シンゴラレ部隊 - VI
軍用基準性能調整個体。
独立都市アルタスと盟友関係にある海上都市レフィーラでクローニング技術を応用し理想的な兵士の実現を目指して開発された、人造兵の総称である。
現状で正式採用された遺伝子を用いて製造された個体が合計で八千体存在しており、セーラ=シーフィールドはその内の後期に生み出された、次代発展型へのアップデートを目的にレフィーラに存在する技術研究所からアルタスの軍部へ提供された特別試験個体であった。
あらゆる状況下でも常に冷静に、焦らず、惑わず、――生粋の兵士としての役割を持って生み出された彼女には、基本的に感情の発露というものが存在しない。どのような命令であろうと上位存在の命令には絶対服従し、目的を成すために行動する。
軍内にはそんな非人間らしい彼女に嫌悪の感情を抱く者も多いが、セーラ自身はそんな自分の在り方に疑問を覚えたことはない。他人から与えられる自分の評価に興味を持ち、行動の安定性を左右されるというのは彼女にとってはあまりにも非効率的であった。
無論、作戦行動に支障をきたさないためには周囲と良好な関係を保つことが望ましくはあるが、逆を言えば差し支えがない限りは改善する必要もない。
その意味では、彼女が軍内でも異端視され通常の部隊と共同作戦を展開することが少ないシンゴラレ部隊に配属されたのは好都合であった。
今回の演習域に指定された山の中を、万能人型戦闘機に乗って移動する。当初行っていた静音移動はとうに止め、地表を滑空するフロート機構を作動させての高速移動に切り替えている。
僚機とのデータリンクを行っている複合感覚器からは、その僚機が二機の敵に前後を挟まれながらも奮戦していることを如実に伝えてきていた。それどころか一定の反撃まで行っているらしい。撃墜を逃れるのみならず抵抗を可能にしている辺り、恐ろしい技量ではある。
だが劣勢を覆すには至らない。そう遠くないうちに、撃墜判定を貰うことになるだろう。その際に敵の一機を道連れにはするだろうか。そんな事を考える。何にせよこのまま彼の敗北という結果は覆らないであろう。
戦闘に加わるわけでもなく、金髪の少女は一人その赤い双眸でその光景を眺める。
実のところ。
セーラの操る〈フォルティ〉は随分前から敵一番機であるタマル機に攻撃を加えることの出来る位置にまで到達していた。彼女の機体のモニターには背面移動を行いながらも射撃を行うタマル機の姿が映っている。
不整形な足場と乱立する木々の隙間を推力ユニットを起動した高速で背面移動しつつ射撃を行っている辺り、タマル中尉もやはり相当な腕前ではあるがその注意全て正面に向けられていて、側面に構えるセーラ機には一切向けられていない。
今彼女がその鉄の巨人に持たせた銃口を持ち上げさせて一発の弾丸を放てば、間違いなく胴体部に直撃 ―― 致命弾判定を与えることが出来るだろう。
障害物となる木々の隙間を滑空する移動目標を撃ち抜くのは決して楽な難易度ではないはずだが、軍用規格性能調整個体である彼女にとっては息を吸うのと同じ心境で行うことが出来る。もとより彼女はそういう風に生み出されているのだから。
しかし、彼女が引き金を引くことはない。
万能人型戦闘機を用いた二対二の低空戦闘を想定した今回の演習であったが、その実体は部隊に配属されたクルス=フィアの実力を推察することにある。
不測状況下における対応能力も計測事項には含まれているために、今回セーラはクルスの僚機として訓練に参加していながらも、事前に戦闘行為への参加を禁止されていた。
それはあの少年も気がついているようで、彼女の援護を期待しているような動きは一切見せていない。まるでそういった状況には慣れているかのようだ。傭兵という前歴を持つ彼は、恐らく不測の事態に対する経験も備えているのだろう。
真紅色の双眸がじっと見つめるモニターに映し出されるその光景の中では、三機の巨人が木々の隙間を駆け抜けていっている。やはり目につくのはあの少年の操る機体である。
蒼色に染まっていない、ダークグレイの塗装を施されたままの万能人型戦闘機〈フォルティ〉。二機に挟まれながらも未だ奮戦を続けるその挙動を目にして、あの時の姿は見る影もないと思ってしまう。
僅か十数日前に見た、あの光景。
敵国メルトランテの万能人型戦闘機を一顧だにせずに、僅か三太刀。空中戦では滅多に出番のない白兵戦用の超振動ナイフで敵の急所を的確に射貫いた、あの月夜の瞬間。
あの時、セーラは大空を自由に舞う白い猛禽類を連想したが、今の少年はまるでその両翼両脚に鉄の重しが括り付けられているようだった。
恐らくは、あの時の夜ようにまたコンピューターによる補助機能を切っているのだろう。極低空という万能人型戦闘機としては昨日の半分を制限された戦闘にも関わらず、通常ではありえないような複雑な軌道を描いて前後から飛んでくる弾丸を躱している。
しかしあの夜の動きを知っているセーラからすると、今のクルスの動きは酷く窮屈に見える。地に落ちた鳥が藻掻いているような、そんな哀れさを感じさせた。
何だろうか。
その光景を見ながら、軍用規格性能調整個体の少女は仄かに何か得体の知れない感覚を覚えた。胸の奥から込み上げてくる何かだ。だが少女はその感覚を表す言葉を知らない。そのようには作られていなかった。
「――」
しばしの逡巡。
セーラは胸の内に僅かに覗かせたその萌芽を不要なものと判断し、何もなかったと忘却する。そして数瞬後にはまた、目の前の光景に意識を戻した。
彼女の僚機が淀みのない動作で反転し、彼を追走していた敵二番機との距離を一気に詰める。相対的なものもある。当事者である二人の搭乗者達には一瞬で距離が消えたようにも感じられただろう。遠目に見ていても、二機の彼我の間は瞬く間に失われた。
あの黒髪の少年は、このままでは勝ち目が薄いと判断したのだ。
この演習の結果を決める、乾坤一擲の反撃。
出来上がった構図は単純だ。
敵一番機が狙いを定めるよりも速く、一撃離脱であの少年が敵二番機に撃墜判定を食らわせることが出来るか、凌がれて硬直を晒したところを敵一番機に撃ち抜かれるか。
金髪の少女はただじっと、機体にその身を預けながらその行く末を眺める。
その胸の内に芽生えかけているものが何なのか、そしてそれが何を意味するのか。今の彼女には答える術は無い。
***
これまで軽量機を乗り続けてきたクルスにとって、この様々な性能をバランス良く兼ね揃えた〈フォルティ〉という汎用性の高い万能人型戦闘機の全てが肌に合わなかった。
それでも無い物ねだりをしている暇はない。
軍という組織に所属する以上は、恐らくこの機体とは深い付き合いになるだろう事は想像に難くない。早急に慣れる必要があった。
これまでの前後を挟まれた鬼ごっこで分かった限りでは、この機体はとにかく安定性が高く、搭乗者の言うことをきかないということだ。
何をするにしても自動制御の内部機構が勝手に発動し、機体を安定した状態へと持っていこうとする。重心をわざと偏らせての高速旋回機動などを行おうとすると、機体が勝手に水平に立とうとするため扱いづらくて仕方が無い。
少し気を抜くとあらぬ軌道を描き始めるかつての愛機とは、全く正反対の言うことのきかなさである。
軽量機であった〈リュビームイ〉が人の話を聞かない問題児だとすると、〈フォルティ〉は規律にうるさく融通の利かない委員長といった感じか。自分で正しいと判断してその通りに行動を始めようとする。
それがクルスの動きを制限する一番の理由である。
だが、この機体が大量生産されている量産機だという事情を考えれば、それも仕方が無いことなのだろう。
個人で好き勝手に改造を施していたゲームの『プラウファラウド』における万能人型戦闘機と違い、この世界の万能人型戦闘機は同規格機体を不特定多数が使うことを想定している。
万能人型戦闘機はあらゆる動作を手動操縦で行えば通常では実現出来ないような複雑怪奇な機動も行うことが出来る。だがそれを習得するためには気が遠くなるほどの時間と失敗を繰り返さなければならない。
ゲームだったならばそれも可能だっただろう。練習しようと思えばいつでもその為の戦場は用意されていたし、何度墜落しようともゲーム内通貨で修復費用さえ払えばまたすぐに復帰することが出来る。
しかしそれを現実という尺度で見つめると、途端に不可能となる。
練習などと気軽に言っても、兵器として運用するとなると様々な制約が発生する。特に金銭面は莫大だ。兵器とは、消耗品と言っても過言ではない無数の部品の組み合わせで出来ている。特に重量のかかりやすい脚部関節などは例え何もしていなくとも常に負荷がかかり、定期的な部品交換は必須となる有様だ。
そんな繊細な機体を使った実機演習を気軽に出来る程の余裕があることは希であろう。戦時下と言うこともあって通常時以上に予備部品の製造は行われているだろうが、当然それにも限りがある。
ゲームのように戦場で戦果を上げれば報酬が降って沸いてくることもない。
さらに言えば練習したとしても、墜落などしては話にならない。機体の損失は勿論、地面に激突したら搭乗者がどうなるかなど考えるまでもない。クルスとて以前の愛機に慣れるまでに何度海面や山肌に正面衝突したことか。
機体をまともに動かせるまでに何度も墜落するなど、それでは経験値を積むどころの話ではない。
そうなれば誰でも動かせる、扱いやすさを重視した万能人型戦闘機が主流になるのは当然であろう。
兵器としての側面を考えた場合、多少不自由であろうと扱いやすいというのは立派なセールスポイントになるのだ。
演習の間に座席から弄れる限りの補助機能は無効化したが、搭乗者の座席で行える処置などたかが知れている。最初よりは随分とマシになったが、まだまだ言うことをきかせるまでには至らない。出撃前にあの口の悪い整備員を説得出来なかったことがつくづく悔やまれる。
しかしもう遅い。
既に戦いの火蓋は切って落とされているのだ。
機体を急速反転させると同時に、推力ユニットを全力点火させて距離を詰める。正面にあるのは蒼躯の万能人型戦闘機の姿。これまで散々自分の尻を追いかけ回してくれた相手を正面に捉える。
勝負は一度。
この速度のままに相手を刈り取ることが出来なければ、もう一機に撃墜されることになるだろう。
機体が急加速に応えると共に、目に見えて貯蓄電力が減少していく。
気が強いことに、肩にハートマークをつけた相手の〈フォルティ〉も速度を一切緩めることなく、こちらに向かって駆け抜けてくる。その様子に場違いにもクルスの口元が上がった。
たしかエレナといったか。
見た目は美人で大人しいお嬢様といった風であったが、あの女性、あれで結構な勝負師である。
刹那の攻防。
先手を取ったのは蒼い巨躯を持つ、エレナ機であった。
ペイント弾の詰まった自動銃の銃口を正面に向ける。
その暗い砲口から火薬の発火炎と共に無数の弾丸が発射される。無数の弾丸はクルス機の丁度胴体部の高さで、扇状に放たれた。
木々を盾に取り挟撃を凌いでいた今までと違い、クルスの機動は直線的である。
ましてやこの速度、この距離。
例え今から機体を左右に振ったところで損傷弾は絶対に避けられないであろう、横列掃射。
それはここ一番の勝負所でも冷静さを失わせないエレナの、相手を詰ます最善手であった。
―― だからこそ読みやすい!
クルスは一人操縦席の中、獰猛な笑みを浮かべる。
次の瞬間、クルスは〈フォルティ〉のフロート機構を切断した。
高速で荒れた山肌の上を滑るように直進移動していた影色の機体は、重力に引かれて前方への慣性を引き継いだまま爪先を引き摺りながら接地する。
優等生である〈フォルティ〉がさっさと姿勢を直せと警告を嵐のように発してくるが、クルスはそれらを一切合切無視する。
勝手に起動した自動姿勢制御機構を機体荷重移動で無理矢理押さえつけ、立ち上がろうと唸りを上げかけた推力ユニットを、ノズルを強引に偏向させてキャンセルさせる。
機体と搭乗者がお互いの意地をぶつけ合わせているかのような、演習の裏で行われた真剣勝負であった。
軍配が上がったのはクルスである。
しつこく立ち上がる機構の全てを頭から押さえつけて、己の望む機動を再現させる。
『えーっ!?』
大きな破砕音とともに〈フォルティ〉は茶色い大地を砕きながら、まるでスライディングするかのような動作で弾丸の嵐を潜り抜けていく。突然目標の高さが三分の一近くまで沈み込んだことにエレナ機の照準行動はまるで追いついていない。
クルスの卓越した操縦技術を背後から幾度となく目にしていたエレナだったが、まさか八メートルの巨躯を誇る技術の結晶ともいえる万能人型戦闘機がスライディングをするなどとは、欠片ほども想像していなかった。
事態は動き続ける。
すぐさまクルスはフロート機構を再起動。同時に背部のブースターを吹かして転倒しかけていた機体を無理矢理その推力で支え、その間に人間よりも遙かに深く広い可動域を持った万能人型戦闘機の両脚を広げて重心を安定させる。
そうして、深く沈み込んだ姿勢のままクルス機は敵機の懐へと入り込んだ。
一瞬の間。
それは搭乗者の驚愕の表れか、あるいは自らに待ち受ける僅か先の未来を幻視してしまったのか。
蒼躯の〈フォルティ〉の動きが一瞬硬直する。
オープンチャンネルのままであったのであろう通信機の向こうから、息を呑む気配が伝わってくる。
『――ッ』
クルスは容赦なく引き金を引いた。
下から胴体部を突き上げるように放たれた弾丸。
クルスにとっての唯一の誤算があったとすれば、エレナの操る〈フォルティ〉に施された独自改修であろう。
シンゴラレ隊の搭乗者に許可された、個人に合わせたカスタマイズ。
エレナ機には主に機体各関節部の柔軟性を司る人工筋肉が、通常機よりも更に三十パーセント程の柔軟性を誇るものに取り替えられていた。
この人工筋肉部はあまり柔らかすぎると、高速機動時に機体自身の荷重に持っていかれてあっさりと千切れかねないために一定の剛性も必要となる。それを近接戦闘を好むエレナは、機体の可動性を上げるためにデミリットを承知で交換していたのだ。
「――!」
エレナ機が体勢を崩しながらも機体を大きく仰け反らし、足掻く。
独自改修された柔軟性の高い人工筋肉が幸を成し、通常の〈フォルティ〉では不可能であったであろう可動域を用いてその致命弾を避けた。
だが胴体部を逸れた弾丸は右半身へと直撃する。鮮やかな蒼い装甲板が、次々と蛍光色に塗り潰されていく。模擬戦用のペイント弾とはいえ万能人型戦闘機用の大型弾である。鈍い振動が内部にいるエレナを襲う。
損傷を確認した機体が次々と停止信号を受け取り機能を停止させていく。
だが撃墜はしていない。
まだ戦闘は終わっていない。
『――このっ……!』
彼女は最早意地だとばかりにまだ動く片腕で素早く超振動ナイフを引き抜き、半ば勘だけで刃を振るった。
そこに手応えがある。
だがエレナ機が切り裂いたのは本体ではない。
彼女が仕留めたのはクルス機の持っていた突撃銃であった。
「……っ」
模擬戦であるために超振動ナイフはその広周波振動発生器を機能させていないために表面にひっかき傷を残すだけであるが、しっかりと被弾信号を受け取って突撃銃はその機能を失った。
想定外の足掻きに顔を顰めながらもクルスも慣れない手持ち型の超振動ナイフを装備して、今度こそエレナ機の胴体部目掛けて刃を振るう。
機体の動きを止めぬままにトドメを刺し、だが内心では負けたと理解していた。
エレナ機を落とすのに手こずり過ぎたのだ。
恐らく数瞬後に、もう一機の敵からの弾丸が飛んでくることだろう。最早身体に染みついた習慣か、機体を回避行動に移らせてはいたが、その速度は完全に死んでいる。完全に横転状態にあるエレナ機を盾に取ることも難しい。
「あー……」
呻き声が漏れて出る。
負けるのは嫌いだ。
乗り慣れていない機体だとしても、せめて軽量機であればと思ってしまう。
後は運良く外れることを祈るくらいしか出来ない。
そんな殆ど無い可能性に縋るくらいにしか、クルスには出来ることがなかった。
そしてクルスの予想通り、ほんの数瞬後に被弾を告げる通信が――、
『一番機二番機、胴体コクピットブロック被弾。―― 致命的損傷により大破と認定』
「……ん?」
予定とは少し違う内容に、思わず首を捻る。
『――状況終了! 全機指定地点まで後退せよ』
「……えー?」




