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プラウファラウド  作者: ドアノブ
三話 亡霊の居場所
30/93

海上施設〈ホールギス〉

連続投稿してます。

 独立都市アルタス西方防衛基地所。

 アルタス領域内の豊富な地下資源を狙って侵攻を続ける西の隣国、メルトランテから国境線上を守るための拠点として機能している、最前線の軍基地。


 機能性を重視した無骨な容貌の軍基地が緑豊かな山々に囲まれるその光景は、見る人間によっては酷くアンバランスな印象を抱かせるだろう。


 破壊をもたらす兵器を大量に抱えた人工物と、昔より存在するそのままの自然の融和。

 こういうと何やら聞こえは良いが、実際にはこの基地建設時に広大なスペース――特に万能人型戦闘機を含める航空機の離着陸場――を確保するために、樹齢百を超える木々を切り倒し、更には起伏のある大地を平らに変型させてもいる。


 周囲に広大な自然が広がっているのは、減らしてなお目減りしないほどにこの場所が自然に富んでいるというだけの話だ。自然との共存など、結局の所は大衆に耳障りの良い言葉を選んで使っているに過ぎないのだろう。


 遙か先、全てを呑み込むような深い青。今日の夏空はいつもよりも少し濃い。白い綿雲が放牧された羊のように、幾つも群れを成していた。更にずっと遠くには巨大で分厚い積乱雲の姿も見える。

 格納庫の建物の日陰で地べたに尻餅をつきながら、濃紺色をした整備員用の作業服を来た人物が一人じっと山々の向こうを睨みつけていた。


 長い赤茶色の髪に、不機嫌そうにも見える鋭い目つき。作業服の前は暑さに負けたかのように大きく開け放たれていて、下に着ていたグレーシャツが汗に塗れて肌に張り付いている。


 ミサ=コスタニカ曹長。


 鉄の臭いと機油に塗れることを宿命づけられている万能人型戦闘機の整備士には珍しい、女性兵員であった。それは同じく軍属の整備員である祖父の影響を多分に受けた結果だったが、それはさておき。


 容赦なく照りつける太陽とその熱気に押されて、その額から透明な雫が幾つも張り付いている。温度、湿度、天候に至るまで完全に管理された都市内と違って、その外側に存在する基地所は自然の在り方をそのままに伝えてくる。幾種もの蝉の鳴き声が世界を覆い尽くしているように感じられるのも、毎年のことであった。


 頭にはお情け程度の日射対策にタオルを被せていたが、真夏の炎天下を前には無力同然にも思える。口には平たい木の棒が咥えられていて、それは基地内の売店(PX)で買ってきた氷菓子の名残であった。彼女が唇をもにょもにょと動かす度に、棒がゆらゆらと上下に揺れることになる。


 夏の強い風が吹き抜ける。


 じっと空を見つめていた彼女の眉根が、何かに反応するようにぴくりと動いた。高く遠い空の中に、目的の姿を見つける。

 三機で編成を組む、鉄の巨人。

 その蒼色に染められた装甲板は空の中に溶け込むような保護色となるのだが、それをまだ距離がある今の時点で視認出来たのは、単純に彼女の運が良いだけだった。

 じっと目をこらして見るも、細かいことまでは分からない。確認出来るのはその存在がそこにあるということだけだ。


 がばりと、勢いよく立ち上がる。


 頭の上に乗せていたタオルを取り払い、前面を開けっ放しにしていた作業服のファスナーを胸元まで上げ、木の棒を近くのゴミ箱に投げ入れて、格納庫の入口へと向かう。辿り着くと既に万能人型戦闘機搬入用の巨大な入口は開け放たれていて、格納庫内に充満していた冷えた空気が外部の熱気と混じり合っていた。

 寒いとも暑いとも言えない、或いは両方とも言える空気の中、既に帰還の報は知らされてきたのか、彼女と同じように濃紺色の作業服を着た人物達が慌ただしく行動を開始していた。何だか恐慌状態に陥った草食動物の群みたいだと、そんな感想を抱く。


 自らもそこに身を紛れ込ませる直前、ちらりと振り返ってさっきと同じ空を見上げてみる。

 もう一度、蒼い万能人型戦闘機の姿を見つけることは出来なかった。




***




 一ヶ月が経った。

 この一ヶ月というのは、クルス=フィアが軍属となった日から数えて、という意味である。そこに十日ほど追加すれば、クルスの前身である〈レジス〉、そして紫城稔がこの理解不能の状況に陥ってからの日数になる。


 最初の頃はここが何処なのか、現実なのか、異世界なのか、仮想現実なのか、自分の持つ記憶は本物なのか、色々と答えの出ない思考を重ねることが多かったのだが、今ではその回数も随分と減っていた。 


 大きな理由に、今のところ特に不自由していないということがある。


 クルスの持つ万能人型戦闘機に関しての知識はほぼ全てが『プラウファラウド』というゲーム――謂わば玩具で得た知識であったが、それらはほぼ齟齬が存在していない。

 唯一のゲームと違っている大きな点は、部品の製造メーカーごとに規格が違うがために、好き勝手に機体を組み替えられないということだろうか。それどころか、同社製品の中でも互換性の存在しないものもあるらしい。

 当然といえば当然な話ではあるのだが、どうしても根底にかつての愛機の姿があるクルスには、何とも言い難いものがあった。だがそれとて一時のことである。幸いにもシンゴラレ部隊には搭乗者に合わせてある程度の独自改修を行うことが許可されていたので、それで無聊を慰めることが出来た。


 結局の所、人間は慣れる生き物だという事だろう。

 軍人としての意識は未だにまるで発達していないながらも、クルスは現在の状況には順調に適応していっていたといえる。




「今から二時間前、アルタスとレフィーラを繋ぐ真空トンネルの海上中継地点〈ホールギス〉が武装勢力によって占拠された」




 だからか。


 シンゴラレ部隊の作戦会議室にて行われたブリーフィングで、壇上に立つ自らの上官、グレアムの口からその言葉が出てきたとき、クルスは突然後ろから小石を投げつけられた時のようなぽかんとした表情を浮かべてしまった。


 クルスを含めて、その場にいる人数は六名。壇上よりもたらされた言葉を聞いた面々の反応は、見事にバラバラなものであった。

 会議室の最前列の席に座っていたタマルは今にも舌打ちをしそうな憎々しげな表情をしていたし、エレナは普段と変わらぬ柔和な笑みを浮かべ、シーモスはうんざりとした様子を隠しもせず――、セーラはいつも通りに何も感じさせぬ無表情を保っている。


 そんな部下達の反応を眺めつつもそれはいつものことなのか――、クルスにだけは一瞬だけ視線を留めたものの、グレアムは特に問題は無いと判断した様子で話を進めた。


「〈ホールギス〉を占拠した武装集団は、自分達のことを『平等解放軍』と名乗っている」

「……『平等解放軍』ねえ」


 胡散臭いものを耳にしたような呟きを、シーモスが口から漏らす。

 頬杖をつきながら聞いていた黒人の男は見るからに覇気が無く、目の前に現れた事件をいかにも面倒そうな態度で聞いている。身に着けている黒い軍服も、どこかくたびれているように見えた。


 戦火で塗れた世の中である。

 世界のどこかでは親に捨てられた子供が血塗れになって死に、別のどこかでは豪勢な食卓を囲う家族がある。

 程度の差はあれ、今のこの世の中で平等という言葉は酷く薄っぺらい言葉にしか思えなかったのだろう。


 それはクルスにしても同様であった。

 この世界情勢についてはまるで明るくないクルスであったが、紫城稔の知識を漁ってみてもやはり平等という言葉はどこか嘘臭く感じる。そもそも生まれ持った才覚や容姿、育成環境の差が存在する以上、本当の意味での平等など存在し得ないのではないかと思う。どんなに取り繕ったとしても、物事の優劣は存在してしまう。


「武装勢力とはいいますがー、具体的な戦力はどれほどの規模なんですかー?」


 相変わらずの周囲の空気を弛緩させるような間延びする声で、エレナが質問した。グレアムは一つ頷くと、会議室前面の投影モニターに映像を表示する。 


「現在確認出来ているのは、対人用の無人歩兵機が十七、強化外装を装備した機巧化兵が最低三十――」


 画面に映し出されていく兵器群はどれもが旧式の対人用小型兵装であったが、適切な運用さえ行えば現行でも十分に通用するものだ。物資輸送用の中継地点でしかない〈ホールギス〉に軍用装備を施した武装勢力を相手に出来るだけの防備があるはずもなく、相手にしてみれば制圧は容易いことであっただろう。


 そんなことを考えていた面々であったが、最後に映し出された戦闘兵器の姿には思わず愕然とした。


「はあ!? 万能人型戦闘機!?」


 タマルが我慢しきれないという様子で声を上げる。

 だが彼女のように表に出さずとも、この場で同じような感想を持った者は多かっただろう。会議室前面のモニターには、鉄の巨人の姿が映しだされていた。


 万能人型戦闘機。


 音よりも早く空を駆け抜け、荒れた大地の上をも走破する、名実共に現代における最強の戦闘兵器。それは史上に登場以来戦火に溢れるこの世の前線に立ち続ける、破壊の象徴と言っても過言ではない存在。


 単体での性能を見れば無敵とも思える万能人型戦闘機であるが、欠点は当然のように存在する。一つは優秀な搭乗者の育成難易度であり、もう一つは運用するに当たって生じる諸々のコストである。


 特に後者は莫大な規模のものとなり、巨大な質量と複雑な機構を併せ持った万能人型戦闘機は維持費だけでも相当なものとなる。兵器というのはそこにあるだけではなく、それを運用出来る人間とその状態を維持出来る整備環境が必要だ。


 ただの武装勢力がおいそれと入手し、運用出来るようなものでもない。


「最近のテロリストはお金持ちなんですねー」


 ほんわりとエレナが納得出来るんだか出来ないんだか微妙なことを口にする。何も考えてなさそうで、少し考えてみると彼女の言葉は暗に裏に潜む存在を皮肉っているようにも受け止めることが出来た。


 実際、万能人型戦闘機を保持している武装勢力という時点で、相手が普通では無いということはその場にいる全員、察しはついていた。

 

「――当然だが、君らの思うとおり万能人型戦闘機はただの武装勢力が簡単に運用出来るような代物でもない」


 壇上に立つグレアムが静かな声音でそう告げて、


「『平等解放軍』の後援を行っているのはメルトランテであるというのが、アルタスとレフィーラ両都市の見解だ」


 独立都市アルタスと敵対する国家の名前を口にした。


 国がテロリストの支援をするのかとクルスは驚いたが、他の面々は大体予想はついていたらしい。少なくとも表立って反応を見せる者はいなかったようで、タマル以外は特に様子を変えない。

 子供と見紛うほどに背の小さい彼女だけは唯一、苛立たしげに膝を揺らしている。その事にはこの場にいる誰もが気がついていたが、わざわざ口に出す者はいなかった。グレアムもちらりと視線を一度だけ送っただけで、特に注意するようなことはしない。


 独立都市アルタスと隣国メルトランテが戦争を初めて三十年以上。

 地下の資源問題を根底に抱えるこの戦いは、間で幾度か停戦期間等を挟みつつも現在まで行われ続けていた。今回のように非合法組織に兵器を売り与えて騒動を起こすのは、相手の勢力を削ぐためにこれまでも幾度となく行われてきた古典的な手法だ。


「あー……、それで、その解放軍の方々の目的は一体何なんで? 占拠したというからには、何か要求があったのでしょう?」


 幾分か張り詰めた空気を払拭するような態度で、シーモスが気怠さを感じさせる状態で口を開く。

 その問いにグレアムは一つ頷いて見せた。


「彼らがしてきた要求は二つ。アルタスとレフィーラに存在する全非正規市民の永久市民権の発行と、現在自分達の行っている武力占拠の正当化だそうだ。要求が呑めない場合は〈ホールギス〉を爆破すると言っている」


 非正規市民、という言葉にクルスが僅かに反応する。

 とはいえ、以前のように自分には解けない難問を目の当たりにしたような感覚はない。

 クルスの脳裏に浮かんだのは一人の少女の姿だった。

 薄汚れたあの少女の名前は確か、サシャといったか。手作りと言うには微妙な境の弁当を上げたあの日以来会ってはいないが、はたして元気にしているだろうか。一時の自己満足で済ませてしまったクルスには知る手立てはない。一度休日でも与えられれば、また弁当でも持って探しに行ってみようかなとクルスは場違いに考える。

 

 つい物思いに耽っていたクルスのその横顔を、少し離れた席から金髪の少女がじっと眺めていたが気がつくことはなかった。


「なんというか、まあ、ありがちだな。典型的なテロリストって奴だ」


 シーモスがどこか呆れたように呟く。


 非正規市民――ゴーストとも呼ばれる、都市の外縁部に存在する市民権を持たない者達が市民権の獲得を目的として行動を起こすことは、規模の差はあれ過去にも存在していた。

 様々な事情で住む土地を追われ劣悪な環境での生活を送る彼らは、天候の管理すらも可能とするアルタスを、どこか楽園のように捉えている節がある。

 中には故郷が滅んでしまった者達もいるゴーストにとっては、安定した需給を続けるこの都市が理想郷に見えるのだろう。当然、実際にはそんなことはなく、この都市は内外に様々な問題を抱えているのだが、盲目的にも近い彼らにそれが伝わることはない。


「体良く利用されてるだけだっていうのに、全く」

「大方、その利用されてることを知りつつ、利用してやるとでも思ってるんだろうさ」

「阿呆か。そんな強かさがあったら、そいつは今頃ゴーストなんてやってねえよ」


 タマルが顔を顰めながら言う。


 ゴーストがどこまで考えているのかは知らないが、彼らが騒ぎを起こせば起こすだけ、喜ぶのが何処の誰かと言うことに気がついているのだろうか。それを考えると、彼女の心もささくれ立ちもしてくる。


 現在のアルタスに存在する非正規市民を全て内包するだけの許容量は存在していない。元々が限られた敷地内での都市である。人口管理は他の場所よりも遙かに厳密に行われている。都市拡張の工事計画も立てられてはいるが、それもまだまだ先の話である。


 独立都市アルタスの行政は今のところ彼らを積極的に排除するような政策を行ってはいないが、それは偏に手間がかかるためでしかない。

 特定の個人を退去させるだけならばともかく、ゴーストと呼ばれる彼ら非正規市民の人口は既に膨大なものとなってしまっている。それらを強行策で一掃して暴動が起きるぐらいならば、問題を起こさない限りは非干渉でいるというのが目下のアルタスの方針だ。


「アルタスとレフィーラの運営組織の間で行われた合議の結果、武装勢力の要求は呑めないとし、武力排除を決定。シンゴラレ部隊は本作戦に出撃する」


 そのため、グレアムの口からそんな言葉が出てきたとしても、別段驚くことではなかった。クルスだけは少々言い表しがたい複雑な気持ちも湧いたが、相手がテロリストだと考えてみれば納得するしかない。

 非正規市民の問題がそんな簡単に解決することでないことは、以前に少し考えて理解している。


「それは通常の部隊との共同作戦ということでしょうかー?」


 エレナが疑問を口にした。


 シンゴラレ部隊は通常の指揮系統からは外れた特殊部隊であり、行ってきた任務も少々通常とは毛色が違うことが多い。運用機体からして独自改修を行った特殊機体であり、画一的な運用を取るのには適していない。

 通常の戦力に加えられたこともこれまでにはありはしたが、基本的には部隊の単独運用が基本であった。


 グレアムはエレナの疑問にはすぐに答えずに、画面上の表示を操作する。


 そこに立体映像として映し出されたのは、幾重にも伸びるパイプ上の空洞であった。それは途中で幾度となく枝分かれして隣のパイプへと合流し、またどこかで分かれる。そんな長大な空間が、アルタスの地下と海中を通って、海上に存在する一つの都市へと繋がっている。

 

 真空トンネル。

 地下、そして海中を通じて独立都市アルタスと海上都市レフィーラを繋ぐ、物資輸送用として作り上げられた長大な物資輸送用の交易手段である。

 摩擦力と空気抵抗を限りなくゼロに近づけたトンネル内を専用の特殊車両が走ることにより、その速度は音速の八倍以上にもなる現状における最速の物資輸送手段であり、移送コストの面から考えても空輸海輸よりも遙かに勝る両都市間における交易の中心的手段として存在している。


「今回の事件はあくまで表沙汰にはせずに処理することが決定している。大々的な部隊派遣は行われない。基本的には君たちの単独行動となる」


 それは相手が武力を持ち出した犯罪者であるとしても、非正規市民を武力で排除したという事実が明るみに出ればそれが他の非正規市民達にも伝播し、暴動へと発展する可能性があるためだ。

 また逆に、アルタスに住む正規市民達が犯罪を犯した相手に強度の嫌悪感を抱き、いらぬ排斥運動を起こす原因にもなりかねない。もともと正規市民の中で非正規市民を嫌っている人間は少なくないのだ。

 完全管理された都市空間の維持にも相応のコストがかかっていることを考えれば、税金も払わずにその環境の一部を享受している非正規市民は存在しているだけで盗難を侵していると言っても間違いではない。極論ではあったが、そういう考えを持っている市民が一定数存在するのである。 


「君たちには真空トンネル内部から〈ホールギス〉へと侵入して貰い、武装勢力を排除、並びに爆発物の解除を行って貰う。〈ホールギス〉までの移動は三ブロック前までは物資移送用の車両を使い、そこで各自機体の立ち上げ、以降は万能人型戦闘機で移動――」


 グレアムが説明するのと同時進行で、画面上に映し出されたパイプ内を蒼い線が進んでいく。それはクルス達の侵攻予定ルートを表示しているわけであるが、


「……人間は運べないって聞いてるんですけど」


 ここ一ヶ月間で仕入れたこの都市の知識と照らし合わせて、クルスが呻きにも近い声を漏らす。


 安価高速で物資流通を行うことの出来る真空トンネルではあるが、それはあくまで物資に限り、人が乗れるようには設計されていないはずである。真空空間で音速の八倍以上で運ばれとどうなるかなどクルスは知りたくもないし、そもそも万能人型戦闘機はそんな環境でも起動出来るのであろうか。

 少なくともゲームの『プラウファラウド』では真空状態などという環境下――例えば宇宙空間など――での戦闘は一度もなかった。


 そのクルスの情けない表情に、珍しくグレアムは苦笑を漏らす。

 もっとも顔に大きな傷を持つ彼がその表情を浮かべると、また別種の威圧感が生じるために、それが苦笑だと気付ける者は多くないかもしれない。

 少なくともクルスは、あれもしかして俺殺される? と瞬間的に表情を引き攣らせた。


「安心していいぞ、クルス少尉。今回は特別に侵攻ルート上のトンネル内は真空状態を解除することになっている。――よかったな貴様ら、莫大なコストを叩いて貴様らだけのために作られた花道だぞ」


 真空状態に保っていた空間を一度通常状態に戻し、さらに事が終わった後には再び真空状態に戻す。その際にかかる費用は、きっとクルスには想像出来ない金額となるのだろう。


 なんでこの人はそういう嫌がらせに近いことを口にするかなあ、と恨めしく思ってしまう。実際に作戦を考えたのは全く別の誰かであり、実行員であるクルスが気にかける必要など全く無いはずなのだが、日本人の気質か、あるいは端にクルスが小心者なだけなのか、申し訳ないような気持ちになる。


 ちらりと横目で他の者達の様子を探って見るも、この会議室内でそんなことを気にしているのはやはりクルスだけのようだった。万年無表情のセーラはともかく、他の隊員達がその事について何か気にしている様子は見せていない。


 グレアムはそんな彼らを一瞥して、


「集合はガレージに一五○○。各員準備に取りかかれ」




***




 姫萩夕弥は東京都内に住む大学生であった。


 容姿も成績も平凡の一言で終わる、街を歩けば似たような雰囲気を持つ人間を何度とだって見つけることの出来る、そんな男である。強引に特徴を挙げるとすれば、少々サボり癖があると言うことだろうか。

 夏休み明けの今日も、大学まで行っておきながら結局授業に出ることはせずに、大学のカフェテラスで携帯端末を弄って無駄に時間を過ごしてしまっていた。夏休み前、前期の履修授業も出席日数はぎりぎりであり、担当の教師に頭を下げて一日分おまけして貰ったという情けないことをしていたりする。


「大丈夫。明日から全部授業出るし。そうすれば余裕だから」


 彼がそう思うのも既に何度目か、口に出している自分でも信憑性がないなと思ってしまう辺りどうしようもない。やれば出来るんだけどなあと根拠もなく割と本気で思っているのも、毎度のことであった。


 九月に入ったとはいえ、未だに夏である。


 八月が夏だったのだから、一日経過して月の読みが変わったからといって突然涼しくなることはない。日々かんかん照りの太陽が空に浮かんでいるし、蝉の鳴き声――は流石に少しは減っているか。

 ともかくも、電車一本を利用して一人暮らしのアパートに帰宅した夕弥の身体は汗だくであった。靴を脱いで湿ったシャツに触れながら、うへえと呻き声を上げる。


 これだから夏は嫌いだと湿った衣服を脱ぎ捨てて、全て纏めて備え付けの洗濯機へと叩き込む。かいた汗を適当なタオルで拭いて、冷蔵庫に入っていた冷えた麦茶をコップに注いで飲む。

 ここまでが外出から帰ってきた夕弥のお決まりの行動であった。素っ裸であるが何も気にしない。全てをさらけだし、開放感に溢れている。


 そうしてから部屋にある背の低い机の上に置かれている物へと手を伸ばす。それはヘッドギア型のVRゲーム機だった。見た目をいうならば、ラグビー選手がつけているようなヘッドキャップに似ている。日本製の、恐らくは国内のVRゲーム機の中では最も広く流通している製品であり、お値段もお手頃である――あくまでVRゲーム機の中では、という注釈がつくが。


 帰宅直後に仮想現実へと意識を潜らせるのが、ここ最近の彼の日課であった。

 それならばどうせ授業に出ていないのだから学校に行かずにゲームをしていればいいのにと思うのだが、そこまで思い切ることが出来ないあたりに彼の性根が表れている。優柔不断とも受け取られるが、そんな気質のお陰で彼は担当の教員からも決して嫌われてはいないのだった。


 裸でベッドに横たわり、裸で白いヘッドギアを頭に被って、裸のままいざ縛りのない自由な電子世界へと――、



「……」



 夕真はおもむろにヘッドギアを外すと、立ち上がって部屋の隅へと向かうと引き出しを漁ってトランクスを取り出した。


 ――うん。やっぱり素っ裸で電脳世界に行くのはいかん。縛りのない自由はあくまで電子世界の中であって、現実ではモラルが必要である。というか裸にヘッドギアは見た目があれすぎる。


 いそいそと縞模様のトランクスを身に着け、素っ裸からパンツ一丁へとレベルアップした夕弥は今度こそ電子世界へと潜る。

 暗闇で塞がったしかに緑色の文字が浮かび上がる。起動パスを音声入力すると同時に、ぐわんと脳が揺さぶられるような感覚が襲いかかった。脳とゲーム機を接続している際に生じる情報ずれが原因らしいのだが、夕弥は詳しくは知らない。人によってはここで激しい嘔吐感に襲われることもあるらしいが、それくらいだ。夕弥は使えればいいやという典型的な消費者であった。


 夕弥が現在熱中しているゲームは『プラウファラウド』という、自分で人型の戦闘兵器を組み上げて戦うメカアクションゲームであった。

 現在では随分と数の減った日本企業製タイトルであり、そのシビアすぎる操縦方法で容赦なくプレイヤー達を篩いにかけるゲームでもある。そんなところが海外市場では評価されて売り上げを伸ばしているのだから、商売とはよくわからないものである。



 少しの起動時間を空けて気がつけば、夕弥はプレイヤー〈ヒメハギ〉となって個人のパーソナルスペースであるガレージに立っていた。いつもながら、ここに来るとまず最初に鉄の臭いが鼻につく。五感を再現する技術力には感心するが、ここまでする必要もあるのかなと〈ヒメハギ〉は思わなくもない。現実味は出るが、この匂いは決して人好きされるものではないと思うのだが。

  

 少し視線をずらせば、そこにはこの世界での自分の相棒の姿がある。

 

 真っ赤に染まった重装甲を持つ万能人型戦闘機。

 速度を度外視して組み上げられた、重火力重装甲の特化機体である。若干背が低く、戦闘の度に報酬の殆どを弾薬費で持って行かれるのが玉に瑕であるが、彼は自分のその機体を気に入っていた。やはり一から作った機体というものには自然と愛着が湧いてしまうものだ。


 さて今日はどうするかなと、少し考えてみる。

 そしてすぐに選択肢などなかったなと気がついた。 


 ネットのランキングに影響するランキングマッチと、ランキングに影響しないがために割と気楽に対戦を行うことの出来るフリーマッチ。

 対戦には基本的にこの二つの形式が用意されていて〈ヒメハギ〉はどっちが専門というわけでもなく、ちまちまと好きにプレイしていた。といっても実力が伴なっているわけでもなく、ランキングの方は上位争いとは無縁の中堅プレイヤーである。少し前に希有な女性の上位プレイヤーと対戦したときにはまさに為す術も無く撃墜されて、自分には無縁の世界だなあと実感したものである。少なくともい自分にはあんな癖のありそうな兵器を扱うことは絶対に出来ない。


 まあ、そこまで上方志向が強くないお陰か、そんな経験をしても気にせずにゲームを楽しめているのは幸いなことであろう。


 そのランキングマッチであるが、ここ最近のランキングマッチは非常に荒れているのである。詳しい事情は〈ヒメハギ〉は知らないが、ここ一ヶ月間で何人かの上位プレイヤーが引退したとかで、その後塵を拝していたプレイヤー達が空いた座を巡って熾烈な争いを繰り広げているらしい。そのせいか実力の劣るプレイヤーが戦場に参加するとたちまちに撃破されるという、大多数にとっては阿鼻叫喚の地獄絵図となっているとか。 

 その戦闘模様を映した動画が幾つも動画投稿サイトにあがっていることは〈ヒメハギ〉も知っていた。


 例に漏れず実力に劣る側に位置する〈ヒメハギ〉がいまランキングマッチに参加しようものならば、鉄屑にされて修理費という悲惨な数字を目にすることになるであろう。


 ――よし、今日はフリーマッチにしとこう。


 上位陣が争っていることをチャンスだと捉えることもなく、極めて平凡な判断を〈ヒメハギ〉が下した丁度その時、



 《メッセージを受信しました》



 そんなアナウンスが視界の隅に映る。


 ログインに気がついた知り合いからの同時出撃の誘いかなと思った〈ヒメハギ〉は、その送り主の名前を見て「お?」と思わず目を丸くした。




『 From 自己学習型管理AI – RANI - 3510

  To プレイヤー〈ヒメハギ〉

  件名 特別任務


 プレイヤー〈ヒメハギ〉様へ。

 特別ミッションの配布を通知させていただきます。

 本ミッションは私が独自の基準で選定したプレイヤーのみに配布する、特別任務です。

 特別任務への出撃を望む場合は、シングルプレイモードより追加任務を選択してください。


 なお本ミッションは任務達成失敗に関わらず一度きりで消滅します。

 また本日20XX/9/19の日付変更と同時にも消滅しますので、ご了承ください。

                                

                            RANI-3510   』



「おお?」


 メッセージに従ってシングルプレイモードの一覧を目にしてみる。その最後尾にはNEWとマークがついた、新しく追加されている任務。


 試しにそれを指で触れてみると――、




 任務概要:海上施設〈ホールギス〉の防衛 




「おおお?」 


視点変更が多かったので、そこで話を分けてみようという試み。

前話とセットでお読みください。

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