桃 ~あなたに夢中~
旅館への花籠を作るために西森は自転車をこいでいつもの丘を見回した。春は咲いている花がたくさんあるので華やかな花籠になる。旅館に来てくれた客が少しでも元気になるように、心地よく時間を過ごせるように。西森は今できる最高のことをしたいと思っていた。先程の男の人を思い出してその想いは強くなる。元気で人生に充実して満足している時は人は花にそんなに惹かれない。でも、ふと立ち止まったり疲れていたり。一段落して振り返ったりする時に、何も言わずそばで咲いている花に心を奪われるのだと思う。花は自分をわかりやすく主張しないが、そっと背中を押してくれる気がする。どんな花も美しい。花籠は秘めたメッセージを伝える手段でもある。西森は咲いている野の花に近づいた。
「菜の花が一面に。。綺麗だなぁ。。明日はこの花をメインにしよう。この素敵な花畑をそのまま花籠にしたいな」
旅館の女将から明日の客の中には足腰が弱く外に出られない老女もいるらしい。都会よりも空気が澄んでいるこの田舎町で、いろんなものを見て回りたいのだができるかどうかわからないそうだ。なら、客間に置いてもらう花籠にこの風景を込めようと西森は思った。
「お婆さんが外に出たいってわくわくするような、元気が溢れてくる花籠を作ろう。ふふふ!楽しみだな!」
旅館の女将は時々こうやって客の様子を教えてくれる。花籠を作る上でとても重要でどんな花籠を作ればいいかすぐ浮かんでくる。とてもありがたかった。
「せっかく作るのなら一組一組、大切に作りたいからね」
菜の花に添える花たちの目星もつけ西森は自転車をこいで店へと戻った。帰ってきた西森を大きな古い鳩時計が出迎えて15時を伝えている。12時の文字盤がくるりと回って鳩が飛び出した。可愛らしい声で鳴いている。そういえばお腹が空いた。炊けているご飯と味噌汁を茶碗によそおった。旅館には朝早く花籠と頼まれた花たちを届けるので、西森は夕方には店を閉めてそのまま奥で寝ている。客は少なく稼ぎは専ら旅館への納品が中心だ。それでも豪華なものを食べる余裕はないが近くの農家から花を仕入れる時にいつもたくさんの野菜をもらう。売り物にならないから食べてくれと新鮮な野菜を自転車のカゴに入れてくれるのだ。お金はないが不思議と食べ物には困らなかった。今日は農家の奥さんが浸けたという高菜と梅干しをおにぎりの具材にしよう。西森は味噌汁をすすりながらぼんやり考えていた。
テレビもない。パソコンもない。都会とは全く違う環境で、ちゃぶ台があり小さな台所がある。電話も昔ながらの黒電話だ。電話の音が大きくて外からでもよく聞こえる。けたたましい音。祖母の面影が残る優しい場所。急に眠くなってきて西森は少し横になった。
「。。。!!やばい!!寝過ごした!!」
ちゃぶ台の上には昨日食べた後の食器がそのまま置かれている。15時に帰ってきてご飯を食べて寝てしまった。はっとして起きると夜中の3時だ。時間があっという間に過ぎていく。
西森は洗面所で顔を素早く洗うと外に出て自転車に飛び乗る。昨日、目星をつけた場所に向かって必死で自転車をこいだ。旅館に花籠を納めるのは6時だが気に入らなければ何度も手直しをするため、なるべく早く花を摘んでおきたい。とても遠い所で咲いている花ならば前の日に摘んで保存しておくのだが、近場ではその日に摘んで花籠を作る。そう遠くはないが急ぎたい。
「あった!!気が焦っているな。。落ち着け。。お客さんのことを想って花に感謝しながら一つずつ。。」
花を摘むことは命をもらうこと。西森は花籠の花を摘む時に必ず感謝の気持ちを込めて手を合わせることを決めていた。花たちへの感謝の気持ちもあるが、これは自分のためだ。落ち着かせて納得のいく花籠を作るための自分なりの習慣だった。手を合わせながらひとつ大きな息を吐く。心が落ち着くのを感じてゆっくりと目を開けた。
「よし!摘むぞ。元気になるように願いを込めて」
持ってきた保存用の箱を片手に持ちながら西森は目の前の花畑から一つ一つ花を摘んでいった。
「おお!お疲れさん。どれ。見せてもらおうかの?」
なんとかいつもの時間に間に合った。正宗の笑顔を見ながら満足してくれるか少し心配で箱から花籠を取り出す。今日は寝坊をして自分のリズムが崩れた気がする。それでも今できることを一生懸命やろうと西森は花籠に向き合った。花籠を見つめていた正宗が西森をじっと見つめてくる。真剣で静かな眼差しに今日はやっぱりだめだったかと落胆した。
「ええのう。。お前さん。少し変わったの。力強さが加わった気がする。今日の花籠は少し荒っぽいが菜の花の飾らない生命力を見事に表現しとるよ。うん。素晴らしい。これはこれでええ!!」
ええもん見せてもらったわ。嬉しそうに屈託なく笑う正宗を見て西森は安堵から大きく息を吐いた。花籠を見てもらってほっとする。急にお腹が空いたが今日はおにぎりを持ってきていない。それよりもバタバタしてしまって力が抜けてしまった。帰る元気がないので少し休んでいこう。旅館の木陰でゆっくりと腰を下ろした。今までの疲れがどっと襲ってくる。春の優しい風に誘われて西森は静かに目を閉じた。
「。。おい。。起きろ。こんな所で寝てたら風邪引くだろうが」
深みのある力強い声だ。乱暴でぶっきらぼうなのに聞いていると安心する。不思議な声だなと西森はぼんやりと目を開けた。目の前にあの配達の男が自分を見下ろしている。しげしげと不機嫌そうに西森を見下ろしていた。慌てて体を起こす。目が冴えてしまった。
「な、何か。。?」
恐る恐る答えた西森に、ずいっと木の枝を持ってくる。枝には可愛らしいピンクの花が咲き誇りとても綺麗だった。びっくりして西森は配達の男を見上げる。ぼそりとその男は言った。
「。。やるよ。お前、花屋だろ?正宗さんが言ってた。この木、折れてたから。大切にしてやってくれ」
息を飲んで見上げている西森を置いて、頼んだからなと言い残しその場を去ろうとする。西森は慌てて、ありがとうございますと叫んだ。きょとんとした後、配達の男は嬉しそうに笑う。穏やかで優しそうな笑顔に西森の心がどくんと大きく動いた。体が熱いのに金縛りのように動かない。去っていく後ろ姿を見送るしかできなかった。
配達の男がくれた可愛い桃の花を大切に持ちながら西森は呆然としていた。しばらく動けなかったがゆっくり体を動かす。自分の手元にある桃の花を見つめる。折れていたという桃の花は嬉しそうに西森の中に収まっていて、ほっと安心しているように見えた。
「。。はあ。。た、大切にするからな。。でも、今度は俺に直接来てくれよ。あの人は心臓に悪いんだ」
綺麗に咲いている桃の花。春の到来を秘かに祝福しているようにも見える。春が来て嬉しいのだろう。強く波立っていた心が少しずつ穏やかになっていく。ほっと息を吐いた。
「優しい人に拾われてよかったな。。俺はドキッとしたけど。。まあ、いいや。一緒に帰ろうか」
もらった桃の花を前のカゴに入れて店への道をゆっくりと自転車でこいでいく。お腹が空いたなぁと思いながら西森の心はとても軽やかだった。
皆様、おはようございます(*^^*)いかがお過ごしでしょうか?
うふふふ。散歩に行ってきます~。ちょうちょとか飛んでないかなぁ。
ではでは皆様、これからも素敵な時間をお過ごしくださいね(*^^*)