都内闊歩 - II
同行人の役立たずっぷりが判明してから数十分。
見知らぬ土地をあてもなく彷徨うも、運良く途中で都市守衛――この都市の警察のようなもの――を見つけることができ、道順を尋ねることに成功した。
「買い物なら、モノレールを使って隣の区画に行くと良いよ。ここは市民住居区だからね。あっちなら大抵のものは揃うさ」
清潔さを感じさせる青い制服に身を包んだその若い都市守衛はそう教えてくれる。人好きのされそうな笑みを浮かべる青年で、腰に下げたホルスターに自動小銃が収まっているのが妙に不釣り合いに映った。
後で知ったことだったが、この都市アルタスは都内全域がモノレールで行き来出来るよう路線が繋がっているらしい。道を彷徨いながら車の通りが少ないなとは思っていたが、これにはそういった理由があったらしい。
教えられたとおりの道順でモノレールを使い隣の区画に辿り着いたクルスは、よく見知った雰囲気を目の当たりにした。
あちこちに幾つもの看板が立ち並び、高層ビルの中には幾つもの店が詰め込まれ、その隙間を人々が行き交いしている。その光景に何か懐かしいものを感じる。
もちろんクルスがこの場所を訪れるのは初めての事であったが、しかしそこにある空気は記憶の中にある日本のそれと同質である。
紫城稔の記憶が正しければまだこの世界に来てから二日と経っていないはずなのだが、ここまでで随分と遠い場所に来ていたという気持ちがあった。
果たして今自分が抱いているその気持ちが郷愁の念なのかどうかは、クルス自身でも計りかねるが。あまり良くない傾向ではないかと思う。そもそも、この世界で生きるという意思を固めた以上、未練がましいその思いは不必要なものである。いつまでも紫城稔の記憶に引きずられるのは不味い。
記憶に残る役に立つ知識は存分に活かさせて貰うが、その行動はクルスとして振る舞うべきだった。
「どうかしましたか?」
突然立ち止まったからだろう。
考え込んでいたクルスの意識は、その抑揚のない平坦な声によって引き戻された。
見やればセーラが変わらぬ無表情で顔を向けてきている。
改めて見て、溜息が吐きたくなるほど顔立ちの整った美しい少女だったが、やはり人間味というものは一切合切感じられない。無機質な光沢を持つ赤い瞳などは、まるでその色をしたガラス玉をはめ込んだかのようだった。
何気に、この買い出しに出てから彼女から声をかけられるのは初めてだった。道中で軽く話題を振っては見たものの、返ってくるのは一言二言の短い言葉のみ。無視されないだけましかも知れないが、まともな会話をすることをクルスは既に諦めていた。
監視役という彼女本来の役割を考えれば、これが正しい姿でもある。
「……いや何でもない。とりあえず買い物の前にどっかで飯を食おう。何かオススメとかあったりしないか?」
彼女の方から話しかけられたのはこれが初めてじゃないだろうかと思いながら、一応はそんなことを訊ねてみる。だが正直にいって期待はしていなかった。
これまでの彼女とのやり取りから考えて、どうせ「いいえ」とか「ありません」のような後に続かない返事がくるのだろうと思い込んでいた。
しかしその予想に反して、セーラはある方角へすっと指をさした。
意外な気持ちになる。無感情無表情を保ち続けていた金髪の少女だが、好みの食べ物ぐらいはあるのだろうか。
初めて目にする彼女の人間らしい思考を垣間見て、クルスは期待しながら彼女が指さす方向へと目を向けるのだが。
「……」
そこにあったのは飲食店などではなく、本屋であった。
頭の中の記憶にある日本では、ほぼ全ての本は電子媒体化しており質量を持った紙媒体は一部の人間のための嗜好品に過ぎない扱いとなっていたのだが、ここでは違うらしい。
店頭には商品棚が並び、色鮮やかな印刷紙が並んでいた。
それは確かにクルスにとっては少々珍しい光景であったが、しかし当然ながらそこに食べ物の影などない。
一体どういうことかと怪訝な表情を隠しもせずにセーラへと向ける。
彼女はそんなクルスの反応にさして興味を持った様子もなく、そっと小さく口を開いた。
「あそこに観光ガイドが売っています。買いましょう」
「まあそんなことだとは思ってたよ」
溜息を一つ。
まかりなりにもこの都市の住人が同行しているというのに、ガイド本を買うのはどうなんだろうかと思いながら、クルスは本屋へと足を進めた。
***
「機体の運び出し作業が終了しました」
「御苦労」
経過を記した報告書を受け取って、部下の一人が一礼してから退室するのを見送りながらソピアは手元のカップに口をつける。今時では珍しい自然栽培の豆を煎ったコーヒーではあったが、彼のそれは完全に風味が飛んでしまっていた。入れる腕が悪かったのではなく、その後に大量の砂糖とミルクを投入しているためである。
別にブラックが嫌いなわけではないのだが、色々と面倒事が増えてくるとこうして元の味を台無しにして呑んでしまうのが彼の癖だ。
「――それで君の所見はどうだ」
一息ついてから、ソピアは部屋にいるもう一人の人物に視線をやった。
「手元の報告書を見て欲しいんですけどね。それを徹夜で作成した可哀想な部下がいるんですが」
「目の前にその作成を指示した者がいるのに、聞かない理由があるのか?」
ソピアがそう言うと、その人物はそれはそうなんですけどねと呟いて肩を竦めてみせた。
くすんだ髪の色を持つ男である。
軍服に身を包んでこそいるが、その体は細く頼りない。肌の色は日の色を知らないかのように真っ白で、見るからに不健康そうだ。戦いを知る人間の体ではなかった。
彼は軍人ではあるが、戦人ではない。
身に纏った軍服は白灰色。それは彼が技術研究所所属の技術士官であることの証明である。
「まあ、現段階で分かっていることをはっきり言わせて貰いますとですね」
男は特に気負った風でもなく言った。
「あれの量産化は意味がありませんね」
あれとは勿論、昨晩の防衛線の折に戦闘領域内に姿を現した半壊の機体のことである。あの機体の解析作業は急務であり、最優先で行われることは既に決定していた。その他のどの勢力よりも優れた兵器技術を保有する傭兵派遣企業セミネールの機体。それがもたらす恩恵は計り知れないものとなる。
半壊した状態で〈ヴィクトリア〉を三機撃墜して見せた機体である。搭乗者の技量があるとはいえ、その潜在能力は証明されている。
仮にあの機体を量産すること出来れば、現状硬直状態にある隣国との戦局は大きく偏るだろう。
そう考えていただけに、それを否定するような男の言葉にソピアは眉を顰めた。
妙な言い方である。
目の前の技術屋はあの機体の量産を無理ではなく、意味がないと言ったのだ。
そんなソピアの問いかけるような視線を受け取った男は、苦笑する。そこにはこの場にはいない誰かに対する呆れが混じっていた。
「訂正しましょう。技術発展の観点から見れば同一のレプリカを作ることには意味があるかも知れません。詳しい解析は研究所でしなければ分かりませんが、それだけの技術があの機体……〈リュビームイ〉と言うらしいのですが、まあ、あれには詰まっています」
「……ならば先程の真意は?」
「簡単な話ですよ」
技術屋の男は困ったように言った。
「あんな機体、誰にも操縦出来ません。極限まで軽くして大出力の電力エンジン。一体何を考えてあんなもの作ったんだか知りませんけど、まともに動かせるようになるまでには百回墜落したとしても足りませんよ」
嘲りでも誇張でもなく、正直な感想を男は口にした。
率直な話、あの機体を生み出した人間は馬鹿だと技術屋の男は思っている。
装甲まで削り上げているお陰で搭乗者の保護は最低限以下、過剰な出力を得た推進ユニットに、機体の安定性に難のある重心バランス。
あれは設計思想からして狂っている。乗っている人間に死ねといっているようにしか思えない機体だ。
「確かにあの機体は最先端の技術の塊ではありますが、扱うには搭乗者を選びすぎます。あれの習熟訓練なんて行った日には、我が軍の搭乗者は半減しますね」
半壊の〈リュビームイ〉が白兵戦用の超振動ナイフ一つで隣国メルトランテの主力量産型万能人型戦闘機〈ヴィクトリア〉を三機撃墜する映像は男も見ていたが、正直驚きよりも先に呆れを覚えている。
あの機体をその状態で、こうまで操れる人間がいるのかという、どうしようもないものを見たときの呆れだ。
戦場を知るソピアやグレアムは同じ映像を見て戦慄を覚えたのだが、技術畑の男からすると、一体どのような執念がこの搭乗者を駆り立てているのかという疑問しか覚えない。
そも、あの尖った機体にあれだけ熟練に達していながら、何故まだ生きているのか。普通で考えればありえない。どこかで墜落して死亡する。それが自然というものだ。
「――まあ爆薬でも乗せて特攻させるつもりなら役に立つかも知れませんけどね」
冗談めかした男の言葉に、ソピアは苦々しい顔を浮かべる。
当たり前だが、そんなことをするならばミサイルでも撃った方が良いに決まっている。破壊力も経費もそちらの方がよほど効率的だ。
「ならば……、今後の展望としてはどうなる」
「先程も言ったとおり、使用されている技術は非常に高度です。一先ずは技術解析と技術の複製に努めるのが第一ですね。それと並行して、その技術を反映させた機体を設計するのが現実的かと」
開発された最新技術をそれ以前の機体に施す近代改修作業は、兵器には良くある話である。その度合いにもよるが、改修とは名ばかりの新設計に近い状態になることも珍しくはない。
「そのまま量産して使えればそれが楽だったのですけどね。まあ、幸いなことに我が軍の主力機である〈フォルティ〉は設計には大分余裕があります。新型を一から生み出すよりは楽でしょう」
それでも降って沸いてきた新技術を大量に反映するとなると、相当な労力が必要にはなるだろうが。恐らく元の機体とは全く別物が生まれることになるだろう。技術屋の男としてはそれを想像すると今からでも興奮が抑えられないところだった。
推測を交えた報告を聞いていたソピアは暫く目を瞑って何事かを思案していたようだが、少ししてゆっくりと首を頷かせた。
「――分かった。報告後苦労」
そういってソピアは退室を促そうとしてきたが、男にはまだ聞きたいことがあった。機先を制するように口を開く。
「レフィーラのほうとは?」
その問いにソピアが僅かに眉根を上げる。
海上都市レフィーラ。
ギガフロート構造を持った、洋上に浮かぶ都市。
アルタスとレフィーラはお互いに相互協力を約束した密な同盟関係にあり、彼の都市を無視して事を成すことは出来なかった。特に万能人型戦闘機の部品の一部はレフィーラで生産されているため、今回の件で知らず存ぜぬを通すのは無理がある。レフィーラの協力が得られない限りは前にも後ろにも進めなくなるだろう。
男の言葉にソピアは暫く胡乱げな視線を向けた後に、ゆっくりと首肯した。
「……安心しろ。向こうとは既に話はついている。恐らく試作機の組み立ても向こうで行うことになるだろう。君を含めた技術チームにはそのうち出向して貰うことになるが――」
ソピアのその言葉に技術屋の男は嬉しそうに頷いた。
「歓迎しますよ。向こうで得られることは多いんです。以前、いったときはあまりそういった面で触れることが出来なかったので。……それともう一つ、お伺いしたいことが」
「……何だね?」
まだ何かあるのかという思いも隠しもせずに目を細めるソピアを相手に、男は内心で冷や汗を流しながら続ける。
「あの〈リュビームイ〉の搭乗者なのですが、私に会う許可をいただけませんかね」
「……理由は何だね?」
「私欲的には興味本位。あんな機体を操る搭乗者がどんな人間なのか是非とも知りたく。――実利的には、あの機体のことを直接本人から聞き出したい。経験者の言葉というのは時に紙面上の数値よりも重要になる」
男の言葉に嘘はない。
結局開発された万能人型戦闘機に乗るのは自分達技術者ではなく前戦で戦う搭乗者だ。技術者達がどんなにすごい機体を作ったと言い張っても、搭乗者達に受け入れられなくては意味はない。実際前線では画期的な新兵器よりも、信頼と実績のある旧兵装が好まれるケースも散見される。
技術者ではなく、前戦で戦う兵士が満足する兵器を生み出す。
それが絶対条件だった。
ソピアも実地を経験した人間から語られる言葉の重要さは百も承知しているのだろう。
そう長く考えることもなく、近いうちに機会を取り付けることを約束した。
***
観光案内のガイド本を買った。
こういった本に載っている内容などどうせ広告を兼ねた販売戦略でしかないだろう。そういった認識を持っていたクルスは正直あまり乗り気ではなかったが、内容を見てみてその認識を改めることになった。
そもそも余所から来た人間を対象に作られたガイド本はその都市の基礎情報が多く詰まっている。それは現在のクルスの状況にとっては大いに役立つところであった。
この都市の成り立ちから始める歴史、隣国を含めた対外関係。同盟都市レフィールとの関係。この都市の特産品に、有名な飲食店、名物、最近流行のアイドルグループ――、
様々な情報が、購読者の意欲を掻き立てるような巧みな記述で記されていた。さらに気が利いたことに、それらを隙間なく網羅することの出来る経路図までもが記されている。
さらには巻末にある割引券を使うことにより通常の七割のお値段でお買い物が可能、なんとお得であろうか――!
気がつけば既に時は夕刻。
太陽は山の陰へと姿を沈め、頭上を見上げれば夜に染まった空の中に瞬く星々を見ることが出来る時間。
「……しまった」
思わず、クルスの口からそんな言葉が漏れ出る。
然もありなん。
その両手の袋にはこの都市の名物品や、木刀、何やら胡散臭い代物までびっしりと詰まっていたのだから。
猛烈な後悔が襲ってくる。
一体自分は何を買っているのだろうか。
手に持っているその殆どが、明らかに必要の無いものである。大体これから暫く生活する都市のペナントなんて買ってどうするというのか。これは明らかに観光に来た人間が買うものであって、衣服や食事の材料を買いに来た人間が持つものではない。
いっそ夢か何かではないかと現実逃避したくなったが、両手から伝わってくる確かな重みが、現状が現実であることを明確に教えてきていた。
「くそ……、なんて恐ろしいんだこの本は……! まさか俺にここまで平静さを失わせるなんて」
今も自分の右手にしっかりと握りしめられている本に目をやって、クルスは声を震わせる。
使った金額は、果たして総額でいくらになるのか。
仕様限度額が不明のカードが手元にあったのも災いしたのかも知れない。一日の時間をかけて、この都市の名所は巡り尽くしたように思う。
「どう考えても自業自得だと思いますが」
繁華街の有名華店の豚饅頭を小さく頬張りながらセーラが小さく呟く。クルスは敢えて聞こえないフリをした。
ここで終わらせるな感がすごい。
何処で区切ればいいのか分からないです




