シンゴラレ部隊 - V
巨大な樹木の隙間から鉄の巨人が姿を現す。
全体的に曲線を帯びたフォルムを持つ万能人型戦闘機〈フォルティ〉は、本来本領を発揮するはずの高高度飛翔を禁じられて、その険しい山中の極低空を駆け抜けていく。
万能人型戦闘機が万能と呼ばれる所以。航空戦力でありながら地上戦力としても機能する兵器の一面である。フロート機構と呼ばれるそれによって、万能人型戦闘機はまるで氷上を滑るかのように滑空していく。
その機動は決して単純な線をなぞらない。
木々の隙間をすり抜けるようにして複雑な曲線路を辿っていく。勿論直線的に動いた方が速度は増し、目的地へは最短に距離を詰められるだろうが、状況がそれを許さない。
未だ部隊の基準色である蒼躯に染め上げられていない〈フォルティ〉が一際太い黒々とした樹木の間を駆け抜けると同時、その分厚い樹皮に派手な蛍光色が刻まれた。着弾の衝撃で樹齢何十という巨木が幹を震わせる。
中距離から発射された模擬戦用のペイント弾が、標的から外れて打ち付けられたのである。
果たしてこれで幾度目か。
『――ち、弾が軽すぎ!』
何故かオープンチャンネルを介している相手の声が聞こえてくる。その口調の端々から、苛立っていることがありありと察せられる。察するに、ペイント弾の弾頭重量が軽すぎるがために、合間に存在する枝葉の影響を無視しきれずに弾道がズレて当たらないためであろう。
クルスとしてはそれを狙って現在の軌道を取っているのだから、当然の結果であった。本来の標準装備である対装甲用のAP弾(徹甲弾)であったならば通用しない手立てのために少々せこい気もしたが、勝ちを拾うためならば手段は選んでいられない。前後を敵に挟まれたこの状況は、不利という言葉だけでは片付けられない状況である。
機体を右に振り回すと同時に背後からも幾重もの銃弾が飛び込んでくる。
その全てが機体の脇をすり抜けていったが、次第にその標準が定まってきていることが分かった。相手の搭乗者が火器管制システム(FCS)に頼った自動予測射撃から、その誤差を手動で修正してきている証拠である。
扱い慣れていない中量機ということもあり、このままでは完全に捉えられるのもそう遠くない未来だろう。
『うーん、当たりませんねー』
聞こえてくるのは状況にそぐわないゆったりとした声。ともすれば張り詰めた緊張を途切れさせられそうにもなる。
更にもう一度。
木々の隙間を潜り抜けてきた弾丸が駆け抜けてくるが、やはりそれはクルスの操る〈フォルティ〉を捉えることはなかった。
背後から猛追してきているエレナ機との距離は次第に詰められてきている。
クルスが機体になれていないのも原因だが、やはり前後からの射撃によってどうしても機動を制限されているが問題だ。
このままエレナ機と短距離格闘戦に突入してしまえば、距離を維持しているタマル機から狙い撃ちされてしまう。こういう時速度に特化した軽量機であれば後続を振り切って強引に前方機と距離を詰めることが出来るのだが、中量機ではそうはいかない。こういう状況下での中量機を運用した最適解を持ち合わせていないのが辛いところである。
ともあれ。
発見は同時になるだろうと踏んでいたクルスの予想を裏切って敵の一方的な奇襲から始まったこの模擬戦、はたしてそうなった原因は何だろうか。
少なくとも自分の静動行為に問題があったとは思わない。確かに山岳地帯の地表戦闘は土台が不安定であったり、並び立つ樹木が原因で音が反響したりとネガティブ要素が乱立しているが、伊達に何千と対人戦を重ねてきたわけではないのだ。自分の静動制御については自信がある。
ならば偶然、相手の方が光学確認 ―― ようするに目視でこちらを発見したということだろうか。
確かにその可能性はある。
あるが、しかし、それにしては妙にも思える。
クルスが気がついたときには既に相手は陣形を引いていた。果たして偶然発見したような過程で、こちらの複合感覚器に捉えられることもなくそんなことが可能なのだろうか。相手の迅速な陣形形成は、まるで最初からこちらの位置が分かっているかのようであった。
「――」
一瞬の間。
相手の銃撃の間隙を狙って機体を百八十度ターンさせ、背後に存在するエレナ機に向かって弾丸を放つ。
数発が敵の装甲に命中するが、どれもが非損傷判定。状況に意味を成さなかった。精々が相手の蒼い装甲にどぎつい蛍光色が付着するのを目にして少し溜飲が下がった程度だろうか。あとは通信機から緊張感のない間延びした悲鳴が聞こえてくるくらいだ。
機体の足を止めることなく再度機体を反転させて、前方を向く。
目まぐるしく視界が移り変わり、推力ユニットを利用した回転行動という高G機動に座席に身を預ける身体に負荷を感じるが、この程度は軽量機の格闘戦に慣れたクルスにとっては障害といえるほどのものでもない。それどころか行動の度に感じる機体荷重に苛立ちを覚えるほどだった。許されるならば今すぐ排除可能な装甲部を全て取り払ってしまいたい気分である。
挟み撃ちにされているこの状況になった原因。
実を言うと、思い当たる節はあったりする。
見上げれば、何処までも広がっていく無限の青空。
そこに機体の光学カメラの一つを向けてみれば、一つの黒い影が存在していることが分かる。とはいえその機体色は空の中に溶け込むかのような蒼色をしているため、意識して見なければ気がつくことはないだろう。
上空に浮かぶのは三の番号を宛がわれたシーモスの操る〈フォルティ〉である。彼はこの模擬戦には参加せずに、映像記録機として上空に待機していた。今も狙いを定める猛禽類の如く、地表の機影を観察し続けているのだろう。
事前行動で捕まる要因は無し。
視認されたと言うには不自然。
―― となると。
「あれに監視されてるとしか思えないんだよなあ」
まるで人ごとのようにクルスは呟いた。
あるいは、相手側だけ指揮所と戦術データリンクを行っているか。どちらにしろ、相手だけこちらの位置情報を掴んでいるとしか思えなかった。
まあ、それはそれで構わない。自分側が一方的に不利な状況で始まる作戦は、『プラウファラウド』のシングルモードで散々経験してきた。この程度の状況は珍しくもない。
ただ気になるのは、何故そういう状況にされているかということだ。
「……新人虐めとか?」
咄嗟に思いつくのはその言葉であるが、はたしてどうだろうか。記憶にある漫画や小説などでは組織内の新入り虐めというのはわりかし存在するシチュエーションであるが、果たして現実的にはそれはありえるのか。
ありえそうな気もするしありえない気もする。
正直クルスには判断がつかない。
ふと思いついて、回線を繋ぐ。無論相手のように広域のオープンチャンネルではなく、僚機にである。
「おいセーラ」
『――なんでしょうか、七番機』
対して間も置かずに聞こえてくる平坦な声。自分を番号で呼ばれてそういえばまたセーラと名前で呼んでしまったと気がついたが、まあいいかと思い直す。向こうも諦めているのか、あるいはこちらの状況を知っていって口うるさく言うつもりはないのか、最初の時のようには注意してこない。
「今そっちの状況は?」
『敵一番機の側面をつくべく迂回進行中です。ただし障害物が多いため当初の予定ほどの効果は認められないと予測します』
まあそうだろうなと、納得する。
各個撃破狙って十字放火すべくクルス機とセーラ機は距離を離して別個行動を行っていたが、現状は完全にそれが裏目に出た形だ。逆に各個撃破を狙われている形になっている。相手にとっての誤算は、予定よりも遙かにクルスが粘っていることだろう。それどころか間隙を縫って散発的に行われてくる的確な反撃が機体表面を掠めていき、中々に距離を詰められない状況である。
「射撃開始可能時間まであと百と言ったところでしょうか。現状から推測するにこちらの位置はばれていると思われますが」
彼女からの報告に、クルスは頭を悩ませる。
あの金髪の少女は一貫して平坦な声のため、その言動から推測するしか無いのだが。この分だと彼女は味方と考えて良いのだろうか。判断に迷うところである。
かといって、直接訊ねてみたところで正直に返事が返ってくることもあるまい。
「うーん……」
選択肢は二つ。
一人で挑むか、二人で挑むか。
ただでさえ不利な現状、当然ながら可能ならば二人で協力して展開した方が良いに決まっている。しかしそれは前提として、彼女が味方ということがある。既に恐らく相手は一方的な戦術データリンクの支援を受けているという状態だ。自分以外が敵というのも充分に有り得る事態である。
これまでの少女との記憶を思い出してみるも、判断材料としては酷く微妙なものである。十日あまりの都市内生活では四六時中と言って良い加減で彼女と行動を共にしていたが、そこに信頼関係のようなものが生まれたかと言われると全く頷けない。
それどころか上官から命令されればあっさりと敵になるだろうなという、嫌な確信があった。なにせあの尊敬のその字も見当たらないシーモスの言葉にも唯々諾々と従っていたのである。
「……うん」
考えれば考えるほどに、信じられなくなっていくのははたしてどうなのだろうか。これまでの同居生活で信頼関係を築くことの出来なかった自分を恨むことも出来ない。
あれだけの期間で、あの張り付けたが如く無表情を保つ少女との関係を築くことなど、今の状況よりもよっぽど無理ゲーに思えたためである。間違いなく難易度調整を失敗している。
せめて彼女が静観を決め込むのか、能動的に敵に回るのかくらいは知っておきたいのだが。
しばしの逡巡の後。
「――しょうがないか」
クルスは覚悟を決めた。
***
すごいすごいと、その背中を見ながらエレナは思う。
未だシンゴラレ部隊の正式と槽を施されていない、ダークグレーカラーの万能人型戦闘機〈フォルティ〉の姿。列柱の如く居並ぶ木々の隙間を滑走していくその動きには、淀みというものが感じられない。
しかも驚くべき事に、あれを操っている搭乗者はあの機体には初乗りなのである。前後を挟まれながらも木々を障害物にとり回避し続けるその姿からは、とても想像出来ない。
これでもう何度目か。
火器管制システムの自動予測にさらに自分の勘で補正を加えて、自機の持った火砲から 無数の弾丸を射出させた。
嵐の如く突き進むそれらのいくつかは合間に存在する木々の枝葉に接触して、軌道が狂い在らぬ方向へと飛んでいく。狙い通りに相手に目掛けていったいくつかの銃弾も、標的に命中することは無かった。
木々の隙間を駆け抜けていくその背中を負いながら、エレナは感嘆の溜息を吐いた。
「すごいねー」
新しい弾倉と入れ替えながら、思わずそんな言葉が口をつく。
前方からはタマルも射撃を行っているはずなのに、何故未だに撃墜判定をもらっていないのか。それは偏に搭乗者の卓越した技量の賜物なのだが、それを目の当たりにしても信じられない思いである。
「――あ」
一瞬の意識の間。
前方に移る巨人が氷上でターンを行うかのように体制を反転した。その手に構えられた突撃銃の砲口が、エレナを捉える。
咄嗟に機体を滑らせる。
機体にロックオン警告は出ていない。にもかかわらず銃弾が飛んできたということは、相手は火器管制システムが照準補正を行うよりも速く、手動で狙いをつけて攻撃を行ったということだ。
ばすばすばすと乾いた音を鳴らして、模擬弾が付近に突き刺さる。
「くぅ――!」
回避行動を取ったにも関わらずこの有様である。しかも自動照準に頼らない手動射撃。一体どういう感覚をしているのか。
その内の一つが自機の肩部上面に突き刺さった。
まずいと、いつの間にか乾ききっていた唇を舐める。
今までも幾度か装甲表面を掠めるように蛍光色を貰っていたが、今回は違う。重たい衝撃が機体全体を襲い、フロート機構にとって地表を滑空していた機体のバランスが大きく狂う。
たちまちに自動姿勢制御機構が働いて機体の姿勢を正すが、速度は随分と落ちることになった。そして何よりも。
『――二番機、左肩部に損傷弾を確認。戦闘続行可能』
嫌な報告が聞こえてくる。
被弾信号を受け取って、たちまちに自機の右腕駆動の一部が停止した。完全停止ではないが、これからは大きな制限を受けることになる。
『おい二番機、なにやってんだ!』
聞き慣れた同僚の罵声に、エレナは思わず肩を竦める。
「ひいん、だってー。クルス君強いんだもーん!」
『この有利な状況で何言ってんだよ!?』
「そんなこと言われてもー……」
通信機の向こう側にいるタマルだって、とっくに気がついているはずである。最初の奇襲で仕留められなかった時点で察せられたことではあるが、配属されたばかりのあの黒髪の少年の技量は卓越している。
それは現状を見れば明らかだ。
こちらは挟撃体制を保ちつつ射撃を行っているにも拘わらず一度の損傷弾も与えられず、逆に相手はこちらの射撃の僅かな間を狙って攻撃を放ち、見事に捉えてくる。
並び立つ木々が障害物になっているのはむこうも同じ。弾頭重量の軽いペイント弾では僅かな要因で軌道がずれるというのに、まるで針の穴を通すかのように正確な射撃が飛んでくるのである。
自分との間に存在する腕の差をむざむざと見せつけられているようで、いっそ辟易とした思いすら覚えそうだった。 ―― 実際には、もっと別種の感情が働いていているのだが、それは我になるので意識しない。
気を紛らわすように、エレナは今後の予定を訊ねた。
「これからどうするー? このままでも悪い状況じゃあないけどー……」
歯切れは悪い。
根底にあるのは、このまま挟撃を続けていても狩られるのはこちらではないかという疑問だった。
今でも状況は自分達に優位なのは間違いない。損傷判定を貰ったとはいえ、それは軽微だ。稼働率が落ちたとはいえ、損失からはほど遠い。
それに距離を保ちながらの挟撃射撃は確実に相手を追い詰めているはずであるし、現にこちらの銃弾は次第に相手の傍を掠めるようになってきている。その手応えは確かにあった。
しかし。
エレナは自機の肩部に大きく張り付いた蛍光色塗料を意識せずにはいられない。この状況下にも関わらず一矢報いてくるこの相手に、自分達の選択はあまりにも悠長なのではないかと。
こちらが捉えるよりも速く、相手の放った銃弾が致命弾を放ってくるのではないか。
『――ち』
それはタマルも想像してしまっていたのだろう。
舌打ちが聞こえてくるが、別にそれはエレナを責めているわけではない。現状に対する様々な念が胸中を駆け巡っているに違いなかった。特に序盤の双方の配置位置を一方的に知っていながらこの状況に落ち込んでいる事に対しては、思うことも多いであろう。
沈黙の時間は大して長くない。
悠長に思考を重ねるほどタマルも未熟ではなかった。
『……距離を詰めるぞ』
その言葉にエレナは口の端を釣り上げる。
タマルの言葉は追いかけっこの終演と、これからの激しい近接格闘戦を予期させる言葉であった。
おっとりとした口調で何かと勘違いされやすいエレナであるが、追撃役をかっていることからも分かるとおり、搭乗者としての彼女は非常に攻撃的な性格を併せ持っている。
安定した策も嫌いではないが、心の奥底ではもっと直接的な腕比べをしたいという欲求があった。
「了解――――え?」
声を漏らした。
今まで背中を向けていた〈フォルティ〉が噴射口を揺らしながら反転する。これまでにも何度か見てきた姿勢入れ替え動作である。今まで通りならば、僅かな静動動作の後に精密射撃をこちらに行って再度反転するはずである。
予想通り、飛来してきた射撃群をエレナはどうにか回避しきる。
だが次の瞬間、自機と相手の距離が急速に縮まり始めた。
相手が静動をかけたかと考えて、すぐに改める。違う。この相対距離の減少速度は一方だけの手によるものではない。
――向こうから距離を詰めてきている!
『あいつ、ついに痺れを切らしやがった!』
タマルの声。
その音は僅かに弾んでいる。当然と言えば当然か。この状況は、自分達が待ち望んだ状況だ。広さに制限がなく障害物も一切ない空中機動戦と違い、地上での近接格闘戦はどこかしらで絶対に足を止め硬直を晒す事態が発生する。その瞬間は遠間合いからの射手にとっては絶好の狙撃機会となるのである。
『持たせろよ!』
―― 子供みたいにはしゃいじゃって。
そう思いつつも、エレナも普段の様子に似合わぬ獰猛な笑みを湛えていた。
蒼炎を引いて接近してくる相手に怯むことなく、彼女もまた自分の愛機を前面に加速させる。
目を休める暇もなく、複合装甲で身を固めた二機の巨人は一瞬で格闘戦距離へと侵入していた。




