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プラウファラウド  作者: ドアノブ
一話 独立都市アルタス
19/93

決意と消失

「あん?」


 そこにある昨日には無かったものを視界に入れて、前を歩いていたタマルは足を止めてそう呟いた。


「どうかしましたかー?」


 数歩遅れてその後ろを歩いていたエレナが、独特の間延びした口調で訊ね返す。しかし、すぐにはその問いに答えは返ってこなかった。


 基地内に存在する、基地司令直属の特殊部隊シンゴラレの為に用意された第十一格納庫。鉄と油の臭いが充満するその場所に、二人は訪れていた。

 数日前の国境線での戦闘で損傷した機体の大まかな修復が終わったからと、先日の時点で報告を受けていたためである。


 シンゴラレ部隊で運用されている万能人型戦闘機は通常の部隊と同様、アルタス軍の正式採用機〈フォルティ〉であったが、彼らには独自の裁量で個人に合わせたカスタム化が認められている。搭乗者に合わせた最適化は嬉しい話ではあるが、それ故に整備員に任せっぱなしというわけにはいかない。

 全ての数値を以前と同じ状態に戻したとしても、やはり微妙な感触の差異が存在してしまうのだ。無論その差は大したものではないのだが、優れた搭乗者であるほど、そういったほんの僅かなズレの様なものが気になってしまうのだ。

 そのため、機体修復の大詰めに差し掛かると搭乗者である彼女らも、整備員と肩を並べて機体の調整に取りかかる必要がある。


 タマルは黒いランニングシャツに枯木色のショートパンツという、夏前の暑さに対抗するかのような軽装だ。露出の多い格好ではあるのだが、その実年齢に似合わない幼い容姿と体躯のせいで、色気は全く無く、元気盛りの子供といった印象がある。

 対するエレナはいつぞやと同じ、真っ白なノースリーブワンピース。彼女の少女趣味を前面に押し出した服装で、彼女の私服は終始そんな感じであった。女性としては理想的に近い均衡を持つ彼女であるからして、当然のように似合ってはいるのだが、如何せん場所が場所である。

 二人は一見するとまるで共通点がなさそうだったが、軍事基地には似つかわしくない存在という点では綺麗に合致していた。


 ともあれ。


 小さな歩幅で足を進めるタマルを後ろから微少と共に観察していたエレナは、彼女が足を止めてしまったことに疑問を覚えた。

 ここ数日間の待機任務という名の暇時間に、目の前の少女(二十六才)は辟易としていたのである。それが機体調整という名目でようやく解消することが出来ると決まって、ここに来るまでのタマルはとても上機嫌だった。

 例えるならば玩具を与えられた子供で、そんな彼女が足を止めるとは思ってもいなかったのである。


 夏前の昼下がりである。

 緑の山々から響き渡る蝉の鳴き声は、早くも騒音の領域に達している。これでまだ本番は訪れていないというのだから恐れ入る。もう少し時期が経てば、世界はまるで蝉の声で埋め尽くされたかのようになる。

 軍人としてこの基地に赴任したときには、エレナは都市の外がこんなに住みづらいところだとは思ってもいなかった。

 独立都市アルタスは高効率太陽光発電パネルで周囲を覆われているが、それはほぼ完全に近い透過度を誇る。見上げれば広い青空があり、ふわふわと白い雲が浮かび、そこが閉鎖された空間だと意識したことは無かった。漠然と世界はそういうものであり、防壁の向こうに行ったとしても青い空と白い雲があるのだと、昔はそう思い込んでいた。


 格納庫入り口。

 大きく開け放たれたそこで足を止める小さな同僚の背中を見つめること、暫し。

 きょとんと首を傾げるエレナに、言葉は発さずに、タマルは憮然とした表情で格納庫の一角を指差した。

 素直にその先を見やると、そこには独立都市アルタスで正式採用されている万能人型戦闘機の姿があった。


 全長八メートルを誇る、鉄の巨人。

 二本の手と足を持ちながら、人とは違う戦闘兵器。

 この都市で正式採用されている量産機〈フォルティ〉である。


 肩部や正面装甲板など、全体的には丸みを帯びたフォルムではあるが、その強面の頭部が機体の印象全てを凶悪なものに変換してしまっている。特に横に二本の線を引いたかのような赤い複合感覚器(センサー)は、その印象を一層強めている原因だろう。せめてあの血のような赤い色をピンクとか黄色にすればもっと可愛くなるのになと、エレナは常々思っていたりするのだが同意を得られたことはない。


「あらあらー?」


 タマルに倣ってエレナも足を止めると、そっと首を傾げる。

 ここは軍基地である以上〈フォルティ〉自体は何ら珍しいものではないが、それが見覚えのないものだと話は違ってくる。

 ここは第十一格納庫、シンゴラレ隊の専用区画である。

 エレナは念のために、広い格納庫内に視線を巡らせてみる。

 今この基地にはいない三名の機体に、タマルと自分のもの。

 万能人型戦闘機計五機。それが先の戦闘で大きな損害を被ったシンゴラレ隊の現戦力のはずである。

 しかしエレナとタマルが見やる格納庫の一角には、存在しないはずの六機目があった。前の戦闘で撃墜報告を受けていた仲間が生還したというわけではないだろう。そうだったら嬉しいが、目に映る〈フォルティ〉は綺麗すぎる。まだシンゴラレ隊の象徴である蒼い塗装も施されておらず、一般の部隊で使われているダークグレイカラーのままだ。

 ざっと観察して、予備パーツを組み上げたのだろうと判断する。流石に新造だとは考えづらかった。


「誰の機体でしょうかねー?」


 などと呟いて見るも、答えは分かりきっている。

 現在シンゴラレ部隊にいる万能人型戦闘機の搭乗者は五名。その者達の機体が全て健在である以上、新しい機体は必要ない。

 つまりは自分達には必要としないものを必要とする誰か。


「新入りか」


 同じ事を考えていたらしいタマルが呟いた。

 それは普段感情の起伏が激しい彼女にしては珍しい、まるで同部隊にいる軍用規格性能調整個体(ミルスペックチャイルド)の少女を真似したかのような平坦な声だった。


 まあ気持ちは分からなくもない。

 それが軍人の常とはいえ、数が減ったから補充という一連の流れを目の当たりにすると、自分達がまるで消耗品のように思われている気がしてしまう。それも欠員が出てからこの僅かな期間でのことだ。

 前回の戦闘で大きな損害を受けた以上補充が行われることは分かりきったことではあったが、人間には感情というものがある。タマルは素直には受け入れ難いのだろう。彼女は感情豊かなのでなおさらだ。


「――けど、どんな方なのでしょうねー、新入りさんは。見た限りではここにはいないようですけどー」


 気を紛らわせる意味も含めてそんなことを言ってみる。

 新しい〈フォルティ〉の周囲には整備服を着た者達が慌ただしく行き来してはいるが、それ以外の人影は無い。この部隊に来た以上はあの機体も搭乗者に合わせて最適化するはずだが、まだその段階まできていないということだろうか。


「……はん。どうせまだ本人は来てなくて、機体だけ用意してるって状態だろ」


 どこか拗ねた子供のような仕草でタマルが言う。

 そういえばと、エレナは聞いた話を思い出した。


「詳しくは知りませんけどー、この間の作戦の時に半壊した機体で帰還した搭乗者がいたそうですねー」

「はあ……? それがどうしたんだよ?」

「何でもその機体、片腕を失って重量バランスが大きく狂っていた上に自動姿勢制御機構(オートバランサー)も無効化されていて、抵抗尾翼も破損、内部フレームもひびが入っていたとか」


 そう言うと、タマルは阿呆らしい話を聞いたとばかりの表情を浮かべた。


「どうせ噂話に尾ひれがついただけだろ。じゃなきゃ、その場にいた全員が酔っ払ってたかだな。そんな機体状態で着陸出来るわけがないだろうが。地面に触れた瞬間に足が折れちまうぞ。どうせ本当なのは片腕が無くなってたくらいじゃねえの」


 確かにその可能性も十分にある。

 というよりは、常識的に判断するならばそっちのほうが確率は高いだろう。

 けれど。


「嘘と言い切るには、語り手の口調に熱がこもりすぎていたという気もするんですよねー」


 少なくともエレナにその事を話して聞かせた人物は、目にした偉業に本気で興奮していたようだった。果たして捏造であそこまでの反応が出来るものだろうか。れに又聞きなどでは無く、直接目にしたとも言っていた。

 

 だがタマルは機嫌を損ねたように半眼でエレナを睨みつけた。


「……それで? 仮にそんなことをしでかした奴がいたとして、なんだ? そいつが新しく補充されてくる奴だって言いたいわけ?」

「それはー、わかりませんけどー」


 エレナはそう言ってきょとんと不思議そうな表情を浮かべて、小柄な体躯の同僚を見やる。

 そのあどけない反応にタマルはがっくしと肩を落とした。


「じゃあ何だったんだよ、今のその話は……」

「何って、私は聞いた話をしただけですよー?」


 はあと、タマルは深く溜息を吐き出す。

 違う誰かが相手だったら馬鹿にされていると思うところだが、相手はこのエレナである。単純にどっかズレているんだと言うことをタマルはよく知っていた。


 タマルはがしがしと髪を引っかき回した後に、吠えた。


「あーっ、知らん知らん! 誰が来ようと知るか! そんなことよりも、さっさと機体の調整をするぞ!」

 

 そう言って、肩を揺らしながら自分の機体の元へと大股で歩いて行く。

 そんな彼女の小さな背中を見送りながら、次いで未だ塗装も成されていない鉄の巨人を見やる。


「どんな方が来るんでしょうねー」


 どうせこの部隊に送られてくるくらいなのだから、色々と訳ありなんだろうなと考えて。エレナもまた、白いスカートの裾を揺らしながら格納庫の奥へと足を進めていった。




***




 錠剤を幾つか口に含んで。

 差し出した腕に見慣れない機械が押しつけられる。 

 形状としてはオートマチック式の拳銃に近いだろうか。あれから丸みを全て取り去って、銃本体の後部、ハンマーやリアサイトの位置にごてごてと箱状の機械を取り付ければ、今自分の腕に触れているそれとそっくりになる。


 一瞬の間の後。

 機械の引き金が引かれる。プシュッと何かが吹き抜けるような音と同時に、ちくりとした刺激が走った。痛みではなく、静電気が発生したときのような感触である。

 そのまま一秒二秒――、


 大体二十秒ほどして、押しつけられていた機械が腕から離れていった。その部分を眺めて見るも、そこにはなんの跡も無い。

 

 拍子抜けするクルスをよそに、ハザネは手に持っていたその機械を銀色のトレイの上に置くと、その長い髪を一払いして口を開いた。


「――はい、これでお終い」


 そう言って、彼女は白衣を揺らしながらさっさと片付けを始める。その姿になんだか釈然としない面持ちでクルスは訊ねた。


「これだけなんですか?」


 あまりにも呆気ない。

 予想ではもっと色々と時間がかかるのではないかと思っていただけに、困惑してしまう。

 そんなクルスの戸惑いをよそに、ハザネはにんまりと口の端を釣り上げた。


「あれあれ? もしかしてお姉さんともっと一緒にいたいってこと? それならこの後一緒にどこかホテルにでも」

「そういうのは結構ですから」


 何やら不穏当なことを口にし始める女医に、クルスは溜息を吐いた。

 顔立ちは整ってるし、胸は大きいし、この人は口を開かなければ手放しで賞賛出来る美人なのになあと、クルスは思わず考えてしまう。いくら外観が魅力的でも、これでは瑕ついた玉だ。もったいない。


「むう、残念」


 にべもないクルスの返事にハザネは憮然と口を尖らしたが、すぐに意識を切り替えた。


「まあ、これでクルス君の身体にはナノマシンが注入されました」

「――はぁ」


 どうやらそういうことらしい。

 改めて言われてみても、実感が湧かない。極小の機械が体内に入ったというのに、何か変わった感じもしなかった。意味も無く手を開け閉めしてみたりする。


 ナノマシンが万能人型戦闘機の対G効果を持っていることは以前にも説明されたが、他にも色々と効果はあるらしい。主要なものとしては毒素の解体であり、ナノマシンを注入された人間はほぼ病気にかかることはなくなるそうだ。


 それと初めて知ったことだが、ナノマシンはお酒に含まれている酔いの原因であるエチルアルコールやアセトアルデヒドなども害が無い範囲にまで分解してしまうらしく、その結果、搭乗者はお酒に酔うこともなくなるという。


 この説明を聞いたとき、真っ先に連日酒を胃に通しながら一切酔う様子の無い肌の黒い同居人の姿が思い浮かんだ。大した蟒蛇だと思っていたら、そういう理由があったらしい。搭乗者が酔うわけがないといっていたのも、ナノマシンが前提にあったからなのだ。


「それと、はい」


 エレナが小さな紙袋を手渡してくる。


「多分大丈夫だとは思うけど、時々ナノマシンが馴染むまでに時間がかかって、目眩や吐き気を催す人もいるから。そうなったときには、この錠剤を二つ飲むように」


 受け取った小さな紙袋を覗いてみると、錠剤が幾つか入っている。青と白のカプセル錠剤だった。


「それとどんなに大丈夫だと感じても、一週間は無茶なことをしないこと。例えば万能人型戦闘機に乗ったりとかね。欲を言えば二週間は大人しくしてて欲しいところだけど」


 近所の子供に言い含めるようなハザネにクルスは思わず苦笑する。

 彼女は変人変態の類いではあるが、悪人ではない。彼女の言葉には相手を心配する気遣いが透けて見えた。


「大丈夫ですよ」


 そう言って、クルスは立ち上がる。

 やはり何の変化も感じはしない。まあ筋力などが上がるようなものでもないのだろう。体力は上がるとは聞いていたが、はたしてどの程度のものだろうか。


「それじゃあ、ありがとうございました」

「あ、ちょっと待った」


 診察室を後にしようとするクルスをハザネは寸でで呼び止めた。そうして机の上からメモ帳を一枚千切ると、ペンを走らせる。

 そうしてそれを二つ折りにすると、クルスに手に握らせた。


「……これは?」

「私の私用の携帯番号と住所。いつでもどうぞ」

「たしか部屋を出たところに燃えるゴミを捨てる場所が……」

「ひどい!?」


 ハザネが悲鳴を上げるが、クルスとしても勘弁してくれという気持ちである。

 何が嫌だって、メモ用紙をクルスの手に握らせた後も手を離さずに、撫でるように指を動かしていることである。身の危険を感じるので止めて欲しい。


 クルスは口元をひくつかせながら、彼女の両手を振り払うと今度こそ一礼して退室した。背後から何やら声が聞こえてきた気がするが全て無視する。


「まったくあの人は……」


 会った回数は僅かだが、もうお腹いっぱいというのが正直なところである。胃もたれすら感じている。


 折角美人なのになあ、と思いながら病院の廊下へと出ると、真っ白な壁に溶け込むようにして一人の少女が佇んでいた。

 陶磁器のような白い肌に、肩ほどで切り揃えた金髪。それはファッションというよりは、単純にそちらの方が動きやすいからそうしているのだろう。

 無機質な光を持つ赤い双眸に見つめられながら、クルスは少女の元へと足を進めた。


「悪いなセーラ。待たせた」


 クルスの監視は彼女の任務であり、クルスが申し訳なさを感じるようなことでもないはずなのだが、記憶の中にある日本的感覚が自然とその言葉を口にさせていた。

 案の定、セーラは少しクルスの顔を見つめた後に、小さく首を振った。


「問題ありません」


 そう短く答える。

 この都市内でこの少女と生活を共にしてから既に一週間が過ぎている。その淡泊な彼女の言葉にクルスも随分と慣れたもので、特に気にした様子も無く会話を進めた。


「それでおっさんは? もう地下駐車場か?」


 おっさんとはセーラと同じ、クルスの監視役であるシーモス=ドアリンの事である。依然と同じく、彼の運転する車に乗ってこの軍病院にまでクルスは来ていた。


 この場にシーモスの姿が無いのはいつものこと。どうせまた地下で煙草でも吸っているのだろうとクルスは思ったのだが。

 セーラはほんの僅か、そよ風で揺れた程度に首を振る。


「彼は既に帰宅しました」

「は?」


 思わず呆けた声を漏らしてクルスは、目の前に立つ少女の顔を見やってしまう。彫刻のように整った顔立ちをした少女は、そこに一切の感情を浮かべることも無く。


「彼からの伝言です。俺は先に帰っているのでお前らも二人で帰ってこい、だそうです」

「あのおやじ……、とうとうそのレベルまでいったか」


 元々シーモスがあまりまじめに監視任務を行っていないことは分かっていた。

 しかしまさか、監視対象を放って帰ってしまうとは流石に予想していなかった。クルスとしては別に問題無いのだが、あんなのが軍人をしていてこの都市は本当に大丈夫なのだろうか。


「それとこれを」


 呆れて固まるクルスに、セーラが何かを差し出してくる。

 まさか連絡先とかじゃないだろうなと思いつつ、それを受け取った。


 小さな黒い板の様なものである。

 縦横一センチにも満たない正方形。厚さは一ミリも無い。

 感触的には金属よりは、ゴムに近いだろうか。固いというよりは柔らかく、弾力性がある。試しに少し力を入れてみると、曲がった。


「なんだこれ?」


 人差し指と親指で挟み込みながら呟くと、その様子を眺めていたセーラが口を開いた。


「それはあなたの市民情報を登録してある認証チップになります。紛失すると面倒ですので気をつけてください」

「うおい!」


 それに指で圧力を加えて遊んでいたクルスは慌てて止めた。


「無茶苦茶貴重品じゃねーか! 危ねーな、おい!」

「ですから気をつけてくださいと言いました」


 動じた様子も無く言葉を発するセーラに何とも言えない気分になりつつ、改めてその黒い認証チップを見やる。


 市民情報が詰まったデータチップ。

 つまりは、これを受け取った今この瞬間から、本当の意味でクルスはクルス=フィアという存在になったということだ。

 そう考えると中々に感慨深いものがある。


 あるのだが。


 クルスは暫く眺めてから一言。


「小さすぎて、無くしそうなんだけど」


 こんな小さなもの、落としたら絶対に気がつかない。これを持ち歩いて生活したら、クルスは一ヶ月以内になくす自信があった。


「市民の多くの人々は携帯端末にはめ込んでいるようです」

「あー、そうか」


 携帯端末、という言葉にクルスは反応した。

 市民権が無いこれまでは購入することが出来なかったが、これで晴れて手に入れることが出来る。これまでシーモスなどと連絡を取るのに地味に不便だったが、その悩みからもこれで解消される。


 そうしてから目の前の少女に訊ねた。


「セーラもそうしてるのか?」


 わざわざ訊ねたのは、先程の彼女の言い方が気になったからだ。市民の多くの人々ということは、少女は違うのだろうか。


 クルスの問いかけにセーラは暫く赤い双眸を瞬かせた後に、


「――私は違います。私は体内に埋め込まれていますので」


 そう何でもない風に言った。

 ぎょっとしたのはクルスである。

 認証チップを体内に埋め込む。確かにそれならば無くす心配は一切なさそうではあるが、果たして本当に大丈夫なのだろうか。そもそもセーラはまだ十四才のはずで、その肉体はこれかも成長するはずである。そんな時に体内にそんな異物が入っていては問題がありそうな気もするが。


「――そういうのもありなのか」 


 いや、そもそもナノマシンが実用化されている環境だ。生体と機械の融和技術は遙かに進んでいると考えられる。そう思えばそれくらいは不思議では無いのかも知れない。


 そう自分を納得させて、とりあえず当面の目標を決めた。


「じゃあともかく携帯端末を買いに行くか。これがあれば移動費も殆どかからないことだしな」


 シーモスがさっさと帰ったのもこの辺りが関係しているのかも知れない。

 地味にモノレールでの移動を楽しみにしながら足を進めるクルスの後ろに続きながら、セーラはそっと告げてきた。

 

「二日後には基地に移動します。何かやり残したことがあるのなら今のうちに済ませることを推奨します」


 その言葉にクルスは足を緩める。

 彼女の言葉通り。

 市民権を得たと言うことは、つまり、クルス=フィアという軍人が生まれるということを意味する。


 ――軍属、ねえ。


 そう口の中で呟いてみるも、全く実感は湧かない。自分の意思というよりは、流れた結果そうなったからか。ただ不思議な気はする。あれだけ自衛隊に入りたいと言っていた身近にいた少女よりも、自分の方が早くそういった組織体系に組み込まれるのがどうにも変な感じだった。

 彼女が現状を知ったら何と言うだろうか。呆れそうな気もするし、羨ましがる気もする。そもそも頭に残る紫城稔の記憶が本物かどうか分からない以上、あの少女が実在するかどうかも不明なのだが。


「どうかしましたか?」


 細くを緩めたクルスに対して、背後から声がかかる。

 平坦な、感情起伏の一切が感じられない、冷たさを感じさせる音。

 振り向くと、視界に映るのは金髪赤目の少女だ。

 その容姿も性格も記憶の中にある人物とは正反対である。

 

「――いや。なんでもない」


 今自分の心にあるのは郷愁か。あるいは妄想に引きずられる錯乱か。

 それはクルスにも分からないが。


 何にせよ、決めたのだ。


 紫城稔も〈レジス〉も既にこの世になく。

 


 クルス=フィアという存在として、自分はこの世界で生きていくと。






 




















 そこは暗い空間だった。

 全ての光源を消し去った、彼女だけの城。

 ぼんやりと宙を見つめながら、ふと思い出したかのように彼女は手を伸ばした。

 無音で空中に半透明のパネルで表示させれる簡易メニュー。

 

 その中からフレンドリストを並べて表示して、その中で唯一お気に入りの分類がされた名前に手を伸ばす。文字の色は灰色。彼女の細い指が触れると同時に〈通信不能〉の文字が出る。


「――なんで」


〈通信不能〉


「……я(ヤー) по() тебе(ティビェ) скучаю(スクチャーユ)


〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉〈通信不能〉


 何度も触れる。


 現れる文字を否定するように。


 届かない相手へ指を伸ばす。


 そして。


ы(ゥィ)……?」


 彼女は呆然と目を見張る。

 

 彼女が幾度となく触れていた名前。


 プレイヤーネーム〈レジス〉

 それが今、ノイズでも走ったかのように掠れていき。


「――」


 彼女の視界から消え失せた。

第一部 完 的な

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