朽ち果てた守護者
「おい、そこのガキ共!」
格納庫に大声が響き渡る。
びりびりと空気を振るわせるその声を聞いたとき、クルスはすぐ近くに雷が落ちたのではないかと勘違いしたほどだった。それほどまでに凄まじい、体の芯を中から震わせるような、怒声だった。
それが人の声だと気がつくのに数秒かかった。
すぐ横に立つシーモスは面倒そうな顔を隠しもせずに額に手をやって格納庫の高い天井を仰ぎ、金髪の少女であるセーラは相変わらずも大して興味を持った風でもなく、声の持ち主を少しの間一瞥しただけだ。
そんな彼らの代わりにというわけでもないが、クルスはその声の持ち主がいる格納庫の入口を見た。
万能人型戦闘機が三機は並べるであろう広い幅を持った格納庫の出入り口。
その中央にまるで立ち塞がるが如く、その人物はいた。
顔には深い皺の刻まれた、老人。
ただし老衰や隠居といった弱気な雰囲気とは一切相容れなく、整備服を纏ったその体は、服の下からでも固い筋肉に覆われていることが分かった。身長は二メートル近いのではないだろうか。もはや老人という要素を指し示すものはその頭に生えた白髪くらいのもののように思える。
そんな老人はのっしのっしと肩を震わせながら、〈リュビームイ〉の足下にいるクルス達の元へと歩み寄ってくる。まるで山中で出会った熊が接近してくるかのうようだと、クルスは密かに思った。
近くで見るとやはりでかい。
身長が百七十もないクルスが呆然とその人物を見上げていると、隣に立つシーモスが顔を顰めながらも口を開いた。
「おいおいおっさん……。ここはシンゴラレの関係者以外は立ち入り禁止区域だって、知ってるだろ。いくら整備班長のあんたでも……」
「うっさいわ、この黒饅頭!」
「く、黒饅頭!?」
シーモスは絶句する。老人は忌々しげにそんなシーモスの苦言を切って捨てると、ふんと鼻から息を吐き出した。
「ったく、こんな子供を二人も引き連れやがって。おめえはいつから学校の先生になりやがったんだ?」
クルスとセーラに視線を移らせてから、渋面を浮かべるシーモスを睨みつける。
「だいたい、お前なんぞに言われんでもちゃんと基地司令からの許可は取り付けておるわ。そこの壊れかけの戦闘機の解体解析にはわしも付き合うようになっとる」
「はあ!? そんなの聞いてねえぞ!?」
「当たり前だろうが! んなことなんで一々搭乗者に言わなきゃなならん。……そんなことよりも」
じろりと、上から威圧するような視線がクルスに注がれた。
ニメートルの巨体がすぐ目の前に立ち塞がっているのはかなりの圧迫を感じさせるが、クルスはそんなことよりもその前の老人の言葉が耳に残っていた。
――やっぱ解体されるんだよな
頭では理解したし別れもすましたつもりではあったが、他人の口からその事実を聞かされると、改めてその実感が湧いてきた。何とも言えない虚無感のようなものが胸に去来する。
そんなクルスを頭上から見下ろしながら、老人は口を開いた。
「……見ない顔だが、こいつがこれの搭乗者か」
そんな老人の言葉にシーモスはやれやれと肩を竦めた。
「そうだよ。名前はクルス=フィ」
「お前には聞いてねえ!」
「……」
言葉半ばで一括されてシーモスが情けない顔を浮かべるが、クルスにはどうしてやることも出来ない。セーラはどんな事態であろうとも我関せずという風に興味なさげな視線を向けている。
「で、どうなんだ坊主。お前がこいつの搭乗者か」
「……」
一体この老人は何故そんなことをきいてくるのか。
この老人が一体どういう立場の人間かも正確には理解していないクルスには、相手の心中を推し量ることは出来ない。整備班長という肩書きや〈リュビームイ〉の解体解析作業に随伴するということはそれなりに高い立場にいる人間ではあるのだろうが。
猛獣も殺せそうなその視線を受けながら、クルスは一つ頷く。
「そうだよ」
その言葉に老人は双眸をナイフの切れ目の様にすうっと細めた。不機嫌そうに寄った眉間の皺といい、子供が目にすればそれだけで泣き出しそうな様相である。表面上ではともかく、中身はただの高校生の記憶しか持っていないクルスは内心では白目を剥いていた。
「……そうか。おめえがこいつの」
ぬっと、影がさす。
老人の手が持ち上げられたということに気がつくのに少しの時間がかかった。そうしてから察する。
日夜を問わず働いている人間からすれば、己の職場にこんな子供がいるのは気に食わないに違いない。あるいは〈リュビームイ〉が持ち込まれたことにより、彼の仕事に支障が生じたのか。
何にせよ、相手にとってクルスという存在は疫病神に違いなかった。
あの岩石のような手でぶん殴られたら自分はどうなるだろうか。ぶっ飛ぶ程度なら良いほうで、クルスには自分の頭が陥没するような光景しか思い浮かばなかった。
――あれ、俺死んだ?
そんなことを思うももう遅い。
掲げられた老人の太く逞しい腕は振り下ろされて。
ぐわしと。
クルスの頭に乗せられた。
ああなんだ、殴られるんじゃなくて握りつぶされるのか。
自分の頭の上にある固い感触を感じながらクルスが思っていると、
「はっはっはっは! そうか、そうかっ! お前がこの死にかけの機体で着陸して見せた搭乗者か!」
老人は見た目に違わぬ豪快な笑い声を格納庫内に響き渡らせた。
それと同時に来るの頭の上に乗せた腕を揺らして、クルスの脳をシェイクし始める。
左右に激しく揺れる視界の中で、一体何が起こっているのかとクルスが思考を彷徨わせる。
「大したもんだ! あんな曲芸みたいな事出来る奴なんざそうはいねえぞ!」
「――ちょ、ちょ、ストップ!」
とりあえず謎の脳内シェイクから逃れるべく、頭の上に乗せられていた腕を撥ね除けて一歩後退する。
老人はそれを気にした風もなく、がっはっはと笑った。
「おお、悪い悪い。流石に頭を撫でられて喜ぶ歳でもなかったか?」
「……頭を、撫でる、だと……?」
絶対違う。
今のはそんな労りのあるものではなく、拷問系の一種であったはずである。
戦慄するクルスの表情に気がついたのか、老人が少し目を丸くする。
「なんだそんな嫌だったのか? 俺の孫娘はすっげえ喜ぶんだがなあ」
それは本当だろうか。クルスとしてはその娘さんの首の骨を心配せずにはいられないところである。もげるんじゃなかろうか。
「なんだその目は? ホントだぞ? おおそうだ、何ならそっちの嬢ちゃんも撫でてやろうか」
「必要ありません」
「はっはっはっ、遠慮すんなって!」
容赦も情けもなく即答するセーラだったが、老人もまた容赦も情けもなく彼女の頭の上に手を乗せると、頭を撫でるというなの拷問行為を始める。
少女の小さな頭が耀く金髪と共にぐわんぐわんと揺らされるが、流石というべきか。彼女はその状況下でも眉一つ動かすことはなかった。
なすがままに無表情で揺らされる少女と揺らす老人。端から見るとかなり異様な光景ではある。
シーモスは疲れたように大きく息を吐き出した。
クルスが訊ねる。
「で、この豪快なおじいちゃんは何処の誰なんだ?」
「……あー、このおっさんは」
「俺はザニシュ=コスタニカっていう名前で、万能人型戦闘機の整備員達の頭をやってる」
説明しようと口を開きかけたシーモスの言葉に被せるようにして、その老人――ザニシュが名乗った。
すでに自称撫でる行為は止めていて、セーラの美しく耀く金髪はぼさぼさに乱れている。酷い有様だったが、少女は少女で自分の乱れた髪を整えるような仕草は一切見せなかった。基本的に自分の姿格好には無頓着なのだろう。
一度ならず二度までも言葉を遮られた黒人の男は今にも叫びだしそうなほど情けない表情になっていたが、それでもこの場で自分が一番進行役としては適役だと自認しているのか、口を開く。
「それでおっさんは何しにここに現れたんだ? こいつらの首の骨を虐めるために来たわけじゃねえんだろ?」
「あったりめえだろうが。老いぼれでもそこまで時間を暇にしちゃいねえよ」
荒々しく息を吐き出しながら、ザニシュは言い捨てる。
少し見ていて何となく分かったが、この老人は別に怒っているわけではなく、これが普通なのだろう。損しそうだなと思ったが、出会ったばかりのクルスが分かったのだから、この基地の人などはみんな知っているのであろう。
「さっきも言ったが」
そう言って、ザニシュは壊れかけの〈リュビームイ〉に視線をやる。
「こいつと関わることになったんでな。飼い主とも会っときたいと思った」
そうして今度はクルスに目をやる。
「こいつの事を軽く見て触ったんだけどな。正直言ってぶったまげたぜ。……何せ自動姿勢制御機構はおろか、重心軸の固定や跳躍の制動、噴射口ノズルの角度調整まで全部、コンピューターの補助を無しにして運用されてたんだからな。人間業じゃねえよ」
その言葉にシーモスが驚きと呆れが混ざったような視線を零したが、クルスは気が付かないフリをした。
軽量級の万能人型戦闘機を操るにはどうしても自分の手から離れた自動補助システムは邪魔になるのである。特に速度を武器にする軽量級同士の戦闘ではそれが顕著だ。
そして何よりも、『プラウファラウド』の多くのプレイヤーが夢見たあの光景を自分の手で再現するには、その行為は絶対に必要不可欠であった。
「どんな化けもんが乗ってるかと思ったんだが……、まさか」
その言葉の先は音にはならなかったが、何を言いたいかは分かった。
クルスが格納庫に辿り着いて、コックピットから出た瞬間。
周囲から向けられたのは奇異の視線。
成人も迎えていない子供があそこから現れるとは、その場にいる誰もが思っていなかった。唯一シーモスだけが通信機越しの声から若いのだろうかと疑いを持っていたが、それとて見せつけられる操縦技術の前には吹いて消された。
「おい坊主」
その呼びかけにクルスは顔を顰める。
「坊主じゃない。俺の名前は……クルス=フィアだ」
一瞬レジスと名乗りそうになったが、堪えた。未だに耳慣れぬ自分の名前を口にする。ザニシュは生意気な子供を見るように口元を歪ませたが、そうかと頷いた。
「俺はな万能人型戦闘機に触ってから長い。他の誰よりもこいつらと肩を並べて生きてきたっていう自信がある。……その俺が言うが、この機体はもう駄目だ。技術云々の話じゃない。機体の根幹を成す基部フレームにまで損傷がいっちまってる。直そうとしたら中身から外まで全取っ替え。同じ顔した別人だ」
それは長年整備員として機械と触ってきた者の矜持だろうか。その老人の言葉からは、揺らぐことのない真摯な想いが伝わってきた。
「こいつはどうしてこうなったんだ?」
その問いに、クルスは答えを求めて思考する。
規格外の強敵と戦った、その後に半壊のまま三機を相手に戦闘した、あるいは無理に飛翔させたのがとどめだったか。
色々と説明する言葉は浮かんだが、結局の所、それは全て一つの事に集約される。
「――俺の事を守ってくれたんだよ」
そう朽ち果てている鉄の巨人を見上げながら、クルスは答えた。
その短い答えに、ザニシュは満足げに笑う。
「そうか、ならこいつは立派な奴だぜ。最後まで搭乗者を乗せて飛んだ、最高の機体だ。――名前はなんてんだ?」
名前。
この機体の名前。
「『リュビームイ』」
そう呟くように答えると、ザニシュは首を傾げる。
「リュビームイ、ってのが名前か? 変わった響きだけど、なんか意味でもあるのか?」
確かにそうだろうなと、思う。
リュビームイ。
愛機の名であるそれは、クルスが与えたものではない。
彼と戦場で肩を並べていた銀髪の少女が名付けたものだ。
「……意味はしらない。なんかあるんだろうけどな」
きっとそれは彼女の父の母国語で、きっと何か意味があるのだろう。
気にはなったことはあるが、わざわざ辞書で調べるようなこともしなかった。その事を伝えたときに、ほっとしたような残念なような、二つの感情が入り交じった彼女の表情はまだ良く覚えている。
まあ、それも今では本物かどうか疑わしいのだが。
クルスの言葉にザニシュは変なものを見るような表情を浮かべたが、まあそれも仕方が無いかも知れない。
この壊れかけの愛機のことを褒めちぎった後に出た、名前の意味を知らない発言だ。端から見れば大事にしてるんだかしてないんだか、ちぐはぐに思えただろう。
だがそれでいい。
自分と誰かの関係など、他人には分からないぐらいが丁度いい。
クルスは苦笑しながら言った。
「ザニシュさん。こいつをよろしくお願いします」
そう少々唐突に言われた老人は僅かに目を見開いて、驚いたように口を閉ざしていたが。その時間も僅かなもの。
さっきまでのように豪快に口を開けながら頷いたのだった。




