スイートアリッサム ~美しさを超えた価値~
旅館から自転車をこいでいくと今日届けた菜の花が一面に咲いている。遠くから来るであろうお婆さんは喜んでくれるだろうかと西森は思いを巡らせた。直接会うこともないが、花籠を見て少しでも元気になってくれたらいいなと思う。
店へのいつもの道をのんびりと下っていった。後ろから車のクラクションが聞こえてくる。白線の内側を自転車で走っていたが邪魔になったのだろう。より道の隅へと寄った。しかし、クラクションは止まず何度も鳴らしている。後ろを振り返りながら自転車を止めた。車道を走る車が西森の隣に停まる。
「ねえ!!聞きたいことがあるんだけど。あなた地元の人?」
自動で窓が開き、サングラスをかけた女の人が話し掛けてきた。車の窓が開いた瞬間、強い香水と化粧の匂いが風に乗ってやってきて、西森は思わず顔をしかめた。自然にある花や雨や土の匂いには慣れているが、こういった人工的な匂いは苦手だった。鼻を抑えている西森を不機嫌そうに眺めながら、少しくたびれた手紙を目の前に持ってくる。
「失礼ね!まあ。いいわ。花を探しているの。この手紙に貼ってある押花なんだけど、見たことない?」
香水の強い匂いに耐えながら西森は女の人から手紙を受け取った。その押花を注意深く見る。色はよく見えなかったが小さな花だ。きっと野に咲いている花だろう。売り物の花にはなかった。
「見たことないですね。。珍しい場所に咲いているのではないですか?この辺りの丘には見当たりませんでしたよ」
毎日、花籠の材料を探しにそこら中を回っている。それでも見たことがないのなら、西森がまだ訪れていない所だろう。手紙を女の人に渡した。受け取りながら、そう。。とうつむきながら呟いた。少し悲しそうだ。
「ありがとう。さっき古びたお花屋さんがあったんだけど、留守だったわ。あの店っていつ開いてるの?」
あっ!!と大きな声を上げた西森を女の人は怪訝そうに見つめる。あの。。俺はその花屋です。おずおずと伝えれば、え!?と女の人は叫ぶ。ぼんやりしているのかサングラスが下にずれていた。
「じゃあ、ここにも咲いてないってこと!?。。はあ。。田舎に行けばあると思ったのに。。」
女の人は落胆するように下を向いている。あれから車越しに話していたが西森と女の人の腹の虫が見事なまでに高々と声を上げた。グーグーと面白いほどよく鳴いている。初めは気まずかったものの、あまりの鳴り様に二人とも笑い合ってしまった。西森はよかったら、と自分の店に誘い花屋へと案内する。ちゃぶ台に味噌汁とご飯。おにぎりの具にするはずだった高菜と梅干しを加えた。
「。。凄い!ここ、本当に何もないのね。大きな時計に古びた家具。貴重だわ」
女の人がしげしげと花屋の部屋を見渡している。ご飯を食べてほっとしたようだ。何もないでしょう?古くて恥ずかしいです。小さな声で笑う西森に女の人は首を左右に振った。
「全然!!とても落ち着くし素敵よ。あーあ。私、ハイヒールなんて履いてくるんじゃなかった。こんなに着飾って。私の方が恥ずかしいわよ」
お茶らけたように笑って西森にウインクをする。楽しげで親しみやすい雰囲気に西森は思わず笑った。思ったよりも気さくな人のようだ。お茶を淹れている西森をぼんやりと見ていたが、一つ息を吐いて手紙を取り出した。探しているという押花をそっと指でなぞっている。何かを思い出すような、悲しそうな目をして。先程の明るく朗らかな雰囲気とのギャップに西森は驚きながら見守っていた。
西森の視線に気づいた女の人は元気を出すように無理に笑う。下を向いて手紙を握りしめた。
「この手紙ね。。大切な人からもらったものなの。と言っても直接会ったことない人なんだけど」
何かを耐えるように遠い目をした。思い出したくないものを思い出している目だ。西森にも心当たりがある。すっと視線を上げて西森を見る。楽しそうに、私、何の仕事してると思う?と笑いながら話し掛けてきた。西森は口元を手で抑えながらしばらく考える。服装や化粧から見て派手だ。香水も高価なもののようで時計やアクセサリーも品よく輝いている。マスコミ関係?編集者とか。案外、研究員だったりして。あれこれと思い浮かんだものを伝えていく。西森の答えを聞きながら、笑ったり怒ったり表情豊かだ。結局当たらなくて西森は降参してしまった。女の人は不満そうに口を尖らせる。
「わからないの!?。。はあ。。まあ、こんな田舎町だものね。テレビ見ないか。私、これでも芸能人。女優よ女優!!」
女優?ピンと来ずポカンとしている西森に女の人はさらに声を張り上げる。何度も自分は女優だと主張しているのだが、西森はテレビを持っていないし見る機会も少ない。反応が薄い西森に女の人はとうとう諦めたようだ。
「。。もう、いいわ。それに、どうせ私は叩かれて落ち目だし。。自業自得なんだけど。稽古場にも呼んでもらえない。。」
あんなに明るく元気だったのに深く沈んで落ち込んでいるようだ。手紙を広げてあの押花を優しく撫でた。
「私、始めは女優なんて目指してなかったの。買い物してたらスカウトされてそのまま、モデルやってた。それで終わるつもりだったのに」
悲しそうな寂しそうな目だ。西森は心配になって顔を見つめた。
「あるオーディションがあって、その役に感銘を受けたわ。どうしても演じたくてがむしゃらに何でもやった。そのおかげで役を勝ち取って大手の芸能事務所に配属されたの。嬉しかったな」
穏やかに笑いながら手紙を見つめる。大切に何度も撫でていた。
「この手紙ね。モデル時代からずっと応援してくれたファンからのものなの。どんな時でも励ましてくれて。。モデルとして自信がなかった時も、だんだん仕事が減っていった時も応援してくれた。変わらずね」
はぁと一つ大きなため息をつく。後悔しているような沈んだ目だ。顔を上げて静かに呟いた。
「私、最低なことしたの。役を取れて大手の芸能事務所に配属が決まって、有頂天になってしまった。人気はうなぎ登りだし、何してもすごく人は集まってちやほやしてくれるし。それで、目が眩んだのね」
西森を見つめて悲しそうに笑った。自分を今でも責めていて、まるで懺悔しているようだった。
「ファンなんて数が多ければいいと思っていた。一人一人のファンより数が多い方が大事。だから、自分を応援してくれる人たちを蔑ろにしたのね。ファンの人たちよりも、より多くの支持を貰えるように、数ばかりこだわったの」
本当に自分を見てくれていたファンの声を無視して、目の前のきらびやかな世界ばかりを優先してしまった。女の人はまた大きなため息をついた。
「芸能界では何でも我が儘を聞いてもらえたわ。でも、それって私が人気ではなくて事務所の力だったのね。私のことなんて見てなかったの。ただの飾りだった」
あるスキャンダルを起こし人気が暴落。大手の芸能事務所も彼女を見捨てて引退を余儀なくされた。今は小さな芸能事務所で細々とやっているそうだ。手紙を愛おしそうに見つめる。
「この手紙ね。。私が叩かれてからずっとこの押花が添えられていたの。何があっても応援してくれていた。今でも私の心の支えよ。マスコミから叩かれて責めてばかりの中で、この手紙は変わらず応援してくれたの」
私を見てくれていたんだなって。こんなにファンって温かいんだなって。気づけてよかった。にっこりと笑いながら嬉しそうに背伸びをしている。西森は優しく笑う。どんな時でも励ましてくれて、応援してくれる人がいる。きっとこの人は素晴らしい女優なのだなと思う。売れるまで必死にレッスンを重ね、いろんなものより優先させて努力を重ねてもデビューまでは程遠く、デビューしても人気が出るかどうかわからない。そんな才能と努力の厳しい世界だと、都会で働いていた時に聞いたことがあった。それでも、この人のことを何があっても変わらず応援してくれている人がいるのだ。凄いと思った。
「それで、その押花の花を探していたのですね。もう少し詳しく見せてもらえませんか?周りにも聞いてみますから」
女の人から手紙を受け取ってよく観察する。花の色がわかれば。。西森は角度を変えて何度も見つめた。素朴な花だ。色はかすかに紫のような。紫色の花。。確か旅館の方で一瞬だが見た気がする。旅館の近くにある花は客にもすぐ見ることができるので花籠にはしていなかった。確証はないが、行ってみたい。西森は女の人に提案してみた。
「その花ではないかもしれませんが。。この手紙の押花は傷ついていて所々壊れているから。。でも、なんだかその花のような気がするんです」
懸命に言う西森に女の人は嬉しそうに、行ってみたいわ!と朗らかに笑った。
「これですね。。間違いない。紫色の素朴な花だ。花の大きさもぴったりだし」
旅館の近くにその花は咲いていた。誰にも見られないような所で可憐に咲いている。西森は笑って女の人を見つめる。
「スイートアリッサム。花言葉は美しさを超えた価値。あなたにぴったりですね」
紫色の素朴な花に女の人を導くように案内した。震えながらその花に近づいていく。花のそばに寄り添って女の人は崩れ落ちた。静かに泣いている。西森は黙って見守っていた。
「この人は。。ずっと。。私のことを見てくれていたのね。。ずっと。。外見ばかり気にしていた私のことをわかっていたんだわ」
何もない所でも花は咲いている。種から芽が出て、根を張ったその場所でしっかりと育ち、自分の花を咲かせる。目立たない所でも朗らかに咲いている。この女の人のようだと思った。
しばらく泣いていた女の人が立ち上がって大きく息を吸い込んだ。花の匂いを嗅いでいるようだ。無邪気な行動に自然と笑みがこぼれてきた。不意に振り返って西森を見ながら笑う。可憐で飾らない朗らかな笑顔だった。
「また来てもいい?すごく居心地がよかったわ!」
車越しに女の人は笑っている。着けていた香水も化粧もなくなっていたけれど、とても魅力的だ。屈託なく笑う女の人に西森は、いつでもと優しく笑った。
「私ね。幸っていうの。みんなに幸せを届けたいっていう願いを込めて名付けられたのよ。見つけたら声かけてね。絶対もう蔑ろになんてしないわ!」
はつらつとした爽やかな笑顔を残してその女の人は去っていった。
皆様、おはようございます(*^^*)いかがお過ごしでしょうか?
パスタ~!久しぶりに食べました。フォークでくるくる巻きして食べることがなかなかできず、専ら箸使いに変身っと。ふふ。
ではでは皆様、これからも素敵な時間をお過ごしくださいね(*^^*)