姿勢制御機構が働いたようで、両膝を甲板について項垂れるように沈黙する。
残る数は四。
相手が停止していた時間を取り戻したように行動を始めた。
空へと飛び上がった蒼躯の〈フォルティ〉を打ち落とそうと、四機の敵が散開しながら弾丸を放ってくる。しかし地面から解放されて自由を得たクルスにそれが命中することはない。
武装勢力にとって不幸だったのは、誘導弾装備を一切受給されていなかったことだろう。ロックオンさえ終わらせてしまえば全自動で追尾を行う誘導弾は使用者の習熟度に左右されること無く安定した成果を上げられる、非常に優秀な兵器だ。
だがその反面で、誘導弾は兵器であると同時に内部に感覚器や電子回路を登載した精密機械でもある。その弾単価は銃弾とは比べものにならず、非常に高価だ。
結局の所、平等解放軍という組織はそれを給与するだけの価値を見出されなかったということだろう。
退役も視野に入れられた旧式の万能人型戦闘機に、安価で揃えられた兵装。後援を行った者達にとっては、彼らは所詮使い捨ての駒に過ぎなかったということだ。
一方的な蹂躙。
単純に兵器の性能が違うというだけではない。クルスは相手の動きを完全に見透かし、次の動きを選択していく。残る旧式機の機関砲から送り出される弾丸は空へと吸い込まれていき、代わりに放たれる〈フォルティ〉の弾丸は無駄なく確実に敵機を墜落に追い込んでいく。
それは戦闘ですらなかった。
相手は戦っているつもりなのかもしれないが、結果を見ればそれは戦いにすらなっていない。最初に銃弾が放たれるよりももっと前、ろくに戦闘経験を詰んでいない非正規市民がこのような手段に出た時点で、もう勝負は終わっていた。
旧型の万能人型戦闘機が腕部兵装と推進ユニットを破砕されて、黒煙を吹きながら眼下の屋上に墜落していく。
衝撃を吸収するように、接地の瞬間に脚部関節が大きく曲げられ、それでも足りずに機体の足が半ばから千切れて前面から倒れ込む。装甲を無残に歪めたその機体はそれでもまだ抵抗しようというのか残った片腕を途中まで持ち上げて――、そこで力尽きたように動きを停止させた。
巨人の腕が行き場を無くしたように宙で固定される。
海上に聳え立つ白い杭。
真空トンネルの中継地点の屋上には計六の万能人型戦闘機の骸がある。どれもが抵抗する全ての手段を奪われて、物言わぬ鉄屑と成り果てている。だが一様にして、その胸部には激しい損傷は無い。
自分の成果を目の当たりにして、クルスは大きく息をつく。
どろどろとした表現し難い疲労が、汚れのように自分の意識に纏わり付いていた。
脱出を確認出来たのは四名。残る二名がどうなったのかクルスには分からない。衝撃で気を失っているのか、或いは――死んだのか。
胸部には攻撃を加えないようにしたし、撃墜するときは出来る限り低空になるよう意識し、海上には墜落しないよう誘導もした。
相手がどこまでクルスの思惑に気がついていたかは分からない。
だが、数の差と地の利を持ってしても埋めることの出来ない隔たりが存在していたことには気がついていたはずだ。最初から最後まで、ついぞ彼らの放った攻撃がクルスの操る〈フォルティ〉を傷つけることは一度も無かった。
だが最後の一機になるまで、相手が抵抗を止めることはなかった。
非正規市民。ゴースト。
居ながらにして居ない存在として扱われてきた彼らは果たして、どのような決意を持ってして今回の行動を起こしたのか。戦場に立ってなお必要な決断を下すことの出来ていない半端物には、それが分からない。
正義、などという青臭い単語を口にするつもりはない。
だがそれでも。
もっと別の結末があったのではないかと――、
「……良くないな」
そこでクルスは思考を停止させた。
多分今自分が考えていることは、軍人としては不適切なものだ。
善悪など自分の立ち位置で幾らでも変わる。そんなことは昨今であれば子供だって知っている事だ。故に、末端である自分は唯々諾々と任務を行うことが最適解である。
私情を廃して、機械のように淡々と。
そう、それこそ――あの金髪の少女のように。
こうして続けていけば、いつか自分もあの少女のように引き金を引くことが出来るのだろうか。万能人型戦闘機はおろか、生身の相手にすら躊躇無く銃口を向けられるように。
少しだけそんなことを考えてから、クルスは意識を戦場に戻す。
敵の最大戦力は排除したが、任務そのものはまだ終わっていない。試してみるも遠距離通信機はノイズが走って使用不能。未だ電波妨害は行われており、爆破装置の処理が終わっていないことを意味している。
作戦開始から既に結構な時間が経っている。
敵戦力の大部分はこちらで引き受けたように思っていたが、想像以上に手こずっているようだった。
クルスは機体を甲板の上へと着地させた。
銃弾の嵐に、想定されていない推進ユニットによる噴射炎、さらには莫大な質量を持つ万能人型戦闘機の複数墜落。幾多もの暴力に晒されて、本来平坦であったはずの甲板は無残な姿を陽光の下に晒している。
「……まさか修理費とか請求されないよな」
思わずそんな言葉が口から漏れ出る。
施設の奪還を目的にクルス達は来たわけだが、施設の被害についてはそこまで厳密に言い含められていたわけではない。そもそも本当に施設を破損を恐れているならば、万能人型戦闘機を用いた強襲作戦など行われないはずだろう。
ともあれ。
クルスは次の行動を決める。
一先ず、後顧の憂いは断つことに成功したのだから、通常の計画順路に復帰して自分も管制室の制圧へと向かうべきだろう。歩兵ユニットとして考えた場合、クルスがそう何かの役に立つとは考えづらかったが、このまま屋上の甲板上で待機しているわけにもいかない。作戦は以前進行中である。
そう思い、クルスは己の身を預ける蒼躯の機体を下の階へと続く昇降機へと近づかせて――
〈フォルティ〉の複合感覚器に一つの反応が現れたのはその瞬間だった。
***
遙か上空を泳ぐ巨大なマンタ。
何処の防衛網に引っかかることも無く目標地点高高度へと到達したセミネール製多目的航空機スノードロップは、その腹を大きく切り開いた。
機体底面には視認を困難にするための光化学迷彩が施されているため、もし下から眺めた者がいたならば、空に突然黒い空間が生み出されたように見えたはずだ。
明かりの見えないその空間に詰まっていたのは、たった一つの鋼の卵である。
球形ではなく、長方形から角を取り去った形に近いそれは、見ようによっては巨大な棺桶にも思えたかも知れない。
全長十メートルを超すその鋼の卵が、スノードロップの腹の口から投下される。
高度二万七千メートル。
高高空域から投下されたそれは重力に従って落下を開始し、空間との摩擦によって凄まじい勢いで表面の温度を加速させていく。たちまちにそれは五百を超えるが、問題は無い。もとよりそれを想定して組み立てられた、その中身を保全するための高高度投下用カプセルである。理論上では例え現在の六倍の温度になったとしても何ら影響は出ることはない。
高度一万四千を切った時点で、鋼の卵に亀裂が走る。
設計通りに機能を発揮して、予め決められていた順番通りに殻が連続して剥離していった。無数の鉄板を上空に散らさせて、その中から一つの赤い影が現れる。
それは巨大な鉄の巨人だった。
複合装甲板を幾重にも纏い、巨大な腕とそれを支える強靱な足を持つ、人を形取った破壊の権化。
本来であれば規格が合うはずのない複数の企業の部品を組み合わせて作られた、異形の万能人型戦闘機。
重厚なシルエットを持つその機体が、大気に晒される。
その眼下にあるのは白く耀く大海原。
そしてそこに刺さる白い杭。
機体背部の大型推進ユニットから緑光が漏れ出て、その残光が大気へと溶けて淡く消えていく。
その動きに迷いは無い。
真空トンネル海上中継地点〈ホールギス〉を目標に、赤い鎧を纏った巨人は真っ直ぐに降下を開始した。
スノードロップっていう名前が結構お気に入り。




